【鬼哭】ある小鬼の選択
キャラクターノベル制作 夏八木ヒロ納品 2023年03月18日 16時07分03秒
喧騒の去った儀式場でその光を見たナハシュが、最初に抱いたのは賞賛だった。
それは、今や名前もよく思い出せないアイツの悲願だったもの。ゴブリンをヒトにしようなんて、どうしてそんなことをしたがるのかはさっぱりわからないままだったが、そんなことはどうでも良い。
アイツにとってはそれが大事で人生を賭けるに値した。いち早く周囲を出し抜き、並み居る対抗馬をぶち抜いてレースに勝ってみせたのだ。それは端から見ていても痛快というより他なかった。
だから降ってくる光へもごく自然に手を伸ばそうとし――そこでナハシュは、ぴたりと制止した。己の内に生じた、痛烈な違和感に眉を顰める。
●
アイツが叶える前に、どうして神になってまでゴブリンをヒトにしたかったのか。きちんと聞いておくべきだったかもしれないと思った。聞ける時に聞かなかったのは、請け負っていた仕事に直接関係がない話題だったからだ。
しかし、それとは別にどこか他人事のような気持ちもあったのではないだろうか。自分が何者になろうと自分であることに変わりはないと、そう思っていたのでは?
生まれた赤子は自分と他者を区別できるようになると、まず親を認識し己が何者かを理解する。しかしナハシュにはそれがなかった。暗い地下室には己しか存在せず、たまにやってくるだけの何かと自身を結びつける術もなかった。
ナハシュは根源的に己という存在について知らず、興味もない。それなのに敢えて『ゴブリン』であることを強く自認していたのは即ち――ナハシュは存外に、自身のルーツがゴブリンであることを気に入っていたのではないか。
「俺は、ゴブリンって奴が嫌いじゃない」
内から掬い上げた感情に少し目を細めて、ナハシュは誰にともなく言った。否、伝える相手など一人しかいない。わざわざ指名しなくともどこかで聞いてるんだろ? よく知らないが、神ってのは大体そういうもんだって言うじゃねえか。
「カミサマが用意した椅子はとっくに埋まってんのに、街まで作ってヒトみてえなもんになろうとしてな。悪くなかった。欲しいもんは奪い、そうして成り上がるお綺麗じゃねえゴールディの在り方も気に入ってる」
所詮はヒトのなり損ない、結構じゃないか。亜人よりちょっと器用だったくらいの存在が、カミサマの決め事に逆らってまでヒトになろうと藻掻いたのだ。そんな奴の歩く先など荒野か断崖絶壁に決まっている。かつて彼らが足を止めなかったから荒野は道に変じた。他の誰もが歩こうとさえ思わなかった道だ。
そして、そんな荒れた道の上だったからこそ、ナハシュのような存在さえも受け入れたのだ。
「そんでお前は、ゴブリンなりのやり方で椅子を奪いに行ったんだ。そこまではいい。結果、カミサマはもう一つ椅子を用意してくれた。それもまあいい」
きっとゴブリン種の戦いの一つの到達点だった。今後ゴブリンがヒトとして生きる未来が面白くなっていくのもわかっている。何せ、ゴールとは新しいスタートだ。これから越えていく障害も多いだろう。なるほど、そっちの道も楽しそうではある。
だが、その到達点はあくまでもゴブリン達の到達点でありナハシュのそれではない。決して己がヒトになりたいわけではなかったのだと、今になって自覚してしまった。
「俺はどうも、椅子に座りたいわけじゃなかったみたいだ。だってよ、今まであった型が少し変わったってだけだろ? それを押しつけてくる世界は何も変わっちゃいねえんだ」
それは絶望だろうか。否、ナハシュの双眸の奥には光があった。つまるところ、遊びかけの世界は言うほど変わっていなかったということだ。それならこれからも楽しく遊べるに決まっている。
だから、新しく神がくれる整えられた道など要らない。型を押しつけるだけの神など要らない。たとえこの選択によって、今よりもっと立場が悪くなり生きにくくなるとしても、己が後悔することはないだろう。
「だから俺はいい。他をあたってくれ」
次の瞬間、銀色のナイフが鋭く光を両断する。空を切るように手応えこそなかったが、その否定を理解したように光はそこで霧散した。
流れる所作でナイフを抜き放ったナハシュの眼差しは、その刹那だけは一番若く新しいゴブリンの神の方ではなく――そのもっと向こうにある何かを見ていたようだった。
●
ナハシュはナイフをくるくると手で弄んだ後ホルダーへと戻す。もうすぐ相棒も此方へやってくる頃だろうか。
その目は親しげに何もない天井を見つめた。不思議なことに、もうアイツが本当に居たのかどうかもうろ覚えだ。だが、どうしてもこれだけは言っておきたかった。
「確かに俺には不要なもんだったが、それはそれとしてだ。見事な勝ち抜けだったぜ。ああ、あれこそが――」
“ゴブリンの生き様だよな!”
