月がとても綺麗な夜のこと

キャラクターノベル(グループ)制作 蔭沢 菫納品 2024年03月18日 14時03分48秒

 その日の満月はまるで出来たばかりのように、美しかった。
 リーンエス王国はカペル侯爵領。まだ二月の寒さは去らないが、そろそろ花が芽吹き始めた、とシルヴィア・A・カペルは微笑んだ。白い髪と青い瞳に合わせた空色のガウンを身につけ、首元には象徴の蒼玉がきらめく。
「ノイアン、ほら。水仙だ」
 蒼玉の瞳に寄り添うのは、黒衣の男、エル=バ・ノイアン。横にいる恋人の存在に、生真面目な顔を和らげる。
 宴会の場所として主催者から示されたのは、入り口に水仙が咲き乱れる酒場。『黄金壺の水仙亭』と書かれた金色の壺は、看板代わりなのだろう。壺によく似合う黄水仙が数輪植えられており、酒場をぐるりと柵めいて取り囲む白水仙と好対照であった。
 一歩足を踏み入れれば、吟遊詩人が軽やかなカドリーユを奏で、フロアでは酒精に頬を染めた恋人たちがそれに合わせ踊っているところであった。やんやと歓声をあげる観客たち。一部はまた上機嫌に、肩を組んで歌っている。
 心地よい騒がしさだ、とノイアンは思う。そして、横にいるシルヴィアの姿を見る。正装とは行かないまでも、ちょっとした内々の夜会に出る貴婦人、と言った様子。
(本当に恋人を連れてくるのが、ここで良いのか、ディヴァンス……)
 つぶやくノイアン。どうした、と首をかしげるシルヴィアは、やがて酒場の中に見知った顔を見つけ、駆け寄る。見目の良いエルフが四名が揃い、会話を楽しんでいる様は、酒場だと言うのにどこか神秘的な印象を与える。
 誠実そうな顔立ちのエルフ――ディヴァンス・ファルヴェントは、駆け寄ってきた弟子にきっちりと礼をし、それからまずは乾杯、と杯を掲げる。テスとロイに浮かべる表情は、旧知の仲であるのか、柔らかい。
「ディヴァンス先生。今日は、本当に良い夜だ」
 シルヴィアもガウンの裾を持ち上げて挨拶し、その後ろでノイアンが非の打ち所のない生真面目な礼を行う。
「ああ、シルヴィにノイアン。先に楽しませて貰っているよ」
 ゆったりと笑むテス・アウレアは、白いショートマントを脱いで、その場の雰囲気に身を任せている。
「ディヴィはこちらのご婦人に首ったけなようで、色々と聞いていたんだ。ねえ、ロイ」
 その横に座っていたテスの夫――ロイ・アウレアは、少年のように溌剌とした笑みを浮かべ、一人の女性を紹介するがごとく、手で示した。
「初対面だけど、素敵な人だ。アーカネラさんは。黒曜石で花を作れば、彼女の凜とした振る舞いに似合うんじゃないかな?」
「まあ、嬉しいわ。既に彼から素敵な金の簪を頂いているのよ。二つによく合う夜会服を仕立てなければならないわね……ええ、改めて自己紹介を。アーカネラ・ユルヴェウス。ディヴァンスの恋人よ」
 紹介されたエルフの女性、アーカネラは大輪の花が咲くように明るい表情を皆に向ける。優美と洒脱の化身めいたアーカネラは、優れた芸術家であり、またディヴァンスと同じ優れた諜報員でもあった。
「ふふ、あなた方が、彼のプレゼント選びを手伝ってくれたのよね? ありがとう。恋人の親友は私にとっても大事。これからもよろしくね、貴方たち」
 穏やかに話すアーカネラの結い上げた髪には果たして黄金の簪があった。黒真珠とアメジスト、蒼玉で彩った金の簪は、青い花のようにアーカネラの黒髪を彩っている。
 テスとロイ、シルヴィアとノイアンたちが、ディヴァンスの贈り物選びを手伝った、という話は、既にアーカネラの耳に入っていた。とはいえ秘密などではなかったので、何も問題はないのだが。
 そもそも、今回の酒宴は――
「恋人への贈り物を選んで貰った礼、そして彼女の紹介をしたい」
 そんな、ディヴァンスのたっての願いから始まったものであった。とはいえこういった企画を立てることすら初めてのディヴァンス。慣れた場所が良いだろう、とこの酒場を選んだ次第。
「以前のテスの言葉を理解した。確かに恋人が自身の色を纏っているのは悪くない。テスは『自分の色で相手を彩る至福』を語ってくれた――その通りにしたまでだが、善いな」
 告げるディヴァンスの横でくすりと笑み、四人ににウィンクするアーカネラ。
「あの人、世辞でなくこういうのだから。否応なしに好きになってしまうわ。違わない?」
「成る程、先生はそういうところが……確かに。嬉しいな、先生とアーカネラが幸せになって」
 シルヴィアの横で頷くノイアン。
 そこにすまし顔のテスが話を投げかける。
「幸せそうで何より。ところで、進捗は?」
 むせるディヴァンス。その耳は髪の後ろで真っ赤に染まっていた。
 一方のアーカネラと言えば、葡萄酒の杯を見つめて、やはり真っ赤になっていた。
「綺麗だね、アーカネラ。そして、おめでとう」
 生まれる前に亡くなった祖父のことを思いながら、シルヴィアは師を祝福する。
 テスやディヴァンス、そしてアーカネラのやりとりから、共通の知り合いであった祖父の人となりが伝わってくるようで、シルヴィアはそれが妙に嬉しかった。

