運命に逆らい、神の雷を切る
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2020年12月11日 18時23分31秒
セロンガード・シュタインドルフが十五歳の時の話だ。
帝国諜報部隊、通称『見えざる見張り番』に入隊してから一年半程度が経過していた。
セロンは最初の一年は先達と組んで動いていたが、二年目からは同じ弩弓課程出身の後輩と組んで任務にあたるようになっていた。
セロンの後輩にして現在の相棒である十四歳の小柄なヒューマンの銀髪少女が、テロリストの関係者を調査している時に深刻な表情で言ったのだ。
「……シュタインドルフ先輩、これ、カサンドラ様の婚約者じゃないですか?」
カサンドラ――聞いた名である。
帝国ではよくある人名だ。
だが、
「……どちらのカサンドラですか?」
「ちょっと先輩、この首席野郎、まさかお忘れですか? 私が様づけで呼ぶカサンドラ様は弩弓課程の次席しかいませんよ」
そう、だからこそ尋ねた。
セロンの脳裏に浮かんだ人物であるなら、セロンとゾフィーの二人にとっては関わりが深かった人物だ。
「忘れてはいませんよ。そうであって欲しく無かっただけです……何の因果だ」
黒髪の少年は渋面になった。
カサンドラ・フォン・ベルリヒンゲン、かつてセロンと教育隊で三年間、首席の座を巡って鎬を削った好敵手だ。
ゾフィーにとっては敬愛する友人であり、最終検定でセロンがカサンドラを破った際には「そいつのせいで!」とセロンを涙目で睨んで来たりもした。
そんな因縁があったものだから、一学年下の首席としてゾフィーが諜報部隊に入って来て組まされた当初は、基本的なコミュニケーションすら上手くいかなかった。
この銀髪の小柄な少女とは事ある毎に衝突し、大変な苦労をしたものだ。
最近はそれなりに連携が取れるようになって来てはいたのだが――セロンから諜報のイロハや雑務を教えて貰う身でありながらも、ゾフィーのセロンへのあたりの強さは未だ健在だった。
「それではこの、バラムの領主ジギスムント・イッシュトヴァンというのは……」
「例の五十過ぎの脂ぎった醜い短小豚野郎ですよ」
少女からの蔑称が過去よりグレードアップされている気がしたが、件の人物で間違いないようだ。
セロンは唸った。
ジギスムントがメドゥの指先の関係者という事は、その配偶者となるカサンドラもメドゥの指先の関係者という可能性が出て来てしまわないか?
「ゾフィー、尋ねます、キャシーにメドゥの指先であったような節は?」
問うと、銀髪少女は眉間に皺を刻んでセロンをしばし睨みあげた。
それから視線を逸らして黙考する。
やや経ってから銀髪少女は再び顔をあげた。
「無い……と思います」
燃えている焔を封じ込めたような鮮やかな赤眼でセロンを見詰めて来る。
「客観的に見ても。少なくとも私の知る限りでは、それは無い。バリバリの主観でも言わせていただくなら、カサンドラ様の性格からしてそれは無いですよ、あの人に限ってそれは絶対に無い。あったら逆立ちして裸踊りしてやります」
真実、カサンドラがメドゥの指先であったのなら、あの才媛ならゾフィの目を欺くくらいはやってのけそうだと思われたが――
まぁゾフィーの見立てはおそらく正しいのだろうな、とセロンは直感した。
「ただ……」
銀髪少女が言葉を濁らせる。
「ただ?」
「…………カサンドラ様は大丈夫でも、そのお父様が、ちょっと。あの無能な癖にプライドばっかり高い口先だけのクソ親父野郎なら、ありえるかもしれません」
ゾフィーの口が悪いのは自分に向けてだけでは無いのだな、とセロンは思った。
●
セロンとゾフィーは調査結果をまとめ、バラム伯爵ジギスムント・イッシュトヴァンがメドゥの指先と関係している可能性が高いとの報告を上層部へと送った。
すると上層部からはバラム伯爵とベルリヒンゲン家は関係している、その証拠を掴め、との指示が来た。
上層部はバラム伯爵は黒だと断定したらしい。そしてベルリヒンゲン家は繋がりがある可能性が高いと。
どうもセロン達とは別筋からも疑わしい情報が入っていて、それも併せての判断のようだった。
「上はまとめて引っこ抜くつもりですかねぇ」
ベルリヒンゲン子爵が治める小都市メルンホルンを遠望出来る丘の上に立ち、セロンは都市を眺めた。
