【聖祭】幻想の旅
崎田航輝
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シナリオID:1788
オープニング
新しい年の、麗らかな陽光が窓辺から差している。
柔らかな風がカーテンを仄かに揺らし、その光を淡く踊らせている。その中で――円形の卓にキャンドルがひとつ、またひとつと置かれていた。
美しい蝶の模様が入ったそれは、不可思議な謂れを持つものだ。
否、単なる謂れではなく――そこに座る冒険者達は既にその片鱗を体験している。
誰が作ったのか、誰が運んだのか。
この日、目が覚めた時――それはひとりひとりの枕元に置いてあった。
まるで悪戯か、何かのメッセージか、或いは贈り物か何かでもあるように。
曰く、それは火を灯すと眠りに誘われ不思議な夢を見るのだという。
同じ形でキャンドルを手に入れ、夢を見たという者は多く現れていて――それは既に市中の人々の話題に上っていた。
ある者は、美しい世界を見た。
ある者は、奇妙な世界を見た。
凄絶なまでの色彩に彩られた景色や、およそ自身の心の想像が及ばぬような光景に出会う事もあるといった。
皆が同じ夢を見る訳ではない、けれど時に……同じ夢の世界に迷い込んでしまったような、そんな体験をしたという者もいる。
夢を見たとある一人は――“幻想の旅をした”と。
そんな表現を使って記憶を語ったという。
判るのはただ、それについて多くの事が判っていないという事だけ。
だから冒険者ギルドは、情報を欲しがった。
その時、その人によって何を見るのかは異なる。
故にそれに実際に火を灯し、如何な夢を見たのか、そして夢を見た事による何らかの変化があるのか――その詳細な報告と知見を。
そして冒険者達は、その為に――円卓のキャンドルに火を近づける。
誰からともなく、視線を合わせ。
誰からともなく、それぞれの目の前にあるそれに――火を灯す。
瞬間、そこに刻まれている蝶の模様が、ひとつ羽ばたいた。
もう夢を見ているのか。
それは判らない。
ただ――蝶はいつしかひらひらと飛び立って、導くように虚空へ向かってゆく。
知らず、それを視線で追っていた冒険者は……そこがもう、自分の居た部屋ではない事に気がついていた。
柔らかな風がカーテンを仄かに揺らし、その光を淡く踊らせている。その中で――円形の卓にキャンドルがひとつ、またひとつと置かれていた。
美しい蝶の模様が入ったそれは、不可思議な謂れを持つものだ。
否、単なる謂れではなく――そこに座る冒険者達は既にその片鱗を体験している。
誰が作ったのか、誰が運んだのか。
この日、目が覚めた時――それはひとりひとりの枕元に置いてあった。
まるで悪戯か、何かのメッセージか、或いは贈り物か何かでもあるように。
曰く、それは火を灯すと眠りに誘われ不思議な夢を見るのだという。
同じ形でキャンドルを手に入れ、夢を見たという者は多く現れていて――それは既に市中の人々の話題に上っていた。
ある者は、美しい世界を見た。
ある者は、奇妙な世界を見た。
凄絶なまでの色彩に彩られた景色や、およそ自身の心の想像が及ばぬような光景に出会う事もあるといった。
皆が同じ夢を見る訳ではない、けれど時に……同じ夢の世界に迷い込んでしまったような、そんな体験をしたという者もいる。
夢を見たとある一人は――“幻想の旅をした”と。
そんな表現を使って記憶を語ったという。
判るのはただ、それについて多くの事が判っていないという事だけ。
だから冒険者ギルドは、情報を欲しがった。
その時、その人によって何を見るのかは異なる。
故にそれに実際に火を灯し、如何な夢を見たのか、そして夢を見た事による何らかの変化があるのか――その詳細な報告と知見を。
そして冒険者達は、その為に――円卓のキャンドルに火を近づける。
誰からともなく、視線を合わせ。
誰からともなく、それぞれの目の前にあるそれに――火を灯す。
瞬間、そこに刻まれている蝶の模様が、ひとつ羽ばたいた。
もう夢を見ているのか。
それは判らない。
ただ――蝶はいつしかひらひらと飛び立って、導くように虚空へ向かってゆく。
知らず、それを視線で追っていた冒険者は……そこがもう、自分の居た部屋ではない事に気がついていた。
解説
●目的
夢の世界を旅し、その出口を見つける。
●状況
キャンドルに火をつけた直後、蝶に招かれて夢の世界にいます。
夢の世界は、夢を見ている者の心象を元にした美しい景色が広がっています。
そこに何を見るかは本人次第です。花に溢れていたり、星が降っていたり、どんな光景が広がっていても構いません。
早々に夢だと自覚していても、していなくても構いませんが、スタート地点では夢から覚める事が出来ません。
早かれ遅かれ、そこから脱出する方法を模索する事になるでしょう。
●夢の出口
旅した先で、自身の心が示す問題が形となって現れます。
それを理解するか、解決するか、ただ圧倒されるか、対応は自由です。
その景色が今の自分の心を表す一つだと知る事が出来れば、出口が開いて夢から覚める事が出来ます。
●同行者
同じ夢の世界に、参加者同士が同行しても構いません。
この場合、途中で別れてそれぞれの出口を見つけるか、同行者の誰かの出口に同道して脱出を図る事になるでしょう。
●キャンドルについて
夢が終わるとキャンドルは消えています。
体調にも異変は出ない事でしょう。ただ、夢を見た事で何か精神的な事を自覚したり、心境の変化が現れる事はあるかも知れません。
マスターより
夢オチを前提としたシナリオです。
夢の中では世界観的に有り得ないものを見ても構いません。夢の内容がアニエピカの世界観に影響は与える事はありません。
何でもありの内容となります(著しく公序良俗に反したものなどは採用されない可能性があります)。
夢の出口で見る景色や心の中の問題は、深刻なものである必要はありません。根源的なものから日常の中で感じた事まで、夢を見る本人次第でしょう。
今現在の自身が気にしている事が何かを考えると、イメージしやすいかも知れません。
全体的には、心象や風景の描写重視となりそうです。
要素だけで味付けはこちらにお任せしたり、全体的にふんわりとアドリブ重視にして頂いても、どのような出口に繋がるかが判れば問題ありません。
なお、目覚めた後の事をプレイングに書く必要はありません。夢の内容は適切に報告されたものとして扱います。
皆様のプレイングを心より楽しみにお待ちしております。
リプレイ
●未来
きっとそれは、ほんの少しの切なさだった。
麗らかな陽光に醒めたエルナ・クルプファルツは――そんな事を思った。
(でも……)
それだけじゃない。
エルナは心の中にそんな思いもまた抱いていた。
キャンドルの火が仄かに揺れたその時。
蝶がひらり、ひらりと翅を動かしたから……エルナはそれに目を奪われていた。
(蝶々さんが……!)
