暗黒の街の銀の鬼
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2020年11月29日 21時32分45秒
過ぎし、いつかの、遠い夏の日、
少女の髪は風に揺れて、黄金の色に輝いていた。
翳った街で、交わした約束、
何もかもが闇色に黒ずんで汚れていたが、あの笑顔だけは輝いていた。
●
扼殺された死体の顔は涙と絶望に塗れていたらしい。
「自殺じゃあない。縄じゃない。アレは手で絞めた痕だ」
薄暗い部屋だった。
とても蒸し暑い。
薄い壁の向こうから女の嬌声が響いている。
男女が密談するには向いている場所だった。
「誰が殺した、って?」
引き締まった体躯の中年女が、赤い液体が満たされた杯を呷り、静かに息を吐いた。
彼女は事件の捜査にあたったという女兵士だった。
「……奥方? 違うよ。あれは当主を支えてる。盾だ、煙幕の類。実際は別さ」
女兵士の緋色の瞳が、微かに苦痛を宿したように眇められる。
「誰が? そんなの捜査にあたった兵なら全員知ってる。誰も口には出さないが。
誰だ? 真実の支配者だ。表も裏も主はずうっとあの男だ」
潜められた微かな声は、少年の耳に滑り込むように響いた。
――あいつ自身以外に、誰が暗黒の愛人に手を出せる?
「バハルのダインだよ」
ジーナって娘は、あんたの事を愛していたから、爺の何かに障って殺されたんだ。
●
空。
夏の空は。
こんなに褪せた色をしていただろうか?
街。
暗黒の街。
暗黒というのは、こんなにも壊したい色をしていただろうか?
寝ても覚めても夢の中でも神経が突っ張っている。
頭部のあちこちの筋が痙攣している。
呼吸が上手く出来ない。
ぶつりと何かが切れた音が頭の奥でした。
腹から喉を通って迫り上がって来た物を吐き出す。
道に落ちたそれは唾液と胃酸だけになっていた。
昨晩から何も喰えていない。
口元を手の甲で拭う。
涙は流さなかった。
乱れた息を整える。
額の奥で粘つく鉛が燃えている。こびりついて剥がれない。
行く手を睨みつける。
すべてを灼き尽くすかの如く睨みつける。
睨むつもりはなかったが、勝手に金色の瞳が睨んだ。
景色が揺らぐ。
地が揺れている。
揺れているのは己だ。
怒っているのか、悲しんでいるのか、わからなかった。
個々を判別できぬ程に一体化していた。
怒りながら悲しみ、悲しみながら怒った。
慟哭していた。
世界のすべてがグラグラと煮られ燃え上っている。
制御不能な、居ても立っても居られない、身を掻きむしる程に荒れ狂う衝動に突き動かされて街を歩き。
辿り着いた場所は、黄金が踏み躙られた屋敷だった。
●
ナハティガル=ラーは吼えた。
「なんだってんだこの餓鬼ッ!!」
仰向けに石畳の道に叩きつけられる。
視界がグラグラと回り、肺が詰まった。
身を強張らせていると、さらに胸を強く踏みつけられた。
骨が軋んだ。
既に満身創痍だった。
だが、少年は未だ殺意を失わずに門番を金瞳で鋭く睨んだ。己を抑えつける革長靴を両手で掴んで、死に物狂いで暴れ回る。
「ちっ……めんどくせぇ!」
門番が棍棒を投げ捨てた。
腰から勢い良く剣を引き抜く。
「おい」
もう一人の門番が声を投げる。
白刃を抜いた男は振り返らず、足元の少年を睨んだ。
「なるべくは汚さねぇよ、埒があかねぇ」
「……仕方ねぇな」
舌打ちの音が響き、鈍く輝く剣の切っ先がナハティガルの喉へと向けられ――
「待ちな」
野太い女の声が投げ入れられた。
巨漢は顔を顰め、切っ先を止めた。
振り向き、睨みをくれる。
「うちで預かろう。さすがにお屋敷の真ん前で子供を刺し殺すのは、バハルの風聞に障るんじゃないかい?」
中年の女兵士の言葉に、門番達は顔を見合わせた。
ナハティガルの上から足をどけ、蹴りつける。
襤褸雑巾のような銀髪の少年が兵士の足元まで転がってゆく。
巨漢は顎をしゃくった。
「好きに使いな」
●
薄暗い部屋。
全身が熱く、汗が身体中から吹き出ていた。
「あんたも無茶やるねぇ。そのジーナって娘の為かい?」
朦朧とした意識の中、女兵士の声が響いてくる。その手が淡く発光しているのが見えた。
どうやら手当してくれているらしかった。
唯一つ大切にしていた黄金の約束。
