セロンと紅瞳子と宝の地図
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2022年03月26日 16時02分54秒
鬱蒼とした森だ。
太い幹を持つ樹々が茶色く節くれだった枝を伸ばし、緑色の葉を無数に茂らせている。
白く輝く太陽の光が、密集している緑葉達の間に僅かに空いている隙間から差し込み、薄暗い森中に光の階を築いていた。
森の奥から風が一陣、巻き起こって吹き抜けた。
風の通り道にある無数の葉達が揺れ、擦れあって漣のように音を鳴らしてゆく。
一枚の葉が風に吹かれ枝から落ち、宙に舞って飛んでゆく。
落葉が飛んだ先には、太い無数の根を地表に露わにしている大樹があった。
蛇がのたうったような形をしている、太く大きな焦げ茶色の根の上に、子供が一人、腰かけている。
絹糸のように艶やかで、滑らかな、明るい蜂蜜色の髪の子供だ。
質素なデザインながら、上質な生地で織られた服と、深緑糸の外套に小柄で華奢な身を包んでいる。
齢は十歳程度だろうか。
古の絵画に描かれた妖精が、額縁の中からそっと抜け出して動いているかのような――そんな錯覚を人に覚えさせる程に美しい顔立ちをしていた。
妖精のような子供は、地に届かぬ足を宙でぷらぷらと前後に動かしている。
傍らには銀色の毛並みを持つ見事な巨狼がはべっていた。
「――」
その名を呼ぶ声が森に響いた。
まだ声変わりが起こっていない、高い少年の声だ。
子供が顔を動かし、瞳を向けた。
夜の紺碧と明けの黄金とが混ざり合う東空に燃える火のように、燦然と鮮やかな紅の色の瞳だった。
「やぁ、おはようございますセロン!」
紅瞳の子供は足を振って根から飛び降りると微笑した。
「今日は何をしましょうか?」
黎明の火に似た色の瞳が見つめる先には、十歳か十一歳か、その程度の黒髪の少年が立っていた。
彼の名はセロンガード・シュタインドルフ。
シルトラース帝国の貴族シュタインドルフ家に生まれた授恵者の少年だった。
●
セロンは木漏れ日の下で羊皮紙を広げた。
茶色がかった紙面には木々や道を現す絵の他、所々に川や岩など特徴的なオブジェの絵、そして文字が描かれている。
「これは……地図、ですか?」
小首を傾げる紅瞳子に対して黒髪の少年は頷き。
「うん、屋敷の蔵にあったんだ。でさ、この地図に描かれてるのって、この森の事なんじゃないかって思うんだ」
「……へぇ」
「君は宝の地図って信じる?」
セロンが問いかけると紅瞳子は顔を顰めて唸った。
「実際に、そういうものが世の中に存在したという例を知っています。ただ、大半は偽物で、本物にはそうそうお目にはかかれないという事も知っていますね」
「どうもこの地図は宝の地図らしい」
「……まさかとは思いますが、これ探しに行こうってんじゃないでしょうね? 年端もいかぬ子供じゃあるまいし」
と、十歳程度の子供が言う。
彼――彼女かもしれないが――は自分は既に子供ではないと思っているらしい。無論、大人だとまでは思ってはいないだろうが、偽物の宝の地図に目を輝かせ横んで探検にいく程には子供ではないと、そう主張していた。
「駄目かなぁ?」
「デタラメの地図に踊らされて、骨折り損のくたびれ儲けするというのはバカらしいですよ」
「でもこの所、ずっと狩りばっかやってたし、森で出来る大体の遊びもやり尽くしちゃったし」
セロンは弓の師匠でもあるこの紅瞳子とは出会ってからそれなりの年月が経っている。
森遊びのレパートリーも新鮮味があるものは尽きてしまって既に久しかった。
「……暇潰し、という訳ですか」
「そうそう、ダメでもともと、何かホントに見つかれば儲けもの、冒険の思い出プライスレスだよ」
「冒険の思い出ねぇ」
