RAYNOLA!! ~Ennoblement~
キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2022年06月09日 16時36分58秒
●1222. ‐Winter-
その年は、激動の一年と言って良かった。思い返したならば最初からそうだったとすら言える。
1222年。帝都崩壊より先、混迷が続くロスガリア大陸の余波は良くも悪くも個人の人生すら左右する。
年が明けてすぐのこと。エルゼリオ・レイノーラは冒険者ギルドより一通の手紙を受け取っていた。
家の都合で帰郷を求められる事は珍しくも無いが、急ぎの事情でも発生したのだろうかと道中急ぐ最中。
当のレイノーラ邸はと言えば、当主ハスラム・レイノーラが叙爵の栄に預かる事が本決まりとなり。
今まさに、上に下にの大騒ぎの只中にあったことなど、勿論当事者の一端を担うエルゼリオには知る由もない。
●奇貨居くべし
そもそも、何故これまで三十余年に渡り王家の私兵同然の扱いを受けていたレイノーラが“今更”に。
叙爵対象として名が挙がったのかと言えば、発端は王党派筆頭、白き公爵家の一言に端を発するのだと言う。
それがどういった物であったのかは不明ながら、あれよあれよと話は王家へと上がり。
結果鶴の一言同然に叙爵の運びへと繋がると、ここぞとばかりに黒の公爵家より物言いが挟まった。
勿論叙爵は原則的に王家の権利であり、如何な『竜』と言えど其処に真っ向から対立を表明したりはしない。
あくまで形式的な物であれ――――其処は“はいそうですか”と『白』の思う通りに政を運ばせては。
貴族派筆頭の沽券に関わる。少なくとも、そう侮る者が出得ることが『王国』にとってマイナスであることは疑いない。
つまり物言いなどと言った所でその実、精々が儀礼でありささやかな嫌がらせである訳だが。
閑話休題。即ち白き公爵家に曰く――――
"黒騎卿には実績があり、領民からも慕われている。此度の叙爵は適切な物であろう"
他方。黒き公爵家に曰く――――
“幾ら武威に優れども戦狂いに叙爵とは、青き血も随分と安んじられた物よ。耄碌したな白き薔薇”
――――白。
“簾の内側に座り過ぎ物事の本質が見えなくなっておるのではないか、黒き竜よ”
――――黒。
“物事の本質? 宣うのは先ず後継者すら決まらぬ己の家の惨状を直視してからにするが良い白薔薇の”
――――その様な経緯は露と知らない筈にも関わらず、叙爵について説明が有ると態々王城へ呼び出しを受けた同家当主。
ハスラムは速やかに逃走。名代として登城することになったのが『氷の貴公子』シグルド・レイノーラである。
シグルドは間髪入れず、事前に調査を終えていた良く効くと言う最新鋭の胃薬を同盟から取り寄せるに至るも。
待ち受けていたのは一匙程の失礼でもあれば即死を意味する、二大公爵家領主の代理人であった。
彼らは実に三十通にも及ぶ叙爵へ至る審議の様を備に読み上げ。それら針の筵に左右を固められたシグルドの心労は。
波乱が続く現行王国貴族の中に在ってすら、一時的にぶっちぎりのストップ高を記録したに違いない。
――――
「なんでこんなに時間かかったんだ?」
「何故だろうな」
唯人は意外と丈夫に出来ている。その事実を大いに噛み締めながらレイノーラ本邸へ戻ったシグルドは。
普段から利用している書類の束が積み上げられた机で漸く安堵の呼気を漏らした。
一見だけしたなら涼麗な、と評せる柳眉を寄せ首を傾げる『迅雷帝』オリガロッドの疑問は当然と言えば当然なのだが。
死線など幾らも潜ったシグルドに在って、此度の圧は屈指と言える程だ。何故、とは此方が聞きたい。
「ともあれ――――これで叙爵はほぼ決まったと言って良いだろう」
後はハスラム当人が王より男爵勲を賜れば晴れて“書類上”でも“実質上”でも、男爵位を名乗って問題無くなる訳だ。
『王国』の貴族階級は土地に紐づいている訳ではない為、爵位自体は功が積みあがれば与えられることもある。
