ドゥジンシ塚
キャラクターノベル制作 革酎納品 2022年03月06日 11時12分13秒
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ヴァン・ローラント、という名は本名ではない。少なくとも姓に関していえば、後から付けられたものだ。
名付け親は彼の師匠であるヘンリック・ローラント。リーンエス王国北部の町ホークヤードで、探偵事務所を営んでいる。
ヴァンを引き取って五年程が経過した1209年の、ある暖かな日。
ヘンリックはひとりの商家夫人から依頼内容を聞き取る際に、初めてヴァンを同席させた。
商家夫人はその日、幾分疲れた表情でローラント探偵事務所を訪れた。陽が西に傾き始めた頃合いだった。彼女はカディエナ・ウラブリーと名乗った。
ヴァンは初めて聞く名だったが、ヘンリックはウラブリー商会を知っている様であった。
「それで、今日はどの様なご用向きで?」
応接テーブルに就くなり、ヘンリックは挨拶もそこそこに切り出した。
カディエナは今にも泣き出しそうな面持ちで、両手を揉みしだく。
「息子のフランツを探して欲しいのです」
曰く、思春期真っ盛りの少年フランツが昨日から帰宅していないのだという。
スラム街出身者なら兎も角、商家の子息という身分であり、且つまだ十代前半という年若い少年が、何の連絡も無いままに外泊するなどとは到底思えない。
少なくともウラブリー家ではその様な教育はしていない、とカディエナは語気を強める。
そしてカディエナはフランツの友人宅や、彼が居そうな場所は片っ端から探して廻ったが、手がかりのひとつも得られていないらしい。
すっかり憔悴し切った様子のカディエナは、息子が家出したのか、或いは何かの事件に巻き込まれたのではないかと気が気ではないらしく、口調は落ち着いているものの、その心はすっかり乱れに乱れていた。
ヴァンはカディエナの様子に、ふと記憶の中で、ある女性の面影を思い出していた。
以前ヘンリックから、親というものは愛する我が子の身に何かあったのではとネガティヴな方へ意識が傾くものだと教わったことがある。きっとそれは間違いないのだろうが、こうして改めてカディエナの沈痛な面持ちを見ていると、ヴァンの中でも暗い思い出が不意に湧き起こってきた。
何とか助けてあげられないものか――ヴァンが傍らのヘンリックにちらりと視線を投げかけると、ヘンリックは心得た様子で、カディエナに頷き返した。
「お引き受け致しましょう。まだ丸一日が経過していない今なら、望みは十分にあります。どうかお気をしっかり持って、我々にお任せ下さい」
ヘンリックのその台詞に、ヴァンは内心で驚きを禁じ得なかった。
この時ヘンリックは私にお任せを、ではなく、我々にお任せ下さいといい切った。複数形だ。
即ち――。
「ヴァン、用意しなさい。ウラブリーさんのお宅にお邪魔させて頂くよ。まずはフランツ君の行動範囲を、彼の自室から絞り込む必要がある」
嬉しさと同時に、不安が脳裏をよぎった。今の自分に、本格的な捜索が出来るのか、と。それでもヴァンは勢い良く立ち上がって捜査道具の入った鞄と外套を手に取った。
最近になって漸く探偵の基礎が身に付き始めていたヴァンは、時折ヘンリックの手伝いで物品やペットの捜索依頼に於いて、助手として駆り出されることが何度かあった。
だが今回は初めての、そして本格的なひと探しである。
緊張しない訳が無かった。
●
失踪者の手がかりを探る最初の一歩は、いつでも本人の生活習慣とその周辺からだ。
ヘンリックとヴァンはカディエナの案内でウラブリー邸内のフランツの自室へと足を踏み入れた。商家の子息らしく、整然と片付いており、荒れた様子は微塵にも見られない。
外套は見当たらないが、財布は勉強机の棚上に見つけることが出来た。
「少なくとも家出じゃありませんね」
