【聖祭】ヘーゼル城下のユールフェス

影絵 企鵝

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シナリオID:2712

オープニング

●帰ってきた
 ここは王国の北も北、ティロール子爵の治める地。山の斜面に位置するここは雪がしんしんと降り積もり、子爵の屋敷の暖炉は常に赤々と火が焚かれていた。ティロール子爵――マティアス・フィーギルを訪ねてやってきた魔弾の射手――エレアノール・シュヴァリエは、そんな暖炉の火の前でマティアスと対峙していた。
「歯を食いしばってください」
 エルはそう言い放つやいなや、全身を鞭のようにしならせ渾身の平手打ちをマティアスに叩き込む。全身を固くしたマティアスだったが、それでも彼はよろめいた。中腰で顔を顰める彼を見下ろして、エルはぽつりと呟く。
「三年前、素直にこうしてればよかったんです。私は貴方と一緒に生きていけるなら、他に何も要らなかったんです。冒険者として影に日向に国に尽くした三年間、確かに充実してました。でも、貴方の隣に居られない虚しさが、それで埋まるわけもなかった」
 エルの吐露を聞いたマティアスは、頬を押さえて側の椅子に腰を下ろす。一瞬暖炉へ目を逸らそうとしたが、彼は意を決してエルと正面から向き合う。
「俺もそうだ。自分に領主としての才能が無いことは自分でもわかっていた。だから君を不幸にしたくないと思って、突き放してしまった。……みっともなく君に縋りつくべきだった。俺の弓手……いや、半身として、そばでそんな自分を支えてほしいと」
 エルの目に涙が浮かぶ。マティアスは立ち上がると、そんな彼女の身体をそっと抱き寄せた。
「ずっと君を苦しめていたんだな。本当にすまない」
「マシュー。これからはずっと傍にいます。絶対に離さないでください」
 二人は見つめ合うと、どちらからともなく口づけを交わす。暖炉の炎が強まったせいか、互いの熱情に触れたせいか。体温はいやでも高まり、その手はお互いの腰に伸びていく。
 しかしその時、広間の扉が乱暴に押し開かれた。二人はぎょっとして振り返る。そこに立っていたのは、誰あろう、二人の妹ミネルヴァ・フィーギルである。
「み、ミネルヴァ……」
「お互い三年ご無沙汰なのはよくよくわかってるけど……特に姉さんは病み上がりなんだからほどほどにしてね」
 ミーナは鼻白んだ顔をしてそそくさといなくなろうとする。耳まで真っ赤になったエルは、ぱっとマティアスから離れ、ミーナの腕を鷲掴みにする。
「待ちなさい! 余計なお世話よ! 少なくともこんなところでするわけないでしょ!」
「どうだか」
 へらへらしながらミーナはエルを見上げる。その顔を見たエルはぐっと仰け反り呻く。
「なーに? またなんか変なことでも思いついたの? もうミーナだって立派な淑女なんだから――」
「まあまあ。妹に聖霊節のプレゼントと思って、これを一瓶調合してよ」
 そこに記されていたのは眠気覚ましのレシピ。それを眺めたエルは頬を引き攣らせた。
「え、ちょっと待って……うわ、相当効き目強くなるわよ。数滴で一晩寝れなくなっちゃう」
「ふふん。それくらいじゃないと面白くないでしょ。寝れなくなったつがいは一体この夜にどうなってしまうんでしょうか……」
 にやにやが止まらないミーナを見て、兄貴はくたびれたようにため息をつく。
「……悪いが俺達には喰わせるなよ」
「はいはい。妖しいシュトーレンにご注意! ってね」
 ミーナの目にイタズラの光が宿っていた。

