ノイエンドルフ復興記
キャラクターノベル制作 革酎納品 2022年10月31日 13時41分24秒
●
緑碧の瞳が、どんよりと垂れ込める灰色の雲を捉えた。
もうすぐ冬が訪れる――アウレーリア・フォン・ネーベルベルクは感慨というよりも、焦りを覚えた。
シルトラース帝国の冬は、温暖なリーンエス王国とは比べ物にならぬ程の厳しさでひとびとに襲いかかる。昨今では帝国内の土壌に於けるエーテル枯渇問題が更に輪をかけて、食糧自給率の悪さを顕在化させていた。
このままでは、来年以降の冬が越せない。
アウレーリアが脳裏に描いた予感は、半ば現実のものになろうとしている。
帰還民の生活を守る為にも、ネーベルベルク伯爵家令嬢は立ち上がらなければならなかった。
シルトラース帝国南東部、ノイエンドルフ。
ネーベルベルク領旧都ベルゲンブルク郊外の復興集落であり、現時点では実質的領都としてひとびとに認知されつつある。
域内人口は千数百。集落という単位としては、多い方といって良い。
その中央に建ち並ぶ復興本部小屋群は、見た目こそは幾分貧相ながらも、復興事業の為の行政庁舎として大車輪の働きを見せている。昼夜を問わずひとの出入りが激しく、連日不夜城と化していた。
アウレーリアや、家令テオドール・ブフマンの必死の働きにより、今年の冬支度は辛うじて間に合った。
勿論、ここに至るまでの苦労は並大抵のものではなかった。アウレーリアは冒険者としての収入の多くを集落越冬資金に充て、その一方でこの二年間で築いた多くのコネをフル活用して数々の物資を調達した。中でも、ロモズ歩兵団時代に知己を得たフランクス商会に支援を求めることが出来たのは、本当に僥倖だった。
テオドールも日々睡眠時間を削りながら、大いに働いた。
その二等行政家士としての実務的手腕を余すところ無く発揮し、資金と物資の調達を凄まじいまでの勢いで推進した。
旧都城市より回収した換金物資の選別に始まり、周辺小都市に足を運んでの融通交渉、借入金の申し入れ、抵当の設定、債券の回収、その他諸々。
アウレーリアとテオドールは文字通り、あらゆる手を尽くした。
その甲斐あって、今冬のノイエンドルフでは凍死者や餓死者を出す心配は無くなった。
だが、問題は来年以降だ。
今回はアウレーリアとテオドールだけで何とかなったものの、ノイエンドルフに流入する帰還民の数は一向に減少する気配を見せない。
このままでは、来年の冬に地獄を見ることになる。
それだけは絶対に、避けなければならなかった。
●
深夜。
復興本部小屋の執務室で財務諸表と物資調達表を見比べていたアウレーリアは、深い吐息を漏らした。
「ヒト、モノ、カネ……全てが足りていないわね」
粗末な木椅子の背もたれに上体を預けながら天井を見上げる。そこへ、テオドールが熱い紅茶を淹れたカップをトレイに乗せて歩を寄せてきた。
「人口増加率に比べて物質的、或いは行政的需要に、執行機能が追い付いていません」
テオドールがアウレーリアの苦しい胸の内を代弁するかの様に、細い溜息に乗せて囁いた。
確かに、その通りだった。
現状のノイエンドルフは自活には程遠く、援助無しで来年の冬を迎えるのは不可能だ。加えて、周辺地域の情勢悪化も無視し難く、治安維持組織の再建も急務だった。
幸いにして、喫緊の脅威は排除済みではある。だがそれも、一時の手当てに過ぎない。いずれ魔獣やクリーパーの脅威は再び、襲い掛かってくるだろう。
今の資金ではその都度、冒険者に頼ることなど出来ない。恐らく帝国軍も主要都市周辺や東部街道の防備に手一杯で、ノイエンドルフ付近に兵を駐屯させるだけの余裕は無いだろう。
「あの大崩壊で、多くの人材が失われたのが本当に痛いわね」
そもそも、行政や軍事は短期習得が困難な専門分野が大半を占める。それらの業務の従事者の出自は、如何に帝国が能力制を敷く政治形態とは雖も、文化的蓄積の厚い層に偏りがちだというのがアウレーリアの見方であった。
少なくともネーベルベルク領では世襲の保証は無いにせよ、在郷富裕層、知識人、又は伝統的騎士家系出身者が、それらの業務従事者の多数を占めていた。
