血染めの赤い糸、そして蠱毒の壺の底
キャラクターノベル制作 空色みなも納品 2022年11月23日 16時18分55秒
●
血染めの赤い糸に繋がれて。
逃げ出すことも許されない。
生き残れるのは、一人だけ。
ここは孤独な蠱毒の壺の底――。
●
漆黒。
本来であれば、色など存在し得ない暗闇に。
夜に住まう者たちのまなこには、紅に彩られた世界が映っていた。
それは、吸血鬼たちの狂宴。
古城を舞台に繰り広げられた、命の奪い合い。
癖の付いた銀髪の娘が、鉤爪で胸を引き裂かれ死んだ。
短く刈り込まれた金髪の男が、棍で叩き潰され死んだ。
広間の床に、灰と化した吸血鬼の遺骸が積もっていく。
その様を玉座から静観している、壮年の男。
貴族風の服装に身を包んだ男の胸には、赤い宝石のはめ込まれたブローチが揺れている。
彼こそが、この場に集められた吸血鬼たちの偉大なる親――。
マルクト・ライヒシュタインである。
子の世代となるすべての吸血鬼で殺し合いを行い、最後に生き残った者が次世代を継ぐ。
それが、世代交代におけるライヒシュタイン家の伝統であった。
マルクトがライヒシュタイン家を継いでから、五十年以上は経つらしい。
その際に同じく継承の儀式を経験した彼にとって、この伝統は尊いものであった。
そのためか。
互いに殺し合う子らを見守るマルクトの目は――慈愛に満ちていた。
彼が子供たちを大切に思っている、という事実と。
愛するはずの子供たちに殺し合いを強いているという事実は。
マルクトの中では、何ら矛盾なく成立しているのだ。
ふと、そのマルクトの目に留まったのは――ヴィリー・ライヒシュタイン。
マルクトの子らの中でも、古参にあたる男だ。
ヴィリーの両の手には、それぞれにナイフが握られており。
白い長髪をふわりと舞わせながら、他の吸血鬼――自らの兄弟姉妹を、次々と切り伏せていた。
弟にあたる吸血鬼が振り下ろした剣を、ヴィリーは左のナイフで跳ね上げて。
がら空きとなった相手の脇へ、右のナイフを突き立てた。
その隙を突こうと背後から近づいた妹の一人は、肘打ちで吹き飛ばす。
獅子奮迅とも呼べる活躍であった。
やはりヴィリーが本命になるか――。
マルクトが満足気に目を細めていると。
視界の端に映った、末娘の姿。
桃色の髪を振りかざしたマルグリット・ライヒシュタインは。
右に手にした短剣で、夥しい数の兄弟姉妹を塵に帰していた。
たった今も、姉にあたる吸血鬼の眉間を短剣で貫いたところ。
どうやら、このマルグリットも注目に値するようだ――。
古城に詰めかけていた吸血鬼たちも、時を経るごとに数を減らしていき。
いよいよ、戦場に立っているのは二人。
ヴィリーと――マルグリット。
「マルグリット。ここまで勝ち残ったということは、君もどうやら強いみたいだね――そう、俺の次くらいには」
ヴィリーが両のナイフを構え、腰を沈めた。
「あら嫌ですわ、ヴィリーお兄様。ワタクシと刃を交えた後も、そのようなご冗談を言えるでしょうか? もっとも――ワタクシと戦った後、物言える口が残っているとは思えませんが」
マルグリットが順手で握っていた短剣を投げ上げる。
短剣がくるくると宙を舞い。
その柄をマルグリットが逆手に掴み直したのが、合図となった。
「はあっ!」
何かに弾かれたように、ヴィリーの体が前方へ急加速する。
恐ろしい速度で突き出されたナイフを、マルグリットはしかし。
まともに受けることはせず半身でかわすと、ヴィリーの右手首を空いた左手で掴んだ。
ヴィリーについた勢いをそのまま利用して、後方に腕を引く。
前へつんのめるように体勢を崩したヴィリー。
しかし、その場に倒れ込むような隙を晒すこともない。
ヴィリーは前方へ一回転すると、即座にマルグリットと距離をとった。
「この俺に埃をつけるとはね」
「直にヴィリーお兄様そのものが埃になりますわ」
ヴィリーが振り返る間に生まれる隙に。
