とある午後の『糸』の話
キャラクターノベル(グループ)制作 紀藤トキ納品 2022年03月22日 15時05分21秒
リーンエス王国は階級社会であり、パンクリアース学園はその縮図だ。平民と貴族間の差ばかりがとり上げられるが、上級貴族と下級貴族の間にも容易く越えられぬ垣根がある。
その生まれ持っての格差は、ローザリカ・L・ディオールのディオール家が『イカレた天秤』などと呼ばれる所以でもあった。一見して価値の無い物へ大枚を叩き、隠れた価値を育てて後の利益を得る。商人としてはまっとうな在り様だが、貴族の商売としては普通ではない。普通でない行為をするのが上級貴族であれば『さすがは名門、見事な物よ』と誉めそやされるやもしれぬ。しかし、一面の緑の中に咲く紅い花の如く、下級貴族の群れの中で悪目立ちするばかりなのが、今のディオール家だった。
「ふぅん。商談がしたいって? 僕の事を、知っているのかい?」
「っ……はい。ディオール家の、ローザリカ様ですね」
「そうさ。イカレた天秤のあのディオール家だが、そうと知っての言葉かな?」
言葉に合わせて、一歩前へ。背の高い自分がそうすれば圧が強いとは知っている。小柄なエルフの下級生はびくりと身をすくめたが、見上げる視線は揺らがなかった。
「ディオール家ならば、何でも秤にかけて値段をつけて下さる、と……。そう、聞きました」
「……へぇ」
この少女に興味がわいた。一年生でこの時期なら気の利いた学生は周囲の情報をそれとなくあつめるものだ。ディオールの家名を知るならば、その名にこびり付いた悪評が耳に入っていない筈もないのに、ただ事実のみを切り取った評価が、新鮮ではあった。品の良い所作からするに、エルフとはいえ人間社会で育ったようだ。どういう伝手で学園に入学したのか、あるいは授恵者枠での聴講生か、と思考を巡らせる。
「なるほど。では、まず君の時間を、幾らか買おうか」
「え、どういう……?」
「君がお話に値するかどうか、まずは僕の好奇心を満たして貰おう。ついて来ないなら、それでもいいが」
「いえ。行きます」
小鹿のように足を振るわせつつも、エリカ・プレトリウスは即答した。ディオール家の噂は荒唐無稽な物から当たり障りの無い物までいろいろ耳にしたけれど、身の危険に繋がる様な話は聞いたことが無い。それに、もし少しばかりの危険があるとしても。
(――子爵様の、お役に立てるかもしれない)
身寄りもなく異種族の自分に優しく振舞い、学を与えて機会をくれた。返しきれぬ恩義の、僅かなりと返せるやもしれぬ。きりりと眦を決したエリカの表情に何を思ったか、「そうかい」と、返事を残してローザリカは歩き出した。
●
エリカをローザリカが連れていったのは、昼下がりの学食だった。エリカもしばしば利用する1階を通り抜け、平民には縁のない2階の個室へと。緊張のあまり、ついているかもわからぬ埃をスカートから払う様子を面白そうに眺めつつ、ローザリカは向かいの席を手で示した。
「紅茶に好みは? 無いなら僕に任せてもらうが?」
「あ、大丈夫です。淹れ方は分かります」
「何を言っているんだ。適当に注文するから、座りたまえよ」
そういえばメイドを連れ歩いていないし、午後の時間をというのは自分の世話をしろという意味か、と合点したエリカに苦笑を返すローザリカ。そう言えば自分の都合とペースで振り回して、特に説明もしていなかった。
「さっきの、紡錘だがね。売っている物を見た事はあるし、それを作って出来上がった糸も知っている。ただ、どうやって作っているのかを僕は知らないんだ。君は、使えるんだろう?」
「え、はい。つたないものですが……」
「じゃあ、まずはその話を聞かせて貰えるかな? 対価はとりあえず、この席だ。妥当と思う範囲で切り上げて貰って構わない」
時間を買うと言うのが文字通りの事だったと知り、エリカは目を丸くする。エリカは平民でエルフだ。ローザリカにもそれは分かっている筈で、話をせよと命じればそれで事足りよう。しかし、彼女はそれに値を付けた。貴族と平民ではなく、ヒューマンとエルフでもなく、ただの交渉の相手としてのテーブルに誘われていたと知り、エリカは驚きに揺れる。
(――いえ、もちろん対等と思い上がる事は無いです、が……。少なくとも、売り手と買い手で、いてくださる)
それを威圧とも揶揄いともとらずに、敬意と受け取るエリカもまた普通の感性ではないのだろう。
「そういえば、名前を聞いていなかったね。君の名前は?」
「はい。エリカ・プレトリウスと申します。後援をいただいているのは、シュルトハイス子爵家です」
「もう知っているようだが、僕も名乗っておこう。ディオール家のローザリカだ。よろしく」
かくて、2人の初めての取引が始まったのであった。
●
「なるほど、手元を見ずにできるものなのだね」