都市居住率の高かった彼らに集中して被害が出たことが、知識層や専門職人材不足の最大要因であるといって良い。
可能なら、この二年間のうちに彼らの代行者を育てておきたかったが、情勢がその願いを儚く打ち砕いた。
しかし最早、状況は待った無しである。今すぐにでもノイエンドルフを領都として機能させるだけの人材育成に着手しなければならない。
それが出来なければ、来年の冬には多くの凍死者、餓死者が出るだろう。
「この冬が、最後の機会ね」
魔獣や賊徒の活動が低下する冬季にこそ、育成を進めなければならない。
アウレーリアは手にしていた資料をサイドデスクに放り投げ、引き出しから帰還民一覧表を取り出した。
この中から、これはと思われる人材を片っ端からリストアップしてゆくのだ。
●
翌日、アウレーリアはノイエンドルフの帰還民居住区内を隈なく廻って行政家士、及び帯剣家士採用基準の大規模緩和や、領民軍の編制の予告通知、更には官吏・軍人養成機関の開設を触れて歩いた。
将来の安定的人材供給を保証する為には、足元から吸い上げなければならない。
最早、他所に頼っていられる状況ではないのだ。
一方でアウレーリアは、一部の人材に対しては半ば強制的に復興業務への従事を要請した。
そのうちのひとりが、元帝国魔導院所属の魔術師ドルトフ・カルツだった。
アウレーリアから呼び出しを喰らったドルトフは何事かと幾分驚きながらも、その偏屈そうな強面を彼女の執務室に覗かせた。
「一体何事かいな、紅姫」
ドルトフは彼特有の表現で、アウレーリアをその様に呼ぶ。
アウレーリアはネーベルベルク伯爵家令嬢ではあるが、帝国が崩壊した今、その貴族制度は半ば無に帰した状態に近しい。帝国伯爵令嬢という肩書も、どこまで意味を為すか分からない。
そこでドルトフが勝手に考えたのが、紅姫だった。アウレーリアがいつも紅い外套を羽織っていることから、その様に呼ぶことにしたらしい。
最初のうちは妙な違和感を覚えて苦笑を返していたアウレーリアだったが、最近ではすっかり慣れてしまい、ドルトフからの呼称に対しても特に何もいわなくなった。
ともあれ、執務室に現れたドルトフに対し、アウレーリアはノイエンドルフ防衛組織の編成事業に加わる様にと申し伝えた。ドルトフの幅広い知識が必ず役に立つと信じて疑わないアウレーリアは、ドルトフ抜きにしてこの編成事業は成し得ないと考えたのである。
現在、ネーベルベルク領内に居住する帰還民には授恵者はほぼ皆無だ。が、ロモズ歩兵団出身者は少なからず住居を構えている。これはアウレーリアにとっては不幸中の幸いだった。
ロモズ歩兵団遊兵8番隊はアウレーリアが自ら鍛え上げた精鋭揃いである。現在ノイエンドルフに居住している元遊兵8番隊員には授恵者はひとりも居ないが、彼らの軍事教練度は帝国軍の職業軍人程ではないにせよ、決して低くはない。
彼らを各班、各小隊の長に据えてドルトフが訓練を施せば、きっと良い防衛組織が出来上がる。アウレーリアはその様に確信していた。
「まぁ、住まわせて貰うておる恩もあるからのぅ。よっしゃ、引き受けた」
ドルトフは皺深い面で破顔一笑。
勿論アウレーリア自身もロモズ歩兵団にて遊兵8番隊長を務めた経験を活かし、ドルトフと肩を並べて人材育成に腕を振るう腹積もりだった。
ともあれ、これでひとつ懸念点に目途が付いたと、アウレーリアも内心でほっと胸を撫で下ろした。
●
防衛組織面では大きな進展があったものの、行政や経済面では未だに、テオドールに多くの負担が圧し掛かっている。
特に経済面は中々に深刻だ。
行政は領民と領地内だけで片付く話だが、経済は対外的な信用が無くては立ち行かない。
ここでアウレーリアが考えたのが、ノイエンドルフの立地条件だった。
近隣諸国都市間を結ぶ隊商に領内都市の拠点使用権を解放する一方、ハブとして利用する商人には税制優遇を施したり、領内通過時に於いては格安で護衛を付ける措置等を打ち出せばどうだろう。
通商安全の確保、行軍巡視の訓練、そして統治実績を獲得しつつ交易の活性化を図れば、近隣三カ国に程近い立地を生かして、門番として流通を掌握する構造を狙うことが出来やしまいか。
