彼女なりの、貴族社会の渡り方
キャラクターノベル制作 紀藤トキ納品 2023年11月12日 22時51分43秒
「お休みなさいませ、お嬢様」
「うん、おやすみ」
貴族令嬢が一人になる機会はほとんどない。この数日、寝台に横になり寝付くまでのわずかな時間に、ローザリカ・L・ディオールは一人で様々な事を悩んでいた。例えば、およそ思いつく限りの頼れそうな人々に、自分に不足するものを尋ねた結果について。
(人脈と、社交か。……両方とも、ジュストが得意とすることだな。僕に埋め合わせできる長所があるとすれば……)
話が商取引であれば、ローザリカは大概の貴族令嬢はおろか、令息にも滅多に負けることはあるまい。数字を扱うことも、数字を覚えることも、数字を分析することも得意だった。だが、商会を武器として育てるには動き出すのが遅すぎた。実家のディオール家や、他にもいる商業貴族らのように商売で築いた力で貴族社会へ影響を及ぼすには、一年足らずでは到底足りない。あるいは一世代ですら届かぬやもしれないのに、贅沢を言っているのは自分でも分かる。
(やはり、社交をこなす必要があるんだろうな。……とはいえ、僕に今から何が出来ると言うんだろう)
彼女には、実のところ自信がないのだ。周囲と異なる変わり者との評価を耳にすれば、自分は型通りの令嬢とは違うのだと胸を張って見せる。その裏で、愛らしい彼女たちと同じ土俵で比べられたくないという不安にも苛まれていた。もちろん、いまさら婚約者の心変わりを恐れている訳ではない。かつてはそうであったかもしれないが、今は不釣り合いな自分が婚約者の隣に立つことで、彼の評価が下がることをこそ恐れていた。
(もしかしたら、ジュストは以前から、先を見据えて人脈作りに動いていたんだろうか。僕は、ジュストとのことが形になりかけてようやく焦りだしたのに?)
さすがに買いかぶりすぎだと彼女をたしなめる者は寝室に居るはずも無く。ひとたびそのように誤解を始めれば、婚約者の隣を歩きたいという願いと裏腹に、今も彼は彼女の半歩先を歩いているように思える。彼女が変わり者の令嬢として他人と一線を引いていた何年もの間、彼はやはり変わり者の軽い輩と見られながらも、異性同性問わず多くの知己を作っていた。その差は一朝一夕で埋め合わせられるはずも無い。知人の数が違い、彼らとの親密さも違う。ローザリカであれば聞き出せぬ情報も、婚約者であれば手に入れられよう。ローザリカでは見出せぬ相手の心の機微も、婚約者であれば見逃すまい。先日も学園内の立ち回りで裏切られ後手に回り、自分の至らなさを思い知ったばかりだ。などと、ここ数日は思考が堂々巡りを続けていた。
(またこれでは明日の寝覚めも良くないだろう……。何か、良い話は無かっただろうか? そういえば、討論部で助言を貰った、が……)
かみ砕いてもすぐには分からなかった。しかし、忙しい様子の助言者が、彼女の話の先の先を何手も先回りして答えた事は分かる。法衣貴族の妻として何が必要なのかという質問の先には、相応しい妻でありたいという望みがあった。そして誰から相応しいと思われたいのかと言えば、世間や婚家からとなろう。いま、彼女が藁にも縋る様子で問うほどの喫緊の課題になるのは、世間などと言うふわふわしたものではなく、婚家からの印象だ。……というところまでをローザリカの言葉から即座に理解できる分析力がある割に、自分の事だとさっぱりなのは、まあ笑うよりは他山の石とすべき所だろう。
(彼女を利用しろ、とは。どういう意図だったのだろう)
文字通り取れば、現当主である女侯爵すらも良いように使うと良いという、いわば敵対の勧めにも思える。しかし、敵では無いのだとも言っていた。頼る事そのもので相手からの評価が下がる事は無いだろうとも。正確には「いつどこでどのようにといった部分で正しく判断して依頼をするならば」だ。その言い回しは似たような物をよく知っているような気がして、眉を顰める。
(適材適所、は前半部分か。正しく判断して、というのはリスクとリターンを考慮してというような意味だろうな。彼女を動かす事で確実な利益を得られる機会を見いだせれば、と……?)
