才なき学園生の明日
京乃ゆらさ
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シナリオID:1665
オープニング
晩秋の風を切って馬を駆るのは寒々しくも気持ちよく、冬の物寂しさを表し始めた野原も風情があると思えるくらいには楽しかった。
知り合いに連れられて半ば強引に遠乗りをさせられることになったウィストラータ・メルシャートではあるが、実際に馬に乗ってみると自分がいかに鬱屈していたのかが解る。
それくらい今の――パンクリアース学園はウィストラータにとって居心地が悪く、そして馬は自由であった。
「どこに行く? と言っても貴方を解き放ってあげることはできないのだけれど」
一度速度を落として、学園所有の馬の首筋を撫でながら訊いてみる。
馬は答える代わりにぶるると唇を震わせると、もっと走らせろと言わんばかりに駈足になった。
●無才の女魔術師
パンクリアース学園に通う16歳子爵令嬢、ウィストラータ・メルシャートの朝はそこそこ早い。
子爵令嬢、つまりは下から数えた方が早い身分だけに、何かしらの雑用をこなしていた方が目を付けられにくいからだ。とはいえ下働きでもない為、あくまでそこそこ。早起きして水仕事をするわけでもなく、ウィストラータはこれまで学園でそれなりにやってこれた。
これまでは、だ。
これからどうなるかは、分からない。
ウィストラータ――ウィータはゆっくりと朝食を食べながら、父からの手紙に目を通した。
内容は取り立てて言うほどのことはない。今まで通りの学園生活を送るように、とのこと。今まで通り、などと書いているけれども今までの自分の学園生活を知っているのだろうか。甚だ疑問であるけれど、ともあれ中立派のメルシャート家として変わらず無難に泳げとの仰せだろう。
それにしてもこの程度の話を手紙にするとは多忙なのか暇なのか。
まぁ、どうでもいいや。ウィータは手紙をくしゃりと丸めて屑籠に放り込み、学園に向かった。
ウィータが所属する研究室に顔を出すと、部屋には先生と男子学生がいた。
いつ見ても人気のない研究室だ。物に宿るエーテルの性質がその物ごとに異なるのか、違うのであればどう違うのかを調べる、などという地味で終わりの見えない基礎研究だけに、人気がないのも納得だけれど。
その貴重な研究室仲間のザカラート・ファウドク伯爵令息が顔を上げ、何やらじっと睨みつけるように見てきた後で、声をかけてきた。
「メルシャート、最近はどうだ?」
話を始めようにもふんわりしすぎではなかろうか。
ウィータは隣の席につき、挨拶を交わして言葉を返す。
「私の見える範囲においては、思ったより平和ですよ」
「……そちらの話ではなかったのだが」
ザカラートはムッと唇を引き結び、軽く首を振って作業に戻った。蝋燭で何かの革を炙りつつ、「まあいい」と話を続ける。
「私の界隈では些か不満が溜まっているようだがな」
「ファウドク様の近くでは、そうでしょうね」
「……すっぱりと縁を切れんのが悩ましい」
「お家は無事に済みそうなのですか?」
訊くと、ザカラートは炙った革を小皿に置き、疲れたように嘆息した。
ファウドク家は少々オイタが過ぎた家の寄り子らしく、親世代までは何らかの悪事に加担している気配が濃厚らしい。そこでせめて我が身はと穏健寄りに派閥を移りたがっていたのがザカラートなのだけれど、経過は一進一退というところか。
「この改革が国にまで波及すれば、いずれ罰せられよう。降爵までは覚悟している」
「ではその時に備えて一刻も早くシュレーディレ様と縁を結んでお家の価値を上げなければなりませんね」
ウィータがうふふといやらしく笑ってみせれば、ザカラートは分かりやすく顔を顰めて話を変えた。
「君の方はどうなのだ、メルシャート? 誇らしくも新生なった我らが学び舎で、我が世の春を謳歌しているのか?」
「誇らしくも新生なった我らが学び舎で、私が幸せに過ごせるよう指南していただける兄姉とやらがいないかと今から探してみてもいいですね」
能力主義、なんと蠱惑的な言葉。今後は「分を弁えよ」ならぬ「才を弁えよ」と言われるのだろう。
言葉にしてみると、自分で思っていたよりもずっと冷めた声色だった。
ウィータは取り繕えていないことを恥じ、ザカラートに詫びる。伯爵令息は何を言うべきか迷うように視線を彷徨わせ、気まずげに提案してきた。
「そう、だな……今度牧場にでも行かないか。馬には乗れるだろう? 遠乗りなどしてみると気分が晴れるやもしれん」
●学園の牧場
パンクリアース学園は王都郊外に牧場を所有している。
ザカラートに連れられウィータが訪れたのはそのうちの1つで、馬や羊から犬や兎まで雑多に飼育している所だった。
柵で囲まれたそれなりに広い野原には、青々とまではいかないものの草がよく茂っている。所々には飼葉が丸めて設置されており、遠くには厩舎らしき小屋などが幾つか建っていた。
ウィータは何故かザカラートが雇ってきた冒険者と共に管理者に挨拶し、放牧されている馬の方へ向かう。
野原でのんべんだらりと過ごしている動物たちに緊張感は一切見えない。見知らぬ人であるはずのこちらを見ても怯えたりせず、泰然と構えている。
既に冬毛に換わっているのか、動物たちはだいたいモコモコしていた。世話されているおかげで汚らしい脂っぽさもなく、顔を埋めたりなんかすると気持ち良さそうだ。
「冒険者の皆さんも今日はお仕事を忘れて、ここの動物やご自分のペットと戯れてみてはいかがです? どのような依頼をお受けになられたのかは存じませんけれど、ファウドク様のお傍にいれば問題はないでしょう」
ウィータは周囲を見晴るかして言う。
