過去形から、現在形へ
キャラクターノベル制作 革酎納品 2022年07月04日 12時53分14秒
●
カペル侯爵邸での定例食事会が催された日の夜。
シルヴィア・A・カペルはカペル植物研究所の所長メザレア・ホルトスに頼み込み、本来は夜間営業をしていない研究所内の花屋敷カフェを開放して貰った。
十年ぶりにシルヴィア達のもとへと帰ってきた師匠ディヴァンス・ファルヴェントを酒宴の席に誘い出し、彼の本心を聞き出す為である。
「態々、悪いね」
「気にしなくて良いよ。私も伝説の先代マイスターのひととなりってやつを、見てみたかったし」
研究所本棟の裏玄関で鍵を解錠しながら、メザレアはいたずらっぽく笑った。薄闇の中でも、その栗色のショートヘアと見透かす様な榛色の瞳が僅かな輝きを帯びて、静かに煌めく。
鹿の半獣人たるメザレアは、女性だから角は生えていない。一見するとヒューマンに見間違えられることもあるが、本人的には自身がヒューマンではないことを隠すつもりは無いらしい。
それはここカペル侯爵領が、リーンエス王国の中でもひと際珍しく、人種差別を嫌う風潮に満ちた土地であるからというのもあるだろう。
「それにしても、本当にシルヴィアってお爺様の若い頃にそっくりねぇ」
「え……そんなに似てる?」
裏玄関の扉を開け放ちながら、半ば呆れる様に笑顔を返すメザレアに、シルヴィアは戸惑いを隠せない。しかしメザレアはそれ以上この話題には触れず、約束はちゃんと守ってねと釘を刺した。
「あぁ、うん。夏のカフェメニューの考案だね。勿論だとも」
寧ろその話題を今宵ディヴァンスを花屋敷カフェに呼び出す為の、ひとつの口実にしてやろうとさえ考えているシルヴィア。
そういう変なところに知恵が廻るのは、矢張り今どきの女子だね、とメザレアが呆れて笑った。
花屋敷カフェ内に入ると、ふたりしてランタンや燭台に灯を付けて廻る。幾つもの花瓶やプランターが、そこかしこで目についた。研究所の交配実験の成果で、夏に楽しめる数種類の薔薇が彩りを添えてくれた。
それから程無くして、複数のひとの気配が裏玄関近くで足音を響かせる。
「やぁ、お嬢。お待たせ」
カペル侯爵領騎士団長を務めるジェレムス・ローギリアンが、持参した秘蔵のワインを掲げて木造の階段を登ってきた。そのすぐ後ろに、青薔薇の現マイスターたるアーカネラ・ユルヴェウスと、先代マイスターであるディヴァンスが続いた。
ディヴァンスは相変わらずの朴訥な表情だが、艶やかな長い黒髪を揺らすアーカネラの美貌は、明らかに緊張の色で強張っていた。
そのアーカネラの緊張がシルヴィアにも伝染した、という訳でもないのだが、過去の経緯から、矢張りシルヴィア自身も自ずと緊張感が顔に張り付いてしまう。
そんな中で、既に幾分出来上がった様子のジェレムスが微妙に酒臭い息を吐き出しながら、
「さぁお歴々。呑み直しの時間だぁ」
などと、ひとり変な気炎を撒き散らしていた。
燃える様な赤髪にアイスブルーの瞳が美しいジェレムスは、黙っていればイケメンのナイスミドルなのだが、本人は己の外見を自負する気は微塵にも無いらしく、年相応のおっさんぶりを如何無く発揮している。
「ホント……勿体無いわねぇ」
ここで初めて、アーカネラがいつもの調子で苦笑を漏らした。ディヴァンスの帰還というデリケートな状況の中にあって、相変わらずのムードメーカースタイルを崩さないジェレムスの存在は、今夜のこの席では非常に重要な役割を果たしているといえる。
少なくとも、シルヴィアとアーカネラ、そしてディヴァンスの三人だけで変な空気に染まることを考えれば、ジェレムスの明るさは本当に有り難かった。
「しっかしお嬢、あの白米酒はやっぱ最高だな」
「もしかして……全部空けちゃった?」
この時ばかりはシルヴィアも心底呆れた。ジェレムスを今宵の席に付き合わせる為にと、シャルガネ土産の白米酒と数種類のおつまみを賄賂代わりに手渡したシルヴィアだったが、まさかこの二時間程の間に全部呑み干してくるとは、流石に想定外だった。
●
まずは、景気づけの乾杯だ。
