薔薇の蕾の咲初めし
キャラクターノベル制作 日方架音納品 2023年07月20日 22時49分35秒
学生を終えてから、シルヴィア・A・カペルの毎日は目に見えて忙しくなった。即座に領主就任、という級友らに比べれば身動きは取りやすいかもしれないが――その分、様々な立場での情報収集、縁繋ぎ、そして恋人に婿入りして貰う為の準備も画策……着々と進めており、手を伸ばさねばならない分野は多岐に渡る。つまりは。
「癒しを求めても仕方ないだろう?」
気怠げに褥を滑る濡羽色に嫋やかなる白魚の指を泳がせる。婀娜なる黒曜石が、朧な月明かりでさえ隠し切れない呆れを寄越すのがむしろ心地良い、と。忍び笑って勝手知ったる塒の棚から切子を二つ。
「『薔薇雫』――酒精に合わせ改良を重ねた品種の、白露に滴る雫を集めて精製したカペル領の最高グレードだよ」
「……賄賂の分は買われてやろうかねぇ」
打ち合わせる澄んだ音が夜気を震わせた。
●
蓮と彩の逢瀬に言の葉は余り多くない。但し決まって、先に杯を干した唇が開く。だが。
「……」
曇る蒼玉が黙するのを、睡蓮は急かすでもなく杯を重ねる。常は闊達なる蒼薔薇が、こうなるのは初めてでは無い――
「友人が……王国の妓楼にね、出来たんだ」
「……へぇ」
相も変わらず物好きな、という想いは酒精に流し。視線はゆるりと月を追う。喉奥に惑う本音を、月下に零してしまえるよう。それでも尚、幾許かの時を経て。ようやっと落ちた音は苦い色。
「初めはね、怒らせてしまったんだ」
流麗に詩を綴る才を、身の上故に諦めて欲しくなくて。汚泥と鳥籠にいったい何の違いがあろうか、と――励ますつもりの言葉に、彼女は怒りを燻らせた。そう、燃やして、燻らせた。其の焔さえ許されぬ立場と示す様に。
「凍える汚泥と温き鳥籠が同じであるものか、とね」
立場が違う相手の心を思う事の、なんと難しい――それでも、理解する事を諦めたくなくて。門前払いも覚悟した次、笑みこそ無くとも迎えてくれた。
「知り合う事から始めよう、と言ってくれたんだ。……本当に、傷付けるつもりは無くて、だから、その」
同じ言を、眼前の親友に賢しらに吐いた記憶がぐるぐると巡る。もしかして――振り払えない懸念は中々紡げず、くしゃりと前髪を掻き混ぜて、ふと。ひとひらの勇気が唇へ触れた。
「睡蓮。もし……私が君を傷つけるような事をしてしまったら。どうか叱って欲しい。どうか」
どうか君の前では、ただのシルヴィアで居させて欲しい。祈りにも似た望みを真っ直ぐな蒼に乗せて希う、だが。
「凍える汚泥と温き鳥籠、ねぇ」
応えはただ、色を無くして。
「莫迦だねぇ、そんなの……当たり前だろうに」
弾かれたように蒼玉が見開いた。
●
はく、と。声無き痛みに喘ぐ。息が苦しい。
(やはり、私は……君を)
俯きかけた頤を煙管が掬う。震えさざなむ蒼を覗き込み、莫迦だねぇ、ともう一度零して。
「ねぇシルヴィア。砂糖細工のねんねちゃん」
「……っ」
「理想を美しく囀る陽中の鳥には、不夜城が大層煌めいて見えるらしいけれど」
「違う、私は……ゴホッ!?」
焦り開く唇へ満たした杯を押し付け、言の葉をゆっくりと喉奥へ流し戻してやる。汚泥の蓮を物珍しいと羽根を休めた鳥は数多居たけれど――苦しげな口の端から伝い落ちる雫が敷物を濡らしていくのも構わず、滑らな頬を撫で上げ微笑う。そう、眼の前の蒼玉だけは、
「あんただけは、嘘を吐かなかった」
たとえ至尊たる国王陛下の前でさえ、胸を張って友と呼ばう姿が目に浮かぶ。そのくせ――下らない事で思い悩むのだ。一息に杯を傾ければ、驚き咽るさまに鼻を鳴らして。
