勝利の宴見守る語らずの月
キャラクターノベル(グループ)制作 伊治納品 2023年11月06日 10時35分53秒
●
藍色の空には狩猟月が空に浮かび上がる頃、カペル侯爵邸で月覧会は始まった。
この月覧会の夜は邸宅の庭園も一般開放される為、多くの領民には周知されている催しだ。
(去年も参加したな)
海神 江流は先代青薔薇の為焼おにぎりを作ったことを思い出す。あの日からまだ1年しか経っていないのに自分の周囲は色々変わったものだと思う。
「江流さん、ここにいたの?」
ルベア・ベルニが江流を見つけ、やってくる。
そう、ここは月覧会用の特設厨房――来園者向けの料理を作る場所で江流は何をしているというのだろう?
「今回療養の時にお世話になったからお礼をしようと思って」
「シルヴィアさんのお父さんが馬車出してくれたものね」
シルヴィア・A・カペルの父エクスリオ・カペルは復活した超大型クリーパー討伐に貢献した小隊【戦誼】の為負傷者の負担が少ない作りの馬車を用意し、彼らを別邸にて静養してもらう手配を整えてくれた。重い傷を負った1人である彼がそのお礼をしたいというのはよく判る。
「解りますわ! そのお気持ち!」
バーンという効果音が似合いそうな勢いで登場したのはリリリリスだ。
腰に手を当てドヤ顔、嫌な予感しかしない。
「やはりパーティと言えば料理ですわ! 私リリリリス★スペシャリテを振舞い――」
「リリリリス、一緒に音楽を演奏しようか」
一瞬の隙を衝かれたらしいシルヴィアが物凄く素敵な笑顔でリリリリスの肩にぽんと手を置いた。
見た目は普通、味がドチャクソヤバイ代物を領民の記憶に加える訳にはいかない為、シルヴィアの必死密度は高い。
「折角楽器持ってきてくれたのだし、セッションしよう」
「演奏の前に――」
リリリリスは跳躍したギーゼラから踵落とし喰らい、最後まで言えず地面に沈んだ。ギーゼラは表情変えることなく地に沈んだリリリリスを踵で尚もグリグリ。
「シルヴィアさん、コレは好きにしてくださいどうぞ」
「ありがとう。……じゃあ、行こうか」
シルヴィアがリリリリスの手を取り、演奏会場へエスコートする。
自身も演奏の予定があるルベアも慌ててシルヴィア達の後を追った。
後に残るは江流とギーゼラの2人。
「僕としては甘い物があれば満足なのでお団子は大歓迎です」
ギーゼラはまた後で、と江流を置き、特設厨房を後にした。
ギーゼラは道すがら蓮華の蜂蜜を使ったチーズのクラフティ、薔薇の蜂蜜のフィナンシェ、ローズマリーの蜂蜜を使ったラスク等々甘いものを入手しまくって【戦誼】がゆっくりできるようにと準備してもらったテラスの一角へ足を運んだ。
月覧会が始まったばかりの刻限もあってか、ユズとハーヴィがのんびり紅茶を飲んでいた。
「後で江流さんが煎茶と一緒にお月見団子を持ってきますが……」
「どれも美味しそう!」
ハーヴィがぱっと顔を輝かせ、手始めに薔薇の蜂蜜のフィナンシェに手を伸ばす。
おずおずとした様子でユズもアーモンドの蜂蜜に漬けこまれたナッツを確保した。
「……ここ、静かで、ほっとする、ね……」
ユズは他人との接触を得手とせず、弱点克服すべく冒険者になっているが、まだ不特定多数の者がいる場所は恐怖心が残る。この為、テラスに確保してもらったこの場所から動く気にはないようだ。
こういう場がなければ一通りの挨拶が終わったら物陰にいただろうが、テラスは庭園と違い領民の立ち入りは禁止されているし、シルヴィアの手配でテラスの警護もユズの視界に配慮したものとなっていた。
「ここからだと音楽もちゃんと聞こえるし、庭園も見えるから……後でシルヴィアさんにお礼言わないと」
ハーヴィの言葉にユズは静かに頷いた。
狩猟月は徐々に空へと昇っていく――
●
秋薔薇に囲まれた広場には、演奏スペースが設けられている。
次代『蒼玉侯』シルヴィアがリリリリス、ルベアを伴い、やってくると、領民達の視線が自然と向いた。
(ふふ、折角なのですから……ここは私のとっておきの!)
溢れる好機、歩けば可憐、立ち居振る舞いは貴族子女ではあるが、演奏には心得があった。意外性の産物、それがリリリリスだ。
シルヴィアのフィドル、ルベアのフルートに合わせ、チェロを奏で始める。
(こういう機会があると、大きな戦いが終わったなって思うわね)
ルベアはフルートを奏でながら、王都での戦いの終わりを改めて実感する。
リリリリスも料理はともかく演奏はちゃんとしてるし、こうして音を合わせるのは楽しい。
(……? シルヴィアさんの知り合いかな?)
