ささやかな陽だまりへ
キャラクターノベル(グループ)制作 鍵島納品 2023年06月21日 07時59分25秒
灰がかる雲がリブラネスタの頭上で広がっている。春よりも些か冷たい風が、肌を撫でた。
雨の気配。直にこの体へも冷えた水の粒が落ちてくるだろう。
明確な行き先を決めることなく冒険者街で歩を進めていたナハティガル=ラーが、緩慢に空を見上げて立ち止まる。
憂愁に沈む金色の眼が、雨に備え店先を片付け始める露店の並びを一瞥した。
――今年の誕生日の贈り物は何にするべきか?
上背のある美丈夫が憂いを含んだ表情で以て、斯様な思いを抱いているなど誰が知れよう。
露店に留まらず雑多な店が居並ぶこの冒険者街。
練り歩いて如何ほどの時間を費やしてなお、未だ晴れることのないナハティガルの顔。目当ての"モノ"を見つけることは、生憎と叶っていない。
見目華やかで甘い菓子? ……喜ぶかもしれないが、あまり特別感を感じられない。
美しい宝石が輝く宝飾品? ……普段の服飾を鑑みるに、気に入るとは限らない。
整った面立ちは唇を強く引き結んだまま、茫洋と遥か北西の空に浮かぶ黒雲を睨めつける。
彼は途方に暮れていた。
彼女の誕生日はもう明日だ。刻一刻と流れる時間は、どうしたって待ってくれない。
雨雲が迫る冒険者街、ぐるぐると渦巻く課題に頭を悩ませたところでただ雨が降ってくるだけ。
そう、項垂れるべく視線を落としかけた刹那。
きゃん! 足元から甲高い鳴き声が響き、鼓膜を突いた。
気付くと、子どもでも軽々と抱えられそうなほどの小さな子犬がいるではないか。
細身の首輪からだらんと垂れた綱が、何処からか伸びている。元を辿れば、建物の合間にある露店から伸びていることが判った。
きゃんきゃんくぅん。纏わりついて離れないばかりか、遊べ遊べと乞うように鳴いている。
「どうですか? その子犬。白くて目立つ上に汚れやすいから、買い手がいないんですよ」
怪しげな露店の主と思しき人物が、綱の端を持った手をひらひらと振って見せた。
小さい、命。
「なんて種類だったかな……あぁ、ポメラニアンとか。そんな名前の種だったかと」
ナハティガルの返事を待たずにあれこれと喋りながら、露店の主が悠然とした足取りで彼の傍らへ歩み寄る。
短い前足で靴先をふみふみと足踏みする子犬は、とても可愛らしいと思えた。
別の言い方を敢えてするなら、見捨てられないよう精一杯縋っているとも。
少し薄汚れているが、所々に見える真白の毛。大きな黒い瞳は、何も知らない幼子のようにきらきらと輝いている。
「……いかがですか?」
綱の先を差し出された瞬、陽だまりのなか笑顔で子犬を抱く少女の姿が脳裏を過って。
ゲルダは犬好きだろうか。
気付いた時、ナハティガルは相応の対価と共に子犬を買い上げていた。
●
待ち合わせは、花の咲き乱れる庭園を望める洒落た店のテラス席。
言いようのない緊張感と、弾みたがる胸の内。複雑な心を携えたゲルダ・クラインは、ほかりと湯気の立つ花茶のポットを前に大人しく座していた。
今日は運がいい、雨季のなかの晴れ間なのだから。庭園に射す太陽の光が色とりどりの花々を照らす光景に、ゲルダの唇が弧を描く。
依頼を終えて見繕えたささやかな時間、顔を合わせられたら、さいしょになんて言おうかな。
陽が温めた風に金色の髪がなびく。気にするように前髪を少し整えて……来店を示す店先のベルが鳴るのに、つい顔を其方へと向けた。
嬉しいことに、店の戸を潜って来たのは待ち合わせを約束したナハティガルその人だ。
遠目に見つけてすぐ、何をせずともゲルダの顔が花開くように明らむ。声を掛けようとした折のこと。
「きゃん!」
とうていナハティガルからは聞いたこともない、甲高い鳴き声が飛んできた。
吃驚して固まるゲルダをよそに、続けてきゃんと聞こえてくる。声のもと、声の、もと。