「なんだかんだ宝の地図ってワクワクしない? 伝承歌の主人公みたいだし」
「本物の宝の地図なんてそうそうありませんよ。まぁ、この地図は随分年季入ってるみたいですけど……っていうか、良いんです? 勝手に屋敷の蔵から物を持ち出してしまって?」
「気にしないさ、叔父は僕のやる事なんて」
セロンは両親を知らない。
叔父の屋敷で引き取られ貴族として育てられている。
叔父は基本的に放任主義であるらしく、日頃からセロンとは最低限の接触しかしなかったし、貴族の子としての一通りの義務さえ果たしていれば、セロンが休日に何をしているのか特に関心は無いようだった。シュタインドルフの家名を傷つけるような事をしない限りは。
「相変わらずなんですね」
「うん。だから、日を跨いで宝探ししても問題無い、休日が終わる前に戻ってこれれば。あぁそうだ、この地図に描かれている範囲、結構広いから、野宿になるかもしれなさそうなんだけど、そんな訳で僕は大丈夫。君は大丈夫?」
「ええ、いつも通り二、三日なら問題ありませんよ」
紅瞳子は頷いた。
彼がどこからこの森にやってきているのか、何処に住んでいるのか、セロンは知らない。
なんとなく聞くのが憚られたからだ。
紅瞳子の方もセロンにそれを語ろうとはしなかった。だからもう結構な長さの付き合いだったが、紅瞳子は未だ謎に包まれている部分が多い。
ただ、セロンは特に気にしていなかった。
別にそんなものは知らなくても、楽しく遊ぶのに支障はなかったからだ。
「よし、それじゃ宝探しを始めよう!」
「オーケー、わかりました。ただ、やるんだったら、その地図、もう少し良く見せてくださいよ。何か、謎かけみたいなものが書かれてますけど……これは、やはり暗号なんでしょうか? 内容の解読はもう終わってるんですか?」
「ううん、さっぱり! 君が考えてよ! 得意だろ頭使うの!」
「ええ、ええ、そんな事だろうと思いましたよまったく、私に活躍の場を用意してくれるとは気が利いていますね! そもそも、単なるイタズラ書きに過ぎなくて、本当に正解があるとも限らないですが……まぁやってみますよ。でもセロンも考えてくださいよ」
という訳で子供二人は肩を寄せ合って古びた地図を覗き込み、その解読を始めたのだった。
●
「この洞穴が?」
「ええ、きっとそうです。この絵と暗号文が示しているのはこの洞窟で間違いない筈ですよ!」
いざ始めてみるとセロンよりも熱中し出したのか、興奮気味に紅瞳子が言う。
セロンと紅瞳子とアルターは、鬱蒼とした森を地図に従って奥へ奥へと進み、陽が中天を回って西へと回り始めた頃に、小高い斜面にぽっかりと空いた洞穴を発見していた。
詩文めいた文章と図形が描かれた地図と睨み合いながらああでもないこうでもないと二人で言い合った結果、紅瞳子曰く「地図に描かれていた詩は、この地点を示す暗号であり、この洞窟の奥に宝は隠されている」というのである。
紅の瞳の小柄な子供が入口から中を覗き込みつつ、結構深そうですね、と呟く。
「……当たり前ですけど、奥は暗い、ですね」
「ランタン持ってきた」
宝探しといえば暗い所に行く事もあるだろうとセロンは予測し、蔵から照明器具を持ち出していた。
「用意が良いですね……それではセロン、はいどうぞ」
紅瞳子が腰に巻いていたベルトを外して、吊られている鞘ごと短剣をセロンの方へと差し出してきた。
少年が黒瞳を瞬かせると紅瞳の子供はまったくの善意である、というように微笑んで、
「貸してあげます。片手にランタンを持つのなら、弓は使えないでしょう? 代わりにセロンは弓を私に貸してください。何かがあった時には後ろから援護します」
「ランタン貸すから君が先頭に立ってくれても良いけど」