ルベアはシルヴィアに目配せし、演奏に加わってきた男性を見る。
年の頃は――シルヴィアよりは年上だろうか。金髪に赤い瞳の男性は細身だが脆弱さを感じない。足捌きに無駄がない所を見ると、少なくとも吟遊詩人の類ではないだろう。
(腕前が違う、気がする)
同じことを感じ取ったリリリリスと視線がぶつかるが、今は演奏を楽しむ時と2人で切り替え、曲の世界を創り上げた。
江流がテラス席に行くと、ギーゼラが持ってきたスイーツがなくなる頃だった。
「煎茶も入れてきたから、注ぐよ」
江流が手慣れた仕草で煎茶を注ぎ、4人へ配っていく。
「竜喰討伐戦白光章を授与された江流さんに注いでもらったお茶はいいですねぇ! あと、江流さんの怪我は最高でした。いえ、決戦はいつも最高なんですよ。僕の愛を頼りに仲間が強敵に立ち向かっていくんですから」
小隊全員いたからこそ授与されたものと思っている江流はギーゼラの言葉の前半を苦笑で流し、後半のうっとりとした感想にのみ言及した。
「もうちょっと愛が欲しかったと思ってるんだけど」
「何を言いますか、血飛沫舞い、肉が抉られようとも生きているのは僕の輝く愛あってのこそです!」
「それもそうだ、死ぬことなく生還できたのはギーゼラちゃんのお陰だね」
江流が素直にそう言うと、ギーゼラはふひふひ笑いながら月見団子を頬張った。
「生還しなかったら、彼女をもう支えられなくなる所だった」
「……あ。海神さん……、もしかして」
水晶球に何か映るものでもあったのだろうか、ユズが顔を上げて彼へ言葉を投げかけた。
すると、江流は静かに、けれども幸せそうに微笑んだ。
「ユズさんの背中押してもらったからかな……婚約者の内定が貰えた、と思う」
「い、いえ、ボク、は、何も、してない、よ?」
ユズは控えめに微笑んだ。
「ボクは、星、に聞いて、海神さん、が、星の、ない、夜道で、迷子に、ならない、ように、お手伝い、した、だけ。掴めた、のは、海神さん、が、星の、声を、きちんと、聴いた、から」
「じゃあ、お手伝いしてくれて、ありがとう」
江流がそう言うと、ユズは占星術師らしい控えめな礼をした。
と、ギーゼラと一緒にお団子もぐもぐしていたハーヴィが演奏を終えた3人がテラスへやってきたことに気づいた。その後ろ、もう1人フルートを携えた男性がいるが、テラスに入れるのだからシルヴィアの家の人だろうと気持ち姿勢を整える。
シルヴィアだけでなく、あの人にもきちんと招待のお礼を言わないと。
だって、深い傷を負って辛い中静養させてくれた家の人がお月見のパーティーにまで招いてくれているのだから、シルヴィアとは冒険者仲間だけど、そこはしっかりしないと!
「こんばんは! 今宵はお招きありがとうございます。楽しませていただいています!」
「ああ、こんばんは。一介のフルート吹きには気兼ねなく、どうか楽しんでくれ」
シルヴィアに挨拶した後男の人に声をかけると、男の人はそう言った。
(一介のフルート吹き?)
けれど、豪商の長子たるハーヴィは首を傾げたのを見、口元に人差し指を立てて微笑んだ。ただのフルート吹きではないということだ。
「気づかれないよう整えて貰ったのに」
「流石に厳しいかと」
このテラスは関係者以外立ち入り禁止だから、とシルヴィアが言うと、娘の友人達には気づかれても良いと思っていたらしい『蒼玉侯』その人は楽しそうに赤目を細めるのだった。
そうして、小隊【戦誼】が揃い、しばし歓談の時間が訪れる。
●
「何時も娘がお世話になっているね」
エクスリオは『蒼玉侯』としてではなく、娘の父親として友人へ挨拶した。
月覧会の差配はシルヴィアにとって祖母であり、彼の母イザベラ・カペルの領分だそうで、フルート吹きのリオとしてのんびり楽しんでいるらしい。
「今回は『竜喰らい』の討伐に貢献したと報告を受けている。良かったら、その時の話を君達自身の口から聞かせてもらえないかな?」
こうして、【戦誼】の目から見た戦いが語られることとなったのである。
あの時あの戦場にいる者で余裕のある者はいなかった。
超重量の『竜喰らい』を討伐する為、【戦誼】の方針は仲間や友軍が攻撃に集中できる状況の維持にあった。『竜喰らい』の動きを注意深く見、情報を集めるだけでなく、聖剣を携えた王女を意識から外させる為の一斉攻撃は仮に温存していたとしても纏めて挽き肉になってもおかしくない位命懸けの行動である。
ギーゼラの愛が前線を支え、『竜喰らい』の体当たりで肉塊になってもおかしくなかったリリリリスが耐え抜き、江流が『竜喰らい』へ食い下がり続けた。
前線の支えがあったからこそ、その場のエーテルをかき集めて常の己の力以上の力を練り上げたハーヴィがユズと共に強力な魔弾で甲羅のひび割れを押し広げることで『竜喰らい』の殺意を向けさせたのだ。
その状況を作ることができたのは、ルベアが宗波と己の読みで、シルヴィアが皆を支援したことが大きいだろう。
『竜喰らい』は死の際にあって尚も脅威であったが、最後には斃れた。
「私清楚華憐に気高く護り抜きましてよ!」
(ぺしゃんこになってれば良かったのに)
ドヤ顔のリリリリスの高笑いに紛れるようにギーゼラがへっと小声で言った。触腕に拘束されて笑顔の彼女にリジェネを付与したからと言ってその対応が砂糖になる訳ではない。
(ギーゼラちゃん、彼女に対してああだってことは帝国の要職に縁を持ってたりするのかもな)
小声を耳に拾った江流はそう思うもエクスリオの手前、口には出さない。
「最後ブレスを吐きまくられた時は『竜喰らい』の前に力尽きるかもしれないと思いましたけど、師匠の占いの通りでした!」
痛みで痙攣しながらもブレスの範囲から逃げる様を語ったハーヴィがそう言うと、シルヴィアの父親とは言え初対面の、しかも王国の高位貴族を怖がって気配を消していたユズはびくっとなった。
