蜜月の新妻エプロン
キャラクターノベル(グループ)制作 阿瀬 春納品 2022年12月31日 13時16分33秒
今ではない場所、今ではない時。
――たとえばこんな、ふたりの世界。
●
『遅くなるかも』
携帯電話の画面に表示された文字を指先になぞり、その横の真紅の薔薇の花束のアイコンを爪で弾く。
知らず尖りそうになる唇をきゅっと引き結び、ローザリカ・L・ディオールは『了解した』と簡素な文字を返した。
未だ記憶に新しい結婚式のブーケのアイコンに続いて表示されるのは、薔薇をモチーフとした黄水晶の耳飾り。
小さく息を吐く。
(仕方がないな)
夫であるジュスト・ヴェルジーは、彼の祖父が会長、父親が社長である会社に勤めている。年若くはあるもののそれなりの地位に就いているのは、けれど親の七光りなどではなく、当人の努力と才のよるもの。表向き享楽家を装いながら、けれど裏ではひたむきに生真面目に努力を重ねていることをローザリカは昔から知っている。――出会って間もない幼い頃から、ずっと。
息をするが如く自然に女性を口説く悪癖のせいで内心は随分とやきもきさせられはしたけれど、
(だが、もう――)
左の薬指に嵌められた指輪を見下ろす。婚約指輪を経ての結婚指輪が、窓から流れ込む昼下がりの光に燦然と煌めいて見えて、思わず唇が緩んだ。
(君は僕のもの)
そうして己は彼のもの。
永遠を誓った日を思い出せば、帰りが遅くなることなどどうということもない。
携帯電話をリビングのソファに置き、ベランダに続く窓のレースカーテンを開く。休日の朝にはふたりで朝食を摂ることもあるガーデンテーブルに咲いたミニバラの蕾にそっと触れてから、洗濯物を取り込む。冬の陽射しを集めて温かくなったジュストのセーターを片腕に掛け、ふと出来心で顔を寄せてみる。
(婚約者殿の、……)
否、と自然と顔が綻ぶ。
(旦那様の)
洗っても微かに残る、彼の匂い。
主のいないセーターをしばらく抱きしめて、新妻は不意に照れた。そそくさと洗濯物を取り込み、新婚生活のうちに少しは慣れた手つきで畳んで仕舞う。
(夕飯は何にしようか)
忙しいと食事を抜きがちな彼のために、美味しくて栄養のある食事を今日も作ってあげたい。
頭になぞるのは、彼のためになるならと通い始めた料理教室で習ったレシピの数々。冷たい風に当たって帰って来る彼のために、身体の温まるスープを作ろう。野菜やお肉の旨味が溶けこむように、ことこと煮たあったかいスープに、温野菜のサラダには風味豊かなチーズドレッシングを。ふんわり柔らかな米粉のパンも作ろう。
考え考え、彼のセーターを寝室のクローゼットに仕舞おうとして、
(……)
自分用のチェストが目に入った。
(…………)
そろりと手を伸ばす。抽斗の奥、隠すようにしまい込んだ紙袋を取り出す。
(折角、買ったんだし)
それに、こういうものはどの夫婦も新婚時に身につけるものだととある指南書に書いてあった。噂にも聞いたことがある。
夫に負けず劣らずの勤勉さで以て、新妻は新妻らしくあらんと精一杯の努力を惜しまない。そのためになら、男の夢が詰まった本だって入手して大真面目に読み込んで頭に叩きこもうというもの。
袋をそうっと開く。中から取り出したのは、薄紅色も晴れやかなふりふりで胸元がハート型で丈の短いエプロン。書籍によれば、衣服は纏わずエプロンのみを身につけるのが正しい作法であるとのこと。
「……っ、よし!」
意を決し、着ていたニットワンピースを脱ぐ。下着姿の上にエプロンを着け、リビングに出て姿見の前に立ったはいいものの、
(こ、これは……)
ローザリカは思わず頬から胸元まで羞恥に赤くなる。このエプロンの線ではまるで下に何も纏っていないかのようだ。
(落ち着かない! 恥ずかしい!)
顔を覆って寝室に飛び込んで布団を被って丸くなってしまいたい気持ちをどうにか抑え込む。そもそも今、家には自分ひとり。旦那様の帰りは遅い。誰に見られているわけでなし、
(かの有名な『新婚三択』を完璧に言ってみせるためにも練習をしなければ!)
恥ずかしさにどきどきする胸を両手で抑え、新妻は鏡で自分の姿をチェックする。大切なのは初々しさと大胆さ。
「ご飯にする? お風呂にする?」
本の通りの台詞を赤く上気した頬で囁いてみる。
(ここで、こう!)
エプロンのフリルをひらり、際どく翻して振り返り、トドメの一言――
「それと……も……!?」
振り返った先にはまだまだ帰るはずのない旦那様が居た。バチリ、黄水晶の瞳と翠珠の瞳が絡み合う。
先に声を上げたのはローザリカだった。
「何故、いる!?」
●
時間は少し遡る。
『了解した』
小さな画面に表示された黄水晶の耳飾りのアイコンに瞳を細め、ジュストはコートのポケットに携帯電話を仕舞う。
(驚いてくれるかな?)