「貸・し・て・あげます!」
笑顔のままぐいぐいと短剣を胸に押し付けてくる。
どうやら先頭に立って暗い洞穴内へは入りたくないらしい。
「もしかして怖いの?」
「ま、まさか! 先頭に立つという事はとても名誉ある事です。そして名誉ある働きとは報われなければならない。その宝の地図の所有権はシュタインドルフ家にある、つまり宝は貴方の家のものでしょう? 私だって、余所の家の宝の所有権をいわれもなく主張なんてしませんよ。そう! 古来、宝さがしでは先頭に立つ者にこそ、第一の権利が発生するものなんです」
そんな話はセロンは聞いた事がなかったが、そういうものなのかい、と頷いておく。
「ですから貴方が先頭に立つのがまったくもって自然なのです。それともなんです、貴方は自分の家の財宝を私にくれるっていうんですか?」
「山分けでも良いけど」
セロンは家の宝の所有権をあっさりと勝手に決めた。叔父の意向は知った事ではなかった。そもそも無断で持ち出しているものであったから、報告するつもりもなかった。
「先頭に立つなら取り分八割を主張します!」
「八割は多いなぁ、ごうつくだなぁ」
「ええ、私はごうつくなんです、ですから! 悪い事は言わないので貴方が先頭に立つ事がオススメですよ? 貴方は授恵者ですし!」
あんまりにも紅瞳子が必死な表情で言うので、セロンは思わず吹き出しつつ、
「わかったよ」
と、このくらいで了解しておく事にした。
短剣を受け取ってベルトを腰に巻きつつ、代わりに弓と矢筒を渡す。
「弓、使えそう?」
「……目一杯に引かない撃ち方なら、なんとか」
セロンは授恵者に目覚め力をつけている。その為、弓の張力は子供ながらにとても強いものになっていた。
ただ、セロンに弓を教えたのは紅瞳子であるから、紅瞳子も弓の心得自体はあったので、なんとか小手先の技で使えそう、との事だった。
「よし、それじゃあ隊列は先頭セロン、その次に私、殿をアルター、お願いします」
「ガウ」
銀の毛並みを巨狼は紅瞳子の呼びかけにまるで言葉を理解しているかのように一声鳴いた。
セロンはカンテラに火を入れ、洞穴内へと翳す。
わだかまっていた闇が溢れ出た橙色の火光に押しやられ、奥へと退いてゆく。
「じゃ、行くよ」
「はい、どうぞ」
セロンが言って紅瞳子が頷き、二人と一匹は共に洞窟内へと足を踏み入れていったのだった。
●
ゆるくアーチを描く天井だ。
内部の岩肌の色は恐らく白いのだろう、カンテラの明かりを受けて橙色に染まっていた。
ごつごつとしていて、無数の突起が氷柱のように垂れ下がっている。
突起の先端からは時折り水滴が落ちて、床の窪みにたまった水の上に落ち、ぴちょんぴちょんと水音を鳴らしていた。
洞窟内の空気は冷えていた。
「分かれ道だ」
セロンは足を止め、肩越しに振り向いた。
「ちょっと、照らしてもらって良いですか」
「うん」
紅瞳子が寄って来て地図を広げ、セロンはカンテラをかざし共に覗き込んだ。
火光に照らされた絵と文字へと紅瞳子がその炎のような瞳を走らせつつ、白く細い指先でなぞってゆく。
「この分かれ道は……あぁ、恐らく、この部分ですね。ですから、セロン、右にゆくのが正解かと思います」
「わかった」
頷いて少年と性別不詳の子供と大狼は再び歩き出す。
割れ道を右へと進み、蛇のようにうねった内部をさらに進んで折れ曲がると、突如として甲高くけたたましい声と共に無数の影が突っ込んできた。
「ひぃいーっ?!」
「このっ!」
紅瞳子が悲鳴をあげ、セロンは迫る巨大な黒影へと向かい反射的に無我夢中で短剣を一閃した。
甲高い短い悲鳴が上がると共に小さな黒が一つ、地に落ちた。
セロンと紅瞳子が黒に包まれ、アルターが轟く雷鳴の如くに凄まじい大音量で咆吼した。