「あ、諦め、なけれ、ば、その、未来は、掴める、と、判って、たの、で……」
エーテルバリアでどうにか耐え凌ぎ、倒れるまで時間を稼ぐべく魔法を撃ち続けたのは、その未来を決して諦めなかったから。
運命の道を確定させるのはいつだって人の意志の力で、その道筋を示す為に星はそこに在り、ユズへ囁き続けるのだ。
「生きている君自身の口からその言葉を聞くことができて、私は今とても嬉しいよ。墓標の前で君達の功績を称えるフルートを奏でても虚しいものだからね」
「あ、あり、ありがとう、ございます」
ユズがたどたどしくお礼を言った後、エクスリオは強力な魔弾を撃ったハーヴィを労った。
「皆のお陰です!」
この言葉こそ【戦誼】の総意であろう。
『竜喰らい』討伐の功績大として【戦誼】は名を挙げられ、代表として江流が最高殊勲である竜喰討伐戦白光章を授与されたが、これは彼だけが成しえたものではない。全員で成しえたものだ。
「それでも、江流さんにはおめでとうと言いたいと思ってます」
ルベアがエクスリオへそのように締め括った。
動きたいように動けたからこその結果なのだから、と。
それを聞き、皆あっての今回である為この席で十分に礼を尽くしたいと思っていた江流は「先を越されたな」と苦笑した。
ルベアはそういえばとエクスリオへ話を向けた。
「『蒼玉騎士団』は街道封鎖に尽力されたとか。ありがとうございます」
「礼には及ばない。私達は私達の本分を果たしただけなのだから」
シルヴィアよりカペル家は何も知らない者がグランスパーダへ接近し人的被害を拡大させないよう街道封鎖や戦場に到達していない一般人の保護、避難誘導に尽力していたらしい。見えない箇所での支援であったが、戦場の混乱なく戦えたのは大きいだろう。
エクスリオの正体に納得していたルベア、その答えにやはり親子だとシルヴィアを見た。
●
戦いの顛末を話し終えた後は自然と月覧会への話へ移っていた。
「カペル様、やっぱりいけませんの?」
「ああ。今日は招待客だからね」
シルヴィアはリリリリスを阻むのに必死である。
(……水晶球も、不穏……)
ユズは会話に参加していないが、リリリリスの料理という言葉だけで水晶球に不吉な未来を視ている。
数々の前科を思えばその未来は確定事象、何をどうしても大惨事の結末を変えることはできないだろう。
エクスリオが娘の必死さで察したのか、是非と言わないのが救いというか何というか。
見ると、皆料理をしたがるリリリリスから話を振られたくないのか、微妙に視線を外している。
「なら、せめて月見団子にアレンジを――」
とうとうギーゼラがブチ切れて、エクスリオの目の前なのにリリリリスをしばいた。
内心はともかく表情を崩さなかったエクスリオはやっぱり高位貴族……恐ろしいまでの表情コントロールである。
「ところで、庭園はどうだったかな」
「はい。とても綺麗でした!」
エクスリオへハーヴィは目を輝かせた。
庭師が丹精込めて世話をしているのだと判る庭園には秋の花が咲き誇っており、中でも薔薇が圧巻だと思う。けれども、ハーヴィが目を向けたのは別の花だ。
「道を彩るように植えられたビオラが綺麗でした」
色もきちんと考えて植えられたビオラの可憐な佇まいは来園者への気遣いのような気がしたし、夜空を見上げる様が健気に思えたからだ。あと、何となく、ビオラのひたむきな様が、あの、どこまでも澄んだあの子を思い出したから。
(……ボク、も、綺麗だと、思った……)
庭園が領民向けに開放される前に巡ったユズも彼らの方を好んだ。
まるで夜空を見上げているようで、その姿が自分みたいに思えたから、庭園の中で最も心に残ったのだ。
(他の花も、綺麗、だった。けど)
ユズが庭園に咲く彼らへ想いを馳せている間にも庭園の花の話題は変わっていく。
「君達はどの花がお気に召したかな」
「私は秋桜を楽しみました」
「俺はナデシコです。品種は違うと思いますが、シャルガネでもよく見た花なので……」
エクスリオへ話を振られ、ルベアと江流がそれぞれその名を挙げた。
故郷でも見かけた花は、やはり馴染みがあるらしく、庭園で見た彼らの感想を伝えていく。
「私は、薔薇ですねぇ。薔薇の蜂蜜を使ったフィナンシェ美味しかったですし」
ギーゼラは薔薇の蜂蜜のフィナンシェがお気に召したらしく、薔薇の名を挙げた。他にもお気に召した蜂蜜所以の花を挙げていく。
「僕は蓮華の蜂蜜を使ったチーズのクラフティが紅茶にも合っていたので、好きです」
すると、ハーヴィが続き、味の感想を伝えた。
江流の月見団子と煎茶は既に売り切れとあり、シルヴィアがここへ来る際に手配した料理やスイーツが席巻しているが、これらが余ったりする心配は不要そうだ。
料理人も作った甲斐があるだろうとシルヴィアは微笑みを浮かべる。
「あとで料理人に伝えておくよ。多少だったらお土産に持って帰れるよう頼んでおく」
「ありがとうございます。ふ、ふふふ……」
先程から甘いものだけで食べているギーゼラ、肉や野菜は言われなければ食べない気満々。
打ち上げの席だから特に言う者もないので、甘いもの食べ放題であった。
●
エクスリオがは蒼玉騎士団の長に呼ばれ、場を外していく。
上空を見上げたシルヴィアが月の位置を確認し、 クランペラーの瓶を取り出した。
「さて、月も真上で輝き出したことだし、何か余興をしないか? 盛り上げてくれた人にはこの名酒を注ごう」
「僕、利き蜂蜜したいですねぇ」
ギーゼラが名乗りを上げる。
カペルの侯爵令嬢なら十分手配可能だが、どう考えても自分の趣味と実益重視の余興である。シルヴィアのお陰で打ち上げも豪華でいいと思っている彼女、現在までの間甘いものしか食べていない。
