紅翠の比翼、翠玉の天
キャラクターノベル(グループ)制作 弓月 蒼納品 2023年06月08日 12時53分31秒
●比翼は競い合いながら
『学園』――――教室棟の外れ。下手人は三人。いずれも、貴族。
「――――さて、流石にそれはない。この意味が分かって貰えるかな」
「お待ちを。これは私コーダイ伯爵家嫡男。モーリス・コーダイの指示による物。
同じ王党派であるヴェルジー伯の御令息とあらば、この意味は、お分かり頂けるかと」
修羅場、である。いじめの現場、などという物は得てしてそんなものだが。
この教育機関ではそれを行う貴族の立場によって白も黒に。黒も白になり得る。
こういった場合、“同じ派閥”と言うのは輪を掛けて面倒だ。家格が近ければ尚更に。
相手の貴族社会での立ち位置が分からないとなると、最悪――――兄や父に迷惑が掛かる。
現社交界における各貴族間の力学の実態など、本拠をあくまで『学園』に置いている彼。
『指し手』ジュスト・ヴェルジーに完全に把握しておけ、と言うのは幾らなんでも無理が過ぎる。
相手も、それを理解した上で挑発している訳だ。“家族の顔に泥を塗っても良いのか?”と。
「なるほど。ならモーリス殿、俺はこう答えない訳にはいかない。"まるで分からない"」
「なっ! 貴様――――」
「上級生に“貴様”は無いだろうモーリス殿。俺はこれで生徒会副会長、なんて物に選任されていてね。
選挙の結果だ、期待に応える義務がある。君の“派閥間の争いを助長する行為”は、看過出来ない」
眼前、焼却炉で燃やされそうになっているのは貴重な大図書館の蔵書だ。
とある貴族令息が借りている物であり、紛失したとなれば当然その令息と実家の名誉に傷が付く。
いじめ、と一言で片付けるには悪意が過ぎる。敵対派閥には何をしても良い、と考える偏った思想。
それは王党派、貴族派を問わず『王国』貴族には珍しくもない物だが――――
「何の実権も持っていない生徒会風情が何を偉そうに――――」
「そうだね。だから君は俺の目の前でその蔵書を焼き払うと良い。
俺は、俺の名誉に掛けて君がそれを焼き払った現場を見たと"校長"に報告しよう」
「はっ! 伯爵家の次男如きの証言にどれほどの信憑性があると。こちらは3人なんだが?」
勿論。数の論理なんて物は遠目にその姿を確認した時から考慮に入れている。
貴族と言う人種は周到だ。何か突発的事故が起きた時、即時自分が優位に立てる様計らっている。
そんなことは、貴族令息と呼ばれる時代から"出来て当たり前"の備えだ。
でなければ――――こんな、魑魅魍魎しか居ない奈落の底の様な世界で、まともに息が出来るものか。
「そう、3人」
――――けれど。まだまだ甘ったるい。酸いも苦みも足りない。俺の知る戦場には程遠い。
と言うか。
"そんな程度の優位性で調子に乗ってしまうから、君は勝ち馬に乗れないんだよ"
■
『私の全ては彼のもの』ローザリカ・L・ディオールはうんざりした体で教書を眺めた。
今日の講義で使う頁が切り取られている。恐らく先の教室移動の時だ。
良くも悪くも、彼女は『学園』内に“敵”が多い。と言うより、最近特に増えている。
それは主に彼女の婚約者の所為とも言えるし、彼女自身に所以があるとも言える。
先ず、両名は学園内で仲睦まじい姿を公にし過ぎた。それは秘すれば花とも言われる。
いわゆる“王国貴族令嬢の規範”を逸脱する物で、革新的な流れに否を唱える古式ゆかしい。
つまり歴史ある貴族の家からすれば大変目に障るそれとして、不要な知名度を得てしまう程に。
次にローザリカの家、ディオール伯爵家は商人貴族などと揶揄される、ある種独特な家風だ。
これもまた、領地運営こそ貴族の本道と考える多くの貴族からすれば、如何にも成り上がり物と映る。
そこに来て彼女の婚約者の家、ヴェルジー伯爵家は王国に栄えある“始まりの百家”の一角。
ジュスト当人も浮名の激しい色男と来れば――――伯爵家の次男、という立場ですら。
潜在的嫉妬は水面下で蓄積していた。羨望が悪意に転じるには十分過ぎるほどに。
其処に来て。ジュストが侯爵家の跡取りに指名されたという噂は、静かに何処かから流出した。
いや……最早何処かから。などと惚けることすらも馬鹿馬鹿しい。
“側室迎えることを考えなさい”――――とは一体誰の言だったか。有言実行は彼女の性だ。
フォスティーヌ・ケレスは彼女に優しい……を通り越し甘いが。さりとて貴族の本分を見失う程ではない。
(……この程度の窮地、自力で乗り越えられなければ“お話にならない”……と、いうことだ)
嫌がらせ、程度であれば何の痛痒も……憶えない、わけない。鋼の如く見せるローザリカの精神性。
その耐久度は案外ゆるゆるだ。必死に鍍金で塗り固めなければ膝から崩れそうなほどに。
けれども。今、この激動の世情下で戦っているのは彼女だけではない。