ジェレムスとアーカネラがそれぞれ持ち込んできた秘蔵のワインを、シルヴィアとメザレアが手際良くグラスに注いでゆく。
そういえばと、シルヴィアはディヴァンスのグラスに真紅の液体を注ぎながら、ふと思った。先生と一緒にお酒を呑むのは、これが初めてなんじゃないか、と。
しかしディヴァンスが下戸だという話は、聞いたことがない。かつて共に旅をした時、ディヴァンスはシャルガネ居住区で路銀を稼ぐ為にと賭場に出入りしていた。当然場の雰囲気から、酒の提供もあったろう。
ああいう場では、ひとりだけ素面でいるのは嫌われる。他の賭場客が酔っている中でひとりだけ素面でい続けると、イカサマでもやっているのではないかと疑われるからだ。
実際、ディヴァンスが結構な額の路銀を稼いで宿に帰ってきた時は、ほんのり顔色が朱に染まっていることが少なくなかったことを覚えている。
「さぁ……それじゃあ乾杯しましょうか」
自然と、現青薔薇マイスターのアーカネラが音頭を取った。諜報組織であると同時に、芸能集団でもある青薔薇のトップである以上、こういう酒宴の席に顔を出すことは少なくない。一種の場慣れというものだろう。
乾杯、と一同が声を揃える。それぞれがひと口ずつワインの香りや味を楽しみ、ほっとひと息入れた。但しジェレムスだけは一気呑みしてしまい、早々に二杯目をメザレアにせがんでいたのだが。
一方、シルヴィアとアーカネラはどうやってディヴァンスの言葉を導き出そうかと、少しばかり頭を悩ませていた。酒宴の席なのだから変に気を遣う必要も無い筈なのだが、ふたりしてディヴァンスから本音を聞き出そうと考えている以上、それなりの緊張はどうしても面に出てしまう。
逆にディヴァンスは、己がそういう目的で呼び出されたなどとは露とも知らず、供されたワインや小皿の一品を静かに口元へと運び、ただのひと言も喋らない。
メザレアとジェレムスのふたりは本当にただの酒の席という感じで明るくやっていたが、同じテーブルであるにも関わらず、シルヴィア、アーカネラ、ディヴァンスの側は妙に空気が重苦しかった。
「あ、そうだ、先生。夏のカフェメニューって、どんなのが思い浮かぶかな?」
シルヴィアが物凄くぎこちない調子で、あからさまに何とか話題を振りましたという空気感でディヴァンスに呼びかけた。しかしディヴァンスはシルヴィアの必死の努力も虚しく、
「すぐには思いつかない。持ち帰って検討させて欲しい」
などと、簡単にひっくり返してしまった。
ある程度予想してはいたが、ここまで手強いとは――シルヴィアは内心で頭を抱えた。
ならばと、今度はアーカネラが挑む番だ。ここは矢張り青薔薇のマイスターらしく、少しばかり仕事の話を絡めてゆけば突破口が開けるかもしれない。
という訳で、定例食事会でディヴァンスが口にした天陽道について、もう少し探りを入れるという体で話を持っていくことにした。
「それで、どういう経緯で天陽道の動きを掴むに至ったのかしら?」
「お茶屋の美鶴さんから、貴重な情報を得た。そこから糸口を掴んだのだ」
その瞬間、アーカネラの美貌が妙に険しい色へと変じた。
シルヴィアも、頭の中で疑問符が浮かんだ。
美鶴さん、とは一体誰のことなのか。シャルガネ風の名前だが、何となく女性的な響きを感じる。しかも、お茶屋ときたものだから、アーカネラの心中穏やかではなかっただろう。
「シルヴィアも、覚えているだろう。君があそこで、文字の手習いをした時に色々と教えてくれた遊女殿……今は芸妓の師匠として遊女達の指導に当たっている女性だ」
「ああ、あの綺麗なお姉さん……」
と、そこまで応じかけて、シルヴィアはしまった、と思わず口元を掌で押さえた。
アーカネラの知らない女性、しかも元遊女。
まさかこの場で、その様な存在が飛び出してくるとは。
流石に想定外だった。
●
少し、外の空気に当たってくる。
そう短くいい置いて、アーカネラは花屋敷カフェのテラスへと飛び出していってしまった。
シルヴィアは思わず天を仰いだ。まさかこんな展開になるとは、思っても見なかったからだ。
「アーカネラは、気分でも悪いのか?」