視線を少しばかり移ろわせる。傍までやってきたナハティガルと、彼の胸元辺りで抱かれている小さな小さな白いけだま。……否、小さな存在をはっきりと視界に捉えた。
「……こいぬ……?」
ゲルダから認識された途端、ナハティガルの胸元にいる子犬が、口角を上げて笑顔を浮かべた。
犬も、笑うんだぁ……。
初めて知った、と。見入るゲルダの意識が、控えめに咳払いをするナハティガルへと向いた。
「……誕生日に、何を贈ろうかと迷った時。この子犬を見て、……ゲルダの姿が目に浮かんだ」
手入れをしてもらえたばかりなのだろう。真白のふわふわな被毛に、首元にゆったりと巻かれた空色のリボンが可愛らしい。
新緑色の瞳がぱちりと瞬いて、嬉しそうなその子犬と、とつとつと語ったナハティガルを改めて見遣る。
すぅ、小さく息を吸って、吐いて。言葉を選ぶべく時間を貰って。
「ありがとうございます、ナハティガル様――っわ!」
顔を上げて笑みを湛えるゲルダの懐を目掛けて、子犬が宙を跳んだ。
どうやら、少女の懐の方が居心地が良さそうだと判じたらしい。
ナハティガルの腕からするりと抜けると、反射的に受け取ったゲルダの膝上に尻を据えた。
「……受け取ってもらえるか?」
すっかり腕の中が寂しくなったナハティガルだが、きゅんきゅんくぅんと甘えだすやんちゃな子犬に僅かに眉を上げて。
問われるゲルダは、おずおずと小さな命を胸に抱く。
まるで造られたぬいぐるみのように可愛らしいが。こんなにも温かくて、ひとつの小さな命が確固として此処に在るのだと実感させられる。
「ふ、ふふ」
優しく抱きしめていると、子犬がぺろぺろとゲルダの頬を舐める。
くすぐったそうに肩を揺すらせ、そっと背筋を伸ばして子犬と顔の距離を取った。
「もちろんです。……たいせつに、大切に。この子を育てていきます」
いつだって偽りの無いゲルダの声は澄んだ空のように心地良く、浮かべた笑みは雨季の束の間に射す太陽のように眩しい。
「……あぁ。改めて、――」
「きゃん!!」
ささやかな茶話会に、雰囲気を読まない子犬の鳴き声が響いてナハティガルの言葉尻を食う。
さながら、とっとと席に着けと言わんばかりの。
どちらとも無く視線を合わせる。一寸訪れたその静寂を、鈴の鳴るようなゲルダの笑い声が破った。
●
きゃん、きゃん。きゃうん!
庭先の開けた場所で、ふわりふわりと舞い踊る蝶を相手に翻弄されている。
蜜の掛かったゴーフルをもくもく食べつつ、植わる草花の上でころころこてんと転がる子犬を視線で追いかけて。
香りの良い花茶を一口。喉を潤わせたナハティガルが、思い出したように口を開いた。
「性別は、たしか……雌。生後三カ月ほど……」
「女の子なんですね」
「……とても元気だな」
昨日買い上げてすぐ綺麗にしたというのに、もうあんな砂ぼこりにまみれている。
声色の中に僅かな渋みを含ませたナハティガルが、肩を竦めて眉宇を寄せた。
「……あら?」
ぱたぱたと短い足をばたつかせて、子犬がゲルダの足元へ駆け寄ってくる。
抱っこしてくれとせがむ頭部、丁度耳と耳の間の頭頂に、白い小ぶりの花びらが幾つもひっついていた。
かわいらしい。リナリアのお花、まだ咲いていたのね。
背を丸めて覗き込むゲルダの横。花茶のおかわりを持って来た、この店を営む女性が楽しそうに笑って告げる。
リナリアの、花。
服が汚れることを厭わず、ゲルダをそっと腕を伸ばして子犬を抱きあげた。
「あなたは、リナリア。リナリアのお花が、とっても似合いますから……!」
雨の気配。直にこの体へも冷えた水の粒が落ちてくるだろう。
明確な行き先を決めることなく冒険者街で歩を進めていたナハティガル=ラーが、緩慢に空を見上げて立ち止まる。
憂愁に沈む金色の眼が、雨に備え店先を片付け始める露店の並びを一瞥した。
――今年の誕生日の贈り物は何にするべきか?
