あなたにふさわしい
キャラクターノベル制作 炙りとろ左門納品 2023年06月13日 12時41分52秒
遠くで揺れる炎を見つめていると、気持ちとは裏腹に騒めいていた鼓動が静まる。それは、『エリカ』という少女に備わる感性なのかもしれない。少なくとも森人と呼ばれる種族であれば、火に忌避感を抱いていたとしてもおかしくはない。
さてしかし、どこからがどこまでが『エリカ』という存在なのか。
少女が疲弊しているのは、シュルトハイスが愛する少女として歩み続けること以外にも、その『あるべき器』からこぼれ落ちないように気を張り詰めねばならない環境にある。『エリカ』の輪郭をなぞるのは、か細い少女の指だけではないのだ。
自然と、少女は逃げるように、王国の外へと足を向ける――その先でさえ『あるべき器』に収まろうとしてしまうのは、苦笑するほかないが。
まあ尤も、今、少女が夜営の火から距離を置いているのには、まったく別の理由がある。
少女は暖かなスープに口をつけつつ、ちらりと相手の表情を窺った。
セイアッドという名の同族は、じっと手の中のカップに視線を落としている。もともと口数が多い方ではないのだということは聞いていたが、今のところ彼が発した言葉といえば、少女の同席の申し出を承諾した「ああ」という一言のみである。
その横顔は、何か考え事をしているようにも見えるし、ぼうっとしているようにも見える。だが、少女を拒絶してはいない。
やがて、セイアッドの方から静寂が破られた。
「……何か用があったのでは?」
一緒に食事をする以上の何かがあるのだろうと気づけども、セイアッドは少女の心を汲むにはやや至らない。
「火のそばは、賑やかなので」
「それは聞いた」
ぎこちなく微笑む少女に、セイアッドはにべなく返す。が、すぐに不自然に息を飲んだ。
「……いや、無遠慮に立ち入るつもりはない」
言葉を探すにしても、できるだけ声音を和らげる。少女を怯えさせないように慎重に距離を測っているようだ。
だからこそ、少女は火のそばではなく、セイアッドに近づくことを選んだ。
他人と視線と言葉を交えることを恐れながらも、決してそれを手放さない、否手放せないのだと――そのように生きている者同士として。
そして、そのような胸の内を吐露できるのであれば、そも苦しんではないのだ。
二人の間にはふたたび、静寂が訪れる。だが気まずい空気ではなかった。少女はそのことに小さく胸を撫で下ろす。
まだ温かいスープをひとくち、すぐに飲み干してしまわないように。それでも、カップが空になるまでの時間はそう長くはない。
「周囲が賑やかにしている様子に、耐えられない時がある」
そんななか、セイアッドはひとつ、切り出した。
「いや、もうしばらくずっと……そうなのかもしれない。うるさく感じるだとか、疎外感を覚えるだとか、そういうものではなく……ただ、距離を置いていたい」
まとわりつく視線から、投げかけられる言葉から――他人の心から。そう暗に示したセイアッドに、少女は思い切って尋ねた。
「彼女からも?」
セイアッドが信頼し、その傍に侍って尽くすひと。他人の心を遠ざけたいと思いながら、彼女のことは最も近くに置いている。少女がそれを指摘すると、セイアッドは曖昧に微笑んだ。
「彼女は、私にとって唯一許せるものだ。君にはないのか?」
「……私には……」
少女の頭にはすぐ浮かぶものがあった。だが、それが『エリカとして相応しい思惟』ではないことに思いあたり、視線を彷徨わせる。
「その子は、違うのか」
言い淀む少女の襟元で眠るシマリスを見て、セイアッドは小首を傾げた。少女は弾かれたように顔を上げ、首を横や縦に振る。
「……どっちなんだ?」
「あっ、ええと」
慌てた様子の少女に、セイアッドは小さく吹き出した。男がそんな笑みを見せるのは珍しい、が、少女はそれどころではない。
「ネムは私の、その、ネムというのはこの子の名前で……もちろん、私にとってネムは、かけがえのない命です」
少女は眠るネムの体に、片手でそっと触れた。
ネムは、少女を語るに相応しいものとして真っ先に挙がる存在であり、それは――。
「私にとって初めての友が産み、私に託して逝った……大切な子なんです」
少女は確かめるように言葉を紡いだ。
