Passage from The epic.
キャラクターノベル(グループ)制作 弓月 蒼納品 2024年05月28日 20時01分52秒
●Astrolabe
これは、或いは存在したかも知れない架空の物語である。
曰く。歴史は、星を追うのに良く似ている。
見る場所、相手、環境によって見方が変わり、それに意味を見出す者も、その逆もまた尽きない。
時に未来の願いを託し、時にその趨勢に涙し、時にその彼方に決して届かぬ未知を想う。
故に、人は時に仮初の歴史を描く。そこに某かの祈りを込めて。
――――とある叙事詩の一節
●Case The Libra
例えるならば。獣として卓越している事は、必ずしも群れを率いる資質を意味しない。
個として精強であり優越である事は、必ずしも集団の結束を後押しする物ではない。
玉石混合と言う概念には、必ず石が混ざる事を前提としているように。
ヒトの歴史に於いて殆どの場合、世に主流とされた物が永く純粋で賢明であった試しはない。
それは――――個人より"集団”が力を持ち、膨れ上がる際の必然である。
例えば、かつて広く“怪物”と呼び称された『竜』の末裔がその身を焔にくべざるを得なかったように。
優れた個が率いる組織が、故に賢明である訳ではないことは――――人の歴史が証明している。
それは勿論言うまでも無く。この爛熟した『王国』に在っては尚一層顕著だと言えよう。
(……さて、どうしたものかな)
財務官僚。『翡翠蘭』の異名を持つジュスト・V・ケレスはその2つの帳簿を重ね見て冷たい汗が滲むのを感じた。
それはとある“侯爵家”の汚職の記録である。収益を隠し税から逃れるなど貴族界隈では珍しくも無い。
ただ、彼は現職に就いてからその潔癖とも呼ばれる姿勢で以てその悉くを必ず裁いて来た。
貴族の慣例として内々に処理する事は有っても、見逃したことは唯の一度も無い。それは彼の誇りですらある。
だが、彼の手元にある“善意の第三者”から導き出された帳簿は公的書類ではない。
その数字が正しい事を証明する物は何も無い。問題はジュストの直感がそれを“本物”であると捉えている事。
そして更に最悪な事は――――その貴族家が、現『集権派』の中核の1つであると言う事だ。
■
「信賞必罰を徹するべきだと思う」
「徹すれば後ろ盾を失くす。誰だって背中から刺されたくはないよ」
ローザリカ・L・ディオール――――或いは、ローザリカ・D・ケレスはこの数年。
商会の主業務を後任に預け子育てに奔走している。と言うより、せざるを得なかったと言う表現が正しいだろう。
貴族であれば子供の世話輪は乳母や侍女に任せるのが当然であり、其処まで手を掛ける必要は無いのだが。
“断じて側室は認めない”と言うローザリカの姿勢を嫁ぎ先である『迷迭香』に認めさせるには。
彼女は家の支配者として振る舞わなければならなかった。内部派閥が発生する芽は幾らでも潜んでいるからだ。
結局のところ、親夫人派と反夫人派に家臣団が分かれた時点で。
主家からは“そら見た事か”と言われるのが目に見えている。そして、主はその配属部署故に多忙の極み。
彼女が“外”に出る余裕など爪先一つも抽出出来ない。彼女の主張はそれほど、貴族として異質だった。
一方その代償の分、家内の団結は強まった。ジュストの“『迷迭香』の長”としての評価も悪く無い。
だからこそ――――“此処”は彼らにとっての大きな分岐点だと言えた。
『集権派』は新しい派閥だ。盟主であるウィリアム・バデーニ公爵は“良くやっている”とは言え。
派閥としての団結には乏しく、内憂を抱え込んだとして早々に処理出来る仕組みも無い。
ウィリアム第二王子は知見の広い優秀な王族だったが、未だ若いのだ。『集権派』にも全く同じ事が言えた。
「だとしても――――その仕事を、この子達に誇れるの?」
「……いや、分かってる。此処で日和ったら今度は『竜』の信を失う訳だからね」
嘆息は深く、重い。汚職その物は各派閥で起きているとは言え、『集権派』が自派閥を断罪した。
となれば流石に恨みを買おう。賞賛を得られると同時に絶望的な反発も想像に難くない。