目を少しこすってみても、見えるものは変わらない。
美しいそれが宙に飛び立って――自分でも知らず、それを追って一歩歩む。そこでエルナは初めて、今いる場所が部屋ではなくなっていると気づいた。
かつり、と。
靴音を反響させるのは灰色の地面。
それがアスファルトである事を、エルナは知らない。
下ろしていた視線を上げると、白線で引かれた横断歩道が見える。レンズを通したように像がぶれた赤と緑の光は、明滅する信号だった。
かごめかごめ
籠の中の鳥は――
電子音が響かせるのは、どこか淋しげで、けれど不思議と心の奥の琴線に触れてくるようなメロディで。
「ここは……」
エルナはその景色に視線を巡らせて――ようやく周りに広がるものに意識が向く。
不明瞭なざわめきと、幾重もの雑踏。
無数の人々が、スクランブル交差点を際限なく渡っては消えていた。
直ぐ側を通り過ぎる者もいる。けれど、どの人物の顔も認識出来ない。
「あの――」
エルナが声をかけようとしても、人々は気づかないように過ぎてゆく。
距離は近いのに、まるでとても遠くに離れているようで。皆が彼方に過ぎ去って消えてしまうかのようで。
(……夢、でしょうか)
ひとまずは、動いてみなければ始まらない。
いつだってエルナはそうやって動いてきた。だからこんな場所でもエルナはきょろきょろと見渡して――颯爽と歩き出してみる。
すると横断歩道を渡って暫し進んだ先に、駅があるのが見えた。
多くの人が吸い込まれていくらしいのを見て取ると――
「きっと重要な場所に違いありません!」
エルナはそう決めて自分も紛れ込む。そしていつしか自分が切符を持っていた事に気づき……電車に乗っていた。
(いつかの夢を、思い出すような――)
そんな思いと共に、流れ出した車窓の景色を眺める。
すると――
「あっ!」
不意に見知った景色を見つけ、エルナはそこへ降りていた。
そこは水面に花々が浮かぶ、色彩に満ちた湖だった。
記憶よりも幻想の度合いが強いけれど、間違いなく……樹海の景色だ。
「ここからなら、知っている場所に行けるでしょうか?」
エルナは花色と水の燦めきが美しい、そんな眺めの中を渡って島の一つに辿り着き、先を目指す。
と、いつしか湖がなくなっていて――
「猫さん!」
見えるのは沢山の猫が平和に暮らす長閑な景色。
にゃあにゃあと触れ合ってくる猫に構いながら、その奥へ進んでみると……今度は水路が明媚な街から舞踏会のホールへ。
そこを出ると桜吹雪、星の降る丘、藍色の海が順に広がって――エルナはどこか懐かしい気持ちになった。
(私は、記憶を辿っているのでしょうか)
けれどそうじゃないと気づく。
彼方に夜明けが訪れると、その先にはエルナの知らない景色があったから。
「わぁ――!」
翠色の苔むした森では、水流の音がメロディを奏でている。上方から光が差す洞窟では、乱反射によって虹の道が出来ている。
エルナは心に直感していた。
これは記憶じゃなく、過去、そして多分――未来なのかも知れないと。
ずっと先まで歩いていくと、馴染みの街角喫茶店を見つけて……エルナはそこへ入った。
造りはやっぱり、見慣れたもので。
でも――そこで酒盛りをしている者、談笑している者。そこにいる誰の顔もエルナには覚えがなかった。
(きっとここは――)
未来の先にある、何十年後かの姿なのだ、と。
エルナが中へ歩んでも、声をかけてくる者はいない。それも自然な事だろう、エルナの見知った友人達はもう、いないのだろうから。
店内は昔と一緒で明るかった。
人は多く賑やかで、皆が楽しげで。
けれど、エルナは心に静けさを覚える。それはきっと、自分が在りし日の友を思い浮かべて……切なさを感じているから。
(――でも!)
エルナは明朗な感情で思い直す。
一つ空いた席の上には、懐かしい樽ジョッキがある。
そこに座って、エルナは新しい人達の顔を見た。別れは訪れる。でも、踏み出せば出会いだってあるのだから。
「あの――!」
そうしてエルナは笑顔で話しかける。
きっと仲良くなれる。あの日、あの思い出の中でそうだったように。
行く先はまだまだ拓けている。
歩み続ければ、そんな希望だってある。
胸は少しだけ締め付けられるけれど――今エルナが感じるのは、未来の暖かな光。
その輝きが形をとったように、景色が眩く染まり始めた。
それは夢の出口。
「また、いつか!」
だからエルナは談笑した後、歩み出す。
その真っ直ぐな足取りは、未来への今を踏みしめていた。
●もう一人の
琥珀色の瞳に、宙を踊る蝶が映る。
キャンドルから飛び立ったそれを、フリューリングスルフト=ティエラは不思議な気持ちで見つめていた。
(これは一体――)
そして何が起こったのかと、思うのと同時。
体を動かそうとして、足元に突如として違和感を覚える。
一つは仄かな風。
一つはひんやりとした温度。
それにはっとして視線を下ろし……フリューはそこが今までにいた部屋ではない事に気づいていた。
「――ここは」
自分の声が、まるで自分の中に反響するように聞こえる。
目の前に広がるのは、二つの景色だった。
左は暗く、底と果ての見えぬ海。
右は瞬く星と、眩い太陽が在る夜明けの空。
天地を横たえたような眺めで――フリューはその境に立っていた。
感じた風は、暁の空から吹いてくる、東雲の匂いを含んだもの。そして冷たい温度は……左の足元で波紋を広げる水面のものだ。
感覚と景色を意識して、フリューはすぐに理解する。
「夢。夢やねこれは」
自分の中にある世界を映し出しているような気がした事も、それを証明する一つだろう。
右手首に視線をやれば、そこには銀色と金色の花が咲いていて。
改めて空側の世界を見渡せば、そこには――きら、きら、きら。色とりどりの美しい水晶が、光を内包したまま浮いていたから。
「星はあの子、太陽は彼――」
誰に言われたわけでもないのに、フリューにはそれが判る。
「水晶は皆やろか?」
その一つ一つの燦めきが綺麗で、見知っている気がしたから……きっと間違いないと思えて少しだけ笑みを零す。
「花は……」
そっとそれに触れたフリューは……無意識に口付けして、花弁を一枚食べていた。
すると、気持ちが心に巡る。
(うん、きっと)
ここは記憶に、心に、自分が広がる場所だ、と。
だから、気になるところもある。
空の世界は見惚れる程に美しいけれど――所々はぼやけていて、明瞭に望めない感覚があって。
はっきりとは言えないけれど。
――足りない。
何か、そう思わせる部分があって。
そしてそれを意識すると、自然と視界に映してしまうのが……左にある海の世界だった。
「……」
フリューはその海を見つめる。
見ている夢について、多くの事が判ったつもりだったけれど……まだそこに何があるかは判らない。
ただ昏く、ただ深く。
その奥に何かが眠っている。
いや、違う。
フリューは思い直す。今、自分は他でもないそれを見つめている。
奥にあったのは、琥珀色だ。
それは――
「……うち?」
言葉に出す事で、何かがゆるりと紐解かれてゆくように。それがもう一人の自分なのだとフリューには判った。
「……、……っ」
フリューはとっさに何かを言おうとして、言えなかった。
或いは、声をかけようとして惑ったのかも知れない。もう一人の自分を、何と呼んでいいか判らなかったのだ。
自然な反応だったろう。
もう一人の自分――■■は、もう名前の無い存在だったから。
対面するのは初めてだった。けれどフリューは以前から薄々、自分の中に違う誰かがいるのは感じていた。
だからこそ確かに理解できる。
自分は今、自分と違い、同時に同一でもある存在と向き合っているのだ。
(手を、伸ばしている?)
うずくまっているようにも、あるいは真っ直ぐこちらを見ているようにも感じられるそれは……フリューと近い所で触れ合おうとしていた。
その認識は、誤ってはいない。
■■は知っている。
自身がラーテルと狸が混ざった“ナニか”である事。
そして他でもない、フリューが自分を閉じ込めている事を。
それを、無限の深さを持つ海を通して感じる気がして。フリューはぼんやりと、その存在との関係性を理解した。
(うちは――)
フリューが負の感情をあまり理解出来ず、抱けず、寄り添えない理由。
それは故郷の大人達がそれごと■■を閉じ込めたからだ。負の感情を抱けない人格として――フリューを作ったからだ。
小さな漣が立つ。
■■が意思を伝えていた。
世界が嫌いだ。フリューが嫌いだ。
生きていたくない、全部壊して……消えてしまいたい、と。
(どうしたら、いいんやろ……)
フリューは考える。
本来の人格に明け渡す? それとも、無視して生きる?