上背のある美丈夫が憂いを含んだ表情で以て、斯様な思いを抱いているなど誰が知れよう。
露店に留まらず雑多な店が居並ぶこの冒険者街。
練り歩いて如何ほどの時間を費やしてなお、未だ晴れることのないナハティガルの顔。目当ての"モノ"を見つけることは、生憎と叶っていない。
見目華やかで甘い菓子? ……喜ぶかもしれないが、あまり特別感を感じられない。
美しい宝石が輝く宝飾品? ……普段の服飾を鑑みるに、気に入るとは限らない。
整った面立ちは唇を強く引き結んだまま、茫洋と遥か北西の空に浮かぶ黒雲を睨めつける。
彼は途方に暮れていた。
彼女の誕生日はもう明日だ。刻一刻と流れる時間は、どうしたって待ってくれない。
雨雲が迫る冒険者街、ぐるぐると渦巻く課題に頭を悩ませたところでただ雨が降ってくるだけ。
そう、項垂れるべく視線を落としかけた刹那。
きゃん! 足元から甲高い鳴き声が響き、鼓膜を突いた。
気付くと、子どもでも軽々と抱えられそうなほどの小さな子犬がいるではないか。
細身の首輪からだらんと垂れた綱が、何処からか伸びている。元を辿れば、建物の合間にある露店から伸びていることが判った。
きゃんきゃんくぅん。纏わりついて離れないばかりか、遊べ遊べと乞うように鳴いている。
「どうですか? その子犬。白くて目立つ上に汚れやすいから、買い手がいないんですよ」
怪しげな露店の主と思しき人物が、綱の端を持った手をひらひらと振って見せた。
小さい、命。
「なんて種類だったかな……あぁ、ポメラニアンとか。そんな名前の種だったかと」
ナハティガルの返事を待たずにあれこれと喋りながら、露店の主が悠然とした足取りで彼の傍らへ歩み寄る。
短い前足で靴先をふみふみと足踏みする子犬は、とても可愛らしいと思えた。
別の言い方を敢えてするなら、見捨てられないよう精一杯縋っているとも。
少し薄汚れているが、所々に見える真白の毛。大きな黒い瞳は、何も知らない幼子のようにきらきらと輝いている。
「……いかがですか?」
綱の先を差し出された瞬、陽だまりのなか笑顔で子犬を抱く少女の姿が脳裏を過って。
ゲルダは犬好きだろうか。
気付いた時、ナハティガルは相応の対価と共に子犬を買い上げていた。
●
待ち合わせは、花の咲き乱れる庭園を望める洒落た店のテラス席。
言いようのない緊張感と、弾みたがる胸の内。複雑な心を携えたゲルダ・クラインは、ほかりと湯気の立つ花茶のポットを前に大人しく座していた。
今日は運がいい、雨季のなかの晴れ間なのだから。庭園に射す太陽の光が色とりどりの花々を照らす光景に、ゲルダの唇が弧を描く。
依頼を終えて見繕えたささやかな時間、顔を合わせられたら、さいしょになんて言おうかな。
陽が温めた風に金色の髪がなびく。気にするように前髪を少し整えて……来店を示す店先のベルが鳴るのに、つい顔を其方へと向けた。
嬉しいことに、店の戸を潜って来たのは待ち合わせを約束したナハティガルその人だ。
遠目に見つけてすぐ、何をせずともゲルダの顔が花開くように明らむ。声を掛けようとした折のこと。
「きゃん!」
とうていナハティガルからは聞いたこともない、甲高い鳴き声が飛んできた。
吃驚して固まるゲルダをよそに、続けてきゃんと聞こえてくる。声のもと、声の、もと。
視線を少しばかり移ろわせる。傍までやってきたナハティガルと、彼の胸元辺りで抱かれている小さな小さな白いけだま。……否、小さな存在をはっきりと視界に捉えた。