今度はマルグリットから仕掛けに行った。
マルグリットの短剣が、水平に大きく薙がれる。
対するヴィリーはこれを大きく屈むことで回避。
その動作に追いつかない白髪が短剣に刈られ。
ハラリ、散る。
「お気に入りだったんだけどなあ、長い髪」
「あら、ワタクシはサッパリしているのがヴィリーお兄様にお似合いだと思いますわよ?」
ヴィリーは立ち上がろうとする勢いそのままにナイフを振り上げた。
これにマルグリットも胸を開かれそうになるが、上体を反らして難を逃れる。
追撃を避けるためか、ここでマルグリットは後方に跳躍し、間合いを離した。
だが、ヴィリーはそれ自体をマルグリットの隙と見た。
マルグリットを追うように、ヴィリーは突進をかける。
「せいっ!」
ヴィリーの振るった左のナイフを、今度はマルグリットが短剣で受けると。
すかさず、ヴィリーはもう一方のナイフをマルグリットの腹に突き入れようとしてきた。
マルグリットの腹部を抉ろうと、刃先が迫り――肌にめり込む直前で、止まる。
ヴィリーの右手首を、マルグリットの左手が掴んでいた。
二人の顔が肉薄し、視線が絡み合う。
その視線に込められていたのは――純然たる殺意。
しかし両者の顔には、笑みすら浮かんでいた。
しばし、鍔迫り合いの状態が続く。
だが純粋な膂力ではヴィリーのほうが勝るらしい。
マルグリットは徐々に押され、やがては壁際まで追い詰められてしまう。
「終わりだ、マルグリット」
ヴィリーは勝ち誇った顔で、右のナイフを押し込もうとする――。
「いささか気が早いのではなくて、ヴィリーお兄様?」
マルグリットが不敵に微笑んだかと思うと。
ヴィリーの腹部に強い衝撃が走り、彼は後方へと吹き飛ばされた。
見れば、マルグリットのスラリとした脚が前方に伸びている。
彼女はヴィリーに蹴りを加えたのだ。
よろめいたヴィリーへ、マルグリットの追撃の手が伸びる。
マルグリットは左手でヴィリーの頭を鷲掴みにすると、床に押し倒した。
「ぐっ!?」
後頭部を強かに打ち、ヴィリーの視界に閃光が走る。
上に覆いかぶさる形となったマルグリットは、トドメを刺そうと短剣を振り上げた。
「……っ!」
マルグリットはここで息を呑むことになる。
顔の両脇に、足が存在したからだ。
ヴィリーは倒れたまま体を曲げ、マルグリットの首を脚で挟んでいた。
そして体を側転させた勢いで、マルグリットを横に投げ飛ばしてしまった。
「流石だよ、マルグリット。それでこそ、父上の後を継ぐための試練としてふさわしい」
「ヴィリーお兄様こそ、なかなかやりますわね。でも、お父様の後を継ぐのはワタクシ。それは決定事項ですわ」
体を起こしたヴィリーとマルグリットは、互いに血を滴らせた口角を上げる。
その口元から覗く鋭い犬歯は、二人が吸血鬼であることを改めて象徴していた。
「お遊びはここまでですわ、ヴィリーお兄様。これはどちらかが命果てるまでの死合いですもの」
剣呑に笑うマルグリットが、前方に向かって左手をかざす。
すると、彼女の掌から真っ赤なエーテルが迸った。
暗闇に細長く伸びたそのエーテルは、例えるならば。
二人を血塗られた運命で結び付ける、赤い糸――。
マルグリットは血染めの赤い糸を以って、ヴィリーを自らのもとへ手繰り寄せる。
そこからは、まさに泥沼の争いとなった。
だだっ広い空間に、ただ刃のぶつかり合う音だけが反響する。
と、マルグリットが大きく振り上げた片脚をヴィリーの首に絡め、彼を地面に叩きつけた。
再び訪れた好機。
今度は投げ飛ばされることがないよう、ヴィリーの脚に馬乗りになるマルグリット。
彼女の短剣を左で受けるヴィリーは、右のナイフでマルグリットを引きはがそうとする。
例によって、マルグリットは左手によってヴィリーの右手首を掴むことで対処。
これで互いに両手が塞がって。
しばしの膠着状態に陥るが――。
「もう終わりにしましょう、ヴィリーお兄様」