故にシルヴィアはそこをさらりと受け流し、気づけばギーゼラの足置き場となっているリリリリスを見た。
「それは、ありなの?」
「お目汚し失礼しました」
ルベアが思わず尋ねると、ギーゼラが力を込めてリリリリスを踏み抜いてテーブルの下へ追いやった。
ちらっと見た限り、幸せそうだったので、リリリリスにはご褒美らしい。
ふと、彼らを見つめていた江流が呟いた。
「何年か経っても――こういう輪の中にいられるだろうか」
ルベアが思わず江流の顔を見る。
彼は支えたいと願う彼女の婚約者の内定を得た。このまま彼が望めば彼の立場は大きく変わるだろう。そうなった時、自分はこういう輪の中にいることが許されるのかは判らない。
そうでなくとも……戦いの中で誰かが命を落とせば今日と同じ者で時を共にすることはできない。
「だからこそ、意義があると言ったのは江流さんでは?」
「そうだな。同じ時はないからこそ意義がある。明日になれば今日は還らない。なら、悔いなく過ごすしかないな」
ルベアがそう言うと、江流は「今日はルベアに先を越されてばかりだ」と笑った。
ハーヴィがクアトロフォルマッジ《4種のチーズと蜂蜜のピッツァ》を食べ終えた時には、ユズの姿が見当たらない。エクスリオとの歓談が賑やかであった分、1人静かな場所を求めたのだろう。
(探しに行こう)
庭園は一般開放されているが、このテラスや邸宅の中はそうではない。テラスで賑やかな時を過ごしたのならば――
(あ、いたいた。予想通り)
ユズは宿泊にと提供された離れに続く廊下にいた。
窓から見えるのは狩猟月に寄り添う数多の星々で、ハーヴィはそっと隣に立って、ユズと共に夜空を見上げる。
「……ハーヴィ。来たん、だ。もう、楽しまなくて、いい、の?」
月と星が輝く夜空を見て安心している様子のユズは、賑やかなのを好むハーヴィへ気遣う言葉を投げた。
十分楽しめました、とハーヴィは笑った後、しばし沈黙が場に下り、表の喧騒はまるで別世界の音のようだ。
「今回、一緒に戦えて嬉しかったです」
暫くして、ハーヴィがぽつりとそう言った。
「2人共大怪我しちゃいましたけどね?」
「こちら、こそ。来てくれ、て、ありがとう」
大怪我しても、2人共無事だった。占っていてもその未来にやってこれたことがユズには嬉しい。
星が瞬いても未来の道筋に確定はなく、何がどう作用して未来が途絶えるかなんてユズにも判らないからだ。
「……師匠には、聞きたいことがあって」
「聞きたい、こと?」
ユズが問うと、ハーヴィは月の向こうに想いを馳せるようにその言葉を口にした。
「……実は僕、守りたい子がいるんです」
ハーヴィの告白へ気持ちに応えられないと彼女は言った。
答えを定めている彼女の心はどこまでも澄んでいて、そして自分なんかよりも強い。それでも彼女には幸せで在って欲しくて、どんなことがあっても味方であろうと誓った。
けれども、この誓いを果たす時――大怪我じゃ済まないかもしれない。
「……どんな未来が待っていても、師匠は僕のこと、送り出してくれますか」
ユズはハーヴィを見る。
どのような未来が待っていても、ハーヴィはその道を選ぶだろう。弟子は星を定めたと言ってもいい。
「そっか」
星を定めた者へユズは反対などしない。
「……君が決めたこと、だから。ボクは、送り出す、よ」
星を定めたのにその星を落としたら、間違いなくハーヴィはハーヴィでなくなる。ユズが弟子としたハーヴィは仮に生きていてもそれはもうハーヴィではない。
ふと、ユズは水晶球を見つめた。
「……星の囁きが聞こえてきます」
ユズの透明な声が小さく響いた。
「自分の目指すべき道筋を見極めた先に貴方が貴方である所以が見つかるでしょう」
それはユズからの応援であった。
驚くハーヴィへユズから星の囁きを告げていく。
その囁きでどのような未来に至るかはハーヴィ自身――ユズは想いを抱える弟子へそう言った。
狩猟月は星の囁きも彼らが交わした会話も割り込む無粋な真似はせず、ただ、ただ、沈黙を保っていた。
●
日が変わる頃、月覧会も終わり、カペル侯爵邸には静寂が戻っていた。
シルヴィアは皆を離れに送り届けた後、テラスへ足を運ぶ。
「お父様」
フルートを奏でていたエクスリオはその手を止め、娘を手招いた。
「この度の件、お父様には配慮いただき、感謝しております」
「シルヴィアの感謝は爵位を継いだ後にたっぷり返してもらうから」
爵位を継ぐにはシルヴィアがどのような戦いに赴いても生還することが絶対条件だ。
どのような言葉を紡いだとしてもシルヴィアは戦いから逃げることなどしないし、そのような者は次代の『蒼玉侯』ではない。
湖に太陽を映したこの地を収める者は、何者でもなかった父祖と同じ情熱を灯し、今を駆け抜ける者でなければならない。
けれども――同時に、エクスリオは父親でもあった。
「また、皆でまた打ち上げられるように帰ってきなさい」
「……はい」
狩猟月は、来年の彼らがどのような物語を紡いでいるかを語らない。
けれども、寄り添う星々と共に彼らの未来を信じている――
藍色の空には狩猟月が空に浮かび上がる頃、カペル侯爵邸で月覧会は始まった。
この月覧会の夜は邸宅の庭園も一般開放される為、多くの領民には周知されている催しだ。
(去年も参加したな)
海神 江流は先代青薔薇の為焼おにぎりを作ったことを思い出す。あの日からまだ1年しか経っていないのに自分の周囲は色々変わったものだと思う。
「江流さん、ここにいたの?」
ルベア・ベルニが江流を見つけ、やってくる。
そう、ここは月覧会用の特設厨房――来園者向けの料理を作る場所で江流は何をしているというのだろう?