「えぇと、先生……そういうことじゃなくて」
余りの鈍感さにどう答えるべきかと悩んだシルヴィアだが、しかしこれがディヴァンスの生来の性格なのだと思い直すと、何故か内心でほっと胸を撫で下ろす自分が居た。
先程までの緊張感が、何だか馬鹿馬鹿しく思えてきた。シルヴィアは、共にロスガリア大陸を旅した時の感覚が蘇ってきて、以前の様に接することが出来る様になっていた。
「あのね先生……その美鶴さんとは、どんな関係だったの? そのぅ、何ていうのかなぁ……男女の恋仲とか、そういう関係?」
「まさか、とんでもない。彼女は余り大きな声ではいえないが、シノビのひとりだ。仕事仲間として尊敬すべき人物だ」
やっぱり、そういうことか――シルヴィアはディヴァンスが、以前の誠実さをそのまま残していることに心底安心すると同時に、その朴念仁ぶりに呆れる思いでもあった。
「ちょっとアーカネラの様子、見てくるね」
シルヴィアも花屋敷カフェのテラスに出て、木柵に身を預けて漆黒の闇の向こうをじっと見据えているアーカネラの隣りに立った。
「大丈夫だよ、アーカネラ。先生は、その、美鶴さんと変な関係じゃないって……」
「それは……私も分かってるわよ」
意外な言葉が、アーカネラから返ってきた。では何故、急に飛び出していったのか。シルヴィアはアーカネラの端正な面を横から覗き込んだ。
アーカネラは自分が情けなくて、いたたまれなかったと苦笑を返す。
「ディヴァンスは、そんなひとじゃない……分かってる筈なのに、それを疑う自分が居て、それが情けなくて……」
ディヴァンスは誰よりも愛情深いひとだ、とアーカネラはいう。今は亡き友人アルヴィンへの想い、大切な教え子シルヴィアへの想い――本来他人が苦手な筈なのに、その癖、ひとを嫌いになれない。不器用で、それでいてある面では誰よりも誠実な姿は、今も昔も変わらない。
そんなディヴァンスのことが誰よりも大事なのだと、アーカネラは静かに語った。
(やっぱりこのふたりは、一緒になって、幸せになるべきだよ)
自分のことはさておき、シルヴィアはアーカネラとディヴァンスは本当にお似合いで、何としてでも一緒になって欲しいと心から思った。
アーカネラは、シルヴィアにとってはいわば頼れる姉の様な存在だ。そんなアーカネラが己の想いを封じ込めて苦しむ姿など見たくはない。
そしてシルヴィアは同時に、ディヴァンスもアーカネラを憎からず想っている筈だと直感していた。
すると、そこへディヴァンスが姿を見せた。シルヴィアも一緒になって出ていったまま戻ってこないから、少し心配になったのだという。
「じゃあ、私は先に戻るね」
ここが正念場だと、シルヴィアはふたりの為の時間を作ることにした。
●
シルヴィアが室内に戻り、ふたりきりとなった闇の中のテラス。
アーカネラは思い切って訊くことにした。
「ねぇディヴァンス……あの手紙に書いてあった最後の言葉、あれってどういう意味?」
「最後の言葉?」
ディヴァンスは怪訝そうに小首を傾げる。もう、本当に男って鈍感ねと呆れた様に吐き出しながら、アーカネラは更に言葉を続けた。
「こう書いてあったじゃない。アーカネラ、お前こそが私の本当の祝福だった、って」
そこまでいわれて、ディヴァンスも漸く理解した。
そして、そんなことは説明するまでもないといわんばかりの調子で答える。
「言葉通りの意味だ。お前は私にとって祝福だった」
「祝福って、そもそも何なの?」
ディヴァンスは、アーカネラの問いかけの真意を測りかねている様子ではあったが、しかし明確な意味が籠もっていることは間違い無い様だ。アーカネラとしては、その意味を本人の口から聞きたかった。
「いい換えれば、幸福だ」
「でも、何で過去形なの?」
これにはディヴァンスも答えに窮した。いって良いのかどうか、迷っている様子だ。そんなふたりのやり取りを暗がりでじっと見守っていたシルヴィアは、もうひと息だと心の中でハラハラしている。
しばらく逡巡する表情を見せたディヴァンスだが、やがて意を決した様にアーカネラを正面から見据えた。