帝権が失われた今、平原帝国期まで遡る由緒正しき権益が生命線となるかも知れない。
問題は、この提案に乗ってくれる商会があるかどうか、だ。
如何にアウレーリアがこれらの措置を広く触れて廻ったとしても、これに応ずる商会が無くては絵に描いた餅だ。
更に加えて、ヴィントやヴェルターゼンといった周辺都市との経済圏形成合意が必要となってくる。如何にネーベルベルク領が商人達を引き寄せる策を打ったとしても、周辺都市がこれを良しとして認めてくれなければ、余計な軋轢を生むことにも繋がってしまう。
帝国の政治体制は崩壊したといっても、各都市は既に自力で蘇りつつあるのだ。それらの都市を差し置いて、ネーベルベルク領だけが旨い汁を吸おうとすれば必ず、要らぬ横槍が入る。
それらを如何に上手く躱すのか――アウレーリアとテオドールの行政的手腕が問われることになるだろう。
ここで再び、アウレーリアはフランクス商会との関係性を脳裏に浮かべた。
フランクス商会東部支隊の責任者カーノス・フランクスとは、それなりに昵懇だ。彼を通せば、幾つかの隊商を交渉のテーブルに就かせることも可能なのではないか。
勿論、楽観は禁物だ。
ネーベルベルク領が彼ら隊商にとって魅力邸な土地として映らなければ、全ては御破算なのだ。
その為にも通商都市圏として機能し得るだけの地盤が必要となる。
そうなると結局のところ、堅牢な防衛組織と信用するに足る行政組織の両者が必須だ。
アウレーリアはここのところ疲労気味のテオドールには若干遠慮していたのだが、経済面での頑強な自立を獲得するには、矢張り彼の行政手腕が欠かせないと思い直した。
●
早くも雪がちらつき始めた頃、アウレーリアはテオドールと共に先日開所したばかりの官吏・軍人養成機関、ひと呼んで『ネーベルベルク人材塾』へと足を運んだ。
建物自体は復興本部小屋のひとつを改修し、教室形式の部屋を幾つか並べた建屋を利用している。
既に十数名の志願者が塾生として入塾手続きを終えており、中には早くもテオドール自らが行政の基礎を教え始めている有望株も居るらしく、テオドールの業務を手伝い始めている。
勿論すぐに行政的判断が下せる筈も無く、そういった者達はまずは一般事務からのスタートとなる。
尤も、今はそれで良い。比較的業務の少ないうちに一期生を育て上げることが出来れば、春先の繁忙期には辛うじて間に合うだろう。
だが、そんな旨い話はごく一部に過ぎない。実際のところは、アウレーリアが思っていた以上に事態は深刻だった。
というのも、ネーベルベルク領内の農村出身者は想定以上に識字率が低く、文字を書くことはおろか、読むこともままならない者が決して少なくなかったのだ。
まずはそこからの教育となるのか――アウレーリアは人材育成の難しさを、改めて思い知らされた。
しかし、やり切らなければならない。この事業が失敗すれば、来年の冬には悲惨な状況に陥ることが目に見えている。
出来れば外部から有識者を招聘して塾生達の教育に当たらせたいのだが、生憎今はそれを実行するだけの資金が無かった。
「帝国語教室を改めて、開設しないといけないって訳ね……それは私がやるわ」
アウレーリア自身も最低限の行政経験は、あるにはある。ロモズ歩兵団時代には本拠地カルケルーア・ロモズでの行政施策に着手したこともあった。
だが今ここで求められているのは、まともに読み書き出来る人材を早急に育て上げることだ。実務面の教育はテオドールに任せ、アウレーリアは文字を知らない者達をスタートラインに立たせるところから、鍛え上げなければならない。
ドルトフにも手を貸して貰うしか無いか――アウレーリアは内心で小さな溜息を漏らした。
●
その夜、珍しくドルトフの方からアウレーリアの執務室を訪問してきた。
策定化を終えた諸政策を書面化し、施行の為の準備を整えていたところである。隣室には新たに作業部会部屋が設けられ、テオドールと彼の教え子達が次々と事業案作成を進めていた。
「忙しそうじゃのう」
「えぇ、全く……猫の手どころか、鼠の手も借りたいぐらい」
ところで何の用かとアウレーリアが小首を傾げて言葉の先を促すと、ドルトフの口から思わぬ朗報が飛び出してきた。
