飴玉と蜂蜜
キャラクターノベル(グループ)制作 蔭沢 菫納品 2022年08月28日 15時00分25秒
憧れは十年たっても増すばかりであった。
釣り目がちの金の瞳は蜂蜜のよう。周囲の人間よりも、奔放で気高い。まるで妖精だと思う。薔薇の妖精、薔薇園のお姫様。
こじれた十年はジュスト・ヴェルジーにとって苦いものであったが、ふとしたことで、十年のもつれは奇跡のように溶けていった。雪と蜜で出来た彫像を触るかの如き慎重さで、ジュストは彼女へ愛を注ぐ。
雪のように白い手の柔らかな感触を思い出し、哀しみと打ち震えるような思いのたけりに身が震える。歌い鳥のように華やかな、音楽的な声……。
「ローザリカ・L・ディオール」
名前を言う。ローザリカ。ロゼ。どんどんと短くする。飴玉のようにジュストの中で彼女の名が溶け、まじないのように酔わせていく。
いとこであり、幼馴染であり、婚約者である。属性の過多は貴族社会でよくあること。美しい人のことを思う。怪我を負った乙女は寝台に伏せ、ようやっと目覚めたと言う。
(喜ばしいことだね)
家令からの報告を聞き、確かに喜ばしいことだと思ったはずなのに。
ジュストは己が先ほど発した言葉を思い出し、ざらつくようなものを感じた。
気が付けば、ウェルジー家の屋敷には人が寄らなくなっていった。否、避けられていったのだ、と商人たちは語る。一週間が過ぎ、今や屋敷にいるのは必要最低限の使用人のみ。そして、次期当主のジュスト。
当のジュストは、ローザリカのことを最初から周囲に伏せていた。元々ローザリカを屋敷に運んだのはジュストであった。依頼で重傷を負ったローザリカを、療養のためにと己の屋敷へ連れて来た。ただそれだけのこと。
ふと、ジュストは庭を見る。夏枯れ時の暑さにやられた薔薇が、萎れていた。
(ローザリカ)
改めた呼び方を、心の中で繰り返す。その音節を味わうかのように。
そして、ジュストは立ち上がる。そろそろ彼女の様子を見なければ、と。
時は夕暮れの薄闇、ランプを持った貴人が静かに歩く。ローザリカ、と何度も繰り返す名は、いつの間にか口元から溢れていた。
ローザリカは寝台から窓を眺めていた。寝台は柔らかく、男二人が寝転がれそうな大きなもの。大きく幾つもある窓からは、暑さに疲れたかのようなポプラの木が、ゆらゆらと枝を頼りなさげに揺らしている。
このままでは、良くないと警告が頭の中で鳴り響く。何日たったのだろうか。ジュストは何も教えてくれない。
『今は何も考えないで、ロゼ。君は怪我人なのだから』
そう言って、彼は問いかけたローザリカの口を指でふさいだ。
食事はいつも変わらず、柔らかな牛乳粥に蜂蜜。季節の果物。肉や何やを求めても、まだ体に悪いとジュストは禁じた。
ローザリカは窓を見る。高さは三階。そのまま飛び降りたら完全に骨が折れるだろう。窓にかかる幾つかのカーテンを見る。色は緑、素材はわからぬが丈夫そうであった。
陽は陰り、灯りは少ない。このままでは良くない――。
「ロゼ、入るよ――」
広く暗い部屋に、蝋燭の光が差し込む。白い寝台は乱れ、誰もいない。ジュストは急いで部屋を見渡す。寝台とサイドテーブル、窓で揺れる幾つものカーテン以外には何もない部屋であった。余計なものはあってはいけない、と直感的にジュストが思い、使用人に全てどけさせたのであった。
「ロゼッ」
どさり、とカーテンが落ちた。赤毛の令嬢が姿を現す。
「何故、隠れていたんだい。どこに行くつもりだい」
全てを喪いそうな人の表情を微笑みに隠したまま、ジュストは駆け寄り、そのままローザリカを抱きしめる。
「君は怪我人なのだから」