「があっ……!」
マルグリットの牙が、ヴィリーの右手に突き立てられる。
それによりマルグリットの左手が、空いた。
後は、それを短剣に添えるだけ。
片手のみでそれに抗うだけの力は、ヴィリーにもなく。
恍惚の表情を浮かべるマルグリットの下で、短剣に貫かれたヴィリーは塵となって消えた。
●
パチ、パチ、パチ。
古城に響く拍手の音、一人分。
「お父様、ワタクシやりましたわ」
「ああ、よくやった。私の可愛い娘よ」
マルグリットが玉座のある側を向くと、マルクトが立ち上がって手を叩いていた。
「ライヒシュタインの当主を継ぐのは、お前だ。伝統に則り、我が身をお前に捧げよう」
そう、継承の儀式はまだ残っていた。
正式にライヒシュタインであることができるのは、世代継承を行った時点で一人だけ。
つまり現在の親たるマルクトすらも。
この儀式において退場しなければならない一人なのだ。
彼らはそれを疑問に思うことはしない。
なぜなら、祖先の代から行われてきた伝統だから。
一般に、吸血鬼は親から引き継がれた特徴を重んじるものなのだ。
「ご安心なさってください。ワタクシ、お父様の全てを受け継ぎますわ」
マルグリットもまた、その例外ではない。
彼女は父を深く愛すればこそ。
その手で父を殺めることに、躊躇いはなかった。
「これを身に着けるといい。先祖代々、受け継がれてきたものだ」
「ええ、お父様と思って大事にいたしますわ」
マルクトは胸に着けていたブローチを、マルグリットの手に握らせた。
そのブローチを、そっと胸元に抱き寄せるマルグリット。
「それから、お前の普段使いが短剣であることもちょうどいい。私のものを使え」
そう言ってマルクトの渡した短剣を手にし。
「ありがとうございます、お父様――」
マルグリットはマルクトの胸を、一息に刺した。
「達者でな、マルグリット――」
塵となって消えゆくマルクトを前に。
マルグリットの表情を染めていた感情は――至福、であった。
●
「ワタクシ、ライヒシュタイン家の繁栄を誓いますわ」
もはや他に誰もいなくなった広間を、マルグリットは玉座から見渡していた。
その胸には、マルクトの遺したブローチが揺れていて。
右手には、マルクトを貫いた短剣が握られている。
マルグリットは心に決めていた。
自身もいつか吸血鬼として子を成して、我が子にその身を捧げようと。
敬愛する父が、そうであったように――。
けれども。
マルグリットにはその前に成すべきことがあった。
「セラフィアス商会――ワタクシはどこまでも追い詰めて差し上げますわ」
マルグリットは頬に手を添えて、陶酔を顔に浮かべていた。
そう、彼女はかつて自らを取引した人身売買組織に復讐を果たそうというのだ。
商会の手で売られたマルグリットは、その時々の持ち主に乱暴され。
結果として、子宝に恵まれることのない体になった。
そのことに何度、絶望したか分からない。
吸血鬼として新たな生を受け、子を成すことが可能になったその日まで。
マルグリットの憎悪の対象は、取引に関わった商会関係者はおろか。
その血縁者にすら、及んでいる。
いや、むしろ悪人として裁かれている商会関係者はまだマシなほうだ。
彼女にとって何より許せないのは。
商会の血縁者でありながら、善人の顔をしてのうのうと暮らしているような輩なのだ。
知らなかった、なんかじゃ済まさない。
人身売買で生まれた汚いお金で、ご飯を食べておきながら――。
「でも復讐の完成は最後のお楽しみ、ですわね」
まずは手近な関係者から始末すればいい――マルグリットは思案する。
そのために必要な手駒は、どうやって調達しようか。
お父様は別だけど、男は嫌いだから配下も女がいい――。
こうしてマルグリットの復讐計画は、水面下で密やかに動き出した。
やがて、彼女は冒険者たちの前に大きな障害として立ちはだかることになるだろう――。
血染めの赤い糸に繋がれて。