傍らに立っている銀髪少女が憂鬱そうな表情で頷く。
「でしょうね。病に冒された部分はまとめて一気に除去しないと転移しますから」
「もし繋がりがあったら……ベルリヒンゲン家は、取り潰しになりますね」
「でしょうね」
ゾフィーの機嫌は悪そうだった。
ベルリヒンゲン家は一介の子爵家に過ぎない。
メドゥの指先と共謀して国家転覆を図ったとなれば、貴族として家は当然取り潰し、一族の中で直接関わったものは死罪、関係者も連座して死罪、良くても追放や幽閉などの処分は免れえないだろう。
かつて好敵手として切磋琢磨し、同じ鍋の麦粥を食べたカサンドラが絞首刑に処せられるかもしれないとあっては、セロンとしても楽しい状況ではない。
「先輩……証拠を掴めって命令ですけど、どうやって調査するつもりですか?」
見えざる見張り番の部隊員は所属を伏せられ表向きは別部隊の所属とされている為、諜報員としては世間に知られていない筈である。
だが、ゾフィーは勿論、セロンも、娘に近しい帝国軍人としてなら微妙に顔が割れている可能性がある。
よって使用人に扮して屋敷に潜入する、などといった手法は取りづらい。
セロンはかなりの時間を考えてから、
「……キャシーに協力を頼みましょう」
「は?」
銀髪少女は赤眼を真ん丸にした。
「キャシーは確かまだ、都市メルンホルンの屋敷に居るんですよね?」
「ええ、バラム地方では結婚は十六を過ぎてからというのがしきたりだそうで、まだカサンドラ様はご結婚なされていません。もうすぐに十六の誕生日ですけどね」
しかし挙式は誕生日にするので、それまでは親元で日々を過ごしている筈だという。
「なら彼女の協力を得られれば内側から探れる筈です。潜入の手引きもして貰えるやも」
「カサンドラ様にご自身の家族を売れと?」
「キャシーの性格だったら、家族がテロリストと関わっているのは許せないと思うんですよね」
「いや、しかし……それは、そうですけど、それの証拠を私達に掴まれたら、お家取り潰しの上におそらく父親が処刑されるんですよ?」
下手したら連座で自分だって、とゾフィー。
「だからですよ首席。帝国法の座学で習いませんでしたか? ギルベルトの乱のバルナバスです」
「……あ、協力者への取引?」
かつて帝国軍人バルナバスは叛乱を起こしたギルベルトに従ったが、軍の呼びかけにより背後からギルベルトの首を刎ねた為、叛乱した罪は不問にされたという。
「そうです、その先例のように我々諜報部は協力者の無罪や減罪を司法に対して働きかける事ができる」
「その取引をカサンドラ様にもちかける……」
「キャシーなら国家転覆の企みなど許さないでしょう。私は彼女の強さを良く知っています。彼女は救われるのをただ待つようなお姫様ではありません。彼女自身に帝国の為に働いて貰い、そして、その功績を以って、彼女自身の無罪を勝ち取っていただきましょう」
セロンはゾフィーの赤眼を黒瞳でじっと見つめ語った。
「おそらく、これが打開策であり、そして同時にこれだけが、彼女が助かる、助けられる、唯一の道です。キャシーは頭が良い。帝国の諜報員は優秀です。例え私達をかわせたとしても、いずれ証拠を掴まれ、一族揃って処刑される可能性が高い、という事は理解できる筈です。ただ、家族を売る事に抵抗は当然あるでしょうから……ゾフィー、貴方はキャシーと親しかった筈です。結婚の式前で不安だろうから様子を見に来た、などと理由をつけて会いに行くのはそう不自然では無い筈。貴方から接触を図って、キャシーに私達に協力するよう説得していただけませんか?」
ゾフィーは呆けたような表情でセロンを見つめていたが、やがて我に返ったようで盛大に顔を顰めた。
「問題、あるでしょうか? それとも他にもっと良い手が?」
「いえ、先輩、事態の打開も図りつつ同時にカサンドラ様も助けるなら、現状その手しか無いと思います。カサンドラ様なら、帝国万民の為だとかなんとか言えばきっとご理解してくだされる筈です。ですが……」
「ですが?」
「最終的にはご理解いただけるんじゃないかと思いますが、たぶん、同時に、すっごい苦悩して精神すり減らすんだろうなぁという確信もあります。そうじゃなきゃとっくに家を見捨てて独りで勝手に飛び出してますよ。あの人の能力なら家なんてなくたって独りでどうとでも生きていけます。家族の事考えてなけりゃ、自分の未来を犠牲にしてまで嫁にいこうなんてしません。あの人にとって、家族はとても大切なものの筈です」