●金は天下の回りもの
 場所は移って、ここはヘーゼル城下街。王国北部を貫く基幹街道に位置するこの街は、冬でも行き交う商人や旅人で賑わっている。近頃の不作もなんのその、聖霊節の掻き入れ時を迎えた商人達は必死に街道で宣伝文句を謳い続けていた。
 そんな光景を尻目にかけて、一台の大きな馬車がヘーゼル城の前で停まる。荷台に積まれていたのは木彫りの装飾品で彩られたモミの木だ。
「ご注文のユールフェスツリーだ。どれも一級品だからきっちり払えよ」
「ええ。お受け取りください」
 マティアスはフリッツから銀貨の詰まった袋を受け取る。片手で銀の重みを確かめながら、マティアスは広場の景色を眺める。広場に並べられたテーブルには酒と料理が並び、それを囲んだ人々が談笑していた。
「冬でも盛況だな」
「ユールフェスですから当然です。旅人や臣民の別なしに、今日この街にいる者に我らが馳走し、足を止めてもらうのです。そうすれば商人達もそこに商機を見込む。すると自然にこの宴会の出来上がりというわけですよ」
「相変わらず気前がいいな」
「金は天下の回り物。使えば使うほど手元に戻ってくるものです」
 フリッツがやや得意げに語ってみせると、そこへ籠をぶら下げたミーナがやってくる。今日は青いドレスに身を包み、パーティの準備万端だ。
「フリッツも兄さんもここにいたのね。探しちゃった」
「何だ。もう広場に繰り出してるもんだと思っていたのに」
「今日はせっかくだから手料理でも振舞おうかなあ、なんて」
 ミーナが籠を振ると、フリッツはじっと覗き込んだ。
「へえ。なかなかこのシュトーレンは美味そうだな。柑橘のいい匂いが……」
 フリッツは籠の中の菓子パンに手を伸ばそうとする。しかし、ミーナが咄嗟にそれを引っ込めてしまった。
「だめ。フリッツにはあげない」
「何故だ」
 いきなりの意地悪に憤然とするフリッツだったが、そんな彼の肩をマティアスがそっと叩く。
「まあ悪い事は言わんからやめておけ。わかるだろ」
 マティアスが言うと、フリッツも溜め息を零した。
「……お前、ほどほどにしておけよ」
「へへん」
 ミーナはただ悪戯っぽく笑うと、きょろきょろと辺りを見渡す。
「そういえば姉さんは?」
「姉御殿は街に繰り出してしまったよ。どこかでもう飲み始めてるんじゃないか?」
「えー? そんな調子じゃすぐ出来上がっちゃうじゃん……」

「へくしっ」
 広場でテーブルを囲んでいたエルは、いきなり大きなくしゃみをした。ジョッキを片手に、エルはきょろきょろと辺りを見渡す。
「ん? 今誰か私の話をした?」
 周りは揃って首を振る。
「ならいいけど。……さ、今日はいっぱい飲んじゃうぞ! 飲みたい酒を買ってこい! 私がお金を出してやる!」
 エルは早速麦酒を呷る。空を仰いだ彼女は、幸せそうに嘆息するのだった。
「はぁー、ぽかぽかする……」



 今宵、君達は様々な理由でこの街を訪れていた。目的は自由だ。露店で買い物するもよし、フリッツが振舞うご馳走に舌鼓を打つも良し、エルと一緒に飲むもよし。
 今宵は聖霊節。とくと楽しんでほしい。

解説

メイン フリードリヒ主催のパーティを楽しむ 舞台 ●ヘーゼル城下  城下の広場に設けられたパーティの席。少し寒いけど温かいスープを飲みながら楽しもう。 ・露店  食品からアクセサリーまで色々なものが売りに出されている。お眼鏡に適うものはあるだろうか。 ・広場  整然と石畳が敷き詰められた広場。今日は円卓がいくつも並び、ヘーゼル伯お抱えの料理人が腕によりをかけた料理が並んでいる。バターをたっぷり使った温かいスープが一押し。 愉快な仲間達 ●ミネルヴァ(ミーナ) ・ムードメーカー  お祭り大好き。聖霊節も自ら腕を振るったお菓子や手料理を振舞っている。 ・イタズラガラス  PCにはエルに作ってもらった眠気覚まし入りのシュトーレンを振舞おうとする。 ●フリードリヒ(フリッツ) ・商才  彼にとっては領地経営が第一。PCのもちかける商談には積極的に応じる。 ・負けん気  遊びの時はつい本気になってしまう。盤上遊戯はかなり強い。 ●エレアノール(エル) ・世話焼き  お悩み相談を持ち掛けると積極的に応えてくれる。 ・絡み上戸  酒が回ると周りにウザ絡みを始める。どんどん適当なアドバイスをするようになる。 ●マティアス(マシュー) ・苦労人  酔っぱっぱのエルを適当にかまったり悪戯が過ぎたミーナを諫めたりしている。 ・神出鬼没  単独行動を好む彼を見つけるのは結構苦労する。 TIPS ・やりたい事は一つか二つに絞ろう。一人当たりの描写量にはリミットがあるのだ。 ・NPCは基本的に広場にいる。 ・ミーナのシュトーレンの効果は紅茶を強くしたくらい。だが、多少なりと興奮作用があるため…… ・エルの酔っぱらい進行速度は皆さんのプレイングによる。