しかし、爵を得るとは政と無縁でいられないということを意味し、例え無縁で居たくとも周囲はそう捉えてはくれない。
これまでに倍して書類仕事が増える。年毎の王城への報告にも時間を割かねばならない。
(……が、問題はむしろその後か)
いずれ解決せねばならない課題ではあった訳だが、男爵位叙爵の話が出た際ハスラムが二つ返事で応じた為。
全く手付かずのまま進行してしまっている喫急の問題が脳裏を過ぎり、氷の貴公子が思わずと眉間を指先で揉む。
考え得る限り最大の難関は――――“王国社交界”への参加権が発生する。という部分だ。
あくまで権利、と銘打たれてはいるものの、これは半ば以上貴族としての義務と言い換えて差し支えない。
社交界における立ち回りは文字通りその家の立場の明確化、と言う意味で極めて大きな意味を持つ。
国家安寧の為、表明せずとも『王党派』であることが慣例的に黙認されている『辺境伯家』まで行けばともかくも。
末端の下位貴族にとって“如何に早く自らの寄る辺を見つけるか”は何の誇張でも無く家の存続に直結する。
貴族派と王党派の確執が表出しがちな昨今。新興の家が参入したとなれば興味本位で夜会への招待の幾つかは必ず届くだろう。
そして勿論、招かれた社交の場で失態を犯すと言う事は、貴族が殊更に重視する“名誉に泥を塗る”行為だ。
「……オリガロッド。お前、礼儀作法は問題ないか?」
「通り一辺倒は、とりあえず」
臆面も無く言ってのける妹に、“これはまだ弟の方が芽があるな”と遠くを見つめるシグルド。
幸いと言うべきか、様々な貴族に幾らかの恩を売って来たレイノーラには義理で動いてくれるだろう味方も少なくはない。
(念の為、手は打っておくか……)
父や、弟が時折発揮する直感などではなく、厳然たる“経験則”で以て、氷の貴公子は机より何通かの便箋を取り出す。
どうせあの父は、これまで通りを貫くのだろう。元より小器用な生き様など期待しても仕方がない。
そういった、一家が歩む道を舗装するのはいつでもシグルドの役割だった――――何処か釈然としない部分も、無いではないが。
●進歩に退歩を忘れず
さて、そうして叙爵が果たされ幾許かの月日が過ぎた。その間レイノーラの一党は複数の出征を繰り返し。
けれどその事後処理に国から求められる書類が倍加した事で文官達の休息時間は風前の灯火となった。
「ただいまー……って、あれ? シグルド兄は?」
「閣下は……その、執務が溜まっておりまして」
「え、あのシグルド兄が……ってミライアさん、ちょ、大丈夫!? ちゃんと寝てる……!?」
「秘書官である私が、閣下よりも長く休む訳には……!」
「それ絶対シグルド兄に休めって命令されても休んでない奴でしょもーうっ!!」
春の末、家に戻ったエルゼリオが目の当たりにしたものは執務室に積まれた大量の綿紙である。
実の所、かつて王家の私兵扱いで転戦していた頃のレイノーラの内部で飛び交っていた事務書類はあくまで。
“自家の状態”を把握する為の物に過ぎず、それらを最終的に纏めた物を王城に提出こそしていたものの。
当然ではあるが王家は高々一騎士の家の経済状態など逐一審査などしない。国政は流石にそこまで暇でもないのである。
しかし、貴族となれば話は変わる。レイノーラは少数精鋭に手勢を抑える事によって支出を抑えてこそいるが。
とはいえ“戦”となれば其処には膨大と言って良い消費が発生する。いわゆる兵站である。
そして王家の私兵と言う立場を外れた以上、“貴族が了承した出征費用は同家内から捻出せねばならない”
出征許可は“王命”とはわけが違う。冒険者ギルドの如く、その財政まで担保してくれる訳ではないのだ。
となれば領地を持たない男爵家であるレイノーラは如何にこれまで通りを維持するかで頭を悩ませる必要がある。
領地持ちの貴族の大半が領民からの税収で自家の安寧を賄っている事を考えれば、これが如何に困難かは言うまでもない。
結果、消費を極力抑え出征費用を捻出する為に――――資産運用は、最早どう足掻こうが避け得ない必須事項。