そして、いつでも余計な意地を張り、彼女の前ではあくまで"一人前の男"として振る舞おうとする。
そんな彼女にとって、掛け替えの無い婚約者が他の誰でもない。彼女に手助けを頼んだのだ。
こんなところで――――臆病風に吹かれている暇などあるものか。
「失礼、私少々買い忘れていた書物がある事を思い出しましたの。少し購買まで付き合ってくれませんかしら」
幸い。教室内は敵ばかりではない。派閥も様々立場も様々。こういう時、中立派という立場は気安い。
王国貴族の令嬢という奴は、育ちが良いだけあり敵以外への対応は比較鷹揚だ。
ローザリカがそう声を掛けると、彼女と多少親しい数名の令嬢達が気を使って了承の返事と共に席を立つ。
此度、彼女がすべき役割はこの数名……最低3人の令嬢達を渡り廊下へ運ぶこと。ただ、それだけ。
"あら、あそこに居るのはヴェルジー様ではありませんの?"
"まあ、焼却炉などで何を為さっているのかしら" "焼却炉? あら、まあ本当"
"ええ本当に。我が婚約者殿はあんなところで一体誰と揉めているのかしら――――ね"
■
「――――坊っちゃん」
「分かってる」
「……ジュスト様」
「分かってる。分かってる分かってる分かってる。でもほら、俺は上手くやっただろう?
派閥間の問題を事前に解決、王党派側の被害も最小限、草葉の陰で泣いてる下級生も無し、な?」
大仰に嘆息するヴェルジー伯爵家侍従ロイク・アベイユに。
ジュストは大きく掌を見せてはタネも仕掛けも有りません、といった風情。
とは言え割とギリギリ、危ない橋を渡った自覚は有るのだろう。
周囲に誰も居ない事を確認すると、続けて生徒会室の机にべたーっと突っ伏すジュスト。
「幾ら可愛がってる後輩の窮地、と言っても坊っちゃんが其処まで身を切る必要が有ったんですかぁ」
「不良貴族を取り締まれば生徒会役員としての成果になる。序でに『夜鷹侯』へ恩も売れる。
一石二鳥とは、シャルガネの人達もまあ面白い言葉を思いつくもんだよね」
実際問題。もしも此度の状況が綺麗に片付かなかった場合。
彼が目を掛けている後輩。ジーベック・ファルゲンは相応の責任を取らされていたに違いない。
彼は交友関係が殊更狭い。貴族社会において孤高は美徳たり得ない。
最悪なのが、周囲より年少かつそんな立場で学業成績だけは悪目立ちするほど優秀という事実だ。
貴族、という恵まれた環境で育った人間。特に若年層は他者と比較される事が少ない。
そんな根拠の無い気位の高さは『学園』では、遠からず圧し折られる運命にあるが。
時々……そう。時々、"そうならない"人種と言うのが居る。
勿論、其処には周囲よりずっと多く。ずっと密度の濃い努力と積み重ねがある事は間違いないが。
それが"出来る"という事が最早一種の才能だ。"出来ない者"からすれば羨望を通り越し――――
「行き過ぎた感情は、憎しみへと昇華する……と。まぁ、分かんなくもないですが」
「彼はまだまだ未熟だよ。けれど、それを自覚して必死に殻を破ろうとしている。
意地を張り通そうとしている訳さ。……いやぁさ、こういうのって誰だって放っておけないもんだろ?」
「坊っちゃんはその手の、"我慢強い努力家"に――――ほんと、弱いですよねぇ?」
ぐさり、と痛い所を割と深く突かれたように、ジュストが大いに視線を逸らす。
心当たりは、まあ。無いでもないどころか心当たりしか無いのだ。
しかしまさか。そんなこの『学園』に浮き名を馳せるジュスト・ヴェルジーともあろう物が。
まさか属性が一致すれば男女問わず敬意を憶えるなんて、馬鹿な話があるだろうか。認めたくない。
「いや、違うくて」
「言葉遣いおかしくなってますよぉ」
これは先行き楽しみな後輩への先行投資であり、彼自身の評価を上げる為の施策なのだ。
その為に幾らか危ない橋を渡ったところで後悔はないし――――その程度笑ってこなせなければ。
"我慢強い努力家"の前で、胸を張って自分の傍らに居ろだなんて。言えた物ではないじゃないか。
●高みを目指す雛鳥たち
「うぅん……ローザリカちゃんのしたかったこと……は、分かるのよ?」
下手に、慰められるより言葉を濁される方が辛いこと、というのはままある物だ。
ディオール伯爵家夫人、ジョゼフィーヌ・C・ディオール。即ち実家に座する身内の眼前。
ローザリカは文字通り、針の筵。という体で頭を垂れていた。
まあ、垂れているのも已む無い話ではある。彼女はあまり精神の丈夫な方ではない。
ふてぶてしく、強かに、凛と、毅然と、時に奸計を巡らせて――――と言った貴族令嬢の心構え。
それらを後付けで身につけてこそ居るが、"生粋のそれ"にはどうしても一歩二歩劣る。
其処に来て。彼女が婚約者へ粉を掛ける令嬢達へ備えていたのはあくまで"好敵手"に対する物。
言葉にすればこう言い換えられる。
"お貴族令嬢バトルだ!!圧倒的正妻力でぶっとばしてやる!!"