この胸元の熱が、想いが、『シュルトハイスの娘』という器を脆くしていることはわかっていても――あるいは、それが少女にできる唯一の、世界に対するささやかな抵抗なのかもしれない。
もし仮に、『シュルトハイスの娘』という器が砕けて散ることがあっても、この命の熱さえ忘れずにいられるのなら……小さな温もりを確かめ、少女は俯き目を伏せた。
セイアッドはそれ以上話を広げようとはしなかった。「そうか」という短い相槌に対し、少女もまた頷くのみで会話は自然に途切れ、二人のカップの中身は空になった。
「……気は進まないが、火のそばに戻ろう。体を冷やしてはいけない」
セイアッドが立ち上がったので、少女もまたそれに続いた、火は煌々とあたりを照らしており、星明かりをかき消してしまう。
「君の名はなんという」
セイアッドがふと投げかけた問いに、少女は戸惑いながらも答える。
「エリカと申します」
確か挨拶はしたことがある。だがセイアッドは、先ほどと同じく「それは聞いた」と言葉を返しながらも、澱みなく続けた。
「君に相応しい名は?」
「……わたしに、ふさわしい?」
少女の足が止まった。セイアッドもそれに気づいて立ち止まり、振り返る。
「……いや、忘れてくれ。妙なことを聞いてしまった」
セイアッドが事情を全て知っているわけではないし、それを前提に問いかけたわけではないことは、少女にもわかっていた。ただ何か、感じるものがあったのだろう。
「だが、いつかその答えを得られたら……教えてほしい」
少女がそれに頷くかどうかも確認せず、セイアッドは再び歩き出した。
セイアッドはもう、少女に対して厚い壁を作ってはいない。しかし少女の方はといえばすぐに一歩を踏み出せず、ゆっくりと息を吐き出した。そして腰の鞄を漁り、指先に触れたそれを取り出す。
ネムとは違い、命としての温もりを持たないもの。物心ついた時から傍にあったものだ。
ネムとの時間より古く、貧民街にいた時から持っていたもの。由縁は何もわからない。
これが少女と関係のあるものなのか、どこかへ導くものなのか。ネムほど確かなものではないのに、なんとなく持ち続けている。
「……わたしに、ふさわしい……」
少女は言葉を繰り返す。タグに埋め込まれた小さな石を、星明かりが淡く照らしていた。
さてしかし、どこからがどこまでが『エリカ』という存在なのか。
少女が疲弊しているのは、シュルトハイスが愛する少女として歩み続けること以外にも、その『あるべき器』からこぼれ落ちないように気を張り詰めねばならない環境にある。『エリカ』の輪郭をなぞるのは、か細い少女の指だけではないのだ。
自然と、少女は逃げるように、王国の外へと足を向ける――その先でさえ『あるべき器』に収まろうとしてしまうのは、苦笑するほかないが。
まあ尤も、今、少女が夜営の火から距離を置いているのには、まったく別の理由がある。
少女は暖かなスープに口をつけつつ、ちらりと相手の表情を窺った。
セイアッドという名の同族は、じっと手の中のカップに視線を落としている。もともと口数が多い方ではないのだということは聞いていたが、今のところ彼が発した言葉といえば、少女の同席の申し出を承諾した「ああ」という一言のみである。
その横顔は、何か考え事をしているようにも見えるし、ぼうっとしているようにも見える。だが、少女を拒絶してはいない。
やがて、セイアッドの方から静寂が破られた。
「……何か用があったのでは?」
一緒に食事をする以上の何かがあるのだろうと気づけども、セイアッドは少女の心を汲むにはやや至らない。
「火のそばは、賑やかなので」
「それは聞いた」
ぎこちなく微笑む少女に、セイアッドはにべなく返す。が、すぐに不自然に息を飲んだ。
「……いや、無遠慮に立ち入るつもりはない」
言葉を探すにしても、できるだけ声音を和らげる。少女を怯えさせないように慎重に距離を測っているようだ。
だからこそ、少女は火のそばではなく、セイアッドに近づくことを選んだ。
他人と視線と言葉を交えることを恐れながらも、決してそれを手放さない、否手放せないのだと――そのように生きている者同士として。
そして、そのような胸の内を吐露できるのであれば、そも苦しんではないのだ。