常駐兵を食わせるだけでも自動的に費用が発生する彼らにとって、貴族となるリスクは小さくない。
「ええ……と、それで、シグルド兄はそれ、どうやって解消してるの?」
ミライアより大雑把に説明を受けたエルゼリオは、思い掛けない自らの家の窮状に思わず声が震える。
父上はどう考えてるんだろう……と一瞬脳裏を過ぎるも。多分、恐らく何も考えていないだろうことは確信出来る。
戦いと関係の無い部分では“シグルドに任せておけば何かこう良い様にしてくれるだろう”位の大雑把さで行動する。
それがハスラムであり、その結果四苦八苦する羽目に陥るのがあの長兄である事は今更確認の必要すらなかった。
「いやあ、良い話を聞かせて頂きました。是非ともまたご贔屓に」
そんな話をしていると、屋敷の談話室の扉が開き出てきたのは如何にも恰幅の良い雪だるまの様な体格の中年男性。
煌びやかな、良く言えば豪奢。悪く言えば成金趣味の服装に、エルゼリオは相手が“商人”であると直感する。
「お客様! 玄関前に馬車をお呼びしておきました!」
「おお、ありがとうミライア嬢。ではシグルド殿にも宜しく言っておいてくれたまえ」
鷹揚に頷きながら立ち去る商人に、思わず反射で身を隠してしまったエルゼリオが視線をミライアへ向けると。
視界の端で、同じ部屋から割と明らかに顔色が白いシグルドが出ていこうとする姿が見えた。
つまり、シグルドが直接件の“商人”と対話していたと言う事で。おまけにエルゼリオにはまるで見覚えが無い。
思わず困ったような笑いを浮かべたミライアと視線が合致する。何だか知らない間にとんでもないことになってない……?
――――と、暫し家を留守にしていた彼が底知れぬ不安を憶えたとして。果たして誰が咎められよう。
●先んずれば人を制す
「……損益分岐点は超えた。どうにか乗り切った……か」
「し、シグルド兄、大丈夫……なの?」
「ああ、エルゼリオ、帰っていた――――のか」
執務室で帳簿と向き合い独り言を呟くシグルドには鬼気迫る物があった。
おずおずと声をかけた弟に漸く気付き視線を上げると、その勢いで椅子ごと倒れそうになり慌てて体勢を立て直す。
その一連の動きを見るに、これはいよいよ只事ではないぞと言う印象を強めるが。
そのまま席を立ったシグルドは大きく息を吐くと、手にしていた帳簿を机の上に押し出す。
「そうだな、ミライアとオリガロッドには軽く話したが、こういった事はあの父よりお前に伝えておいた方が良いだろう」
「な………………何……?」
「試しに読んでみろ。その方が話が早い」
嫌な、予感がした。短くとも濃密な冒険者生活で、エルゼリオのこうした直感は以前より遥かに研ぎ澄まされている。
確信があった。以前と大して何も変わり無いと思っていた故郷の水面下で、何かが起きている。何かとてつもない変化が。
押し出された帳簿を恐る恐る受け取り、その予想以上の厚みと重さに心の何処かで警鐘が鳴り響く。
それを見てはいけない。読み進めたならば戻れなくなる――――けれど、エルゼリオは意を決して視線を向ける。
これが、家族を護る事なのであれば。土台いずれにせよ、見て見ない振りは出来ない。いや、したくない――――と。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええ」
悲鳴が上がった。覚悟など無意味。深淵を覗き込む者の無謀を嘲笑うが如き悪魔の帳簿が其処に存在していた。
プラスにせよマイナスにせよ0が沢山ついた凄い枚数の金貨が紙面上で踊る。貴族になる前であれば有り得ない事だ。
笑い話でも何でもなく適当な一行を抜き出すだけで人1人の人生が吹き飛んでしまう。それは何かの取引の記録だ。
並ぶ名前には王国各所に居を構えるそれなり以上の規模の商会の名前がずらりと並ぶ。
「分かってくれたか、エルゼリオ」
「……いや、全然分からない。え、なにこれ恐。シグルド兄、何処からこんなお金」
「正当な取引だ。最初は相場が分からず少しばかり手間取ったが、これで目下半年は安泰だろう」