マスターより

影絵企鵝です。 【追憶】シリーズが終わったのでちょっとお遊びのシナリオを。ミーナとエルにどれだけ絡むかによってコメディ具合は変わってきそうです。 基本的にはこの場を借りてデートなりNPCと遊ぶなりしてください、というシナリオです。よろしくお願いします。

リプレイ

●イタズラガラスの仕込み
 賑わう聖霊節の夜。学園からほんの少しの暇を貰ったコルネリウス・アーラはヘーゼル伯の城下町を訪ねていた。シェフが天幕の下で振舞う料理、商人達が競い合う露店。どれも彼女の目を奪うものばかりである。
「こんばんは、コルネ」
 ふと背後から耳慣れた声がする。コルネは笑みを浮かべて振り返った。
「こんばんはミーナさん。その格好もお似合いですね」
 今日のミーナは貴族屋敷の給仕に扮していた。左腕の籠には、色とりどりのお菓子が見える。彼女はにっこり笑うと、飴細工を一つ差し出してきた。
「はい、どうぞ。メリーユールフェス」
「ありがとうございます。ミーナさん、今度は何を企ん……いえ、考えているんですか?」
 コルネが飴を口の中で転がしながら尋ねると、ミーナは大げさに目を丸くした。
「企みだなんて!」
 彼女は籠の中から糖蜜がたっぷりかかったシュトーレンを手に取り、曰くありげに揺らして見せる。
「私はこの眠気覚ましのシュトーレンで恋するうら若き男女の背中を押してあげてるだけですよ? 眼が冴えて眠れなくなった二人はきっと……」
「おませさんですね……」
 コルネが呆れ交じりに苦笑する。ミーナもくつくつと悪戯な笑みを浮かべていたが、そこへふらりとやってきた少女がミーナの手からシュトーレンをひったくる。
「あら。美味しそうなシュトーレンね」
「あっ」
 そこに立っていたのはアウレーリア・フォン・ネーベルベルク。彼女はにやりと笑うと、さっくりとシュトーレンを口にしてしまった。ミーナが止める暇も無い。
「ふうん。悪くないわね。貴女が作ったの?」
「そうですよ。……ごめんなさい。今日あなた寝られなくなるかも」
「寝られなくなる?」
 ミーナが口ごもると、アウレーリアは首を傾げてオウム返しにした。不審な顔をしている彼女に、コルネはそっと口添えした。
「眠気覚ましが練り込んであるらしいですよ」
「ふうん……でも別に大したものじゃないのでしょう?」
 普段から珈琲を常用しているアウレーリア。シュトーレン一切れで今更効き目などあろうはずもない。彼女は得意げにする。
「別にいいじゃない。私は貴女にもっといい聖霊節の贈り物をしたはずよ?」
 アウレーリアはミーナへぐっと顔を近寄せる。ミーナは肩を竦めた。
「そうですね。感謝してます。……とっても」
「わかればよろしい。では私は露店でも眺めてくるわ。またね」
 アウレーリアは飴細工を一つ摘み取ると、そのまま悠然と雑踏の中に消えていく。コルネとミーナが彼女を見送っていると、今度はレピド・クロサイトが二人の背後にのっそりと現れる。
「そのシュトーレン、いくつか貰えないか」
「シュトーレンを?」
「同じ席の御仁に美味そうな酒の肴を探して来いと言われたんだ」
 柑橘の香りがやたらと芳しいシュトーレン。酒の肴にはもってこいのように思われた。けれどもミーナは困り顔だ。レピドは首を傾げる。
「……何か問題でもあっただろうか」
 ミーナとコルネは顔を見合わせる。ここでシュトーレンを明け渡せば、悪戯に使う分が減ってしまう。しかしコルネはそっとミーナに耳打ちした。
「ここであげないというのも怪しまれるのでは?」
「むむ……確かに」
 彼女は頷くと、シュトーレンを三切れ取ってレピドに差し出す。
「どうぞ。柑橘の酸味とハーブの辛みがピリッと利いたシュトーレンですよ。きっとお酒の肴にはぴったりです」
「ありがとう。感謝する」
 レピドは布でシュトーレンを包むと、小さく頭を下げて再び雑踏へと消える。あっという間に数が減ってしまったシュトーレンを見下ろし、ミーナは小さく溜め息を吐いた。
「上手い事どうにかなってくれたりしないかなあ……」