だが、しない訳には行かない――――何せ彼の第二王子が“彼に期待している事”は。
恐らく……いや、まず間違いなく。そういう役割であるからだ。
何処の貴族家も生き残りを掛けている。その前提で考えれば『集権派』への移籍は軽率とは言い難い。
いや、貴族としての名より実を取るならばより現実的選択肢だった、と。ジュストは未だに思っている。
問題は“派閥を移った貴族家”の全てがそれほど賢明であった訳では無い、と言う点だろう。
社交界では“長い物に巻かれる”事は処世術の一つであり、それは貴族社会でもほぼ同じ事が言えた。
彼らが見誤っていたのは『集権派』と言う派閥の主旨でありその本質的存在意義である。
“いずれ王家にその既得権益の全てを返還する”『集権派』とは、元々それを目的と掲げた派閥なのだ。
だがその他派閥とは“異なる”部分に気付かなかった貴族家からすれば、陥穽へ落ちた絶望は想像に難い物ではない。
■
「状況は、決して良いとは言えない」
ジュストの発した糾弾と断罪を、『集権派』盟主家バデーニは全面的に賞賛した。
王家の金庫番が王家への背反行為を罰した。それは職責に基く正当な判断であると評価したわけである。
結果、『集権派』内の中核の一つであった貴族家が取り潰されたとしても、それを指して当然としたのだ。
『集権派』に属す貴族達は気付かざるを得ない。盟主家には彼らを守る気など更々無いと言う事に。
反発は静かに。けれど表層に出て来ないからこそ致命的であることが、ジュストには分かった。
“生きる為の筋道”を探して『集権派』に移った貴族家ほど、その致命的失敗に気付くには些か遅過ぎた。
表立ってバデーニ公爵を糾弾する声こそ少ないが、不平不満は国の地盤を揺らし得る程一気に高まっていった。
思えば王家が集権化を大方針として掲げた時からこの流れは避け得ない物であったのかもしれない。
「スフェーンとマラカイトを連れて、一度ディオールへ戻るべきだ」
「冗談じゃない、僕に君を見捨てて逃げろって言う気かい!?」
「良く聞いてくれロゼ。“領地”の無いケレスではもう身の安全を保証出来ない」
告げて地面に落とした血塗れの短剣に、ローザリカが息を呑む。それが、ジュストの物でないなら。
“返り血”であることは見誤りようもなかったからだ。既に、誰かから“刺客”が送られて来ている。
「一刻の猶予も無い。今夜中に支度を済ませて欲しい。俺には、君たちが何より大切なんだ」
「……分かった。でも、約束して欲しい。……絶対に、無茶はしないで」
それが、一週間ほど前のこと。であればこそ――――彼はいっそ自らの慧眼を褒め称えたい気持ちでいた。
帰るべき家が。先代より引き継いだ邸宅が燃えていた。赤く、赤く、無慈悲で平等な灼熱に包まれていた。
家臣団には犠牲者も出た。この数年、“侯爵家”当主として馴染み切れない日々を支えてくれた。
家族とも、戦友とも言って良い欠け甲斐の無い臣下だった。別れを告げる事すら叶わなかった。
彼らが命を賭して運び出してくれた家財が。貴族としての誇りが。
授恵者として、魔法使いとして駆け抜けた無数の戦場が。『迷迭香』の歴史が彼に告げていた。
――――この暴挙を“赦すな”と。――――この犠牲に、“報いるべきだ”、と。
ジュストは一度、震える拳を握り締めると半手袋を手に被せる。
久しく冒険者から離れて忘れていた。けれど吹く風が。呼吸が憶えている。これは、最早戦いだ。
誰も代わりになってはくれない――――どちらかの呼吸が止まるまで、突き進む他は無いのだと。
●Case The Ophiuchus
この戦いに於いて、ローザリカ・D・ケレスは文字通りその私財と人脈の全てを駆使した。
『王都』に孤立させられた夫の為、取り残され得る家族の為。彼女には手段を選んでいる暇など無かった。
中でも最も強固に機能したのはディオールとオーブ、両商会で培った口伝の情報網であり。
結論から言えば、その1つを『竜』の三大商会が一位。『竜商』が拾い上げたことが一つの発端となった。
何せ情報は錯綜しており、それぞれに利害関係がある。冒険者の精度は前世代ほど期待出来ない。