逃げ出すことも許されない。
生き残れるのは、一人だけ。
ここは孤独な蠱毒の壺の底――。
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漆黒。
本来であれば、色など存在し得ない暗闇に。
夜に住まう者たちのまなこには、紅に彩られた世界が映っていた。
それは、吸血鬼たちの狂宴。
古城を舞台に繰り広げられた、命の奪い合い。
癖の付いた銀髪の娘が、鉤爪で胸を引き裂かれ死んだ。
短く刈り込まれた金髪の男が、棍で叩き潰され死んだ。
広間の床に、灰と化した吸血鬼の遺骸が積もっていく。
その様を玉座から静観している、壮年の男。
貴族風の服装に身を包んだ男の胸には、赤い宝石のはめ込まれたブローチが揺れている。
彼こそが、この場に集められた吸血鬼たちの偉大なる親――。
マルクト・ライヒシュタインである。
子の世代となるすべての吸血鬼で殺し合いを行い、最後に生き残った者が次世代を継ぐ。
それが、世代交代におけるライヒシュタイン家の伝統であった。
マルクトがライヒシュタイン家を継いでから、五十年以上は経つらしい。
その際に同じく継承の儀式を経験した彼にとって、この伝統は尊いものであった。
そのためか。
互いに殺し合う子らを見守るマルクトの目は――慈愛に満ちていた。
彼が子供たちを大切に思っている、という事実と。
愛するはずの子供たちに殺し合いを強いているという事実は。
マルクトの中では、何ら矛盾なく成立しているのだ。
ふと、そのマルクトの目に留まったのは――ヴィリー・ライヒシュタイン。
マルクトの子らの中でも、古参にあたる男だ。
ヴィリーの両の手には、それぞれにナイフが握られており。
白い長髪をふわりと舞わせながら、他の吸血鬼――自らの兄弟姉妹を、次々と切り伏せていた。
弟にあたる吸血鬼が振り下ろした剣を、ヴィリーは左のナイフで跳ね上げて。
がら空きとなった相手の脇へ、右のナイフを突き立てた。
その隙を突こうと背後から近づいた妹の一人は、肘打ちで吹き飛ばす。
獅子奮迅とも呼べる活躍であった。
やはりヴィリーが本命になるか――。
マルクトが満足気に目を細めていると。
視界の端に映った、末娘の姿。
桃色の髪を振りかざしたマルグリット・ライヒシュタインは。
右に手にした短剣で、夥しい数の兄弟姉妹を塵に帰していた。
たった今も、姉にあたる吸血鬼の眉間を短剣で貫いたところ。
どうやら、このマルグリットも注目に値するようだ――。
古城に詰めかけていた吸血鬼たちも、時を経るごとに数を減らしていき。
いよいよ、戦場に立っているのは二人。
ヴィリーと――マルグリット。
「マルグリット。ここまで勝ち残ったということは、君もどうやら強いみたいだね――そう、俺の次くらいには」
ヴィリーが両のナイフを構え、腰を沈めた。
「あら嫌ですわ、ヴィリーお兄様。ワタクシと刃を交えた後も、そのようなご冗談を言えるでしょうか? もっとも――ワタクシと戦った後、物言える口が残っているとは思えませんが」
マルグリットが順手で握っていた短剣を投げ上げる。
短剣がくるくると宙を舞い。
その柄をマルグリットが逆手に掴み直したのが、合図となった。
「はあっ!」
何かに弾かれたように、ヴィリーの体が前方へ急加速する。
恐ろしい速度で突き出されたナイフを、マルグリットはしかし。
まともに受けることはせず半身でかわすと、ヴィリーの右手首を空いた左手で掴んだ。
ヴィリーについた勢いをそのまま利用して、後方に腕を引く。
前へつんのめるように体勢を崩したヴィリー。
しかし、その場に倒れ込むような隙を晒すこともない。
ヴィリーは前方へ一回転すると、即座にマルグリットと距離をとった。
「この俺に埃をつけるとはね」
「直にヴィリーお兄様そのものが埃になりますわ」
ヴィリーが振り返る間に生まれる隙に。
今度はマルグリットから仕掛けに行った。