すると、黒は弾かれたかの如く、千切れでもしたかのように八方に無数にわかれた。
やがてそれは宙を旋回し、子供二人と一匹の頭上の空間を通り過ぎて入口の方へと飛んでいった。
セロンは先程、斬り落とした黒へと視線を落とした。
そこにいたのは、皮膜状の翼を持つ小型の生物だった。
「蝙蝠だ」
「……び、びっくりしました」
「洞窟に住む蝙蝠の中には、噛み付いて血を吸うのもいるらしいから、さっきのヤツラそうだったのかも。アルターに感謝だね。怪我は?」
「ひぇぇぇ……だ、大丈夫です。セロンは?」
「僕も大丈夫」
セロンは皆の無事を確認すると再び闇の奥へと向かい歩を進めた。
●
火光で闇を照らしながら床からも円錐状に生える突起地帯を抜け、鏡のように輝く地底湖の脇を通り、幅はさほどでもないが底が見えぬ程に深い亀裂を飛び越え――紅瞳子が勇気がでないのかしばし躊躇ったが、セロンが跳んでみせるとやがて紅瞳子も飛んでみせた――やがて二人と一匹は洞窟の奥まった所にある小部屋のような空間に辿り着いた。
「地図が正しければ、このあたりに仕掛けがある筈なんですが……」
紅瞳子が視線を走らせつつ、壁を手でぺたぺたと触ってゆく。
セロンはその背後に立ってカンテラを掲げ、暗がりにならぬようその作業をサポートした。
不意に、鈍い音と共に紅瞳子が触れていた壁が沈んだ。
「……あたりですね!」
妖精じみた金髪の小柄な子供は瞳を輝かせると、壁に沈んだ手を横に動かし、空洞の側面あたりをさぐるようにして、また手を動かした。
すると、地鳴りのような音が、にわかにあたりに響き始める。
「うわっ……?!」
セロンが目を白黒させていると、壁がスライドしその奥へと通路が現れる。
「たいした仕掛けです! 一般人が酔狂で用意できるものではない。これは、本当に宝があるかもしれませんね」
手を打って喜ぶ紅瞳子へとセロンは頷き、再び先頭に立って、現れた隠し通路へと足を踏み入れた。
注意しながら進んでゆくと、すぐに小部屋へと出た。
天然の洞窟ではなく、明らかに人為的な手段によってくり抜かれたと思われし人工的なスペースだった。
部屋の中央には台座があり、その上には鞘に包まれた短刀が二振り置かれている。
「……すごい。本当にあった」
紅瞳子が放心したように呟いた。
金銀財宝といった類ではなかったが、明らかに値打ちものなように見える鞘に包まれた短刀だった。
セロンは気を引き締めた。
「罠はないかな……?」
セロンはカンテラを一旦、紅瞳子へと預けると、借りている短剣を鞘ごと剣帯から外し、その先端でつんつんと短刀を押して動かしてみた。
特に罠のようなものが作動する気配はなかった。
セロンは短剣を腰に戻し、置かれている短刀の一振りをおそるおそる手に取ってみた。
長剣のように長いものではなかったが確かな金属の重さが伝わって来た。
鞘から引き抜く。
鏡のように磨き抜かれた、銀色の刃が姿を現した。
カンテラよりの火光を受けて、刃が橙色の光を帯びて輝く。
刀身には絵物語で見た森のエルフ達が使った文字のような、不可思議な紋様が刻み込まれていた。
「……これ、凄く良い短刀だ!」
「やりましたね! そっちはどうでしょう?」
セロンは短刀を鞘に納め台座の上に戻すと、もう一振りの方を手にとって同じように引き抜いてみた。
こちらも磨き抜かれた美しい銀色の刃が姿を現した。やはりこちらも刀身に不可思議な紋様が刻み込まれている。
鞘もそうだったが、刃の造りも二つの短刀は非常に似通っているようだった。
「……二本でセットなのかな?」
「一対になっている剣などは、結構世の中にはありますね。これもそうなのかも」
子供二人はそんな事を言い合いつつ、手に入れたこの二本の短刀を二人で山分け――すなわち、一本づつ持つ事にした。