解釈をすると、彼女に分かりやすい言葉で言い表せるようにも思える。つまり、数字に出来るのではないかとローザリカは思い至った。社交界で引く手あまたのヴェルジーの親族たる女傑達が、夜ごとに出席する会を決めているのは勘などではなく、何かの基準があるのだろう。その判断基準と同じ物をローザリカが得る事は難しくとも、たとえば人間が持っている社交界への影響力を数字にできれば、会合の出席者の価値を計れるのではないか。数字が実態に即せば即すほど、ローザリカの社交の判断力は磨く事が出来る気がした。
(損得勘定、家の利益。なるほど、どうしてそこを繋げて考えなかったんだ、僕は)
考えれば、あの時に彼女についてきた少女が裏切ったのは当然だ。というより、アレは裏切りですら無い。目撃者となると言う役割を課したにもかかわらず、それに相応しい対価を与える事を怠った……、というより与える事に気づいていなかったローザリカが悪い。実際に物や金ではない通貨が、普段の会話でもやりとりされており、その計算方法こそが礼法なのだ、とローザリカは今こそ理解した。もちろん他の人間にとっては他の解釈があるであろうが、彼女にとって最も分かりやすい言語は経済である。
(身分が下の方から挨拶と名乗りをするのが基準、とあるから基準だけを覚えておけば良いと思っていたが。「親しい相手にはこちらから声を掛けても構わない」という「構わない」は文字通りの意味ではないのだな。親しい相手だと周囲にアピールする事で、対価を与えるのか。とすると、それ以外の例外事項も全ては……?)
休み時間や移動時間に周囲で交わされる、一見して空虚な会話を思い浮かべて、実はそこにもそれぞれに意味があった事を知り、ローザリカは愕然とした。言い回しで与えられる貸しや借りを数字にして考えれば、自分でもついていける気がする。
(物を売るのと同じであれば、同じ事を繰り返していれば価値も下がる。つまり度を過ぎた友人アピールはいざという時の力にはならない、のか? いや、積み重ねた累積効果というものもあるな。端から見ればくだらないように見える付き合いでも、何年も続ければ力にできるのだろう)
極論してしまえば、そのくだらない付き合いを積み重ねる場が学園なのだ。同じクラスで言葉を交わしたと言う程度の繋がりでも、全く縁が無いよりは強い。その時に印象づけるような会話が出来ていれば、更に強い物になる。その為のテクニックこそが、礼法。あるいは、貸借が合わない関係こそが真の友情なのかもしれない。
天然であるか計算尽くであるかは分かれるとしても、社交界を渡り歩く男女はそれぞれの方法で戦う術を身につけている。ローザリカはその夜、遅れながらもその入り口に立った。
●
「ごきげんよう、ローザリカ様。今日は良いお天気ですわね」
(わかる、これは礼法の初級の教科書で見た奴! 名前を覚えていると相手に伝える事で繋がりの点数を稼いでいるが、その後の話題の印象力が薄い。3ポイント!)
独自の理論武装を遂げたローザリカは、周囲のやり取りから急速に学習を進めていく。彼女が貴族令嬢として恥じる事無き如才ない会話を、自然に扱えるようになるのはそれ程遠くない話になりそうだ。
「うん、おやすみ」
貴族令嬢が一人になる機会はほとんどない。この数日、寝台に横になり寝付くまでのわずかな時間に、ローザリカ・L・ディオールは一人で様々な事を悩んでいた。例えば、およそ思いつく限りの頼れそうな人々に、自分に不足するものを尋ねた結果について。
(人脈と、社交か。……両方とも、ジュストが得意とすることだな。僕に埋め合わせできる長所があるとすれば……)
話が商取引であれば、ローザリカは大概の貴族令嬢はおろか、令息にも滅多に負けることはあるまい。数字を扱うことも、数字を覚えることも、数字を分析することも得意だった。だが、商会を武器として育てるには動き出すのが遅すぎた。実家のディオール家や、他にもいる商業貴族らのように商売で築いた力で貴族社会へ影響を及ぼすには、一年足らずでは到底足りない。あるいは一世代ですら届かぬやもしれないのに、贅沢を言っているのは自分でも分かる。
(やはり、社交をこなす必要があるんだろうな。……とはいえ、僕に今から何が出来ると言うんだろう)
彼女には、実のところ自信がないのだ。周囲と異なる変わり者との評価を耳にすれば、自分は型通りの令嬢とは違うのだと胸を張って見せる。その裏で、愛らしい彼女たちと同じ土俵で比べられたくないという不安にも苛まれていた。もちろん、いまさら婚約者の心変わりを恐れている訳ではない。かつてはそうであったかもしれないが、今は不釣り合いな自分が婚約者の隣に立つことで、彼の評価が下がることをこそ恐れていた。
(もしかしたら、ジュストは以前から、先を見据えて人脈作りに動いていたんだろうか。僕は、ジュストとのことが形になりかけてようやく焦りだしたのに?)
