花領の春

キャラクターノベル(グループ)制作 夏八木ヒロ納品 2024年05月02日 10時18分10秒

 早朝の庭園を覗いたシルヴィア・A・カペルは、柔らかな甘い香りに蒼玉の瞳を瞬かせた。よく整えられた立木の花弁が開いているようだ。慌ただしく過ごしているうちに、季節はしっかりと巡っていたらしい。

「シルヴィア様。今日もお早いですね」

 そう声を掛けてきたのは庭師の青年だった。特産の一つが花であるカペル領の庭師は、より高い技量と知識を求められることが多い。彼も若くして広い侯爵家の庭をしつらえる優秀な庭師の一人である。

「お早う。美しい花が咲いているね」
「そうなんです、今朝方に初咲きのようで。お忙しい皆様の癒やしになれば幸いです」

 シルヴィアの言葉に、青年は咲いた花の如き笑顔を浮かべた。

 花の領地(カペル領)の春とは特別な季節だ。四季を通し咲く花を絶やさぬ豊かな地であるが、目にも華やかな春花が一斉に開く様は圧巻というもの。民はその光景を以て冬の終わりを知り、新たな年の始まりを祝うのである。
 春の訪れを告げる瑞々しい花の香りを楽しむように、シルヴィアはそっと目を閉じる。しかしこの暇(いとま)も、侍女の呼ぶ声で呆気なく終わってしまった。

「シルヴィア様、ここに居られましたか。執務室でエクスリオ様がお呼びです」
「ああ、ありがとう。すぐに行くよ」

 シルヴィアの冬は多忙のまま終わり、春もまた多忙のままに始まった。ロスガリア全土が大きな節目を迎えた今、新しき蒼玉侯として王国や民のためにやるべきことはあまりにも多い。

●

 執務室にて、エクスリオ・カペルは実に朗らかな笑みで娘を迎えた。この転換期の激動を的確に読み続け、カペル領の政をその手腕で力強く支え続けている父の顔に、疲れの色は一切見えない。
 無論、疲労がないはずがないことは、同じく政に奔走を続けるシルヴィアは身を以て理解していた。背筋を伸ばし、恭しく礼をする。

「朝早くに悪いな。数日前に大雨があっただろう。どうやら土砂崩れで大きな輸送ルートの一つが通行止めとなっているらしい」

 幸いにも居住区域からは離れた場所だったため、怪我人などがいないのが救いだと続ける。発見が遅れてしまったのも同じ理由からだろうが、それを加味しても不幸中の幸いだ。安堵からシルヴィアはささやかに息を吐いた。

「早急に問題解決は行うとしてもだ。ワインの出荷も近い。他のルートの確保が先決だろう」

 脈々と受け継がれた高い醸造技術からなる数々のワインは、カペル領のもう一つの大きな特産だ。そのなかには、シルヴィアが奔走し製造販売にこぎ着けた『大森林の琥珀』と『花領の薔薇』も含まれている。大森林で育てた葡萄をカペル領の醸造技術で仕上げた珠玉の合作ワイン。ただの特産品である以上に、他国との交流の架け橋となる願いを込められた特別な銘柄。
 テーブルに広げられた地図を眺め、エクスリオは目を細める。その視線を追うように、シルヴィアもまた地図を見つめた。

「細かな道は他にもありますが、安定した街道となるとこの地域は難しいかもしれませんね。悪路であればワインの品質保持にも関わります」
「かといって新たに道を通すのは相応の時間がかかる。悩ましいな」

 そう口にするエクスリオの顔は、まったくと言っていいほど難色を示していなかった。むしろ楽しそうにさえ見える。この程度のトラブルなど、起こるのが当たり前なのだと言わんばかりの豪胆さ。

(それに、これは私を試しているんだ。きっと)