フランクス商会の東部支隊が、ノイエンドルフ防衛組織の中から一部の人材を隊商護衛として借り上げたいとの打診を送り付けてきたというのである。
授恵者は皆無ながら、元ロモズ歩兵団員の肩書は矢張り魅力的に映ったらしい。
恐らくフランクス商会としてはノイエンドルフに恩を売っておきたいのだろうが、今のアウレーリアにとっては喉から手が出る程に欲しかった発注だった。
「所謂、青田買いじゃな。まぁそれも良かろう。お互い、持ちつ持たれつじゃからなぁ」
恐らくはカーノス・フランクスが商会本部に働きかけてくれたのだろう。でなければ、未だ復興途上にある辺鄙な集落から人材を借り上げようなどという話が出てくる筈も無い。
持つべきものは何とやら――ドルトフはアウレーリアのコネの意外な強力さに、感心した様子を見せた。
「雇用料は前払いで支払ってくれるそうじゃ。流石大手の商会、太っ腹じゃわい」
その臨時収入があれば、懸念だった行政関係の教育者を外部から雇い入れることも出来る。
ロモズ歩兵団時代の苦労が、思わぬ形で実った格好だった。
「で、どうするね? 先方は明日にでもうちを訪問して、詳細を詰めたいというてきておるようじゃが」
「えぇ勿論、商談の場をセッティングさせて貰うわ」
アウレーリアの応えを聞くや、ドルトフは隣室の作業部会部屋へと滑り込んでいった。テオドールに話を通して、初回商談の受け入れ態勢を整えなければならない。
隣の部屋からは、小さな歓声が沸き起こった。
その一方でアウレーリアは、窓の外にふと視線を流した。
深更、深い闇が広がる窓の向こうに、白い物がちらついている。
ランプが照らし出す漆黒の空間は決して優しい領域ではなかったが、今のアウレーリアには夜明けを待つ無限大の希望の世界に思えた。
緑碧の瞳が、どんよりと垂れ込める灰色の雲を捉えた。
もうすぐ冬が訪れる――アウレーリア・フォン・ネーベルベルクは感慨というよりも、焦りを覚えた。
シルトラース帝国の冬は、温暖なリーンエス王国とは比べ物にならぬ程の厳しさでひとびとに襲いかかる。昨今では帝国内の土壌に於けるエーテル枯渇問題が更に輪をかけて、食糧自給率の悪さを顕在化させていた。
このままでは、来年以降の冬が越せない。
アウレーリアが脳裏に描いた予感は、半ば現実のものになろうとしている。
帰還民の生活を守る為にも、ネーベルベルク伯爵家令嬢は立ち上がらなければならなかった。
シルトラース帝国南東部、ノイエンドルフ。
ネーベルベルク領旧都ベルゲンブルク郊外の復興集落であり、現時点では実質的領都としてひとびとに認知されつつある。
域内人口は千数百。集落という単位としては、多い方といって良い。
その中央に建ち並ぶ復興本部小屋群は、見た目こそは幾分貧相ながらも、復興事業の為の行政庁舎として大車輪の働きを見せている。昼夜を問わずひとの出入りが激しく、連日不夜城と化していた。
アウレーリアや、家令テオドール・ブフマンの必死の働きにより、今年の冬支度は辛うじて間に合った。
勿論、ここに至るまでの苦労は並大抵のものではなかった。アウレーリアは冒険者としての収入の多くを集落越冬資金に充て、その一方でこの二年間で築いた多くのコネをフル活用して数々の物資を調達した。中でも、ロモズ歩兵団時代に知己を得たフランクス商会に支援を求めることが出来たのは、本当に僥倖だった。
テオドールも日々睡眠時間を削りながら、大いに働いた。
その二等行政家士としての実務的手腕を余すところ無く発揮し、資金と物資の調達を凄まじいまでの勢いで推進した。
旧都城市より回収した換金物資の選別に始まり、周辺小都市に足を運んでの融通交渉、借入金の申し入れ、抵当の設定、債券の回収、その他諸々。
アウレーリアとテオドールは文字通り、あらゆる手を尽くした。
その甲斐あって、今冬のノイエンドルフでは凍死者や餓死者を出す心配は無くなった。
だが、問題は来年以降だ。
今回はアウレーリアとテオドールだけで何とかなったものの、ノイエンドルフに流入する帰還民の数は一向に減少する気配を見せない。
このままでは、来年の冬に地獄を見ることになる。
