旅立ち、暗黒と共に

キャラクターノベル(グループ)制作 小湊拓也納品 2023年07月21日 15時55分54秒

「こら」
 いきなり、声をかけられた。
 腕を掴まれ、引き起こされた。
 床の上では、ソレール家の諜報員であるという青年が泣きじゃくっている。
 可愛い、とライナ・フレイヴァルツは思う。
 この可愛らしい青年に、自分は今から尽くさなければならない。
 それを、この男に妨げられた。掴まれ、引きずり起こされた。
「彼には恋人がいる……こんな事を、してはいけませんよ」
 厳かな声。
 ライナの細腕を掴む力は、強く、容赦がない。
 ぼんやりと、ライナは理解した。
「そう…………あなたが……あたらしい、ごしゅじんさま……?」
「違う」
 厳格な輝きを孕む、銀色の瞳。
 まっすぐに、ライナを見据えている。
「ライナ・フレイヴァルツ……貴女は、奴隷ではありません。その生き方、改めなければいけない」
 名を呼ばれた。
 名乗っては、いないはずなのだが。
「…………間に合った」
 男の秀麗な顔に、怖いほど、哀しいほど、真摯な表情が浮かんでいる。
「私は……貴女の母君から、貴女の事を託されています。巫女姿の褐色のエルフ女性……愛する娘の名を私に告げ、事切れた。私は、間に合わなかったのです」
「ご……しゅじんさ、ま……」
「褐色のエルフ少女が、とある貴族に囚えられて奴隷の扱いを受けている……その情報を入手してくれたのは、彼ですよ。恩返しをするにしても、このやり方はいけない」
 泣きじゃくる青年に、男は優しい目を向けた。
「救出が今日まで遅れたのは、証拠を固める必要があったからです。ここまで暴力的な介入が黙認される程度には、ね」
 男が何を言っているのか、ライナは全く理解が出来ない。
 言う事は、ひとつだけだ。
「ごしゅじんさまぁ……」
「聞いて下さいライナ。誰かに尽くす生き方は、時として尊く美しい……ですが、貴女のそれは明らかに違う」
 秀麗にして峻厳な容貌の左右では、耳が鋭く尖っている。
 この男が、自分と同じエルフである事に、ライナは今更ながら気付いた。
「貴女に餌を与えてくれる御主人は、もう居ません……自力で立ち上がり、歩き出しましょう。ライナ・フレイヴァルツ」