半年……冒険者などやっていると武器や防具の鍛冶手入れ、ギルドからの技術教練などで湯水のようにお金が飛ぶが。
エルゼリオが冒険者になって以来費やした総額を計算したとしてフィルエスの小枝にすら程遠い。
それだけの額が半年で消える。ハスラムが以前口にしていた“縁を結ぶ為出征を繰り返す”と言う政治戦略を。
どうして他の領主は一切選択しないのか、嫌が応にも思い知らされる。つまり、金銭効率が極めて悪いのだ。
「え、待って。これ、何か……を売ってるんだよね? ……でも、うちに売れる物なんて」
将来的にはともかくも。今現在、レイノーラは領地を持たない弱小貴族である。
領地持ちであれば特産品などあるだろうし、商会を支援し仲介料を受け取っている場合もあると聞く。
けれど彼らが持っているのは精々が戦力であり、実質どうであるかはともかくとして。
金銭供与を受けて戦力を出す。などと言う傭兵紛いの行為が仮にも貴族に認められる訳も無い。
うーんうーんと頭を抱えるエルゼリオを一通り見遣ったシグルドは。僅かに笑みを滲ませ帳簿の一行を指さす。
そこに記されていたのは新年早々に出征した砂漠を領地に持つ貴族のお抱え商会の名。で、あるならば――――
「……“情報”」
「そうだ。レイノーラは出征の都合上、蛮族や反社会組織の現在情報を一早く掴む。
商人達にとって安全な行路は死活問題だ。自身と従業員の命が代価に乗るとなればその分が値段に反映される」
思わず、ぽかんと口を開けてしまう。確かにそれなら、莫大な額が動いてもおかしくはない。
何せ真偽も定かではない情報屋からの密告とは訳が違う。正に戦っていた人間からの生の情報だ。
商機を一瞬たりと逃したくはない中堅商会であれば喉から手が出る程欲しい筈。
そこまで理解して、けれどふと疑問が落ちる。であればこの相互に発生しているやはり莫大なマイナスは何だろう。
エルゼリオが浮かべた怪訝の色に気付いたか。シグルドがその一行を視線で辿り大きく頷いた。
「兵站の購入費用だな」
「それ下取り購入じゃないか――――――!!!」
そりゃあお金に厳しい商会が莫大な金額を出す訳だよ!! というエルゼリオの至極真っ当な突っ込みが響き渡る。
とはいえそれで遠征資金の中核を償却しているのだから、シグルドの手腕は確かであると言わざるを得ない。
今後について真剣に憂慮する兄弟の対話は、そうしてハスラムが“次の遠征先が決まったぞ……!”と言いに来るまで続き。
その言葉を聞いてゆるやかに机に突っ伏した『氷の貴公子』を前に――――
事務員増やさないとなあ、と……ハスラムとエルゼリオは揃って小さく呟いたのだという。
その年は、激動の一年と言って良かった。思い返したならば最初からそうだったとすら言える。
1222年。帝都崩壊より先、混迷が続くロスガリア大陸の余波は良くも悪くも個人の人生すら左右する。
年が明けてすぐのこと。エルゼリオ・レイノーラは冒険者ギルドより一通の手紙を受け取っていた。
家の都合で帰郷を求められる事は珍しくも無いが、急ぎの事情でも発生したのだろうかと道中急ぐ最中。
当のレイノーラ邸はと言えば、当主ハスラム・レイノーラが叙爵の栄に預かる事が本決まりとなり。
今まさに、上に下にの大騒ぎの只中にあったことなど、勿論当事者の一端を担うエルゼリオには知る由もない。
●奇貨居くべし
そもそも、何故これまで三十余年に渡り王家の私兵同然の扱いを受けていたレイノーラが“今更”に。
叙爵対象として名が挙がったのかと言えば、発端は王党派筆頭、白き公爵家の一言に端を発するのだと言う。
それがどういった物であったのかは不明ながら、あれよあれよと話は王家へと上がり。
結果鶴の一言同然に叙爵の運びへと繋がると、ここぞとばかりに黒の公爵家より物言いが挟まった。
勿論叙爵は原則的に王家の権利であり、如何な『竜』と言えど其処に真っ向から対立を表明したりはしない。
あくまで形式的な物であれ――――其処は“はいそうですか”と『白』の思う通りに政を運ばせては。
