クレマチスとスクランブルエッグと
キャラクターノベル(グループ)制作 そうすけ納品 2021年09月29日 16時33分01秒
●
カッ、カッ、カッ、カッ。
ホークでボウルの底をつく尖った音が台所から聞こえてくる。
少し前、ニワトリたちの騒ぐ声が窓の外で聞こえた。坊ちゃんが卵を取ったのだろう。だからたぶん、出てくる料理は玉子焼き。いや、坊ちゃんのことだ。「オレらのイザコザはちょいと置いとこうぜ」、という言葉どおり、食欲のない俺のためにのど滑りのいいスクランブルエッグを作るだろう。
しあわせ色をした、とろっとろの――。
カッ、カッ、カッ、カッ。
まだ怒っているな、とオゴスは思った。ベッドの上で体を起こした途端、開いた唇から呻き声ともため息ともつかない音が出てしまう。
とっさに包帯を巻いた肩を手で抑えた。
先程のやり取りの中で、一体なにが気に障ったのか。ギャメルは難しい年頃だ。俺はいままでと同じように、変わらない態度で接したというのに。
カッ、カッ、カッ、カッ。
(怒りたいのは俺の方ですよ、坊ちゃん)
もう俺の助けはいらないと、たとえ紛い物でも家族の一員のような関係を突然切り捨てたのはギャメルの方ではないか。
ベッドの縁に腰掛けて、窓辺に置かれている花瓶へそろりと腕を伸ばす。
「いてっ」
肩はまだ完全に上がらない。非エーテルの毒は解呪の呪文で癒せないのが厄介だ。仕事は無事やりおおせたものの、久しぶりに 医者の手当てを受け、前後不覚で寝込む羽目になってしまった。
昨夜は隣の家に響くほど大きな声でうなっていたらしい。気づけばギャメルがこちらの顔を見おろしていた。
二人の関係がギクシャクしてからまともに顔を合わせるのは久しぶりだった。だからギャメルが傍にいることに驚いた。どうやって中に、といいかけて、合鍵を渡したままだったことを思い出し、言葉を飲み込んだのは一時間ほど前のことだ。
花瓶に生けたクレマチスの、伸びやかな花びらを指先でそっとつつく。
涼やかに、薄紫の花の影が窓辺で舞う。見舞いの品のオレンジとの色の対比を美しいと思った。
「俺は……どうすりゃいいんでしょうね?」
天を仰ぐように花弁を広げるクレマチスは、優雅さと、どこか儚さを感じさせた恩人によく似ている。少し濁ってデコボコしているガラスの一輪挿しが、色を薄めた秋の空に浮かんだ雲のようだ。
天国にいるあの方に聞いてみたところで返事はないとわかっていても、独り言は止まらない。
「本当はわかっちゃいるんです。あんないいかたをした、俺が大人気なかったって。でもそれは……」
コツリ、と床を踏むかかとの音を耳にして、オゴスは部屋の入り口へ顔を向けた。
おいしそうな匂いがする皿を片手に、ギャメルが立っていた。
「なんだよ。寝て待ってろっていっただろ。なんで起きてんだよ」
痛みもしないのに肩を押さえ、大げさに顔をしかめて返事を誤魔化す。
本当は素直に礼をいいたいのに、心の中の拗ねた小さな子が口に蓋をしてしまう。
●
ギャメルは実用一点張りの殺風景な部屋の中から、折りたたみのテーブルを見つけ出し、ベッドの前に立てた。
そこに、とろとろのスクランブルエッグにパリッとした食用葉、カリカリに焼いたベーコンを盛りつけた一皿と、オレンジを絞ったジュースを置く。シンプルな銀のホークとナイフを皿の脇に添えた。
「食欲なくても食え。でなきゃ、薬が飲めないだろ?」
膝の上に拳を置いたまま押し黙っているオゴスの前に、ずいっと皿を押し出す。
わかっている。オゴスがさっきから押し黙っているのは、傷が痛むからじゃないってことぐらい。
「せっかく作ったんだ。残したら承知しないからな! 食べたら薬を飲んで、もう一度包帯を取り替えるから。早くよくなってもらわなきゃこっちが堪らないんだよ。うんうんうるさくて、夜もおちおち寝ていられねぇからな」
「それりゃあどうもすみませんね、坊ちゃん。偶然隣に住んでいるだけの赤の他人を気にかけてくださるとはお優しいことで」
「坊ちゃんはやめろって。それになんだよ、その――クソ、いまはいいや。病人に怒鳴ったりしたら大人げないもんな。それより早く食べろよ」
ついつい言葉がきつくなってしまう。オゴスもオゴスだ。なにもそんな嫌味ないいかたしなくったっていいじゃないか。
でも、食べてはやく元気になって欲しいのは本心だ。
オゴスはもうオレのこと嫌いかもしれねぇけど、オレは……オレはオゴスを助けたい。
スクランブルエッグには細かく削ったチーズと生クリームを入れてある。生クリームを少し入れると、味にコクガ出るのだ。バターを引いたフライパンをとろ火にかけて、じっくりじっくり仕上げた。