「お前と一緒に居られなくなったからだ。私はシルヴィアをかつての友と取り違える過ちを犯した。そんな私には幸福を得る資格は無い、と」
だが、こうして帰ってきた。
天陽道の魔の手から、愛する者達を守る為に。
「それじゃあ……もう一度、幸福を得ることに挑戦してみる気は、ある?」
即ち、アーカネラという伴侶を手に入れる意思はあるか、と訊いている訳だ。思い切ったひと言だ。これはいい方を変えれば、アーカネラからの逆プロポーズともいえる。
シルヴィアは喉がからからになりながらも、事の成り行きから目が離せない。
そしてディヴァンスは、もし許されるのなら、と低く応じた。
アーカネラはさっと踵を返し、ディヴァンスから顔を背けた。涙が溢れるのを、見られたくなかった。ディヴァンスは変に直球型のタイプだから、自分がアーカネラを悲しませたと勘違いする恐れがあった。
だが実際は、逆だ。
アーカネラは嬉しかった。何よりも嬉しかった。
ディヴァンス自身の口から、アーカネラという幸福を得たいと正直に話してくれた。今はもう、それだけで十分だった。
シルヴィアは安堵の気持ち一杯で、全身から力が抜けそうになったが、それでも頑張って室内に戻った。
ジェレムスはすっかり出来上がり、気分良さげにもう何杯目かになるワインを豪快にあおっていた。
「あら……あのふたりは、まだテラスに?」
メザレアもジェレムスのペースに付き合い過ぎた所為か、かなり酔いが廻っている様子。それでもテラスに出たままのふたりを案ずる辺り、案外アルコールには強い方なのかも知れない。
「ね……シルヴィアにも好きなひと、居るの?」
「全く、何を藪から棒に……」
シルヴィアはしかし、怒る気にもなれなかった。
たった今、敬愛する師と頼れる姉のふたりが、本当の意味で結ばれる瞬間を見届けてきたからだ。その幸福感から来る余韻は今尚、シルヴィアの中で静かに響き渡っている。
「さ、呑もう。朝まで付き合って貰うよ」
「良いけど、カフェメニューも忘れないでね」
ふにゃふにゃと笑うメザレアに、シルヴィアは任せてと胸を張った。
カペル侯爵邸での定例食事会が催された日の夜。
シルヴィア・A・カペルはカペル植物研究所の所長メザレア・ホルトスに頼み込み、本来は夜間営業をしていない研究所内の花屋敷カフェを開放して貰った。
十年ぶりにシルヴィア達のもとへと帰ってきた師匠ディヴァンス・ファルヴェントを酒宴の席に誘い出し、彼の本心を聞き出す為である。
「態々、悪いね」
「気にしなくて良いよ。私も伝説の先代マイスターのひととなりってやつを、見てみたかったし」
研究所本棟の裏玄関で鍵を解錠しながら、メザレアはいたずらっぽく笑った。薄闇の中でも、その栗色のショートヘアと見透かす様な榛色の瞳が僅かな輝きを帯びて、静かに煌めく。
鹿の半獣人たるメザレアは、女性だから角は生えていない。一見するとヒューマンに見間違えられることもあるが、本人的には自身がヒューマンではないことを隠すつもりは無いらしい。
それはここカペル侯爵領が、リーンエス王国の中でもひと際珍しく、人種差別を嫌う風潮に満ちた土地であるからというのもあるだろう。
「それにしても、本当にシルヴィアってお爺様の若い頃にそっくりねぇ」
「え……そんなに似てる?」
裏玄関の扉を開け放ちながら、半ば呆れる様に笑顔を返すメザレアに、シルヴィアは戸惑いを隠せない。しかしメザレアはそれ以上この話題には触れず、約束はちゃんと守ってねと釘を刺した。
「あぁ、うん。夏のカフェメニューの考案だね。勿論だとも」
寧ろその話題を今宵ディヴァンスを花屋敷カフェに呼び出す為の、ひとつの口実にしてやろうとさえ考えているシルヴィア。
そういう変なところに知恵が廻るのは、矢張り今どきの女子だね、とメザレアが呆れて笑った。
花屋敷カフェ内に入ると、ふたりしてランタンや燭台に灯を付けて廻る。幾つもの花瓶やプランターが、そこかしこで目についた。研究所の交配実験の成果で、夏に楽しめる数種類の薔薇が彩りを添えてくれた。
それから程無くして、複数のひとの気配が裏玄関近くで足音を響かせる。
「やぁ、お嬢。お待たせ」
