虹への道

キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2020年12月05日 17時54分44秒


――指切り! 何かあったらお互い駆けつける事!

 かつて交わした約束を忘れた事は無かった。

――御免なさい、セロン、どうか幸せに生きて。

 涙に濡れた紅の瞳。
 最後に見た笑顔。
 はっきりと覚えている。

――その子を頼む。

 陽光の中に煌(きらめ)いた濡銀の毛。
 虚空を睨んだまま見開かれていた瞳。
 はっきりと覚えている。

 最初の相棒、失われた相棒、最期の頼み。

 少年は己の右手のひらをじっと見つめ、そして痛くなる程に強く握り締めた。

 黒瞳を閉じ、頷く。

(ああ)

 引き受けた。

 約束だ。

 必ず。

 セロンガード・シュタインドルフはその時、未だ幼かったが、アルターの無念と紅瞳子の涙に懸け誓った。
 頭蓋と胸の奥深くに突き刺さった悲しみと憤怒の鏃に懸けて誓った。

 拐われた親友を見つけ出し古狼の仇を討つ。

 必ず。

 必ず。

 必ず――

 だが、叔父はセロンの旅立ちを許さなかった。

 条件をつけてきたのである。

 叔父は旅立とうとするセロンに対し、まず帝国の教育隊に入隊し訓練を受けろと要求して来た。

(そんな事、していられない。今すぐに助けを求めているかもしれないのに!)

 セロンは初め、叔父の言葉は無視しようとした。
 少年の胸に渦巻く激情が即座に紅瞳子の捜索に旅立てと己へと叫んでいた。
 しかし、

「――十一歳の子供が一人あてもなく大陸に飛び出して、それで一体何をどうしようというのだ? たった五人を相手にしてすら敗北したお前が。何一つも救えずとも自己満足して死ねればそれで満足か?」

 氷刃のような言葉は、部屋から飛び出そうとしていたセロンの足を止めさせるだけのものを伴(ともな)っていた。

「今のままでは居場所を見つける事すら出来ぬだろう。例え万に一つ、奇跡が起こったとて、犬死にするだけだ」

 セロンは紅瞳子を助け出し、古狼の仇を討つのが目的であって、自殺するのが目的ではない。
 例え紅瞳子の居場所がわかっても、弱小のまま駆けつけたところで、親友を困らせるだけだろう。
 助けにゆくのであって、困らせにいくのでは無い。
 なんの足しにもならない、形だけの助けなどになっては意味が無い。自らの気持ちを慰めるだけの自己満足では意味が無い。

 真実、セロンは親友にとっての助けでなければならない。

 だからセロンは――己の中の逸る心を斬り伏せて、叔父が旅立ちの条件として出した帝国の教育隊への入隊に頷いた。

「教育課程は首席で卒業しろ」

 叔父はさらに条件を重ねてきた。

「お前はシュタインドルフだ。授恵者だ。本当に本気であるのなら、その程度、出来ない方がおかしい」

 これには些か、無茶苦茶な事を言う、と思った。
 授恵者は世界にセロン一人だけではない。
 当然、教育隊にはセロン以外の授恵者もいるだろう。彼等彼女等に勝つのは並大抵では済まされない。
 セロンはこれには抗議した。
 だが、

「……お前は身の程も弁(わきま)えず巨大な嵐に挑もうとしている。その程度の才覚すら示せないのであれば、それに挑む事など許せるものではない」

 叔父の意志も硬く、結局、条件を呑まざるを得なかった。

 本当にいざとなったら、叔父から許されようが許されまいが、知った事ではない。

 だが、家の、叔父の力を借りられるか借りられないかでは、捜索できる範囲も手段も速度も大幅に変わってきてしまう。
 発見できた際に編成出来る救出戦力も変わって来る筈だ。

 紅瞳子救出の成功確率を大幅に上昇させる為には叔父の協力は必要不可欠だった。

 だから、十一歳の少年は叔父を鉄刃のような光を秘めた黒瞳で見据えた。

「わかりました。必ず首席で卒業してみせましょう。ですから誓っていただきたい、それを果たせば私に力を貸すと」

 叔父は岩石(シュタイン)のような硬い表情で頷いた。

「誓おう。シュタインドルフの名にかけて」

●
 セロンが帝国軍の教育隊に入隊してから三年の月日が流れた。
 この年、シルトラース帝国の弩弓教育課程ではおよそ四〇〇名にも及ぶ将来有望な若者達が最終検定へと進んでいた。

