戦勝を祝う彼らの宴 その三

キャラクターノベル(グループ)制作 紀藤トキ納品 2024年01月10日 23時50分24秒

 天霧りに消ゆる幽界樹(ミスティアニ・アストラキル)は消滅し、奈落へと続く底の見えぬ大穴だけが残った。帝都を覆っていた黒い霧は消え、姿を見せたイダ・バルダスを前に人類側勢力は編成を改める為の僅かな時間、後退している。

「少し慌ただしくなってしまったけれど、この後も戦いがあるし。祝いの機会は無駄に出来ないだろう?」
「そうだな。いつものアレがないのはちと物足りないけどな」
「戦場でテールスープはさすがにね。次の機会が終わってから、また食べよう。今度は質屋で四人でだ」

 時間や材料も揃わないし、普通に料理をすれば匂いも立ってしまう。臨戦態勢の兵士や騎士に振る舞えるような量があるわけでもなし、少し外れでテントを張ってこっそりやっているのだ。普段の受勲のお祝いほど気兼ねなく騒げる状況では無かった。それでも、後ではない、今だからこそ、合間を縫ってやっておきたいことではある。

「生きて帰ったことを祝い、次も生きて帰れるように祈る。……というのを話したのもずいぶん前だったか。こういう時に、剣闘士はご馳走を食べるんだ」
「そんなこと言ってたっけ? ……言ってた気がすんな」

 次の戦いがすぐ後に迫っているのだから、ルーチンを疎かにしたくない。闘技場という絶え間ない命のやり取りの場で、長く生き抜いてきたヨル・スレイマンにとっての、当たり前のことであった。あの頃の当たり前でないのは、それを別の誰かと共に行うというところか。剣闘士時代も酒を酌み交わしたことはあったが、時を経ればその顔ぶれは変わっていったし、その事が気に掛かることも無かった。誰かとではなく自分が飲み食いして生の実感を得ることができれば、あの頃はそれで良かったのだ。

「まあ、お疲れさん!」
「お疲れ様、ナハシュ」

 過去に向かうヨルの思考を断ち切るように、そして難しいことは良いんだよ、と言わんばかりに杯を掲げる。ナハシュから見える物事はもう少し単純だ。最上位の金の勲章を得れば、うまい肉料理をたくさん食べることが出来る。そこにはかつてのヨルのような生と死へ考えを巡らせ、意識を落ち着かせる儀式といった回りくどい思考はない。年齢の差だけではなく、純粋だからこそ、彼はこんなにも生気に満ちているのかもしれないと、らちもない事をヨルは思う。

「おめでとう、ナハシュ。名誉ある賞だよ。俺も嬉しい」
「あの皇帝が宛もなく探せるわけもなし、イダもせこせこ地下を調べる女には見えなかった。大当たりだったな」

 相変わらず、ナハシュは名誉という物にはそれほどピンと来てはいないようだ。美味しい物が食べられて楽しく、相棒が喜んでいるという事はわかる。スープ以外の料理は、いずれも一手間掛かっており、ここが戦場だとは思えないものだった。スープはまあ仕方が無い。端切れ肉やら屑野菜を煮込んで短時間とは思えぬ味わいを出したとはいえ、いつもの絶品テールスープには遠く及ぶまい。が、その横に並んだ野趣溢れる骨付き肉は十分に火が通り、普段の祝いに負けず劣らず美味い。

「こいつは悪くないな。齧り付いても底が見えない位にでかいのが最高だ」
「輸送隊が途中で出くわした魔獣のイノシシの肉を分けて貰ったんだ。干し肉とは違って脂がしっかり味わえるだろう? 輸送隊の中に、肉の処理が上手な人が居たらしいよ」
「干した肉は干した肉で、こっちの焼いた奴はいけるぞ。なんだこれ」
「それは燻製をしっかり効かせたベーコンだね。無理を言ってウィリアム王子のところから頂いた。同じ保存食でも、職人が違うとずいぶん違うものだね」
「へぇ。グランスパーダにあるどっかの店か? これが終わったら買って帰ろうぜ」
「それはいいね。留守番の二人も喜ぶだろう。あとで聞いておくよ」

 ビールは少し温いが、ワインはいける。どこから盛ってきたのか、少しばかりの蒸留酒もあった。もちろん、この後を考えれば、泥酔するほど飲めはしないのだが。そして、それらの酒のツマミになるのは料理だけではない。

「にしても、すげぇな。アレ」
「確かに。もう二度と見られない絶景だろうね」

 ヨゼフ・バルダスが矛を振るい、征竜が光の吐息を吐く。迎え撃つイダの配下だろうクリーパーどもも負けては居らず、帝都中心部からは絶えず轟音が響き、時には爆風が数キロ離れた彼らのテントまで吹き付けてきた。激しい戦いはどこか遠い光景にも見え、しかし稲光や爆発音は見聞きするものに死を感じさせる。口をつぐみ、杯を干してから。

「ボチボチ死んでもいいか……、っていつかの夜には思ったんだけど、アレで死ぬ気にはなれねえなあ」
「そうだね。君に死んで貰っては、俺が困る」

 ナハシュが淡々と言い、ヨルも当たり前のように返した。死んでも諦めが付く状況や、死んでも良いと思える瞬間があるのは、生死の境目を幾度も見てきた二人とも知っているが、アレではないし、今でもない。超越者達の戦いは絵としての美しさはあれど、ヒトが生きて死ぬ生々しさが感じられない気がした。あそこには慣れ親しんだ泥臭さもなく、生きているからこそ感じる心を打たれるような一瞬も、きっとないのだろう。

「……神や超越者になるってのは、どういう気分なのかね。こうして、肉も酒も美味くなくなるのか?」
「どうだろうね。少なくとも、あそこにいる二人は楽しそうには感じられないな」

 幾度か見たヨゼフは喜怒哀楽が抜け落ちたような男であったし、幾度か耳にしたイダの思念や声は笑いを含んではいたが、どこか薄っぺらく思えた。ヨゼフやイダとこのように肉を食らい、酒を飲んで炉端を囲んだとして楽しめるとは思えない。というか、そうしている姿そのものがちょっと想像できなかった。かつて、まだヒトであったときは違ったのだろうか。それを知る術もない。

「俺は、君とこうしているのが楽しいから。もうちょっと続いてくれてもいいと思っている」

 ヨルの願いは、日々感じるナハシュとの年齢の差や、そもそも種族としての寿命の差からも切実であった。しかし、その楽しさそのものがなくなるのであれば、この時間を続かせるために昇神への道を歩むことに意味はあるのかとも、思う。火生の神ボルガニスクも、メドゥの右腕も、それ以外の神も、冒険者として見聞きした神になった存在はどれも孤独に見えた。

「お前がその気になれば、超越者も神もなれると思うけどなー」

 ナハシュの言うように、ヨルとて階梯へ片足くらいは踏み込んではいるのだ。それでも、何かを捨て去り超越者になってしまった姿を目の当たりにすれば、二の足を踏んだ。

「この感情を捨てるのは惜しいかもな。神になれる器ではないのかもしれないね」

 わかってはいるが、何もかもを手に入れることは出来ないのだろう。納得はしているにせよ、どこか諦念が滲む。

「俺も今はいいかな、肉も美味いし! スープ、いつもよりまずい! もう一杯!!」

 そんなヨルを横目に、ナハシュは椀を突き出す。超越者同士の戦いにまだ終わりは見えない。最前線で注視するレイウェストに危険が及び、状況が変わるまであと少しの猶予があった。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0