月下の貌は幻と暗む

キャラクターノベル(グループ)制作 むぎあき納品 2023年01月29日 15時43分19秒

 ――少しお疲れなのではありませんか、シルヴィア様。
 学徒たちとの語らいの合間に呈された給仕の気遣い(差し出したグラス)を飲み干して、シルヴィア・A・カペルはダンスホールを横切っていく。
 よく見知った顔、貴族の勤めとして記憶に焼き付けておいた顔。
 様々な顔触れの中でも学園で縁を繋いだ少年少女たちは、代わる代わるシルヴィアに労いの言葉を掛ける。
(本当は君たちが背中を押して欲しいのだろうに)
 パンクリアース学園は未だ混迷から一歩抜け出したに過ぎない。残る在籍期間も含め、シルヴィアも力を尽くすつもりではあるが、彼らに残して行かねばならない荷物は多い。

「ねぇ、貴方ここに来るまでしきりにシルヴィア様と一曲踊りたいと言っていたけれど?」
「お前っ、それは……出来ればってかあわよくばって話で。お忙しそうだし、時間取らせるのは――」
 社交の場に相応しい装いに身を包めども、学徒たちが集えば空気も変わる。
 顔を赤らめ自身の妄言を濁そうとする後輩を不憫にも、甲斐甲斐しいとも思えてしまう。
「私でよければ、喜んで」
 差し出された手を彼が取り返すまでしばらく時間を要したが、お互いにとって有意義な時間となったのは間違いない。
 
「今度は君からダンスに誘ってくれるかな?」
 繋いだ手が解けていくのが名残惜しげな青年は、相変わらずの赤ら顔のままで何度も頷いた。

(――まただ)

 歓談の最中、シルヴィアは微かな引っ掛かりを覚えていた。
 食事の合間も、ダンスパートナーを変える瞬間も。
 だが知らない感覚ではない。この場に限りなく似つかわしくないせいか、確信を持って正体を断言し得ていないだけだ。
 答えを求めるように会場を見渡せば、ふと、絢爛な会場にぽっかりと開いた穴に視線が止まった。
(まだ日の高い時間に来場した筈だったが、そうか)
 顔色を窺う者たちが少なくなかったということは、表にも焦燥の相が現れているのだろうか。
 一息を入れるにはいい頃合いかもしれない。

 ■

 月の明るい夜だ。
 心地よい夜風が青薔薇を模ったコサージュを撫でている。
 庭園へと続く石階段を数歩降りたところで、通り過ぎた扉が音もなく閉じて人々の楽しげな声とオーケストラが遠くなった。
 このタイミングで外に出るような人間は他にそうはいないだろう。知り合いに見咎められるかもしれないと分かって『蒼玉の麗人(サフィルス・カペラ)』は道連れも伴わず夜の庭を行く。
 
 アーチを潜り抜け、青白く輝く白亜の道を進めば、水路と植え込みで彩られた場へと辿り着く。
「これは――」
 カペル家にとっては慣れ親しんだ花の香り。

「ありふれた赤い薔薇だけど見事なものだよ」
 意識が一点へ手繰り寄せられる。

 背丈はシルヴィアとそう変わらないぐらいか。
 貴族たるもの、初対面の相手にこそ礼を欠いた振る舞いをしてはならない。瞬きの間に相手の情報を読み取り、整理し、正しく言の葉を返すことを幼い頃より自然と身に付けていた。
 
 だが、分からない。
 人当たりの良さそうな笑顔、幼さを残しながら美しく整った顔立ち。
 月光に照らされた明るい夜の空を思わせる髪、鮮明に色彩を放つ赤い瞳。身なりを含めた纏う雰囲気全てから、身分の高い家に纏わる者だろうということは推測できるのに。
 目の前の存在が如何なる人なのか、霧がかかったように正体を掴ませない。
 
「やあシルヴィア。こんなところに一人でどうしたのかな?」
「君、私の名を?」
「この催しに参加しているなら知っているさ。君が客人一人一人のことを記憶しているのとおんなじだ」

