ローザリカ・L・ディオールの紋章に関わるお話
キャラクターノベル制作 紀藤トキ納品 2022年06月16日 08時50分34秒
●学園でのお話
紋章はその家の顔であり、また歴史でもある。紋章を学ぶことは即ち王国の歴史を学ぶこと――、と老講師は言っていたが、紋章官に就職するような学生がそれほどいる訳ではない。受講生たちが覚えたいのは過去の歴史では無く、現在使われている生きた紋章である。というわけで、学問としての紋章学とは別に、紋章の暗記術のような物もまた貴族子女には需要があった。
「紋章を覚えるコツ? 人とセットで覚える事だね。特に、当主や嫡子は文字通り家の顔だ。紋章が家の顔だっていうなら似ている筈だろう?」
学友に判ったような顔でそう指導するローザリカ・L・ディオールだが、実の所は父親の受け売りだ。幼少期、父の部屋のタペストリーに描かれた家紋の解説を、膝の上で聞いた事を思い出しつつ、ローザリカは愛用の扇の要の部分にある飾り彫りを、相手から良く見える様に卓上に置いた。
「例えば、僕の個人紋章はこれだ。枠が四角なのは伯爵家だからで、形は子爵と同じだね。枠飾りの蔦が、四つの角から伸びて絡んでいるのは、真ん中で手を結んでいるように見えないかい? これはディオールが友を大事にする意志を示している物だ」
一度友と見定めたら手放さない強欲さも表しているのかもしれないが、それは言わぬが花だろう。ついで、細い指先を飾りの上半分へと滑らせる。
「ここにあるのは、同じようにディオールが重んじている物。天秤はすぐわかるように描かれているだろう? 他に、よく見るとペンと車輪が入っているんだ」
天秤は傘下商会の名にもなっている正当な取引を、ペンは信義を、車輪は交易に流す汗を示していると父は語っていた。飾り模様や背景にあしらわれたペンや車輪は言われなければ分からないかもしれない。取引はあくまで公正に、しかし信頼は言葉に出す物ではなく労苦もまた同じ。『それは自分達だけが分かっていればいい事なのだ』と記憶の中の声が語る。
「そして、下にあるのが僕個人の紋章だよ。名前の通り、薔薇の花さ」
薔薇は贈り物などでも良く用いられ、色や本数にも様々な寓意がある。とはいえ、彼女の紋章に込められたのは単純な意味合いだ。家族が願う、ローザリカの姿でもある。気高く美しく、そして甘やかなだけではなく鋭い棘も持つ貴族女性として鮮やかに咲いて欲しいという両親や兄の願い。少々照れ臭くもあるが、誇らしくも思うと友人へ語るローザリカの表情は晴れやかであった。
●実家でのお話
「結婚すれば、お前はあちらの女主人になるからね。それ用の紋を作って貰わねばならないな。あちらの家紋はお前の薔薇と合わせるには地味にすぎる気もするけれど……」
兄、ヴィルジールは機嫌が悪い。家族で無いと分からない程度に、眉間に皺が寄っていた。ローザリカは余計な差し出口を挟まず、この兄が何を言わんとしているのかを読み取ろうと思考を凝らす。
「……そうだ。いい事を思いついたよ。可愛いローザリカ」
いい事、と言われて、ローザリカは背筋に寒気が走った。妹に対しては愛の深い、深すぎる兄だがディオールの次期当主としては冷酷、辣腕で知られる男だ。どうも、兄と父は結婚に思う所があるように見える。言葉の上では祝福してくれているのだが、時に刺すような目で彼を睨んでいたり、向こうの内情を調べるような真似もしているようだ。元々女系で辿れば近い親戚であり、忌むべき縁談では無い。最初に婚約した時には心から祝福してくれていたのに、今はなぜか不安になる。
「あの、良い事、とは。何か、先方に迷惑になる様な、事ではなければ。もちろん」
兄に同意以外の言葉を返すのは、勇気を振り絞らなければ難しかった。いつも彼は正しい。ローザリカが何かを聞くと、兄は分かりの悪い妹へ笑みを浮かべ、首を振るのだ。
「ああ。そうではないよ、ローザリカ」
また間違ってしまった。申し訳ない、と身が縮むようになったのは学園に通いはじめた頃からだろうか。家の外で活動する時間が増えるにつれ、兄のその言葉を聴く事も増えた。
「お前を任せても、彼ならば悪くはない。そう思っているのは今も変わらない。ただね……、この素敵な、お前の為の紋章が使われなくなると寂しい、と思ってね」
「は、はい。私も、この紋章は好きです」
頷く妹に、兄は目を細めて笑う。
「だから、良い事を考えたと言ったんだよ。他所に向けては女主人としてふるまわないといけないにせよ、兄に対しては妹であって良いだろう? だから、兄妹の話がしたい時には今の紋を使うと良い。私もお前が心配だからね、季節の折々にでも近況を送って欲しいと思うのだよ」
それは、嫁ぎ先の妻ではなくディオールの娘として書簡を送れ、ということか。昔であれば帝国に嫁ぐ令嬢はそういった覚悟もしていただろう。しかし、国内ですら妻が夫と実家の間で板挟みになるのが貴族の婚姻だとしたら。ローザリカは暗澹たる思いで兄の執務室を後にした。