「しかし、メドゥの陰謀は危険なものです。これを前にしたなら、肉親への情や自身の家の事よりも、帝国万民の命と生活の事を優先してくれる筈です」
「……ええ、あの人、自分の未来は結構簡単に諦めますが、他人の事になると途端に諦め悪くなりますからね、足掻いてくださるでしょう。罪なき万の命を見捨てるような事はしない筈」
「ええ、ですよね、見解は一致していますね」
「ええ、そこの部分は」
「そこの部分?」
ゾフィーは顰め面のまま言った。
「あの人、けっこぉ、お姫様根性のやわらかメンタルですよ? そうじゃなきゃ、諾々と家の為に自分の未来を犠牲にして嫁にいこうなんてしませんって」
「…………つまり、この案は上手くいかないと?」
「いいえ」
少女は首を横に振って、セロンを見た。
「ただ、説得には先輩も一緒に来てください。その方がきっと上手くいきます」
●
上層部に取引の作戦案を連絡すると有効性と妥当性が認められ比較的スムーズに許可が降りた。
カサンドラへも友人のゾフィーを前に押し立てて口実を築き、会う事が出来た。
最初口実を素直に信じたらしい少女はセロン達の来訪をとても喜んでいた。
こっそりと、メドゥの指先の嫌疑の事を告げると、その笑顔は凍りついたが。
協力についての返事は後日、という事でセロン達は屋敷から出た。
翌日の夜遅く、密かに屋敷を抜け出して来たカサンドラと廃屋で落ち合う。
たった一日で酷く憔悴した顔をしていた。
しかし笑顔だった。
ランプの灯に照らされる、柔らかい笑顔を浮かべる紫髪の少女の青色の瞳が、蒼白く燃える焔のようにギラギラと輝いている。
曰く、驚きはしたが納得はしたとの事。どうも父や婚約者の動きが怪しいと薄々は感じていたらしい。
そして協力に関しては、
「帝国への協力は勿論させていただきます。貴族として当家が取り潰されるのも当然の事と存じます。ですが……」
少女は言った。
「家族は助命していただきたい」
メドゥと繋がりを持ったバラム伯に協力する父の罪は確かに重いが、手を切るよう説得するのでそこをどうか、との事だった。
「…………それは不可能です、とお答えしたらどうなされます?」
カサンドラは泣きそうな顔でセロンを見た。
「わかりません…………セロンさん、他に私が差し出せるものなら何でも差し出しますから、どうかなんとかしていただけませんか。伏してお願い申し上げます。貴方だけが頼りです、どうか、どうか」
返答は後日という事で、その晩はそれで別れた。
「……足掻いてきましたね」
「……足掻いてきましたね」
セロンとゾフィーは顔を見合わせた。
「予想外の要求をされましたが、らしくはある。どうします? お姫様からすっごい無茶振りされましたが。さすがにそれはちょっと無茶でしょって、私でも思いますよ」
「私は、応じて良いと思いますよ」
セロンは愉快そうに笑った。あそこまで捨て身で無茶苦茶言われると逆に面白くなって来た。
ゾフィーが呆れた顔をした。
「勘ですけど、無理っていえば多分、カサンドラ様は親を見捨てる事を呑み込んで帝国社会の為に協力してくれますよ? あの人はそういう人だ。あとね、あの人は頭が良い。ここまで追い込まれた状況です、多分、先輩の性格、わかってて言ったと思いますよ? 計算してる」
「でしょうね。ですが、上等でしょう。それだけ助けたいという事だ。狭間で揺れている。可哀想だ。要求は呑みます。だって、勘で押し通して、すべてが水泡に帰す危険は冒せませんからね、そうでしょう?」
「……セロン先輩、先輩が、あまーい性格なのは解っていたつもりですが、これを上に呑ませるのは流石に不可能だと思いますよ?」
まぁそうだろう。
だからセロンは考えた。
「――こういうのはどうです?」
ゾフィーが凄い顔をした。
●
連絡を入れると上官が直接現場に飛んで来た。
「セロン、お前、正気か?」
「カサンドラという娘は思いつめると何をやらかすか解りませんよ。そうなったら、今までの捜査の成果が水泡に帰してしまいます」
「思いつめると何やらかすか解らんのはそりゃお前だよ」
上官が苦虫を噛み潰したように吐き捨てた。