いつもより早い帰宅時間、お土産にはなかなか予約が取れない洋菓子店の美味しくて可愛いクッキー缶を手に、帰路を急ぐ。薔薇の刻印が施された銀色の缶の中にパズルのように敷き詰められているのは、薔薇を象ったクッキーに霞草のかたちをした砂糖菓子。一目見たときから妻に是非と思った逸品。
(喜んでくれるかな?)
家で待ってくれている妻のことを想えば、寒空の下も平気だった。
電車に乗るうち、駅からの道を辿るうち、いつか妻の瞳と同じ色に染まり始めた空の下を歩く。家の前に立てば、明るく温かな光が灯った窓が見えて嬉しくなった。彼女はいつも、美味しいご飯を作って帰りを待っていてくれる。
驚かせたくて、それよりなにより喜んでほしくて、音を立てないように玄関の鍵を開け、家に入る。廊下を渡り、リビングのドアをそっと開けた、途端。
裸エプロンの裾を際どく翻し、キラキラとした笑顔で振り返った妻と眼が合った。それはもうばっちり、バチンと音がするほどしっかり視線がぶつかった。
刹那に思ったのは、
(過労か!)
とうとう過重労働のせいで幻覚を見るようになってしまったかと呆然とするも、
「何故、いる!?」
妻の凛々しい一言に裸エプロンが現実であると認識するに至る。
(い、いや、下着はつけてる、……つけてる……)
最初は衝撃のあまり見えていなかった下着の存在に気づき、至極残念になったのは一旦置いて、
「それとも……何?」
まずは意地悪く先を訊いてみる。途端、愛妻の頬は薔薇より美しい紅に染まった。
「~~っ!」
恥じらって言葉を失う様子も、意地が悪いと知りながらも思わず笑ってしまった自分に対し、
「ばか! ばかばか!」
エプロンから零れそうな胸元を隠し短い裾を引っ張り必死にこちらを罵る姿も、何もかもが可愛らしくて愛おしかった。たまらず手を取って引き寄せる。抗おうとした力はすぐに抜け、愛しい柔らかさと重さが胸に触れた。
「お土産」
「君は狡い」
洋菓子店の袋を示して囁けば、拗ねたような小さな声。
「ただいま」
うっかり忘れていた帰宅時のキスを頬に落とせば、
「……おかえりなさい」
くすり、花咲くような笑み。
――たとえばこんな、ふたりの世界。
●
『遅くなるかも』
携帯電話の画面に表示された文字を指先になぞり、その横の真紅の薔薇の花束のアイコンを爪で弾く。
知らず尖りそうになる唇をきゅっと引き結び、ローザリカ・L・ディオールは『了解した』と簡素な文字を返した。
未だ記憶に新しい結婚式のブーケのアイコンに続いて表示されるのは、薔薇をモチーフとした黄水晶の耳飾り。
小さく息を吐く。
(仕方がないな)
夫であるジュスト・ヴェルジーは、彼の祖父が会長、父親が社長である会社に勤めている。年若くはあるもののそれなりの地位に就いているのは、けれど親の七光りなどではなく、当人の努力と才のよるもの。表向き享楽家を装いながら、けれど裏ではひたむきに生真面目に努力を重ねていることをローザリカは昔から知っている。――出会って間もない幼い頃から、ずっと。
息をするが如く自然に女性を口説く悪癖のせいで内心は随分とやきもきさせられはしたけれど、
(だが、もう――)
左の薬指に嵌められた指輪を見下ろす。婚約指輪を経ての結婚指輪が、窓から流れ込む昼下がりの光に燦然と煌めいて見えて、思わず唇が緩んだ。
(君は僕のもの)
そうして己は彼のもの。
永遠を誓った日を思い出せば、帰りが遅くなることなどどうということもない。
携帯電話をリビングのソファに置き、ベランダに続く窓のレースカーテンを開く。休日の朝にはふたりで朝食を摂ることもあるガーデンテーブルに咲いたミニバラの蕾にそっと触れてから、洗濯物を取り込む。冬の陽射しを集めて温かくなったジュストのセーターを片腕に掛け、ふと出来心で顔を寄せてみる。
(婚約者殿の、……)
否、と自然と顔が綻ぶ。
(旦那様の)
洗っても微かに残る、彼の匂い。
主のいないセーターをしばらく抱きしめて、新妻は不意に照れた。そそくさと洗濯物を取り込み、新婚生活のうちに少しは慣れた手つきで畳んで仕舞う。
(夕飯は何にしようか)
忙しいと食事を抜きがちな彼のために、美味しくて栄養のある食事を今日も作ってあげたい。
頭になぞるのは、彼のためになるならと通い始めた料理教室で習ったレシピの数々。冷たい風に当たって帰って来る彼のために、身体の温まるスープを作ろう。野菜やお肉の旨味が溶けこむように、ことこと煮たあったかいスープに、温野菜のサラダには風味豊かなチーズドレッシングを。ふんわり柔らかな米粉のパンも作ろう。