 ロイが「アーカネラさんに似合う」と勧めたのは、香味付けの白葡萄酒であった。慣れた手つきでロイが皆に注げば、ふわりと爽やかな花の香りがテーブルに広がる。ニワトコだ、と誰かが言う。きめ細やかな泡が、黄金の中ではじけて消える。
「これに合うのはチーズかな」
 シルヴィアが興味深そうに一口飲んでから考える。
「カッテージを乗せたサラダもいいかもしれないね、シルヴィ」
 テスもまた何が合うか、に思いをはせていた。
「ハーブも入れたい。ディルにペパーミント、チャービルにマージョラム……俺は酒は飲まないが、この香りだけで分かることもある」
 ノイアンが飲むのは、炭酸で割ったコーディアル。葡萄酒と同じく花の香りが漂うそれの中でも、また軽やかに泡が舞っている。
「では、果物も悪くないわ。干したものでも、生のものでも……」
 どうかしら、とディヴァンスへ声をかけるアーカネラ。
「私はそういったことは疎い。お前が決めれば良い」
「あら、では喜んで」
 慣れた調子でいくつかの注文を店員へと伝えるアーカネラ。その様子は心から今を楽しんでいる無邪気な娘のようであった。

 カッテージチーズとハーブのフルーツサラダ。合わせるのはレモンをかけた鳥のグリル。揚げたジャガイモは細く切られており、つまみやすく、食べやすい。甘いものも必要だろうと頼んだのはしっとりとした赤葡萄酒のケーキと、砂糖がけの揚げたパン。
 乾杯、の声とともに改めて酒席は始まる。
 冒険者同士、最近の依頼の話に盛り上がってみたり。
 もっと駆け出しであった頃の依頼を思い出してみたり。
 苦しかったことも笑い話になるほどに、あっという間に数年が経っていた――等といったのは誰であったか。
「今日は飲むわよ!」
 そういうアーカネラは、既に何杯も杯を重ねている。気風が良く、無邪気な振る舞いは、心を許した人へしか見せない表情であった。

「そういえば、指輪の礼がまだだった」
 ディヴァンスが改めて、という風に、テスとロイにきっちりとした一礼をする。エーテルを流せば精霊が歌う指輪。テスにとって亡き友人を思わせるその旋律は、背を預け前に進むための思い出。
「ディヴィを守ってくれているなら、光栄だよ」
 そう、改めて杯を掲げるテス。横のロイに微笑みかければ、ロイもまた悪戯っぽくウィンクを返す。
(私にとって、大事な人が増えていく)
 テスは親友であるディヴァンスを見る。黄金色の夫、ロイを見る。亡き親友の孫であるシルヴィアは愛妹のようであり……そんな彼らと親しいノイアンとアーカネラは、テスにとっても新たな『大切な人』だ。
 故に、
(彼らが幸せだと、私の幸せが増えていくね)
 亡き親友を思いながら、葡萄酒を味わう。目の前ではノイアンとロイが互いの武技について話し合い、そこにディヴァンスとシルヴィアが混じる。
(シルヴィが愛する国の酒だ。しっかりたくさん頂こう)
 そうしてゆっくりと指輪を撫でるテスであった。かつての友も、なぜかそこにいる気がしたのだった。