「お前な…………情に流されて祖国に仇を成すのか?」
「いいえ、これが帝国にとって最善の手であり、最上の成果をあげられる方法だと判断したのです。だって、これが最効率でしょう、そうは思われませんか?」
最効率というのは嘘では無い。
「カサンドラとバラム伯の挙式を予定通りに執り行わせ、そこにメドゥの幹部を参列させ、踏み込んで一網打尽にする、か……」
「ええ、今すぐにベルリヒンゲンとバラム伯を摘発してもトカゲの尻尾切りに終わりますが、これならメドゥの幹部まで届く。泳がせて掴む。その為にはベルリヒンゲン親子の協力が必要不可欠です。当主である父親の方も協力するなら、連座する一族への減罪取引も成立する」
「だが博打だ。本当に幹部が来ると思うか?」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、と申します。バラムは腐っても伯爵です。一州の太守です。帝国のそれの価値は低くない筈」
「それはそうだ……だがな、やはり博打だ。上手くいけば良い、だが、こんな綱渡りの作戦、そうそう上手くいくと思うか? 大体、俺にこれで部隊のお偉方と司法を納得させろって? おそらく私的な理由でメドゥに協力したんだ、親父の方は斬っちまって良いと俺は思うんだがな」
セロンは上官を見据えた。
「それを上手くいかせる為に、私達の弓と剣はあるのではないのですか。何の為の力ですか」
上官は静かに見据え返してきた。
「実際問題、限度はある」
「ここはやれる範疇の筈です。違いますか」
男は顰め面で視線を逸らし、頭をガリガリと掻いてから――セロンを睨んだ。
「……てめぇ、失敗したら、首だからな。物理だ物理、大勢の人の命がかかってるんだ。てめぇの命を賭けるくらいの覚悟と根性はあんだろうな?」
「無論」
「何故ここで命を張る。お前はお前でまだこの世でやる事があるんじゃなかったのか? カサンドラの親父を助けて、お前に一体何の得があるってんだよ」
「それはそれ、これはこれです。殺される覚悟無しに武器は持てません。何かが折れてしまいそうですからね、キャシーは」
上官は嘆息した。
「OK、ヒーロー、わかったよ、俺は認めた、お前は英雄だ。だから今回はお前の博打に乗ってやる。確かにそれなりに勝算とリターンもあるからな。上層部と司法への手筈は俺がなんとかする。だがな少年、覚えとけ、いつでもなんでもかんでもは救えはしねぇぞ。俺達は、神様じゃあねぇんだ。人が神になろうとすると雷に打たれる」
「雷光を切り裂く剣がこの世にはあるらしいですね。弓矢でも出来るでしょうか」
「上等だよバカヤロウ。上手くいってもテメェはしばらく減俸だからな」
セロンは上官に頭を叩かれた。
●
カサンドラの手引きにより屋敷に潜入したセロン達はポイボスがバラム伯と繋がりを持っていると記された書状を発見した。
どうやらポイボスは脱税の証拠をバラム伯に抑えられて脅迫を受け、協力させられていたようだった。
証拠を手にセロン達はポイボスと相対した。
「どうせもうこの家は取り潰されるのです。今からでも領民と帝国の為、正道に立ち戻るべきです。そうすれば一族の助命だけはしていただけます」
ポイボスは渋ったが、カサンドラに説得され、家の終わりを告げられ、観念し、見えざる見張り番に協力する事を約束した。
その後、ベルリヒンゲン親子はバラム伯と予定通り結婚式の段取りを進め、見えざる見張り番の部隊員達が式場内に密かに紛れ込めるよう取り計らった。
結婚式当日、場内に潜入集結したセロン達ら諜報員は機を見て、新郎と列席したメドゥの指先の幹部達を取り押さえるべく襲い掛かった。
バラム伯は素早く事態を察知し逃げ出そうとしたが、新婦姿のカサンドラに足止めを受け、
「おのれ売女め、計ったなァ!」
顔を真っ赤にして憤慨した。カサンドラはすまなそうにしていたが、容赦はしなかった。
セロンは伯爵の脚を射抜いて転倒させると、素早く駆け寄って取り押さえた。
「この式場は包囲されています。抵抗は無駄です」
伯爵が観念して大人しくなり、諜報員達が変装を取り払ってその戦衣装を露わにすると、
「畜生、見えざる見張り番だ!」
伯爵家の兵達もまた士気を砕かれ反抗を停止、メドゥの指先達はそれでも抗ったが、精鋭の諜報員達の攻勢を前に次々に倒れ、やがて捕縛されたのだった。