カペル侯爵領騎士団長を務めるジェレムス・ローギリアンが、持参した秘蔵のワインを掲げて木造の階段を登ってきた。そのすぐ後ろに、青薔薇の現マイスターたるアーカネラ・ユルヴェウスと、先代マイスターであるディヴァンスが続いた。
ディヴァンスは相変わらずの朴訥な表情だが、艶やかな長い黒髪を揺らすアーカネラの美貌は、明らかに緊張の色で強張っていた。
そのアーカネラの緊張がシルヴィアにも伝染した、という訳でもないのだが、過去の経緯から、矢張りシルヴィア自身も自ずと緊張感が顔に張り付いてしまう。
そんな中で、既に幾分出来上がった様子のジェレムスが微妙に酒臭い息を吐き出しながら、
「さぁお歴々。呑み直しの時間だぁ」
などと、ひとり変な気炎を撒き散らしていた。
燃える様な赤髪にアイスブルーの瞳が美しいジェレムスは、黙っていればイケメンのナイスミドルなのだが、本人は己の外見を自負する気は微塵にも無いらしく、年相応のおっさんぶりを如何無く発揮している。
「ホント……勿体無いわねぇ」
ここで初めて、アーカネラがいつもの調子で苦笑を漏らした。ディヴァンスの帰還というデリケートな状況の中にあって、相変わらずのムードメーカースタイルを崩さないジェレムスの存在は、今夜のこの席では非常に重要な役割を果たしているといえる。
少なくとも、シルヴィアとアーカネラ、そしてディヴァンスの三人だけで変な空気に染まることを考えれば、ジェレムスの明るさは本当に有り難かった。
「しっかしお嬢、あの白米酒はやっぱ最高だな」
「もしかして……全部空けちゃった?」
この時ばかりはシルヴィアも心底呆れた。ジェレムスを今宵の席に付き合わせる為にと、シャルガネ土産の白米酒と数種類のおつまみを賄賂代わりに手渡したシルヴィアだったが、まさかこの二時間程の間に全部呑み干してくるとは、流石に想定外だった。
●
まずは、景気づけの乾杯だ。
ジェレムスとアーカネラがそれぞれ持ち込んできた秘蔵のワインを、シルヴィアとメザレアが手際良くグラスに注いでゆく。
そういえばと、シルヴィアはディヴァンスのグラスに真紅の液体を注ぎながら、ふと思った。先生と一緒にお酒を呑むのは、これが初めてなんじゃないか、と。
しかしディヴァンスが下戸だという話は、聞いたことがない。かつて共に旅をした時、ディヴァンスはシャルガネ居住区で路銀を稼ぐ為にと賭場に出入りしていた。当然場の雰囲気から、酒の提供もあったろう。
ああいう場では、ひとりだけ素面でいるのは嫌われる。他の賭場客が酔っている中でひとりだけ素面でい続けると、イカサマでもやっているのではないかと疑われるからだ。
実際、ディヴァンスが結構な額の路銀を稼いで宿に帰ってきた時は、ほんのり顔色が朱に染まっていることが少なくなかったことを覚えている。
「さぁ……それじゃあ乾杯しましょうか」
自然と、現青薔薇マイスターのアーカネラが音頭を取った。諜報組織であると同時に、芸能集団でもある青薔薇のトップである以上、こういう酒宴の席に顔を出すことは少なくない。一種の場慣れというものだろう。
乾杯、と一同が声を揃える。それぞれがひと口ずつワインの香りや味を楽しみ、ほっとひと息入れた。但しジェレムスだけは一気呑みしてしまい、早々に二杯目をメザレアにせがんでいたのだが。
一方、シルヴィアとアーカネラはどうやってディヴァンスの言葉を導き出そうかと、少しばかり頭を悩ませていた。酒宴の席なのだから変に気を遣う必要も無い筈なのだが、ふたりしてディヴァンスから本音を聞き出そうと考えている以上、それなりの緊張はどうしても面に出てしまう。
逆にディヴァンスは、己がそういう目的で呼び出されたなどとは露とも知らず、供されたワインや小皿の一品を静かに口元へと運び、ただのひと言も喋らない。
メザレアとジェレムスのふたりは本当にただの酒の席という感じで明るくやっていたが、同じテーブルであるにも関わらず、シルヴィア、アーカネラ、ディヴァンスの側は妙に空気が重苦しかった。
「あ、そうだ、先生。夏のカフェメニューって、どんなのが思い浮かぶかな?」