街の暗黒に踏み躙られた。
命にかえても一矢を報いたかった。
だが、結果はこのざまだ。
門すらも突破できない。
「今は眠りな。もしかしたら二度と目覚めないかもしれないが。その時は諦めるんだね」
視界に黒が落ちて来る。
必ず目覚める、と心に刻みながら、抗しえない圧倒的な力に目蓋を委ね、少年は意識を闇に落とした。
●
目を覚ますと、既に女兵士の姿はなかった。
卓上に剥かれた林檎と鉄灰色に光るナイフが置かれている。
鉄の刃を睨んだ。
鬱々とした感情と、身体のあちこちに残る鈍痛に辟易としながら寝台を降り、部屋から出る。
(俺はまだ生きている)
生きているなら何かが出来る。
――まだ殺せる。
だから一階に降りた。
階段を降りると、宿の亭主から呼び止められる。
「女兵士から言伝だ」
一枚の紙片と鉄製の指輪を渡された。
「『殺したいならそこへ行け。武器がある』
だってよ」
●
外観はただの安酒場だった。
だが、亭主に指輪を見せて地下への階段を通されると、熱気に満ちた賭場が広がっていた。
「長い手さん、アンタに客だよ」
初老のヒューマンだった。
白髪交じりの男は亭主から声をかけられても回る賽子から目を離さなかった。
賽子が止まると「負けたぁ!」と叫んで天井を仰いだ。周囲の男達から笑い声があがる。
「今回もゴチになりやす!」
「あーあ、そんな弱い役で、やめときゃ良かったのに」
「ロングハンドさん欲張るからさぁ!」
大量の木札が老人の前から消えてゆく。
「うるせぇバカヤロウお前ら、博打ってのは博打するから博打なんだバカヤロウ、勝てるってわかりきってる勝負なんざ博打じゃねぇやバカヤロウ。だいたいバカヤロウお前らバカヤロウ」
「長手さん客」
「聞こえてるよバカヤロウ」
博打が弱そうな老人が悪態をつきながらナハティガルへと向き直った。
「おう、お前さんがナハティガルかい」
長い手と呼ばれていたが、特に大きな手はしていなかった。
むしろ小さな手だ。腕も別段長く無い。
ナハティガルは老人を観察しつつ無言で頷いた。
老人が手を振った。
亭主が微かに首肯し無言で去ってゆく。
「よし……そうだな、お前、俺の代わりに賽子打て。たのしいぞぅ」
老人が手招きする。
(賽子?)
そんな事をしている暇など無い。
だから少年は老人を睨んだ。
すると、老人はニヤケタ顔をグィッと前に突き出し、ナハティガルの金瞳を見下ろすように覗き込んで来た。
「――他にお前、手段があるのか?
ここまで来たんだ、俺に賭けろバカヤロウ。
スカアハから事情は聞いてる。
暗黒を殺したいのなら俺の言う事を聞け。聞けばお前の役に立つ」
迷ったが、他に縋れるものなど無かった。
今のままでは門すら突破できない。ダインの心臓に刃を届かせるなど夢のまた夢だ。
なんでこんな事を、とナハティガルは思いつつも賽子を受け取って、卓上に投げやりに放り投げる。
小気味良く廻る乾いた音が、騒がしい賭場の中にあって不思議と良く耳に響いた。
●
夏が過ぎて秋のとある日。
「少年よ俺の言葉を聞け、聞けばお前の役に立つ。
殺す相手に向かって『これから貴方を殺します』なんて宣言はするな。
殺す以外に目的がある場合は別だがな」
ボロ家の塗装をナハティガルに命じた老人が、作業する少年のその背後で椅子に座って酒を飲みつつ、偉そうにのたまっている。
「単にそいつを殺すだけなら、それは必要無い。誰でも知ってる」
ナハティガルは我慢して壁を塗っていたが、とうとう手を止め振り向いた。
「……おいアンタ、これらは、一体、なんなんだ?」
老人は少年に殺しの技を教えてくれるという話だった。
だが、今のところ、まったく殺しとは関係無さそうな事ばかりやらされていた。
「まずはやってみる事だ。今のお前さんは何もわかっていない。しかし今はわからなくて良い。だが、その問いに対し、敢えて一つ答えるなら、気を鎮める事が必要だからだ」
少年は冷気を宿らせた金瞳で睨んだ。
老人は飄々と笑った。
「おお、怖い、怖い。ほら、そんな殺気丸出しじゃあ、野良犬一匹殺せんぞバカヤロウ」
――皆、お前という刃に気づくからな。
老人はそう言った。
「声高に殺すと宣言してまわっているようなものだ。見えている刃はのろい」
「鎮めようとした所で鎮まりはしない」