帝国諜報部隊、通称『見えざる見張り番』に入隊してから一年半程度が経過していた。
セロンは最初の一年は先達と組んで動いていたが、二年目からは同じ弩弓課程出身の後輩と組んで任務にあたるようになっていた。
セロンの後輩にして現在の相棒である十四歳の小柄なヒューマンの銀髪少女が、テロリストの関係者を調査している時に深刻な表情で言ったのだ。
「……シュタインドルフ先輩、これ、カサンドラ様の婚約者じゃないですか?」
カサンドラ――聞いた名である。
帝国ではよくある人名だ。
だが、
「……どちらのカサンドラですか?」
「ちょっと先輩、この首席野郎、まさかお忘れですか? 私が様づけで呼ぶカサンドラ様は弩弓課程の次席しかいませんよ」
そう、だからこそ尋ねた。
セロンの脳裏に浮かんだ人物であるなら、セロンとゾフィーの二人にとっては関わりが深かった人物だ。
「忘れてはいませんよ。そうであって欲しく無かっただけです……何の因果だ」
黒髪の少年は渋面になった。
カサンドラ・フォン・ベルリヒンゲン、かつてセロンと教育隊で三年間、首席の座を巡って鎬を削った好敵手だ。
ゾフィーにとっては敬愛する友人であり、最終検定でセロンがカサンドラを破った際には「そいつのせいで!」とセロンを涙目で睨んで来たりもした。
そんな因縁があったものだから、一学年下の首席としてゾフィーが諜報部隊に入って来て組まされた当初は、基本的なコミュニケーションすら上手くいかなかった。
この銀髪の小柄な少女とは事ある毎に衝突し、大変な苦労をしたものだ。
最近はそれなりに連携が取れるようになって来てはいたのだが――セロンから諜報のイロハや雑務を教えて貰う身でありながらも、ゾフィーのセロンへのあたりの強さは未だ健在だった。
「それではこの、バラムの領主ジギスムント・イッシュトヴァンというのは……」
「例の五十過ぎの脂ぎった醜い短小豚野郎ですよ」
少女からの蔑称が過去よりグレードアップされている気がしたが、件の人物で間違いないようだ。
セロンは唸った。
ジギスムントがメドゥの指先の関係者という事は、その配偶者となるカサンドラもメドゥの指先の関係者という可能性が出て来てしまわないか?
「ゾフィー、尋ねます、キャシーにメドゥの指先であったような節は?」
問うと、銀髪少女は眉間に皺を刻んでセロンをしばし睨みあげた。
それから視線を逸らして黙考する。
やや経ってから銀髪少女は再び顔をあげた。
「無い……と思います」
燃えている焔を封じ込めたような鮮やかな赤眼でセロンを見詰めて来る。
「客観的に見ても。少なくとも私の知る限りでは、それは無い。バリバリの主観でも言わせていただくなら、カサンドラ様の性格からしてそれは無いですよ、あの人に限ってそれは絶対に無い。あったら逆立ちして裸踊りしてやります」
真実、カサンドラがメドゥの指先であったのなら、あの才媛ならゾフィの目を欺くくらいはやってのけそうだと思われたが――
まぁゾフィーの見立てはおそらく正しいのだろうな、とセロンは直感した。
「ただ……」
銀髪少女が言葉を濁らせる。
「ただ?」
「…………カサンドラ様は大丈夫でも、そのお父様が、ちょっと。あの無能な癖にプライドばっかり高い口先だけのクソ親父野郎なら、ありえるかもしれません」
ゾフィーの口が悪いのは自分に向けてだけでは無いのだな、とセロンは思った。
●
セロンとゾフィーは調査結果をまとめ、バラム伯爵ジギスムント・イッシュトヴァンがメドゥの指先と関係している可能性が高いとの報告を上層部へと送った。
すると上層部からはバラム伯爵とベルリヒンゲン家は関係している、その証拠を掴め、との指示が来た。
上層部はバラム伯爵は黒だと断定したらしい。そしてベルリヒンゲン家は繋がりがある可能性が高いと。
どうもセロン達とは別筋からも疑わしい情報が入っていて、それも併せての判断のようだった。
「上はまとめて引っこ抜くつもりですかねぇ」
ベルリヒンゲン子爵が治める小都市メルンホルンを遠望出来る丘の上に立ち、セロンは都市を眺めた。
傍らに立っている銀髪少女が憂鬱そうな表情で頷く。
「でしょうね。病に冒された部分はまとめて一気に除去しないと転移しますから」
「もし繋がりがあったら……ベルリヒンゲン家は、取り潰しになりますね」