「ところで、ノイアンたちの方も気になるね。最近どう?」
「最近……」
「失礼、からかいたくなるのは親しみの表れだと思って欲しいな。ディヴィに似たところもあるからね」
 テスの言葉にどう答えるべきか迷っているノイアンを尻目に、シルヴィアは笑んで答える。もっとも、その表情もまた赤面していたのだが。
「側にいてくれるなら、ノイアンがいい」
「おや、熱いな」
 ロイがちいさく口笛を鳴らす。
「わがままだけれども、叶えたいんだ。婚約を認めて貰うために、お父様に挨拶へと行く予定だ……二人で」
「幸運を祈る」
 ディヴァンスが言えば、
 ロイも
「オレとテスのように結ばれるさ」
 とテスの肩を抱く。
「お熱いことだ」
 そう、シルヴィアは笑む。微かに、幸福の涙を浮かべながら。
 その横では黙々とノイアンが、シルヴィアが臆面も無く答えたことに驚き、どうしていいのやらと果汁入り炭酸水を飲んでいたが、やがてこほんと咳ばらいをする。
「シルヴィアの望みは、全力で叶えるつもりだ」
 そう、と答えるアーカネラは悪戯っぽく笑んでいる。
「常々話したかったのよ、ノイアン。ねえ、正直、唯人の社会は色々と面倒だと思っているわよ? そのあたりどう思っているのかしら」
「その面倒でさえ、乗り越えられる」
「ふふ……今の世の中の動きは嫌いじゃないわ。どうかあの子をお願いね」
 誓うような真面目さで答えるノイアンに、アーカネラは答え、再びロイが口笛を吹いた。
「ねえ、宜しいかしら。二人のなれそめが聞きたいわ……ええ、そこの黄金色の貴方も、銀色の貴方も」
 シルヴィアとノイアン、ロイとテス。二組の恋人を見て、アーカネラは微笑んだ。
 
 陽気な曲は止まらない。口ひげの生えた初老の吟遊詩人は旅人なのだろう。異国の調べをリーンエス風にアレンジしながら、軽快に演奏している。それに合わせて歌が響く。
 ふと、悪戯っぽくロイは立ち上がり、詩人の側へと行く。
「一曲奏でたいのだけど、いいかい?」
 その言葉に詩人は席を譲り、ロイの演奏が始まる。
「それでは、過ぎゆく昔の思い出に捧げよう」
 先ほどの軽快な響きとは打って変わって、古風なサラバンドが小型の弦楽器から奏でられる。立ち上がった恋人たちが緩やかにステップを踏み、近づいたり離れたりを繰り返す。
 アーカネラ、シルヴィア、ノイアン、テスも、近づき、離れ、そして優雅に舞う。ディヴァンスはゆっくりと酒を楽しみながら曲に身を任せていたが、その視線はノイアンをじっと見ていた。
「愛するものと望むまま連れ添うことを、叶わぬ夢と諦める物語も数多い。爪弾く機会も相応にあったはず」
 アーカネラに近づいた瞬間、ノイアンは語りかける。
「そうね」
「だからこそ貴方たちは、お互いを大切にできるだろう……おめでとう」
「嬉しいわ、ノイアン。貴方ならば、ディヴァンスも認めるわ」
「ディヴァンスが……」
「気づかない? 彼、貴方をずっと観察していたのよ。嫉妬するほどにね」
 そうして優美にアーカネラはロイの側へと近づいていく。
「楽士さん、横で歌ってもいいかしら?」
「へえ、アーカネラさんに歌って貰えるならば光栄だ。何がいい?」
「『野茨の蕾』、演奏出来る?」
「ああ、もちろんだとも」
 フィルエス大森林風の歌曲を頼まれたロイは、神秘的な和音を一度奏でる。
 苦難の果てに結ばれる恋人たちの姿を野茨に例えた曲だ。それを情感たっぷりに歌い上げるアーカネラ。師弟と相棒が。令嬢と剣士が。そして二輪の青薔薇が。やっと結ばれたことを祝福するかのように、歌声は紡がれる。
 いつしか、アーカネラの側にはディヴァンスがいた。歌声を合わせ、曲が終わった後に、ふとささやく。
「子供の頃から好きだった」
 いきなりの告白に、瞬きをするアーカネラ。
「遅いわ」
 そう返す彼女の頬は、赤く染まっていた。

 かちり、と杯が合わさる音がする。ノイアンとディヴァンスだ。
 ディヴァンスは僅かに笑みを浮かべ、踊るテスとロイへと視線をやる。
「友の友だ。悪い者ではないと思っていたが……合格だな。素晴らしい」
「ありがとう、ディヴァンス。シルヴィアの師に認められるのは、光栄だ」
「あの子を頼む。それから……あの二人も」
「テスと、ロイか?」
「ああ。大丈夫だとは思うが。友として仲良くしてやっていて欲しい」
「もちろんだ」
 再び杯が合わさる。
「やっと幸せになったのだ、めでたしめでたしの先まで行きたいもの。違わんか」
「確かに」
「先ほどは、祝いの言葉をありがとう。お前たちもそうであることを願う」