不安げな様子で室の入り口に佇むカディエナに、ヘンリックは穏やかにいい放った。しかし、まだ事件性が残されている。ここで安易に大丈夫だという台詞を吐かないのは、流石に年の功というやつであった。
ヘンリックが壁や床などをコツコツと叩きながら丁寧に調べてゆく一方で、ヴァンはフランツの勉強机とその周辺に的を絞った。構造物の音感分析という高度な技術を要する作業はヘンリックが、単なる物品調査や引き出し内の捜索といった簡単な作業はヴァンが受け持つという具合に、暗黙の了解で分担が決まっていた。
鞄の中には、取り立てておかしな物は無い。ベッドやその下にも、これといって隠された物がある訳でも無かった。
勉強机も同様だ。棚の中や引き出し内には特に目を引く様な物は見当たらない――が、引き出しの二段目内の調査を終えて、三段目に取り掛かろうとした時、ヴァンはふと手を止めた。
引き出し二段目の外観上の高さと、実際の内側の内容積にかなりの差があることに気付いたのである。
これは何かあると踏んだヴァンはもう一度、二段目の引き出しを開けた。中身を全部机の上に放り出し、底板を軽く叩くと、妙な手応えが返ってきた。奥を覗き込むと、僅かな隙間が見える。
(二重底か)
ヴァンは底板の隙間に指を差し込み、そっと持ち上げてみた。矢張り想像通り、底板は簡単に外れた。
取り払われた底板の更にその下に、何冊かの書物が隠れていた。
ヴァンは一番上の一冊を手に取ってページを繰った。が、途中でその手が止まった。
目に飛び込んできたのは、中々刺激の強い内容であった。
(う……こ、これは……)
知人が経営する貸本屋でも、過去に何度か表紙だけは目にしたことがあった類の書物であった。
いかがわしい、といえば良いのか。けしからん、と義憤に駆られれば良いのか。或いは愛情がたっぷり詰まった一冊、と表現すれば良いのか。ヴァンにはよく分からない。しかしながら、まだ十代前半の少年がじっくりたっぷり舐める様に読みふけるには、少々インパクトが強過ぎる。
次第にヴァンは、今がひと探しの為の作業中であることを忘れて、その書物の内容に意識が集中し始める有様であった。
途中から、何が描いてあるのかがよく分からなくなってきた。そして遂に、所謂モロ出しのシーンにぶつかってしまい、流石のヴァンも冷静ではいられなくなったのか、思わずその書物を取り落としてしまった。
「ん? どうしたんだい? 何か、見つけたのかい?」
「あぁ、いや、えぇと……」
不思議そうな面持ちで歩を寄せてくるヘンリック。ヴァンは床に落とした書物を慌てて拾い上げようとしたものの、それよりも早くヘンリックの長い腕が伸びてきて、そのいかがわしい書物を奪い取ってしまった。
「おぉっと、これはこれは……中々秀逸な一冊じゃないか」
何故か感心した様子でぱらぱらとページを繰るヘンリック。次いで、ヴァンが見つけた二重底の中身を見て、更に驚きの念を禁じ得ない様子。
「ほほう……これは大したコレクションだ」
「何か、見つかったのですか?」
ヘンリックとヴァンのやり取りに何かを察したカディエナが室内に飛び込んできた。そして、二重底の中身に初めて気づいた様子で、目を丸くしていた。
「まぁ、あの子ったら……こんな秘密の宝物を……」
相変わらず、ヴァンにはよく分からない。この怪しげな書物の数々は一体、何なのか。
「これはね、ドゥジンシってやつさ」
ヘンリックがことも無げにいい放つと、何故かカディエナも何となく頬を上気させた様子でそっと視線を明後日の方向に向けてしまった。
●
ドゥジンは、絵画を司る神だ。
基本的にドゥジンの信徒は古代のいい伝えや伝説、記録等を後世に残す為にその筆を振るうといわれているのだが、場合によっては偉大なる神々や名のある勇者或いは英雄達をやけに可憐な姿で描画したり、同性同士での恋愛に発展させたりもしている。
大抵、その不届きな所業は不敬であるとして他の信徒からこっぴどく叱られる、ということらしいのだが、最近はそういった風潮も幾分変わってきている様に思われ、こうしてフランツの秘蔵のコレクターが示す様に割りと普通に出回る代物になりつつあるらしい。
