【PT】Prologue of “THE” story ――物語のはじまり―― 3
苦い、敗戦だった。
そう――敗戦と言ってよい。
Henrietta・Nieminenにとって、このような負け戦は久しく記憶にない。それこそ、ヘンリクと名乗り始めた十年ほど前から――ずっと、だ。帝国軍人として剣を執っていた間、多少の失敗や未達の任務はあったものの、ここまで大きく戦力を損なう事態は無かった。
それが、どうだ。
今やアロシュナバラ砦の門は破られ、砦を守る為の備えも大半が破壊された。それでも奴らが砦内に突入することを避けたのは、バルバロイの連中が最後の意地を見せたか、単に砦内部の戦力が不明であることを危惧したか。いずれ遠からぬうちに、再度攻勢を整えて授恵者らはやってくるだろう。雌雄を決するために。
(話が違う――というのは、言ってはいけないのだろうな)
彼女に蜂起を促した男は、ここまで秩序だった授恵者の展開は想定していなかったはずだ。彼女自身にとっても、この事態は想定の埒外である。帝国の崩壊とその後の混乱、ヴィントを滅ぼした死者の群れへの対応――軍事的にも、アロシュナバラへ授恵者を多く派遣する余裕など、無いはずだった。一般兵同士の戦いであれば、彼女の指揮力と少しの優れた突出戦力があれば十分に制圧できる。事実、アロシュナバラ砦を奪い取るまでは順調であった。だが、その後がまずい。ここまで多くの授恵者が、しかも連携を取って反抗してくるとは思っていなかった。あくまでこれは王国領土内における内紛なのだ。中立を是とする冒険者ギルドが、積極的に介入するというのも思わぬ事態であった。
いずれにしても、後には引けない。
「Tomasz……」
いまとなっては顔も朧となった弟の名を呼ぶ。何度見返したか分からぬ彼のスケッチは、既に擦り切れる寸前であった。十数年前に別れた彼を探し、一目見ることだけが彼女の願望である。独力で弟を探すのは困難が伴うと考え、帝国の情報網を活用するべく軍人として名を挙げた。素性の如何や性別に囚われないのは、実力主義を標榜する帝国気質の良いところだ。幸いにして、ヘンリエッタ自身にも剣の才と授恵者としての恵みがあった。時の趨勢からは外れているとはいえ、そう悪くはない境遇であったはず、いずれは弟の消息にも手が届くはず――だったのだ。
あの日、帝国が穴に飲み込まれるまでは。
帝国の秩序は一夜にして瓦解した。当然、彼女が築き上げてきた身分や権力も。あとに残ったのは、将来の決起に備えて貯めこんでいた財と、いくらかの不穏な伝手のみ。彼らが世界に仇為す存在であることは承知の上だが、もはや彼女にとって頼る先がそこにしかないことも自明であった。今から他の手段を探るには、些かばかり年月を重ねすぎた。
決起のその時から、蜂起の首魁は抜き差しならぬ状況に追い込まれていたのだ。
だから。
「負けては、やれぬ」
彼女にも意地がある。貫くべき事情がある。なれば、最後まで剣を執ろう。道半ばに折れたとて、その先に生きる理由など、元より無いのだから。
●
くつくつと、男のくぐもった笑いが響いている。マテリアルとアストラルの間から、男は女の様子を眺めていた。
(彼女はここまで……ですかね)
役目が終わった演者は速やかに舞台から捌けてもらわなければならない。せめて、その散り際だけは華々しく。舞台装置は整った。
「期待していますよ?」
その声は、誰に向けられたものだったか。
執筆:かもめ
そう――敗戦と言ってよい。
Henrietta・Nieminenにとって、このような負け戦は久しく記憶にない。それこそ、ヘンリクと名乗り始めた十年ほど前から――ずっと、だ。帝国軍人として剣を執っていた間、多少の失敗や未達の任務はあったものの、ここまで大きく戦力を損なう事態は無かった。
それが、どうだ。
今やアロシュナバラ砦の門は破られ、砦を守る為の備えも大半が破壊された。それでも奴らが砦内に突入することを避けたのは、バルバロイの連中が最後の意地を見せたか、単に砦内部の戦力が不明であることを危惧したか。いずれ遠からぬうちに、再度攻勢を整えて授恵者らはやってくるだろう。雌雄を決するために。
(話が違う――というのは、言ってはいけないのだろうな)
彼女に蜂起を促した男は、ここまで秩序だった授恵者の展開は想定していなかったはずだ。彼女自身にとっても、この事態は想定の埒外である。帝国の崩壊とその後の混乱、ヴィントを滅ぼした死者の群れへの対応――軍事的にも、アロシュナバラへ授恵者を多く派遣する余裕など、無いはずだった。一般兵同士の戦いであれば、彼女の指揮力と少しの優れた突出戦力があれば十分に制圧できる。事実、アロシュナバラ砦を奪い取るまでは順調であった。だが、その後がまずい。ここまで多くの授恵者が、しかも連携を取って反抗してくるとは思っていなかった。あくまでこれは王国領土内における内紛なのだ。中立を是とする冒険者ギルドが、積極的に介入するというのも思わぬ事態であった。
いずれにしても、後には引けない。
「Tomasz……」
いまとなっては顔も朧となった弟の名を呼ぶ。何度見返したか分からぬ彼のスケッチは、既に擦り切れる寸前であった。十数年前に別れた彼を探し、一目見ることだけが彼女の願望である。独力で弟を探すのは困難が伴うと考え、帝国の情報網を活用するべく軍人として名を挙げた。素性の如何や性別に囚われないのは、実力主義を標榜する帝国気質の良いところだ。幸いにして、ヘンリエッタ自身にも剣の才と授恵者としての恵みがあった。時の趨勢からは外れているとはいえ、そう悪くはない境遇であったはず、いずれは弟の消息にも手が届くはず――だったのだ。
あの日、帝国が穴に飲み込まれるまでは。
帝国の秩序は一夜にして瓦解した。当然、彼女が築き上げてきた身分や権力も。あとに残ったのは、将来の決起に備えて貯めこんでいた財と、いくらかの不穏な伝手のみ。彼らが世界に仇為す存在であることは承知の上だが、もはや彼女にとって頼る先がそこにしかないことも自明であった。今から他の手段を探るには、些かばかり年月を重ねすぎた。
決起のその時から、蜂起の首魁は抜き差しならぬ状況に追い込まれていたのだ。
だから。
「負けては、やれぬ」
彼女にも意地がある。貫くべき事情がある。なれば、最後まで剣を執ろう。道半ばに折れたとて、その先に生きる理由など、元より無いのだから。
●
くつくつと、男のくぐもった笑いが響いている。マテリアルとアストラルの間から、男は女の様子を眺めていた。
(彼女はここまで……ですかね)
役目が終わった演者は速やかに舞台から捌けてもらわなければならない。せめて、その散り際だけは華々しく。舞台装置は整った。
「期待していますよ?」
その声は、誰に向けられたものだったか。
執筆:かもめ