「その火を消せとは言わない。だが制御しろ。支配下におけ。制御が効かない時は他の仕事を一生懸命にやれ。壁塗りをやれ。ほらさっさとやれ。ムラはつくるな、見栄えが悪いからな。こう、手首を柔らかく使え、柔らかく」
老人の言葉のすべてに納得がいった訳ではなかったが、
(……今は我慢だ)
長い手という名はナハティガルでも聞いた事があった。暗黒街では有名な暗殺者だ。
(何か価値はある筈だ。この爺さんが本当に本物の長手なら、だが)
少年は眉間に皺を寄せて憤りを忍び、促されるままに雑用を続けた。
●
秋が過ぎて冬のとある日。
「少年よ俺の言葉を聞け、聞けばお前の役に立つ。
殺すのに必要なのははやさだ。はやさの究極は聞こえない事だ。見えない事だ。気づいた時には死んでいる。それが神なるはやさだ」
神速の刃とは、無音であり無形であるのだという。
「しかし、人は神にはなれぬ。なのでイカサマを使う。故に人の身に成せる究極のはやさとは、相手の知覚を操る事に帰結する」
老人は打つぞ、と宣言してから手を翳した。
ナハティガルは老人の手に注視し、腕を前に出して構えていたが――防げなかった。
時を飛ばしたかのように老人の手が伸びてきて、気づいた時には腕を掻い潜られ打たれていた。
「このように予備動作を消すのは、そういったイカサマの基礎的な一つだ。まともな玄人なら誰でも知ってる」
老人はそう語りながら剣の振り方や足運び、技を繰り出す際の身体の使い方などを少年に教えてくれた。
技の動作の中に雑用で行われていた身体の使い方が多くあった事に気づく。
「少年よ俺の言葉を聞け、聞けばお前の役に立つ。
迫る腕を腕で落とそうとする時は相手の腕に対し落とそうとは思うな。壁を塗ると思え。
その方が力を強く発揮できる。
斬り合いで相対する時は、相手の武器を注視するな。相手全体をぼんやりと眺めろ。
その方が速く反応できる。
人はそのように出来ている。誰でも知ってる、事ではないな、これは」
「……長い手、アンタ、何故、俺に技を教えてくれるんだ?」
ナハティガルがふと不思議に思って問うと、お前今更か、と笑いながらも老人は答えてくれた。
「スカアハには借りがあったからな……それに、俺は極道だが、外道には虫酸が走るのさ」
●
春が来て、夏が過ぎ、秋があって、冬が来た。
光陰は矢の如く、季節は巡り移ろってゆく。
「野暮かも知れんが一応聞こう、青年よ、俺がいれば役に立つ、手伝いは要るか?」
今では髪が一本残らず真っ白になった老人が咳き込みながら問いかけて来た。
ナハティガルは少しの寂寥を覚えたが、努めて笑顔を浮かべた。
「役に立つ? 本当か? アンタ、斬り合いの最中にも発作起こしてくたばりそうだぜ?」
「うるせぇバカヤロウ。まだまだお前よりは働けるわバカヤロウ、お前、この、バカヤロウ」
「まぁ、アンタの言う通りだろうよ。だが…………長い手、ここは俺に一人でやらせてくれ」
「…………けじめか? 気負えば鈍る。鈍れば死ぬぞ」
老人が鋭い眼光を向けて来る。
「さぁな」
視線は逸らさなかった。
睨み合うと、やがて老人が視線を逸らした。
彼は痩せた背を向けた。ナハティガルへと片手を振る。
「達者でなナハティガル。また生きてどっかで会う事があったら、その時は一杯付き合えや」
●
満月が輝いた冬の夜、音も無く門番が一人倒れた。
「……は、ぶぁ?」
もう一人の門番もまた、何が起こったのか把握する前に、喉を深々と切り裂かれて倒れる。
銀色が一つ、バハルの屋敷へと滑り込んでいった。
●
その晩は妙に静かだった。
書斎にて取引相手への文を書いていたダインは不審に思い、卓上に置いてある小さな鐘を鳴らした。
だが反応が無い。
仕方が無いので、一人だけ今もついていた側仕えの少女に様子を探らせにゆかせた。
それが四半刻程前の事だ。
少女は未だに戻って来なかった。
(……いくらなんでも遅い)
文を書き終えたダインは苛々とした様子で舌打ちし、勢い良く席を立った。
扉を開いて廊下へと出る。
館内は設置されている照明により明るかった。バハル家の財力は豊かだ。
老人は赤い絨毯の敷かれた明るい廊下を進んでゆく。
曲がり角に人の足が見えた。横たわっている。
(……なんだ?)