「士官候補は無理でも猟兵隊くらいには行きたいねぇ」
「戦列兵は嫌だ、戦列兵は嫌だ、戦列兵は嫌だ……」

 寮から野外の試験会場へと向かう途中、冬の道をゆく同輩達が交わす声が聞こえて来る。
 多くの少年兵達が迫る運命の分岐に対し恐れを隠せていない様子だった。

 セロンもまた緊張し恐れていなかったといえば嘘になる。

 首席での卒業は叔父からの旅立ちへの条件だ。
 ここで躓けば、あの日の誓いを果たす事が難しくなってしまう。
 断固として失敗する訳にはいかなかった。

(こんなところで躓いている訳にはいかない……)

 これまでの結果を振り返る。
 最終検定の一日目は筆記試験、二日目は体力試験だった。
 いずれも手応えはあった。
 周囲の誰一人にも遅れは取っていなかった筈だ。

 三日目、つまり今日これから行われる過程試験――これの結果ですべてが決まる。

(私はやれる。その為に、この三年間、必死に修練を積み上げて来たんだ)

 少年は失敗への恐怖に呑まれぬよう意志を強く持った。
 己の中の震えを制御せんと努め、静かな闘志を内側に燃やしながら、試験会場へと続く道を歩いてゆく。

 そんな折り、

「おはようございますセロンさん、調子はいかがですか」

 不意に、柔らかな女声が飛んできた。

 足を止め、声の聞こえてきた方へと振り向けば、年の頃、十四歳程度の薄紫色の短髪(ショートカット)の少女が五人の友人達と共にセロンの方へ歩いて来るところだった。
 六人組の中央、先頭に立つ少女は、人当たりの良さそうな微笑を浮かべている。知った顔だった。

「ああ、キャシー、おはよう。まぁ、良くも無く、悪くも無く、そこそこです。少し緊張していますけど……貴方は緊張してなさそうですね」
「いえ、十分してますよ。腕が震えて狙いがブレれないか心配なくらいです」
「そうなのですか?」

 失礼にならない程度に顔へと視線を走らせる。あまり、そういう風には見えなかったが、

「ふふっ、表情を取り繕うのだけは得意なので」

 何が楽しいのかは解らなかったが、そのように笑われた。

「セロンさん、泣いても笑っても、これがきっと最後でしょうから、今日はお互い全力で、正々堂々、悔いの残らぬ良い勝負にしましょう」

 紫髪の少女は夏空のように澄んだ青い瞳でセロンを真っ直ぐに見つめ、右手を差し出して来た。

(……相変わらず、堂々とした子だ)

 そんな感慨がセロンの脳裏をよぎる。
 教育隊に入隊してから三年間、セロンはずっとこの授恵者の少女と首席の座を巡って熾烈に争ってきた。

――キャシーことカサンドラ・フォン・ベルリヒンゲン、この少女が、手強い。

 常にセロンにとって最大のライバルだった。
 恵まれた才能に驕らず、たゆまぬ努力を積み上げ、力と速度と技を兼ね備え、まっとうに順当に強い。

 まっとうだからこそ、非常に厄介な相手だった。

 ここ一番の胆力が試される場面でも簡単には崩れない。
 
「――ええ、全力で、正々堂々、良い勝負をしましょう」

 セロンは無表情でカサンドラの青瞳を見据え返し、右手を差し出し握手をかわした。

 正々堂々、お互い全力で、悔いの残らぬように――望む所である。

 ”表情を取り繕うのだけは得意”

 彼女はそう言った。
 では、果たして、自分は上手く取り繕えているだろうか?

(睨むなよ)

 視界の端でカサンドラの背後よりその友人達がじっとセロンを物言いたげに見つめてきている。
 少女達の瞳の圧力を受けて、セロンは先日の事を思い出していた。

●
 黒髪の少年は薄暗い物陰で女子達に詰め寄られていた。

 見目麗しい少女達に迫られるとなれば、世の男なれば喜びそうなものだったが、しかしこの状況の場合、とても喜べるようなものでは無かった。

「――……試験で手を抜け、と?」

 セロンは冷めた黒瞳で少女達を睥睨した。

「そうよ! 普通にやってもカサンドラ様が勝つに決まってるけれど、万一があるからね」
「そうなったらあんた、カサンドラ様が可哀想だと思わないの?」
「弁(わきま)えなさいよ!」

 不思議な事に彼女達が当然のように優先されて然(しか)るべきと捲くし立てるのは、彼女達にとっての一方的な都合ばかりだった。

 曰く、カサンドラは稀有な才女であり彼女ら女軍人志望者達の希望の星なのだという。
 だが、首席を取れなかった場合、彼女は厳格な家の方針により、軍への道は諦めさせられて、五十過ぎの中年のもとへと嫁にいかねばならないらしいのだ。