「いやぁ、本当に見つかるとは思わなかったなぁ! 僕らついてる!」
「本当ですね! きっと日頃の行いの賜物でしょう!」
二人は笑顔で言いあいながら意気揚々と洞窟から出たのだった。
その後、セロンと紅瞳子とアルターは森で野営を行った。
森鹿を射抜き仕留めると、手に入れた短刀で捌く。
短刀は良く切れて、皮をとても綺麗に剥ぐことが出来た。四肢や内臓の解体も普段よりも少ない労力で簡単に出来た。
火を熾して肉を焼き、携行していた塩を振って簡単に味付けしてかぶりつく。
絶品という訳にはいかなかったが、なかなか美味だった。
星空の下、焚き火の側に巨狼が座り、二人は巨狼の身に背中を預けるようにして眠りについたのだった。
夜が明け、森の入口まで帰還すると紅瞳子はセロンへと「今回も楽しかったです!」と言って、またの再会を約束し、アルターと共に何処かへと去っていった。
セロンは屋敷に帰還した。
すると、セロンに注意など払っていない筈の叔父が、こんな時だけセロンが持ち帰った短刀に目敏く気づいて問いただして来た。
誤魔化す事も考えたが、面倒なので正直に言うと、叔父はいつもの仏長面でセロンを見つめしばし沈黙していたが、やがて、
「これはお前が一人前になるまで預かっておく」
と一方的に宣言されて短刀を取り上げられてしまった。
セロンは抗議したが、蔵の地図は少なくとも現時点ではお前の所有物ではなかった、と叔父から言われてしまうと反論も出来なかった。
「……あーあ、結局、手に入ったのは冒険の思い出プライスレスだけか」
セロンは自室のベッドの上に大の字になって転がると、そう溜息をついた。
ただ、それほど悪い気分ではなかったので、宝探しの冒険を自分はそれなりに楽しめていたのだろうな、と少年は思ったのだった。
太い幹を持つ樹々が茶色く節くれだった枝を伸ばし、緑色の葉を無数に茂らせている。
白く輝く太陽の光が、密集している緑葉達の間に僅かに空いている隙間から差し込み、薄暗い森中に光の階を築いていた。
森の奥から風が一陣、巻き起こって吹き抜けた。
風の通り道にある無数の葉達が揺れ、擦れあって漣のように音を鳴らしてゆく。
一枚の葉が風に吹かれ枝から落ち、宙に舞って飛んでゆく。
落葉が飛んだ先には、太い無数の根を地表に露わにしている大樹があった。
蛇がのたうったような形をしている、太く大きな焦げ茶色の根の上に、子供が一人、腰かけている。
絹糸のように艶やかで、滑らかな、明るい蜂蜜色の髪の子供だ。
質素なデザインながら、上質な生地で織られた服と、深緑糸の外套に小柄で華奢な身を包んでいる。
齢は十歳程度だろうか。
古の絵画に描かれた妖精が、額縁の中からそっと抜け出して動いているかのような――そんな錯覚を人に覚えさせる程に美しい顔立ちをしていた。
妖精のような子供は、地に届かぬ足を宙でぷらぷらと前後に動かしている。
傍らには銀色の毛並みを持つ見事な巨狼がはべっていた。
「――」
その名を呼ぶ声が森に響いた。
まだ声変わりが起こっていない、高い少年の声だ。
子供が顔を動かし、瞳を向けた。
夜の紺碧と明けの黄金とが混ざり合う東空に燃える火のように、燦然と鮮やかな紅の色の瞳だった。
「やぁ、おはようございますセロン!」
紅瞳の子供は足を振って根から飛び降りると微笑した。
「今日は何をしましょうか?」
黎明の火に似た色の瞳が見つめる先には、十歳か十一歳か、その程度の黒髪の少年が立っていた。
彼の名はセロンガード・シュタインドルフ。
シルトラース帝国の貴族シュタインドルフ家に生まれた授恵者の少年だった。
●
セロンは木漏れ日の下で羊皮紙を広げた。