 ライナの飼い主であった貴族は、奴隷商人との取引、以外にも様々な違法行為を働いていた。
 ソレール家は、そのような者たちの悪事を調べ上げ暴き立てる役割を、リーンエス王国より与えられているようであった。
 そういった諜報活動を統率しているのが、ソレール家執事。クラウスという名の、エルフの男である。
 エルフでありながら、人間の貴族に仕えている。
 数日前までの自分と同じではないのか、とライナは思わなくもない。
 ともかく。クラウスによって救出されたライナは、ソレール家の邸内で日々を過ごす事となった。
 帰る場所など、無いのだ。
 ソレール家の人々は、ライナに優しく接してくれた。
 リーンエス王国の人間たちにとって、エルフとは奴隷であり玩具。
 そのような認識を、ライナは自然に改めてゆく事が出来た。
 人々の優しさに、ライナは触れたのだ。
 まるで夢のように、穏やかで幸せな時を、ライナは迎えていた。
 そのはず、なのだ。
「幸せに過ごせていますか? ライナ」
 クラウスが問いかけてくる。
 ライナは、答えなかった。
 壁際で身を丸め、抱えた両膝の間に顔を埋めている。
 その有り様が、クラウスにとっては、ひとつの返答であるようだった。
 ソレール家の邸宅。客人ライナ・フレイヴァルツのために用意された一室。
 ただ壁際で膝を抱えるためだけにライナは、この立派な部屋を使っている。
「この館では……誰もが、貴女に気を遣う」
 問いを重ねる事なく、クラウスは言った。
「貴女の傷に触れぬよう……壊れやすい人形を愛でるように、ライナを扱う。だから貴女の心には……様々な事を思い出し、記憶を振り返るだけの、余裕が出来てしまった」
「…………感謝は、している……クラウスさん、貴方にも。ソレール家の方々にも……」
 ライナは言った。
 他人と、真っ当に会話をするのは、本当に久しぶりだという気がした。
「貴方の言う通り、私は……思い出して、しまうんだ。のんびり過ごしていると、様々な事を……」
「投獄されましたよ」
 とクラウスが言うのは、ライナを飼い犬として扱った、あの貴族の事であろう。
「今は衰弱しきっているようです。刑場へ引き出されるまでもなく、獄中死を遂げるのは時間の問題……面会は、出来ますよ。恨み言を、罵詈雑言を、浴びせるのであれば最後の機会」
「興味ない……あんな男は、どうでもいい……」
「でしょう、ね。貴女が嫌悪し、憎悪しているのは……ライナ・フレイヴァルツ、貴女自身」
「自分が、何をしていたのか……どんな様を、晒していたのか…………それを思うだけで、私は」
 膝の間から、ライナはようやく顔を上げた。
「クラウスさん、私を…………殺しては、くれないのか……?」
「死ぬ事は容易い、いつでも出来る。その前に、あがいてみる事です」
 クラウスは、何かを心に決めた、ようである。
「私は、ずっと考えていた。傷に触れない、壊れ物のように扱う……それでは駄目かも知れない、と。貴女は、まず己の傷と正面から向き合わなければならない。こんな所で膝を抱えている暇を……ライナ、君に与えてはいけなかったんだ」


 壊れやすい人形のようなライナを、クラウスは戦闘訓練で壊し尽くした。
 壊れながらも、ライナは懸命に立ち上がり、食らいついてきた。
 壊れた自分自身を、彼女は凄まじい速度で修復し、強靱化を遂げていった。
 呆然と、クラウスは思う。
 自分は、怪物を育ててしまったのかも知れない、と。
「見事…………」
 そう、呟くしかなかった。
 首筋に、短剣を突き付けられている。
 その短剣は、ライナの繊細な五指で、力みなく保持されている。
「今……私は一瞬、確かに、君の姿を見失っていた。闇夜に、霧の中へと紛れるかのように……ライナ、君は己の気配を完全に隠蔽していたな」
「貴方に言われた通り、自分の心の闇と向き合うようにしてみたんだ」
 クラウスの首筋から、ライナは短剣を遠ざけてくれた。
「闇を利用する。自然に、そんな心づもりになれるようになった」
「そうだな。君なら……その闇を、武器にする事も出来るだろう」
 呪術的な素養をクラウスは、ずっとライナから感じてはいた。
 闇の中から、闇そのものを用いて、標的を呪殺・暗殺する。
 このエルフ少女は、いずれ、それが出来るようになる。
「……休憩にしよう。ライナ、茶を淹れてくれるか」
「緊張するな」
 ライナが微笑む。笑顔を、見せるようにはなった。
 ソレール家の執事としてクラウスは、こうして野外で湯を沸かし紅茶を淹れる方法をはじめ、様々な事をライナに教え込んだ。一般的な知識教養の類もだ。
 ライナ自身、紅茶には興味を持ってくれた。今も、本当に嬉しそうに湯を沸かしている。
 やがて、二人分の紅茶が出来上がった。
 一口で、クラウスは裁定を下した。
「ふむ……まだまだ、だな。君は自分でどう思う」
「う……まだまだ、だ。クラウスさんは、どうしてあんなに美味しいお茶を淹れられるんだ?」
「さあな」
 人殺しの怪物に育つ心配は、薄れた。
 とは言え、とクラウスは思う。
 頃合いを見て、冒険者ギルドヘ行かせるべきだろう。
 ライナには、もはや穏やかに生きる道はない。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0