「五十過ぎの脂ぎった醜男の花嫁にならなければならないなんて……おぞましい」

 まぁそうだろう、異論は無い。

「カサンドラ様がそんな運命に堕ちるなんて、そんなの帝国軍にとって損失だわ!」

 まぁそうだろう、カサンドラはとても優秀だ。

「カサンドラ様に出世してもらって引き立てて貰わないと困るのよ!」

 まぁそうだろう、そりゃ君らだけの都合だろ、とは思うが。

「だから……わかるでしょう?」

 少女達がじっとセロンを睨んでくる。

「事情はわかりました」

 黒髪の少年は剣のような視線に囲まれながらも沈着に頷いた。
 そして正直に言う。

「ですが、手を抜く訳にはいきません。私にも首席を取らねばならぬ理由があります。第一、それって不正でしょう。そんな事をする訳にはいきません」
「なんですって!」

 少女達が怒号を炸裂させた。
 そして口々にセロンを最低、クズ、人でなし、と罵り始める。
 大勢に囲まれて不当に罵倒されるというのは嫌なものだ。気の弱い者ならそれだけで屈してしまうだろう。
 だがセロンはそういうタイプではなかった。それで屈する程に意志の弱い人間では無い。
 紅瞳子とアルターへの誓いがあるのだ。

「なんとでも言ってください。話がそれだけなのでしたら、私はこれで失礼します」

 黒髪の少年は少女達の間をすり抜け歩き出す。

「――カサンドラ様が可哀想だと思わないの?!」

 セロンは脅しや罵倒に屈する程に意志の弱い人間では無い。

 だが――

 可哀想、確かに、可哀想だろう。
 カサンドラ自身は気持ちのいい良い子だ(友人は選べよ、とは思うが)。
 ずきりと胸に走った痛みにセロンは顔を顰める。
 思わず止めそうになってしまった足を、歯を喰いしばって動かし、少年は歩いて行った。

●
 課程試験が始まった。

 まずは基本射撃からだった。

 基本射撃は的から100メートル離れた位置より、27秒の間に5本の矢を放ち、得点を競うものだ。
 的は人型が模されていて、胴体の中央部分が10点、身体の外側に逸れるほどに9点、8点、7点、と減少してゆく。

 セロンの順番が近づいてくる。

(集中しろ)

 少年は黒瞳を閉じ、一度、深呼吸してから再び開いた。

「セロンガード・シュタインドルフ!」

 試験官から名を呼ばれる。

「はい」

 折り目正しく返事をし、射撃位置へと進み出る。

「用意――……始めっ!」

 少年は合図と同時に猛然と矢筒から矢を抜き放った。長弓に番え、月が満ちるように限界一杯まで引き絞る。
 呼吸を止め、狙いを定め、右の指を矢筈から離す。
 矢が飛び出した。
 回転する錐のように旋転しながら鋼の閃光が空間を裂き真っ直ぐに飛んでゆく。
 鋭音と共に的へ突き立った。

 セロンは落ち着いて次の矢を引き抜くと再び矢を引き絞り、狙いを定め、放つ。

 繰り返し、五本の矢を撃ち終えると、セロンの得点が示された。

 五十点だった。

 満点だ。

 カサンドラも満点だった。

●
 眼前を黒い円形の的が放物線を描いて横切ってゆく。

 セロンは沈着冷静に弓に矢を番え撃ち放った。快音を響かせながら矢が突き立って的が吹き飛んでゆく。
 しかし、次の的が既に投げ放たれている。
 が、少年の方も既に次の矢を素早く弓に番え引き絞っていた。動く的へと近距離から狙いを定め、放つ。
 矢を生やした的が、快音を響かせながら吹き飛んでゆく。

 至近射撃は五メートル先の空間を横切るように投げ入れられる的と、四方に設置された動かない的を次々に射抜く、というものだった。

 的の数は合計で八つ、セロンはそのすべてを36秒の制限時間内に一つも外さず撃ち抜いた。

 カサンドラも一つも外さなかった。

●
 最後は実践射撃。
 三十にも及ぶ的が八方に、射撃位置より不規則な距離で並べられている。

(――カサンドラ様が可哀想だと思わないの?!)

 不意にセロンの脳裏に少女達の言葉が甦った。

 首席を取れなかった場合、嫁入りさせられる。

 セロンが首席を取る事によって、一人の有望な少女の未来が暗黒に閉ざされる。

 だからどうした。
 勝負というのは、そういうものだろう。

 しかし、そう思いつつもセロンは己の胸中が曇っているのに気づいた。
 意識がクリアにならない。
 集中が妨げられている。

(……何を気にしている?)

 首席にならねばならないのに。
 何故、痛みを覚える?