「でしょうね」
ゾフィーの機嫌は悪そうだった。
ベルリヒンゲン家は一介の子爵家に過ぎない。
メドゥの指先と共謀して国家転覆を図ったとなれば、貴族として家は当然取り潰し、一族の中で直接関わったものは死罪、関係者も連座して死罪、良くても追放や幽閉などの処分は免れえないだろう。
かつて好敵手として切磋琢磨し、同じ鍋の麦粥を食べたカサンドラが絞首刑に処せられるかもしれないとあっては、セロンとしても楽しい状況ではない。
「先輩……証拠を掴めって命令ですけど、どうやって調査するつもりですか?」
見えざる見張り番の部隊員は所属を伏せられ表向きは別部隊の所属とされている為、諜報員としては世間に知られていない筈である。
だが、ゾフィーは勿論、セロンも、娘に近しい帝国軍人としてなら微妙に顔が割れている可能性がある。
よって使用人に扮して屋敷に潜入する、などといった手法は取りづらい。
セロンはかなりの時間を考えてから、
「……キャシーに協力を頼みましょう」
「は?」
銀髪少女は赤眼を真ん丸にした。
「キャシーは確かまだ、都市メルンホルンの屋敷に居るんですよね?」
「ええ、バラム地方では結婚は十六を過ぎてからというのがしきたりだそうで、まだカサンドラ様はご結婚なされていません。もうすぐに十六の誕生日ですけどね」
しかし挙式は誕生日にするので、それまでは親元で日々を過ごしている筈だという。
「なら彼女の協力を得られれば内側から探れる筈です。潜入の手引きもして貰えるやも」
「カサンドラ様にご自身の家族を売れと?」
「キャシーの性格だったら、家族がテロリストと関わっているのは許せないと思うんですよね」
「いや、しかし……それは、そうですけど、それの証拠を私達に掴まれたら、お家取り潰しの上におそらく父親が処刑されるんですよ?」
下手したら連座で自分だって、とゾフィー。
「だからですよ首席。帝国法の座学で習いませんでしたか? ギルベルトの乱のバルナバスです」
「……あ、協力者への取引?」
かつて帝国軍人バルナバスは叛乱を起こしたギルベルトに従ったが、軍の呼びかけにより背後からギルベルトの首を刎ねた為、叛乱した罪は不問にされたという。
「そうです、その先例のように我々諜報部は協力者の無罪や減罪を司法に対して働きかける事ができる」
「その取引をカサンドラ様にもちかける……」
「キャシーなら国家転覆の企みなど許さないでしょう。私は彼女の強さを良く知っています。彼女は救われるのをただ待つようなお姫様ではありません。彼女自身に帝国の為に働いて貰い、そして、その功績を以って、彼女自身の無罪を勝ち取っていただきましょう」
セロンはゾフィーの赤眼を黒瞳でじっと見つめ語った。
「おそらく、これが打開策であり、そして同時にこれだけが、彼女が助かる、助けられる、唯一の道です。キャシーは頭が良い。帝国の諜報員は優秀です。例え私達をかわせたとしても、いずれ証拠を掴まれ、一族揃って処刑される可能性が高い、という事は理解できる筈です。ただ、家族を売る事に抵抗は当然あるでしょうから……ゾフィー、貴方はキャシーと親しかった筈です。結婚の式前で不安だろうから様子を見に来た、などと理由をつけて会いに行くのはそう不自然では無い筈。貴方から接触を図って、キャシーに私達に協力するよう説得していただけませんか?」
ゾフィーは呆けたような表情でセロンを見つめていたが、やがて我に返ったようで盛大に顔を顰めた。
「問題、あるでしょうか? それとも他にもっと良い手が?」
「いえ、先輩、事態の打開も図りつつ同時にカサンドラ様も助けるなら、現状その手しか無いと思います。カサンドラ様なら、帝国万民の為だとかなんとか言えばきっとご理解してくだされる筈です。ですが……」
「ですが?」
「最終的にはご理解いただけるんじゃないかと思いますが、たぶん、同時に、すっごい苦悩して精神すり減らすんだろうなぁという確信もあります。そうじゃなきゃとっくに家を見捨てて独りで勝手に飛び出してますよ。あの人の能力なら家なんてなくたって独りでどうとでも生きていけます。家族の事考えてなけりゃ、自分の未来を犠牲にしてまで嫁にいこうなんてしません。あの人にとって、家族はとても大切なものの筈です」
