【花語】寄る辺なきジャノメエリカ

キャラクターノベル制作 花雪海納品 2022年04月04日 11時24分04秒

 リーンエス王国北西部シャーフヴルム。
 農耕が盛んな王国において特に綿花栽培に秀でた農耕地帯を、馬車が進む。
 収穫期には柔らかな綿花が秋空に咲く畑も、今は冬枯れの寂寥たる光景が遠く広がっている。
 規則的な蹄の音と車輪の音だけを聞きながら、エリカ・プレトリウスはその景色を眺めていた。家路につく娘の顔にしては、喜びや逸る様子はない。事実、この帰省は義務感によるものであるのは否めない。
 馬車が坂を上りはじめる。上り切れば、シャーフヴルムを治めるシュルトハイス子爵家がそこにある。
 
 その荷物がパンクリアース学園の学生寮に届いたのは、聖霊節の日だった。
 エリカ宛ての荷物の中身は美しく繊細な装飾のドレスだ。「子爵令嬢」への夫妻の愛が感じられる、素敵な贈り物だった。
 お礼の手紙をせねばと便箋を用意しようとし、けれどもエリカははたと思い留まった。学園に入学し、入寮しても子爵夫妻との手紙や小包のやりとりは続けてきた。帰省をしないのは冒険者兼学園生という生活が一方ならず、それ故教師や図書館と言った勉学の為にも冒険の為にも整った環境を離れるのを避けてきたがためだ。
 だが流石に今回ばかりは、御礼が手紙ばかりでは失礼だろう。学園は今冬休み。帰省を選ぶよりなかった。
 
 馬車は子爵家の城門の前で止まる。
 エリカは一度深呼吸し、笑みを佩いて馬車を降りた。
 城門前には全ての使用人が整列していた。その誰よりも前でエリカを出迎えてくれたのは、子爵夫妻だった。
「只今戻りました。お父様、お母様」
 スカートを摘まんで、エリカは貴族らしく丁寧に礼をする。
「おかえりなさい、エリカ」
「久しぶりに会えて嬉しいわ、エリカ」
 夫妻はエリカの傍に寄り、優しく抱きしめてくれた。久し振りの帰省だ。夫妻も嬉しいのだろう。
「学園での生活はどうだ?」
「怪我や病気はしなかった?」
 二人はエリカに笑いかけながらも、矢継ぎ早に質問をする。このままでは寒空の下で長話になりそうだ。それを避ける為にも、エリカはやんわりとその先を制する。
「頑張っています。体も健康そのものです。……お父様、お母様。積もるお話もあるのですが、まずは荷物を置いて旅装を着替えてから改めてもよろしいでしょうか?」
「それもそうね。長旅で疲れたでしょう。貴方達、エリカの荷物を部屋へ」
「夕食を用意させている。その時にゆっくりと話そう」
「わかりました。それでは後程」
 実際に長旅であったから、休む時間も必要と思ってくれたのだろう。夫妻はあっさりとエリカの提案を受け入れてくれて、一先ずこの場は解散となった。
 
 荷物を運び入れてくれた使用人を下がらせて、エリカは一人私室で深く息を吐く。
 笑みの仮面を脱ぎ、寄った窓硝子に映った表情は――虚無そのものだった。
 
 愛されている。
 子爵家令嬢(エリカ)は。

 だがそれはエリカ自身ではなく、子爵夫妻の亡き一人娘を指している。
 エリカは彼女に似ているからという理由で夫妻に拾われた、ただの貧民街の孤児だ。名も無かった自分に夫妻がくれた名は、夫妻の一人娘と同じ「エリカ」。だからこそ自分は子爵家令嬢(エリカ)の代替品だという認識が、今もエリカの根底にあった。
 子爵夫妻に拾われたことは有り難く思っているし感謝している。だが愛されているのは子爵家令嬢(エリカ)の代替品としての自分で、"わたし"ではない。だから与えられたドレスも、名も地位も境遇も、とても重くて。

 私室の窓硝子の先に満開の花が見える。
 綿花も積み終わった冬、決して大きくはないこの領地の冬の彩り。小さく可憐な花をたっぷりと咲かせ、寂寥の大地に色彩を添えるエリカの木だ。
 元々エリカの木は点在する地域だが、この部屋の窓から見える一本だけは特別な意味を持っている。
 長年子に恵まれなかった当代子爵家の一粒種誕生を祝して植えられたジャノメエリカ。
 愛らしい姫。優美。希望。そんな花言葉を持つジャノメエリカは、どれだけ彼女が望まれて生まれ、愛されたのかということを物語る。
 けれども今ここにいる「エリカ」にはどの花言葉も当てはまる事はない。
 
 だがそんな思索も、控えめなノックと使用人の声で遮られた。
「……お嬢様、旦那様と奥様がお呼びです」
「あ、今参ります」
 行かなければ。
 幸運にも生かされた以上は裏切れない。子爵夫妻の期待も愛情も全て背負って、愛されるお姫様(エリカ)を演じ続けるしかないのだ。
 エリカは手早く旅装を脱ぎ、贈られたドレスに着替える。そして懐で眠っていたシマリスのネムを、脱いだ旅装の中にそっと包んだ。
「……寝ててね、ネム」
 指で柔く撫でると、ネムは眠そうにしながらも指に寄り添い頭を擦りつける。
 ネムはエリカ自身に懐いてくれた相棒だ。その存在にどれ程救われているだろう。
 だからこそ、与えられた愛情や名前が重く圧し掛かってもまだ頑張れると思えた。

 この子がいる限り、未だ名も無い“わたし”も孤独ではないから。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0