こういった書物を世間では一般的に、ドゥジンシと呼ぶ。
ヴァンもその存在は耳にしたことがあったし、実際に知人の貸本屋にもそれっぽいものがあるのを何度か目撃している。だが自分の手で表紙をめくる勇気が無かったヴァンとしては、今回がそのドゥジンシなる書物との最初の邂逅ということになるのだろう。
えらいものを見つけてしまったという後悔に似た念と、他には一体どの様な作品があるのだろうという好奇心がヴァンの中で激しく鍔迫り合いを起こしている。
フランツ同様、ヴァンもまだ13歳。多感な年頃だった。
「いやしかし、流石にこの内容はヴァンやフランツ君には少々早過ぎるかな」
二重底内の他の冊子をも手に取り、したり顔で冷静に分析するヘンリック。何でそんなことが分かるのかとヴァンには物凄く不思議でならなかったが、何だかとても恐ろしいものに触れている気もして、この場では訊くに訊けなかった。
「まさかあの子が……こんな趣味を持っていたなんで……もしかして今回の件も、この……ドゥジンシが関係しているのでしょうか?」
カディエナの問いかけに、ヘンリックはまだ分からないとかぶりを振る。
だが、手がかりになることは間違いない。これらのドゥジンシはいずれも、土や枯葉の破片などが付着しており、少なくとも購入したものではないことが伺える。
そしてヴァンが最初に見つけた一冊の間から、一枚の紙片がはらりと抜け落ちた。どうやら、手書きの地図らしい。ホークヤードから程近い林の中の一角を示しており、恐らくはここで、これら土まみれのドゥジンシを発見したのだろう。
この時代、ロスガリアには大量印刷技術は無い。その為、書物は非常に貴重な存在であり、一冊仕上げるだけでも相当な手間と労力と時間を要する筈だ。
にも関わらず、フランツの引き出しから見つかったドゥジンシはいずれも廃棄されたものと思われる。恐らく元の持ち主はやむを得ない事情で、これらのドゥジンシを泣く泣く手放すことにしたのだろう。
しかし敢えて燃やさず、林の中に投棄したということは、きっと他の誰かが見つけて持ち帰り、大事にしてくれることを願ってのことに違いない。
その想いを、フランツが受け継いだのではないか。
ヘンリックとヴァンは早速、地図に記された地点へ急行することにした。カディエナも同伴するといい出したが、ここは男同士でまず話をさせて欲しいとのヘンリックの意向を受け入れ、ウラブリー邸で帰りを待つことになった。
夜になる前に、フランツを見つけ出さなくてはならない。
ヘンリックとヴァンは足を急がせて、ホークヤード郊外の林へと走った。意外に起伏が激しく、斜面となっている箇所が数多く見られた。
手書きの地図に記されていたポイントは、それら斜面の中でも特に傾斜の激しいところであった。
「あ……居た」
下手をすれば滑り落ちてしまいそうな急な斜面。その中程辺りに、カディエナから聞かされていたのと同じ特徴の茶色い外套が見えた。
どうやら足を痛めているらしく、動くに動けない様に見える。フランツは前日、カディエナに、
「友達と遊びに行ってくる」
と告げて家を出たが、実際はここへ足を運んでいたのだ。新たなドゥジンシが投棄されていないかを確かめにきたのだろう。
だが、この斜面はフランツの様に訓練を受けていない者には、少々酷だ。大人でも、油断すればそのまま滑落してしまう可能性が高い。それ程に危険な場所であった。
ヘンリックは手近の木にロープを括りつけ、その反対側の端を斜面の下に放り投げた。このロープを伝い、フランツのもとへと降りてゆく。ヴァンは斜面の上で待機した。
やがてものの十数分としないうちに、ヘンリックがフランツを抱きかかえてロープ伝いに斜面上へと引き返してきた。
フランツは酷い有様ではあったが、足首を痛めている以外には大きな怪我は無さそうであった。
「あの……助けてくれて、どうもありがとう」
フランツは礼こそ述べたものの、その表情にはどこか怯えた色が見えた。
