天龍へと至る道
プロローグノベル制作 真柄 葉納品 2020年12月08日 17時55分05秒
屋敷の中庭。広い石畳の鍛錬場では、棍を重ねる乾いた音が幾度となく鳴り響いている。
もうかれこれ1時間以上、棍の音は鳴りやまず、打ち合いの激しさを物語っていた。
「よし! ここまで!」
ようやく、男の合図で双方の棍が引かれた。
「はぁはぁ――ふぅーふぅー……」
大きく乱れた呼吸を、独特の呼吸法で整える蒋・璃龍。
それで呼吸と鼓動が静かにゆっくりと凪いでいった。
それが蒋家に代々伝わる呼吸法。
遥か昔、海を越えた東方から移り住んできた先祖が得意としていたものだそうだ。
武家の流れをくむ蒋家は、この大陸へと渡る際、様々な武技を持ち込んだ。そして、それは代々受け継がれ蒋家に生を受けたものは皆、武を重んじ、心を鍛え、技を磨いてきた。
蒋家武芸十八般。
剣や刀、槍はもちろん、飛び道具や馬術、泳法に至るまで様々な技が継承されている。
そして、そんな家に生を受けた璃龍もまた、それらの技を習得するべく心身の鍛錬を続ける日々を送っていた。
「相手ありがとう、です!」
璃龍は組手の相手をしてくれた男に向かって深く頭を下げた。
「……ぷっ。なんだその変な敬語は?」
しかし、この壮年の男は璃龍の言い回しがおかしかったのか、眉をへの字に曲げて笑いをこらえている。
「うっ……えっと、父さんに『師事する者に対して礼儀がなってない!』って怒られたから……です」
「はぁ? それで今更俺に敬語? あのリー坊が?」
「ワタシは女だ! 坊じゃない! それにもう14になった! ……ました」
「ぶはっ!」
「笑い過ぎだ! ……です」
「や、やめて……! もう俺の負けでいいからっ!」
男はついには腹を押さえ笑い転げた。
「むぅ……」
璃龍はムスッと口をとがらせながら、地面を転がる男を見つめる。
この男との付き合いは意外と長い。
初めて会ったのは10年ほど前か。時折、ふらりと蒋家に現れては泊っていく。
父の知り合いらしいこの男を、始めは胡散臭い大人がいるな、気をつけなきゃと警戒していたのだが……。
冒険者であるこの男は、食事の度にご自慢の冒険譚を話して聞かせるのだ。
日々、鍛錬に明け暮れていた璃龍にとって、男の話す外の世界の話はとても新鮮なものだった。
今思えばそれは荒唐無稽な話も沢山あったのだが――あの時の少女はその冒険譚の虜になってしまった。
ついには、食事の席以外でも男の元に通う様になり話をせがんだ。
――ちょっと軽率だったかな。
と、思わなくもないが、結果として今こうして師弟の仲なのだから不思議なものだ。
「うん、何か考え事か?」
ぼーっと自分を見つめる璃龍を不思議に思ったのか、散々笑い終えた男が埃を払いつつ問いかけてくる。
「何でもない、です」
「…………ふぅ、俺も蒋家の呼吸法マスターしようかな」
「それはどういう意味だ! です!」
何度も深呼吸を繰り返し、笑いをこらえようとする男に、璃龍は拳を振り上げる。
「はは、悪い悪い。それにしても、リー坊。随分強くなったな」
「え……?」
不意打ちでそう言われて、振り上げた拳の下ろし所を失った。
この胡散臭い男の実力は本物だ。何度も手合わせしてそれは知っている。今回も成長を見せようと本気で打ち込んだのだが、軽くあしらわれた。
「なぁ、前に話した邪龍の話を覚えているか?」
「うん……です」
それは男の冒険譚に何度も出てきた火山の邪龍。数多の挑戦者を返り討ちにした兇悪なる龍の話は、璃龍が食い入るように聞いた話の一つだった。
「はは、その話し方はやめないんだな」
そんな男の言葉に再び拳を上げそうになるのをぐっとこらえる。
「次の依頼で、ついに討伐に出ることになった」
「えっ! 勝てるの……ます?」
「どうかな。っと、そういえば、お前さんの名前にも龍が入っていたな」
「え……うん、です」
いきなり話題を変えた男に、璃龍は戸惑いながらも頷く。
「璃龍は翼を持たない弱き龍という意味がある、と父が言っていた、です」
この男の足元にも及ばない自分にぴったりの名前だと、心のどこかで思っていると――。
「未来の天龍に相応しい、いい名前だな」
男の言葉に返す言葉が浮かばなかった。
この男は死にに行くんだ。そう直感してしまったから。
――行かないで。
「あっ……」
「なんて顔してるんだ。折角の美人が台無しだぞ?」
へらへらと締まりのない顔が覗き込んでくる。
そうじゃない、言わないと――。
「さて、親父さんに挨拶してくるか」
言わないと!