(喰らえばうちも、誰かの悲しみに寄り添え――)
と、思考の途中で声が割り込んだ。
『フリューリングスルフト=ティエラ、なんてどうかな』
それは顔も名もよく覚えてない「名付け親」の声だ。
『答えはこれから得ればいいさ』
声の一つ一つが響くと同時に、世界にノイズが走る。
本能だったのかどうかは、判らない。
いつしか開いていた世界の出口へ、フリューは歩き出していた。
この夢の全てを、起きても覚えてはいないかも知れない。
それでも――今は撤退。
ただ、それだけがフリューに出せる答えだった。
●光
蝶が導くように翔んでゆく。
彼方のどこか、遠い場所へ。
それでいて確かに、此処と繋がっている場所へ。
だからロゼットは羽ばたくそれを追って、自然と歩き出している。そして――数歩進んだ所で、足元に石の硬い感触を覚えていた。
緩やかな水の音が聞こえる。
「……?」
見回すロゼットは、そこが今までいた部屋ではない事に気づいていた。
耳朶を打つのは快く、不思議な感覚にもなる水流の響き。そこへ目をやると……眼前に広がるのが余りに雄大な大河だと判る。
「大きな、河――」
向こう岸が見えないほどの幅があり、底の窺えぬ深さがあるようで。
すぐに、それが普通の河ではないとも理解していた。ただの水にしてはその流れはゆったりとしていて、霞のようでもあったから。
(これはきっと……)
大きな境目なのだろう。
本能でもなく、論理でもなく。
ロゼットはうっすらと染み込んでくるような感覚で、ここが死後の世界なのかも知れないと思った。
気づけば――ふわり、ふわり。
幾つもの光が浮かんでいて、その一つ一つがこちら側の岸から向こうへ、河を渡っていくのが見える。
光はどれも似ている気がしたけれど、どれも違う。
光り方も、その色も。時に、見覚えのあるような光もあって――ロゼットは自分がそれに触れた事があるような既視感を覚えてもいた。
(死者の魂が至るマトリクス界が、あるとしたら……)
あの光は――。
ロゼットは思いを抱きながら、岸に沿って歩んでゆく。
すると、ある事に気づいた。
全ての光は河を渡ろうとして景色の奥へ向かってゆくが……それを悠々と成し遂げるものばかりじゃない、と。
止まらず真っ直ぐに河を渡っていけるもの。
右へ左へと、ゆらゆらとぶれながらも奥へ進んでゆくもの。
そして――
「……あれは」
ロゼットははたと止まる。
視線の先、小さな光が一つ、地面に留まっているのが見えたのだ。
それは何度か浮かび上がろうとしているが、力が弱いのかまた地面に戻ってしまう。
ロゼットは自然と歩み寄り、そっとしゃがみ込んだ。それが助けを必要としているように思えたから。
「……」
けれど、自分が手を出して良いものか迷いも生まれた。
(私は――)
幼い頃から、神官としての教育を受け、神官として生きてきた。
そして冒険者となって世界を巡り、あらゆる場所で神官としての勤めを全うしてきた。
静謐の佇む場所で。
激しい戦場で。
ロゼットは多くの、亡くなった者の魂に祈りを捧げてきた。迷わずマトリクス界へ至れますように――と。
その行いを、その志を、間違ったものだなどと思ってはいない。
ばかりか他の誰から見ても――ロゼットとは、人に、命に、そして魂に真摯に寄り添う神官であった事だろう。
(でも……)
故にこそ、思う事はある。
ずっと祈りを続けてきた。その自分の祈りは、彼らをちゃんと送ってあげられるものだったのだろうか、と。
でも、見つめるロゼットの躊躇いは長いものではなかった。
両手を差し出すと、その光をそっとすくい上げている。
そして――
「魂へ、優しき力を」
穏やかに心を込めて。
淡い光を伴う神聖術の癒やしの奇跡。その要領で光へと力を与えていた。
すると、光がふわりと浮かび上がる。その動きは先刻よりも力強くて……もう地面に留まったりはしなかった。
ロゼットが見つめていると、光はそのまま宙を泳いでいく。後は迷う様子もなく――河を渡って彼方へ去っていった。
それが正しい行いだったか、断言は出来ない。
でも――
「良かった」
ロゼットはそれを見て小さな安堵を得ていた。
そうして立ち上がる、と。
「……あれは」
ロゼットは岸辺に視線を留める。
そこに人影にも似たシルエットを見つけていた。
数歩近づいてみると――それは襤褸を着た渡し守だ。舟に乗り、櫂を立てて岸に停まり、こちらを見ている。
だけでなく……渡し守はロゼットに対し、何かへの礼のように頭を下げていた。
ロゼットはそれに礼を返す。
渡し守が舟と櫂を示し、意思を伝えても来るけれど。
「私にはまだもう少し、やることがあるので」
ロゼットは言って、舟には乗らずに後ろへ向く。
そうして河を背にして歩き出していた。
これでいい。言葉にした通り、自分には歩むべき長い道が残っているのだから。
段々と景色が薄れてゆく。夢が終わるのだろうと、ロゼットは自覚した。
醒めた後には、どんな日々が待っているだろう。
未来の事は判らない。
でも、自分はこれからも祈ってゆくに違いない。あの光が力を得たように。あの魂が行くべき場所へ行く事が出来たように。
ひらひらと、蝶が舞っている。
目を閉じて、開けた。
「――明るいわね」
そこに光が差していた。
カーテンの揺れる窓辺から零れる、優しい太陽の光だ。
●前へ
蝶を追って走るのが先だったか。
自ら駆け始めたのが先だったか。
それは思い出せない。いや、思い出す必要がなかったのかも知れない。
ナキルは少なくとも今、自分の意志で走っていた。
自分の決断で剣をその手に握り――前に立ちはだかる巨木を両断して、再び前方の景色を望んでいた。
(オレは今――)
先へ先へと向かっている。
それが事実であり、真実だった。
その景色を夢だと判っていただろうか。
或いは、そんな事すらもナキルには些末な事だったろう。
巨木を斬り裂いて次へ向かった先、そこには巨大な鎧が立っていた。
美しいとも、奇怪とも言える見目をしている。不思議な艶を持つそれは、おそらく頑強で、頑丈で、そしてナキルを前に進ませまいとしていた。
「止まるかよ」
だがナキルは剣を大きく振りかぶり、振り下ろす。
その一刀は強い手応えを齎して、ナキルの手を痺れさせるほどだった。けれどナキルは途中で止めず、一気に鎧を斬り伏せた。
それが大きな音を立てて崩れ去ってゆくと――またその先に新たな地平が見える。
一つ、斬り伏せて、その先へ。
一つ、斬り伏せて、またその先へ。
越えるたびに、新しい景色が瞳に映り、世界が重なってゆく。視界が雄大になり、見えるものが増えてゆく。
進むほどに広くなる世界。
ナキルはずっとそれを、楽しいと感じていた。
否、今も感じているはずだった。そんな心を胸にしてがむしゃらに前へ行く自分は、決して居なくなった訳じゃない。
ただ。
(ただ……)
心に別の感情も同居する。
そう、“目的地の”イメージが鮮明になる程に。
この足が出せる全力が、この手が手にできるモノの数が。
瞳に映る世界に対する視野の広さが――自分の足りなさを、実感させるのだ。
目的地はずっと前から、視えていた。
ただ、それを塞ぐように現れるものもある。
「……!」
ナキルがはっと気づくと、視線の先に蠢く魔物がいた。
蛇とも竜とも、或いは虫ともつかぬ造形をした一体で、鎧の何倍もの大きさを持つ体躯に無限の力を内包しているようだ。
それは砂地を這って近づいてくると、巨大な口を開けてこちらを飲み込もうとする。
ナキルはとっさに横っ飛びに避けて転がった。
「ちっ……」
まるで象と蟻。
だが、それでもナキルは怯まない。
すぐに体勢を直すと、脆弱そうな尻尾を見つけてそこへ一閃。鮮烈な斬撃で寸断し、魔物が怯んだ隙に本体をも斬り捨てた。
そうしてまた前を目指すナキルだが――今度は魔物よりも大きな山岳が道を塞いでいた。
果てしないそれに、ナキルは一瞬だけ息を吐く。
真っ直ぐに、ただ只管に、走り抜ければいい――そう思えるだけの景色ならどんなに良かったか、と。
「――いいさ」
それでも悪態をつく暇はない。
ナキルは素早く視線を走らせた。山の木々の間には黒い輪郭が揺らめいていて、それが異形の敵なのだと判る。
無視出来ず、かといって考えなしには突っ込めない相手。
だからナキルは戦術眼で導を辿る。
(右は、……いや、違う)
その間も止まる事はない。
単なる最短ルートは綻びを生む。自分が選べるのは最大限の攻略ルートだと知っている。だから足と頭を絶えず働かせながら。
無論、それが最適解かどうかは判らない。
だからナキルは闇を斬り、薙ぎ払い、時に手痛い反撃を喰らいながら……一つ一つを、新たに知っていく。
進むためには、“知らなかった敵”を知るたびに、その敵へ相対する術を、方法を、学びを得る必要がある。
それは決して簡単な事じゃない。
いつだって瀬戸際で。
いつだって止まってしまう危険があって。
ずっと続けているナキルだからこそ、それを誰よりも知っていた。
そしてこんな時こそ――自分の足りなさをまた強く実感してしまうのだ。
(ああ、そうだ)
でも……一歩ずつ、少しずつ。覚えるコツも掴んできたから――以前よりは研鑽に時間を割かずに済んでいる自覚もある。
路の無い場所だろうと、遮る壁が厚かろうと。
一寸先が眼に見えずとも、踏みつけるこの地面が抜け落ちようと。
“目指すべきゴール”だけは、見失う事は無いのだから。
山を越えると、見知らぬ大地へ辿り着いていた。
けれど先は長いと知っている。また多くを学んで、剣を振るい続けてゆく必要があるのだから。
ナキルはふと、思った。
誰かがこんな自分を見た時、“苦しい”と表現するのだろうか。
目を横に向けると、鏡がある。そこに映る自分は、傷を負って、擦り切れて、傍目には満身創痍にも見えた。
ただ、それを見てナキルは改めて考える。
「いや、ンなコト……ねーな!」
傷跡は止まらなかった証。
そして今が通過点でしか無いという証。
故にナキルは鏡を叩き割る。
――オレは笑って、この道を抜けて来た。
だから胸を張ってその場所に立とう。
理想の、それ以上の自分になる為の最高最速のルート。
醒めるのは、全てが叶った後だ。
●変わらぬもの
焔がゆらりと、一際大きく棚引いた。
ナタリア・フィッツジェラルドはその揺らめきを見つめている。
「使い手を不思議な夢へと誘うキャンドル、か」
まさか自分の所にも来るとは、と呟きが零れた。
こんな形でも、妖精に攫われる――なんて事があるのだろうか?