ヘンリックは何もいわない。ここから先は、フランツ自身の問題だった。
ヴァン・ローラント、という名は本名ではない。少なくとも姓に関していえば、後から付けられたものだ。
名付け親は彼の師匠であるヘンリック・ローラント。リーンエス王国北部の町ホークヤードで、探偵事務所を営んでいる。
ヴァンを引き取って五年程が経過した1209年の、ある暖かな日。
ヘンリックはひとりの商家夫人から依頼内容を聞き取る際に、初めてヴァンを同席させた。
商家夫人はその日、幾分疲れた表情でローラント探偵事務所を訪れた。陽が西に傾き始めた頃合いだった。彼女はカディエナ・ウラブリーと名乗った。
ヴァンは初めて聞く名だったが、ヘンリックはウラブリー商会を知っている様であった。
「それで、今日はどの様なご用向きで?」
応接テーブルに就くなり、ヘンリックは挨拶もそこそこに切り出した。
カディエナは今にも泣き出しそうな面持ちで、両手を揉みしだく。
「息子のフランツを探して欲しいのです」
曰く、思春期真っ盛りの少年フランツが昨日から帰宅していないのだという。
スラム街出身者なら兎も角、商家の子息という身分であり、且つまだ十代前半という年若い少年が、何の連絡も無いままに外泊するなどとは到底思えない。
少なくともウラブリー家ではその様な教育はしていない、とカディエナは語気を強める。
そしてカディエナはフランツの友人宅や、彼が居そうな場所は片っ端から探して廻ったが、手がかりのひとつも得られていないらしい。
すっかり憔悴し切った様子のカディエナは、息子が家出したのか、或いは何かの事件に巻き込まれたのではないかと気が気ではないらしく、口調は落ち着いているものの、その心はすっかり乱れに乱れていた。
ヴァンはカディエナの様子に、ふと記憶の中で、ある女性の面影を思い出していた。
以前ヘンリックから、親というものは愛する我が子の身に何かあったのではとネガティヴな方へ意識が傾くものだと教わったことがある。きっとそれは間違いないのだろうが、こうして改めてカディエナの沈痛な面持ちを見ていると、ヴァンの中でも暗い思い出が不意に湧き起こってきた。
何とか助けてあげられないものか――ヴァンが傍らのヘンリックにちらりと視線を投げかけると、ヘンリックは心得た様子で、カディエナに頷き返した。
「お引き受け致しましょう。まだ丸一日が経過していない今なら、望みは十分にあります。どうかお気をしっかり持って、我々にお任せ下さい」
ヘンリックのその台詞に、ヴァンは内心で驚きを禁じ得なかった。
この時ヘンリックは私にお任せを、ではなく、我々にお任せ下さいといい切った。複数形だ。
即ち――。
「ヴァン、用意しなさい。ウラブリーさんのお宅にお邪魔させて頂くよ。まずはフランツ君の行動範囲を、彼の自室から絞り込む必要がある」
嬉しさと同時に、不安が脳裏をよぎった。今の自分に、本格的な捜索が出来るのか、と。それでもヴァンは勢い良く立ち上がって捜査道具の入った鞄と外套を手に取った。
最近になって漸く探偵の基礎が身に付き始めていたヴァンは、時折ヘンリックの手伝いで物品やペットの捜索依頼に於いて、助手として駆り出されることが何度かあった。
だが今回は初めての、そして本格的なひと探しである。
緊張しない訳が無かった。
●
失踪者の手がかりを探る最初の一歩は、いつでも本人の生活習慣とその周辺からだ。
ヘンリックとヴァンはカディエナの案内でウラブリー邸内のフランツの自室へと足を踏み入れた。商家の子息らしく、整然と片付いており、荒れた様子は微塵にも見られない。
外套は見当たらないが、財布は勉強机の棚上に見つけることが出来た。
「少なくとも家出じゃありませんね」
不安げな様子で室の入り口に佇むカディエナに、ヘンリックは穏やかにいい放った。しかし、まだ事件性が残されている。ここで安易に大丈夫だという台詞を吐かないのは、流石に年の功というやつであった。