茶色がかった紙面には木々や道を現す絵の他、所々に川や岩など特徴的なオブジェの絵、そして文字が描かれている。
「これは……地図、ですか?」
小首を傾げる紅瞳子に対して黒髪の少年は頷き。
「うん、屋敷の蔵にあったんだ。でさ、この地図に描かれてるのって、この森の事なんじゃないかって思うんだ」
「……へぇ」
「君は宝の地図って信じる?」
セロンが問いかけると紅瞳子は顔を顰めて唸った。
「実際に、そういうものが世の中に存在したという例を知っています。ただ、大半は偽物で、本物にはそうそうお目にはかかれないという事も知っていますね」
「どうもこの地図は宝の地図らしい」
「……まさかとは思いますが、これ探しに行こうってんじゃないでしょうね? 年端もいかぬ子供じゃあるまいし」
と、十歳程度の子供が言う。
彼――彼女かもしれないが――は自分は既に子供ではないと思っているらしい。無論、大人だとまでは思ってはいないだろうが、偽物の宝の地図に目を輝かせ横んで探検にいく程には子供ではないと、そう主張していた。
「駄目かなぁ?」
「デタラメの地図に踊らされて、骨折り損のくたびれ儲けするというのはバカらしいですよ」
「でもこの所、ずっと狩りばっかやってたし、森で出来る大体の遊びもやり尽くしちゃったし」
セロンは弓の師匠でもあるこの紅瞳子とは出会ってからそれなりの年月が経っている。
森遊びのレパートリーも新鮮味があるものは尽きてしまって既に久しかった。
「……暇潰し、という訳ですか」
「そうそう、ダメでもともと、何かホントに見つかれば儲けもの、冒険の思い出プライスレスだよ」
「冒険の思い出ねぇ」
「なんだかんだ宝の地図ってワクワクしない? 伝承歌の主人公みたいだし」
「本物の宝の地図なんてそうそうありませんよ。まぁ、この地図は随分年季入ってるみたいですけど……っていうか、良いんです? 勝手に屋敷の蔵から物を持ち出してしまって?」
「気にしないさ、叔父は僕のやる事なんて」
セロンは両親を知らない。
叔父の屋敷で引き取られ貴族として育てられている。
叔父は基本的に放任主義であるらしく、日頃からセロンとは最低限の接触しかしなかったし、貴族の子としての一通りの義務さえ果たしていれば、セロンが休日に何をしているのか特に関心は無いようだった。シュタインドルフの家名を傷つけるような事をしない限りは。
「相変わらずなんですね」
「うん。だから、日を跨いで宝探ししても問題無い、休日が終わる前に戻ってこれれば。あぁそうだ、この地図に描かれている範囲、結構広いから、野宿になるかもしれなさそうなんだけど、そんな訳で僕は大丈夫。君は大丈夫?」
「ええ、いつも通り二、三日なら問題ありませんよ」
紅瞳子は頷いた。
彼がどこからこの森にやってきているのか、何処に住んでいるのか、セロンは知らない。
なんとなく聞くのが憚られたからだ。
紅瞳子の方もセロンにそれを語ろうとはしなかった。だからもう結構な長さの付き合いだったが、紅瞳子は未だ謎に包まれている部分が多い。
ただ、セロンは特に気にしていなかった。
別にそんなものは知らなくても、楽しく遊ぶのに支障はなかったからだ。
「よし、それじゃ宝探しを始めよう!」
「オーケー、わかりました。ただ、やるんだったら、その地図、もう少し良く見せてくださいよ。何か、謎かけみたいなものが書かれてますけど……これは、やはり暗号なんでしょうか? 内容の解読はもう終わってるんですか?」
「ううん、さっぱり! 君が考えてよ! 得意だろ頭使うの!」
「ええ、ええ、そんな事だろうと思いましたよまったく、私に活躍の場を用意してくれるとは気が利いていますね! そもそも、単なるイタズラ書きに過ぎなくて、本当に正解があるとも限らないですが……まぁやってみますよ。でもセロンも考えてくださいよ」