それは判らない。
けれどナタリアがつけた火は段々と薄ぼんやりとしてきて、こちらの意識を、心を、どこかへと導いていく。
――嗚呼、自分はきっと夢を視る。
ナタリアがそう思った頃には、視界を色のない闇が覆っていく。
「どう、思いますか?」
その言葉にはっと、ナタリアは目を覚ます。
誰かに、話しかけられていたらしい。隣に視線を向けると、硬質な床に立つ白衣の女性が見えた。
「――ええ」
ナタリアは発した自分の声に少し違和を覚えながらも、周りを見回す。
ここはどこだろうと、少しぼうっとしていたのも一瞬。すぐにそこがどこなのか意識が行った。
デスクには数字の羅列が印刷されたデータ表や、走り書きをしたメモ、ファイルに綴じられた多様な書類が置かれている。
奥を見るとフラスコやビーカー、或いはもっと複雑な実験器具があるのが分かった。
――研究棟の中。
ナタリア自身も白衣に身を包み、作業の邪魔にならぬようにと、豊かな髪を後ろで結って纏めている。
そして今は透明な樹脂で出来た飼育ケースの前にいた。
(……これは)
そこにいるのは芋虫や蛹。
全て同種で、いつか蝶になる……そんな虫達の住処。
「この芋虫が、蛹を経て蝶となる。やはり私にはそれが不思議な事に思えます」
ナタリアはそう言いながら、改めて驚きを覚える。
静かで穏やかな語り口。その振る舞いを当然であるように、何の不自然もなく行っている事に。
「それぞれは生き物としてまるで別物です。なのに皆、等しく蝶に至る」
「やはりそこにヒントがあると?」
「ええ」
ナタリアは少し柔らかに相槌を打つ。
それを自覚して、感じる。
(違う)
これは自分ではない。
でも、同時にそれが紛れもない自分自身でもあるとも分かってしまう。
「彼らはこのプロセスで――まるで生まれ変わりを繰り返しているようです」
自分の知っている世界とは違う光景。それが荒唐無稽だと分かっていても、自意識はどうしようもなく自身である事を示す。
そして自分は――蝶の成長に転生のヒントを見出している。
言葉遣いも、仕草も、研究の為の手段も何もかも穏やかだけれど……情熱こそそのままなのだと、証明するように。
「ナタリアさん、来て下さい」
ふと扉が開いて、別の研究員が声をかけた。
傍の実験室へ呼ばれているのだ。
「判りました。すぐに行きます」
ナタリアは柔和に応える。
そこに拭えぬ自分との差異を感じながら……同時に、間違いなく自分の意志で言葉を発した、そんな二律背反の感覚と共に。
素早く滅菌をして、実験室に入る。
(これは……)
そこには先刻の部屋にあったものとは違う、巨大な飼育スペースがあった。
自然の環境を再現した実験場で、実際のデータの収集と観察はこちらによって行われる。
その中に――今、羽化を迎えようとしている幾つもの蛹があった。
ゆっくりと翅が出て、広がる。
(――ああ)
ナタリアは不思議な気持ちだった。
これは自分がいる世界ではない。なのに、そこから目を離せない。
いつしか蝶となったそれらは、宙に羽ばたいて空へと踊り始めていた。
一匹が高く舞うと、一匹が低く舞う。時に戯れるかのように近づいては離れ、また大きく空中を回遊してゆく。
(何という――)
彼らは、生まれ変わったのだ。
そしてこれから自然へ帰されるだろう。新たな世界へと、飛び立たんとしているのだ。
その神秘に、その美しさに……ナタリアは見惚れないではいられずに。虜にならずにはいられなかった。
だからナタリアは本来の自分と今の自分が、重なった気がして。
強く、自覚させられる。
(生きている世界は違えども――)
自分という人間が似通っている事に相違ないとでもいうのだろうか、と。
蝶が羽ばたき、消えてゆく。
そこで夢も消え去って、自分が現実に戻った事にナタリアは気がついた。
「……ここは」
立ち上がろうとして、傍に控えていたギルドの者に支えられる。
「大丈夫ですか?」
「ええ。……ああ、いや」
口調と距離感、そこに一瞬の混乱が生じるけれど――すぐにナタリアは平時の調子に戻って、体勢を直した。
「報告はすぐに纏める」
後はそう言って、部屋を出る為に歩き出す。
(……)
クリーパーも脅威もありやしない、平和で幸福な世界……。明らかに信じ難い話の筈なのに、それでも確かに現実としか思えなかった。
「……まあいい」
ナタリアは首を振る。
(例え何もかも狂っていようとも――)
――私は私を信じて歩むだけだ。
だから、夢に惑わずに。ナタリアは陽光の差す部屋を去っていった。
●旅人
「幻想の旅。そう聞けば、旅人として興味が湧いた」
蒼い瞳が不思議と目を惹く、静かな旅人――だわは冒険者ギルドの一室で、そう報告の端緒を話し始めた。
「夢から醒めないという話も聞かない。だから、興味本位でキャンドルに火をつけた」
端的で、余計な情報は挟まない。
言葉に多くの感情を含めてはいないが、同時に脚色のない真摯な伝達である事が判る……そんな口調で、まずは夢の出発点から説明をした。
『そこは、いくつもの岩場が浮かんでいる空間だった』
キャンドルに火を灯して数瞬後。
羽ばたいた蝶を目で追って、一歩歩んだその場所に広がった景色の事を……だわは後にそう表現する。
「……ここは」
夢か、と。
そこに立っている事に気づいた時、だわはそれが一瞬信じられないほどだった。
握って開く、手のひらの感覚。硬質な足元の感覚。
全てが注意をしなければ――否、注意をしても差異が見つけられないくらいに、その空気感は現実のものと酷似していたから。
(だが、夢か)
思いながらだわは視線を巡らせる。
頭上に大きな影があって、上方の視界を塞いでいる。幾つもあるそれが、全て岩を主として構成されたものだと判った。
それらは一つとして同じものがない。
草が生え、自然の色合いが濃くなっているもの。或いは街中のような敷石が断続的に埋められているもの。
全体が深い土に覆われたものがあれば、反面、ただの岩塊にしか見えぬものもあった。
「……」
僅かな時間それを見つめていたのは、どこか記憶の片隅が擽られるような感覚があったからだろうか。
見覚えがある、とまでは言わない。
それでもそこに何か、感ずるものはあった。
ただ――だわには岩場とは別に視線を奪われたものがある。宙にきらきらと舞っている、金属の破片のようなものだ。
「あれは剣、か」
自身の佩いている剣に一度だけ触れ、それと遠くない存在だと理解する。あれは、砕けた剣の残骸なのだと。
そして少しだけ、自身の歩んできた時間を想起した。
今まで数え切れないほど、剣を振るっては折ってきた事を。
『如何に大切に使っていても、いつかは折れるものだ』
そう後に語った事と、同じ事をだわは思った。
