憂う夕べの癒し手は
キャラクターノベル制作 杜ノ門納品 2022年08月02日 10時35分45秒
ぼすん、と大きな音を立てて寝台に寝そべるその様を、見れば人ははしたないと窘めただろう。元よりその音の源たる彼女――ローザリカ・L・ディオール自身がそのような振る舞いを由としない。ディオール伯爵家の令嬢として、家の名を負い、女という不利を叩き伏せ、常に完璧な姿である事を自らに課す彼女である。だがそれはあくまでも衆目に晒される外での話。自室の寝具に派手にダイブする若い娘を咎める無粋者は此処には存在しない。
はああ、と大きく溜め息を吐いた彼女が突っ伏した寝台から顔を上げると、頬にもふりと柔らかな感触が触れた。それは枕元に鎮座する苺の女王兎で、約二メートルの巨体を所在なさげに投げ出している。ふわふわの足にもふもふと二、三度顔を埋めた彼女は、俯せた体でずりずりと苺の女王兎ににじり寄り、その広いお腹にぎゅっと抱き着いた。
「僕を癒すのは君だけだ……」
冒険者として依頼をこなす冷静で自信に満ちた彼女の姿しか知らぬ者が聞けば、今の蚊の鳴くような声は何だと仰天してしまうかもしれない。或いは彼女の婚約者殿がその弱った声を聞けば、ご自慢の甘ったるい声で美辞麗句を並べたてて慰めようとするかもしれない。だが此処にいるのは彼の贈った兎だけだ。そも、彼女の憂いは全て彼に起因するものである。慰めなんて受けたところで、なんて空々しい、と今の彼女は突っ撥ねてしまう事だろう。
「……何が可愛いものか」
学園で傍に寄り添った学友に言われた文句を思い出す。少し前までは寄りつきもしなかった同性の級友達が、今ではこぞって周りを取り囲んではそんな事を言う。意味合いとして美しく優れているという称賛ではなく、小さな子供や小動物へ向ける慈しみのような感情が強いように窺える。彼女はそれが不満なのだ。見くびられているという訳ではないのだろう。しかし非の打ち所のない完璧な伯爵令嬢という、彼女が必死に作り上げ守り続けてきた仮面が剥がれかけてきているように思う。級友達と気安い会話が出来るようになった今に戸惑う彼女は、それが良い事なのか悪い事なのか、未だ判別がつかない。
「……全部君のせいだぞ」
ふわふわのお腹に埋まっていた顔を持ち上げたローザリカは、女王兎の傍らで枕に凭れてちょこんと座る、彼そっくりの人形をきっと睨んだ。
「この! 顔が! 憎たらしい……!」
愛らしい笑みを浮かべるその顔を両手で挟み、頬をむにいと引っ張ってやる。不格好に伸びる恋人形の顔は、そんな不細工さすら愛おしい。
元はといえば、視線で追った先の婚約者殿が常に女性を侍らしているのがいけないのだ。愛想良く微笑む顔が作り物である事くらいわかっているけれど、それに惑わされて黄色い声を上げる輩がいる限り、彼女の気持ちは晴れない。女生徒達ときたら、ジュスト様、だなんて親しげに、余りにも容易くその名を呼んでは、頬を赤らめて嬉しそうに笑うのだ。
「……ジュ、ス……ッ」
その名が、憎らしくて恋しい唯一の名が、ローザリカは例えその場に信頼に足る人形達しかいなくても口に出来ない。最初はちょっとした意地だったのに、月日が経つにつれてそれは彼女の心と唇を戒めるようになった。彼の音を舌に乗せるだけでも震えが走る。少しの恐ろしさと、胸底が凍えるような切なさを伴って。
どうして自分ばかりが、と彼女は恋人形を小突く。彼は今も昔も変わらずに自分を呼び続けているのに。――ロゼ、と。
「……っ!」
その、特別な名で。幼い頃に許したその名を、彼はずっと呼び続けてくれた。疎遠になったのちも、仲が悪いと自称していた時ですら。鈴が鳴るような甲高い声で初めて呼ばれた時は嬉しかった。声変わりを経て、一丁前に低く響くようになったそれで憎まれ口を叩かれた時でさえ。意固地になっている自分に、変わらない距離を主張されているようで落ち着かなかった。そうして今、自分だけに向けられる柔らかな微笑とともに、ロゼ、と呼ぶ甘やかな声によって、特別を確かめられる瞬間がたまらなく好きだ。愛おしさを凝縮したような耳に蕩けるその声で名を呼ばれると、背筋がぴりりと痺れるような心地がする。自分が彼に、どれほど大切に想われているのか実感出来る。
「……ッ、けど! それとこれとは話が別だっ!」
ぼうっと熱を持つ頭をぶんぶんと振り、再び恋人形の顔をぐにぐにとあちこち抓ってやりながら彼女が言った。
「……口説き文句を並べ立てるのが仕事の癖に。僕を蔑ろにするからこうなるんだ、えいっ」