それだけは絶対に、避けなければならなかった。
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深夜。
復興本部小屋の執務室で財務諸表と物資調達表を見比べていたアウレーリアは、深い吐息を漏らした。
「ヒト、モノ、カネ……全てが足りていないわね」
粗末な木椅子の背もたれに上体を預けながら天井を見上げる。そこへ、テオドールが熱い紅茶を淹れたカップをトレイに乗せて歩を寄せてきた。
「人口増加率に比べて物質的、或いは行政的需要に、執行機能が追い付いていません」
テオドールがアウレーリアの苦しい胸の内を代弁するかの様に、細い溜息に乗せて囁いた。
確かに、その通りだった。
現状のノイエンドルフは自活には程遠く、援助無しで来年の冬を迎えるのは不可能だ。加えて、周辺地域の情勢悪化も無視し難く、治安維持組織の再建も急務だった。
幸いにして、喫緊の脅威は排除済みではある。だがそれも、一時の手当てに過ぎない。いずれ魔獣やクリーパーの脅威は再び、襲い掛かってくるだろう。
今の資金ではその都度、冒険者に頼ることなど出来ない。恐らく帝国軍も主要都市周辺や東部街道の防備に手一杯で、ノイエンドルフ付近に兵を駐屯させるだけの余裕は無いだろう。
「あの大崩壊で、多くの人材が失われたのが本当に痛いわね」
そもそも、行政や軍事は短期習得が困難な専門分野が大半を占める。それらの業務の従事者の出自は、如何に帝国が能力制を敷く政治形態とは雖も、文化的蓄積の厚い層に偏りがちだというのがアウレーリアの見方であった。
少なくともネーベルベルク領では世襲の保証は無いにせよ、在郷富裕層、知識人、又は伝統的騎士家系出身者が、それらの業務従事者の多数を占めていた。
都市居住率の高かった彼らに集中して被害が出たことが、知識層や専門職人材不足の最大要因であるといって良い。
可能なら、この二年間のうちに彼らの代行者を育てておきたかったが、情勢がその願いを儚く打ち砕いた。
しかし最早、状況は待った無しである。今すぐにでもノイエンドルフを領都として機能させるだけの人材育成に着手しなければならない。
それが出来なければ、来年の冬には多くの凍死者、餓死者が出るだろう。
「この冬が、最後の機会ね」
魔獣や賊徒の活動が低下する冬季にこそ、育成を進めなければならない。
アウレーリアは手にしていた資料をサイドデスクに放り投げ、引き出しから帰還民一覧表を取り出した。
この中から、これはと思われる人材を片っ端からリストアップしてゆくのだ。
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翌日、アウレーリアはノイエンドルフの帰還民居住区内を隈なく廻って行政家士、及び帯剣家士採用基準の大規模緩和や、領民軍の編制の予告通知、更には官吏・軍人養成機関の開設を触れて歩いた。
将来の安定的人材供給を保証する為には、足元から吸い上げなければならない。
最早、他所に頼っていられる状況ではないのだ。
一方でアウレーリアは、一部の人材に対しては半ば強制的に復興業務への従事を要請した。
そのうちのひとりが、元帝国魔導院所属の魔術師ドルトフ・カルツだった。
アウレーリアから呼び出しを喰らったドルトフは何事かと幾分驚きながらも、その偏屈そうな強面を彼女の執務室に覗かせた。
「一体何事かいな、紅姫」
ドルトフは彼特有の表現で、アウレーリアをその様に呼ぶ。
アウレーリアはネーベルベルク伯爵家令嬢ではあるが、帝国が崩壊した今、その貴族制度は半ば無に帰した状態に近しい。帝国伯爵令嬢という肩書も、どこまで意味を為すか分からない。
そこでドルトフが勝手に考えたのが、紅姫だった。アウレーリアがいつも紅い外套を羽織っていることから、その様に呼ぶことにしたらしい。
最初のうちは妙な違和感を覚えて苦笑を返していたアウレーリアだったが、最近ではすっかり慣れてしまい、ドルトフからの呼称に対しても特に何もいわなくなった。