そんな世情の中、“確実に被害者”である『迷迭香』の証言には一時的に値千金の価値が生じている。
その事実を彼女が正確に把握していたのは、夫と並び立つべく積み重ねた貴族としての研鑽の賜物に違いない。
「……酷い事をしているな、僕は」
実家から付いて来た腹心の侍女に独り言ちる。商売だ、綺麗事ではないと分かっている。
けれどローザリカには自覚が有る。燻ぶっていた最後の火種に火を点けたのは、多分自分だ。
最愛の小鳥が酷く焦燥し、いつも強がる彼が俯き拳を握る姿を見ているしか出来なかった時。
彼女は決めたのだ、守られる側でいるのを辞める事を。これは、自分の戦いでもあると受け取った。
「お嬢様……」
「リベラの兄様にこれを。……きっと、全て悟ってくれる筈だ」
差し出した封筒には薔薇の蝋印が押されていた。その先どうなるかは、もう分かっている。
分かっていて尚、鬼札を切らねばならない時がやって来たという事も。
彼女に流れるディオールの血は告げている。金は力であり、力とは権利であると同時に、義務だ。
力ある者は、それを振るうべき時に振るうからこそ意味を持つのだと。
■
1つ。此処までは想定されていた流れに過ぎない。2つ。これは乗り越えられる障害に過ぎない。
3つ。こんなものは未だその過程。“生じて然るべき戦い”の中で――――天意の証明には未だ程遠い。
「『迷迭香』より報告が届いた」
「……であれば、予定通りと言う事か。側近の二人はどうする?」
「事前に話は伝えてある。概ね理解は得られている心算だ」
「貴方の“心算”は本当に“心算”なだけが少なく無いので心配です」
「言っても仕方無いだろう。この盟主殿は大概において悉く一言少ない」
「貴公らに言われたくはない……が、過激派の掌握は済んでいるな」
「……少し強引な手も使った。言っておくが『竜』。卿の評判は最悪よりはマシ程度だぞ」
「構わん、些事だ。穏健派の方は」
「『夜鷹』に縁ある者以外は――――一通り済んでいますわ」
『竜』が手を打ち合わせると。穏健派の『紫水』、過激派の『黒槍』が席を立つ。
彼ら、彼女らはそれぞれの仕事をした。であれば盟主である青年が座して待つ事は赦されない。
殆ど鳴らされる事の無い黒い呼び鈴が鳴る。謁見の間に普段より一層澄んだ、高い音が響き渡る。
重い扉は、まるで待ち構えてでもいたかの様にすぐ開かれた。
「残念ながら、ここまでは未だ掌の上だろう」
「バデーニ公爵、ですか……恐い方ですね」
「これで王家の直轄領がまた増える。少しでも気勢を削がねばなるまいよ」
「また、王家と貴族に睨まれる事になるが」
「それを恐れるならば、元より民の啓蒙など企図しない」
『竜の双翼』と並び称される2人。ナハティガル=ラーとゲルダ・クラインが目線を合わせる。
主は止まらない。それは分かっていた事。ならばもう一つ、分かっている事がある。
「主命を以て『竜』が告げる。両名同道せよ、これは我らが闘争である」
その道を切り開くことが、彼と彼女の役割だと言う事だ。
■
「黒鋼騎士団、第一、第二部隊、武器構え!」
「右に同じく。黒鋼騎士団、第三、第四部隊――――武器、構えっ!!」
黒一色の重武装。それは一種異様とすら言える独自の威圧感を表する。
いや、帝都奪還より8年。神代に並ぶと言う程に力を持った冒険者達は各地に散逸して久しい。
“かつて”と言う枕詞が当たり前に使われる様になるのも恐らくそれほど遠くは無い。
そんな時代に在って、その戦闘従事者が“全て授恵者”で賄われる武装集団など大陸でも、既にそうはない。
末端貴族。それも『集権派』の本質に気付けなかった、現王政に叛意を抱く者たちが蜂起する可能性は。
『紫政館』を卒業するに至った高弟達から度々指摘を受けて来た事項である。
いずれ遠からず。と言われ続けて来た事態は、目下『集権派』盟主の懐刀の一つと見做されていた侯爵家。
『迷迭香』への評価が真っ二つに分かれるに至って内輪揉めを超え、遂に表面化した。
かつて同様の事態が派閥盟主である『竜』の呼び掛けが無ければ発生しなかった事を考えれば。