「今回療養の時にお世話になったからお礼をしようと思って」
「シルヴィアさんのお父さんが馬車出してくれたものね」
シルヴィア・A・カペルの父エクスリオ・カペルは復活した超大型クリーパー討伐に貢献した小隊【戦誼】の為負傷者の負担が少ない作りの馬車を用意し、彼らを別邸にて静養してもらう手配を整えてくれた。重い傷を負った1人である彼がそのお礼をしたいというのはよく判る。
「解りますわ! そのお気持ち!」
バーンという効果音が似合いそうな勢いで登場したのはリリリリスだ。
腰に手を当てドヤ顔、嫌な予感しかしない。
「やはりパーティと言えば料理ですわ! 私リリリリス★スペシャリテを振舞い――」
「リリリリス、一緒に音楽を演奏しようか」
一瞬の隙を衝かれたらしいシルヴィアが物凄く素敵な笑顔でリリリリスの肩にぽんと手を置いた。
見た目は普通、味がドチャクソヤバイ代物を領民の記憶に加える訳にはいかない為、シルヴィアの必死密度は高い。
「折角楽器持ってきてくれたのだし、セッションしよう」
「演奏の前に――」
リリリリスは跳躍したギーゼラから踵落とし喰らい、最後まで言えず地面に沈んだ。ギーゼラは表情変えることなく地に沈んだリリリリスを踵で尚もグリグリ。
「シルヴィアさん、コレは好きにしてくださいどうぞ」
「ありがとう。……じゃあ、行こうか」
シルヴィアがリリリリスの手を取り、演奏会場へエスコートする。
自身も演奏の予定があるルベアも慌ててシルヴィア達の後を追った。
後に残るは江流とギーゼラの2人。
「僕としては甘い物があれば満足なのでお団子は大歓迎です」
ギーゼラはまた後で、と江流を置き、特設厨房を後にした。
ギーゼラは道すがら蓮華の蜂蜜を使ったチーズのクラフティ、薔薇の蜂蜜のフィナンシェ、ローズマリーの蜂蜜を使ったラスク等々甘いものを入手しまくって【戦誼】がゆっくりできるようにと準備してもらったテラスの一角へ足を運んだ。
月覧会が始まったばかりの刻限もあってか、ユズとハーヴィがのんびり紅茶を飲んでいた。
「後で江流さんが煎茶と一緒にお月見団子を持ってきますが……」
「どれも美味しそう!」
ハーヴィがぱっと顔を輝かせ、手始めに薔薇の蜂蜜のフィナンシェに手を伸ばす。
おずおずとした様子でユズもアーモンドの蜂蜜に漬けこまれたナッツを確保した。
「……ここ、静かで、ほっとする、ね……」
ユズは他人との接触を得手とせず、弱点克服すべく冒険者になっているが、まだ不特定多数の者がいる場所は恐怖心が残る。この為、テラスに確保してもらったこの場所から動く気にはないようだ。
こういう場がなければ一通りの挨拶が終わったら物陰にいただろうが、テラスは庭園と違い領民の立ち入りは禁止されているし、シルヴィアの手配でテラスの警護もユズの視界に配慮したものとなっていた。
「ここからだと音楽もちゃんと聞こえるし、庭園も見えるから……後でシルヴィアさんにお礼言わないと」
ハーヴィの言葉にユズは静かに頷いた。
狩猟月は徐々に空へと昇っていく――
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秋薔薇に囲まれた広場には、演奏スペースが設けられている。
次代『蒼玉侯』シルヴィアがリリリリス、ルベアを伴い、やってくると、領民達の視線が自然と向いた。
(ふふ、折角なのですから……ここは私のとっておきの!)
溢れる好機、歩けば可憐、立ち居振る舞いは貴族子女ではあるが、演奏には心得があった。意外性の産物、それがリリリリスだ。
シルヴィアのフィドル、ルベアのフルートに合わせ、チェロを奏で始める。
(こういう機会があると、大きな戦いが終わったなって思うわね)
ルベアはフルートを奏でながら、王都での戦いの終わりを改めて実感する。
リリリリスも料理はともかく演奏はちゃんとしてるし、こうして音を合わせるのは楽しい。
(……? シルヴィアさんの知り合いかな?)