シルヴィアが物凄くぎこちない調子で、あからさまに何とか話題を振りましたという空気感でディヴァンスに呼びかけた。しかしディヴァンスはシルヴィアの必死の努力も虚しく、
「すぐには思いつかない。持ち帰って検討させて欲しい」
などと、簡単にひっくり返してしまった。
ある程度予想してはいたが、ここまで手強いとは――シルヴィアは内心で頭を抱えた。
ならばと、今度はアーカネラが挑む番だ。ここは矢張り青薔薇のマイスターらしく、少しばかり仕事の話を絡めてゆけば突破口が開けるかもしれない。
という訳で、定例食事会でディヴァンスが口にした天陽道について、もう少し探りを入れるという体で話を持っていくことにした。
「それで、どういう経緯で天陽道の動きを掴むに至ったのかしら?」
「お茶屋の美鶴さんから、貴重な情報を得た。そこから糸口を掴んだのだ」
その瞬間、アーカネラの美貌が妙に険しい色へと変じた。
シルヴィアも、頭の中で疑問符が浮かんだ。
美鶴さん、とは一体誰のことなのか。シャルガネ風の名前だが、何となく女性的な響きを感じる。しかも、お茶屋ときたものだから、アーカネラの心中穏やかではなかっただろう。
「シルヴィアも、覚えているだろう。君があそこで、文字の手習いをした時に色々と教えてくれた遊女殿……今は芸妓の師匠として遊女達の指導に当たっている女性だ」
「ああ、あの綺麗なお姉さん……」
と、そこまで応じかけて、シルヴィアはしまった、と思わず口元を掌で押さえた。
アーカネラの知らない女性、しかも元遊女。
まさかこの場で、その様な存在が飛び出してくるとは。
流石に想定外だった。
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少し、外の空気に当たってくる。
そう短くいい置いて、アーカネラは花屋敷カフェのテラスへと飛び出していってしまった。
シルヴィアは思わず天を仰いだ。まさかこんな展開になるとは、思っても見なかったからだ。
「アーカネラは、気分でも悪いのか?」
「えぇと、先生……そういうことじゃなくて」
余りの鈍感さにどう答えるべきかと悩んだシルヴィアだが、しかしこれがディヴァンスの生来の性格なのだと思い直すと、何故か内心でほっと胸を撫で下ろす自分が居た。
先程までの緊張感が、何だか馬鹿馬鹿しく思えてきた。シルヴィアは、共にロスガリア大陸を旅した時の感覚が蘇ってきて、以前の様に接することが出来る様になっていた。
「あのね先生……その美鶴さんとは、どんな関係だったの? そのぅ、何ていうのかなぁ……男女の恋仲とか、そういう関係?」
「まさか、とんでもない。彼女は余り大きな声ではいえないが、シノビのひとりだ。仕事仲間として尊敬すべき人物だ」
やっぱり、そういうことか――シルヴィアはディヴァンスが、以前の誠実さをそのまま残していることに心底安心すると同時に、その朴念仁ぶりに呆れる思いでもあった。
「ちょっとアーカネラの様子、見てくるね」
シルヴィアも花屋敷カフェのテラスに出て、木柵に身を預けて漆黒の闇の向こうをじっと見据えているアーカネラの隣りに立った。
「大丈夫だよ、アーカネラ。先生は、その、美鶴さんと変な関係じゃないって……」
「それは……私も分かってるわよ」
意外な言葉が、アーカネラから返ってきた。では何故、急に飛び出していったのか。シルヴィアはアーカネラの端正な面を横から覗き込んだ。
アーカネラは自分が情けなくて、いたたまれなかったと苦笑を返す。
「ディヴァンスは、そんなひとじゃない……分かってる筈なのに、それを疑う自分が居て、それが情けなくて……」
ディヴァンスは誰よりも愛情深いひとだ、とアーカネラはいう。今は亡き友人アルヴィンへの想い、大切な教え子シルヴィアへの想い――本来他人が苦手な筈なのに、その癖、ひとを嫌いになれない。不器用で、それでいてある面では誰よりも誠実な姿は、今も昔も変わらない。
そんなディヴァンスのことが誰よりも大事なのだと、アーカネラは静かに語った。
(やっぱりこのふたりは、一緒になって、幸せになるべきだよ)