という訳で子供二人は肩を寄せ合って古びた地図を覗き込み、その解読を始めたのだった。
●
「この洞穴が?」
「ええ、きっとそうです。この絵と暗号文が示しているのはこの洞窟で間違いない筈ですよ!」
いざ始めてみるとセロンよりも熱中し出したのか、興奮気味に紅瞳子が言う。
セロンと紅瞳子とアルターは、鬱蒼とした森を地図に従って奥へ奥へと進み、陽が中天を回って西へと回り始めた頃に、小高い斜面にぽっかりと空いた洞穴を発見していた。
詩文めいた文章と図形が描かれた地図と睨み合いながらああでもないこうでもないと二人で言い合った結果、紅瞳子曰く「地図に描かれていた詩は、この地点を示す暗号であり、この洞窟の奥に宝は隠されている」というのである。
紅の瞳の小柄な子供が入口から中を覗き込みつつ、結構深そうですね、と呟く。
「……当たり前ですけど、奥は暗い、ですね」
「ランタン持ってきた」
宝探しといえば暗い所に行く事もあるだろうとセロンは予測し、蔵から照明器具を持ち出していた。
「用意が良いですね……それではセロン、はいどうぞ」
紅瞳子が腰に巻いていたベルトを外して、吊られている鞘ごと短剣をセロンの方へと差し出してきた。
少年が黒瞳を瞬かせると紅瞳の子供はまったくの善意である、というように微笑んで、
「貸してあげます。片手にランタンを持つのなら、弓は使えないでしょう? 代わりにセロンは弓を私に貸してください。何かがあった時には後ろから援護します」
「ランタン貸すから君が先頭に立ってくれても良いけど」
「貸・し・て・あげます!」
笑顔のままぐいぐいと短剣を胸に押し付けてくる。
どうやら先頭に立って暗い洞穴内へは入りたくないらしい。
「もしかして怖いの?」
「ま、まさか! 先頭に立つという事はとても名誉ある事です。そして名誉ある働きとは報われなければならない。その宝の地図の所有権はシュタインドルフ家にある、つまり宝は貴方の家のものでしょう? 私だって、余所の家の宝の所有権をいわれもなく主張なんてしませんよ。そう! 古来、宝さがしでは先頭に立つ者にこそ、第一の権利が発生するものなんです」
そんな話はセロンは聞いた事がなかったが、そういうものなのかい、と頷いておく。
「ですから貴方が先頭に立つのがまったくもって自然なのです。それともなんです、貴方は自分の家の財宝を私にくれるっていうんですか?」
「山分けでも良いけど」
セロンは家の宝の所有権をあっさりと勝手に決めた。叔父の意向は知った事ではなかった。そもそも無断で持ち出しているものであったから、報告するつもりもなかった。
「先頭に立つなら取り分八割を主張します!」
「八割は多いなぁ、ごうつくだなぁ」
「ええ、私はごうつくなんです、ですから! 悪い事は言わないので貴方が先頭に立つ事がオススメですよ? 貴方は授恵者ですし!」
あんまりにも紅瞳子が必死な表情で言うので、セロンは思わず吹き出しつつ、
「わかったよ」
と、このくらいで了解しておく事にした。
短剣を受け取ってベルトを腰に巻きつつ、代わりに弓と矢筒を渡す。
「弓、使えそう?」
「……目一杯に引かない撃ち方なら、なんとか」
セロンは授恵者に目覚め力をつけている。その為、弓の張力は子供ながらにとても強いものになっていた。
ただ、セロンに弓を教えたのは紅瞳子であるから、紅瞳子も弓の心得自体はあったので、なんとか小手先の技で使えそう、との事だった。
「よし、それじゃあ隊列は先頭セロン、その次に私、殿をアルター、お願いします」
「ガウ」
銀の毛並みを巨狼は紅瞳子の呼びかけにまるで言葉を理解しているかのように一声鳴いた。
セロンはカンテラに火を入れ、洞穴内へと翳す。