二人の間にはふたたび、静寂が訪れる。だが気まずい空気ではなかった。少女はそのことに小さく胸を撫で下ろす。
まだ温かいスープをひとくち、すぐに飲み干してしまわないように。それでも、カップが空になるまでの時間はそう長くはない。
「周囲が賑やかにしている様子に、耐えられない時がある」
そんななか、セイアッドはひとつ、切り出した。
「いや、もうしばらくずっと……そうなのかもしれない。うるさく感じるだとか、疎外感を覚えるだとか、そういうものではなく……ただ、距離を置いていたい」
まとわりつく視線から、投げかけられる言葉から――他人の心から。そう暗に示したセイアッドに、少女は思い切って尋ねた。
「彼女からも?」
セイアッドが信頼し、その傍に侍って尽くすひと。他人の心を遠ざけたいと思いながら、彼女のことは最も近くに置いている。少女がそれを指摘すると、セイアッドは曖昧に微笑んだ。
「彼女は、私にとって唯一許せるものだ。君にはないのか?」
「……私には……」
少女の頭にはすぐ浮かぶものがあった。だが、それが『エリカとして相応しい思惟』ではないことに思いあたり、視線を彷徨わせる。
「その子は、違うのか」
言い淀む少女の襟元で眠るシマリスを見て、セイアッドは小首を傾げた。少女は弾かれたように顔を上げ、首を横や縦に振る。
「……どっちなんだ?」
「あっ、ええと」
慌てた様子の少女に、セイアッドは小さく吹き出した。男がそんな笑みを見せるのは珍しい、が、少女はそれどころではない。
「ネムは私の、その、ネムというのはこの子の名前で……もちろん、私にとってネムは、かけがえのない命です」
少女は眠るネムの体に、片手でそっと触れた。
ネムは、少女を語るに相応しいものとして真っ先に挙がる存在であり、それは――。
「私にとって初めての友が産み、私に託して逝った……大切な子なんです」
少女は確かめるように言葉を紡いだ。
この胸元の熱が、想いが、『シュルトハイスの娘』という器を脆くしていることはわかっていても――あるいは、それが少女にできる唯一の、世界に対するささやかな抵抗なのかもしれない。
もし仮に、『シュルトハイスの娘』という器が砕けて散ることがあっても、この命の熱さえ忘れずにいられるのなら……小さな温もりを確かめ、少女は俯き目を伏せた。
セイアッドはそれ以上話を広げようとはしなかった。「そうか」という短い相槌に対し、少女もまた頷くのみで会話は自然に途切れ、二人のカップの中身は空になった。
「……気は進まないが、火のそばに戻ろう。体を冷やしてはいけない」
セイアッドが立ち上がったので、少女もまたそれに続いた、火は煌々とあたりを照らしており、星明かりをかき消してしまう。
「君の名はなんという」
セイアッドがふと投げかけた問いに、少女は戸惑いながらも答える。
「エリカと申します」
確か挨拶はしたことがある。だがセイアッドは、先ほどと同じく「それは聞いた」と言葉を返しながらも、澱みなく続けた。
「君に相応しい名は?」
「……わたしに、ふさわしい?」
少女の足が止まった。セイアッドもそれに気づいて立ち止まり、振り返る。
「……いや、忘れてくれ。妙なことを聞いてしまった」
セイアッドが事情を全て知っているわけではないし、それを前提に問いかけたわけではないことは、少女にもわかっていた。ただ何か、感じるものがあったのだろう。
「だが、いつかその答えを得られたら……教えてほしい」
少女がそれに頷くかどうかも確認せず、セイアッドは再び歩き出した。
セイアッドはもう、少女に対して厚い壁を作ってはいない。しかし少女の方はといえばすぐに一歩を踏み出せず、ゆっくりと息を吐き出した。そして腰の鞄を漁り、指先に触れたそれを取り出す。
ネムとは違い、命としての温もりを持たないもの。物心ついた時から傍にあったものだ。
ネムとの時間より古く、貧民街にいた時から持っていたもの。由縁は何もわからない。
これが少女と関係のあるものなのか、どこかへ導くものなのか。ネムほど確かなものではないのに、なんとなく持ち続けている。
「……わたしに、ふさわしい……」
少女は言葉を繰り返す。タグに埋め込まれた小さな石を、星明かりが淡く照らしていた。