ローザリカはジュストの瞳の奥に、ひび割れたガラスの光を見た。ひび故に美しく輝き、そして脆い、あってはならぬ光を。
(私は……今度はジュストの心を傷つけた)
かつてローザリカは犬型の魔獣に襲われ、ジュストに庇われた。結果ジュストが重傷を負ったのは十年前のこと。疎遠になった理由だ、とローザリカは己を責める。私のせいで彼を喪いかけた。今度もか、と瞳に浮かぶひび割れた光に焦りを感じる。
「ロゼ、寝台へ戻ろう。部屋も変えなければ。ここは外に近すぎるね。君の怪我に悪い」
ジュストは己が歪みに気付かないのだ、とローザリカは思う。抵抗することは簡単であった。だが、罪悪感がローザリカを動かした。のろのろと寝台に戻り、ふせる。
真っ白なネグリジェの裾は広く、足にもつれた。
「ここにいれば、君は幸せでいられるのだから。……悪い癖だ。足を出して」
いつの間に取っていたのだろうか。カーテンのタッセルをジュストは手に持っていた。
抵抗しなければならない、と理性と誇りが告げる。
抵抗してはならない、と罪悪感と愛着が告げる。
「可愛い人。もうどこにも行かないで。君は傷ついてはいけない人だから」
素足にタッセルの組みひもが絡みつく。縛られているのだ、とローザリカは察する。冒険者式の確かなやり方で。あくまで紳士的に。害するつもりこそないが、ローザリカを世界から守ろうとしているがために、その縛り方は余りにもしっかりとしていた。
ローザリカが立ち、歩くことこそが危険である故に、ジュストはそれを許さない。
「腕を後ろに。そう、ありがとう。なんでさっきはあんなことをしたんだい……」
ローザリカが手を動かし、何かを行うことこそが危険である故に、ジュストはそれを許さない。
ローザリカは手を後ろで縛られながら、首元にジュストの息遣いを感じる。毒のような優しさが、傷だらけの心に染みる。依頼の原因となった怪我を負った罪悪感もあった。だが、半分はジュストへの罪悪感、彼が己のせいで傷つく、そのことに対する罪悪感であった。もはや精神的な自傷にも似て、ローザリカを苛み続けてきた小さな痛み。
傷つくジュストに伸ばしたい手は、結ばれて動かない。
絹だ、と腕の感触が告げる。私は絹に縛られている……。いつもなら尊大な軽口を叩くはずのローザリカの心は、砕けかけていた。ジュストは鎧を外していいと言っている。否、この館に運び込まれた時にはもう、己の鎧、言動で重ねた虚勢は壊れていたのだ――。
「ジュスト、お願いだ――」
振り向き、必死にジュストの顔を見た。
止めてくれ、行かないで、側にいて、私は消えないから。
私にとって特別な名前を呼ぶ恍惚――ローザリカは震えた。様々な言葉が溢れても、喉が詰まって口に出せない。本当のことを言うのは、なんと難しいのだろうとローザリカは思う。もはや本当のことが自身にもわからなかった。何を悔い、どう愛し、何を求め、屋敷に運ばれこまれるまでの己がどのようにあったのかも。
「ジュスト、お願いだ――」
その言葉の先を、聞いてはならない。ジュストの心が悲鳴をあげる。サイドテーブルを見れば、余りにも丸い飴玉がガラスの器に入れられている。
「ほら、君が好きな飴玉だよ」
月のミニチュアめいた飴玉を、ジュストは口に含む。かつて行ったように。
口移しでローザリカの口を封じ、優しく押し込める。熱が一瞬絡まり、離れる。
「『一番美味しそうな飴玉』だよ……美味しい?」
ローザリカの金の瞳は、涙をこらえていた。壊れかけの光をたたえて。
「俺は、君が側にいないとダメなんだ」
ジュストは、両手両足、そして口をふさがれたローザリカを抱きしめ、寝台に寝そべる。