ヘンリックが壁や床などをコツコツと叩きながら丁寧に調べてゆく一方で、ヴァンはフランツの勉強机とその周辺に的を絞った。構造物の音感分析という高度な技術を要する作業はヘンリックが、単なる物品調査や引き出し内の捜索といった簡単な作業はヴァンが受け持つという具合に、暗黙の了解で分担が決まっていた。
鞄の中には、取り立てておかしな物は無い。ベッドやその下にも、これといって隠された物がある訳でも無かった。
勉強机も同様だ。棚の中や引き出し内には特に目を引く様な物は見当たらない――が、引き出しの二段目内の調査を終えて、三段目に取り掛かろうとした時、ヴァンはふと手を止めた。
引き出し二段目の外観上の高さと、実際の内側の内容積にかなりの差があることに気付いたのである。
これは何かあると踏んだヴァンはもう一度、二段目の引き出しを開けた。中身を全部机の上に放り出し、底板を軽く叩くと、妙な手応えが返ってきた。奥を覗き込むと、僅かな隙間が見える。
(二重底か)
ヴァンは底板の隙間に指を差し込み、そっと持ち上げてみた。矢張り想像通り、底板は簡単に外れた。
取り払われた底板の更にその下に、何冊かの書物が隠れていた。
ヴァンは一番上の一冊を手に取ってページを繰った。が、途中でその手が止まった。
目に飛び込んできたのは、中々刺激の強い内容であった。
(う……こ、これは……)
知人が経営する貸本屋でも、過去に何度か表紙だけは目にしたことがあった類の書物であった。
いかがわしい、といえば良いのか。けしからん、と義憤に駆られれば良いのか。或いは愛情がたっぷり詰まった一冊、と表現すれば良いのか。ヴァンにはよく分からない。しかしながら、まだ十代前半の少年がじっくりたっぷり舐める様に読みふけるには、少々インパクトが強過ぎる。
次第にヴァンは、今がひと探しの為の作業中であることを忘れて、その書物の内容に意識が集中し始める有様であった。
途中から、何が描いてあるのかがよく分からなくなってきた。そして遂に、所謂モロ出しのシーンにぶつかってしまい、流石のヴァンも冷静ではいられなくなったのか、思わずその書物を取り落としてしまった。
「ん? どうしたんだい? 何か、見つけたのかい?」
「あぁ、いや、えぇと……」
不思議そうな面持ちで歩を寄せてくるヘンリック。ヴァンは床に落とした書物を慌てて拾い上げようとしたものの、それよりも早くヘンリックの長い腕が伸びてきて、そのいかがわしい書物を奪い取ってしまった。
「おぉっと、これはこれは……中々秀逸な一冊じゃないか」
何故か感心した様子でぱらぱらとページを繰るヘンリック。次いで、ヴァンが見つけた二重底の中身を見て、更に驚きの念を禁じ得ない様子。
「ほほう……これは大したコレクションだ」
「何か、見つかったのですか?」
ヘンリックとヴァンのやり取りに何かを察したカディエナが室内に飛び込んできた。そして、二重底の中身に初めて気づいた様子で、目を丸くしていた。
「まぁ、あの子ったら……こんな秘密の宝物を……」
相変わらず、ヴァンにはよく分からない。この怪しげな書物の数々は一体、何なのか。
「これはね、ドゥジンシってやつさ」
ヘンリックがことも無げにいい放つと、何故かカディエナも何となく頬を上気させた様子でそっと視線を明後日の方向に向けてしまった。
●
ドゥジンは、絵画を司る神だ。
基本的にドゥジンの信徒は古代のいい伝えや伝説、記録等を後世に残す為にその筆を振るうといわれているのだが、場合によっては偉大なる神々や名のある勇者或いは英雄達をやけに可憐な姿で描画したり、同性同士での恋愛に発展させたりもしている。
大抵、その不届きな所業は不敬であるとして他の信徒からこっぴどく叱られる、ということらしいのだが、最近はそういった風潮も幾分変わってきている様に思われ、こうしてフランツの秘蔵のコレクターが示す様に割りと普通に出回る代物になりつつあるらしい。
こういった書物を世間では一般的に、ドゥジンシと呼ぶ。