ルベアはシルヴィアに目配せし、演奏に加わってきた男性を見る。
年の頃は――シルヴィアよりは年上だろうか。金髪に赤い瞳の男性は細身だが脆弱さを感じない。足捌きに無駄がない所を見ると、少なくとも吟遊詩人の類ではないだろう。
(腕前が違う、気がする)
同じことを感じ取ったリリリリスと視線がぶつかるが、今は演奏を楽しむ時と2人で切り替え、曲の世界を創り上げた。
江流がテラス席に行くと、ギーゼラが持ってきたスイーツがなくなる頃だった。
「煎茶も入れてきたから、注ぐよ」
江流が手慣れた仕草で煎茶を注ぎ、4人へ配っていく。
「竜喰討伐戦白光章を授与された江流さんに注いでもらったお茶はいいですねぇ! あと、江流さんの怪我は最高でした。いえ、決戦はいつも最高なんですよ。僕の愛を頼りに仲間が強敵に立ち向かっていくんですから」
小隊全員いたからこそ授与されたものと思っている江流はギーゼラの言葉の前半を苦笑で流し、後半のうっとりとした感想にのみ言及した。
「もうちょっと愛が欲しかったと思ってるんだけど」
「何を言いますか、血飛沫舞い、肉が抉られようとも生きているのは僕の輝く愛あってのこそです!」
「それもそうだ、死ぬことなく生還できたのはギーゼラちゃんのお陰だね」
江流が素直にそう言うと、ギーゼラはふひふひ笑いながら月見団子を頬張った。
「生還しなかったら、彼女をもう支えられなくなる所だった」
「……あ。海神さん……、もしかして」
水晶球に何か映るものでもあったのだろうか、ユズが顔を上げて彼へ言葉を投げかけた。
すると、江流は静かに、けれども幸せそうに微笑んだ。
「ユズさんの背中押してもらったからかな……婚約者の内定が貰えた、と思う」
「い、いえ、ボク、は、何も、してない、よ?」
ユズは控えめに微笑んだ。
「ボクは、星、に聞いて、海神さん、が、星の、ない、夜道で、迷子に、ならない、ように、お手伝い、した、だけ。掴めた、のは、海神さん、が、星の、声を、きちんと、聴いた、から」
「じゃあ、お手伝いしてくれて、ありがとう」
江流がそう言うと、ユズは占星術師らしい控えめな礼をした。
と、ギーゼラと一緒にお団子もぐもぐしていたハーヴィが演奏を終えた3人がテラスへやってきたことに気づいた。その後ろ、もう1人フルートを携えた男性がいるが、テラスに入れるのだからシルヴィアの家の人だろうと気持ち姿勢を整える。
シルヴィアだけでなく、あの人にもきちんと招待のお礼を言わないと。
だって、深い傷を負って辛い中静養させてくれた家の人がお月見のパーティーにまで招いてくれているのだから、シルヴィアとは冒険者仲間だけど、そこはしっかりしないと!
「こんばんは! 今宵はお招きありがとうございます。楽しませていただいています!」
「ああ、こんばんは。一介のフルート吹きには気兼ねなく、どうか楽しんでくれ」
シルヴィアに挨拶した後男の人に声をかけると、男の人はそう言った。
(一介のフルート吹き?)
けれど、豪商の長子たるハーヴィは首を傾げたのを見、口元に人差し指を立てて微笑んだ。ただのフルート吹きではないということだ。
「気づかれないよう整えて貰ったのに」
「流石に厳しいかと」
このテラスは関係者以外立ち入り禁止だから、とシルヴィアが言うと、娘の友人達には気づかれても良いと思っていたらしい『蒼玉侯』その人は楽しそうに赤目を細めるのだった。
そうして、小隊【戦誼】が揃い、しばし歓談の時間が訪れる。
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「何時も娘がお世話になっているね」
エクスリオは『蒼玉侯』としてではなく、娘の父親として友人へ挨拶した。
月覧会の差配はシルヴィアにとって祖母であり、彼の母イザベラ・カペルの領分だそうで、フルート吹きのリオとしてのんびり楽しんでいるらしい。
「今回は『竜喰らい』の討伐に貢献したと報告を受けている。良かったら、その時の話を君達自身の口から聞かせてもらえないかな?」
こうして、【戦誼】の目から見た戦いが語られることとなったのである。
あの時あの戦場にいる者で余裕のある者はいなかった。
超重量の『竜喰らい』を討伐する為、【戦誼】の方針は仲間や友軍が攻撃に集中できる状況の維持にあった。『竜喰らい』の動きを注意深く見、情報を集めるだけでなく、聖剣を携えた王女を意識から外させる為の一斉攻撃は仮に温存していたとしても纏めて挽き肉になってもおかしくない位命懸けの行動である。
ギーゼラの愛が前線を支え、『竜喰らい』の体当たりで肉塊になってもおかしくなかったリリリリスが耐え抜き、江流が『竜喰らい』へ食い下がり続けた。
前線の支えがあったからこそ、その場のエーテルをかき集めて常の己の力以上の力を練り上げたハーヴィがユズと共に強力な魔弾で甲羅のひび割れを押し広げることで『竜喰らい』の殺意を向けさせたのだ。
その状況を作ることができたのは、ルベアが宗波と己の読みで、シルヴィアが皆を支援したことが大きいだろう。
『竜喰らい』は死の際にあって尚も脅威であったが、最後には斃れた。
「私清楚華憐に気高く護り抜きましてよ!」
(ぺしゃんこになってれば良かったのに)
ドヤ顔のリリリリスの高笑いに紛れるようにギーゼラがへっと小声で言った。触腕に拘束されて笑顔の彼女にリジェネを付与したからと言ってその対応が砂糖になる訳ではない。
(ギーゼラちゃん、彼女に対してああだってことは帝国の要職に縁を持ってたりするのかもな)
小声を耳に拾った江流はそう思うもエクスリオの手前、口には出さない。