これまでもそうだったし、これからもそうなのだろう、と。ある意味では、それこそが剣を握るという事なのだから。
そしてそこから歩き出す。
立っている場所から近い岩場があり、そこから岩場は更に上へ上へと続いていた。
辿れば登っていけそうだ。
だから、登ろうと思った。
『岩場は概ね、地上から見た通りの景色だった』
見た事があると思える眺めもあれば、そうでない光景もあった。
概して危険はなく、だわは止まる事なく登っていく事が出来た。そうして行き着いたのは、他に比して多少広めの岩場だ。
別段、物理的な脅威は存在せず……これまでと似た岩場と言えばそう言える。
ただ、そこには雨が降っていた。
『憂鬱な気分になったな。“雨”は大嫌いなんだ』
だわが飾らずそう報告したように、その時のだわ自身も全く同じ心持ちだった。
「……雨か」
零れる呟きを薄らがせていく雨音の中、だわはフードを目深に被り――これまでよりも微かに足早に歩き始める。
俯いていると、足元の水溜まりに不安げな面持ちの人々が映って見える。
その中には見知った顔もあったが――雨が水面を叩くうちに輪郭がぼやけて消えてしまった。
残るのは肌を打つ冷たさだけ。
その感覚が厭だった。
『“水の”……いや、“水”には嫌な思い出があってな』
『忘れもしない、あの日も雨だった……いや、詳細は勘弁してくれ』
だわは後にそうとだけ述べたが、確かに目の前の光景は過日の事を思い起こさせた。
忘れてはならない事。
決して忘れ得ぬ事。
自身がずっと反芻し続けている事を、幻影か何かで見せられているのではないかと。
「……」
否定をする材料はないし、否定をしても意味はない。
夢であれば、如何な事も起こり得る。だからだわは……一層、無限に降る雫から逃れるように歩みを速めていた。
『ふと気付けば、さっきまで無かった岩塊が近くにあった』
それには大きな横穴が開いていて、内部が洞窟のようになっていた。
中は暗闇で、先は全く見えない。
それでも、雨宿りが出来る事が重要だったから――だわは足を踏み入れて。
「そこで目が醒めた」
これがだわが夢に見た一部始終である。
情報の漏れはなく、見たものは思い出せた限りで全て伝えた。
だからだわはそこで報告を終える。
ギルドの職員が聞きたそうにしている部分があった事も判っているが、それは仕事とは関係のない話だ。
「……特段、体に不調等は無い。報告は以上だ」
だわの言葉に頷いて……話を書き留め終えた職員が礼を述べる。
それに静かに応えて、だわは帰路についていった。
きっとそれは、ほんの少しの切なさだった。
麗らかな陽光に醒めたエルナ・クルプファルツは――そんな事を思った。
(でも……)
それだけじゃない。
エルナは心の中にそんな思いもまた抱いていた。
キャンドルの火が仄かに揺れたその時。
蝶がひらり、ひらりと翅を動かしたから……エルナはそれに目を奪われていた。
(蝶々さんが……!)
目を少しこすってみても、見えるものは変わらない。
美しいそれが宙に飛び立って――自分でも知らず、それを追って一歩歩む。そこでエルナは初めて、今いる場所が部屋ではなくなっていると気づいた。
かつり、と。
靴音を反響させるのは灰色の地面。
それがアスファルトである事を、エルナは知らない。
下ろしていた視線を上げると、白線で引かれた横断歩道が見える。レンズを通したように像がぶれた赤と緑の光は、明滅する信号だった。
かごめかごめ
籠の中の鳥は――
電子音が響かせるのは、どこか淋しげで、けれど不思議と心の奥の琴線に触れてくるようなメロディで。
「ここは……」
エルナはその景色に視線を巡らせて――ようやく周りに広がるものに意識が向く。
不明瞭なざわめきと、幾重もの雑踏。
無数の人々が、スクランブル交差点を際限なく渡っては消えていた。
直ぐ側を通り過ぎる者もいる。けれど、どの人物の顔も認識出来ない。
「あの――」
エルナが声をかけようとしても、人々は気づかないように過ぎてゆく。
距離は近いのに、まるでとても遠くに離れているようで。皆が彼方に過ぎ去って消えてしまうかのようで。
(……夢、でしょうか)
ひとまずは、動いてみなければ始まらない。
いつだってエルナはそうやって動いてきた。だからこんな場所でもエルナはきょろきょろと見渡して――颯爽と歩き出してみる。
すると横断歩道を渡って暫し進んだ先に、駅があるのが見えた。
多くの人が吸い込まれていくらしいのを見て取ると――
「きっと重要な場所に違いありません!」
エルナはそう決めて自分も紛れ込む。そしていつしか自分が切符を持っていた事に気づき……電車に乗っていた。
(いつかの夢を、思い出すような――)
そんな思いと共に、流れ出した車窓の景色を眺める。
すると――
「あっ!」
不意に見知った景色を見つけ、エルナはそこへ降りていた。
そこは水面に花々が浮かぶ、色彩に満ちた湖だった。
記憶よりも幻想の度合いが強いけれど、間違いなく……樹海の景色だ。
「ここからなら、知っている場所に行けるでしょうか?」
エルナは花色と水の燦めきが美しい、そんな眺めの中を渡って島の一つに辿り着き、先を目指す。
と、いつしか湖がなくなっていて――
「猫さん!」
見えるのは沢山の猫が平和に暮らす長閑な景色。
にゃあにゃあと触れ合ってくる猫に構いながら、その奥へ進んでみると……今度は水路が明媚な街から舞踏会のホールへ。
そこを出ると桜吹雪、星の降る丘、藍色の海が順に広がって――エルナはどこか懐かしい気持ちになった。
(私は、記憶を辿っているのでしょうか)
けれどそうじゃないと気づく。
彼方に夜明けが訪れると、その先にはエルナの知らない景色があったから。
「わぁ――!」
翠色の苔むした森では、水流の音がメロディを奏でている。上方から光が差す洞窟では、乱反射によって虹の道が出来ている。
エルナは心に直感していた。
これは記憶じゃなく、過去、そして多分――未来なのかも知れないと。
ずっと先まで歩いていくと、馴染みの街角喫茶店を見つけて……エルナはそこへ入った。
造りはやっぱり、見慣れたもので。
でも――そこで酒盛りをしている者、談笑している者。そこにいる誰の顔もエルナには覚えがなかった。
(きっとここは――)
未来の先にある、何十年後かの姿なのだ、と。
エルナが中へ歩んでも、声をかけてくる者はいない。それも自然な事だろう、エルナの見知った友人達はもう、いないのだろうから。
店内は昔と一緒で明るかった。
人は多く賑やかで、皆が楽しげで。
けれど、エルナは心に静けさを覚える。それはきっと、自分が在りし日の友を思い浮かべて……切なさを感じているから。
(――でも!)