「だから、逃げないで?」
問いかけの柔らかさに反して強い抱擁は、否定を許さない。
釣り目がちの金の瞳は蜂蜜のよう。周囲の人間よりも、奔放で気高い。まるで妖精だと思う。薔薇の妖精、薔薇園のお姫様。
こじれた十年はジュスト・ヴェルジーにとって苦いものであったが、ふとしたことで、十年のもつれは奇跡のように溶けていった。雪と蜜で出来た彫像を触るかの如き慎重さで、ジュストは彼女へ愛を注ぐ。
雪のように白い手の柔らかな感触を思い出し、哀しみと打ち震えるような思いのたけりに身が震える。歌い鳥のように華やかな、音楽的な声……。
「ローザリカ・L・ディオール」
名前を言う。ローザリカ。ロゼ。どんどんと短くする。飴玉のようにジュストの中で彼女の名が溶け、まじないのように酔わせていく。
いとこであり、幼馴染であり、婚約者である。属性の過多は貴族社会でよくあること。美しい人のことを思う。怪我を負った乙女は寝台に伏せ、ようやっと目覚めたと言う。
(喜ばしいことだね)
家令からの報告を聞き、確かに喜ばしいことだと思ったはずなのに。
ジュストは己が先ほど発した言葉を思い出し、ざらつくようなものを感じた。
気が付けば、ウェルジー家の屋敷には人が寄らなくなっていった。否、避けられていったのだ、と商人たちは語る。一週間が過ぎ、今や屋敷にいるのは必要最低限の使用人のみ。そして、次期当主のジュスト。
当のジュストは、ローザリカのことを最初から周囲に伏せていた。元々ローザリカを屋敷に運んだのはジュストであった。依頼で重傷を負ったローザリカを、療養のためにと己の屋敷へ連れて来た。ただそれだけのこと。
ふと、ジュストは庭を見る。夏枯れ時の暑さにやられた薔薇が、萎れていた。
(ローザリカ)
改めた呼び方を、心の中で繰り返す。その音節を味わうかのように。
そして、ジュストは立ち上がる。そろそろ彼女の様子を見なければ、と。
時は夕暮れの薄闇、ランプを持った貴人が静かに歩く。ローザリカ、と何度も繰り返す名は、いつの間にか口元から溢れていた。
ローザリカは寝台から窓を眺めていた。寝台は柔らかく、男二人が寝転がれそうな大きなもの。大きく幾つもある窓からは、暑さに疲れたかのようなポプラの木が、ゆらゆらと枝を頼りなさげに揺らしている。
このままでは、良くないと警告が頭の中で鳴り響く。何日たったのだろうか。ジュストは何も教えてくれない。
『今は何も考えないで、ロゼ。君は怪我人なのだから』
そう言って、彼は問いかけたローザリカの口を指でふさいだ。
食事はいつも変わらず、柔らかな牛乳粥に蜂蜜。季節の果物。肉や何やを求めても、まだ体に悪いとジュストは禁じた。
ローザリカは窓を見る。高さは三階。そのまま飛び降りたら完全に骨が折れるだろう。窓にかかる幾つかのカーテンを見る。色は緑、素材はわからぬが丈夫そうであった。
陽は陰り、灯りは少ない。このままでは良くない――。
「ロゼ、入るよ――」
広く暗い部屋に、蝋燭の光が差し込む。白い寝台は乱れ、誰もいない。ジュストは急いで部屋を見渡す。寝台とサイドテーブル、窓で揺れる幾つものカーテン以外には何もない部屋であった。余計なものはあってはいけない、と直感的にジュストが思い、使用人に全てどけさせたのであった。
「ロゼッ」
どさり、とカーテンが落ちた。赤毛の令嬢が姿を現す。
「何故、隠れていたんだい。どこに行くつもりだい」
全てを喪いそうな人の表情を微笑みに隠したまま、ジュストは駆け寄り、そのままローザリカを抱きしめる。
「君は怪我人なのだから」
ローザリカはジュストの瞳の奥に、ひび割れたガラスの光を見た。ひび故に美しく輝き、そして脆い、あってはならぬ光を。
