果てなき三千世界を行く君と

キャラクターノベル(グループ)制作 炙りとろ左門納品 2024年04月22日 08時53分48秒

 大鍋で下茹でした尾肉を取り出し、水にさらしながら余計な脂を取り除く。旨みを損ねないように多少残しておくのがコツ――ヨル・スレイマンは男の手のひら大もある尾肉をひとつひとつ処理しながら、鼻歌を歌っていた。
 今日は『お祝い』だ。パンクリアース学園の生徒会、その副会長に当選した宴席である。参加者はヨルとナハシュの二人というささやかなものであり、ナハシュは宴会になるならきっかけはなんでもよさそうだが、ヨルにはそれで十分だった。
 ヨルが朝から用意しているのは、ナハシュの好物であるテールスープだ。ヨルが主役である宴席のはずだがまあ、些事である。今市場に出向いているナハシュもまた、ヨルの好みの酒を見繕っている頃だろう。
 脂削ぎが終わったら鍋を一度洗い、新鮮な水に尾肉と残りの食材を加えて、あとは夕方までゆっくりと煮込む。仕込みが一段落したところで、ヨルは近くの木椅子に腰を下ろした。
 誰かの好物を選んで用意し、喜ぶ顔を思い浮かべながら帰りを待ち侘びる。そういったことも、そのような相手がいることも、かつて『いつ死んでも良い』と考え行動していたヨルには然程重みのないことだった。
 それを、良くも悪くも変化させ続けたのがナハシュだ。流れ出る血よりも鮮烈に『生』を実感させるもの。
「君は気づいてるんだろうか」
 どちらにしても、ヨルがナハシュと共に過ごしたいと考えている日々が途切れることはない――ヨルがその命を終えるまで。
「……よし。次は肉だ」
 座って少し休憩したのち、ヨルは次の食材の下拵えに取り掛かった。