決して揺らぐことなく駆け抜けた名もなき小鬼へ、ナハシュは心から拍手を送った。
それは、今や名前もよく思い出せないアイツの悲願だったもの。ゴブリンをヒトにしようなんて、どうしてそんなことをしたがるのかはさっぱりわからないままだったが、そんなことはどうでも良い。
アイツにとってはそれが大事で人生を賭けるに値した。いち早く周囲を出し抜き、並み居る対抗馬をぶち抜いてレースに勝ってみせたのだ。それは端から見ていても痛快というより他なかった。
だから降ってくる光へもごく自然に手を伸ばそうとし――そこでナハシュは、ぴたりと制止した。己の内に生じた、痛烈な違和感に眉を顰める。
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アイツが叶える前に、どうして神になってまでゴブリンをヒトにしたかったのか。きちんと聞いておくべきだったかもしれないと思った。聞ける時に聞かなかったのは、請け負っていた仕事に直接関係がない話題だったからだ。
しかし、それとは別にどこか他人事のような気持ちもあったのではないだろうか。自分が何者になろうと自分であることに変わりはないと、そう思っていたのでは?
生まれた赤子は自分と他者を区別できるようになると、まず親を認識し己が何者かを理解する。しかしナハシュにはそれがなかった。暗い地下室には己しか存在せず、たまにやってくるだけの何かと自身を結びつける術もなかった。
ナハシュは根源的に己という存在について知らず、興味もない。それなのに敢えて『ゴブリン』であることを強く自認していたのは即ち――ナハシュは存外に、自身のルーツがゴブリンであることを気に入っていたのではないか。
「俺は、ゴブリンって奴が嫌いじゃない」
内から掬い上げた感情に少し目を細めて、ナハシュは誰にともなく言った。否、伝える相手など一人しかいない。わざわざ指名しなくともどこかで聞いてるんだろ? よく知らないが、神ってのは大体そういうもんだって言うじゃねえか。
「カミサマが用意した椅子はとっくに埋まってんのに、街まで作ってヒトみてえなもんになろうとしてな。悪くなかった。欲しいもんは奪い、そうして成り上がるお綺麗じゃねえゴールディの在り方も気に入ってる」
所詮はヒトのなり損ない、結構じゃないか。亜人よりちょっと器用だったくらいの存在が、カミサマの決め事に逆らってまでヒトになろうと藻掻いたのだ。そんな奴の歩く先など荒野か断崖絶壁に決まっている。かつて彼らが足を止めなかったから荒野は道に変じた。他の誰もが歩こうとさえ思わなかった道だ。
そして、そんな荒れた道の上だったからこそ、ナハシュのような存在さえも受け入れたのだ。
「そんでお前は、ゴブリンなりのやり方で椅子を奪いに行ったんだ。そこまではいい。結果、カミサマはもう一つ椅子を用意してくれた。それもまあいい」
きっとゴブリン種の戦いの一つの到達点だった。今後ゴブリンがヒトとして生きる未来が面白くなっていくのもわかっている。何せ、ゴールとは新しいスタートだ。これから越えていく障害も多いだろう。なるほど、そっちの道も楽しそうではある。
だが、その到達点はあくまでもゴブリン達の到達点でありナハシュのそれではない。決して己がヒトになりたいわけではなかったのだと、今になって自覚してしまった。
「俺はどうも、椅子に座りたいわけじゃなかったみたいだ。だってよ、今まであった型が少し変わったってだけだろ? それを押しつけてくる世界は何も変わっちゃいねえんだ」
それは絶望だろうか。否、ナハシュの双眸の奥には光があった。つまるところ、遊びかけの世界は言うほど変わっていなかったということだ。それならこれからも楽しく遊べるに決まっている。
だから、新しく神がくれる整えられた道など要らない。型を押しつけるだけの神など要らない。たとえこの選択によって、今よりもっと立場が悪くなり生きにくくなるとしても、己が後悔することはないだろう。
「だから俺はいい。他をあたってくれ」
次の瞬間、銀色のナイフが鋭く光を両断する。空を切るように手応えこそなかったが、その否定を理解したように光はそこで霧散した。
流れる所作でナイフを抜き放ったナハシュの眼差しは、その刹那だけは一番若く新しいゴブリンの神の方ではなく――そのもっと向こうにある何かを見ていたようだった。
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ナハシュはナイフをくるくると手で弄んだ後ホルダーへと戻す。もうすぐ相棒も此方へやってくる頃だろうか。
その目は親しげに何もない天井を見つめた。不思議なことに、もうアイツが本当に居たのかどうかもうろ覚えだ。だが、どうしてもこれだけは言っておきたかった。
「確かに俺には不要なもんだったが、それはそれとしてだ。見事な勝ち抜けだったぜ。ああ、あれこそが――」
“ゴブリンの生き様だよな!”
決して揺らぐことなく駆け抜けた名もなき小鬼へ、ナハシュは心から拍手を送った。