「しかし、メドゥの陰謀は危険なものです。これを前にしたなら、肉親への情や自身の家の事よりも、帝国万民の命と生活の事を優先してくれる筈です」
「……ええ、あの人、自分の未来は結構簡単に諦めますが、他人の事になると途端に諦め悪くなりますからね、足掻いてくださるでしょう。罪なき万の命を見捨てるような事はしない筈」
「ええ、ですよね、見解は一致していますね」
「ええ、そこの部分は」
「そこの部分?」
ゾフィーは顰め面のまま言った。
「あの人、けっこぉ、お姫様根性のやわらかメンタルですよ? そうじゃなきゃ、諾々と家の為に自分の未来を犠牲にして嫁にいこうなんてしませんって」
「…………つまり、この案は上手くいかないと?」
「いいえ」
少女は首を横に振って、セロンを見た。
「ただ、説得には先輩も一緒に来てください。その方がきっと上手くいきます」
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上層部に取引の作戦案を連絡すると有効性と妥当性が認められ比較的スムーズに許可が降りた。
カサンドラへも友人のゾフィーを前に押し立てて口実を築き、会う事が出来た。
最初口実を素直に信じたらしい少女はセロン達の来訪をとても喜んでいた。
こっそりと、メドゥの指先の嫌疑の事を告げると、その笑顔は凍りついたが。
協力についての返事は後日、という事でセロン達は屋敷から出た。
翌日の夜遅く、密かに屋敷を抜け出して来たカサンドラと廃屋で落ち合う。
たった一日で酷く憔悴した顔をしていた。
しかし笑顔だった。
ランプの灯に照らされる、柔らかい笑顔を浮かべる紫髪の少女の青色の瞳が、蒼白く燃える焔のようにギラギラと輝いている。
曰く、驚きはしたが納得はしたとの事。どうも父や婚約者の動きが怪しいと薄々は感じていたらしい。
そして協力に関しては、
「帝国への協力は勿論させていただきます。貴族として当家が取り潰されるのも当然の事と存じます。ですが……」
少女は言った。
「家族は助命していただきたい」
メドゥと繋がりを持ったバラム伯に協力する父の罪は確かに重いが、手を切るよう説得するのでそこをどうか、との事だった。
「…………それは不可能です、とお答えしたらどうなされます?」
カサンドラは泣きそうな顔でセロンを見た。
「わかりません…………セロンさん、他に私が差し出せるものなら何でも差し出しますから、どうかなんとかしていただけませんか。伏してお願い申し上げます。貴方だけが頼りです、どうか、どうか」
返答は後日という事で、その晩はそれで別れた。
「……足掻いてきましたね」
「……足掻いてきましたね」
セロンとゾフィーは顔を見合わせた。
「予想外の要求をされましたが、らしくはある。どうします? お姫様からすっごい無茶振りされましたが。さすがにそれはちょっと無茶でしょって、私でも思いますよ」
「私は、応じて良いと思いますよ」
セロンは愉快そうに笑った。あそこまで捨て身で無茶苦茶言われると逆に面白くなって来た。
ゾフィーが呆れた顔をした。
「勘ですけど、無理っていえば多分、カサンドラ様は親を見捨てる事を呑み込んで帝国社会の為に協力してくれますよ? あの人はそういう人だ。あとね、あの人は頭が良い。ここまで追い込まれた状況です、多分、先輩の性格、わかってて言ったと思いますよ? 計算してる」
「でしょうね。ですが、上等でしょう。それだけ助けたいという事だ。狭間で揺れている。可哀想だ。要求は呑みます。だって、勘で押し通して、すべてが水泡に帰す危険は冒せませんからね、そうでしょう?」
「……セロン先輩、先輩が、あまーい性格なのは解っていたつもりですが、これを上に呑ませるのは流石に不可能だと思いますよ?」
まぁそうだろう。
だからセロンは考えた。
「――こういうのはどうです?」
ゾフィーが凄い顔をした。
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連絡を入れると上官が直接現場に飛んで来た。
「セロン、お前、正気か?」
「カサンドラという娘は思いつめると何をやらかすか解りませんよ。そうなったら、今までの捜査の成果が水泡に帰してしまいます」
「思いつめると何やらかすか解らんのはそりゃお前だよ」
上官が苦虫を噛み潰したように吐き捨てた。