エルナは明朗な感情で思い直す。
一つ空いた席の上には、懐かしい樽ジョッキがある。
そこに座って、エルナは新しい人達の顔を見た。別れは訪れる。でも、踏み出せば出会いだってあるのだから。
「あの――!」
そうしてエルナは笑顔で話しかける。
きっと仲良くなれる。あの日、あの思い出の中でそうだったように。
行く先はまだまだ拓けている。
歩み続ければ、そんな希望だってある。
胸は少しだけ締め付けられるけれど――今エルナが感じるのは、未来の暖かな光。
その輝きが形をとったように、景色が眩く染まり始めた。
それは夢の出口。
「また、いつか!」
だからエルナは談笑した後、歩み出す。
その真っ直ぐな足取りは、未来への今を踏みしめていた。
●もう一人の
琥珀色の瞳に、宙を踊る蝶が映る。
キャンドルから飛び立ったそれを、フリューリングスルフト=ティエラは不思議な気持ちで見つめていた。
(これは一体――)
そして何が起こったのかと、思うのと同時。
体を動かそうとして、足元に突如として違和感を覚える。
一つは仄かな風。
一つはひんやりとした温度。
それにはっとして視線を下ろし……フリューはそこが今までにいた部屋ではない事に気づいていた。
「――ここは」
自分の声が、まるで自分の中に反響するように聞こえる。
目の前に広がるのは、二つの景色だった。
左は暗く、底と果ての見えぬ海。
右は瞬く星と、眩い太陽が在る夜明けの空。
天地を横たえたような眺めで――フリューはその境に立っていた。
感じた風は、暁の空から吹いてくる、東雲の匂いを含んだもの。そして冷たい温度は……左の足元で波紋を広げる水面のものだ。
感覚と景色を意識して、フリューはすぐに理解する。
「夢。夢やねこれは」
自分の中にある世界を映し出しているような気がした事も、それを証明する一つだろう。
右手首に視線をやれば、そこには銀色と金色の花が咲いていて。
改めて空側の世界を見渡せば、そこには――きら、きら、きら。色とりどりの美しい水晶が、光を内包したまま浮いていたから。
「星はあの子、太陽は彼――」
誰に言われたわけでもないのに、フリューにはそれが判る。
「水晶は皆やろか?」
その一つ一つの燦めきが綺麗で、見知っている気がしたから……きっと間違いないと思えて少しだけ笑みを零す。
「花は……」
そっとそれに触れたフリューは……無意識に口付けして、花弁を一枚食べていた。
すると、気持ちが心に巡る。
(うん、きっと)
ここは記憶に、心に、自分が広がる場所だ、と。
だから、気になるところもある。
空の世界は見惚れる程に美しいけれど――所々はぼやけていて、明瞭に望めない感覚があって。
はっきりとは言えないけれど。
――足りない。
何か、そう思わせる部分があって。
そしてそれを意識すると、自然と視界に映してしまうのが……左にある海の世界だった。
「……」
フリューはその海を見つめる。
見ている夢について、多くの事が判ったつもりだったけれど……まだそこに何があるかは判らない。
ただ昏く、ただ深く。
その奥に何かが眠っている。
いや、違う。
フリューは思い直す。今、自分は他でもないそれを見つめている。
奥にあったのは、琥珀色だ。
それは――
「……うち?」
言葉に出す事で、何かがゆるりと紐解かれてゆくように。それがもう一人の自分なのだとフリューには判った。
「……、……っ」
フリューはとっさに何かを言おうとして、言えなかった。
或いは、声をかけようとして惑ったのかも知れない。もう一人の自分を、何と呼んでいいか判らなかったのだ。
自然な反応だったろう。
もう一人の自分――■■は、もう名前の無い存在だったから。
対面するのは初めてだった。けれどフリューは以前から薄々、自分の中に違う誰かがいるのは感じていた。
だからこそ確かに理解できる。
自分は今、自分と違い、同時に同一でもある存在と向き合っているのだ。
(手を、伸ばしている?)
うずくまっているようにも、あるいは真っ直ぐこちらを見ているようにも感じられるそれは……フリューと近い所で触れ合おうとしていた。
その認識は、誤ってはいない。
■■は知っている。
自身がラーテルと狸が混ざった“ナニか”である事。
そして他でもない、フリューが自分を閉じ込めている事を。
それを、無限の深さを持つ海を通して感じる気がして。フリューはぼんやりと、その存在との関係性を理解した。
(うちは――)
フリューが負の感情をあまり理解出来ず、抱けず、寄り添えない理由。
それは故郷の大人達がそれごと■■を閉じ込めたからだ。負の感情を抱けない人格として――フリューを作ったからだ。
小さな漣が立つ。
■■が意思を伝えていた。
世界が嫌いだ。フリューが嫌いだ。
生きていたくない、全部壊して……消えてしまいたい、と。
(どうしたら、いいんやろ……)
フリューは考える。
本来の人格に明け渡す? それとも、無視して生きる?
(喰らえばうちも、誰かの悲しみに寄り添え――)
と、思考の途中で声が割り込んだ。
『フリューリングスルフト=ティエラ、なんてどうかな』
それは顔も名もよく覚えてない「名付け親」の声だ。
『答えはこれから得ればいいさ』
声の一つ一つが響くと同時に、世界にノイズが走る。
本能だったのかどうかは、判らない。
いつしか開いていた世界の出口へ、フリューは歩き出していた。
この夢の全てを、起きても覚えてはいないかも知れない。
それでも――今は撤退。
ただ、それだけがフリューに出せる答えだった。
●光
蝶が導くように翔んでゆく。
彼方のどこか、遠い場所へ。
それでいて確かに、此処と繋がっている場所へ。
だからロゼットは羽ばたくそれを追って、自然と歩き出している。そして――数歩進んだ所で、足元に石の硬い感触を覚えていた。
緩やかな水の音が聞こえる。
「……?」
見回すロゼットは、そこが今までいた部屋ではない事に気づいていた。
耳朶を打つのは快く、不思議な感覚にもなる水流の響き。そこへ目をやると……眼前に広がるのが余りに雄大な大河だと判る。
「大きな、河――」
向こう岸が見えないほどの幅があり、底の窺えぬ深さがあるようで。
すぐに、それが普通の河ではないとも理解していた。ただの水にしてはその流れはゆったりとしていて、霞のようでもあったから。
(これはきっと……)
大きな境目なのだろう。
本能でもなく、論理でもなく。
ロゼットはうっすらと染み込んでくるような感覚で、ここが死後の世界なのかも知れないと思った。
気づけば――ふわり、ふわり。
幾つもの光が浮かんでいて、その一つ一つがこちら側の岸から向こうへ、河を渡っていくのが見える。
光はどれも似ている気がしたけれど、どれも違う。
光り方も、その色も。時に、見覚えのあるような光もあって――ロゼットは自分がそれに触れた事があるような既視感を覚えてもいた。
(死者の魂が至るマトリクス界が、あるとしたら……)
あの光は――。
ロゼットは思いを抱きながら、岸に沿って歩んでゆく。
すると、ある事に気づいた。
全ての光は河を渡ろうとして景色の奥へ向かってゆくが……それを悠々と成し遂げるものばかりじゃない、と。
止まらず真っ直ぐに河を渡っていけるもの。
右へ左へと、ゆらゆらとぶれながらも奥へ進んでゆくもの。
そして――
「……あれは」
ロゼットははたと止まる。
視線の先、小さな光が一つ、地面に留まっているのが見えたのだ。
それは何度か浮かび上がろうとしているが、力が弱いのかまた地面に戻ってしまう。
ロゼットは自然と歩み寄り、そっとしゃがみ込んだ。それが助けを必要としているように思えたから。
「……」
けれど、自分が手を出して良いものか迷いも生まれた。