生クリームやバターを作るのがとても大変で、家でも滅多につくらないスペシャルなスクランブルエッグだ。弟や妹たちがこのことを知ったら、きっと食べたかったと騒ぐに違いない。オゴスは怪我をしているから特別だ、といったところで、幼い弟たちは口を尖らせて拗ねるだろう。知られないようにしないと……。
じっと見ていると食べにくいだろう、と思い、ギャメルは薬を飲むための水を汲みに部屋の外へ出た。
本当はオゴスとケンカなんてしたくなかった。
(いつまでも世話になっちゃ悪いって言葉は、オゴスには突然の拒絶に聞こえたのかな)
一人の男として、オゴスを尊敬してるし、もちろん頼りにもしている。けれど、頼りっぱなしじゃあいつまでたってもオゴスと肩を並べることなんてできないじゃないか。そろそろ恩人の息子という名札を外させてほしい。
「あー、なんでこうなっちまったんだろうな」
井戸から冷たい水をくみ上げて、オゴスの家に戻った。
オゴスは寝ていた。
あるいは寝たふりをしているのか。
ほんの少しのつもりが、けっこう時間が立っていたらしい。テーブルの上の皿が空になっている。薬はオレンジジュースで飲んだようだ。皿の横にきちんと畳まれた油紙が――。
「ちぇ、素直じゃないなぁ」
薬が包んであった油紙がハート型に折りたたまれていた。あの太い指でよくこんな小さな紙が折れたな、と思う。
「おいしかったか?」
寝顔に問いかける。
「う……うーん」
寝返りかたがわざとらしい。まあ、いいや。きょうはやめておこう。
こちらに向けた大きな背中を、口元を緩めたまま見つめる。この脊中の後ろで、どれだけ長い間守られてきたことか。フラフラして家に寄りつかなかった実の父親より、よっぽど父親らしいことをオレたち兄妹にしてくれた。
きっと、自分が親の愛を受けられなかったからだろう。オゴスの口から直接聞いたことはないが、なにかとオレたちの世話をやく姿を見ていて、こどもの頃に寂しい思いをしたんじゃないかって思った。
(どんな気持ちで精一杯父親らしく振舞ってたんだろうな。切ないぜ)
いつの日かちゃんと聞かせて欲しい。子供のころのことを。母と出会うまでのストーリーを。
「水、ここに置いておくから。喉が渇いたら飲んでくれ」
空になった皿にホークとナイフを乗せ、オレンジジュースのコップを手に持って台所へ入った。
桶に水を張り、皿をつける。
さーて、晩御飯は何をつくってやろうかな。
カッ、カッ、カッ、カッ。
ホークでボウルの底をつく尖った音が台所から聞こえてくる。
少し前、ニワトリたちの騒ぐ声が窓の外で聞こえた。坊ちゃんが卵を取ったのだろう。だからたぶん、出てくる料理は玉子焼き。いや、坊ちゃんのことだ。「オレらのイザコザはちょいと置いとこうぜ」、という言葉どおり、食欲のない俺のためにのど滑りのいいスクランブルエッグを作るだろう。
しあわせ色をした、とろっとろの――。
カッ、カッ、カッ、カッ。
まだ怒っているな、とオゴスは思った。ベッドの上で体を起こした途端、開いた唇から呻き声ともため息ともつかない音が出てしまう。
とっさに包帯を巻いた肩を手で抑えた。
先程のやり取りの中で、一体なにが気に障ったのか。ギャメルは難しい年頃だ。俺はいままでと同じように、変わらない態度で接したというのに。
カッ、カッ、カッ、カッ。
(怒りたいのは俺の方ですよ、坊ちゃん)
もう俺の助けはいらないと、たとえ紛い物でも家族の一員のような関係を突然切り捨てたのはギャメルの方ではないか。
ベッドの縁に腰掛けて、窓辺に置かれている花瓶へそろりと腕を伸ばす。
「いてっ」
肩はまだ完全に上がらない。非エーテルの毒は解呪の呪文で癒せないのが厄介だ。仕事は無事やりおおせたものの、久しぶりに 医者の手当てを受け、前後不覚で寝込む羽目になってしまった。
昨夜は隣の家に響くほど大きな声でうなっていたらしい。気づけばギャメルがこちらの顔を見おろしていた。
二人の関係がギクシャクしてからまともに顔を合わせるのは久しぶりだった。だからギャメルが傍にいることに驚いた。どうやって中に、といいかけて、合鍵を渡したままだったことを思い出し、言葉を飲み込んだのは一時間ほど前のことだ。
花瓶に生けたクレマチスの、伸びやかな花びらを指先でそっとつつく。
涼やかに、薄紫の花の影が窓辺で舞う。見舞いの品のオレンジとの色の対比を美しいと思った。
「俺は……どうすりゃいいんでしょうね?」
天を仰ぐように花弁を広げるクレマチスは、優雅さと、どこか儚さを感じさせた恩人によく似ている。少し濁ってデコボコしているガラスの一輪挿しが、色を薄めた秋の空に浮かんだ雲のようだ。
天国にいるあの方に聞いてみたところで返事はないとわかっていても、独り言は止まらない。