「蓮を愛でてばかりで――白詰草を、摘み損ねるかもねぇ?」
ただでさえ異端な思想に、眉を顰める純血種は多かろう。一番の望みを手放す愚、その可能性を突いてやれば。
「けほ……ふふ、問題無いよ」
萎れていた筈の蒼薔薇は、芯から鮮やかに咲き誇る。
「私はね、この手を伸ばす事を諦めないと決めたんだ」
――青き血の矜持を土台に、蓮も白詰草も共に咲かせてみせよう。
「だから、ひゃんっ」
「泣いた烏がもう笑う」
其の表情が癪に障る、と鼻を抓んで。煙をほうと吹き掛ける。
「ふぁにほ――」
「理解る訳が無いだろうよ、そんなモノ」
それでも足掻くくせに――目を白黒とさせる、遥か雲の上の親友に薄く笑う。その努力は双方向なのだと、思い出させてやらなければ。
「見縊ってくれた礼はしないとねぇ?」
「っ、睡蓮……?」
艶めく唇が、仕置だよ、と嘯いた。
●
追い立てられるように真白き肢体を月下に浴する。
「だ、から、何処を触って……ぁん、も、くすぐっ、」
「仕置だと言ったろう? ほら、逃げるんじゃあないよ」
悪戯な指先に隅々まで磨かれた後、差し出された夜着は仄かな香をくゆらせていて。ぐったりとしていても記憶の隅に引っ掛かるコレは――
「カペルの、薔薇?」
「流石だねぇ。薔薇喰いの蜘蛛糸仕立て、あんたの為の特級品さ」
「私に? ……良いね。凄く気に入ったよ」
吸い付く滑らかさは、知らぬ間に絡め取る蜘蛛糸の名に恥じぬ肌触り。仕置に身構えていた心が緩む、その隙間に女郎蜘蛛はほくそ笑み。
「そりゃあ良かった。水揚げには一等良い夜着でないとねぇ」
「ああ成程、初夜の…………っ!?」
途端。心地良い肌触りが急に頼り無く思えて、無意識に肢体を搔き抱く。羞恥の滲む眦で親友に問えば。
「だって、ねぇ?」
薬指に絡まる永遠の誓いがなぞられる。紅がにまりと弧を描き。
――凍てに克ち、湖に入りて華をつむ
――華を恋人の指に、凍てがとければ愛はほんもの
童の遊び歌が艶めかしく響いた。
「凍花が溶けたなら、やることは一つだろう?」
「……君の耳は、本当に良く聞こえるね」
アキュアリスタの情勢悪化が無ければ日の目を浴びる事の無かった、凍ての花畑さえもまるで隣人かのよう。火照る頬を誤魔化すように肩を竦める。
「諦めないと決めたけれど、流石にもう少しかかるかな」
「そう言って、あんたに任せておいたら小じんまりとしちまうからね」
「本音は?」
「面白味が無くちゃ詰まらないだろう?」
「言ったね!」
一頻り笑い合い、そして束の間の沈黙に身を委ねる。薔薇雫ももう、残り少ない。互いに最後の杯をゆっくりと傾けて――不意に、いけずな雲が月の姿を隠した。
「……初めての夜は特別だからねぇ。先達が仕立ててやるのさ」
行灯の薄明かりでは、蓮の色はわからない。密やかに落ちる言の雫が彩の心をしとどに濡らす――ああ、これは、
(客を選べぬ遊女らの、孤独な生誕に寄り添う産着なのか)
居ても立っても居られず、今にも夜闇に連れて行かれそうな親友の手を掬う。黒曜石は、切なく伏せられたまま。
「ありがとう睡蓮、君のいたわりに感謝を」
「……侯爵令嬢のあんたには、余計な気回しかもしれないけれど」
「いいや。これ以上のモノは無いよ」
「…………着て、くれるかい?」
「約束する」
儚げに滑る射干玉へ誓いの口吻を落とせば、ようやっと合った黒曜石が歓びに潤み。おずおずと伸びる腕が首筋に縋り付く。微かに震える唇が耳元で――――にやり、と形取って。
「確かに、聞き届けたからねぇ?」