だが――――現実は。貴族の社交界とは、そうではない。
"あら恐い。そんなに気炎を上げないでローザリカ様私達お友達でしょぶすー"
本気の貴族令嬢は、"仮面を被り、敵でも味方でも無い立場で、後ろから刺すもの"だ。
矢面に立ったりはしない。明確に敵であると表明する者はあくまで二流だ。本物ではない。
そして、今回。ローザリカは彼女の為に尽力する婚約者の為に一芝居打ってその身柄を救った。
その為の人選は、彼女の見立てに於いて"少なくとも敵ではない"と、判断した学友を選んだ。
――――筈だった。
結果、彼女は隠れ潜み彼女の真後ろまで忍び寄っていた間者にみすみす隙を晒した事になる。
恩を売られた。これを仇で返してはディオールの名に傷が付く。と言って相手の要望など明らかだ。
逆を返せば。その様な誰から見ても弱みが有るのに"恩を売られたこと"そのものが失策。
商機を見て時風を読むのがディオールの強みであり、矜持だ。
である以上、自らの行いで生まれた損失は、自らの行いで以て補填しなければならない。
「……何とかしてみせます」
「ええ、大丈夫。ローザリカちゃんなら出来るわ」
ほわほわと笑顔で応じるジョゼフィーヌが、いざ商談となった時どれほどの胆力を見せるか。
その娘である所の彼女は誰より良く知っている。その血が、確かに流れていることを。
「だからほら、もう一回。ね?」
でなければ、"中立派"という後ろ盾の無い立場で新興貴族が伯爵家など名乗り続けられる物か。
青き血の絨毯は、元より己と他者の流した鮮血で彩られているもの。
ジョゼフィーヌのように、そこを笑って歩める者だけが――――己の望みを掴むのだから。
■
「――――ちょっとぶんぶん丸!!!!」
「あぁー、いやそろそろ来るかと思ってたけどねぇ。はいはい何ですかぁウサ子様ぁ?」
「あんま舐めた態度とってるとこのぐーぱんがそのへにゃけた鼻っ柱折っちゃうぞ?」
「はは、そりゃあ恐いですねぇ。そんでぇ――――そっちはどんな感じで?」
互いに対しては然程器用ではない性質の持ち主である、両家の情報交換は主に侍従間で行われる。
現状、ケネス侯爵家とヴェルジー伯爵家の立場、生徒会の責任に加えて自分と彼女の身の安全。
自身の許容量を一杯一杯まで使っているジュストには、精神的な余裕がない。
其処からディオール伯爵家の立場が抜け落ちつつあるのは、優先順的にある種仕方のないことであり。
しかしローザリカを追い詰めるのは必ずしも"彼女自身"の身の回りだけとは限らない。
貴族の交渉と言うのは大抵"家同士の力学"で成り立つ物だ。
見るからに反発の意思を示すローザリカを一足飛びに"ディオール伯爵家"と内々に話を付ける。
その上で、やはりジュストの自由意思など一足飛びに"ヴェルジー伯爵家"と交渉を行う。
それが貴族の社交術でありスマートな権謀術数と言う物だ――――と。ロイクは主から学んでいる。
「どうもこうも無いですよ! ああ、可哀想なお嬢様、最近すっかり食も細くなってしまわれて。
健啖家さは見る陰も無く思い悩む時間ばかり増える始末ってどーう責任とってくれるんですかねえ!!!」
「やべぇうさぎ語、微塵も状況がわかんねぇ。で、とりあえず誰と誰が組んでるんで?」
「んぅー! ……家格は同格。だから、今回私は一切手ぇ出せませんから」
そっぽを向きながらエゼルが差し出した綿紙を指先で開いて一瞥すると。
着火紋具でこれを焼く。証拠隠滅。主が戦っている今、侍従が暇していて良い筈はない。
恐らく、あの苦労人の"坊っちゃん"は婚約者の置かれている窮地を知れば矢も盾もたまらず動くだろう。
結果自分が潰れるまで動き続け、そしていずれ、弱音も吐かず潰れるに違いない。
(それほど――――"ケレスの査定"は甘くない)
内側に居たからこそ、ロイクは重々承知している。今なら真っ向ぶつかっても一矢は報いられようが。
けれどそれは何処までも格下から格上への一矢だ。それでは"主の希望"は護れない
「ま、そんじゃやりますかぁ」
「本当しっかりして下さいよ? ……お嬢様の心の安寧はそっちの飼い主に掛ってるんですから」
「おやぁ? そこにオレ個人への感謝とかは無いんですかねぇ」