「はい。少しくらい太さが異なっていても、後で撚ると均らされますから……」
ローザリカの知識欲は留まる事を知らず、結局、エリカは実演をする事になった。どこでも気晴らしができるよう、小さな綿花のふわふわをカバンの中に持ち歩いているのは、学園生としては異端であろう。が、ローザリカは特に気にした様子が無く楽しげであった。
「ええと、こうしてできた後は、お湯にさらして油を取る方が、良いです」
「なるほど。君、ぬるま湯を……、いや、熱い湯と水差しを持ってきてくれないか? 温度はこちらで調節しよう」
個室付きのメイドは突拍子もない指示になれているのか、一礼して退出する。普通の学園生がサロンラウンジで普段からこんな事をしているとは思えないので、学園が良い従業員を選んでいるのだろう。エリカは申し訳なさそうにそちらへ一礼するも、何となく楽しくなってきても居た。
(こんな私の手遊びを、こんなに真剣に見て下さるなんて不思議な方ですね……)
身分を考えれば、それこそ自領で親方クラスの職人を呼びつけて解説させることだってできる筈だ。エリカのつたない説明よりよほどわかりやすいだろう。けれども、今は彼女の手の動きと言葉に、ローザリカは感嘆の声をあげていた。廊下で見かける肩を張った立ち姿ではなく、楽し気なこちらが素なのだろうか。可愛い、などと考えるのは不敬に当たると首を振り、手元へ再び意識を戻す。
「次は、二本で撚ります。三本以上でもできるのですけれど、今日は道具が足りないので……」
「そうか。……ああ、でもエリカくん、は疲れてはいないかい?」
「いえ。大丈夫です。ありがとうございます」
急に名前で呼んで怯えさせないか等というローザリカの小心な悩みに、エリカは当然気付く事は無く。思いの外楽しい会話に、『疲れているだろうから、続きは明日にまた』と言いたかった本音も察する事は無く。
(せっかく頂いた機会です。子爵様の綿花が、糸になる不思議さをまず楽しんで頂きたいのです)
綿花から糸へ、糸から織物へ。その全ての工程を実演するのは難しくとも、今自分が身に着けている服と合わせて語れば、きっと魅力に気づいてくれる。そこに価値を見出せば、正しく値をつけてもくれるだろう。だから、最後まで興味を途切れさせずに話を聞いて貰おうとエリカは強く思う。それがひいてはエリカの故郷の優しい人たちの雇用になり、子爵様のお力にも慣れる筈だから。
「乾くまで時間が掛かりますけれど、こちらに出来上がった糸がありますから……」
結局、2人はこの日は夕刻まで糸の話をする事になった。
その生まれ持っての格差は、ローザリカ・L・ディオールのディオール家が『イカレた天秤』などと呼ばれる所以でもあった。一見して価値の無い物へ大枚を叩き、隠れた価値を育てて後の利益を得る。商人としてはまっとうな在り様だが、貴族の商売としては普通ではない。普通でない行為をするのが上級貴族であれば『さすがは名門、見事な物よ』と誉めそやされるやもしれぬ。しかし、一面の緑の中に咲く紅い花の如く、下級貴族の群れの中で悪目立ちするばかりなのが、今のディオール家だった。
「ふぅん。商談がしたいって? 僕の事を、知っているのかい?」
「っ……はい。ディオール家の、ローザリカ様ですね」
「そうさ。イカレた天秤のあのディオール家だが、そうと知っての言葉かな?」
言葉に合わせて、一歩前へ。背の高い自分がそうすれば圧が強いとは知っている。小柄なエルフの下級生はびくりと身をすくめたが、見上げる視線は揺らがなかった。
「ディオール家ならば、何でも秤にかけて値段をつけて下さる、と……。そう、聞きました」
「……へぇ」
この少女に興味がわいた。一年生でこの時期なら気の利いた学生は周囲の情報をそれとなくあつめるものだ。ディオールの家名を知るならば、その名にこびり付いた悪評が耳に入っていない筈もないのに、ただ事実のみを切り取った評価が、新鮮ではあった。品の良い所作からするに、エルフとはいえ人間社会で育ったようだ。どういう伝手で学園に入学したのか、あるいは授恵者枠での聴講生か、と思考を巡らせる。
「なるほど。では、まず君の時間を、幾らか買おうか」
「え、どういう……?」
「君がお話に値するかどうか、まずは僕の好奇心を満たして貰おう。ついて来ないなら、それでもいいが」
「いえ。行きます」
小鹿のように足を振るわせつつも、エリカ・プレトリウスは即答した。ディオール家の噂は荒唐無稽な物から当たり障りの無い物までいろいろ耳にしたけれど、身の危険に繋がる様な話は聞いたことが無い。それに、もし少しばかりの危険があるとしても。
(――子爵様の、お役に立てるかもしれない)
身寄りもなく異種族の自分に優しく振舞い、学を与えて機会をくれた。返しきれぬ恩義の、僅かなりと返せるやもしれぬ。きりりと眦を決したエリカの表情に何を思ったか、「そうかい」と、返事を残してローザリカは歩き出した。