牧場には小さいながらも走路や温水施設があるようで、ペットのちょっとした運動にもなりそうだ。もちろん、野原で愛猫といちゃいちゃするのもいいだろう。
「私は遠乗りいたしますけれど、夕方には戻って参りますので」
ウィータは冒険者たちに一礼して適当な馬を見繕うと、馬具を装着して騎乗し、牧場を飛び出した。しばらく見つめ合って顔を背けなかった馬だけに、相性はなかなか良さそうだ。
「もっと……もっと速く! 怪我に気を付けて、けれど私を気遣うような走りはやめて!」
次第に速度を増していく馬に乗せられて手綱を緩めると、馬は任せろと言わんばかりに楽しげな声を上げた。
『王都郊外にあるパンクリアース学園の牧場近辺で日中を過ごしてほしい』
そんな緩い依頼を受けて牧場にやって来た冒険者たちは、依頼人に「適当に過ごしてくれ」と言われ、各々の好きに楽しむことにした。
ここの動物たちや愛するペットと戯れてもいいし、誰かと語り合ってもいい。走路などの動物用施設も使っていいそうだが……ゴリラを走らせる者はいるのだろうか。
天は高く、晩秋にしては日差しも暖かい日のことであった。
知り合いに連れられて半ば強引に遠乗りをさせられることになったウィストラータ・メルシャートではあるが、実際に馬に乗ってみると自分がいかに鬱屈していたのかが解る。
それくらい今の――パンクリアース学園はウィストラータにとって居心地が悪く、そして馬は自由であった。
「どこに行く? と言っても貴方を解き放ってあげることはできないのだけれど」
一度速度を落として、学園所有の馬の首筋を撫でながら訊いてみる。
馬は答える代わりにぶるると唇を震わせると、もっと走らせろと言わんばかりに駈足になった。
●無才の女魔術師
パンクリアース学園に通う16歳子爵令嬢、ウィストラータ・メルシャートの朝はそこそこ早い。
子爵令嬢、つまりは下から数えた方が早い身分だけに、何かしらの雑用をこなしていた方が目を付けられにくいからだ。とはいえ下働きでもない為、あくまでそこそこ。早起きして水仕事をするわけでもなく、ウィストラータはこれまで学園でそれなりにやってこれた。
これまでは、だ。
これからどうなるかは、分からない。
ウィストラータ――ウィータはゆっくりと朝食を食べながら、父からの手紙に目を通した。
内容は取り立てて言うほどのことはない。今まで通りの学園生活を送るように、とのこと。今まで通り、などと書いているけれども今までの自分の学園生活を知っているのだろうか。甚だ疑問であるけれど、ともあれ中立派のメルシャート家として変わらず無難に泳げとの仰せだろう。
それにしてもこの程度の話を手紙にするとは多忙なのか暇なのか。
まぁ、どうでもいいや。ウィータは手紙をくしゃりと丸めて屑籠に放り込み、学園に向かった。
ウィータが所属する研究室に顔を出すと、部屋には先生と男子学生がいた。
いつ見ても人気のない研究室だ。物に宿るエーテルの性質がその物ごとに異なるのか、違うのであればどう違うのかを調べる、などという地味で終わりの見えない基礎研究だけに、人気がないのも納得だけれど。
その貴重な研究室仲間のザカラート・ファウドク伯爵令息が顔を上げ、何やらじっと睨みつけるように見てきた後で、声をかけてきた。
「メルシャート、最近はどうだ?」
話を始めようにもふんわりしすぎではなかろうか。
ウィータは隣の席につき、挨拶を交わして言葉を返す。
「私の見える範囲においては、思ったより平和ですよ」
「……そちらの話ではなかったのだが」
ザカラートはムッと唇を引き結び、軽く首を振って作業に戻った。蝋燭で何かの革を炙りつつ、「まあいい」と話を続ける。
「私の界隈では些か不満が溜まっているようだがな」
「ファウドク様の近くでは、そうでしょうね」
「……すっぱりと縁を切れんのが悩ましい」
「お家は無事に済みそうなのですか?」
訊くと、ザカラートは炙った革を小皿に置き、疲れたように嘆息した。
ファウドク家は少々オイタが過ぎた家の寄り子らしく、親世代までは何らかの悪事に加担している気配が濃厚らしい。そこでせめて我が身はと穏健寄りに派閥を移りたがっていたのがザカラートなのだけれど、経過は一進一退というところか。
「この改革が国にまで波及すれば、いずれ罰せられよう。降爵までは覚悟している」
「ではその時に備えて一刻も早くシュレーディレ様と縁を結んでお家の価値を上げなければなりませんね」
ウィータがうふふといやらしく笑ってみせれば、ザカラートは分かりやすく顔を顰めて話を変えた。
「君の方はどうなのだ、メルシャート? 誇らしくも新生なった我らが学び舎で、我が世の春を謳歌しているのか?」
「誇らしくも新生なった我らが学び舎で、私が幸せに過ごせるよう指南していただける兄姉とやらがいないかと今から探してみてもいいですね」
能力主義、なんと蠱惑的な言葉。今後は「分を弁えよ」ならぬ「才を弁えよ」と言われるのだろう。
言葉にしてみると、自分で思っていたよりもずっと冷めた声色だった。
ウィータは取り繕えていないことを恥じ、ザカラートに詫びる。伯爵令息は何を言うべきか迷うように視線を彷徨わせ、気まずげに提案してきた。
「そう、だな……今度牧場にでも行かないか。馬には乗れるだろう? 遠乗りなどしてみると気分が晴れるやもしれん」
●学園の牧場
パンクリアース学園は王都郊外に牧場を所有している。
ザカラートに連れられウィータが訪れたのはそのうちの1つで、馬や羊から犬や兎まで雑多に飼育している所だった。
柵で囲まれたそれなりに広い野原には、青々とまではいかないものの草がよく茂っている。所々には飼葉が丸めて設置されており、遠くには厩舎らしき小屋などが幾つか建っていた。