自分のことはさておき、シルヴィアはアーカネラとディヴァンスは本当にお似合いで、何としてでも一緒になって欲しいと心から思った。
アーカネラは、シルヴィアにとってはいわば頼れる姉の様な存在だ。そんなアーカネラが己の想いを封じ込めて苦しむ姿など見たくはない。
そしてシルヴィアは同時に、ディヴァンスもアーカネラを憎からず想っている筈だと直感していた。
すると、そこへディヴァンスが姿を見せた。シルヴィアも一緒になって出ていったまま戻ってこないから、少し心配になったのだという。
「じゃあ、私は先に戻るね」
ここが正念場だと、シルヴィアはふたりの為の時間を作ることにした。
●
シルヴィアが室内に戻り、ふたりきりとなった闇の中のテラス。
アーカネラは思い切って訊くことにした。
「ねぇディヴァンス……あの手紙に書いてあった最後の言葉、あれってどういう意味?」
「最後の言葉?」
ディヴァンスは怪訝そうに小首を傾げる。もう、本当に男って鈍感ねと呆れた様に吐き出しながら、アーカネラは更に言葉を続けた。
「こう書いてあったじゃない。アーカネラ、お前こそが私の本当の祝福だった、って」
そこまでいわれて、ディヴァンスも漸く理解した。
そして、そんなことは説明するまでもないといわんばかりの調子で答える。
「言葉通りの意味だ。お前は私にとって祝福だった」
「祝福って、そもそも何なの?」
ディヴァンスは、アーカネラの問いかけの真意を測りかねている様子ではあったが、しかし明確な意味が籠もっていることは間違い無い様だ。アーカネラとしては、その意味を本人の口から聞きたかった。
「いい換えれば、幸福だ」
「でも、何で過去形なの?」
これにはディヴァンスも答えに窮した。いって良いのかどうか、迷っている様子だ。そんなふたりのやり取りを暗がりでじっと見守っていたシルヴィアは、もうひと息だと心の中でハラハラしている。
しばらく逡巡する表情を見せたディヴァンスだが、やがて意を決した様にアーカネラを正面から見据えた。
「お前と一緒に居られなくなったからだ。私はシルヴィアをかつての友と取り違える過ちを犯した。そんな私には幸福を得る資格は無い、と」
だが、こうして帰ってきた。
天陽道の魔の手から、愛する者達を守る為に。
「それじゃあ……もう一度、幸福を得ることに挑戦してみる気は、ある?」
即ち、アーカネラという伴侶を手に入れる意思はあるか、と訊いている訳だ。思い切ったひと言だ。これはいい方を変えれば、アーカネラからの逆プロポーズともいえる。
シルヴィアは喉がからからになりながらも、事の成り行きから目が離せない。
そしてディヴァンスは、もし許されるのなら、と低く応じた。
アーカネラはさっと踵を返し、ディヴァンスから顔を背けた。涙が溢れるのを、見られたくなかった。ディヴァンスは変に直球型のタイプだから、自分がアーカネラを悲しませたと勘違いする恐れがあった。
だが実際は、逆だ。
アーカネラは嬉しかった。何よりも嬉しかった。
ディヴァンス自身の口から、アーカネラという幸福を得たいと正直に話してくれた。今はもう、それだけで十分だった。
シルヴィアは安堵の気持ち一杯で、全身から力が抜けそうになったが、それでも頑張って室内に戻った。
ジェレムスはすっかり出来上がり、気分良さげにもう何杯目かになるワインを豪快にあおっていた。
「あら……あのふたりは、まだテラスに?」
メザレアもジェレムスのペースに付き合い過ぎた所為か、かなり酔いが廻っている様子。それでもテラスに出たままのふたりを案ずる辺り、案外アルコールには強い方なのかも知れない。
「ね……シルヴィアにも好きなひと、居るの?」
「全く、何を藪から棒に……」
シルヴィアはしかし、怒る気にもなれなかった。
たった今、敬愛する師と頼れる姉のふたりが、本当の意味で結ばれる瞬間を見届けてきたからだ。その幸福感から来る余韻は今尚、シルヴィアの中で静かに響き渡っている。
「さ、呑もう。朝まで付き合って貰うよ」
「良いけど、カフェメニューも忘れないでね」
ふにゃふにゃと笑うメザレアに、シルヴィアは任せてと胸を張った。