「本当はわかっちゃいるんです。あんないいかたをした、俺が大人気なかったって。でもそれは……」
コツリ、と床を踏むかかとの音を耳にして、オゴスは部屋の入り口へ顔を向けた。
おいしそうな匂いがする皿を片手に、ギャメルが立っていた。
「なんだよ。寝て待ってろっていっただろ。なんで起きてんだよ」
痛みもしないのに肩を押さえ、大げさに顔をしかめて返事を誤魔化す。
本当は素直に礼をいいたいのに、心の中の拗ねた小さな子が口に蓋をしてしまう。
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ギャメルは実用一点張りの殺風景な部屋の中から、折りたたみのテーブルを見つけ出し、ベッドの前に立てた。
そこに、とろとろのスクランブルエッグにパリッとした食用葉、カリカリに焼いたベーコンを盛りつけた一皿と、オレンジを絞ったジュースを置く。シンプルな銀のホークとナイフを皿の脇に添えた。
「食欲なくても食え。でなきゃ、薬が飲めないだろ?」
膝の上に拳を置いたまま押し黙っているオゴスの前に、ずいっと皿を押し出す。
わかっている。オゴスがさっきから押し黙っているのは、傷が痛むからじゃないってことぐらい。
「せっかく作ったんだ。残したら承知しないからな! 食べたら薬を飲んで、もう一度包帯を取り替えるから。早くよくなってもらわなきゃこっちが堪らないんだよ。うんうんうるさくて、夜もおちおち寝ていられねぇからな」
「それりゃあどうもすみませんね、坊ちゃん。偶然隣に住んでいるだけの赤の他人を気にかけてくださるとはお優しいことで」
「坊ちゃんはやめろって。それになんだよ、その――クソ、いまはいいや。病人に怒鳴ったりしたら大人げないもんな。それより早く食べろよ」
ついつい言葉がきつくなってしまう。オゴスもオゴスだ。なにもそんな嫌味ないいかたしなくったっていいじゃないか。
でも、食べてはやく元気になって欲しいのは本心だ。
オゴスはもうオレのこと嫌いかもしれねぇけど、オレは……オレはオゴスを助けたい。
スクランブルエッグには細かく削ったチーズと生クリームを入れてある。生クリームを少し入れると、味にコクガ出るのだ。バターを引いたフライパンをとろ火にかけて、じっくりじっくり仕上げた。
生クリームやバターを作るのがとても大変で、家でも滅多につくらないスペシャルなスクランブルエッグだ。弟や妹たちがこのことを知ったら、きっと食べたかったと騒ぐに違いない。オゴスは怪我をしているから特別だ、といったところで、幼い弟たちは口を尖らせて拗ねるだろう。知られないようにしないと……。
じっと見ていると食べにくいだろう、と思い、ギャメルは薬を飲むための水を汲みに部屋の外へ出た。
本当はオゴスとケンカなんてしたくなかった。
(いつまでも世話になっちゃ悪いって言葉は、オゴスには突然の拒絶に聞こえたのかな)
一人の男として、オゴスを尊敬してるし、もちろん頼りにもしている。けれど、頼りっぱなしじゃあいつまでたってもオゴスと肩を並べることなんてできないじゃないか。そろそろ恩人の息子という名札を外させてほしい。
「あー、なんでこうなっちまったんだろうな」
井戸から冷たい水をくみ上げて、オゴスの家に戻った。
オゴスは寝ていた。
あるいは寝たふりをしているのか。
ほんの少しのつもりが、けっこう時間が立っていたらしい。テーブルの上の皿が空になっている。薬はオレンジジュースで飲んだようだ。皿の横にきちんと畳まれた油紙が――。
「ちぇ、素直じゃないなぁ」
薬が包んであった油紙がハート型に折りたたまれていた。あの太い指でよくこんな小さな紙が折れたな、と思う。
「おいしかったか?」
寝顔に問いかける。
「う……うーん」
寝返りかたがわざとらしい。まあ、いいや。きょうはやめておこう。
こちらに向けた大きな背中を、口元を緩めたまま見つめる。この脊中の後ろで、どれだけ長い間守られてきたことか。フラフラして家に寄りつかなかった実の父親より、よっぽど父親らしいことをオレたち兄妹にしてくれた。
きっと、自分が親の愛を受けられなかったからだろう。オゴスの口から直接聞いたことはないが、なにかとオレたちの世話をやく姿を見ていて、こどもの頃に寂しい思いをしたんじゃないかって思った。
(どんな気持ちで精一杯父親らしく振舞ってたんだろうな。切ないぜ)
いつの日かちゃんと聞かせて欲しい。子供のころのことを。母と出会うまでのストーリーを。
「水、ここに置いておくから。喉が渇いたら飲んでくれ」
空になった皿にホークとナイフを乗せ、オレンジジュースのコップを手に持って台所へ入った。
桶に水を張り、皿をつける。
さーて、晩御飯は何をつくってやろうかな。