するり。項の組紐が抜かれ。確りと帯で留めた筈の夜着がしどけなく滑り落ちる。さながら薔薇の蕾の綻ぶよう――月が、顔を出した。
「な、……え?」
月下に咲初めし薔薇の花弁の真ん中に、生れ出づるは白き彩。蒼玉はただ――呆然と立ち尽くすより他に、何も出来なかった。
「癒しを求めても仕方ないだろう?」
気怠げに褥を滑る濡羽色に嫋やかなる白魚の指を泳がせる。婀娜なる黒曜石が、朧な月明かりでさえ隠し切れない呆れを寄越すのがむしろ心地良い、と。忍び笑って勝手知ったる塒の棚から切子を二つ。
「『薔薇雫』――酒精に合わせ改良を重ねた品種の、白露に滴る雫を集めて精製したカペル領の最高グレードだよ」
「……賄賂の分は買われてやろうかねぇ」
打ち合わせる澄んだ音が夜気を震わせた。
●
蓮と彩の逢瀬に言の葉は余り多くない。但し決まって、先に杯を干した唇が開く。だが。
「……」
曇る蒼玉が黙するのを、睡蓮は急かすでもなく杯を重ねる。常は闊達なる蒼薔薇が、こうなるのは初めてでは無い――
「友人が……王国の妓楼にね、出来たんだ」
「……へぇ」
相も変わらず物好きな、という想いは酒精に流し。視線はゆるりと月を追う。喉奥に惑う本音を、月下に零してしまえるよう。それでも尚、幾許かの時を経て。ようやっと落ちた音は苦い色。
「初めはね、怒らせてしまったんだ」
流麗に詩を綴る才を、身の上故に諦めて欲しくなくて。汚泥と鳥籠にいったい何の違いがあろうか、と――励ますつもりの言葉に、彼女は怒りを燻らせた。そう、燃やして、燻らせた。其の焔さえ許されぬ立場と示す様に。
「凍える汚泥と温き鳥籠が同じであるものか、とね」
立場が違う相手の心を思う事の、なんと難しい――それでも、理解する事を諦めたくなくて。門前払いも覚悟した次、笑みこそ無くとも迎えてくれた。
「知り合う事から始めよう、と言ってくれたんだ。……本当に、傷付けるつもりは無くて、だから、その」
同じ言を、眼前の親友に賢しらに吐いた記憶がぐるぐると巡る。もしかして――振り払えない懸念は中々紡げず、くしゃりと前髪を掻き混ぜて、ふと。ひとひらの勇気が唇へ触れた。
「睡蓮。もし……私が君を傷つけるような事をしてしまったら。どうか叱って欲しい。どうか」
どうか君の前では、ただのシルヴィアで居させて欲しい。祈りにも似た望みを真っ直ぐな蒼に乗せて希う、だが。
「凍える汚泥と温き鳥籠、ねぇ」
応えはただ、色を無くして。
「莫迦だねぇ、そんなの……当たり前だろうに」
弾かれたように蒼玉が見開いた。
●
はく、と。声無き痛みに喘ぐ。息が苦しい。
(やはり、私は……君を)
俯きかけた頤を煙管が掬う。震えさざなむ蒼を覗き込み、莫迦だねぇ、ともう一度零して。
「ねぇシルヴィア。砂糖細工のねんねちゃん」
「……っ」
「理想を美しく囀る陽中の鳥には、不夜城が大層煌めいて見えるらしいけれど」
「違う、私は……ゴホッ!?」
焦り開く唇へ満たした杯を押し付け、言の葉をゆっくりと喉奥へ流し戻してやる。汚泥の蓮を物珍しいと羽根を休めた鳥は数多居たけれど――苦しげな口の端から伝い落ちる雫が敷物を濡らしていくのも構わず、滑らな頬を撫で上げ微笑う。そう、眼の前の蒼玉だけは、
「あんただけは、嘘を吐かなかった」
たとえ至尊たる国王陛下の前でさえ、胸を張って友と呼ばう姿が目に浮かぶ。そのくせ――下らない事で思い悩むのだ。一息に杯を傾ければ、驚き咽るさまに鼻を鳴らして。
「蓮を愛でてばかりで――白詰草を、摘み損ねるかもねぇ?」
ただでさえ異端な思想に、眉を顰める純血種は多かろう。一番の望みを手放す愚、その可能性を突いてやれば。
「けほ……ふふ、問題無いよ」