貴族派筆頭の沽券に関わる。少なくとも、そう侮る者が出得ることが『王国』にとってマイナスであることは疑いない。
つまり物言いなどと言った所でその実、精々が儀礼でありささやかな嫌がらせである訳だが。
閑話休題。即ち白き公爵家に曰く――――
"黒騎卿には実績があり、領民からも慕われている。此度の叙爵は適切な物であろう"
他方。黒き公爵家に曰く――――
“幾ら武威に優れども戦狂いに叙爵とは、青き血も随分と安んじられた物よ。耄碌したな白き薔薇”
――――白。
“簾の内側に座り過ぎ物事の本質が見えなくなっておるのではないか、黒き竜よ”
――――黒。
“物事の本質? 宣うのは先ず後継者すら決まらぬ己の家の惨状を直視してからにするが良い白薔薇の”
――――その様な経緯は露と知らない筈にも関わらず、叙爵について説明が有ると態々王城へ呼び出しを受けた同家当主。
ハスラムは速やかに逃走。名代として登城することになったのが『氷の貴公子』シグルド・レイノーラである。
シグルドは間髪入れず、事前に調査を終えていた良く効くと言う最新鋭の胃薬を同盟から取り寄せるに至るも。
待ち受けていたのは一匙程の失礼でもあれば即死を意味する、二大公爵家領主の代理人であった。
彼らは実に三十通にも及ぶ叙爵へ至る審議の様を備に読み上げ。それら針の筵に左右を固められたシグルドの心労は。
波乱が続く現行王国貴族の中に在ってすら、一時的にぶっちぎりのストップ高を記録したに違いない。
――――
「なんでこんなに時間かかったんだ?」
「何故だろうな」
唯人は意外と丈夫に出来ている。その事実を大いに噛み締めながらレイノーラ本邸へ戻ったシグルドは。
普段から利用している書類の束が積み上げられた机で漸く安堵の呼気を漏らした。
一見だけしたなら涼麗な、と評せる柳眉を寄せ首を傾げる『迅雷帝』オリガロッドの疑問は当然と言えば当然なのだが。
死線など幾らも潜ったシグルドに在って、此度の圧は屈指と言える程だ。何故、とは此方が聞きたい。
「ともあれ――――これで叙爵はほぼ決まったと言って良いだろう」
後はハスラム当人が王より男爵勲を賜れば晴れて“書類上”でも“実質上”でも、男爵位を名乗って問題無くなる訳だ。
『王国』の貴族階級は土地に紐づいている訳ではない為、爵位自体は功が積みあがれば与えられることもある。
しかし、爵を得るとは政と無縁でいられないということを意味し、例え無縁で居たくとも周囲はそう捉えてはくれない。
これまでに倍して書類仕事が増える。年毎の王城への報告にも時間を割かねばならない。
(……が、問題はむしろその後か)
いずれ解決せねばならない課題ではあった訳だが、男爵位叙爵の話が出た際ハスラムが二つ返事で応じた為。
全く手付かずのまま進行してしまっている喫急の問題が脳裏を過ぎり、氷の貴公子が思わずと眉間を指先で揉む。
考え得る限り最大の難関は――――“王国社交界”への参加権が発生する。という部分だ。
あくまで権利、と銘打たれてはいるものの、これは半ば以上貴族としての義務と言い換えて差し支えない。
社交界における立ち回りは文字通りその家の立場の明確化、と言う意味で極めて大きな意味を持つ。
国家安寧の為、表明せずとも『王党派』であることが慣例的に黙認されている『辺境伯家』まで行けばともかくも。
末端の下位貴族にとって“如何に早く自らの寄る辺を見つけるか”は何の誇張でも無く家の存続に直結する。
貴族派と王党派の確執が表出しがちな昨今。新興の家が参入したとなれば興味本位で夜会への招待の幾つかは必ず届くだろう。
そして勿論、招かれた社交の場で失態を犯すと言う事は、貴族が殊更に重視する“名誉に泥を塗る”行為だ。
「……オリガロッド。お前、礼儀作法は問題ないか?」
「通り一辺倒は、とりあえず」
臆面も無く言ってのける妹に、“これはまだ弟の方が芽があるな”と遠くを見つめるシグルド。
幸いと言うべきか、様々な貴族に幾らかの恩を売って来たレイノーラには義理で動いてくれるだろう味方も少なくはない。