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エリカをローザリカが連れていったのは、昼下がりの学食だった。エリカもしばしば利用する1階を通り抜け、平民には縁のない2階の個室へと。緊張のあまり、ついているかもわからぬ埃をスカートから払う様子を面白そうに眺めつつ、ローザリカは向かいの席を手で示した。
「紅茶に好みは? 無いなら僕に任せてもらうが?」
「あ、大丈夫です。淹れ方は分かります」
「何を言っているんだ。適当に注文するから、座りたまえよ」
そういえばメイドを連れ歩いていないし、午後の時間をというのは自分の世話をしろという意味か、と合点したエリカに苦笑を返すローザリカ。そう言えば自分の都合とペースで振り回して、特に説明もしていなかった。
「さっきの、紡錘だがね。売っている物を見た事はあるし、それを作って出来上がった糸も知っている。ただ、どうやって作っているのかを僕は知らないんだ。君は、使えるんだろう?」
「え、はい。つたないものですが……」
「じゃあ、まずはその話を聞かせて貰えるかな? 対価はとりあえず、この席だ。妥当と思う範囲で切り上げて貰って構わない」
時間を買うと言うのが文字通りの事だったと知り、エリカは目を丸くする。エリカは平民でエルフだ。ローザリカにもそれは分かっている筈で、話をせよと命じればそれで事足りよう。しかし、彼女はそれに値を付けた。貴族と平民ではなく、ヒューマンとエルフでもなく、ただの交渉の相手としてのテーブルに誘われていたと知り、エリカは驚きに揺れる。
(――いえ、もちろん対等と思い上がる事は無いです、が……。少なくとも、売り手と買い手で、いてくださる)
それを威圧とも揶揄いともとらずに、敬意と受け取るエリカもまた普通の感性ではないのだろう。
「そういえば、名前を聞いていなかったね。君の名前は?」
「はい。エリカ・プレトリウスと申します。後援をいただいているのは、シュルトハイス子爵家です」
「もう知っているようだが、僕も名乗っておこう。ディオール家のローザリカだ。よろしく」
かくて、2人の初めての取引が始まったのであった。
●
「なるほど、手元を見ずにできるものなのだね」
「はい。少しくらい太さが異なっていても、後で撚ると均らされますから……」
ローザリカの知識欲は留まる事を知らず、結局、エリカは実演をする事になった。どこでも気晴らしができるよう、小さな綿花のふわふわをカバンの中に持ち歩いているのは、学園生としては異端であろう。が、ローザリカは特に気にした様子が無く楽しげであった。
「ええと、こうしてできた後は、お湯にさらして油を取る方が、良いです」
「なるほど。君、ぬるま湯を……、いや、熱い湯と水差しを持ってきてくれないか? 温度はこちらで調節しよう」
個室付きのメイドは突拍子もない指示になれているのか、一礼して退出する。普通の学園生がサロンラウンジで普段からこんな事をしているとは思えないので、学園が良い従業員を選んでいるのだろう。エリカは申し訳なさそうにそちらへ一礼するも、何となく楽しくなってきても居た。
(こんな私の手遊びを、こんなに真剣に見て下さるなんて不思議な方ですね……)
身分を考えれば、それこそ自領で親方クラスの職人を呼びつけて解説させることだってできる筈だ。エリカのつたない説明よりよほどわかりやすいだろう。けれども、今は彼女の手の動きと言葉に、ローザリカは感嘆の声をあげていた。廊下で見かける肩を張った立ち姿ではなく、楽し気なこちらが素なのだろうか。可愛い、などと考えるのは不敬に当たると首を振り、手元へ再び意識を戻す。
「次は、二本で撚ります。三本以上でもできるのですけれど、今日は道具が足りないので……」
「そうか。……ああ、でもエリカくん、は疲れてはいないかい?」
「いえ。大丈夫です。ありがとうございます」
急に名前で呼んで怯えさせないか等というローザリカの小心な悩みに、エリカは当然気付く事は無く。思いの外楽しい会話に、『疲れているだろうから、続きは明日にまた』と言いたかった本音も察する事は無く。
(せっかく頂いた機会です。子爵様の綿花が、糸になる不思議さをまず楽しんで頂きたいのです)
綿花から糸へ、糸から織物へ。その全ての工程を実演するのは難しくとも、今自分が身に着けている服と合わせて語れば、きっと魅力に気づいてくれる。そこに価値を見出せば、正しく値をつけてもくれるだろう。だから、最後まで興味を途切れさせずに話を聞いて貰おうとエリカは強く思う。それがひいてはエリカの故郷の優しい人たちの雇用になり、子爵様のお力にも慣れる筈だから。
「乾くまで時間が掛かりますけれど、こちらに出来上がった糸がありますから……」
結局、2人はこの日は夕刻まで糸の話をする事になった。