「ふ――――ふっざけ、ああもう! この可愛い可愛いエゼルちゃんに頼られるだけで十分でしょう!」
愛飲の煙草にも勝る砂糖菓子の様な香りを振りまいて、地団駄を踏む兎娘を一瞥し。
酒も煙草も無くとも、案外酔える物だと。ロイクはくつくつと声を殺して笑った。
■
「……エゼル」
「はーい、貴方の可愛いエゼルちゃんです!」
間髪入れず、扉が開く。『学園』寮の個室。木目机の上に並んだとある同級生についての調査結果。
その全てが、彼女にとっての障害の1つが"自然消滅"したことを指し示していた。
勿論、ジュストに対する色恋の術策は、多い。1つ消えたからと言って些事に等しい。
が、その1つが今日ローザリカを悩ませていた"家を迂回した婚約交渉"であるとなれば話は別だ。
一体どんな弱みを握れば貴族が。それも伯爵という格の相手が打った手を取り下げるなどとなるのか。
いや――――それについて。貴族令嬢であるローザリカには正直心当たりが有った。
「この、御令嬢の身辺で起こった美人局紛いのいざこざは貴女の仕業?」
「いいえ、お嬢様。こういったえげつないのは、恐らくぶんぶん丸の手管かと」
「ぶんぶ……ジュストの侍従、か」
危うい所を救われた、と言うべきだろうか。いや、今回の一件だけなら恐らく単独でも何とかなった。
彼女の学園内の所属範囲は広い。他所に恩を作る事になるが致命傷は免れ得る。
けれど、こうも"綺麗に"捌けたかとなると答えは否だ。ローザリカには権謀術数の手管が欠ける。
それは、彼女の連れた侍従が物理的制圧力に長けるエゼルであるという点からも伺える。
『学園』は貴族の社交界を反映する小社会だ。此処での学びは学業だけに限定されない。
貴族としての心構え、身嗜み、礼儀礼節。それ以上に――――社交の力学を学ぶ場である。
そういった側面で、ローザリカには悪辣さが足りない。婚約者に預けきって来たからだ。
これまではそれでも良かった。新興貴族の令嬢、同格以下の何処かへ嫁ぐ身の上ならば。
しかし侯爵家へ。つまり高位貴族の一角に名を連ねるとなればそうはいかない。
「……参ったな、この期に及んで婚約者殿に教えを乞うべきか。いや……それは流石に癪に障る」
「そうですそうです。お嬢様があの男に乞うべき教えなど有るわけが有りません!」
「いや、エゼルはもう少しだけジュストの評価を上方修正してくれて良いと思う」
「はい! お嬢様がそう仰るのであれば!」
本当に分かっているのだろうか……と、信頼する侍従を一瞥するも。
改めてローザリカは自らの頬を両手で叩くとエゼルが跳ねる。だが、呆気に取られている場合ではない。
自分の落ち度は分かった。なら次は其処を埋めるだけだ。難しい話ではない。
何せ、こればかりは譲れないのだから。
"継ぐ家が変わっても、俺が隣にいて欲しいのは君だから"
(――――ああ。誰恥じる事なく、私は必ず君の隣に並ぶ)
追憶の中、約束をした。その想いを縁にローザリカは机の上の鏡を見返す。
比翼の彼へ手を伸ばすように赤き伯爵令嬢は拳を握る。何度でも自分へ繰り返そう。こんなのは序の口だ。
嘆くのは後。今は前だけ向いて――――進め。
『学園』――――教室棟の外れ。下手人は三人。いずれも、貴族。
「――――さて、流石にそれはない。この意味が分かって貰えるかな」
「お待ちを。これは私コーダイ伯爵家嫡男。モーリス・コーダイの指示による物。
同じ王党派であるヴェルジー伯の御令息とあらば、この意味は、お分かり頂けるかと」
修羅場、である。いじめの現場、などという物は得てしてそんなものだが。
この教育機関ではそれを行う貴族の立場によって白も黒に。黒も白になり得る。
こういった場合、“同じ派閥”と言うのは輪を掛けて面倒だ。家格が近ければ尚更に。
相手の貴族社会での立ち位置が分からないとなると、最悪――――兄や父に迷惑が掛かる。
現社交界における各貴族間の力学の実態など、本拠をあくまで『学園』に置いている彼。
『指し手』ジュスト・ヴェルジーに完全に把握しておけ、と言うのは幾らなんでも無理が過ぎる。
相手も、それを理解した上で挑発している訳だ。“家族の顔に泥を塗っても良いのか?”と。
「なるほど。ならモーリス殿、俺はこう答えない訳にはいかない。"まるで分からない"」