 少年は洗練された所作でシルヴィアにダンスを申し込む。
「リード役は譲ってくれるかい?」
「ご随意に」

 遠くで響いていたオーケストラの曲調がタンゴからワルツへ変わるのと同時に、少年(ノア)がシルヴィアの手を引いた。幼い子供さながらに、遠慮の無い誘いであるにも関わらずシルヴィアは難無く歩調を合わせてみせる。
 常に一定の距離を保ったまま、二人に誂えられたかのような舞台で青銀が幾度も弧を描いた。
「踊り慣れてるね」
「この曲は特別だよ。学園での催しでもよく扱われているからか体が覚えてしまったのかもしれない」

「学園――」
 クスリ。何かを思い出したかのように少年が含みのある失笑を浮かべた。
「気になることでも?」
「違うよ、昔のことを少し思い出して。そう、学園のことだけじゃなくて色々と、ね」
 誰かを懐かしむように、愛おしく思うように目を細めて。かと思えば恨みを噛み潰すかの如く唇を噛んで。
 少年は多くを語らない。
 だが、シルヴィアの前に彼が姿を現したことには何らかの“思惑”がある。 
 
「僕のことが気になって仕方がない?」
「――ああ、何故だろうか」
「君に興味を持ってもらえるなんて光栄だよ」

(興味、か)
 簡潔に言ってしまえばそうかもしれない。
 けれどシルヴィアの冒険者としての直感が――或いはカペルの血が、警鐘を鳴らしている。
 彼に深入りしてはならない、魅入られてはならない。
 
 
「君との出会いは運命なのかな」
「まさか、ずっと君にいつ声を掛けようかと見ていたさ」
 どう見ても余人に物おじするような手合いではないだろうに、少年は茶目っけたっぷりに微笑んで見せた。
「……僕と君の関係を表すにはもっと相応しい言葉がある。お近づきの印に教えてあげてもいいんだけれど、まだ大事に取っておこうか。次に君と出会った時の贈り物にね」
 
 演奏が夜に溶けていく。
 良い頃合いだと、ダンスパートナーの手中からするりと離れていくシルヴィアの手首を寂しげに赤い瞳が追っていた。出会ったばかりの相手に向けるには些か真に迫っているように見えたのは、今度こそ憶測では無く確信である。
「そんな顔をしないで欲しい。私と君を結ぶ何かがあるというのなら、また相見える日もあるのだろう?」
 パーティー会場へ向かう足を止め、振り返った先の少年の表情は月明かりの影に覆われてよく見えない。あれほど輝いていた色彩の持ち主が、幾重もの帳の向こうに立っているかのようですらあった。

「そうだね、シルヴィア。ああ、最後に教えてくれないか」
 声だけが変わらず、楽しげに響いている。
「僕はどんな顔をしてた? 君には、どう見えた?」

「大切な人との別れを惜しむ子供のように。今にも泣き出しそうに見えたんだ」

 ――何故。
 ――何故?
 
 ■

(ああ、眩しい)

 明かりと活気に満ちた場所に戻ってきたことに安堵する自分を知覚する。
 恐ろしい夢から醒めた直後のように、鼓動が早鐘を打っている。
 しばし姿を消していたシルヴィアを探していたのだろう数人に詰め寄られて、何か厄介ごとに巻き込まれたのではないかと身を案じるような言葉を掛けられたが、シルヴィアは結局誰にも仔細を語ることはなかった。
 結果的には他愛の無い出来事でしかなかったのだから。
 
 思い出そうとする度に記憶から抜け落ちていく姿。
(不思議な感覚だ。一目見て“忘れようもない”とさえ思わされた出立ちだった筈なのに)
 先程までシルヴィアの胸を刺していた違和感が取り払われた代わりに、庭での出来事が夢幻のように霞んでいくようで。
 
 それを少しでも焼き付けようとしながら、シルヴィアは一つ、己に問うのだった。
 たった一つ忘れえなかった印象を手放さぬよう、誰に聞かせるわけでもなく口ずさむ。

「私は、何故」
 
 彼へ憐れみを抱いたのかと。
 
 

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0