紋章はその家の顔であり、また歴史でもある。紋章を学ぶことは即ち王国の歴史を学ぶこと――、と老講師は言っていたが、紋章官に就職するような学生がそれほどいる訳ではない。受講生たちが覚えたいのは過去の歴史では無く、現在使われている生きた紋章である。というわけで、学問としての紋章学とは別に、紋章の暗記術のような物もまた貴族子女には需要があった。
「紋章を覚えるコツ? 人とセットで覚える事だね。特に、当主や嫡子は文字通り家の顔だ。紋章が家の顔だっていうなら似ている筈だろう?」
学友に判ったような顔でそう指導するローザリカ・L・ディオールだが、実の所は父親の受け売りだ。幼少期、父の部屋のタペストリーに描かれた家紋の解説を、膝の上で聞いた事を思い出しつつ、ローザリカは愛用の扇の要の部分にある飾り彫りを、相手から良く見える様に卓上に置いた。
「例えば、僕の個人紋章はこれだ。枠が四角なのは伯爵家だからで、形は子爵と同じだね。枠飾りの蔦が、四つの角から伸びて絡んでいるのは、真ん中で手を結んでいるように見えないかい? これはディオールが友を大事にする意志を示している物だ」
一度友と見定めたら手放さない強欲さも表しているのかもしれないが、それは言わぬが花だろう。ついで、細い指先を飾りの上半分へと滑らせる。
「ここにあるのは、同じようにディオールが重んじている物。天秤はすぐわかるように描かれているだろう? 他に、よく見るとペンと車輪が入っているんだ」
天秤は傘下商会の名にもなっている正当な取引を、ペンは信義を、車輪は交易に流す汗を示していると父は語っていた。飾り模様や背景にあしらわれたペンや車輪は言われなければ分からないかもしれない。取引はあくまで公正に、しかし信頼は言葉に出す物ではなく労苦もまた同じ。『それは自分達だけが分かっていればいい事なのだ』と記憶の中の声が語る。
「そして、下にあるのが僕個人の紋章だよ。名前の通り、薔薇の花さ」
薔薇は贈り物などでも良く用いられ、色や本数にも様々な寓意がある。とはいえ、彼女の紋章に込められたのは単純な意味合いだ。家族が願う、ローザリカの姿でもある。気高く美しく、そして甘やかなだけではなく鋭い棘も持つ貴族女性として鮮やかに咲いて欲しいという両親や兄の願い。少々照れ臭くもあるが、誇らしくも思うと友人へ語るローザリカの表情は晴れやかであった。
●実家でのお話
「結婚すれば、お前はあちらの女主人になるからね。それ用の紋を作って貰わねばならないな。あちらの家紋はお前の薔薇と合わせるには地味にすぎる気もするけれど……」
兄、ヴィルジールは機嫌が悪い。家族で無いと分からない程度に、眉間に皺が寄っていた。ローザリカは余計な差し出口を挟まず、この兄が何を言わんとしているのかを読み取ろうと思考を凝らす。
「……そうだ。いい事を思いついたよ。可愛いローザリカ」
いい事、と言われて、ローザリカは背筋に寒気が走った。妹に対しては愛の深い、深すぎる兄だがディオールの次期当主としては冷酷、辣腕で知られる男だ。どうも、兄と父は結婚に思う所があるように見える。言葉の上では祝福してくれているのだが、時に刺すような目で彼を睨んでいたり、向こうの内情を調べるような真似もしているようだ。元々女系で辿れば近い親戚であり、忌むべき縁談では無い。最初に婚約した時には心から祝福してくれていたのに、今はなぜか不安になる。
「あの、良い事、とは。何か、先方に迷惑になる様な、事ではなければ。もちろん」
兄に同意以外の言葉を返すのは、勇気を振り絞らなければ難しかった。いつも彼は正しい。ローザリカが何かを聞くと、兄は分かりの悪い妹へ笑みを浮かべ、首を振るのだ。
「ああ。そうではないよ、ローザリカ」
また間違ってしまった。申し訳ない、と身が縮むようになったのは学園に通いはじめた頃からだろうか。家の外で活動する時間が増えるにつれ、兄のその言葉を聴く事も増えた。
「お前を任せても、彼ならば悪くはない。そう思っているのは今も変わらない。ただね……、この素敵な、お前の為の紋章が使われなくなると寂しい、と思ってね」
「は、はい。私も、この紋章は好きです」
頷く妹に、兄は目を細めて笑う。
「だから、良い事を考えたと言ったんだよ。他所に向けては女主人としてふるまわないといけないにせよ、兄に対しては妹であって良いだろう? だから、兄妹の話がしたい時には今の紋を使うと良い。私もお前が心配だからね、季節の折々にでも近況を送って欲しいと思うのだよ」
それは、嫁ぎ先の妻ではなくディオールの娘として書簡を送れ、ということか。昔であれば帝国に嫁ぐ令嬢はそういった覚悟もしていただろう。しかし、国内ですら妻が夫と実家の間で板挟みになるのが貴族の婚姻だとしたら。ローザリカは暗澹たる思いで兄の執務室を後にした。