 シュトーレンの包みと酒瓶を手に、レピドは一つの円卓の囲いに加わる。エルの席だ。
「あら、きみは……」
「一つ尋ねたい事がある。……死んだ者に言葉を伝える時はどうする。普通は」
 レピドがエルに尋ねると、彼女は杯を傾けながら応える。
「墓前に花を手向けて念じるものよ。他にもその人なりの流儀を持っている人はいるけど」
「流儀か」
 痛恨の念に苛まれながら死んだイザークの姿が脳裏に焼き付いて離れない。彼の魂を慰めてやるための言葉は、まだレピドには見つけられなかった。
「いつか、俺なりに弔ってやりたい奴がいるんだ」
「なるほどね。なら、一つ簡単な方法を教えてあげる」
 エルは酒瓶を取ると、レピドの杯に注いでいく。
「献杯って言って、その人を偲んで酒を入れるのよ」
「わかった。今日はそうしてみる」
 酒を並々注いだ杯を受け取ると、レピドはエルの見様見真似で祈りを捧げる。
「献杯」

●和気藹々
 レティシア・レインフィールは、レピドと酒を酌み交わすエルを見ていた。その屈託の無い笑みを見て、レティシアは彼女が幸いを取り戻せた事を察する。レティシアはひっそりと胸を撫で下ろし、二人の卓へと歩み寄る。
「エレアノール様、御加減宜しいようで何よりです」
「あら、レティシア嬢ではありませんか。どうぞこちらへ」
 お酒で若干頬を赤くしたエルは、素早く席を引いて手招きする。レティシアはそっと腰を下ろすと、エルの顔を覗き込んだ。
「子爵様とのお話し合いは上首尾に進んだのですね」
「ふふ……話し合いというか、私が一発引っぱたいただけですが。でも、それで彼の憑き物も落ちてくれたみたいだし、これからは良い巡りになると思ってます」
 彼女はゴブレットに葡萄酒を注ぐとレティシアへ差し出す。つんと漂う酒気を嗅ぎ取ったレティシアは、弱弱しくそのゴブレットを押し留める。
「すみません……失礼ながら、もう少し弱いお酒を頂ければ……」
「……おや、お酒には弱い性質ですか」
「すぐに眠くなってしまうんです。義兄と婚約者に、外では飲み過ぎないよう念押しされておりまして」
「婚約者?」
 エルは甘酒をグラスに注ぎつつ、小さく首を傾げる。
「まあ、年頃の令嬢には誰かしらいるはずですね。どのような間柄で?」
「義兄の親友です。その縁で……」
 その言葉尻はどうしても窄んでいく。己の縁を語ろうとすると、どうしても自らを捉えて離さない影を感じてしまう。グラスを受け取ったレティシアは、こっそり微笑みを繕った。
「……もう少しエレアノール様の事を教えてくださいませんか。子爵様とは、共に王国騎士であった頃からの縁とはお聞きしていますが……」
「そうですね。最初はいつも澄ました感じで、結構腹立たしく思ったものでした」
 エルは酒の勢いに任せ、マティアスとの馴れ初めを語っていく。その満ち足りた笑みを見るにつけ、レティシアは胸の奥に僅かな羨望、それから諦念が這い出てくるのを感じていた。
(……羨んでも仕方ありません。そもそも最初から、私に幸福を望んでいい資格など無かったのですから)
 ふと、心の暗闇の奥に一人の狼の姿が見えた。杖を掲げた彼は、彼女に手を差し伸べる。
「……なぜ、彼は私に執着されているのでしょうか」
 ふと、疑問が口を衝いて出る。つらつら喋っていたエルは、それを聞いて口をつぐむ。
「彼? 誰か貴方についてる虫がいるの?」
「そんな。ただ、グノーシス様が随分私に執着している者ですから。……私は貴女のように優れた力を持っているわけでもないのに、やたらと手を差し伸べようとする。思えば、あの夢をグノーシス様の目の前で見た時からです。何か関係があるのでしょうか」
 レティシアがぽつぽつと呟くと、エルは小さく頷く。
「きっかけはそれだと思うけれど……一番大きいのは、貴方も私と同じだからかもしれないわね。何だか、幸せを諦めてるような顔してるもの」
「……そんな顔、していますか?」
 レティシアの笑みが僅かに強張る。その表情に、エルはただ柔らかく微笑むだけだった。
「ええ、私にはそう見える」