「何を話しているんだ?」
 シルヴィアが興味深げにディヴァンスとノイアンの会話に混じる。
「そちらこそ、何を話していたんだ?」
 アーカネラとシルヴィアは流行の絵や音楽について話していたが、いつしかその内容は互いの恋人の話になっていたらしい。
「いえ、ね。ディヴァンスが旅立つときに、誘ってくれたこと。彼、共に郷を出ようと誘ってくれたの……でも、勇気が出なくて」
 二人がカペルに勧誘してくれたときは、嬉しかったと笑むアーカネラ。
「ねえ、私たち。同じだったのね……」
 そうつぶやく声は、酒場の喧噪へと消えていく。
 ゆっくりと、ディヴァンスはアーカネラの手を取った。
「もう一度、踊らないか」
「ええ。喜んで」

 二階のバルコニーで、シルヴィアは今までの旅路を振り返る。気がつけば横にノイアンがいて、様々な繋がりが増えていた。大切な人たちはどんどんと増えていく。
「これから色々苦労もするだろうな。世界は大きく変わっていくわけであるし」
「ああ」
 ノイアンの側に腰掛け夜風を楽しむ。水仙の香りが甘く、甘く二人を包む。
「それでも、二人ならば乗り越えられる。そう思っているんだ……理由は、ノイアンがいてくれるから」
「奇遇だな、同じことを言おうと思っていた」
「まずはお父様に会うところからだね」
 ノイアンの体に体重を預けるシルヴィア。
「テスも、ロイも。先生たちも、幸せであって欲しい……だから」
 月が、やわらかに光を投げかけている。
「ずっとノイアンの隣でお酒を飲んで、一番の幸せを味わっていたいから」
 シルヴィアは目を閉じる。
「だから、大切な人たちが笑っている時間を守っていきたいと思っている」
「ああ。お前と一緒に行こう、シルヴィア……どこまでも」
 銀の髪と黒髪が、重なり合う。
 
 テスとロイは踊り終わり、二人で肩を寄せ合っていた。銀と金の鳥がつがいになっているようだ、と言ったアーカネラは、ずっとディヴァンスと踊っている。今のアーカネラとディヴァンスは、ゆったりと三拍子に身を預け、体を寄せ合っている。その様子は一幅の絵のようであった。席の皿はもう片付けられ、残るは杯のみ。
「皆、幸せそうだね」
「そうだな」
「次に会うときは、どちらの結婚式かな」
 テスの言葉に、ロイは楽しそうに笑む。
「死にそうだった君が、ここまで笑うようになって、大事な人も増えて。オレはと手も嬉しい。それは……オレも君の恋人として自信が持てなかったときもあるけれど」
「昔の話を繰り返すつもりかい?」
「全然? 今のオレほどテスに相応しい夫はいないだろう」
 冗談めかした様子の中で青い目は、じっとテスを見ている。
「ずっと一緒にいような、テス。明日は遠乗りに行って、明後日は買い物をして……しばらくは、冒険の合間の休暇をたくさん楽しもうじゃないか」
「喜んで」
 テスの肩を抱くロイは、そっと妻の髪にキスをする。いつものように。
 幸せだ、とテスはつぶやき、ロイの指に指を絡める。
「ああ、こうして皆の幸せを眺めているのは幸せだ。そして――それを眺めながらテスと一緒にいるオレが、一番幸せ者だ」
「一番は私にも味合わせてくれないかい?」
 ロイの言葉に、テスが横でくすりと微笑んだ。

 何度踊っただろうか。陰謀も腹の探り合いもないダンスの心地よさに、アーカネラは目を閉じる。側にディヴァンスを感じる。髪に挿した簪は、帰ったならば、ゆっくり手入れをしよう。ずっと、ずっと身につけていられるように……。
「ねえ、ディヴァンス。貴方の『祝福』はずっと側にいるわ」
 おずおずと話しかける。諜報活動の一環としての火遊びならばあんなに簡単なのに、どうしてディヴァンス相手になると、こうも初心になってしまうのだろうか。
「ああ。もう一度、幸福を得ることが出来た」
「そうね」
「得がたい人だ」
「ええ。貴方も」
 言葉はそれだけで十分であった。二人は互いを抱きしめる。
 口付けはなく、ただ、抱きしめるだけで完璧であった。
 相手の鼓動を感じる幸せを、相手がここにいる幸せを二人は味わっていた。

 月は酒場を照らし続けている。
 恋人たちを祝福するかのように。
 花々は咲き誇り、春はゆっくりと近づいてきていた。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0