この不満の噴出の仕方は不自然ですらある。例え其処に曲者とされる“元第二王子”の意図が潜んでいたとしても。
「しかし……まさか己が仮にも“王家の側”に立って戦う事になるとは思っても見なかったな」
「白竜妃様の一件で『貴族派』内にも火種は転がってました。それが連鎖した、と言う所でしょうね」
恐らくは――――切っ掛け自体はバデーニ公爵の“挑発的言動”だったのだろう。しかし事態は想像以上に大規模化した。
そして2人には揃って心当たりがあった。そういった事を得意とする、未だ『王国』が補足出来ていない何者か。
つまり“2つの軸の異なる不平不満”を“繋げて着火させた”人物が別に居る。
けれど、それを今追求しても栓無き話である。今の彼らの役割はあくまで“不穏分子”の処理だ。
「これで少しでも『竜』への風当たりが和らぐと良いんだが」
「ナハティガル様は王家との折衝お疲れ様ですっ」
ナハティガルのぼやきにゲルダが笑顔で応じるも、普段は余り2人の時間を取れない多忙な両者である。
こうして並び立って戦場と対するのも久々で。そこはそれ、思う所の有無とは別に不思議な高揚感が胸を衝く。
戦線を築くのは『黒鋼竜』だけではない。『紫水晶』、『天峰』、『白銀』、『白薔薇』等など。
『王都』をぐるり囲む形で展開された“防衛線”がそれぞれに、各地より集わんとした貴族の軍を堰き止めている。
かつて『ライゼンナクトの乱』で知られた『黒鋼竜』現当主アルベイルは、これに際し『白薔薇』と共謀。
『王都』防衛の指揮を南北に別ち自発的に自軍を展開する事で、事態の収拾を図るとの名目と共に。
王国の双璧此処に在りと、文字通り“王家”に対し『王党派』『貴族派』両盟主家としての存在感を示すに至る。
「見よ。そして学ぶが良い『紫政館』の高弟達よ。この国に於いて、武力で国家を覆す事の難しさを。――――進軍」
『黒鋼竜』の指揮の下、黒の騎士団がその一歩を踏み出す。
後に、虐げられる立場に置かれた貴族の不満が爆発したとも。王家の掌で転がされ自縄自縛に陥ったともされる戦い。
第二次『王都』防衛戦――――“王国貴族最後の乱”の幕は。かくて切って落とされた。
これは、或いは存在したかも知れない架空の物語である。
曰く。歴史は、星を追うのに良く似ている。
見る場所、相手、環境によって見方が変わり、それに意味を見出す者も、その逆もまた尽きない。
時に未来の願いを託し、時にその趨勢に涙し、時にその彼方に決して届かぬ未知を想う。
故に、人は時に仮初の歴史を描く。そこに某かの祈りを込めて。
――――とある叙事詩の一節
●Case The Libra
例えるならば。獣として卓越している事は、必ずしも群れを率いる資質を意味しない。
個として精強であり優越である事は、必ずしも集団の結束を後押しする物ではない。
玉石混合と言う概念には、必ず石が混ざる事を前提としているように。
ヒトの歴史に於いて殆どの場合、世に主流とされた物が永く純粋で賢明であった試しはない。
それは――――個人より"集団”が力を持ち、膨れ上がる際の必然である。
例えば、かつて広く“怪物”と呼び称された『竜』の末裔がその身を焔にくべざるを得なかったように。
優れた個が率いる組織が、故に賢明である訳ではないことは――――人の歴史が証明している。
それは勿論言うまでも無く。この爛熟した『王国』に在っては尚一層顕著だと言えよう。
(……さて、どうしたものかな)
財務官僚。『翡翠蘭』の異名を持つジュスト・V・ケレスはその2つの帳簿を重ね見て冷たい汗が滲むのを感じた。
それはとある“侯爵家”の汚職の記録である。収益を隠し税から逃れるなど貴族界隈では珍しくも無い。
ただ、彼は現職に就いてからその潔癖とも呼ばれる姿勢で以てその悉くを必ず裁いて来た。
貴族の慣例として内々に処理する事は有っても、見逃したことは唯の一度も無い。それは彼の誇りですらある。
だが、彼の手元にある“善意の第三者”から導き出された帳簿は公的書類ではない。
その数字が正しい事を証明する物は何も無い。問題はジュストの直感がそれを“本物”であると捉えている事。