「最後ブレスを吐きまくられた時は『竜喰らい』の前に力尽きるかもしれないと思いましたけど、師匠の占いの通りでした!」
痛みで痙攣しながらもブレスの範囲から逃げる様を語ったハーヴィがそう言うと、シルヴィアの父親とは言え初対面の、しかも王国の高位貴族を怖がって気配を消していたユズはびくっとなった。
「あ、諦め、なけれ、ば、その、未来は、掴める、と、判って、たの、で……」
エーテルバリアでどうにか耐え凌ぎ、倒れるまで時間を稼ぐべく魔法を撃ち続けたのは、その未来を決して諦めなかったから。
運命の道を確定させるのはいつだって人の意志の力で、その道筋を示す為に星はそこに在り、ユズへ囁き続けるのだ。
「生きている君自身の口からその言葉を聞くことができて、私は今とても嬉しいよ。墓標の前で君達の功績を称えるフルートを奏でても虚しいものだからね」
「あ、あり、ありがとう、ございます」
ユズがたどたどしくお礼を言った後、エクスリオは強力な魔弾を撃ったハーヴィを労った。
「皆のお陰です!」
この言葉こそ【戦誼】の総意であろう。
『竜喰らい』討伐の功績大として【戦誼】は名を挙げられ、代表として江流が最高殊勲である竜喰討伐戦白光章を授与されたが、これは彼だけが成しえたものではない。全員で成しえたものだ。
「それでも、江流さんにはおめでとうと言いたいと思ってます」
ルベアがエクスリオへそのように締め括った。
動きたいように動けたからこその結果なのだから、と。
それを聞き、皆あっての今回である為この席で十分に礼を尽くしたいと思っていた江流は「先を越されたな」と苦笑した。
ルベアはそういえばとエクスリオへ話を向けた。
「『蒼玉騎士団』は街道封鎖に尽力されたとか。ありがとうございます」
「礼には及ばない。私達は私達の本分を果たしただけなのだから」
シルヴィアよりカペル家は何も知らない者がグランスパーダへ接近し人的被害を拡大させないよう街道封鎖や戦場に到達していない一般人の保護、避難誘導に尽力していたらしい。見えない箇所での支援であったが、戦場の混乱なく戦えたのは大きいだろう。
エクスリオの正体に納得していたルベア、その答えにやはり親子だとシルヴィアを見た。
●
戦いの顛末を話し終えた後は自然と月覧会への話へ移っていた。
「カペル様、やっぱりいけませんの?」
「ああ。今日は招待客だからね」
シルヴィアはリリリリスを阻むのに必死である。
(……水晶球も、不穏……)
ユズは会話に参加していないが、リリリリスの料理という言葉だけで水晶球に不吉な未来を視ている。
数々の前科を思えばその未来は確定事象、何をどうしても大惨事の結末を変えることはできないだろう。
エクスリオが娘の必死さで察したのか、是非と言わないのが救いというか何というか。
見ると、皆料理をしたがるリリリリスから話を振られたくないのか、微妙に視線を外している。
「なら、せめて月見団子にアレンジを――」
とうとうギーゼラがブチ切れて、エクスリオの目の前なのにリリリリスをしばいた。
内心はともかく表情を崩さなかったエクスリオはやっぱり高位貴族……恐ろしいまでの表情コントロールである。
「ところで、庭園はどうだったかな」
「はい。とても綺麗でした!」
エクスリオへハーヴィは目を輝かせた。
庭師が丹精込めて世話をしているのだと判る庭園には秋の花が咲き誇っており、中でも薔薇が圧巻だと思う。けれども、ハーヴィが目を向けたのは別の花だ。
「道を彩るように植えられたビオラが綺麗でした」
色もきちんと考えて植えられたビオラの可憐な佇まいは来園者への気遣いのような気がしたし、夜空を見上げる様が健気に思えたからだ。あと、何となく、ビオラのひたむきな様が、あの、どこまでも澄んだあの子を思い出したから。
(……ボク、も、綺麗だと、思った……)
庭園が領民向けに開放される前に巡ったユズも彼らの方を好んだ。
まるで夜空を見上げているようで、その姿が自分みたいに思えたから、庭園の中で最も心に残ったのだ。
(他の花も、綺麗、だった。けど)
ユズが庭園に咲く彼らへ想いを馳せている間にも庭園の花の話題は変わっていく。
「君達はどの花がお気に召したかな」
「私は秋桜を楽しみました」
「俺はナデシコです。品種は違うと思いますが、シャルガネでもよく見た花なので……」
エクスリオへ話を振られ、ルベアと江流がそれぞれその名を挙げた。
故郷でも見かけた花は、やはり馴染みがあるらしく、庭園で見た彼らの感想を伝えていく。
「私は、薔薇ですねぇ。薔薇の蜂蜜を使ったフィナンシェ美味しかったですし」
ギーゼラは薔薇の蜂蜜のフィナンシェがお気に召したらしく、薔薇の名を挙げた。他にもお気に召した蜂蜜所以の花を挙げていく。
「僕は蓮華の蜂蜜を使ったチーズのクラフティが紅茶にも合っていたので、好きです」
すると、ハーヴィが続き、味の感想を伝えた。
江流の月見団子と煎茶は既に売り切れとあり、シルヴィアがここへ来る際に手配した料理やスイーツが席巻しているが、これらが余ったりする心配は不要そうだ。
料理人も作った甲斐があるだろうとシルヴィアは微笑みを浮かべる。
「あとで料理人に伝えておくよ。多少だったらお土産に持って帰れるよう頼んでおく」
「ありがとうございます。ふ、ふふふ……」
先程から甘いものだけで食べているギーゼラ、肉や野菜は言われなければ食べない気満々。
打ち上げの席だから特に言う者もないので、甘いもの食べ放題であった。
●
エクスリオがは蒼玉騎士団の長に呼ばれ、場を外していく。