(私は……今度はジュストの心を傷つけた)
かつてローザリカは犬型の魔獣に襲われ、ジュストに庇われた。結果ジュストが重傷を負ったのは十年前のこと。疎遠になった理由だ、とローザリカは己を責める。私のせいで彼を喪いかけた。今度もか、と瞳に浮かぶひび割れた光に焦りを感じる。
「ロゼ、寝台へ戻ろう。部屋も変えなければ。ここは外に近すぎるね。君の怪我に悪い」
ジュストは己が歪みに気付かないのだ、とローザリカは思う。抵抗することは簡単であった。だが、罪悪感がローザリカを動かした。のろのろと寝台に戻り、ふせる。
真っ白なネグリジェの裾は広く、足にもつれた。
「ここにいれば、君は幸せでいられるのだから。……悪い癖だ。足を出して」
いつの間に取っていたのだろうか。カーテンのタッセルをジュストは手に持っていた。
抵抗しなければならない、と理性と誇りが告げる。
抵抗してはならない、と罪悪感と愛着が告げる。
「可愛い人。もうどこにも行かないで。君は傷ついてはいけない人だから」
素足にタッセルの組みひもが絡みつく。縛られているのだ、とローザリカは察する。冒険者式の確かなやり方で。あくまで紳士的に。害するつもりこそないが、ローザリカを世界から守ろうとしているがために、その縛り方は余りにもしっかりとしていた。
ローザリカが立ち、歩くことこそが危険である故に、ジュストはそれを許さない。
「腕を後ろに。そう、ありがとう。なんでさっきはあんなことをしたんだい……」
ローザリカが手を動かし、何かを行うことこそが危険である故に、ジュストはそれを許さない。
ローザリカは手を後ろで縛られながら、首元にジュストの息遣いを感じる。毒のような優しさが、傷だらけの心に染みる。依頼の原因となった怪我を負った罪悪感もあった。だが、半分はジュストへの罪悪感、彼が己のせいで傷つく、そのことに対する罪悪感であった。もはや精神的な自傷にも似て、ローザリカを苛み続けてきた小さな痛み。
傷つくジュストに伸ばしたい手は、結ばれて動かない。
絹だ、と腕の感触が告げる。私は絹に縛られている……。いつもなら尊大な軽口を叩くはずのローザリカの心は、砕けかけていた。ジュストは鎧を外していいと言っている。否、この館に運び込まれた時にはもう、己の鎧、言動で重ねた虚勢は壊れていたのだ――。
「ジュスト、お願いだ――」
振り向き、必死にジュストの顔を見た。
止めてくれ、行かないで、側にいて、私は消えないから。
私にとって特別な名前を呼ぶ恍惚――ローザリカは震えた。様々な言葉が溢れても、喉が詰まって口に出せない。本当のことを言うのは、なんと難しいのだろうとローザリカは思う。もはや本当のことが自身にもわからなかった。何を悔い、どう愛し、何を求め、屋敷に運ばれこまれるまでの己がどのようにあったのかも。
「ジュスト、お願いだ――」
その言葉の先を、聞いてはならない。ジュストの心が悲鳴をあげる。サイドテーブルを見れば、余りにも丸い飴玉がガラスの器に入れられている。
「ほら、君が好きな飴玉だよ」
月のミニチュアめいた飴玉を、ジュストは口に含む。かつて行ったように。
口移しでローザリカの口を封じ、優しく押し込める。熱が一瞬絡まり、離れる。
「『一番美味しそうな飴玉』だよ……美味しい?」
ローザリカの金の瞳は、涙をこらえていた。壊れかけの光をたたえて。
「俺は、君が側にいないとダメなんだ」
ジュストは、両手両足、そして口をふさがれたローザリカを抱きしめ、寝台に寝そべる。
「だから、逃げないで?」
問いかけの柔らかさに反して強い抱擁は、否定を許さない。