(私は――)
幼い頃から、神官としての教育を受け、神官として生きてきた。
そして冒険者となって世界を巡り、あらゆる場所で神官としての勤めを全うしてきた。
静謐の佇む場所で。
激しい戦場で。
ロゼットは多くの、亡くなった者の魂に祈りを捧げてきた。迷わずマトリクス界へ至れますように――と。
その行いを、その志を、間違ったものだなどと思ってはいない。
ばかりか他の誰から見ても――ロゼットとは、人に、命に、そして魂に真摯に寄り添う神官であった事だろう。
(でも……)
故にこそ、思う事はある。
ずっと祈りを続けてきた。その自分の祈りは、彼らをちゃんと送ってあげられるものだったのだろうか、と。
でも、見つめるロゼットの躊躇いは長いものではなかった。
両手を差し出すと、その光をそっとすくい上げている。
そして――
「魂へ、優しき力を」
穏やかに心を込めて。
淡い光を伴う神聖術の癒やしの奇跡。その要領で光へと力を与えていた。
すると、光がふわりと浮かび上がる。その動きは先刻よりも力強くて……もう地面に留まったりはしなかった。
ロゼットが見つめていると、光はそのまま宙を泳いでいく。後は迷う様子もなく――河を渡って彼方へ去っていった。
それが正しい行いだったか、断言は出来ない。
でも――
「良かった」
ロゼットはそれを見て小さな安堵を得ていた。
そうして立ち上がる、と。
「……あれは」
ロゼットは岸辺に視線を留める。
そこに人影にも似たシルエットを見つけていた。
数歩近づいてみると――それは襤褸を着た渡し守だ。舟に乗り、櫂を立てて岸に停まり、こちらを見ている。
だけでなく……渡し守はロゼットに対し、何かへの礼のように頭を下げていた。
ロゼットはそれに礼を返す。
渡し守が舟と櫂を示し、意思を伝えても来るけれど。
「私にはまだもう少し、やることがあるので」
ロゼットは言って、舟には乗らずに後ろへ向く。
そうして河を背にして歩き出していた。
これでいい。言葉にした通り、自分には歩むべき長い道が残っているのだから。
段々と景色が薄れてゆく。夢が終わるのだろうと、ロゼットは自覚した。
醒めた後には、どんな日々が待っているだろう。
未来の事は判らない。
でも、自分はこれからも祈ってゆくに違いない。あの光が力を得たように。あの魂が行くべき場所へ行く事が出来たように。
ひらひらと、蝶が舞っている。
目を閉じて、開けた。
「――明るいわね」
そこに光が差していた。
カーテンの揺れる窓辺から零れる、優しい太陽の光だ。
●前へ
蝶を追って走るのが先だったか。
自ら駆け始めたのが先だったか。
それは思い出せない。いや、思い出す必要がなかったのかも知れない。
ナキルは少なくとも今、自分の意志で走っていた。
自分の決断で剣をその手に握り――前に立ちはだかる巨木を両断して、再び前方の景色を望んでいた。
(オレは今――)
先へ先へと向かっている。
それが事実であり、真実だった。
その景色を夢だと判っていただろうか。
或いは、そんな事すらもナキルには些末な事だったろう。
巨木を斬り裂いて次へ向かった先、そこには巨大な鎧が立っていた。
美しいとも、奇怪とも言える見目をしている。不思議な艶を持つそれは、おそらく頑強で、頑丈で、そしてナキルを前に進ませまいとしていた。
「止まるかよ」
だがナキルは剣を大きく振りかぶり、振り下ろす。
その一刀は強い手応えを齎して、ナキルの手を痺れさせるほどだった。けれどナキルは途中で止めず、一気に鎧を斬り伏せた。
それが大きな音を立てて崩れ去ってゆくと――またその先に新たな地平が見える。
一つ、斬り伏せて、その先へ。
一つ、斬り伏せて、またその先へ。
越えるたびに、新しい景色が瞳に映り、世界が重なってゆく。視界が雄大になり、見えるものが増えてゆく。
進むほどに広くなる世界。
ナキルはずっとそれを、楽しいと感じていた。
否、今も感じているはずだった。そんな心を胸にしてがむしゃらに前へ行く自分は、決して居なくなった訳じゃない。
ただ。
(ただ……)
心に別の感情も同居する。
そう、“目的地の”イメージが鮮明になる程に。
この足が出せる全力が、この手が手にできるモノの数が。
瞳に映る世界に対する視野の広さが――自分の足りなさを、実感させるのだ。
目的地はずっと前から、視えていた。
ただ、それを塞ぐように現れるものもある。
「……!」
ナキルがはっと気づくと、視線の先に蠢く魔物がいた。
蛇とも竜とも、或いは虫ともつかぬ造形をした一体で、鎧の何倍もの大きさを持つ体躯に無限の力を内包しているようだ。
それは砂地を這って近づいてくると、巨大な口を開けてこちらを飲み込もうとする。
ナキルはとっさに横っ飛びに避けて転がった。
「ちっ……」
まるで象と蟻。
だが、それでもナキルは怯まない。
すぐに体勢を直すと、脆弱そうな尻尾を見つけてそこへ一閃。鮮烈な斬撃で寸断し、魔物が怯んだ隙に本体をも斬り捨てた。
そうしてまた前を目指すナキルだが――今度は魔物よりも大きな山岳が道を塞いでいた。
果てしないそれに、ナキルは一瞬だけ息を吐く。
真っ直ぐに、ただ只管に、走り抜ければいい――そう思えるだけの景色ならどんなに良かったか、と。
「――いいさ」
それでも悪態をつく暇はない。
ナキルは素早く視線を走らせた。山の木々の間には黒い輪郭が揺らめいていて、それが異形の敵なのだと判る。
無視出来ず、かといって考えなしには突っ込めない相手。
だからナキルは戦術眼で導を辿る。
(右は、……いや、違う)
その間も止まる事はない。
単なる最短ルートは綻びを生む。自分が選べるのは最大限の攻略ルートだと知っている。だから足と頭を絶えず働かせながら。
無論、それが最適解かどうかは判らない。
だからナキルは闇を斬り、薙ぎ払い、時に手痛い反撃を喰らいながら……一つ一つを、新たに知っていく。
進むためには、“知らなかった敵”を知るたびに、その敵へ相対する術を、方法を、学びを得る必要がある。
それは決して簡単な事じゃない。
いつだって瀬戸際で。
いつだって止まってしまう危険があって。
ずっと続けているナキルだからこそ、それを誰よりも知っていた。
そしてこんな時こそ――自分の足りなさをまた強く実感してしまうのだ。
(ああ、そうだ)
でも……一歩ずつ、少しずつ。覚えるコツも掴んできたから――以前よりは研鑽に時間を割かずに済んでいる自覚もある。
路の無い場所だろうと、遮る壁が厚かろうと。
一寸先が眼に見えずとも、踏みつけるこの地面が抜け落ちようと。
“目指すべきゴール”だけは、見失う事は無いのだから。
山を越えると、見知らぬ大地へ辿り着いていた。
けれど先は長いと知っている。また多くを学んで、剣を振るい続けてゆく必要があるのだから。
ナキルはふと、思った。
誰かがこんな自分を見た時、“苦しい”と表現するのだろうか。
目を横に向けると、鏡がある。そこに映る自分は、傷を負って、擦り切れて、傍目には満身創痍にも見えた。
ただ、それを見てナキルは改めて考える。
「いや、ンなコト……ねーな!」
傷跡は止まらなかった証。
そして今が通過点でしか無いという証。
故にナキルは鏡を叩き割る。
――オレは笑って、この道を抜けて来た。
だから胸を張ってその場所に立とう。
理想の、それ以上の自分になる為の最高最速のルート。
醒めるのは、全てが叶った後だ。
●変わらぬもの
焔がゆらりと、一際大きく棚引いた。
ナタリア・フィッツジェラルドはその揺らめきを見つめている。
「使い手を不思議な夢へと誘うキャンドル、か」
まさか自分の所にも来るとは、と呟きが零れた。
こんな形でも、妖精に攫われる――なんて事があるのだろうか?