(念の為、手は打っておくか……)
父や、弟が時折発揮する直感などではなく、厳然たる“経験則”で以て、氷の貴公子は机より何通かの便箋を取り出す。
どうせあの父は、これまで通りを貫くのだろう。元より小器用な生き様など期待しても仕方がない。
そういった、一家が歩む道を舗装するのはいつでもシグルドの役割だった――――何処か釈然としない部分も、無いではないが。
●進歩に退歩を忘れず
さて、そうして叙爵が果たされ幾許かの月日が過ぎた。その間レイノーラの一党は複数の出征を繰り返し。
けれどその事後処理に国から求められる書類が倍加した事で文官達の休息時間は風前の灯火となった。
「ただいまー……って、あれ? シグルド兄は?」
「閣下は……その、執務が溜まっておりまして」
「え、あのシグルド兄が……ってミライアさん、ちょ、大丈夫!? ちゃんと寝てる……!?」
「秘書官である私が、閣下よりも長く休む訳には……!」
「それ絶対シグルド兄に休めって命令されても休んでない奴でしょもーうっ!!」
春の末、家に戻ったエルゼリオが目の当たりにしたものは執務室に積まれた大量の綿紙である。
実の所、かつて王家の私兵扱いで転戦していた頃のレイノーラの内部で飛び交っていた事務書類はあくまで。
“自家の状態”を把握する為の物に過ぎず、それらを最終的に纏めた物を王城に提出こそしていたものの。
当然ではあるが王家は高々一騎士の家の経済状態など逐一審査などしない。国政は流石にそこまで暇でもないのである。
しかし、貴族となれば話は変わる。レイノーラは少数精鋭に手勢を抑える事によって支出を抑えてこそいるが。
とはいえ“戦”となれば其処には膨大と言って良い消費が発生する。いわゆる兵站である。
そして王家の私兵と言う立場を外れた以上、“貴族が了承した出征費用は同家内から捻出せねばならない”
出征許可は“王命”とはわけが違う。冒険者ギルドの如く、その財政まで担保してくれる訳ではないのだ。
となれば領地を持たない男爵家であるレイノーラは如何にこれまで通りを維持するかで頭を悩ませる必要がある。
領地持ちの貴族の大半が領民からの税収で自家の安寧を賄っている事を考えれば、これが如何に困難かは言うまでもない。
結果、消費を極力抑え出征費用を捻出する為に――――資産運用は、最早どう足掻こうが避け得ない必須事項。
常駐兵を食わせるだけでも自動的に費用が発生する彼らにとって、貴族となるリスクは小さくない。
「ええ……と、それで、シグルド兄はそれ、どうやって解消してるの?」
ミライアより大雑把に説明を受けたエルゼリオは、思い掛けない自らの家の窮状に思わず声が震える。
父上はどう考えてるんだろう……と一瞬脳裏を過ぎるも。多分、恐らく何も考えていないだろうことは確信出来る。
戦いと関係の無い部分では“シグルドに任せておけば何かこう良い様にしてくれるだろう”位の大雑把さで行動する。
それがハスラムであり、その結果四苦八苦する羽目に陥るのがあの長兄である事は今更確認の必要すらなかった。
「いやあ、良い話を聞かせて頂きました。是非ともまたご贔屓に」
そんな話をしていると、屋敷の談話室の扉が開き出てきたのは如何にも恰幅の良い雪だるまの様な体格の中年男性。
煌びやかな、良く言えば豪奢。悪く言えば成金趣味の服装に、エルゼリオは相手が“商人”であると直感する。
「お客様! 玄関前に馬車をお呼びしておきました!」
「おお、ありがとうミライア嬢。ではシグルド殿にも宜しく言っておいてくれたまえ」
鷹揚に頷きながら立ち去る商人に、思わず反射で身を隠してしまったエルゼリオが視線をミライアへ向けると。
視界の端で、同じ部屋から割と明らかに顔色が白いシグルドが出ていこうとする姿が見えた。
つまり、シグルドが直接件の“商人”と対話していたと言う事で。おまけにエルゼリオにはまるで見覚えが無い。
思わず困ったような笑いを浮かべたミライアと視線が合致する。何だか知らない間にとんでもないことになってない……?