「なっ! 貴様――――」
「上級生に“貴様”は無いだろうモーリス殿。俺はこれで生徒会副会長、なんて物に選任されていてね。
選挙の結果だ、期待に応える義務がある。君の“派閥間の争いを助長する行為”は、看過出来ない」
眼前、焼却炉で燃やされそうになっているのは貴重な大図書館の蔵書だ。
とある貴族令息が借りている物であり、紛失したとなれば当然その令息と実家の名誉に傷が付く。
いじめ、と一言で片付けるには悪意が過ぎる。敵対派閥には何をしても良い、と考える偏った思想。
それは王党派、貴族派を問わず『王国』貴族には珍しくもない物だが――――
「何の実権も持っていない生徒会風情が何を偉そうに――――」
「そうだね。だから君は俺の目の前でその蔵書を焼き払うと良い。
俺は、俺の名誉に掛けて君がそれを焼き払った現場を見たと"校長"に報告しよう」
「はっ! 伯爵家の次男如きの証言にどれほどの信憑性があると。こちらは3人なんだが?」
勿論。数の論理なんて物は遠目にその姿を確認した時から考慮に入れている。
貴族と言う人種は周到だ。何か突発的事故が起きた時、即時自分が優位に立てる様計らっている。
そんなことは、貴族令息と呼ばれる時代から"出来て当たり前"の備えだ。
でなければ――――こんな、魑魅魍魎しか居ない奈落の底の様な世界で、まともに息が出来るものか。
「そう、3人」
――――けれど。まだまだ甘ったるい。酸いも苦みも足りない。俺の知る戦場には程遠い。
と言うか。
"そんな程度の優位性で調子に乗ってしまうから、君は勝ち馬に乗れないんだよ"
■
『私の全ては彼のもの』ローザリカ・L・ディオールはうんざりした体で教書を眺めた。
今日の講義で使う頁が切り取られている。恐らく先の教室移動の時だ。
良くも悪くも、彼女は『学園』内に“敵”が多い。と言うより、最近特に増えている。
それは主に彼女の婚約者の所為とも言えるし、彼女自身に所以があるとも言える。
先ず、両名は学園内で仲睦まじい姿を公にし過ぎた。それは秘すれば花とも言われる。
いわゆる“王国貴族令嬢の規範”を逸脱する物で、革新的な流れに否を唱える古式ゆかしい。
つまり歴史ある貴族の家からすれば大変目に障るそれとして、不要な知名度を得てしまう程に。
次にローザリカの家、ディオール伯爵家は商人貴族などと揶揄される、ある種独特な家風だ。
これもまた、領地運営こそ貴族の本道と考える多くの貴族からすれば、如何にも成り上がり物と映る。
そこに来て彼女の婚約者の家、ヴェルジー伯爵家は王国に栄えある“始まりの百家”の一角。
ジュスト当人も浮名の激しい色男と来れば――――伯爵家の次男、という立場ですら。
潜在的嫉妬は水面下で蓄積していた。羨望が悪意に転じるには十分過ぎるほどに。
其処に来て。ジュストが侯爵家の跡取りに指名されたという噂は、静かに何処かから流出した。
いや……最早何処かから。などと惚けることすらも馬鹿馬鹿しい。
“側室迎えることを考えなさい”――――とは一体誰の言だったか。有言実行は彼女の性だ。
フォスティーヌ・ケレスは彼女に優しい……を通り越し甘いが。さりとて貴族の本分を見失う程ではない。
(……この程度の窮地、自力で乗り越えられなければ“お話にならない”……と、いうことだ)
嫌がらせ、程度であれば何の痛痒も……憶えない、わけない。鋼の如く見せるローザリカの精神性。
その耐久度は案外ゆるゆるだ。必死に鍍金で塗り固めなければ膝から崩れそうなほどに。
けれども。今、この激動の世情下で戦っているのは彼女だけではない。
そして、いつでも余計な意地を張り、彼女の前ではあくまで"一人前の男"として振る舞おうとする。
そんな彼女にとって、掛け替えの無い婚約者が他の誰でもない。彼女に手助けを頼んだのだ。
こんなところで――――臆病風に吹かれている暇などあるものか。
「失礼、私少々買い忘れていた書物がある事を思い出しましたの。少し購買まで付き合ってくれませんかしら」
幸い。教室内は敵ばかりではない。派閥も様々立場も様々。こういう時、中立派という立場は気安い。
王国貴族の令嬢という奴は、育ちが良いだけあり敵以外への対応は比較鷹揚だ。