それは判らない。
けれどナタリアがつけた火は段々と薄ぼんやりとしてきて、こちらの意識を、心を、どこかへと導いていく。
――嗚呼、自分はきっと夢を視る。
ナタリアがそう思った頃には、視界を色のない闇が覆っていく。
「どう、思いますか?」
その言葉にはっと、ナタリアは目を覚ます。
誰かに、話しかけられていたらしい。隣に視線を向けると、硬質な床に立つ白衣の女性が見えた。
「――ええ」
ナタリアは発した自分の声に少し違和を覚えながらも、周りを見回す。
ここはどこだろうと、少しぼうっとしていたのも一瞬。すぐにそこがどこなのか意識が行った。
デスクには数字の羅列が印刷されたデータ表や、走り書きをしたメモ、ファイルに綴じられた多様な書類が置かれている。
奥を見るとフラスコやビーカー、或いはもっと複雑な実験器具があるのが分かった。
――研究棟の中。
ナタリア自身も白衣に身を包み、作業の邪魔にならぬようにと、豊かな髪を後ろで結って纏めている。
そして今は透明な樹脂で出来た飼育ケースの前にいた。
(……これは)
そこにいるのは芋虫や蛹。
全て同種で、いつか蝶になる……そんな虫達の住処。
「この芋虫が、蛹を経て蝶となる。やはり私にはそれが不思議な事に思えます」
ナタリアはそう言いながら、改めて驚きを覚える。
静かで穏やかな語り口。その振る舞いを当然であるように、何の不自然もなく行っている事に。
「それぞれは生き物としてまるで別物です。なのに皆、等しく蝶に至る」
「やはりそこにヒントがあると?」
「ええ」
ナタリアは少し柔らかに相槌を打つ。
それを自覚して、感じる。
(違う)
これは自分ではない。
でも、同時にそれが紛れもない自分自身でもあるとも分かってしまう。
「彼らはこのプロセスで――まるで生まれ変わりを繰り返しているようです」
自分の知っている世界とは違う光景。それが荒唐無稽だと分かっていても、自意識はどうしようもなく自身である事を示す。
そして自分は――蝶の成長に転生のヒントを見出している。
言葉遣いも、仕草も、研究の為の手段も何もかも穏やかだけれど……情熱こそそのままなのだと、証明するように。
「ナタリアさん、来て下さい」
ふと扉が開いて、別の研究員が声をかけた。
傍の実験室へ呼ばれているのだ。
「判りました。すぐに行きます」
ナタリアは柔和に応える。
そこに拭えぬ自分との差異を感じながら……同時に、間違いなく自分の意志で言葉を発した、そんな二律背反の感覚と共に。
素早く滅菌をして、実験室に入る。
(これは……)
そこには先刻の部屋にあったものとは違う、巨大な飼育スペースがあった。
自然の環境を再現した実験場で、実際のデータの収集と観察はこちらによって行われる。
その中に――今、羽化を迎えようとしている幾つもの蛹があった。
ゆっくりと翅が出て、広がる。
(――ああ)
ナタリアは不思議な気持ちだった。
これは自分がいる世界ではない。なのに、そこから目を離せない。
いつしか蝶となったそれらは、宙に羽ばたいて空へと踊り始めていた。
一匹が高く舞うと、一匹が低く舞う。時に戯れるかのように近づいては離れ、また大きく空中を回遊してゆく。
(何という――)
彼らは、生まれ変わったのだ。
そしてこれから自然へ帰されるだろう。新たな世界へと、飛び立たんとしているのだ。
その神秘に、その美しさに……ナタリアは見惚れないではいられずに。虜にならずにはいられなかった。
だからナタリアは本来の自分と今の自分が、重なった気がして。
強く、自覚させられる。
(生きている世界は違えども――)
自分という人間が似通っている事に相違ないとでもいうのだろうか、と。
蝶が羽ばたき、消えてゆく。
そこで夢も消え去って、自分が現実に戻った事にナタリアは気がついた。
「……ここは」
立ち上がろうとして、傍に控えていたギルドの者に支えられる。
「大丈夫ですか?」
「ええ。……ああ、いや」
口調と距離感、そこに一瞬の混乱が生じるけれど――すぐにナタリアは平時の調子に戻って、体勢を直した。
「報告はすぐに纏める」
後はそう言って、部屋を出る為に歩き出す。
(……)
クリーパーも脅威もありやしない、平和で幸福な世界……。明らかに信じ難い話の筈なのに、それでも確かに現実としか思えなかった。
「……まあいい」
ナタリアは首を振る。
(例え何もかも狂っていようとも――)
――私は私を信じて歩むだけだ。
だから、夢に惑わずに。ナタリアは陽光の差す部屋を去っていった。
●旅人
「幻想の旅。そう聞けば、旅人として興味が湧いた」
蒼い瞳が不思議と目を惹く、静かな旅人――だわは冒険者ギルドの一室で、そう報告の端緒を話し始めた。
「夢から醒めないという話も聞かない。だから、興味本位でキャンドルに火をつけた」
端的で、余計な情報は挟まない。
言葉に多くの感情を含めてはいないが、同時に脚色のない真摯な伝達である事が判る……そんな口調で、まずは夢の出発点から説明をした。
『そこは、いくつもの岩場が浮かんでいる空間だった』
キャンドルに火を灯して数瞬後。
羽ばたいた蝶を目で追って、一歩歩んだその場所に広がった景色の事を……だわは後にそう表現する。
「……ここは」
夢か、と。
そこに立っている事に気づいた時、だわはそれが一瞬信じられないほどだった。
握って開く、手のひらの感覚。硬質な足元の感覚。
全てが注意をしなければ――否、注意をしても差異が見つけられないくらいに、その空気感は現実のものと酷似していたから。
(だが、夢か)
思いながらだわは視線を巡らせる。
頭上に大きな影があって、上方の視界を塞いでいる。幾つもあるそれが、全て岩を主として構成されたものだと判った。
それらは一つとして同じものがない。
草が生え、自然の色合いが濃くなっているもの。或いは街中のような敷石が断続的に埋められているもの。
全体が深い土に覆われたものがあれば、反面、ただの岩塊にしか見えぬものもあった。
「……」
僅かな時間それを見つめていたのは、どこか記憶の片隅が擽られるような感覚があったからだろうか。
見覚えがある、とまでは言わない。
それでもそこに何か、感ずるものはあった。
ただ――だわには岩場とは別に視線を奪われたものがある。宙にきらきらと舞っている、金属の破片のようなものだ。
「あれは剣、か」
自身の佩いている剣に一度だけ触れ、それと遠くない存在だと理解する。あれは、砕けた剣の残骸なのだと。
そして少しだけ、自身の歩んできた時間を想起した。
今まで数え切れないほど、剣を振るっては折ってきた事を。
『如何に大切に使っていても、いつかは折れるものだ』
そう後に語った事と、同じ事をだわは思った。
これまでもそうだったし、これからもそうなのだろう、と。ある意味では、それこそが剣を握るという事なのだから。
そしてそこから歩き出す。
立っている場所から近い岩場があり、そこから岩場は更に上へ上へと続いていた。
辿れば登っていけそうだ。
だから、登ろうと思った。
『岩場は概ね、地上から見た通りの景色だった』
見た事があると思える眺めもあれば、そうでない光景もあった。
概して危険はなく、だわは止まる事なく登っていく事が出来た。そうして行き着いたのは、他に比して多少広めの岩場だ。
別段、物理的な脅威は存在せず……これまでと似た岩場と言えばそう言える。
ただ、そこには雨が降っていた。
『憂鬱な気分になったな。“雨”は大嫌いなんだ』
だわが飾らずそう報告したように、その時のだわ自身も全く同じ心持ちだった。
「……雨か」
零れる呟きを薄らがせていく雨音の中、だわはフードを目深に被り――これまでよりも微かに足早に歩き始める。
俯いていると、足元の水溜まりに不安げな面持ちの人々が映って見える。
その中には見知った顔もあったが――雨が水面を叩くうちに輪郭がぼやけて消えてしまった。
残るのは肌を打つ冷たさだけ。
その感覚が厭だった。
『“水の”……いや、“水”には嫌な思い出があってな』
『忘れもしない、あの日も雨だった……いや、詳細は勘弁してくれ』
だわは後にそうとだけ述べたが、確かに目の前の光景は過日の事を思い起こさせた。
忘れてはならない事。
決して忘れ得ぬ事。
自身がずっと反芻し続けている事を、幻影か何かで見せられているのではないかと。
「……」
否定をする材料はないし、否定をしても意味はない。
夢であれば、如何な事も起こり得る。だからだわは……一層、無限に降る雫から逃れるように歩みを速めていた。
『ふと気付けば、さっきまで無かった岩塊が近くにあった』
それには大きな横穴が開いていて、内部が洞窟のようになっていた。
中は暗闇で、先は全く見えない。
それでも、雨宿りが出来る事が重要だったから――だわは足を踏み入れて。
「そこで目が醒めた」
これがだわが夢に見た一部始終である。
情報の漏れはなく、見たものは思い出せた限りで全て伝えた。
だからだわはそこで報告を終える。
ギルドの職員が聞きたそうにしている部分があった事も判っているが、それは仕事とは関係のない話だ。
「……特段、体に不調等は無い。報告は以上だ」
だわの言葉に頷いて……話を書き留め終えた職員が礼を述べる。
それに静かに応えて、だわは帰路についていった。
マスターコメント
お疲れ様でした。
各々の夢は、適正にギルドへと報告されました。
体調などもそれぞれ健常で、事後の問題なども起こらぬことでしょう。
ロングシナリオ易しい 報酬:標準6 / 6〜8人
2022年01月12日 09時50分46秒 公開
大成功
相談掲示板
ロゼットよ。成立まで後1名だけど、プレイングは出しておくわ。 ギリギリでも、参加を迷う人が見てたら参加してちょうだいね。
「ナキルだ、よろしくなっ! って、言っても特に相談するコトはねーか。」 (ネタが出て来たので参加しましたー)
わぁー!ナキルさんようこそさぁ!これで出発できる!( ありがとう、お互い楽しもうね!
年末は厳しそうだったから良かったわ。 皆の幻想の旅の話を楽しみにしてるわね。 それじゃ皆、良い夢と良いお年を、かな。
「…気付いたら圧倒的金髪率…。 >フリュー おう、まーなんて言うか、備忘録的なのに丁度良かったな!(ははは) また今度どっかで一緒になったら遊ぼうぜ! >ロゼット イイ感じに締めのシナリオがタイミングよく。( ) あぁ、そっちもな! オレのは楽しさってねーかもだけど。 んじゃ、みんな良いお年を。だな!」