ともあれ、執務室に現れたドルトフに対し、アウレーリアはノイエンドルフ防衛組織の編成事業に加わる様にと申し伝えた。ドルトフの幅広い知識が必ず役に立つと信じて疑わないアウレーリアは、ドルトフ抜きにしてこの編成事業は成し得ないと考えたのである。
現在、ネーベルベルク領内に居住する帰還民には授恵者はほぼ皆無だ。が、ロモズ歩兵団出身者は少なからず住居を構えている。これはアウレーリアにとっては不幸中の幸いだった。
ロモズ歩兵団遊兵8番隊はアウレーリアが自ら鍛え上げた精鋭揃いである。現在ノイエンドルフに居住している元遊兵8番隊員には授恵者はひとりも居ないが、彼らの軍事教練度は帝国軍の職業軍人程ではないにせよ、決して低くはない。
彼らを各班、各小隊の長に据えてドルトフが訓練を施せば、きっと良い防衛組織が出来上がる。アウレーリアはその様に確信していた。
「まぁ、住まわせて貰うておる恩もあるからのぅ。よっしゃ、引き受けた」
ドルトフは皺深い面で破顔一笑。
勿論アウレーリア自身もロモズ歩兵団にて遊兵8番隊長を務めた経験を活かし、ドルトフと肩を並べて人材育成に腕を振るう腹積もりだった。
ともあれ、これでひとつ懸念点に目途が付いたと、アウレーリアも内心でほっと胸を撫で下ろした。
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防衛組織面では大きな進展があったものの、行政や経済面では未だに、テオドールに多くの負担が圧し掛かっている。
特に経済面は中々に深刻だ。
行政は領民と領地内だけで片付く話だが、経済は対外的な信用が無くては立ち行かない。
ここでアウレーリアが考えたのが、ノイエンドルフの立地条件だった。
近隣諸国都市間を結ぶ隊商に領内都市の拠点使用権を解放する一方、ハブとして利用する商人には税制優遇を施したり、領内通過時に於いては格安で護衛を付ける措置等を打ち出せばどうだろう。
通商安全の確保、行軍巡視の訓練、そして統治実績を獲得しつつ交易の活性化を図れば、近隣三カ国に程近い立地を生かして、門番として流通を掌握する構造を狙うことが出来やしまいか。
帝権が失われた今、平原帝国期まで遡る由緒正しき権益が生命線となるかも知れない。
問題は、この提案に乗ってくれる商会があるかどうか、だ。
如何にアウレーリアがこれらの措置を広く触れて廻ったとしても、これに応ずる商会が無くては絵に描いた餅だ。
更に加えて、ヴィントやヴェルターゼンといった周辺都市との経済圏形成合意が必要となってくる。如何にネーベルベルク領が商人達を引き寄せる策を打ったとしても、周辺都市がこれを良しとして認めてくれなければ、余計な軋轢を生むことにも繋がってしまう。
帝国の政治体制は崩壊したといっても、各都市は既に自力で蘇りつつあるのだ。それらの都市を差し置いて、ネーベルベルク領だけが旨い汁を吸おうとすれば必ず、要らぬ横槍が入る。
それらを如何に上手く躱すのか――アウレーリアとテオドールの行政的手腕が問われることになるだろう。
ここで再び、アウレーリアはフランクス商会との関係性を脳裏に浮かべた。
フランクス商会東部支隊の責任者カーノス・フランクスとは、それなりに昵懇だ。彼を通せば、幾つかの隊商を交渉のテーブルに就かせることも可能なのではないか。
勿論、楽観は禁物だ。
ネーベルベルク領が彼ら隊商にとって魅力邸な土地として映らなければ、全ては御破算なのだ。
その為にも通商都市圏として機能し得るだけの地盤が必要となる。
そうなると結局のところ、堅牢な防衛組織と信用するに足る行政組織の両者が必須だ。
アウレーリアはここのところ疲労気味のテオドールには若干遠慮していたのだが、経済面での頑強な自立を獲得するには、矢張り彼の行政手腕が欠かせないと思い直した。
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早くも雪がちらつき始めた頃、アウレーリアはテオドールと共に先日開所したばかりの官吏・軍人養成機関、ひと呼んで『ネーベルベルク人材塾』へと足を運んだ。
建物自体は復興本部小屋のひとつを改修し、教室形式の部屋を幾つか並べた建屋を利用している。