マルグリットの短剣が、水平に大きく薙がれる。
対するヴィリーはこれを大きく屈むことで回避。
その動作に追いつかない白髪が短剣に刈られ。
ハラリ、散る。
「お気に入りだったんだけどなあ、長い髪」
「あら、ワタクシはサッパリしているのがヴィリーお兄様にお似合いだと思いますわよ?」
ヴィリーは立ち上がろうとする勢いそのままにナイフを振り上げた。
これにマルグリットも胸を開かれそうになるが、上体を反らして難を逃れる。
追撃を避けるためか、ここでマルグリットは後方に跳躍し、間合いを離した。
だが、ヴィリーはそれ自体をマルグリットの隙と見た。
マルグリットを追うように、ヴィリーは突進をかける。
「せいっ!」
ヴィリーの振るった左のナイフを、今度はマルグリットが短剣で受けると。
すかさず、ヴィリーはもう一方のナイフをマルグリットの腹に突き入れようとしてきた。
マルグリットの腹部を抉ろうと、刃先が迫り――肌にめり込む直前で、止まる。
ヴィリーの右手首を、マルグリットの左手が掴んでいた。
二人の顔が肉薄し、視線が絡み合う。
その視線に込められていたのは――純然たる殺意。
しかし両者の顔には、笑みすら浮かんでいた。
しばし、鍔迫り合いの状態が続く。
だが純粋な膂力ではヴィリーのほうが勝るらしい。
マルグリットは徐々に押され、やがては壁際まで追い詰められてしまう。
「終わりだ、マルグリット」
ヴィリーは勝ち誇った顔で、右のナイフを押し込もうとする――。
「いささか気が早いのではなくて、ヴィリーお兄様?」
マルグリットが不敵に微笑んだかと思うと。
ヴィリーの腹部に強い衝撃が走り、彼は後方へと吹き飛ばされた。
見れば、マルグリットのスラリとした脚が前方に伸びている。
彼女はヴィリーに蹴りを加えたのだ。
よろめいたヴィリーへ、マルグリットの追撃の手が伸びる。
マルグリットは左手でヴィリーの頭を鷲掴みにすると、床に押し倒した。
「ぐっ!?」
後頭部を強かに打ち、ヴィリーの視界に閃光が走る。
上に覆いかぶさる形となったマルグリットは、トドメを刺そうと短剣を振り上げた。
「……っ!」
マルグリットはここで息を呑むことになる。
顔の両脇に、足が存在したからだ。
ヴィリーは倒れたまま体を曲げ、マルグリットの首を脚で挟んでいた。
そして体を側転させた勢いで、マルグリットを横に投げ飛ばしてしまった。
「流石だよ、マルグリット。それでこそ、父上の後を継ぐための試練としてふさわしい」
「ヴィリーお兄様こそ、なかなかやりますわね。でも、お父様の後を継ぐのはワタクシ。それは決定事項ですわ」
体を起こしたヴィリーとマルグリットは、互いに血を滴らせた口角を上げる。
その口元から覗く鋭い犬歯は、二人が吸血鬼であることを改めて象徴していた。
「お遊びはここまでですわ、ヴィリーお兄様。これはどちらかが命果てるまでの死合いですもの」
剣呑に笑うマルグリットが、前方に向かって左手をかざす。
すると、彼女の掌から真っ赤なエーテルが迸った。
暗闇に細長く伸びたそのエーテルは、例えるならば。
二人を血塗られた運命で結び付ける、赤い糸――。
マルグリットは血染めの赤い糸を以って、ヴィリーを自らのもとへ手繰り寄せる。
そこからは、まさに泥沼の争いとなった。
だだっ広い空間に、ただ刃のぶつかり合う音だけが反響する。
と、マルグリットが大きく振り上げた片脚をヴィリーの首に絡め、彼を地面に叩きつけた。
再び訪れた好機。
今度は投げ飛ばされることがないよう、ヴィリーの脚に馬乗りになるマルグリット。
彼女の短剣を左で受けるヴィリーは、右のナイフでマルグリットを引きはがそうとする。
例によって、マルグリットは左手によってヴィリーの右手首を掴むことで対処。
これで互いに両手が塞がって。
しばしの膠着状態に陥るが――。
「もう終わりにしましょう、ヴィリーお兄様」
「があっ……!」
マルグリットの牙が、ヴィリーの右手に突き立てられる。