そう、全てはあの色男が、婚約者である自分を二の次にして、不特定多数へ愛想を振り撒くから悪いのだ。――憎らしく思う気持ちは、自分だけを見ていてほしいから。それは年月と距離が練り上げた、深くて重い愛情の発露。同じだけのそれが自分にも向けられている事に無自覚な彼女は、そうして今日も一人、愛しいぬいぐるみ達を相手に一喜一憂し、存分に癒やされるのだった。
はああ、と大きく溜め息を吐いた彼女が突っ伏した寝台から顔を上げると、頬にもふりと柔らかな感触が触れた。それは枕元に鎮座する苺の女王兎で、約二メートルの巨体を所在なさげに投げ出している。ふわふわの足にもふもふと二、三度顔を埋めた彼女は、俯せた体でずりずりと苺の女王兎ににじり寄り、その広いお腹にぎゅっと抱き着いた。
「僕を癒すのは君だけだ……」
冒険者として依頼をこなす冷静で自信に満ちた彼女の姿しか知らぬ者が聞けば、今の蚊の鳴くような声は何だと仰天してしまうかもしれない。或いは彼女の婚約者殿がその弱った声を聞けば、ご自慢の甘ったるい声で美辞麗句を並べたてて慰めようとするかもしれない。だが此処にいるのは彼の贈った兎だけだ。そも、彼女の憂いは全て彼に起因するものである。慰めなんて受けたところで、なんて空々しい、と今の彼女は突っ撥ねてしまう事だろう。
「……何が可愛いものか」
学園で傍に寄り添った学友に言われた文句を思い出す。少し前までは寄りつきもしなかった同性の級友達が、今ではこぞって周りを取り囲んではそんな事を言う。意味合いとして美しく優れているという称賛ではなく、小さな子供や小動物へ向ける慈しみのような感情が強いように窺える。彼女はそれが不満なのだ。見くびられているという訳ではないのだろう。しかし非の打ち所のない完璧な伯爵令嬢という、彼女が必死に作り上げ守り続けてきた仮面が剥がれかけてきているように思う。級友達と気安い会話が出来るようになった今に戸惑う彼女は、それが良い事なのか悪い事なのか、未だ判別がつかない。
「……全部君のせいだぞ」
ふわふわのお腹に埋まっていた顔を持ち上げたローザリカは、女王兎の傍らで枕に凭れてちょこんと座る、彼そっくりの人形をきっと睨んだ。
「この! 顔が! 憎たらしい……!」
愛らしい笑みを浮かべるその顔を両手で挟み、頬をむにいと引っ張ってやる。不格好に伸びる恋人形の顔は、そんな不細工さすら愛おしい。
元はといえば、視線で追った先の婚約者殿が常に女性を侍らしているのがいけないのだ。愛想良く微笑む顔が作り物である事くらいわかっているけれど、それに惑わされて黄色い声を上げる輩がいる限り、彼女の気持ちは晴れない。女生徒達ときたら、ジュスト様、だなんて親しげに、余りにも容易くその名を呼んでは、頬を赤らめて嬉しそうに笑うのだ。
「……ジュ、ス……ッ」
その名が、憎らしくて恋しい唯一の名が、ローザリカは例えその場に信頼に足る人形達しかいなくても口に出来ない。最初はちょっとした意地だったのに、月日が経つにつれてそれは彼女の心と唇を戒めるようになった。彼の音を舌に乗せるだけでも震えが走る。少しの恐ろしさと、胸底が凍えるような切なさを伴って。
どうして自分ばかりが、と彼女は恋人形を小突く。彼は今も昔も変わらずに自分を呼び続けているのに。――ロゼ、と。
「……っ!」
その、特別な名で。幼い頃に許したその名を、彼はずっと呼び続けてくれた。疎遠になったのちも、仲が悪いと自称していた時ですら。鈴が鳴るような甲高い声で初めて呼ばれた時は嬉しかった。声変わりを経て、一丁前に低く響くようになったそれで憎まれ口を叩かれた時でさえ。意固地になっている自分に、変わらない距離を主張されているようで落ち着かなかった。そうして今、自分だけに向けられる柔らかな微笑とともに、ロゼ、と呼ぶ甘やかな声によって、特別を確かめられる瞬間がたまらなく好きだ。愛おしさを凝縮したような耳に蕩けるその声で名を呼ばれると、背筋がぴりりと痺れるような心地がする。自分が彼に、どれほど大切に想われているのか実感出来る。
「……ッ、けど! それとこれとは話が別だっ!」
ぼうっと熱を持つ頭をぶんぶんと振り、再び恋人形の顔をぐにぐにとあちこち抓ってやりながら彼女が言った。
「……口説き文句を並べ立てるのが仕事の癖に。僕を蔑ろにするからこうなるんだ、えいっ」
そう、全てはあの色男が、婚約者である自分を二の次にして、不特定多数へ愛想を振り撒くから悪いのだ。――憎らしく思う気持ちは、自分だけを見ていてほしいから。それは年月と距離が練り上げた、深くて重い愛情の発露。同じだけのそれが自分にも向けられている事に無自覚な彼女は、そうして今日も一人、愛しいぬいぐるみ達を相手に一喜一憂し、存分に癒やされるのだった。