そして更に最悪な事は――――その貴族家が、現『集権派』の中核の1つであると言う事だ。
■
「信賞必罰を徹するべきだと思う」
「徹すれば後ろ盾を失くす。誰だって背中から刺されたくはないよ」
ローザリカ・L・ディオール――――或いは、ローザリカ・D・ケレスはこの数年。
商会の主業務を後任に預け子育てに奔走している。と言うより、せざるを得なかったと言う表現が正しいだろう。
貴族であれば子供の世話輪は乳母や侍女に任せるのが当然であり、其処まで手を掛ける必要は無いのだが。
“断じて側室は認めない”と言うローザリカの姿勢を嫁ぎ先である『迷迭香』に認めさせるには。
彼女は家の支配者として振る舞わなければならなかった。内部派閥が発生する芽は幾らでも潜んでいるからだ。
結局のところ、親夫人派と反夫人派に家臣団が分かれた時点で。
主家からは“そら見た事か”と言われるのが目に見えている。そして、主はその配属部署故に多忙の極み。
彼女が“外”に出る余裕など爪先一つも抽出出来ない。彼女の主張はそれほど、貴族として異質だった。
一方その代償の分、家内の団結は強まった。ジュストの“『迷迭香』の長”としての評価も悪く無い。
だからこそ――――“此処”は彼らにとっての大きな分岐点だと言えた。
『集権派』は新しい派閥だ。盟主であるウィリアム・バデーニ公爵は“良くやっている”とは言え。
派閥としての団結には乏しく、内憂を抱え込んだとして早々に処理出来る仕組みも無い。
ウィリアム第二王子は知見の広い優秀な王族だったが、未だ若いのだ。『集権派』にも全く同じ事が言えた。
「だとしても――――その仕事を、この子達に誇れるの?」
「……いや、分かってる。此処で日和ったら今度は『竜』の信を失う訳だからね」
嘆息は深く、重い。汚職その物は各派閥で起きているとは言え、『集権派』が自派閥を断罪した。
となれば流石に恨みを買おう。賞賛を得られると同時に絶望的な反発も想像に難くない。
だが、しない訳には行かない――――何せ彼の第二王子が“彼に期待している事”は。
恐らく……いや、まず間違いなく。そういう役割であるからだ。
何処の貴族家も生き残りを掛けている。その前提で考えれば『集権派』への移籍は軽率とは言い難い。
いや、貴族としての名より実を取るならばより現実的選択肢だった、と。ジュストは未だに思っている。
問題は“派閥を移った貴族家”の全てがそれほど賢明であった訳では無い、と言う点だろう。
社交界では“長い物に巻かれる”事は処世術の一つであり、それは貴族社会でもほぼ同じ事が言えた。
彼らが見誤っていたのは『集権派』と言う派閥の主旨でありその本質的存在意義である。
“いずれ王家にその既得権益の全てを返還する”『集権派』とは、元々それを目的と掲げた派閥なのだ。
だがその他派閥とは“異なる”部分に気付かなかった貴族家からすれば、陥穽へ落ちた絶望は想像に難い物ではない。
■
「状況は、決して良いとは言えない」
ジュストの発した糾弾と断罪を、『集権派』盟主家バデーニは全面的に賞賛した。
王家の金庫番が王家への背反行為を罰した。それは職責に基く正当な判断であると評価したわけである。
結果、『集権派』内の中核の一つであった貴族家が取り潰されたとしても、それを指して当然としたのだ。
『集権派』に属す貴族達は気付かざるを得ない。盟主家には彼らを守る気など更々無いと言う事に。
反発は静かに。けれど表層に出て来ないからこそ致命的であることが、ジュストには分かった。
“生きる為の筋道”を探して『集権派』に移った貴族家ほど、その致命的失敗に気付くには些か遅過ぎた。
表立ってバデーニ公爵を糾弾する声こそ少ないが、不平不満は国の地盤を揺らし得る程一気に高まっていった。
思えば王家が集権化を大方針として掲げた時からこの流れは避け得ない物であったのかもしれない。
「スフェーンとマラカイトを連れて、一度ディオールへ戻るべきだ」
「冗談じゃない、僕に君を見捨てて逃げろって言う気かい!?」
「良く聞いてくれロゼ。“領地”の無いケレスではもう身の安全を保証出来ない」