ウィータは何故かザカラートが雇ってきた冒険者と共に管理者に挨拶し、放牧されている馬の方へ向かう。
野原でのんべんだらりと過ごしている動物たちに緊張感は一切見えない。見知らぬ人であるはずのこちらを見ても怯えたりせず、泰然と構えている。
既に冬毛に換わっているのか、動物たちはだいたいモコモコしていた。世話されているおかげで汚らしい脂っぽさもなく、顔を埋めたりなんかすると気持ち良さそうだ。
「冒険者の皆さんも今日はお仕事を忘れて、ここの動物やご自分のペットと戯れてみてはいかがです? どのような依頼をお受けになられたのかは存じませんけれど、ファウドク様のお傍にいれば問題はないでしょう」
ウィータは周囲を見晴るかして言う。
牧場には小さいながらも走路や温水施設があるようで、ペットのちょっとした運動にもなりそうだ。もちろん、野原で愛猫といちゃいちゃするのもいいだろう。
「私は遠乗りいたしますけれど、夕方には戻って参りますので」
ウィータは冒険者たちに一礼して適当な馬を見繕うと、馬具を装着して騎乗し、牧場を飛び出した。しばらく見つめ合って顔を背けなかった馬だけに、相性はなかなか良さそうだ。
「もっと……もっと速く! 怪我に気を付けて、けれど私を気遣うような走りはやめて!」
次第に速度を増していく馬に乗せられて手綱を緩めると、馬は任せろと言わんばかりに楽しげな声を上げた。
『王都郊外にあるパンクリアース学園の牧場近辺で日中を過ごしてほしい』
そんな緩い依頼を受けて牧場にやって来た冒険者たちは、依頼人に「適当に過ごしてくれ」と言われ、各々の好きに楽しむことにした。
ここの動物たちや愛するペットと戯れてもいいし、誰かと語り合ってもいい。走路などの動物用施設も使っていいそうだが……ゴリラを走らせる者はいるのだろうか。
天は高く、晩秋にしては日差しも暖かい日のことであった。
解説
▼目的
牧場近辺で各々が各々らしく過ごす。
▼状況
時刻はお昼前から夕方まで。天候は晴れ。
晩秋にしてはぼちぼち暖かいが、薄着でじっとしていたり馬を走らせたりしていると寒い。
PCは「王都郊外にあるパンクリアース学園の牧場近辺で日中を過ごしてほしい」という依頼を受けて来たが、自分なりに依頼人の護衛に来た等の解釈をそれぞれしていてもよい。
牧場は柵で囲まれた野原にある。草花は緑の絨毯というほどではないが、まだまだ枯れてはいない。
厩舎や走路、温水施設等があり、PCも活用できる。無理のない物であれば、プレイングで指定したら何らかの施設が生えているかもしれない。
PCそれぞれのペットを解き放って可愛がってもいいし、牧場に元からいる動物と遊んでもいい。牧場の馬を誘って自分のゴリラと併走させてもいい。
また、牧場にはザカラート・ファウドクや他の学園生も少数いる為、会話することもできる。
遠乗りに行ったウィストラータとは同行してもいいし、しなくてもいい。
彼女は目的地は決めていない為、PCの望みの風景を拝みに行ける(海とか帝国南部鎮守都市ヴィントとか明らかに遠すぎる場合は不可だが)。
指定なければ牧場周辺を適当に周遊している。
▼登場NPC
ウィストラータ・メルシャート
王国人。子爵令嬢。キャスターだが才能がなく現状メテオライトしか使えない。
家は中立派で学園改革の直接的影響はなかったが、学園派の理念が嫌いで、今後の学園に不安を覚えている。
ザカラート・ファウドク
王国人。伯爵家嫡子。非授恵者。
家は過激系貴族派の寄り子だが、自身は破壊工作等に加担したことはない。穏健貴族派に擦り寄りたい。
▼その他
依頼成功度は各々が各々らしく過ごせたかによる。
依頼背景には色々あるが、そこに触れてもいいし触れなくてもいい。
存分にペットといちゃらぶするのが重要かと思われる。
マスターより
どうもです。京乃です。
簡単に言えば、ペットや動物と遊ぶ依頼です。
背景にはパンクリアース学園の変化等がありますが、やることは動物とふれあったり何か話したりすることになります。
ウィストラータは拙作「無才の女魔術師」等で登場していますが、面倒臭い女と思っておけばだいたい合ってます。ちなみに実は浄化能力があるなどではなく、紛れもなく才能が欠けてる子です。
ザカラートは「学園のガーデンパーティー」等にいます。割かし良い奴ですが色んなことに弄ばれる系男子。どちらも接触するなら参考になるかもしれませんが、見なくてよい仕様です。
これから新生徒会、学園改革ということでパンクリアース学園を舞台にしてみましたが、全然何かを提案していくぞみたいなところとは関係ない話になりました。
が、学園のモブ学生の雰囲気が伝わったりすると嬉しいです。
ちなみにうちの面倒臭いNPCがあれな感じですが、兄姉制度、よいですよね!
「タイが曲がっていてよ」みたいなことができる素晴らしい公約だと思います!
……それではよろしくお願いします。
リプレイ
晩秋の肌寒い風が草木を揺らし、柔らかな陽射しがそれを照らす。
動物達が合唱する長閑な牧場で真っ先にウィータを追うのはナタリア・フィッツジェラルドだった。
(かくて学園は平穏を取り戻したが、やはり君には落ち着けないか)
彼女とはそれなりに話してきたナタリアだけに察するのも早い。半ば同行するような2人にゲルダ・クラインが慌てる。
「わ、わたしも行きますね」
「気を付けて。エトも心配してます」
イヴェール・イリュジオンは真顔で愛猫を抱き上げ、暴れられている。
イヴェールに反抗できるとは……この猫、強い。先日抵抗できなかったゲルダはそっと目を逸らした。
「む、これは私も話さないとですね! 生徒会長として!」
学園生と話すのも役目だと胸を張ったエフィルミアだが、問題があった。
馬にあんまり慣れてない!