――意志が弱い、僕は。

 その事実を痛感する。
 強固な意志を持つ者なら、歯牙にもかけないだろう。
 だが、セロンは自らが道を進む事で、誰かを踏み潰して泣かせる事になると考えると、どうしても躊躇ってしまう。

(――怯むな、誓いを果たせッ!!)

 黒髪の少年は歯を喰い縛り、開始の合図と共に三本の矢を一気に引き抜いた。

 指と指の間に矢を一本づつ挟み、弓に矢を番える。それとほぼ同時、引き絞るというよりも左手に持つ弓身を前に押し出すようにしながら矢を放った。
 飛び出した矢が、近い位置にあった的の端ギリギリに命中し、快音と共に的を独楽のように回転させながら吹き飛ばし倒す。
 少年は歯を喰い縛りながら間髪入れず、右手の指に挟んだ二本目を番えるとこちらもほぼ同時、弓身を押し出すようにして速射。
 的が吹き飛ぶ。
 三本目も同様にして速射する。

 0.6秒間に三連射する速射術の奥義だった。

 精度や威力が大幅に落ちる撃ち方だ。鎧を着こんだ相手へと撃ち込むのには使えない。だが、引き換えに得られる速度は凄まじいものがある。
 瞬く間に三つ目の的も倒れた。
 
 実践射撃は、三十の的をすべて射抜き終えるまでにかかった秒数で得点が出される規定だ。動かぬ的に中てれば良いだけなら近い距離ならこれで十分。

 セロンは再び三本の矢を同時に引き抜き、暴風雨の如くに矢を速射してゆく。

 近距離の的をすべて射抜くと、中距離からは通常の射法に戻した。速度は大幅に落ちたが、それでもかなりの速度で射抜いてゆく。

 二十秒が経過した時、三十、すべての的が倒れていた。

 出された得点は百。

 満点だった。

 カサンドラの方はというと三十九秒かかっており、九十九点だった。

●
 首席はセロンに決定された。

「カサンドラ様~!」

 少女達が号泣している。
 一方、カサンドラ本人はすっきりとした顔をしていた。

「負けました。流石ですセロンさん。あの速さは、ちょっと真似できません。百点なんて半分冗談で設定されてた点数でしょうに、本当に叩きだすとは」

 セロンは努めて無表情を保った。

「……有難うございます。良い勝負でした。キャシー、貴女は強かった。一番手強かった」

 右手を差し出した。

「……そうおっしゃっていただけて、光栄です。有難うございます」
 
 カサンドラは柔らかく笑顔を浮かべてセロンの右手を握った。

「……カサンドラ様~! なんで、そんな奴と、握手してるんですか! そいつのせいでカサンドラ様、五十過ぎのオヤジと結婚しなくちゃならなくなったのに!」

 少女の一人が叫び涙目でセロンを睨みつける。
 カサンドラの笑顔に罅が入った。

「……あ、あの、ゾフィーさん、ちょっと…………いきなり、何を言うのですか?」
「だってそいつが!」
「それは私の事情であって、セロンさんには関係ない事でしょう……御免なさい、セロンさん、どうかお気になされないでください」

 紫髪の少女の声が震え、涙目になってきている。
 セロンは無表情で、

「ええ、気にしませんよ」

 と言おうとしたのだが、

「――すいませんキャシー。私にも負けられない理由が、果たさなければならない誓いがあるんです」

 つい、眉間に皺が刻まれ、痛ましいものを見る表情になってしまった。

「…………も、もしかして、セロン、さん、ご存じ、だったんですか?」

 カサンドラは青い瞳を見開き、探るようにセロンへと向けてきた。
 すると紫髪の少女はセロンの黒瞳の中に何を見たのか、顔に赤みをサッと走らせ、そして次に青くした。
 小柄な身をワナワナと震えさせると、周囲の友人の少女達の方へとゆっくりと顔を向けてゆく。
 少女達が引きつった顔で慌てて視線を逸らす。

「……なるほど」

 少女はセロンより顔を背(そむ)けたまま俯いた。
 どんな表情を浮かべているのかは見えなかった。

「……ふっ、ふふふ……セロンさん、申し訳ございませんでした……許してください……貴方の誓いが、果たされる事を、お祈り、申し上げますっ」

 静かな笑い声を響かせてから謝罪の言葉を涙声で呟くと、カサンドラは地を蹴って彼方へと駆け出した。

「あっ、カ、カサンドラ様~!」

 少女達がカサンドラを追ってセロンの前から駆け去ってゆく。 
 
 セロンは胸中に苦いものを覚えながら、遠くなってゆく少女達の背を見送った。
 少年が彼女達に対して出来る事は何もなかった。

 敗北は許されないが、例え勝利したとしても甘い味では無い。

 定めた道を進むという事は勝つという事であり、勝つという事は、立ち塞がるもの総てを蹴散らす事だった。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0