告げて地面に落とした血塗れの短剣に、ローザリカが息を呑む。それが、ジュストの物でないなら。
“返り血”であることは見誤りようもなかったからだ。既に、誰かから“刺客”が送られて来ている。
「一刻の猶予も無い。今夜中に支度を済ませて欲しい。俺には、君たちが何より大切なんだ」
「……分かった。でも、約束して欲しい。……絶対に、無茶はしないで」
それが、一週間ほど前のこと。であればこそ――――彼はいっそ自らの慧眼を褒め称えたい気持ちでいた。
帰るべき家が。先代より引き継いだ邸宅が燃えていた。赤く、赤く、無慈悲で平等な灼熱に包まれていた。
家臣団には犠牲者も出た。この数年、“侯爵家”当主として馴染み切れない日々を支えてくれた。
家族とも、戦友とも言って良い欠け甲斐の無い臣下だった。別れを告げる事すら叶わなかった。
彼らが命を賭して運び出してくれた家財が。貴族としての誇りが。
授恵者として、魔法使いとして駆け抜けた無数の戦場が。『迷迭香』の歴史が彼に告げていた。
――――この暴挙を“赦すな”と。――――この犠牲に、“報いるべきだ”、と。
ジュストは一度、震える拳を握り締めると半手袋を手に被せる。
久しく冒険者から離れて忘れていた。けれど吹く風が。呼吸が憶えている。これは、最早戦いだ。
誰も代わりになってはくれない――――どちらかの呼吸が止まるまで、突き進む他は無いのだと。
●Case The Ophiuchus
この戦いに於いて、ローザリカ・D・ケレスは文字通りその私財と人脈の全てを駆使した。
『王都』に孤立させられた夫の為、取り残され得る家族の為。彼女には手段を選んでいる暇など無かった。
中でも最も強固に機能したのはディオールとオーブ、両商会で培った口伝の情報網であり。
結論から言えば、その1つを『竜』の三大商会が一位。『竜商』が拾い上げたことが一つの発端となった。
何せ情報は錯綜しており、それぞれに利害関係がある。冒険者の精度は前世代ほど期待出来ない。
そんな世情の中、“確実に被害者”である『迷迭香』の証言には一時的に値千金の価値が生じている。
その事実を彼女が正確に把握していたのは、夫と並び立つべく積み重ねた貴族としての研鑽の賜物に違いない。
「……酷い事をしているな、僕は」
実家から付いて来た腹心の侍女に独り言ちる。商売だ、綺麗事ではないと分かっている。
けれどローザリカには自覚が有る。燻ぶっていた最後の火種に火を点けたのは、多分自分だ。
最愛の小鳥が酷く焦燥し、いつも強がる彼が俯き拳を握る姿を見ているしか出来なかった時。
彼女は決めたのだ、守られる側でいるのを辞める事を。これは、自分の戦いでもあると受け取った。
「お嬢様……」
「リベラの兄様にこれを。……きっと、全て悟ってくれる筈だ」
差し出した封筒には薔薇の蝋印が押されていた。その先どうなるかは、もう分かっている。
分かっていて尚、鬼札を切らねばならない時がやって来たという事も。
彼女に流れるディオールの血は告げている。金は力であり、力とは権利であると同時に、義務だ。
力ある者は、それを振るうべき時に振るうからこそ意味を持つのだと。
■
1つ。此処までは想定されていた流れに過ぎない。2つ。これは乗り越えられる障害に過ぎない。
3つ。こんなものは未だその過程。“生じて然るべき戦い”の中で――――天意の証明には未だ程遠い。
「『迷迭香』より報告が届いた」
「……であれば、予定通りと言う事か。側近の二人はどうする?」
「事前に話は伝えてある。概ね理解は得られている心算だ」
「貴方の“心算”は本当に“心算”なだけが少なく無いので心配です」
「言っても仕方無いだろう。この盟主殿は大概において悉く一言少ない」
「貴公らに言われたくはない……が、過激派の掌握は済んでいるな」
「……少し強引な手も使った。言っておくが『竜』。卿の評判は最悪よりはマシ程度だぞ」
「構わん、些事だ。穏健派の方は」
「『夜鷹』に縁ある者以外は――――一通り済んでいますわ」
『竜』が手を打ち合わせると。穏健派の『紫水』、過激派の『黒槍』が席を立つ。