ローザリカがそう声を掛けると、彼女と多少親しい数名の令嬢達が気を使って了承の返事と共に席を立つ。
此度、彼女がすべき役割はこの数名……最低3人の令嬢達を渡り廊下へ運ぶこと。ただ、それだけ。
"あら、あそこに居るのはヴェルジー様ではありませんの?"
"まあ、焼却炉などで何を為さっているのかしら" "焼却炉? あら、まあ本当"
"ええ本当に。我が婚約者殿はあんなところで一体誰と揉めているのかしら――――ね"
■
「――――坊っちゃん」
「分かってる」
「……ジュスト様」
「分かってる。分かってる分かってる分かってる。でもほら、俺は上手くやっただろう?
派閥間の問題を事前に解決、王党派側の被害も最小限、草葉の陰で泣いてる下級生も無し、な?」
大仰に嘆息するヴェルジー伯爵家侍従ロイク・アベイユに。
ジュストは大きく掌を見せてはタネも仕掛けも有りません、といった風情。
とは言え割とギリギリ、危ない橋を渡った自覚は有るのだろう。
周囲に誰も居ない事を確認すると、続けて生徒会室の机にべたーっと突っ伏すジュスト。
「幾ら可愛がってる後輩の窮地、と言っても坊っちゃんが其処まで身を切る必要が有ったんですかぁ」
「不良貴族を取り締まれば生徒会役員としての成果になる。序でに『夜鷹侯』へ恩も売れる。
一石二鳥とは、シャルガネの人達もまあ面白い言葉を思いつくもんだよね」
実際問題。もしも此度の状況が綺麗に片付かなかった場合。
彼が目を掛けている後輩。ジーベック・ファルゲンは相応の責任を取らされていたに違いない。
彼は交友関係が殊更狭い。貴族社会において孤高は美徳たり得ない。
最悪なのが、周囲より年少かつそんな立場で学業成績だけは悪目立ちするほど優秀という事実だ。
貴族、という恵まれた環境で育った人間。特に若年層は他者と比較される事が少ない。
そんな根拠の無い気位の高さは『学園』では、遠からず圧し折られる運命にあるが。
時々……そう。時々、"そうならない"人種と言うのが居る。
勿論、其処には周囲よりずっと多く。ずっと密度の濃い努力と積み重ねがある事は間違いないが。
それが"出来る"という事が最早一種の才能だ。"出来ない者"からすれば羨望を通り越し――――
「行き過ぎた感情は、憎しみへと昇華する……と。まぁ、分かんなくもないですが」
「彼はまだまだ未熟だよ。けれど、それを自覚して必死に殻を破ろうとしている。
意地を張り通そうとしている訳さ。……いやぁさ、こういうのって誰だって放っておけないもんだろ?」
「坊っちゃんはその手の、"我慢強い努力家"に――――ほんと、弱いですよねぇ?」
ぐさり、と痛い所を割と深く突かれたように、ジュストが大いに視線を逸らす。
心当たりは、まあ。無いでもないどころか心当たりしか無いのだ。
しかしまさか。そんなこの『学園』に浮き名を馳せるジュスト・ヴェルジーともあろう物が。
まさか属性が一致すれば男女問わず敬意を憶えるなんて、馬鹿な話があるだろうか。認めたくない。
「いや、違うくて」
「言葉遣いおかしくなってますよぉ」
これは先行き楽しみな後輩への先行投資であり、彼自身の評価を上げる為の施策なのだ。
その為に幾らか危ない橋を渡ったところで後悔はないし――――その程度笑ってこなせなければ。
"我慢強い努力家"の前で、胸を張って自分の傍らに居ろだなんて。言えた物ではないじゃないか。
●高みを目指す雛鳥たち
「うぅん……ローザリカちゃんのしたかったこと……は、分かるのよ?」
下手に、慰められるより言葉を濁される方が辛いこと、というのはままある物だ。
ディオール伯爵家夫人、ジョゼフィーヌ・C・ディオール。即ち実家に座する身内の眼前。
ローザリカは文字通り、針の筵。という体で頭を垂れていた。
まあ、垂れているのも已む無い話ではある。彼女はあまり精神の丈夫な方ではない。
ふてぶてしく、強かに、凛と、毅然と、時に奸計を巡らせて――――と言った貴族令嬢の心構え。
それらを後付けで身につけてこそ居るが、"生粋のそれ"にはどうしても一歩二歩劣る。
其処に来て。彼女が婚約者へ粉を掛ける令嬢達へ備えていたのはあくまで"好敵手"に対する物。
言葉にすればこう言い換えられる。
"お貴族令嬢バトルだ!!圧倒的正妻力でぶっとばしてやる!!"