既に十数名の志願者が塾生として入塾手続きを終えており、中には早くもテオドール自らが行政の基礎を教え始めている有望株も居るらしく、テオドールの業務を手伝い始めている。
勿論すぐに行政的判断が下せる筈も無く、そういった者達はまずは一般事務からのスタートとなる。
尤も、今はそれで良い。比較的業務の少ないうちに一期生を育て上げることが出来れば、春先の繁忙期には辛うじて間に合うだろう。
だが、そんな旨い話はごく一部に過ぎない。実際のところは、アウレーリアが思っていた以上に事態は深刻だった。
というのも、ネーベルベルク領内の農村出身者は想定以上に識字率が低く、文字を書くことはおろか、読むこともままならない者が決して少なくなかったのだ。
まずはそこからの教育となるのか――アウレーリアは人材育成の難しさを、改めて思い知らされた。
しかし、やり切らなければならない。この事業が失敗すれば、来年の冬には悲惨な状況に陥ることが目に見えている。
出来れば外部から有識者を招聘して塾生達の教育に当たらせたいのだが、生憎今はそれを実行するだけの資金が無かった。
「帝国語教室を改めて、開設しないといけないって訳ね……それは私がやるわ」
アウレーリア自身も最低限の行政経験は、あるにはある。ロモズ歩兵団時代には本拠地カルケルーア・ロモズでの行政施策に着手したこともあった。
だが今ここで求められているのは、まともに読み書き出来る人材を早急に育て上げることだ。実務面の教育はテオドールに任せ、アウレーリアは文字を知らない者達をスタートラインに立たせるところから、鍛え上げなければならない。
ドルトフにも手を貸して貰うしか無いか――アウレーリアは内心で小さな溜息を漏らした。
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その夜、珍しくドルトフの方からアウレーリアの執務室を訪問してきた。
策定化を終えた諸政策を書面化し、施行の為の準備を整えていたところである。隣室には新たに作業部会部屋が設けられ、テオドールと彼の教え子達が次々と事業案作成を進めていた。
「忙しそうじゃのう」
「えぇ、全く……猫の手どころか、鼠の手も借りたいぐらい」
ところで何の用かとアウレーリアが小首を傾げて言葉の先を促すと、ドルトフの口から思わぬ朗報が飛び出してきた。
フランクス商会の東部支隊が、ノイエンドルフ防衛組織の中から一部の人材を隊商護衛として借り上げたいとの打診を送り付けてきたというのである。
授恵者は皆無ながら、元ロモズ歩兵団員の肩書は矢張り魅力的に映ったらしい。
恐らくフランクス商会としてはノイエンドルフに恩を売っておきたいのだろうが、今のアウレーリアにとっては喉から手が出る程に欲しかった発注だった。
「所謂、青田買いじゃな。まぁそれも良かろう。お互い、持ちつ持たれつじゃからなぁ」
恐らくはカーノス・フランクスが商会本部に働きかけてくれたのだろう。でなければ、未だ復興途上にある辺鄙な集落から人材を借り上げようなどという話が出てくる筈も無い。
持つべきものは何とやら――ドルトフはアウレーリアのコネの意外な強力さに、感心した様子を見せた。
「雇用料は前払いで支払ってくれるそうじゃ。流石大手の商会、太っ腹じゃわい」
その臨時収入があれば、懸念だった行政関係の教育者を外部から雇い入れることも出来る。
ロモズ歩兵団時代の苦労が、思わぬ形で実った格好だった。
「で、どうするね? 先方は明日にでもうちを訪問して、詳細を詰めたいというてきておるようじゃが」
「えぇ勿論、商談の場をセッティングさせて貰うわ」
アウレーリアの応えを聞くや、ドルトフは隣室の作業部会部屋へと滑り込んでいった。テオドールに話を通して、初回商談の受け入れ態勢を整えなければならない。
隣の部屋からは、小さな歓声が沸き起こった。
その一方でアウレーリアは、窓の外にふと視線を流した。
深更、深い闇が広がる窓の向こうに、白い物がちらついている。
ランプが照らし出す漆黒の空間は決して優しい領域ではなかったが、今のアウレーリアには夜明けを待つ無限大の希望の世界に思えた。