●

 酒を抱えて戻ってきたナハシュは、ヨルが準備しているものを見咎めると「おっ!」と声を上げた。
「おかえり、ナハシュ。あれ、結構買い込んだな?」
「そりゃお前、ただの宴会じゃないからな。もちろん、頼まれてた魚も買ってきたぞ」
 これだろ、とナハシュは買い物袋から鮮魚を引っ張り出す。鯛だ。
「これと、シャルガネの酒だっけな。やっぱここら(ゴールディ)じゃ珍しいな」
「肉を焼くだけでも良いんだけど、変化が欲しくてさ。あればいいなくらいに思ってたけど、助かる」
 ヨルはナハシュの手から鯛と酒瓶を受け取ると、調理台に載せる。桜鯛を丸ごと使った酒蒸しは、シャルガネでとりわけ慶事に供される料理だ。濁りの少ないだし汁と酒が食材の旨みを一層引き出してくれる。
「テールスープは?」
「もちろんある。あ、ナハシュが薄切りにしてくれた分は焼くから」
 薄切りといっても、指の幅ほどの厚さはある。骨の通った尾肉は本来、人の力では関節部に合わせて切り落とすのが関の山だ。しかしそこはやはり授恵者、骨身ごと断つなど造作もないことである。
「なあなあ、もうはじめないか?」
「買ってきてくれた鯛と酒を放置するわけにはいかないだろ?」
 待ちきれないナハシュの様子に、ヨルは苦笑を漏らした。
「それもそうだな。じゃ、片付けとく」
 ヨルが調理をしている間、ナハシュは席の準備に取り掛かる。質屋の玄関の札が『休業日』となっていることを再度確認し、中に戻ると机の上のものを部屋の脇に寄せ、天板を拭いた。そこに準備の済んだ食材と鉄板を運び込む。
「よし、こんなもんだろ」
「こっちも、あとは火にかけるだけだ……お待たせ、ナハシュ」
 ヨルも鍋を炉に吊し、二人は席についた。まず酒を小ぶりな杯に用意し、掲げる。
「じゃ、副会長当選おめでとうってことで」
「ありがとう。乾杯」
 酒が喉を焼いて臓腑に落ちる感覚は、久しぶりだ。二人とも選挙を意識して禁酒していたわけではないが(特にナハシュはもとよりそのような性格をしていない)、慌ただしさの中でそもそもの頻度が減っていたのだ。ナハシュが待ちきれずに浮つくのも無理はないと言える。
「はーっ、やっぱテールスープはお前のが一番美味い!」
「そりゃよかった。ソースもいろいろ用意したからさ、試してみてくれよ」
 自身の好物ばかりが並んだ席で、ナハシュは満面の笑みを浮かべる。ヨルはというと、その笑顔に満足しながらナハシュのためにせっせと肉を焼く係だ。
「生徒会の仕事って、どんな感じなんだろうな」
「引き継ぎはあるんだろ? 一人でやるわけじゃねえし、大丈夫だって」
 ナハシュは焼き上がった肉が自分の皿に移る前に、ひょいひょいとヨルの皿に載せていく。
「お前は去年から学ぶ機会がどうとか、図書館の開放がどうとか言ってたからな。俺なんて登校しかしねえし、やりたいことあるやつができるんならそっちのほうがいい」
「あ、ああ……」
「うわマジどれもうめえな」
 結果的に半分ずつ取り分けられた肉を、ソースを変えて楽しむ。ヨルも同様に肉を堪能した後で、空の杯に酒を注いで呷る。
「俺は運が良かった」
「そうか? 運だけってことはないだろ」
 ナハシュはヨルがぽつりとこぼしたつぶやきを拾い上げる。
 ヨルが得た票は、少なくともヨルの公約に賛同した者たちが入れたものだ。一時の票稼ぎならばそれと分かるし、生徒たちもヨルの普段の言動を評価しての判断だろう。
「もちろんそれは、ありがたいことだと思ってる。なんていうか、もっと根本的なところ……ほら、俺は君に文字を習っただろ。だから今があると思ってるし、俺はそういう『運が良い人』を増やしたいんだ」
 ヨルの公約である大図書館の開放は、その第一歩のつもりだ。そう、まだ踏み出したばかりのこと――やりたいことも、やるべきことも、道の先に堆く積み上がっている。
 そしてその道の上にあるのは、課題ばかりではない。
 酔いが浅いせいか、ヨルは未だ明瞭な意識のまま言葉を紡ぐ。
「チビちゃんたちのこともあるし……まだ、到底死ねないよな」
 そのように考えが変わっても、ヨルの中にはまだ動かぬ真理があった。
 全ての命が平等に、望まずとも必ず身を預けることになる、『死』という定めだ。
「寿命で死ぬか、運が悪くて突然死ぬかは分からないが、まあ……君なら、大丈夫だろうな」
「んん?」
「俺がいなくなっても、百年後も、君とって世界はきっと遊び甲斐のあるものだろうと思って」
 ヨルは省かれた言葉を補完して捻れた文脈を正す。ヨルの声にわずかな寂寥が滲むのを、……感じ取ったかまでは分からないが、ナハシュは手元の肉をフォークで刺し、ヨルの口に素早く突っ込んだ。
「んむ!?」
「心配してるより、お前はしぶとく生きてそうな気がするけどな。だから、俺が百年後も遊び尽くせるように、よろしく頼むぜ。副会長さん」
 ヨルは詰め込まれた肉をしばらく咀嚼していたが、それを飲み込むとけらけらと笑った。
「……ああ、もちろん。見てなよ、君が退屈しない世界にしてやるから」
 今後ナハシュが超越者に至ることを望むとしても、それはヨルが眠りついた後だと約束した。これ以上の欲が出たとして、それはその時に考えればいい――ヨルは再び空になった杯を置く。
「足元が覚束なくなる前に、鍋を持ってこないと危ないな」
「あっ、そういやそうだな! 鯛だ鯛! スープもまだあるか?」
「あるよ。いっぱい作ったから」
 二人は席を立ち、共に厨房へ向かう。
 このような日々がこれからも当たり前に訪れるようにと、願うならば叶えられるだろう――他でもない、彼ら自身の手によって。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0