だが――――現実は。貴族の社交界とは、そうではない。
"あら恐い。そんなに気炎を上げないでローザリカ様私達お友達でしょぶすー"
本気の貴族令嬢は、"仮面を被り、敵でも味方でも無い立場で、後ろから刺すもの"だ。
矢面に立ったりはしない。明確に敵であると表明する者はあくまで二流だ。本物ではない。
そして、今回。ローザリカは彼女の為に尽力する婚約者の為に一芝居打ってその身柄を救った。
その為の人選は、彼女の見立てに於いて"少なくとも敵ではない"と、判断した学友を選んだ。
――――筈だった。
結果、彼女は隠れ潜み彼女の真後ろまで忍び寄っていた間者にみすみす隙を晒した事になる。
恩を売られた。これを仇で返してはディオールの名に傷が付く。と言って相手の要望など明らかだ。
逆を返せば。その様な誰から見ても弱みが有るのに"恩を売られたこと"そのものが失策。
商機を見て時風を読むのがディオールの強みであり、矜持だ。
である以上、自らの行いで生まれた損失は、自らの行いで以て補填しなければならない。
「……何とかしてみせます」
「ええ、大丈夫。ローザリカちゃんなら出来るわ」
ほわほわと笑顔で応じるジョゼフィーヌが、いざ商談となった時どれほどの胆力を見せるか。
その娘である所の彼女は誰より良く知っている。その血が、確かに流れていることを。
「だからほら、もう一回。ね?」
でなければ、"中立派"という後ろ盾の無い立場で新興貴族が伯爵家など名乗り続けられる物か。
青き血の絨毯は、元より己と他者の流した鮮血で彩られているもの。
ジョゼフィーヌのように、そこを笑って歩める者だけが――――己の望みを掴むのだから。
■
「――――ちょっとぶんぶん丸!!!!」
「あぁー、いやそろそろ来るかと思ってたけどねぇ。はいはい何ですかぁウサ子様ぁ?」
「あんま舐めた態度とってるとこのぐーぱんがそのへにゃけた鼻っ柱折っちゃうぞ?」
「はは、そりゃあ恐いですねぇ。そんでぇ――――そっちはどんな感じで?」
互いに対しては然程器用ではない性質の持ち主である、両家の情報交換は主に侍従間で行われる。
現状、ケネス侯爵家とヴェルジー伯爵家の立場、生徒会の責任に加えて自分と彼女の身の安全。
自身の許容量を一杯一杯まで使っているジュストには、精神的な余裕がない。
其処からディオール伯爵家の立場が抜け落ちつつあるのは、優先順的にある種仕方のないことであり。
しかしローザリカを追い詰めるのは必ずしも"彼女自身"の身の回りだけとは限らない。
貴族の交渉と言うのは大抵"家同士の力学"で成り立つ物だ。
見るからに反発の意思を示すローザリカを一足飛びに"ディオール伯爵家"と内々に話を付ける。
その上で、やはりジュストの自由意思など一足飛びに"ヴェルジー伯爵家"と交渉を行う。
それが貴族の社交術でありスマートな権謀術数と言う物だ――――と。ロイクは主から学んでいる。
「どうもこうも無いですよ! ああ、可哀想なお嬢様、最近すっかり食も細くなってしまわれて。
健啖家さは見る陰も無く思い悩む時間ばかり増える始末ってどーう責任とってくれるんですかねえ!!!」
「やべぇうさぎ語、微塵も状況がわかんねぇ。で、とりあえず誰と誰が組んでるんで?」
「んぅー! ……家格は同格。だから、今回私は一切手ぇ出せませんから」
そっぽを向きながらエゼルが差し出した綿紙を指先で開いて一瞥すると。
着火紋具でこれを焼く。証拠隠滅。主が戦っている今、侍従が暇していて良い筈はない。
恐らく、あの苦労人の"坊っちゃん"は婚約者の置かれている窮地を知れば矢も盾もたまらず動くだろう。
結果自分が潰れるまで動き続け、そしていずれ、弱音も吐かず潰れるに違いない。