大森林出身の編入生だけに馬とは縁遠い。何とか馬を借りようとするが何故か馬が鞍を嫌がる。いっそ裸馬を操るかと考えたが、そこに現れたのがジュスト・ヴェルジーだった。
馬に喋りかけながら蹄を確認し、鞍を載せて腹の下から腹帯を通す。首筋を撫で前に回ると、頭絡を弄って手綱まで付け終えた。
「賢い馬だから落ち着いて、生徒会長殿」
「ありがとうございますっ!」
「手助けするのは当然ですよ。それより今度」
食事でも。ジュストが言いかけた時には既にエフィは馬に乗り、駆け出していた。
「……、俺も久しぶりに乗りたくなったね」
ジュストが呟くと、傍にいた馬が歯を剥き笑った。
キーゼがワインとチーズを手に伯爵令息の向かいの席についたのは警護の為である。断じて飲む為ではない。何せ依頼人の傍に控えているのだからむしろ仕事熱心とすら言える。
――と理論武装して青空の下で堂々と飲むキーゼは、伯爵令息にもワインを勧めた。
「なかなかの物ですよ」
「戴こう」
チーズの濃厚な味を楽しみ、赤ワインを口に含む。長閑で、穏やかな時間だ。
●仮面
ジュストは寄ってきた馬に乗り、馬上の世界を堪能していた。
全身を撫でる風。規則的な蹄の音。上下に揺れる背。衝撃を膝で吸収しながら前傾し、馬と一体となる全能感。全てが楽しく、昔から馴染んできた感覚だ。
このまま遠乗りするのも手だが、流れゆく光景の中に気になるものが見えた。ジュストは走路をもう1周して馬を労うと、そちらに向かった。
「仲間に入れてもらっても?」
「僕は構いませんが」「私も問題ない」
ジュストはキーゼの隣に座り、軽く杯を空ける。そして伯爵令息の方を見やり、酒の進みを確かめた。
「貴殿も気晴らしが必要で?」
乗馬で気が緩んだか、つい直截的に訊いてしまう。ジュストは己が仮面を整え、改めて伯爵令息に向き直った。
「このご時世、愉快には過ごせんよ」
「帝国崩壊から激動に過ぎますからね」
学園騒乱の余波で参っているらしい。おそらく危うい側の貴族派。張り付けた微笑の裏でヴェルジー伯爵家として対応する。
「そういえば来年校長のご子息が入学しますね」
「それはそうだが、入学祝いを用意する時間がな」
派閥を変えるには土産がいる。あるいは己の有能さを以てそれとするか。そして彼は校長の子の入学までにそれを成す目処が立たないと。成程気晴らしが必要な訳だ。
「楽しい催しで気を紛らわせるのも手ですよ。聖霊節も近いですから」
「それしかないか」
「気になるご令嬢に文を贈るとか。最近文の指南をしましたが、やはりご令嬢の文への熱量を感じました」
「……解ってはいる」
「余裕を見せた方が立ち回りやすい。これは花も同じ。美しい花は豊かな所に咲くのです」
「それは間違いないですね」
ここぞとばかりキーゼが同意してきた。が、続く言葉はジュストの考えとは異なる。
「まだ静観した方が良いと思いますがね。穏健な女性こそ与しやすしと狙われやすく、高嶺の花が孤高に咲く事もある。さて次はどこが潰れるのでしょう」
「……よくそこまで言えるね」
「おや、何か? 娼館の話ですよ」
この男は火遊びが過ぎる。
ジュストはわざとらしく片眉を上げると、伯爵令息に提案した。
「乗馬でもしませんか? 馬には少々自信があるのです」
「その勝負、受けて立とう」
危険を避けるようにザカラートは殊更楽しげに応じた。
●牛と猫
(あれには近寄らないようにしましょう。斬りたくなる)
イヴェールは愛猫と色褪せた猫じゃらしを巡る死闘を繰り広げつつキーゼの方を見やって決意した。
それよりエトだ。久々に遊んであげないと流石に拗ねる。最近は令嬢と温泉に入ったりゲルダを膝に乗せたりしたが、エトはそれを悟っている節がある。
外で女と遊んでるな?
そう言わんばかりにエトは闘志剥き出しである(妄想)。尻を振って飛び掛かり、躱せば着地直後に跳ねてくる。半身になってすれ違いざまにエトの背を撫でれば、愛猫は怒ったようにダイブしてきた。
イヴェールが草の上に倒れてみると、エトは顔に乗って己の勝利を主張した。対するこちらもエトの腹を顔面で味わい肺腑の底まで匂いを吸っている。双方勝利である。
(はぁあぁ……よき闘いでした)
顔に猫を乗せ幾星霜、イヴェールが起きると不意に家畜の懐かしい臭さを感じた。辺りを見回せば遠目からこちらを見つめている牛がいる。
(少し寒くなってきましたし、温まりますか)
起きた拍子に顔から転げ落ちたエトを抱き、イヴェールは手を噛まれながら牛に近付く。白黒の毛に覆われた牛は横臥して口をむぐむぐしている。
(実家の牛と色が違いますね……)
「反芻中にすみませんが添い寝しても?」
んもぉおおぉ。
「いいそうです。エト、乗ってみます?」
ゆっくりと腰を下し、牛に触れる。そして猫をその横腹に乗せた。エトは心なしか震えている。武者震いだろう。
だが今は闘う時ではない。イヴェールは下敷きにならないようにとエトに注意し、自分も牛にそっと寄りかかった。
臭いと共にじんわりと熱が伝ってくる。大型動物特有のどっしり感が頼もしく、それでいて体は硬すぎない。包み込まれるような安定感に身を委ね、イヴェールは顔を牛の腹に埋めた。
(あぁ……はあぁー……)
心が満たされるような快感に溶かされてゆく。
次第に意識は薄れ、そのうちイヴェールは考えるのをやめた。
●泥に足掻く
なだらかな丘上には数本の木が立ち、眼下には緑の海が広がっていた。小さな花々が群島のように点在し、鳥達がそこに留まっている。
ナタリアはここで馬を休ませるべく下馬し、ウィータに声をかけた。
「お手を」
おどけて手を差し出すと、ウィータは怪訝な表情ながらも手を取り下馬した。その手を騎士の如く離さぬまま、ナタリアは緑の海に目を向ける。
「久しいが、息災ではないようだな」
「……とても元気で健全な学園ですからね」
ウィータの心は凪いだまま。諦観か悲哀か、あるいは嫉妬か不安か。ない交ぜの感情が絡み合い、結果平静に保たれている。
学園派。その公約は聞こえが良く、帝国人には耳馴染みでもある。だが彼女には酷だろうともナタリアには理解できた。
「元気なのは夢や野望があるからだろう。切磋琢磨し、生き足掻く。それは誰もが正しい事だと知っていて、故に苦しむ」
「正しい、ですか」
「健全と言い換えてもいい。だのに己を錬磨する術が解らない、自信がない。だから悩む」
ナタリアは少女を見る。
ぶつかった視線の先には悲しみに揺れる瞳があった。けれど彼女はそれを覆い隠す。
「貴女はどうでした?」
「……私も現地調査ばかり好む厄介な学者だからな。まだ生き足掻いている」
「厄介なんですか?」
笑う少女に肩を竦める。視線を戻すと、花々に群がる小鳥は数を減らし、次々飛び立っていた。
ナタリアは後方、馬蹄の音を聞きながら自分の想いを吐露する。
「私はね、誰もが無数の星々の中から、ある星を見つけようと生き足掻くものだと思うんだ。そして試行錯誤の末に星を見つけた時、漸く己に眠る力を自覚する」
誰しもが才覚を疑いながら生き足掻く。何かを為せた時に初めてそれが自信になり、輝きになる。仮に一等星でなくとも、無二の輝きに。
「私は己を天才とは思わないが、己を信じている。信じて進むしかないからだ。星の大海に私を刻む為にはな」