ダインとて暗黒街の住人である。何かが起こっていると気づいた。
腰から短剣を引き抜き、慎重に近づいてゆく。
角を曲がった時にダインが見たのは、
「うっ、ぐっ……?!」
首を裂かれて血だまりの中、絶命している男と、傍らに倒れ伏している側仕えの少女だった。
虚ろな瞳を天井に向け死んでいる男は、ダインが屋敷に住まわせている食客だった。ごろつきと変わらない男だったが、暗黒街で勢力を保つ為の役には立っていた。
誰かいないか! とダインは反射的に叫びそうになったが辛うじて声を抑えた。この凶行を成した者がまだ近くにいないとは限らない。
よくよく注視すると、側仕えの少女は胸が上下していた。こちらは息がまだあるようだった。
だが、強い薬を盛られているのか、叩こうが蹴ろうが、どれだけ衝撃を与えても目を覚まさない。
「くそっ」
諦めてダインは他の無事な者を求めて館内の探索を開始した。
死体ばかりがあちこちに転がっていた。
偶に息がある者もいたが、その者も側仕えの少女のように薬を盛られていて目を覚まさない。
ダインは遅まきながら、この屋敷内で健在なのは己一人だけであると気づいた。
老人は震え上がった。
名家出身の彼は、今までの人生でこんな窮地に立たされた事は無かった。
彼はいつも金持ちで、権力を持ち、大勢を従え、狩る側だった。
狩られる側に回った事など無かった。
恐慌したダインは最早この屋敷内には留まってはいられぬと判断し、屋敷の出口へと向かって駆け出した。
両開きの扉を乱暴に開き、転げるように庭に出る。
すると、満月の光が照らす薄い闇の中、銀色の髪と金の瞳を輝かせる、若い男が立っていた。
右手に握るのは赤黒に染まった一振りの鋼、月光を浴びてぬらりと輝いている。
そして、
「ぬっ!?」
白い布が飛んできた。
ドレスだった。花嫁の衣装。
「これは……? ……お前、何者だ?」
老人は月光の中に立つ銀の鬼へと震える短剣の切っ先を向け、睨む。
「――俺はアンタが道楽で食い散らかした少女の亡霊」
「少女だと……? そうか、貴様、ナハティガルか!」
老人は笑い出した。
「面影があるぞ! そのふてぶてしい面! 忌々しい奴だ。忌々しい奴だ。忌々しい奴だ。可愛いジーナとの約束だから見逃してやったのに、だが、もう良い、約束など知らん、貴様なんぞに殺られてたまるか! ここで死ねぇえええッ!!」
ダインは目を見開き、奇声をあげて駆け出した。
それはずっと誰かに守られてきた老人にしては意外に俊敏なものだったが、しかし、修練を積んだ今のナハティガルの目からは、予備動作が巨大な、素人そのものの動きにしか見えなかった。
青年が一歩を横に動く。
剣を振り下ろす。
ダインの短剣が地に落ちた。
それを握る皺だらけの手ごと。
「あ? ……ああああああああっ?!」
鮮血を溢れさせる腕を老人は月光に翳して凝視し、狂ったような声をあげる。
「死ね」
ナハティガルは宣言した。
蒼い月光を浴びて輝く白刃が弧を描いて暗黒を斬り裂き、髭を蓄えた老人の首が宙に刎ね飛んだ。
地に転がった生首は、恐怖に歪みきった表情を浮かべていた。
後日、昏倒から目覚めた武器を持たぬ屋敷の使用人達は語った。
「銀の鬼を見た」
と。
そうして、無力で善良な少年はこの世からいなくなり、一夜にしてバハル邸を鮮血に沈めた鬼の名が暗黒街で囁かれる事になる。
●
ナハティガルは夢を見た。
輝く川辺に二人で立っていた。
長い金色の髪を風に揺らす、青い瞳の白肌の少女。
鼻はすっと引かれ、唇は薄い桃色、眉は形の良い金色だ。
輝くように笑っている。
ジーナは幼いままだった。
彼女の時はもう動かない。永遠に止まったままだ。
ナハティガルはじっと彼女の顔を見つめていた。
焼き付けるように見つめていた。
現世ではもう、ジーナの顔を上手く思い出す事が出来なくなっていた。
なんせ肖像画すら残ってない。
夢の中でしか、最早見れない。
だから、ナハティガルはジーナの顔を見つめ続けていた。
いつまでも――
再び瞳を開いて夢から覚めた時、ナハティガルはジーナの顔を思い出そうとした。
だが、上手くはいかなかった。
夢は覚める。
川は、流れてゆく。
「――仇は討ったぞジーナ。アンタなら、良くやったと言ってくれるだろう? どうか、安らかに眠ってくれ」
ナハティガルは墓前に報告した。
ジーナが泣きながら笑った気がした。
かくて、銀の鬼となった青年は、暗黒の街を後にした。