さすがに買いかぶりすぎだと彼女をたしなめる者は寝室に居るはずも無く。ひとたびそのように誤解を始めれば、婚約者の隣を歩きたいという願いと裏腹に、今も彼は彼女の半歩先を歩いているように思える。彼女が変わり者の令嬢として他人と一線を引いていた何年もの間、彼はやはり変わり者の軽い輩と見られながらも、異性同性問わず多くの知己を作っていた。その差は一朝一夕で埋め合わせられるはずも無い。知人の数が違い、彼らとの親密さも違う。ローザリカであれば聞き出せぬ情報も、婚約者であれば手に入れられよう。ローザリカでは見出せぬ相手の心の機微も、婚約者であれば見逃すまい。先日も学園内の立ち回りで裏切られ後手に回り、自分の至らなさを思い知ったばかりだ。などと、ここ数日は思考が堂々巡りを続けていた。
(またこれでは明日の寝覚めも良くないだろう……。何か、良い話は無かっただろうか? そういえば、討論部で助言を貰った、が……)
かみ砕いてもすぐには分からなかった。しかし、忙しい様子の助言者が、彼女の話の先の先を何手も先回りして答えた事は分かる。法衣貴族の妻として何が必要なのかという質問の先には、相応しい妻でありたいという望みがあった。そして誰から相応しいと思われたいのかと言えば、世間や婚家からとなろう。いま、彼女が藁にも縋る様子で問うほどの喫緊の課題になるのは、世間などと言うふわふわしたものではなく、婚家からの印象だ。……というところまでをローザリカの言葉から即座に理解できる分析力がある割に、自分の事だとさっぱりなのは、まあ笑うよりは他山の石とすべき所だろう。
(彼女を利用しろ、とは。どういう意図だったのだろう)
文字通り取れば、現当主である女侯爵すらも良いように使うと良いという、いわば敵対の勧めにも思える。しかし、敵では無いのだとも言っていた。頼る事そのもので相手からの評価が下がる事は無いだろうとも。正確には「いつどこでどのようにといった部分で正しく判断して依頼をするならば」だ。その言い回しは似たような物をよく知っているような気がして、眉を顰める。
(適材適所、は前半部分か。正しく判断して、というのはリスクとリターンを考慮してというような意味だろうな。彼女を動かす事で確実な利益を得られる機会を見いだせれば、と……?)
解釈をすると、彼女に分かりやすい言葉で言い表せるようにも思える。つまり、数字に出来るのではないかとローザリカは思い至った。社交界で引く手あまたのヴェルジーの親族たる女傑達が、夜ごとに出席する会を決めているのは勘などではなく、何かの基準があるのだろう。その判断基準と同じ物をローザリカが得る事は難しくとも、たとえば人間が持っている社交界への影響力を数字にできれば、会合の出席者の価値を計れるのではないか。数字が実態に即せば即すほど、ローザリカの社交の判断力は磨く事が出来る気がした。
(損得勘定、家の利益。なるほど、どうしてそこを繋げて考えなかったんだ、僕は)
考えれば、あの時に彼女についてきた少女が裏切ったのは当然だ。というより、アレは裏切りですら無い。目撃者となると言う役割を課したにもかかわらず、それに相応しい対価を与える事を怠った……、というより与える事に気づいていなかったローザリカが悪い。実際に物や金ではない通貨が、普段の会話でもやりとりされており、その計算方法こそが礼法なのだ、とローザリカは今こそ理解した。もちろん他の人間にとっては他の解釈があるであろうが、彼女にとって最も分かりやすい言語は経済である。
(身分が下の方から挨拶と名乗りをするのが基準、とあるから基準だけを覚えておけば良いと思っていたが。「親しい相手にはこちらから声を掛けても構わない」という「構わない」は文字通りの意味ではないのだな。親しい相手だと周囲にアピールする事で、対価を与えるのか。とすると、それ以外の例外事項も全ては……?)
休み時間や移動時間に周囲で交わされる、一見して空虚な会話を思い浮かべて、実はそこにもそれぞれに意味があった事を知り、ローザリカは愕然とした。言い回しで与えられる貸しや借りを数字にして考えれば、自分でもついていける気がする。
(物を売るのと同じであれば、同じ事を繰り返していれば価値も下がる。つまり度を過ぎた友人アピールはいざという時の力にはならない、のか? いや、積み重ねた累積効果というものもあるな。端から見ればくだらないように見える付き合いでも、何年も続ければ力にできるのだろう)
極論してしまえば、そのくだらない付き合いを積み重ねる場が学園なのだ。同じクラスで言葉を交わしたと言う程度の繋がりでも、全く縁が無いよりは強い。その時に印象づけるような会話が出来ていれば、更に強い物になる。その為のテクニックこそが、礼法。あるいは、貸借が合わない関係こそが真の友情なのかもしれない。
天然であるか計算尽くであるかは分かれるとしても、社交界を渡り歩く男女はそれぞれの方法で戦う術を身につけている。ローザリカはその夜、遅れながらもその入り口に立った。
●
「ごきげんよう、ローザリカ様。今日は良いお天気ですわね」
(わかる、これは礼法の初級の教科書で見た奴! 名前を覚えていると相手に伝える事で繋がりの点数を稼いでいるが、その後の話題の印象力が薄い。3ポイント!)
独自の理論武装を遂げたローザリカは、周囲のやり取りから急速に学習を進めていく。彼女が貴族令嬢として恥じる事無き如才ない会話を、自然に扱えるようになるのはそれ程遠くない話になりそうだ。