(それほど――――"ケレスの査定"は甘くない)
内側に居たからこそ、ロイクは重々承知している。今なら真っ向ぶつかっても一矢は報いられようが。
けれどそれは何処までも格下から格上への一矢だ。それでは"主の希望"は護れない
「ま、そんじゃやりますかぁ」
「本当しっかりして下さいよ? ……お嬢様の心の安寧はそっちの飼い主に掛ってるんですから」
「おやぁ? そこにオレ個人への感謝とかは無いんですかねぇ」
「ふ――――ふっざけ、ああもう! この可愛い可愛いエゼルちゃんに頼られるだけで十分でしょう!」
愛飲の煙草にも勝る砂糖菓子の様な香りを振りまいて、地団駄を踏む兎娘を一瞥し。
酒も煙草も無くとも、案外酔える物だと。ロイクはくつくつと声を殺して笑った。
■
「……エゼル」
「はーい、貴方の可愛いエゼルちゃんです!」
間髪入れず、扉が開く。『学園』寮の個室。木目机の上に並んだとある同級生についての調査結果。
その全てが、彼女にとっての障害の1つが"自然消滅"したことを指し示していた。
勿論、ジュストに対する色恋の術策は、多い。1つ消えたからと言って些事に等しい。
が、その1つが今日ローザリカを悩ませていた"家を迂回した婚約交渉"であるとなれば話は別だ。
一体どんな弱みを握れば貴族が。それも伯爵という格の相手が打った手を取り下げるなどとなるのか。
いや――――それについて。貴族令嬢であるローザリカには正直心当たりが有った。
「この、御令嬢の身辺で起こった美人局紛いのいざこざは貴女の仕業?」
「いいえ、お嬢様。こういったえげつないのは、恐らくぶんぶん丸の手管かと」
「ぶんぶ……ジュストの侍従、か」
危うい所を救われた、と言うべきだろうか。いや、今回の一件だけなら恐らく単独でも何とかなった。
彼女の学園内の所属範囲は広い。他所に恩を作る事になるが致命傷は免れ得る。
けれど、こうも"綺麗に"捌けたかとなると答えは否だ。ローザリカには権謀術数の手管が欠ける。
それは、彼女の連れた侍従が物理的制圧力に長けるエゼルであるという点からも伺える。
『学園』は貴族の社交界を反映する小社会だ。此処での学びは学業だけに限定されない。
貴族としての心構え、身嗜み、礼儀礼節。それ以上に――――社交の力学を学ぶ場である。
そういった側面で、ローザリカには悪辣さが足りない。婚約者に預けきって来たからだ。
これまではそれでも良かった。新興貴族の令嬢、同格以下の何処かへ嫁ぐ身の上ならば。
しかし侯爵家へ。つまり高位貴族の一角に名を連ねるとなればそうはいかない。
「……参ったな、この期に及んで婚約者殿に教えを乞うべきか。いや……それは流石に癪に障る」
「そうですそうです。お嬢様があの男に乞うべき教えなど有るわけが有りません!」
「いや、エゼルはもう少しだけジュストの評価を上方修正してくれて良いと思う」
「はい! お嬢様がそう仰るのであれば!」
本当に分かっているのだろうか……と、信頼する侍従を一瞥するも。
改めてローザリカは自らの頬を両手で叩くとエゼルが跳ねる。だが、呆気に取られている場合ではない。
自分の落ち度は分かった。なら次は其処を埋めるだけだ。難しい話ではない。
何せ、こればかりは譲れないのだから。
"継ぐ家が変わっても、俺が隣にいて欲しいのは君だから"
(――――ああ。誰恥じる事なく、私は必ず君の隣に並ぶ)
追憶の中、約束をした。その想いを縁にローザリカは机の上の鏡を見返す。
比翼の彼へ手を伸ばすように赤き伯爵令嬢は拳を握る。何度でも自分へ繰り返そう。こんなのは序の口だ。
嘆くのは後。今は前だけ向いて――――進め。