あるいはそれは、少女には眩しすぎたのかもしれない。
ウィータの内心が騒めき、けれどナタリアが悔やむより先に凪いでゆく。
「っ、貴女は、凄い人ですね……凄く、強くて……」
彼女は顔を歪め、声を震わせていた。
ナタリアはその手を硬く握り、ただ緑の海を見つめる。少女の胸の奥に微かに宿る熱を信じて……。
●近くて遠い
ゲルダはウィータが落ち着くのを待つ間に純真な少女の切なる願いを思い出していた。
『どうしてみんな、手を取り合って……悪い事をせず……普通に生きられないの?』
色んな想いがあって、色んな主張があって。悪い事は勿論だめだけれど、皆が良かれと思って為した事が歪む事もある。そうして歪められた想いが独り歩きしておかしくなる。
(本当に、何でこんなに難しいんだろうな……)
ゲルダは少女の後ろ姿を見て、お友達の想いが歪められかねない現状に奥歯を噛み締めた。体の内からせり上がってきそうな不快感を堪え、声をかける。
きっと親近感を抱いてくれるであろう、彼女に。
「学園派はお嫌いですか? わたしは嫌い、というか不安です」
「……珍しいですね? 冒険者なのに」
少女は貴族令嬢らしい微笑で振り向いた。その貴族らしい表情は、少し苦手だ。
「学園派って、身分や種族の差による不平等をなくそうという派閥で、わたしのお友達が発足したのですけれど」
えへへと笑う。お友達は大好きで、間近で見てきて。だからこそ思うのだ。
「なんというか。その子の意図とは別の方向に、進むかもしれなくて。それに学園派を後ろ盾に悪い事をする人だって、きっといるんです」
憂さを晴らすように才を以て誰かを蔑ろにする。それはお友達の想いじゃ、ない。『身分でなく才能で評価する』と『身分により才が評価されない事を是正する』は違うのに。
「だからわたし、とても心配なんです。彼女達の言葉に裏はないけれど、あまりに不安定で……」
「君も十分不安定だと思うが」
「?」
思わずといったナタリアの言にゲルダが首を傾げる。
ウィータは小さく笑い、歩み寄ってきた。
「学園派の事が少し解りました」
「わたしは中立派ですけれど」
何やら広報のようだったゲルダだが、中立派同士で仲良くできそうである。
えへへとウィータを見上げ、自分もその手を握るべきかなどと考えていたところに、彼女が来た。学園変革の象徴とも言える人が。
●強さ
「初めましてエフィルミアです! 私もお話したくて追いかけてきたんですけど、いいですか?」
開口一番押してみるとその場の3人が目を丸くした。
女3人寄れば云々と聞いた事ある気がするが、それに勝ったと言える。
「何でしょう、会長」
「ウィストラータさんが今後の学園についてどう思ってるか知りたくて!」
エフィは元々考えるのが得意ではない。むしろ最速で殴りたい。だからこそ体当りで頑張るのが自分の役目だと思う。
考えるだけじゃこの学園は変らない。先頭に立って壁を殴り道を広げる。それこそがエフィの生徒会長だ。
「とても健全で素晴らしい学園になると思います」
ぐぬぬと唸る。学園のお嬢様がたのこういう所がもどかしい。エフィは脾腹に拳を打つ勢いで踏み込んだ。
「今後学園は能力主義になっていくと思います。それは本当に良い事だと思いますか?」
「将来幅広く登用できるようになるのであれば、良い事ですね」
「……むむ」
公約とは武器であり枷でもある。相手に自分を知られているのだから初対面から拒絶される事もあるとは解っているが、腐葉土に拳を打つようなのは良くない。
そこでふと思いつく。相手に自分をもっと知ってもらえば?
「私は森人だけど斥候です」
彼女は驚いたような素振り。
(そうだ、もっといっぱい知ってもらおう。皆に私を知ってもらって、そしたら……多分何かができる!)
「家族は皆魔術師だったけど。私には才能がなかったから。身体能力だけでもって、いっぱい鍛錬しました。私、才能がないって言われた人を切り捨てたい訳ではないんです。私は……」
脳裏に友達の姿が過る。弱かった自分が貫けなかった壁。想いを貫くには力がいる。だから!
「私はっ、もっと皆に自由になってほしいんです! 血筋とかで将来を決めるんじゃなく、自分で自分の道を行ける様になってほしい!」
脇目も振らずまっすぐにウィータを見つめて暫く、相手は根負けしたようにふいと目を逸らした。
「……会長のお気持ちは解りました」
「なら私と一緒に自分の道……」
「けれど学園派は苦手です」
眉を下げ、ウィータは微笑んだ。
●火遊び
茜色に照らされた厩舎に動物達が収牧されていく。キーゼはそれを視界に入れつつ、依頼仲間が帰ってくるのを待っていた。
伯爵令息一行が馬房に戻り、獣臭い人が牛を連れてくる。遠乗り連中が帰還したのを見届けると、キーゼはそこに追従した。
乗馬後の世話やらお喋りやらの合間を抜け、令嬢を手伝いに――という体で。
「お久しぶりですね」
こちらを見た彼女は若干目を充血させていた。挨拶を返す彼女に無表情のまま言う。
「どうでした? 王党派の甘言に踊らされ、自由・平等みたいな顔して騙してくる学園派の方々は」
続きを促すように目を眇める彼女。その姿からは冒険者を過度には信頼していない様が見て取れ、キーゼは僅かに口角を上げた。これなら悪くない。
「絶対的強者が他者から生まれという立派な証を剥ぎ取り、それが正義と疑わない素晴らしい方々です」
キーゼが口元で声を高くして揶揄する。
「一緒に探しましょう。きっと同じ悩みの人がいる筈です。自分も最初はそうでした。才能という題目を置きながら才能だけではないと宣う二枚舌、僕にはとてもとても」
蹄を洗いながら肩を竦めると、彼女はくすと笑った。
「一度お話をお聞きになる事をお勧めします。ただ利用されかねないのは確かです。個人としては善良なのでしょうけれど、私には眩しすぎる」
学園派の理念を確認すべきか。キーゼは蹄の手入れを終え、「考えておきます」と返して彼女に向き直った。
「立ち位置には十分ご注意された方がいいですよ。結局得をしたのは他の誰でもない、王党派の白銀ですから」
「その言葉、そっくり返させてもらいます。貴方は何をなさりたいのです?」
「刹那的な幸福を楽しむ事ですね」
キーゼは煙に巻いて馬房を後にした。
元々彼女は冒険者に思う所があったようだ。故に問題はない。が、理念を見誤った事で不信感の増幅には失敗した気がする。
キーゼは姦しい女生徒を一瞥し、晩景に息を吐いた。
晩秋の暮色が牧場を染める。
8人は各々の心を夕闇に溶かし、日常へ戻っていった。
<了>
動物達が合唱する長閑な牧場で真っ先にウィータを追うのはナタリア・フィッツジェラルドだった。
(かくて学園は平穏を取り戻したが、やはり君には落ち着けないか)
彼女とはそれなりに話してきたナタリアだけに察するのも早い。半ば同行するような2人にゲルダ・クラインが慌てる。
「わ、わたしも行きますね」
「気を付けて。エトも心配してます」
イヴェール・イリュジオンは真顔で愛猫を抱き上げ、暴れられている。
イヴェールに反抗できるとは……この猫、強い。先日抵抗できなかったゲルダはそっと目を逸らした。
「む、これは私も話さないとですね! 生徒会長として!」
学園生と話すのも役目だと胸を張ったエフィルミアだが、問題があった。
馬にあんまり慣れてない!