それによりマルグリットの左手が、空いた。
後は、それを短剣に添えるだけ。
片手のみでそれに抗うだけの力は、ヴィリーにもなく。
恍惚の表情を浮かべるマルグリットの下で、短剣に貫かれたヴィリーは塵となって消えた。
●
パチ、パチ、パチ。
古城に響く拍手の音、一人分。
「お父様、ワタクシやりましたわ」
「ああ、よくやった。私の可愛い娘よ」
マルグリットが玉座のある側を向くと、マルクトが立ち上がって手を叩いていた。
「ライヒシュタインの当主を継ぐのは、お前だ。伝統に則り、我が身をお前に捧げよう」
そう、継承の儀式はまだ残っていた。
正式にライヒシュタインであることができるのは、世代継承を行った時点で一人だけ。
つまり現在の親たるマルクトすらも。
この儀式において退場しなければならない一人なのだ。
彼らはそれを疑問に思うことはしない。
なぜなら、祖先の代から行われてきた伝統だから。
一般に、吸血鬼は親から引き継がれた特徴を重んじるものなのだ。
「ご安心なさってください。ワタクシ、お父様の全てを受け継ぎますわ」
マルグリットもまた、その例外ではない。
彼女は父を深く愛すればこそ。
その手で父を殺めることに、躊躇いはなかった。
「これを身に着けるといい。先祖代々、受け継がれてきたものだ」
「ええ、お父様と思って大事にいたしますわ」
マルクトは胸に着けていたブローチを、マルグリットの手に握らせた。
そのブローチを、そっと胸元に抱き寄せるマルグリット。
「それから、お前の普段使いが短剣であることもちょうどいい。私のものを使え」
そう言ってマルクトの渡した短剣を手にし。
「ありがとうございます、お父様――」
マルグリットはマルクトの胸を、一息に刺した。
「達者でな、マルグリット――」
塵となって消えゆくマルクトを前に。
マルグリットの表情を染めていた感情は――至福、であった。
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「ワタクシ、ライヒシュタイン家の繁栄を誓いますわ」
もはや他に誰もいなくなった広間を、マルグリットは玉座から見渡していた。
その胸には、マルクトの遺したブローチが揺れていて。
右手には、マルクトを貫いた短剣が握られている。
マルグリットは心に決めていた。
自身もいつか吸血鬼として子を成して、我が子にその身を捧げようと。
敬愛する父が、そうであったように――。
けれども。
マルグリットにはその前に成すべきことがあった。
「セラフィアス商会――ワタクシはどこまでも追い詰めて差し上げますわ」
マルグリットは頬に手を添えて、陶酔を顔に浮かべていた。
そう、彼女はかつて自らを取引した人身売買組織に復讐を果たそうというのだ。
商会の手で売られたマルグリットは、その時々の持ち主に乱暴され。
結果として、子宝に恵まれることのない体になった。
そのことに何度、絶望したか分からない。
吸血鬼として新たな生を受け、子を成すことが可能になったその日まで。
マルグリットの憎悪の対象は、取引に関わった商会関係者はおろか。
その血縁者にすら、及んでいる。
いや、むしろ悪人として裁かれている商会関係者はまだマシなほうだ。
彼女にとって何より許せないのは。
商会の血縁者でありながら、善人の顔をしてのうのうと暮らしているような輩なのだ。
知らなかった、なんかじゃ済まさない。
人身売買で生まれた汚いお金で、ご飯を食べておきながら――。
「でも復讐の完成は最後のお楽しみ、ですわね」
まずは手近な関係者から始末すればいい――マルグリットは思案する。
そのために必要な手駒は、どうやって調達しようか。
お父様は別だけど、男は嫌いだから配下も女がいい――。
こうしてマルグリットの復讐計画は、水面下で密やかに動き出した。
やがて、彼女は冒険者たちの前に大きな障害として立ちはだかることになるだろう――。