 一方その頃、ミゼリア・L・ステュクスは露店を開く酒屋達の前でふらふらしていた。色鮮やかな細工が施されたゴブレットに注がれた酒が、かがり火に照らされ色めいている。
「よう、嬢ちゃん」
 そんな彼女に気付いた酒屋の一人が声をかける。
「酒が欲しいのか? 今日はいいもんが揃ってるぜ。どれが気になる」
「どれが……?」
 ミゼリアは視線を泳がせていく。その頭にちらりと過ぎるのは、先ほど聞いたあの言葉。
――飲みたい酒を買ってこい! 私がお金を出してやる!――
 たまたま近くに居合わせたミゼリアは、その命令に従って、こうして酒を買いに来たのである。値打ち物か安物かなど彼女には考えもつかない。ただ一番に香りのいい酒を買うだけだ。ミゼリアは胸一杯に香りを吸うと、濃色の葡萄酒を指差す。
「これを、のんでみたいです……」
「いいもんに目をつけたな。こいつは十年物の特別品でね。一瓶でも結構な値打ちもんになるが、買って損はさせないぜ?」
「じゃあ、これを……おねがいします」
「あいよ」
 酒屋は水瓶を一つ手に取ると、柄杓で一杯掬って軽やかに注いでいく。注いだ後で、酒屋は首を傾げた。
「ちなみに嬢ちゃん、金は?」
 彼女は、冬の寒気の中でもお構いなしにいつもの襤褸ドレスを着ていた。みすぼらしい姿では、金を持っているようにも思われない。ミゼリアはこくりと頷くと、広場の方を指差した。
「あの人が……お金は出してくれるって……」
「なるほどなぁ。いい人に目をつけたな。じゃあこいつも持ってけ。南方の柑橘で作られた果実酒だ。よろしくって言っといてくれよ」
「はい……」
 そんなわけで、酒のなみなみ注がれた水瓶と勘定票を手にしてミゼリアはエルのテーブルへと戻る。
「お酒……買ってきました……」
「あー、ありがとありがと。結構いいお酒を……ふえっ!?」
 ミゼリアから勘定票を受け取ったエルは思わず素っ頓狂な声を上げる。たった瓶二杯の酒でとんでもない額が記されていた。冷や汗をかくエルに、ミゼリアは首を傾げる。
「お金……ありますか?」
「あるけど……やっばいなぁ……」
「やっばい、のですか?」
 ミゼリアにはお金の価値がわからない。エルの焦る気持ちもわからない。エルは引き攣った顔で応えた。
「とってもやばいねぇ……お酒で散財したなんて言ったらめっちゃ怒られる……フリッツでしょ、ゲオルク様でしょ、マティアスにも……」
 指折りお冠の相手を数え上げていたエルだったが、やがて面倒になったのか、財布からお金を掴み取り、テーブルの上に叩きつけた。
「こうなりゃお前らも好きなだけ飲め! 全部私の奢り! ありがたく思いなさい!」
 ミゼリアがゴブレットに果実酒を注いでエルにこわごわと差し出す。エルはぐいと杯を傾けると、彼女も葡萄酒を注いでミゼリアへ差し出す。
「ありがとう。あんたも呑みなさい」
「……ありがとう、ございます」