「お前な…………情に流されて祖国に仇を成すのか?」
「いいえ、これが帝国にとって最善の手であり、最上の成果をあげられる方法だと判断したのです。だって、これが最効率でしょう、そうは思われませんか?」
最効率というのは嘘では無い。
「カサンドラとバラム伯の挙式を予定通りに執り行わせ、そこにメドゥの幹部を参列させ、踏み込んで一網打尽にする、か……」
「ええ、今すぐにベルリヒンゲンとバラム伯を摘発してもトカゲの尻尾切りに終わりますが、これならメドゥの幹部まで届く。泳がせて掴む。その為にはベルリヒンゲン親子の協力が必要不可欠です。当主である父親の方も協力するなら、連座する一族への減罪取引も成立する」
「だが博打だ。本当に幹部が来ると思うか?」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、と申します。バラムは腐っても伯爵です。一州の太守です。帝国のそれの価値は低くない筈」
「それはそうだ……だがな、やはり博打だ。上手くいけば良い、だが、こんな綱渡りの作戦、そうそう上手くいくと思うか? 大体、俺にこれで部隊のお偉方と司法を納得させろって? おそらく私的な理由でメドゥに協力したんだ、親父の方は斬っちまって良いと俺は思うんだがな」
セロンは上官を見据えた。
「それを上手くいかせる為に、私達の弓と剣はあるのではないのですか。何の為の力ですか」
上官は静かに見据え返してきた。
「実際問題、限度はある」
「ここはやれる範疇の筈です。違いますか」
男は顰め面で視線を逸らし、頭をガリガリと掻いてから――セロンを睨んだ。
「……てめぇ、失敗したら、首だからな。物理だ物理、大勢の人の命がかかってるんだ。てめぇの命を賭けるくらいの覚悟と根性はあんだろうな?」
「無論」
「何故ここで命を張る。お前はお前でまだこの世でやる事があるんじゃなかったのか? カサンドラの親父を助けて、お前に一体何の得があるってんだよ」
「それはそれ、これはこれです。殺される覚悟無しに武器は持てません。何かが折れてしまいそうですからね、キャシーは」
上官は嘆息した。
「OK、ヒーロー、わかったよ、俺は認めた、お前は英雄だ。だから今回はお前の博打に乗ってやる。確かにそれなりに勝算とリターンもあるからな。上層部と司法への手筈は俺がなんとかする。だがな少年、覚えとけ、いつでもなんでもかんでもは救えはしねぇぞ。俺達は、神様じゃあねぇんだ。人が神になろうとすると雷に打たれる」
「雷光を切り裂く剣がこの世にはあるらしいですね。弓矢でも出来るでしょうか」
「上等だよバカヤロウ。上手くいってもテメェはしばらく減俸だからな」
セロンは上官に頭を叩かれた。
●
カサンドラの手引きにより屋敷に潜入したセロン達はポイボスがバラム伯と繋がりを持っていると記された書状を発見した。
どうやらポイボスは脱税の証拠をバラム伯に抑えられて脅迫を受け、協力させられていたようだった。
証拠を手にセロン達はポイボスと相対した。
「どうせもうこの家は取り潰されるのです。今からでも領民と帝国の為、正道に立ち戻るべきです。そうすれば一族の助命だけはしていただけます」
ポイボスは渋ったが、カサンドラに説得され、家の終わりを告げられ、観念し、見えざる見張り番に協力する事を約束した。
その後、ベルリヒンゲン親子はバラム伯と予定通り結婚式の段取りを進め、見えざる見張り番の部隊員達が式場内に密かに紛れ込めるよう取り計らった。
結婚式当日、場内に潜入集結したセロン達ら諜報員は機を見て、新郎と列席したメドゥの指先の幹部達を取り押さえるべく襲い掛かった。
バラム伯は素早く事態を察知し逃げ出そうとしたが、新婦姿のカサンドラに足止めを受け、
「おのれ売女め、計ったなァ!」
顔を真っ赤にして憤慨した。カサンドラはすまなそうにしていたが、容赦はしなかった。
セロンは伯爵の脚を射抜いて転倒させると、素早く駆け寄って取り押さえた。
「この式場は包囲されています。抵抗は無駄です」
伯爵が観念して大人しくなり、諜報員達が変装を取り払ってその戦衣装を露わにすると、
「畜生、見えざる見張り番だ!」
伯爵家の兵達もまた士気を砕かれ反抗を停止、メドゥの指先達はそれでも抗ったが、精鋭の諜報員達の攻勢を前に次々に倒れ、やがて捕縛されたのだった。