大森林出身の編入生だけに馬とは縁遠い。何とか馬を借りようとするが何故か馬が鞍を嫌がる。いっそ裸馬を操るかと考えたが、そこに現れたのがジュスト・ヴェルジーだった。
馬に喋りかけながら蹄を確認し、鞍を載せて腹の下から腹帯を通す。首筋を撫で前に回ると、頭絡を弄って手綱まで付け終えた。
「賢い馬だから落ち着いて、生徒会長殿」
「ありがとうございますっ!」
「手助けするのは当然ですよ。それより今度」
食事でも。ジュストが言いかけた時には既にエフィは馬に乗り、駆け出していた。
「……、俺も久しぶりに乗りたくなったね」
ジュストが呟くと、傍にいた馬が歯を剥き笑った。
キーゼがワインとチーズを手に伯爵令息の向かいの席についたのは警護の為である。断じて飲む為ではない。何せ依頼人の傍に控えているのだからむしろ仕事熱心とすら言える。
――と理論武装して青空の下で堂々と飲むキーゼは、伯爵令息にもワインを勧めた。
「なかなかの物ですよ」
「戴こう」
チーズの濃厚な味を楽しみ、赤ワインを口に含む。長閑で、穏やかな時間だ。
●仮面
ジュストは寄ってきた馬に乗り、馬上の世界を堪能していた。
全身を撫でる風。規則的な蹄の音。上下に揺れる背。衝撃を膝で吸収しながら前傾し、馬と一体となる全能感。全てが楽しく、昔から馴染んできた感覚だ。
このまま遠乗りするのも手だが、流れゆく光景の中に気になるものが見えた。ジュストは走路をもう1周して馬を労うと、そちらに向かった。
「仲間に入れてもらっても?」
「僕は構いませんが」「私も問題ない」
ジュストはキーゼの隣に座り、軽く杯を空ける。そして伯爵令息の方を見やり、酒の進みを確かめた。
「貴殿も気晴らしが必要で?」
乗馬で気が緩んだか、つい直截的に訊いてしまう。ジュストは己が仮面を整え、改めて伯爵令息に向き直った。
「このご時世、愉快には過ごせんよ」
「帝国崩壊から激動に過ぎますからね」
学園騒乱の余波で参っているらしい。おそらく危うい側の貴族派。張り付けた微笑の裏でヴェルジー伯爵家として対応する。
「そういえば来年校長のご子息が入学しますね」
「それはそうだが、入学祝いを用意する時間がな」
派閥を変えるには土産がいる。あるいは己の有能さを以てそれとするか。そして彼は校長の子の入学までにそれを成す目処が立たないと。成程気晴らしが必要な訳だ。
「楽しい催しで気を紛らわせるのも手ですよ。聖霊節も近いですから」
「それしかないか」
「気になるご令嬢に文を贈るとか。最近文の指南をしましたが、やはりご令嬢の文への熱量を感じました」
「……解ってはいる」
「余裕を見せた方が立ち回りやすい。これは花も同じ。美しい花は豊かな所に咲くのです」
「それは間違いないですね」
ここぞとばかりキーゼが同意してきた。が、続く言葉はジュストの考えとは異なる。
「まだ静観した方が良いと思いますがね。穏健な女性こそ与しやすしと狙われやすく、高嶺の花が孤高に咲く事もある。さて次はどこが潰れるのでしょう」
「……よくそこまで言えるね」
「おや、何か? 娼館の話ですよ」
この男は火遊びが過ぎる。
ジュストはわざとらしく片眉を上げると、伯爵令息に提案した。
「乗馬でもしませんか? 馬には少々自信があるのです」
「その勝負、受けて立とう」
危険を避けるようにザカラートは殊更楽しげに応じた。
●牛と猫
(あれには近寄らないようにしましょう。斬りたくなる)
イヴェールは愛猫と色褪せた猫じゃらしを巡る死闘を繰り広げつつキーゼの方を見やって決意した。
それよりエトだ。久々に遊んであげないと流石に拗ねる。最近は令嬢と温泉に入ったりゲルダを膝に乗せたりしたが、エトはそれを悟っている節がある。
外で女と遊んでるな?