 城下町のパン屋にかまどを借りたルアンナ・ミュラーは、焼きたてのパンを籠一杯に詰めて広場を練り歩いていた。ミュラースのパンをフリッツ達やヘーゼル城下の民衆にも味わってもらおうという算段である。
「フリッツさんにマティアスさん、こちら焼きたてのメロンパンをどうぞ!」
「これがミュラースの一品ですか。噂にはかねがね……」
 同じ円卓を囲んでいたマティアスとフリッツは、それぞれ拳大の小さなメロンパンを手に取って口に運ぶ。フリッツは頬を緩めたが、マティアスは渋い顔のままだ。
「甘すぎないか」
「こういうのは甘すぎるくらいが丁度良いのですよ、兄上」
 フリッツはしたり顔をすると、ルアンナに柔らかく微笑みかける。
「これは出来がいい。是非うちでも商売してもらいたいものです」
「お褒めの言葉に与り光栄です」
 ルアンナは分厚いスカートの裾を摘まみ、静かに頭を下げる。そこまでは元大商家のお嬢様らしく振舞っていたルアンナだったが、急に彼女は眼をきらりとさせ、いきなりフリッツの正面に陣取った。
「時に、フリッツさん!」
「どうしたのですか、藪から棒に」
 フリッツは紅茶のカップを片手に眉を顰める。
「学園の噂で聞きました! フリッツさんってとっても卓上遊戯が強かったんですね!」
「……私など大したものではありませんが」
「そんなまさか。ちょっと実力を見せてくださいませんか」
「ふむ……?」
 フリッツは探るような視線をルアンナへ送った。既に勝負は始まっている。そう心得たルアンナは強気な笑みを浮かべたまま彼に対峙した。
 奇妙な睨み合いがしばし続いたのち、フリッツはようやく動いた。傍の小間使いに目配せすると、小間使いは広場の隅の天幕に飛び込み、古めかしい木箱をいそいそと持ち出してくる。フリッツは真剣そのものの顔でルアンナを見据える。
「ならばギャモンで宜しいですか。今すぐ用意出来るのはこれだけなので」
 瑪瑙で出来た賽を取り出し、フリッツは小さく振ってみせる。ルアンナは大きく頷いた。
「もちろんです。パンクリアース学園卓上遊戯代表、参ります!」

 悪戯に繰り出したミーナと別れたコルネは、エルの酒宴に加わっていた。レティシアと一緒になってエルの馴れ初め話を聞きながら、葡萄酒の渋みと甘みを味わっていた。頭がふわふわして、エルの幸福そうな顔を見てコルネ自身も幸せな気持ちになっていた。
「……まあ、もうしばらく結婚はお預けかしらね。グノーシスの事件が解決するまでは」
 グラスを傾けながら話を締めくくると、エルはコルネに向き直った。
「コルネリウス、そろそろ新しい年が始まるけど、これからどうしようとか、あるかしら」
「私ですか? 私は、身の振り方を考え直しているところで」
 コルネはお酒を飲みながら訥々と語る。学園の生徒となって貴族と多く関わり、王国に横たわる様々な問題を見て来たこと。その問題を解決するため、この国のため生きたいと思っている事を。
「でも、悩みもあります。力になりたい人がいるのですが……平民で異種族の、まだまだ未熟で何も持たない私が貴族の方の力になれるのかなって……」
「力になりたい、ね。わかるわ。私も同じ気持ちだもの」
 エルはにこにこしてコルネの目を覗き込む。彼女が何を考えているのかうっすら気付いて、コルネは耳を赤くした。
「え、いえそんな。私は別に……」
「ダメダメ。いっそそういうところからこの国を変えてやろうって気概を持たなきゃ」
 エルはさらにコルネの肩へ手を回して抱き込もうとする。コルネがするりと抜けて立ち上がると、エルはふらつき椅子へ倒れ込みそうになってしまった。
「おっと、やるねえ」
「……エルさん、もしかしなくてもかなり酔っていますね?」
「にゃははは。だってすっごいお酒買っちゃったんだもん。飲まなきゃさぁ」
 エルの口元がだらしない。普段の凛とした声色も形無しだ。コルネは溜め息を吐くと、そっとお酒を遠ざけた。
「お水かスープか貰ってきますので、少し抑えてくださいね」
 それだけ言い残して、コルネは広場をぱたぱたと駆け出した。