萎れていた筈の蒼薔薇は、芯から鮮やかに咲き誇る。
「私はね、この手を伸ばす事を諦めないと決めたんだ」
――青き血の矜持を土台に、蓮も白詰草も共に咲かせてみせよう。
「だから、ひゃんっ」
「泣いた烏がもう笑う」
其の表情が癪に障る、と鼻を抓んで。煙をほうと吹き掛ける。
「ふぁにほ――」
「理解る訳が無いだろうよ、そんなモノ」
それでも足掻くくせに――目を白黒とさせる、遥か雲の上の親友に薄く笑う。その努力は双方向なのだと、思い出させてやらなければ。
「見縊ってくれた礼はしないとねぇ?」
「っ、睡蓮……?」
艶めく唇が、仕置だよ、と嘯いた。
●
追い立てられるように真白き肢体を月下に浴する。
「だ、から、何処を触って……ぁん、も、くすぐっ、」
「仕置だと言ったろう? ほら、逃げるんじゃあないよ」
悪戯な指先に隅々まで磨かれた後、差し出された夜着は仄かな香をくゆらせていて。ぐったりとしていても記憶の隅に引っ掛かるコレは――
「カペルの、薔薇?」
「流石だねぇ。薔薇喰いの蜘蛛糸仕立て、あんたの為の特級品さ」
「私に? ……良いね。凄く気に入ったよ」
吸い付く滑らかさは、知らぬ間に絡め取る蜘蛛糸の名に恥じぬ肌触り。仕置に身構えていた心が緩む、その隙間に女郎蜘蛛はほくそ笑み。
「そりゃあ良かった。水揚げには一等良い夜着でないとねぇ」
「ああ成程、初夜の…………っ!?」
途端。心地良い肌触りが急に頼り無く思えて、無意識に肢体を搔き抱く。羞恥の滲む眦で親友に問えば。
「だって、ねぇ?」
薬指に絡まる永遠の誓いがなぞられる。紅がにまりと弧を描き。
――凍てに克ち、湖に入りて華をつむ
――華を恋人の指に、凍てがとければ愛はほんもの
童の遊び歌が艶めかしく響いた。
「凍花が溶けたなら、やることは一つだろう?」
「……君の耳は、本当に良く聞こえるね」
アキュアリスタの情勢悪化が無ければ日の目を浴びる事の無かった、凍ての花畑さえもまるで隣人かのよう。火照る頬を誤魔化すように肩を竦める。
「諦めないと決めたけれど、流石にもう少しかかるかな」
「そう言って、あんたに任せておいたら小じんまりとしちまうからね」
「本音は?」
「面白味が無くちゃ詰まらないだろう?」
「言ったね!」
一頻り笑い合い、そして束の間の沈黙に身を委ねる。薔薇雫ももう、残り少ない。互いに最後の杯をゆっくりと傾けて――不意に、いけずな雲が月の姿を隠した。
「……初めての夜は特別だからねぇ。先達が仕立ててやるのさ」
行灯の薄明かりでは、蓮の色はわからない。密やかに落ちる言の雫が彩の心をしとどに濡らす――ああ、これは、
(客を選べぬ遊女らの、孤独な生誕に寄り添う産着なのか)
居ても立っても居られず、今にも夜闇に連れて行かれそうな親友の手を掬う。黒曜石は、切なく伏せられたまま。
「ありがとう睡蓮、君のいたわりに感謝を」
「……侯爵令嬢のあんたには、余計な気回しかもしれないけれど」
「いいや。これ以上のモノは無いよ」
「…………着て、くれるかい?」
「約束する」
儚げに滑る射干玉へ誓いの口吻を落とせば、ようやっと合った黒曜石が歓びに潤み。おずおずと伸びる腕が首筋に縋り付く。微かに震える唇が耳元で――――にやり、と形取って。
「確かに、聞き届けたからねぇ?」
するり。項の組紐が抜かれ。確りと帯で留めた筈の夜着がしどけなく滑り落ちる。さながら薔薇の蕾の綻ぶよう――月が、顔を出した。
「な、……え?」
月下に咲初めし薔薇の花弁の真ん中に、生れ出づるは白き彩。蒼玉はただ――呆然と立ち尽くすより他に、何も出来なかった。