そう言わんばかりにエトは闘志剥き出しである(妄想)。尻を振って飛び掛かり、躱せば着地直後に跳ねてくる。半身になってすれ違いざまにエトの背を撫でれば、愛猫は怒ったようにダイブしてきた。
イヴェールが草の上に倒れてみると、エトは顔に乗って己の勝利を主張した。対するこちらもエトの腹を顔面で味わい肺腑の底まで匂いを吸っている。双方勝利である。
(はぁあぁ……よき闘いでした)
顔に猫を乗せ幾星霜、イヴェールが起きると不意に家畜の懐かしい臭さを感じた。辺りを見回せば遠目からこちらを見つめている牛がいる。
(少し寒くなってきましたし、温まりますか)
起きた拍子に顔から転げ落ちたエトを抱き、イヴェールは手を噛まれながら牛に近付く。白黒の毛に覆われた牛は横臥して口をむぐむぐしている。
(実家の牛と色が違いますね……)
「反芻中にすみませんが添い寝しても?」
んもぉおおぉ。
「いいそうです。エト、乗ってみます?」
ゆっくりと腰を下し、牛に触れる。そして猫をその横腹に乗せた。エトは心なしか震えている。武者震いだろう。
だが今は闘う時ではない。イヴェールは下敷きにならないようにとエトに注意し、自分も牛にそっと寄りかかった。
臭いと共にじんわりと熱が伝ってくる。大型動物特有のどっしり感が頼もしく、それでいて体は硬すぎない。包み込まれるような安定感に身を委ね、イヴェールは顔を牛の腹に埋めた。
(あぁ……はあぁー……)
心が満たされるような快感に溶かされてゆく。
次第に意識は薄れ、そのうちイヴェールは考えるのをやめた。
●泥に足掻く
なだらかな丘上には数本の木が立ち、眼下には緑の海が広がっていた。小さな花々が群島のように点在し、鳥達がそこに留まっている。
ナタリアはここで馬を休ませるべく下馬し、ウィータに声をかけた。
「お手を」
おどけて手を差し出すと、ウィータは怪訝な表情ながらも手を取り下馬した。その手を騎士の如く離さぬまま、ナタリアは緑の海に目を向ける。
「久しいが、息災ではないようだな」
「……とても元気で健全な学園ですからね」
ウィータの心は凪いだまま。諦観か悲哀か、あるいは嫉妬か不安か。ない交ぜの感情が絡み合い、結果平静に保たれている。
学園派。その公約は聞こえが良く、帝国人には耳馴染みでもある。だが彼女には酷だろうともナタリアには理解できた。
「元気なのは夢や野望があるからだろう。切磋琢磨し、生き足掻く。それは誰もが正しい事だと知っていて、故に苦しむ」
「正しい、ですか」
「健全と言い換えてもいい。だのに己を錬磨する術が解らない、自信がない。だから悩む」
ナタリアは少女を見る。
ぶつかった視線の先には悲しみに揺れる瞳があった。けれど彼女はそれを覆い隠す。
「貴女はどうでした?」
「……私も現地調査ばかり好む厄介な学者だからな。まだ生き足掻いている」
「厄介なんですか?」
笑う少女に肩を竦める。視線を戻すと、花々に群がる小鳥は数を減らし、次々飛び立っていた。
ナタリアは後方、馬蹄の音を聞きながら自分の想いを吐露する。
「私はね、誰もが無数の星々の中から、ある星を見つけようと生き足掻くものだと思うんだ。そして試行錯誤の末に星を見つけた時、漸く己に眠る力を自覚する」
誰しもが才覚を疑いながら生き足掻く。何かを為せた時に初めてそれが自信になり、輝きになる。仮に一等星でなくとも、無二の輝きに。
「私は己を天才とは思わないが、己を信じている。信じて進むしかないからだ。星の大海に私を刻む為にはな」
あるいはそれは、少女には眩しすぎたのかもしれない。
ウィータの内心が騒めき、けれどナタリアが悔やむより先に凪いでゆく。
「っ、貴女は、凄い人ですね……凄く、強くて……」
彼女は顔を歪め、声を震わせていた。
ナタリアはその手を硬く握り、ただ緑の海を見つめる。少女の胸の奥に微かに宿る熱を信じて……。
●近くて遠い
ゲルダはウィータが落ち着くのを待つ間に純真な少女の切なる願いを思い出していた。
『どうしてみんな、手を取り合って……悪い事をせず……普通に生きられないの?』
色んな想いがあって、色んな主張があって。悪い事は勿論だめだけれど、皆が良かれと思って為した事が歪む事もある。そうして歪められた想いが独り歩きしておかしくなる。
(本当に、何でこんなに難しいんだろうな……)
ゲルダは少女の後ろ姿を見て、お友達の想いが歪められかねない現状に奥歯を噛み締めた。体の内からせり上がってきそうな不快感を堪え、声をかける。
きっと親近感を抱いてくれるであろう、彼女に。
「学園派はお嫌いですか? わたしは嫌い、というか不安です」
「……珍しいですね? 冒険者なのに」
少女は貴族令嬢らしい微笑で振り向いた。その貴族らしい表情は、少し苦手だ。
「学園派って、身分や種族の差による不平等をなくそうという派閥で、わたしのお友達が発足したのですけれど」
えへへと笑う。お友達は大好きで、間近で見てきて。だからこそ思うのだ。
「なんというか。その子の意図とは別の方向に、進むかもしれなくて。それに学園派を後ろ盾に悪い事をする人だって、きっといるんです」
憂さを晴らすように才を以て誰かを蔑ろにする。それはお友達の想いじゃ、ない。『身分でなく才能で評価する』と『身分により才が評価されない事を是正する』は違うのに。
「だからわたし、とても心配なんです。彼女達の言葉に裏はないけれど、あまりに不安定で……」
「君も十分不安定だと思うが」
「?」
思わずといったナタリアの言にゲルダが首を傾げる。
ウィータは小さく笑い、歩み寄ってきた。
「学園派の事が少し解りました」
「わたしは中立派ですけれど」
何やら広報のようだったゲルダだが、中立派同士で仲良くできそうである。
えへへとウィータを見上げ、自分もその手を握るべきかなどと考えていたところに、彼女が来た。学園変革の象徴とも言える人が。
●強さ
「初めましてエフィルミアです! 私もお話したくて追いかけてきたんですけど、いいですか?」
開口一番押してみるとその場の3人が目を丸くした。
女3人寄れば云々と聞いた事ある気がするが、それに勝ったと言える。
「何でしょう、会長」
「ウィストラータさんが今後の学園についてどう思ってるか知りたくて!」
エフィは元々考えるのが得意ではない。むしろ最速で殴りたい。だからこそ体当りで頑張るのが自分の役目だと思う。
考えるだけじゃこの学園は変らない。先頭に立って壁を殴り道を広げる。それこそがエフィの生徒会長だ。
「とても健全で素晴らしい学園になると思います」
ぐぬぬと唸る。学園のお嬢様がたのこういう所がもどかしい。エフィは脾腹に拳を打つ勢いで踏み込んだ。
「今後学園は能力主義になっていくと思います。それは本当に良い事だと思いますか?」
「将来幅広く登用できるようになるのであれば、良い事ですね」
「……むむ」
公約とは武器であり枷でもある。相手に自分を知られているのだから初対面から拒絶される事もあるとは解っているが、腐葉土に拳を打つようなのは良くない。
そこでふと思いつく。相手に自分をもっと知ってもらえば?