●たけなわの渾沌
 フリッツの繰る最後の駒がゴールへと辿り着く。対するルアンナの駒の数も残り一つ。激しく競り合っていたが、とうとう最後に手数が間に合わなかったのである。ルアンナはそろそろと頭を下げた。
「参りました……」
「申し訳ない。思った以上に強かったものですから、手加減できませんでした」
 フリッツは駒を盤上に纏めながらうっすらと笑みを浮かべる。勝ち誇っている、というよりは無事に勝てて安堵しているといった趣だが、それでもルアンナは悔しい気持ちになってくる。
「また今度やりましょう! 今度は私も色々準備してきますから!」
「楽しみにしています」
 好勝負を労い、ルアンナとフリッツは固く握手を交わす。マティアスはスープを掬いながらそんな様子を眺めていたが、そこへアウレーリアがずんずんと勇み足でやってくる。
「フリッツ、マティアス。少し話があるのだけれど」
「何でしょうか? 随分と奮っているようですが」
 フリッツが首を傾げると、アウレーリアはすとんと椅子に腰を下ろす。彼女はどこからか買ってきた地図を取り出し、円卓に大きく広げた。
「さてフリッツ、商売の話をしましょう」
「商売。……話を聞きましょうか」
 フリッツはやにわに身を乗り出す。彼も商売の話となると黙っていられない。
「お二人とも、ネーベルベルク領がどこにあるかご存じ?」
「そう遠くはないだろう。元々ティロール子爵は君達南方の諸侯と睨み合うために創設された称号だから、知らないわけがない」
 マティアスが応えると、アウレーリアは大きく頷いた。
「旧帝国領の再建も進んでいるわ。どのような形に収まるのかはまだわからないけれど、今のうちから私は布石を打っておきたいの」
 アウレーリアは矢継ぎ早に自分の中の経済圏構想を語っていく。帝国南部と王国北部を結ぶ形で同盟やドワーフ王国をも巻き込む隊商ルートを構築しようという考え。忙しなくアウレーリアは地図を指でなぞって熱弁を振るう。ミーナのシュトーレンのせいですっかり発奮していた。
「……交易を活性化し、自活に足る経済力を獲得し、他勢力の干渉を退ける。各々に理のある構想、悪い話ではないでしょう?」
「ええ。非常に興味深い話です。とはいえ、貴方も私も一介の諸侯である以上は――」
「ああ、いた! マティアスさん!」
 フリッツの言葉を遮って、広場の向こうからコルネが駆けてくる。マティアスは振り返ると、彼女へ恭しく頭を下げる。
「……コルネリウス嬢か。いつも妹が世話になっている」
「すみません。エルさんがすっかり酔っぱらっちゃってて……介抱してもらっても?」
 コルネが首を傾げると、マティアスは眉を顰めた。
「やれやれ、相も変わらず可愛い奴め」
 皮肉交じりに呟くと、彼はコルネについて席を離れる。そんな二人を見送ったアウレーリアは、フリッツへと改めて振り返った。
「前向きに考えてくださる? フリードリヒ」
「ええ。まずは我々のみで出来る範囲から考えてみるとしましょう」