上空を見上げたシルヴィアが月の位置を確認し、 クランペラーの瓶を取り出した。
「さて、月も真上で輝き出したことだし、何か余興をしないか? 盛り上げてくれた人にはこの名酒を注ごう」
「僕、利き蜂蜜したいですねぇ」
ギーゼラが名乗りを上げる。
カペルの侯爵令嬢なら十分手配可能だが、どう考えても自分の趣味と実益重視の余興である。シルヴィアのお陰で打ち上げも豪華でいいと思っている彼女、現在までの間甘いものしか食べていない。
故にシルヴィアはそこをさらりと受け流し、気づけばギーゼラの足置き場となっているリリリリスを見た。
「それは、ありなの?」
「お目汚し失礼しました」
ルベアが思わず尋ねると、ギーゼラが力を込めてリリリリスを踏み抜いてテーブルの下へ追いやった。
ちらっと見た限り、幸せそうだったので、リリリリスにはご褒美らしい。
ふと、彼らを見つめていた江流が呟いた。
「何年か経っても――こういう輪の中にいられるだろうか」
ルベアが思わず江流の顔を見る。
彼は支えたいと願う彼女の婚約者の内定を得た。このまま彼が望めば彼の立場は大きく変わるだろう。そうなった時、自分はこういう輪の中にいることが許されるのかは判らない。
そうでなくとも……戦いの中で誰かが命を落とせば今日と同じ者で時を共にすることはできない。
「だからこそ、意義があると言ったのは江流さんでは?」
「そうだな。同じ時はないからこそ意義がある。明日になれば今日は還らない。なら、悔いなく過ごすしかないな」
ルベアがそう言うと、江流は「今日はルベアに先を越されてばかりだ」と笑った。
ハーヴィがクアトロフォルマッジ《4種のチーズと蜂蜜のピッツァ》を食べ終えた時には、ユズの姿が見当たらない。エクスリオとの歓談が賑やかであった分、1人静かな場所を求めたのだろう。
(探しに行こう)
庭園は一般開放されているが、このテラスや邸宅の中はそうではない。テラスで賑やかな時を過ごしたのならば――
(あ、いたいた。予想通り)
ユズは宿泊にと提供された離れに続く廊下にいた。
窓から見えるのは狩猟月に寄り添う数多の星々で、ハーヴィはそっと隣に立って、ユズと共に夜空を見上げる。
「……ハーヴィ。来たん、だ。もう、楽しまなくて、いい、の?」
月と星が輝く夜空を見て安心している様子のユズは、賑やかなのを好むハーヴィへ気遣う言葉を投げた。
十分楽しめました、とハーヴィは笑った後、しばし沈黙が場に下り、表の喧騒はまるで別世界の音のようだ。
「今回、一緒に戦えて嬉しかったです」
暫くして、ハーヴィがぽつりとそう言った。
「2人共大怪我しちゃいましたけどね?」
「こちら、こそ。来てくれ、て、ありがとう」
大怪我しても、2人共無事だった。占っていてもその未来にやってこれたことがユズには嬉しい。
星が瞬いても未来の道筋に確定はなく、何がどう作用して未来が途絶えるかなんてユズにも判らないからだ。
「……師匠には、聞きたいことがあって」
「聞きたい、こと?」
ユズが問うと、ハーヴィは月の向こうに想いを馳せるようにその言葉を口にした。
「……実は僕、守りたい子がいるんです」
ハーヴィの告白へ気持ちに応えられないと彼女は言った。
答えを定めている彼女の心はどこまでも澄んでいて、そして自分なんかよりも強い。それでも彼女には幸せで在って欲しくて、どんなことがあっても味方であろうと誓った。
けれども、この誓いを果たす時――大怪我じゃ済まないかもしれない。
「……どんな未来が待っていても、師匠は僕のこと、送り出してくれますか」
ユズはハーヴィを見る。
どのような未来が待っていても、ハーヴィはその道を選ぶだろう。弟子は星を定めたと言ってもいい。
「そっか」
星を定めた者へユズは反対などしない。
「……君が決めたこと、だから。ボクは、送り出す、よ」
星を定めたのにその星を落としたら、間違いなくハーヴィはハーヴィでなくなる。ユズが弟子としたハーヴィは仮に生きていてもそれはもうハーヴィではない。
ふと、ユズは水晶球を見つめた。
「……星の囁きが聞こえてきます」
ユズの透明な声が小さく響いた。
「自分の目指すべき道筋を見極めた先に貴方が貴方である所以が見つかるでしょう」
それはユズからの応援であった。
驚くハーヴィへユズから星の囁きを告げていく。
その囁きでどのような未来に至るかはハーヴィ自身――ユズは想いを抱える弟子へそう言った。
狩猟月は星の囁きも彼らが交わした会話も割り込む無粋な真似はせず、ただ、ただ、沈黙を保っていた。
●
日が変わる頃、月覧会も終わり、カペル侯爵邸には静寂が戻っていた。
シルヴィアは皆を離れに送り届けた後、テラスへ足を運ぶ。
「お父様」
フルートを奏でていたエクスリオはその手を止め、娘を手招いた。
「この度の件、お父様には配慮いただき、感謝しております」
「シルヴィアの感謝は爵位を継いだ後にたっぷり返してもらうから」
爵位を継ぐにはシルヴィアがどのような戦いに赴いても生還することが絶対条件だ。
どのような言葉を紡いだとしてもシルヴィアは戦いから逃げることなどしないし、そのような者は次代の『蒼玉侯』ではない。
湖に太陽を映したこの地を収める者は、何者でもなかった父祖と同じ情熱を灯し、今を駆け抜ける者でなければならない。
けれども――同時に、エクスリオは父親でもあった。
「また、皆でまた打ち上げられるように帰ってきなさい」
「……はい」
狩猟月は、来年の彼らがどのような物語を紡いでいるかを語らない。
けれども、寄り添う星々と共に彼らの未来を信じている――