 いっそう気を引き締めて、シルヴィアは地図を睨んだ。そこには簡略して描かれたロスガリア大陸がある。地形をなぞり地名を確認すると、不思議とその風景が見えるようだった。冒険者としてあちこちへ出向いた日々がありありと思い出されてくる。
 記憶の中に、代わりになる街道はあっただろうか。シルヴィアの思考は、果たしてすぐに一つの道を割り出した。

「このルートを推奨します。やや迂回路になりますが、旧道で整えられているため馬車を通しやすいはず」

 シルヴィアは新たなルートを一筆加え、少し緊張した表情でエクスリオの方を見る。懸念がない訳ではない。しかしこれまで実際に巡った地の記憶と経験は、確かな自信となり彼女を支えていた。

「獣が出る危険性もなくはないでしょう。護衛を増しつつ、今後を見据えて道を整える必要もあるでしょうか」
「なるほど、悪くない判断だ。調査員も至急派遣しておこう」

 エクスリオは満足そうに笑い、ぱんと一つ手を打つ。それがきっと答えだった。シルヴィアは表情にこそ出さないが、ほっと胸を撫で下ろした。



 集権派へと移行をした以上、王家に権利を返還した後、領民の安寧を守るのも領主としての責務である。
 故にこそ世の転換を先読み、この混沌を御すのもカペル侯爵家の務めであった。
 無論、小石を取り除くだけでもいけない。カペルという地にさらなる強みを持たせ、如何に特色を齎せるか。土を耕し種を撒くように、今やらなければいけないことはとても多い。

「本来なら順当に進めていくところだろうが、そう生易しいことを言っている時勢ではない故な。厳しいと思うが」

 そこでエクスリオの言葉を最後まで言わせぬとばかり、シルヴィアは毅然として一歩出た。気品ある動作で頭を垂れ、凜とした声を容赦なく重ねる。

「ええ、皆まで言わずともそのつもりです。集権派の移行承認の際に、ウィリアム殿下直々に御言葉を賜ったのを忘れてはいません。この時期に以下にカペルにさらなる特色を齎せるかが、今後の分水領となりましょう」

 確固たる決意を胸にそう口にした時、脳裏に浮かんだのは何故か恋人の顔だった。
 共にしたいのはシルヴィアの運命だと、そう言ってくれた時のことを思い出す。決して一人で立ち向かうわけではない。それならばきっと、心折れる日は来ないだろうと思う。
 たとえ、どんなに厳しい未来が待ち構えていたとしても。

●

 花は咲く場所を選ぶことができない。例えば鳥のように、己の好き勝手に飛んでいくことは叶わない。そういう風にできている。芽吹いた場所で生き、咲き誇ることこそ宿命なのだ。
 では、花とは不自由で悲しい存在なのだろうか? 否であると、今のシルヴィアは胸を張って言える。
 もちろん鳥の生き様を否定はしない。その自由さに焦がれた頃すらあった。むしろそういった自由の中で得た多くの冒険と出会いによって、シルヴィアは大きく成長できたのだ。
 美しく咲くことで人々の心を支え、強く根を張ることで大地を盤石なものにし、種を残すことで未来へと繋ぐ――そういう花(カペル)の人生を、誇りに思っている。

 故にシルヴィアは戦い続ける。混沌を御すだけでなく、次々に新たな種を植えていくことも忘れてはいない。主にワインを通じ他国と積極的に親交を深めることや、芸術専門学校の設立計画に向けて、やるべきことはまだまだある。未来のカペル領が今と同じく、否、今以上に美しい都であるように。

「シルヴィア様。此方の資料なのですが」
「社交界の準備が整いましたので、お召し物を」
「植物研究の進捗を確認して頂きたく」

 シルヴィアの名を皆が呼び、日々が目まぐるしく過ぎていく。
 世界がどのように変わっていくとしても、ここに生きる人々の紡ぐ物語はこれからもずっと続いていくのだから。
 カペル領の春は今年も絢爛たる美しさだ。新しき蒼玉侯の照らす未来は、きっと明るい。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0