ヴァンもその存在は耳にしたことがあったし、実際に知人の貸本屋にもそれっぽいものがあるのを何度か目撃している。だが自分の手で表紙をめくる勇気が無かったヴァンとしては、今回がそのドゥジンシなる書物との最初の邂逅ということになるのだろう。
えらいものを見つけてしまったという後悔に似た念と、他には一体どの様な作品があるのだろうという好奇心がヴァンの中で激しく鍔迫り合いを起こしている。
フランツ同様、ヴァンもまだ13歳。多感な年頃だった。
「いやしかし、流石にこの内容はヴァンやフランツ君には少々早過ぎるかな」
二重底内の他の冊子をも手に取り、したり顔で冷静に分析するヘンリック。何でそんなことが分かるのかとヴァンには物凄く不思議でならなかったが、何だかとても恐ろしいものに触れている気もして、この場では訊くに訊けなかった。
「まさかあの子が……こんな趣味を持っていたなんで……もしかして今回の件も、この……ドゥジンシが関係しているのでしょうか?」
カディエナの問いかけに、ヘンリックはまだ分からないとかぶりを振る。
だが、手がかりになることは間違いない。これらのドゥジンシはいずれも、土や枯葉の破片などが付着しており、少なくとも購入したものではないことが伺える。
そしてヴァンが最初に見つけた一冊の間から、一枚の紙片がはらりと抜け落ちた。どうやら、手書きの地図らしい。ホークヤードから程近い林の中の一角を示しており、恐らくはここで、これら土まみれのドゥジンシを発見したのだろう。
この時代、ロスガリアには大量印刷技術は無い。その為、書物は非常に貴重な存在であり、一冊仕上げるだけでも相当な手間と労力と時間を要する筈だ。
にも関わらず、フランツの引き出しから見つかったドゥジンシはいずれも廃棄されたものと思われる。恐らく元の持ち主はやむを得ない事情で、これらのドゥジンシを泣く泣く手放すことにしたのだろう。
しかし敢えて燃やさず、林の中に投棄したということは、きっと他の誰かが見つけて持ち帰り、大事にしてくれることを願ってのことに違いない。
その想いを、フランツが受け継いだのではないか。
ヘンリックとヴァンは早速、地図に記された地点へ急行することにした。カディエナも同伴するといい出したが、ここは男同士でまず話をさせて欲しいとのヘンリックの意向を受け入れ、ウラブリー邸で帰りを待つことになった。
夜になる前に、フランツを見つけ出さなくてはならない。
ヘンリックとヴァンは足を急がせて、ホークヤード郊外の林へと走った。意外に起伏が激しく、斜面となっている箇所が数多く見られた。
手書きの地図に記されていたポイントは、それら斜面の中でも特に傾斜の激しいところであった。
「あ……居た」
下手をすれば滑り落ちてしまいそうな急な斜面。その中程辺りに、カディエナから聞かされていたのと同じ特徴の茶色い外套が見えた。
どうやら足を痛めているらしく、動くに動けない様に見える。フランツは前日、カディエナに、
「友達と遊びに行ってくる」
と告げて家を出たが、実際はここへ足を運んでいたのだ。新たなドゥジンシが投棄されていないかを確かめにきたのだろう。
だが、この斜面はフランツの様に訓練を受けていない者には、少々酷だ。大人でも、油断すればそのまま滑落してしまう可能性が高い。それ程に危険な場所であった。
ヘンリックは手近の木にロープを括りつけ、その反対側の端を斜面の下に放り投げた。このロープを伝い、フランツのもとへと降りてゆく。ヴァンは斜面の上で待機した。
やがてものの十数分としないうちに、ヘンリックがフランツを抱きかかえてロープ伝いに斜面上へと引き返してきた。
フランツは酷い有様ではあったが、足首を痛めている以外には大きな怪我は無さそうであった。
「あの……助けてくれて、どうもありがとう」
フランツは礼こそ述べたものの、その表情にはどこか怯えた色が見えた。
ヘンリックは何もいわない。ここから先は、フランツ自身の問題だった。