彼ら、彼女らはそれぞれの仕事をした。であれば盟主である青年が座して待つ事は赦されない。
殆ど鳴らされる事の無い黒い呼び鈴が鳴る。謁見の間に普段より一層澄んだ、高い音が響き渡る。
重い扉は、まるで待ち構えてでもいたかの様にすぐ開かれた。
「残念ながら、ここまでは未だ掌の上だろう」
「バデーニ公爵、ですか……恐い方ですね」
「これで王家の直轄領がまた増える。少しでも気勢を削がねばなるまいよ」
「また、王家と貴族に睨まれる事になるが」
「それを恐れるならば、元より民の啓蒙など企図しない」
『竜の双翼』と並び称される2人。ナハティガル=ラーとゲルダ・クラインが目線を合わせる。
主は止まらない。それは分かっていた事。ならばもう一つ、分かっている事がある。
「主命を以て『竜』が告げる。両名同道せよ、これは我らが闘争である」
その道を切り開くことが、彼と彼女の役割だと言う事だ。
■
「黒鋼騎士団、第一、第二部隊、武器構え!」
「右に同じく。黒鋼騎士団、第三、第四部隊――――武器、構えっ!!」
黒一色の重武装。それは一種異様とすら言える独自の威圧感を表する。
いや、帝都奪還より8年。神代に並ぶと言う程に力を持った冒険者達は各地に散逸して久しい。
“かつて”と言う枕詞が当たり前に使われる様になるのも恐らくそれほど遠くは無い。
そんな時代に在って、その戦闘従事者が“全て授恵者”で賄われる武装集団など大陸でも、既にそうはない。
末端貴族。それも『集権派』の本質に気付けなかった、現王政に叛意を抱く者たちが蜂起する可能性は。
『紫政館』を卒業するに至った高弟達から度々指摘を受けて来た事項である。
いずれ遠からず。と言われ続けて来た事態は、目下『集権派』盟主の懐刀の一つと見做されていた侯爵家。
『迷迭香』への評価が真っ二つに分かれるに至って内輪揉めを超え、遂に表面化した。
かつて同様の事態が派閥盟主である『竜』の呼び掛けが無ければ発生しなかった事を考えれば。
この不満の噴出の仕方は不自然ですらある。例え其処に曲者とされる“元第二王子”の意図が潜んでいたとしても。
「しかし……まさか己が仮にも“王家の側”に立って戦う事になるとは思っても見なかったな」
「白竜妃様の一件で『貴族派』内にも火種は転がってました。それが連鎖した、と言う所でしょうね」
恐らくは――――切っ掛け自体はバデーニ公爵の“挑発的言動”だったのだろう。しかし事態は想像以上に大規模化した。
そして2人には揃って心当たりがあった。そういった事を得意とする、未だ『王国』が補足出来ていない何者か。
つまり“2つの軸の異なる不平不満”を“繋げて着火させた”人物が別に居る。
けれど、それを今追求しても栓無き話である。今の彼らの役割はあくまで“不穏分子”の処理だ。
「これで少しでも『竜』への風当たりが和らぐと良いんだが」
「ナハティガル様は王家との折衝お疲れ様ですっ」
ナハティガルのぼやきにゲルダが笑顔で応じるも、普段は余り2人の時間を取れない多忙な両者である。
こうして並び立って戦場と対するのも久々で。そこはそれ、思う所の有無とは別に不思議な高揚感が胸を衝く。
戦線を築くのは『黒鋼竜』だけではない。『紫水晶』、『天峰』、『白銀』、『白薔薇』等など。
『王都』をぐるり囲む形で展開された“防衛線”がそれぞれに、各地より集わんとした貴族の軍を堰き止めている。
かつて『ライゼンナクトの乱』で知られた『黒鋼竜』現当主アルベイルは、これに際し『白薔薇』と共謀。
『王都』防衛の指揮を南北に別ち自発的に自軍を展開する事で、事態の収拾を図るとの名目と共に。
王国の双璧此処に在りと、文字通り“王家”に対し『王党派』『貴族派』両盟主家としての存在感を示すに至る。
「見よ。そして学ぶが良い『紫政館』の高弟達よ。この国に於いて、武力で国家を覆す事の難しさを。――――進軍」
『黒鋼竜』の指揮の下、黒の騎士団がその一歩を踏み出す。
後に、虐げられる立場に置かれた貴族の不満が爆発したとも。王家の掌で転がされ自縄自縛に陥ったともされる戦い。
第二次『王都』防衛戦――――“王国貴族最後の乱”の幕は。かくて切って落とされた。