「……こいぬ……?」
ゲルダから認識された途端、ナハティガルの胸元にいる子犬が、口角を上げて笑顔を浮かべた。
犬も、笑うんだぁ……。
初めて知った、と。見入るゲルダの意識が、控えめに咳払いをするナハティガルへと向いた。
「……誕生日に、何を贈ろうかと迷った時。この子犬を見て、……ゲルダの姿が目に浮かんだ」
手入れをしてもらえたばかりなのだろう。真白のふわふわな被毛に、首元にゆったりと巻かれた空色のリボンが可愛らしい。
新緑色の瞳がぱちりと瞬いて、嬉しそうなその子犬と、とつとつと語ったナハティガルを改めて見遣る。
すぅ、小さく息を吸って、吐いて。言葉を選ぶべく時間を貰って。
「ありがとうございます、ナハティガル様――っわ!」
顔を上げて笑みを湛えるゲルダの懐を目掛けて、子犬が宙を跳んだ。
どうやら、少女の懐の方が居心地が良さそうだと判じたらしい。
ナハティガルの腕からするりと抜けると、反射的に受け取ったゲルダの膝上に尻を据えた。
「……受け取ってもらえるか?」
すっかり腕の中が寂しくなったナハティガルだが、きゅんきゅんくぅんと甘えだすやんちゃな子犬に僅かに眉を上げて。
問われるゲルダは、おずおずと小さな命を胸に抱く。
まるで造られたぬいぐるみのように可愛らしいが。こんなにも温かくて、ひとつの小さな命が確固として此処に在るのだと実感させられる。
「ふ、ふふ」
優しく抱きしめていると、子犬がぺろぺろとゲルダの頬を舐める。
くすぐったそうに肩を揺すらせ、そっと背筋を伸ばして子犬と顔の距離を取った。
「もちろんです。……たいせつに、大切に。この子を育てていきます」
いつだって偽りの無いゲルダの声は澄んだ空のように心地良く、浮かべた笑みは雨季の束の間に射す太陽のように眩しい。
「……あぁ。改めて、――」
「きゃん!!」
ささやかな茶話会に、雰囲気を読まない子犬の鳴き声が響いてナハティガルの言葉尻を食う。
さながら、とっとと席に着けと言わんばかりの。
どちらとも無く視線を合わせる。一寸訪れたその静寂を、鈴の鳴るようなゲルダの笑い声が破った。
●
きゃん、きゃん。きゃうん!
庭先の開けた場所で、ふわりふわりと舞い踊る蝶を相手に翻弄されている。
蜜の掛かったゴーフルをもくもく食べつつ、植わる草花の上でころころこてんと転がる子犬を視線で追いかけて。
香りの良い花茶を一口。喉を潤わせたナハティガルが、思い出したように口を開いた。
「性別は、たしか……雌。生後三カ月ほど……」
「女の子なんですね」
「……とても元気だな」
昨日買い上げてすぐ綺麗にしたというのに、もうあんな砂ぼこりにまみれている。
声色の中に僅かな渋みを含ませたナハティガルが、肩を竦めて眉宇を寄せた。
「……あら?」
ぱたぱたと短い足をばたつかせて、子犬がゲルダの足元へ駆け寄ってくる。
抱っこしてくれとせがむ頭部、丁度耳と耳の間の頭頂に、白い小ぶりの花びらが幾つもひっついていた。
かわいらしい。リナリアのお花、まだ咲いていたのね。
背を丸めて覗き込むゲルダの横。花茶のおかわりを持って来た、この店を営む女性が楽しそうに笑って告げる。
リナリアの、花。
服が汚れることを厭わず、ゲルダをそっと腕を伸ばして子犬を抱きあげた。
「あなたは、リナリア。リナリアのお花が、とっても似合いますから……!」