考え考え、彼のセーターを寝室のクローゼットに仕舞おうとして、
(……)
自分用のチェストが目に入った。
(…………)
そろりと手を伸ばす。抽斗の奥、隠すようにしまい込んだ紙袋を取り出す。
(折角、買ったんだし)
それに、こういうものはどの夫婦も新婚時に身につけるものだととある指南書に書いてあった。噂にも聞いたことがある。
夫に負けず劣らずの勤勉さで以て、新妻は新妻らしくあらんと精一杯の努力を惜しまない。そのためになら、男の夢が詰まった本だって入手して大真面目に読み込んで頭に叩きこもうというもの。
袋をそうっと開く。中から取り出したのは、薄紅色も晴れやかなふりふりで胸元がハート型で丈の短いエプロン。書籍によれば、衣服は纏わずエプロンのみを身につけるのが正しい作法であるとのこと。
「……っ、よし!」
意を決し、着ていたニットワンピースを脱ぐ。下着姿の上にエプロンを着け、リビングに出て姿見の前に立ったはいいものの、
(こ、これは……)
ローザリカは思わず頬から胸元まで羞恥に赤くなる。このエプロンの線ではまるで下に何も纏っていないかのようだ。
(落ち着かない! 恥ずかしい!)
顔を覆って寝室に飛び込んで布団を被って丸くなってしまいたい気持ちをどうにか抑え込む。そもそも今、家には自分ひとり。旦那様の帰りは遅い。誰に見られているわけでなし、
(かの有名な『新婚三択』を完璧に言ってみせるためにも練習をしなければ!)
恥ずかしさにどきどきする胸を両手で抑え、新妻は鏡で自分の姿をチェックする。大切なのは初々しさと大胆さ。
「ご飯にする? お風呂にする?」
本の通りの台詞を赤く上気した頬で囁いてみる。
(ここで、こう!)
エプロンのフリルをひらり、際どく翻して振り返り、トドメの一言――
「それと……も……!?」
振り返った先にはまだまだ帰るはずのない旦那様が居た。バチリ、黄水晶の瞳と翠珠の瞳が絡み合う。
先に声を上げたのはローザリカだった。
「何故、いる!?」
●
時間は少し遡る。
『了解した』
小さな画面に表示された黄水晶の耳飾りのアイコンに瞳を細め、ジュストはコートのポケットに携帯電話を仕舞う。
(驚いてくれるかな?)
いつもより早い帰宅時間、お土産にはなかなか予約が取れない洋菓子店の美味しくて可愛いクッキー缶を手に、帰路を急ぐ。薔薇の刻印が施された銀色の缶の中にパズルのように敷き詰められているのは、薔薇を象ったクッキーに霞草のかたちをした砂糖菓子。一目見たときから妻に是非と思った逸品。
(喜んでくれるかな?)
家で待ってくれている妻のことを想えば、寒空の下も平気だった。
電車に乗るうち、駅からの道を辿るうち、いつか妻の瞳と同じ色に染まり始めた空の下を歩く。家の前に立てば、明るく温かな光が灯った窓が見えて嬉しくなった。彼女はいつも、美味しいご飯を作って帰りを待っていてくれる。
驚かせたくて、それよりなにより喜んでほしくて、音を立てないように玄関の鍵を開け、家に入る。廊下を渡り、リビングのドアをそっと開けた、途端。
裸エプロンの裾を際どく翻し、キラキラとした笑顔で振り返った妻と眼が合った。それはもうばっちり、バチンと音がするほどしっかり視線がぶつかった。
刹那に思ったのは、
(過労か!)
とうとう過重労働のせいで幻覚を見るようになってしまったかと呆然とするも、
「何故、いる!?」
妻の凛々しい一言に裸エプロンが現実であると認識するに至る。
(い、いや、下着はつけてる、……つけてる……)
最初は衝撃のあまり見えていなかった下着の存在に気づき、至極残念になったのは一旦置いて、
「それとも……何?」
まずは意地悪く先を訊いてみる。途端、愛妻の頬は薔薇より美しい紅に染まった。
「~~っ!」
恥じらって言葉を失う様子も、意地が悪いと知りながらも思わず笑ってしまった自分に対し、
「ばか! ばかばか!」
エプロンから零れそうな胸元を隠し短い裾を引っ張り必死にこちらを罵る姿も、何もかもが可愛らしくて愛おしかった。たまらず手を取って引き寄せる。抗おうとした力はすぐに抜け、愛しい柔らかさと重さが胸に触れた。
「お土産」
「君は狡い」
洋菓子店の袋を示して囁けば、拗ねたような小さな声。
「ただいま」
うっかり忘れていた帰宅時のキスを頬に落とせば、
「……おかえりなさい」
くすり、花咲くような笑み。