 かくして、ただ物見遊山に来たはずのアウレーリアは、思わぬ形で領地復興の端緒を掴むことになるのであった。

 コルネがマティアスを連れてこようとしている頃、レピドはエルと一緒にすっかり酔っ払っていた。知り合いに貰った蒸留酒を飲んで、彼はへらへらと笑う。
「これはいいものだ。酒特有の……『酒!』という感じが濃縮されたような味がする……」
 レピドは包みを開いてシュトーレンを口に運ぶ。柑橘系の強い匂いと糖蜜の甘みが良く伝わってくる。レピドは笑みを浮かべると、エルに差し出した。
「このどぎつい甘さがつまみにもってこいだな。エルもどうだ」
「ありがとお。あー、これ美味しい。どこで手に入れたのー?」
「ミーナから貰ったんだ」
「えーっ!」
 急にエルが素っ頓狂な声を上げ、円卓に突っ伏しゴロゴロ鳴き始める。
「困ったにゃあ……大変なことになっちゃうよぉ」
 そこへやってくるマティアスとコルネ。一目で察した彼は、深々溜め息を零す。
「帰るぞ。これ以上君に見苦しい真似をさせられない」
「ねえマシュー、今日私眠れなくなっちゃいましたぁ……」
 エルはとろけた眼をしてマティアスにしなだれかかる。マティアスは顔をしかめると、彼女をおもむろに背負った。
「ダメだ。酔いが醒めたら全部お終いの夜なんて御免被る」
「えー。じゃあ一人で眠れぬ夜を過ごせと? そんなの酷いですよぉ」
「話ぐらいは付き合ってやる。それでいいだろ」
 彼女の誘惑をあっさり躱し、さっさと立ち去ろうとするマティアス。ミゼリアはそんな彼を見上げて尋ねる。
「……ほんとうに、それだけ、なんですか?」
「うむ?」
 ミゼリアは愛玩用のホムンクルス。男女が夜にすることは決まって一つと刷り込まれていた。マティアスはミゼリアを見遣って溜め息を零すと、椅子に掛けられた飾り布を取ってミゼリアの身体に巻く。
「それがホムンクルス故の疑問なら……己の身を大切にすることを学んだ方が良いな」
「おのれのみを……?」

 命令に従順な人形には、迂遠な提案の意味がまだわからない。それでも彼女は健気に学びを得ようと考えを巡らせるのだった。

 エルを背負ったマティアスを見上げ、レティシアもゆるりと立ち上がる。
「エレアノール様が帰られるのであれば、私も失礼しようと思います」
「もう帰っちゃうのぉ? もっと楽しんで行きなさいよ……」
 酔っ払いがもごもご言うが、レティシアは曖昧な笑みのまま首を振る。
「いいえ。あまり楽しくない話ばかりしてしまいましたし。……どうかお二人ともお幸せに」

 レティシアはぺこりと頭を下げると、そそくさと広場を立ち去る。幸せを諦めている。エルの言葉が、彼女にずしりとのしかかっていた。

 だらけたエルを重そうに背負い、マティアスはのろのろと城へ向かって歩き出す。ルアンナはそんな彼らに出くわしざま、にやにやと笑ってマティアスに尋ねる。
「朝まで介抱ですか?」
「うるさいぞ、パン屋の娘。酔っぱらいの相手がどれだけ大変だと思ってる」
「そうだぞー」
 エルがへらへら笑うと、マティアスは溜め息交じりに彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「お前はもう口を閉じろ」
「ふふ、おやすみなさいです」
 ルアンナは立ち去るマティアス達を見送ると、パンの籠を下げたままパタパタとコルネ達の席へと駆け付ける。
「皆さん、ミュラースの美味しいパンはいかが?」
「ルアンナさん! じゃあ遠慮なくいただきます……」
 コルネは籠からメロンパンを手に取って頬張る。そんな姿を横で見ていたレピドは、いきなり鞄から横笛を取り出した。
「見てくれコルネリウス。貰った横笛だが、少しばかり吹けるようになったんだ」
「本当ですか? じゃあ早速聞かせてくださいな」
「ああ、行くぞ」
 レピドは横笛に唇を当てると、静かに吹き始める。澄んだ音が乾いた冬空によく響き、広場の人々も話を止め、彼の音色に耳を傾け始める。コルネは目を細めた。
「お上手ですね」
「ああ。……それなりに練習した」
 祭りの夜だからかもしれない。酒のせいかも知れない。けれど今日この日の世界は美しい。レピドはほんのり風情を感じながら、横笛を高らかに鳴らし続ける。ルアンナとコルネは軽やかに足踏みしながら歌い、ミゼリアは見様見真似で手拍子を打つ。
 このところ波瀾だらけの日々の中、今日この日だけは、確かに穏やかな日々を過ごすことが出来た冒険者達であった。



 おわり

マスターコメント

影絵企鵝です。 この度はご参加ありがとうございました。皆さんも楽しい夜を楽しめて頂けたら幸いです。 次回はまた話が動く予定ですが、少々間が空きそうです。 お待ちいただければ幸いです。 では。
ミドルシナリオ

ミドルシナリオ易しい 報酬:無し6 / 6〜10人

2023年01月09日 15時00分54秒 公開

大成功

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0