――――と、暫し家を留守にしていた彼が底知れぬ不安を憶えたとして。果たして誰が咎められよう。
●先んずれば人を制す
「……損益分岐点は超えた。どうにか乗り切った……か」
「し、シグルド兄、大丈夫……なの?」
「ああ、エルゼリオ、帰っていた――――のか」
執務室で帳簿と向き合い独り言を呟くシグルドには鬼気迫る物があった。
おずおずと声をかけた弟に漸く気付き視線を上げると、その勢いで椅子ごと倒れそうになり慌てて体勢を立て直す。
その一連の動きを見るに、これはいよいよ只事ではないぞと言う印象を強めるが。
そのまま席を立ったシグルドは大きく息を吐くと、手にしていた帳簿を机の上に押し出す。
「そうだな、ミライアとオリガロッドには軽く話したが、こういった事はあの父よりお前に伝えておいた方が良いだろう」
「な………………何……?」
「試しに読んでみろ。その方が話が早い」
嫌な、予感がした。短くとも濃密な冒険者生活で、エルゼリオのこうした直感は以前より遥かに研ぎ澄まされている。
確信があった。以前と大して何も変わり無いと思っていた故郷の水面下で、何かが起きている。何かとてつもない変化が。
押し出された帳簿を恐る恐る受け取り、その予想以上の厚みと重さに心の何処かで警鐘が鳴り響く。
それを見てはいけない。読み進めたならば戻れなくなる――――けれど、エルゼリオは意を決して視線を向ける。
これが、家族を護る事なのであれば。土台いずれにせよ、見て見ない振りは出来ない。いや、したくない――――と。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええ」
悲鳴が上がった。覚悟など無意味。深淵を覗き込む者の無謀を嘲笑うが如き悪魔の帳簿が其処に存在していた。
プラスにせよマイナスにせよ0が沢山ついた凄い枚数の金貨が紙面上で踊る。貴族になる前であれば有り得ない事だ。
笑い話でも何でもなく適当な一行を抜き出すだけで人1人の人生が吹き飛んでしまう。それは何かの取引の記録だ。
並ぶ名前には王国各所に居を構えるそれなり以上の規模の商会の名前がずらりと並ぶ。
「分かってくれたか、エルゼリオ」
「……いや、全然分からない。え、なにこれ恐。シグルド兄、何処からこんなお金」
「正当な取引だ。最初は相場が分からず少しばかり手間取ったが、これで目下半年は安泰だろう」
半年……冒険者などやっていると武器や防具の鍛冶手入れ、ギルドからの技術教練などで湯水のようにお金が飛ぶが。
エルゼリオが冒険者になって以来費やした総額を計算したとしてフィルエスの小枝にすら程遠い。
それだけの額が半年で消える。ハスラムが以前口にしていた“縁を結ぶ為出征を繰り返す”と言う政治戦略を。
どうして他の領主は一切選択しないのか、嫌が応にも思い知らされる。つまり、金銭効率が極めて悪いのだ。
「え、待って。これ、何か……を売ってるんだよね? ……でも、うちに売れる物なんて」
将来的にはともかくも。今現在、レイノーラは領地を持たない弱小貴族である。
領地持ちであれば特産品などあるだろうし、商会を支援し仲介料を受け取っている場合もあると聞く。
けれど彼らが持っているのは精々が戦力であり、実質どうであるかはともかくとして。
金銭供与を受けて戦力を出す。などと言う傭兵紛いの行為が仮にも貴族に認められる訳も無い。
うーんうーんと頭を抱えるエルゼリオを一通り見遣ったシグルドは。僅かに笑みを滲ませ帳簿の一行を指さす。
そこに記されていたのは新年早々に出征した砂漠を領地に持つ貴族のお抱え商会の名。で、あるならば――――
「……“情報”」
「そうだ。レイノーラは出征の都合上、蛮族や反社会組織の現在情報を一早く掴む。
商人達にとって安全な行路は死活問題だ。自身と従業員の命が代価に乗るとなればその分が値段に反映される」
思わず、ぽかんと口を開けてしまう。確かにそれなら、莫大な額が動いてもおかしくはない。
何せ真偽も定かではない情報屋からの密告とは訳が違う。正に戦っていた人間からの生の情報だ。
商機を一瞬たりと逃したくはない中堅商会であれば喉から手が出る程欲しい筈。
そこまで理解して、けれどふと疑問が落ちる。であればこの相互に発生しているやはり莫大なマイナスは何だろう。
エルゼリオが浮かべた怪訝の色に気付いたか。シグルドがその一行を視線で辿り大きく頷いた。
「兵站の購入費用だな」
「それ下取り購入じゃないか――――――!!!」
そりゃあお金に厳しい商会が莫大な金額を出す訳だよ!! というエルゼリオの至極真っ当な突っ込みが響き渡る。
とはいえそれで遠征資金の中核を償却しているのだから、シグルドの手腕は確かであると言わざるを得ない。
今後について真剣に憂慮する兄弟の対話は、そうしてハスラムが“次の遠征先が決まったぞ……!”と言いに来るまで続き。
その言葉を聞いてゆるやかに机に突っ伏した『氷の貴公子』を前に――――
事務員増やさないとなあ、と……ハスラムとエルゼリオは揃って小さく呟いたのだという。