「私は森人だけど斥候です」
彼女は驚いたような素振り。
(そうだ、もっといっぱい知ってもらおう。皆に私を知ってもらって、そしたら……多分何かができる!)
「家族は皆魔術師だったけど。私には才能がなかったから。身体能力だけでもって、いっぱい鍛錬しました。私、才能がないって言われた人を切り捨てたい訳ではないんです。私は……」
脳裏に友達の姿が過る。弱かった自分が貫けなかった壁。想いを貫くには力がいる。だから!
「私はっ、もっと皆に自由になってほしいんです! 血筋とかで将来を決めるんじゃなく、自分で自分の道を行ける様になってほしい!」
脇目も振らずまっすぐにウィータを見つめて暫く、相手は根負けしたようにふいと目を逸らした。
「……会長のお気持ちは解りました」
「なら私と一緒に自分の道……」
「けれど学園派は苦手です」
眉を下げ、ウィータは微笑んだ。
●火遊び
茜色に照らされた厩舎に動物達が収牧されていく。キーゼはそれを視界に入れつつ、依頼仲間が帰ってくるのを待っていた。
伯爵令息一行が馬房に戻り、獣臭い人が牛を連れてくる。遠乗り連中が帰還したのを見届けると、キーゼはそこに追従した。
乗馬後の世話やらお喋りやらの合間を抜け、令嬢を手伝いに――という体で。
「お久しぶりですね」
こちらを見た彼女は若干目を充血させていた。挨拶を返す彼女に無表情のまま言う。
「どうでした? 王党派の甘言に踊らされ、自由・平等みたいな顔して騙してくる学園派の方々は」
続きを促すように目を眇める彼女。その姿からは冒険者を過度には信頼していない様が見て取れ、キーゼは僅かに口角を上げた。これなら悪くない。
「絶対的強者が他者から生まれという立派な証を剥ぎ取り、それが正義と疑わない素晴らしい方々です」
キーゼが口元で声を高くして揶揄する。
「一緒に探しましょう。きっと同じ悩みの人がいる筈です。自分も最初はそうでした。才能という題目を置きながら才能だけではないと宣う二枚舌、僕にはとてもとても」
蹄を洗いながら肩を竦めると、彼女はくすと笑った。
「一度お話をお聞きになる事をお勧めします。ただ利用されかねないのは確かです。個人としては善良なのでしょうけれど、私には眩しすぎる」
学園派の理念を確認すべきか。キーゼは蹄の手入れを終え、「考えておきます」と返して彼女に向き直った。
「立ち位置には十分ご注意された方がいいですよ。結局得をしたのは他の誰でもない、王党派の白銀ですから」
「その言葉、そっくり返させてもらいます。貴方は何をなさりたいのです?」
「刹那的な幸福を楽しむ事ですね」
キーゼは煙に巻いて馬房を後にした。
元々彼女は冒険者に思う所があったようだ。故に問題はない。が、理念を見誤った事で不信感の増幅には失敗した気がする。
キーゼは姦しい女生徒を一瞥し、晩景に息を吐いた。
晩秋の暮色が牧場を染める。
8人は各々の心を夕闇に溶かし、日常へ戻っていった。
<了>
マスターコメント
皆さま、こんばんは。京乃です。
この度はご参加いただき、ありがとうございました。
それぞれPCらしいプレイングで大変楽しく描かせていただきました!
何やらお一人だけずいぶん毛色の違う場面がありますが……えぇ、そこが最もリズムよく描けたところでした(断言)。無心になって猫と牛を思ったおかげです。そろそろ具現化できそう。
他の方もそれぞれ異なるアプローチをしておられて、非常に面白かったです。
MVPは迷いましたが、分かりやすく学園派を解説された方に。
スタンスもウィストラータにはちょうどよい温度でした。
ただ、彼女の今後という点では他にも刺さったことがありましたので、他の方も決して接触に失敗したわけではありません。むしろ長期的には良かった……かも……?
今後もできれば定期的にパンクリアース学園まわりは描いていきたいですね。
学園の日常的なのも好きですし、突発的行事でもオイシイ。何か考えてみたいと思います。
それでは、またのご参加をお待ちしております。
ショートシナリオ普通 報酬:標準6 / 4〜6人
2021年12月10日 23時15分01秒 公開
大成功
相談掲示板
ヒーラーのナタリア・フィッツジェラルドだ。宜しく。 ウィストラータと会って話すのも3か月ぶりくらいか? 動物と戯れたり、なんならペット自慢というのが主題か。 だが私は彼女と話に行くつもりだ。
シーフのエフィルミアです!よろしくお願いしますっ。 私も馬に乗ってウィストラータさんとお話したいなって思ってます! ただ馬に乗るのはあまり上手くなくて、追い付くのに時間が掛かると思うので ナタリアさんがお話を終えた後に到着する形にしたらお邪魔にならないかなーっと!
学園生のジュスト・ヴェルジーだ、よろしく。 俺は馬に乗りに来たんだけど、ザカラート殿とも話せたらと思っているよ。 ウィストラータ嬢も気掛かりではあるんだけれど、縁がある方や話すつもりの方が多いようだし、折角気晴らしに来ているのにあまり気を遣わせては悪いからね。話すとしても帰り際あたりに少し声をかける程度かな、と。
さて、宜しくお願いします 適当に過ごさせて頂きますね
ゲルダです。よろしくお願いします。 ウィストラータ様とははじめましてですが、すこしだけ気になりまして…… お声掛けできたらいいな、と思っています。 あとは……おうまさん、実は今まで縁がなかったんですが、乗馬に挑戦してみたいな、と。
イヴェール・イリュジオンです。 どうぞよろしくお願い致します(ぺこり) 特にどちらともお話する予定はないので私は動物と戯れるだけですね…