「それじゃ達者でな、璃龍。未来の天龍――」
始めて呼ばれた名前に、璃龍はびくりと肩をすくませる。
「がんばって……です」
違う。そうじゃない。
なのにどうしても言えなかった。男の背中が戦いに行く者のそれだったから。
その後、男がどうなったかは聞かされていない。知らなくていいと思っている。
だって、あの時の男の言葉は、朧気だった璃龍の心に確かに何かを灯してくれたのだから――。
もうかれこれ1時間以上、棍の音は鳴りやまず、打ち合いの激しさを物語っていた。
「よし! ここまで!」
ようやく、男の合図で双方の棍が引かれた。
「はぁはぁ――ふぅーふぅー……」
大きく乱れた呼吸を、独特の呼吸法で整える蒋・璃龍。
それで呼吸と鼓動が静かにゆっくりと凪いでいった。
それが蒋家に代々伝わる呼吸法。
遥か昔、海を越えた東方から移り住んできた先祖が得意としていたものだそうだ。
武家の流れをくむ蒋家は、この大陸へと渡る際、様々な武技を持ち込んだ。そして、それは代々受け継がれ蒋家に生を受けたものは皆、武を重んじ、心を鍛え、技を磨いてきた。
蒋家武芸十八般。
剣や刀、槍はもちろん、飛び道具や馬術、泳法に至るまで様々な技が継承されている。
そして、そんな家に生を受けた璃龍もまた、それらの技を習得するべく心身の鍛錬を続ける日々を送っていた。
「相手ありがとう、です!」
璃龍は組手の相手をしてくれた男に向かって深く頭を下げた。
「……ぷっ。なんだその変な敬語は?」
しかし、この壮年の男は璃龍の言い回しがおかしかったのか、眉をへの字に曲げて笑いをこらえている。
「うっ……えっと、父さんに『師事する者に対して礼儀がなってない!』って怒られたから……です」
「はぁ? それで今更俺に敬語? あのリー坊が?」
「ワタシは女だ! 坊じゃない! それにもう14になった! ……ました」
「ぶはっ!」
「笑い過ぎだ! ……です」
「や、やめて……! もう俺の負けでいいからっ!」
男はついには腹を押さえ笑い転げた。
「むぅ……」
璃龍はムスッと口をとがらせながら、地面を転がる男を見つめる。
この男との付き合いは意外と長い。
初めて会ったのは10年ほど前か。時折、ふらりと蒋家に現れては泊っていく。
父の知り合いらしいこの男を、始めは胡散臭い大人がいるな、気をつけなきゃと警戒していたのだが……。
冒険者であるこの男は、食事の度にご自慢の冒険譚を話して聞かせるのだ。
日々、鍛錬に明け暮れていた璃龍にとって、男の話す外の世界の話はとても新鮮なものだった。
今思えばそれは荒唐無稽な話も沢山あったのだが――あの時の少女はその冒険譚の虜になってしまった。
ついには、食事の席以外でも男の元に通う様になり話をせがんだ。
――ちょっと軽率だったかな。
と、思わなくもないが、結果として今こうして師弟の仲なのだから不思議なものだ。
「うん、何か考え事か?」
ぼーっと自分を見つめる璃龍を不思議に思ったのか、散々笑い終えた男が埃を払いつつ問いかけてくる。
「何でもない、です」
「…………ふぅ、俺も蒋家の呼吸法マスターしようかな」
「それはどういう意味だ! です!」
何度も深呼吸を繰り返し、笑いをこらえようとする男に、璃龍は拳を振り上げる。
「はは、悪い悪い。それにしても、リー坊。随分強くなったな」
「え……?」
不意打ちでそう言われて、振り上げた拳の下ろし所を失った。
この胡散臭い男の実力は本物だ。何度も手合わせしてそれは知っている。今回も成長を見せようと本気で打ち込んだのだが、軽くあしらわれた。
「なぁ、前に話した邪龍の話を覚えているか?」
「うん……です」
それは男の冒険譚に何度も出てきた火山の邪龍。数多の挑戦者を返り討ちにした兇悪なる龍の話は、璃龍が食い入るように聞いた話の一つだった。
「はは、その話し方はやめないんだな」
そんな男の言葉に再び拳を上げそうになるのをぐっとこらえる。
「次の依頼で、ついに討伐に出ることになった」
「えっ! 勝てるの……ます?」
「どうかな。っと、そういえば、お前さんの名前にも龍が入っていたな」
「え……うん、です」
いきなり話題を変えた男に、璃龍は戸惑いながらも頷く。
「璃龍は翼を持たない弱き龍という意味がある、と父が言っていた、です」
この男の足元にも及ばない自分にぴったりの名前だと、心のどこかで思っていると――。
「未来の天龍に相応しい、いい名前だな」
男の言葉に返す言葉が浮かばなかった。
この男は死にに行くんだ。そう直感してしまったから。
――行かないで。
「あっ……」
「なんて顔してるんだ。折角の美人が台無しだぞ?」
へらへらと締まりのない顔が覗き込んでくる。
そうじゃない、言わないと――。
「さて、親父さんに挨拶してくるか」
言わないと!
「それじゃ達者でな、璃龍。未来の天龍――」
始めて呼ばれた名前に、璃龍はびくりと肩をすくませる。
「がんばって……です」
違う。そうじゃない。
なのにどうしても言えなかった。男の背中が戦いに行く者のそれだったから。
その後、男がどうなったかは聞かされていない。知らなくていいと思っている。
だって、あの時の男の言葉は、朧気だった璃龍の心に確かに何かを灯してくれたのだから――。