わだかまっていた闇が溢れ出た橙色の火光に押しやられ、奥へと退いてゆく。
「じゃ、行くよ」
「はい、どうぞ」
セロンが言って紅瞳子が頷き、二人と一匹は共に洞窟内へと足を踏み入れていったのだった。
●
ゆるくアーチを描く天井だ。
内部の岩肌の色は恐らく白いのだろう、カンテラの明かりを受けて橙色に染まっていた。
ごつごつとしていて、無数の突起が氷柱のように垂れ下がっている。
突起の先端からは時折り水滴が落ちて、床の窪みにたまった水の上に落ち、ぴちょんぴちょんと水音を鳴らしていた。
洞窟内の空気は冷えていた。
「分かれ道だ」
セロンは足を止め、肩越しに振り向いた。
「ちょっと、照らしてもらって良いですか」
「うん」
紅瞳子が寄って来て地図を広げ、セロンはカンテラをかざし共に覗き込んだ。
火光に照らされた絵と文字へと紅瞳子がその炎のような瞳を走らせつつ、白く細い指先でなぞってゆく。
「この分かれ道は……あぁ、恐らく、この部分ですね。ですから、セロン、右にゆくのが正解かと思います」
「わかった」
頷いて少年と性別不詳の子供と大狼は再び歩き出す。
割れ道を右へと進み、蛇のようにうねった内部をさらに進んで折れ曲がると、突如として甲高くけたたましい声と共に無数の影が突っ込んできた。
「ひぃいーっ?!」
「このっ!」
紅瞳子が悲鳴をあげ、セロンは迫る巨大な黒影へと向かい反射的に無我夢中で短剣を一閃した。
甲高い短い悲鳴が上がると共に小さな黒が一つ、地に落ちた。
セロンと紅瞳子が黒に包まれ、アルターが轟く雷鳴の如くに凄まじい大音量で咆吼した。
すると、黒は弾かれたかの如く、千切れでもしたかのように八方に無数にわかれた。
やがてそれは宙を旋回し、子供二人と一匹の頭上の空間を通り過ぎて入口の方へと飛んでいった。
セロンは先程、斬り落とした黒へと視線を落とした。
そこにいたのは、皮膜状の翼を持つ小型の生物だった。
「蝙蝠だ」
「……び、びっくりしました」
「洞窟に住む蝙蝠の中には、噛み付いて血を吸うのもいるらしいから、さっきのヤツラそうだったのかも。アルターに感謝だね。怪我は?」
「ひぇぇぇ……だ、大丈夫です。セロンは?」
「僕も大丈夫」
セロンは皆の無事を確認すると再び闇の奥へと向かい歩を進めた。
●
火光で闇を照らしながら床からも円錐状に生える突起地帯を抜け、鏡のように輝く地底湖の脇を通り、幅はさほどでもないが底が見えぬ程に深い亀裂を飛び越え――紅瞳子が勇気がでないのかしばし躊躇ったが、セロンが跳んでみせるとやがて紅瞳子も飛んでみせた――やがて二人と一匹は洞窟の奥まった所にある小部屋のような空間に辿り着いた。
「地図が正しければ、このあたりに仕掛けがある筈なんですが……」
紅瞳子が視線を走らせつつ、壁を手でぺたぺたと触ってゆく。
セロンはその背後に立ってカンテラを掲げ、暗がりにならぬようその作業をサポートした。
不意に、鈍い音と共に紅瞳子が触れていた壁が沈んだ。
「……あたりですね!」
妖精じみた金髪の小柄な子供は瞳を輝かせると、壁に沈んだ手を横に動かし、空洞の側面あたりをさぐるようにして、また手を動かした。
すると、地鳴りのような音が、にわかにあたりに響き始める。
「うわっ……?!」
セロンが目を白黒させていると、壁がスライドしその奥へと通路が現れる。
「たいした仕掛けです! 一般人が酔狂で用意できるものではない。これは、本当に宝があるかもしれませんね」
手を打って喜ぶ紅瞳子へとセロンは頷き、再び先頭に立って、現れた隠し通路へと足を踏み入れた。
注意しながら進んでゆくと、すぐに小部屋へと出た。
天然の洞窟ではなく、明らかに人為的な手段によってくり抜かれたと思われし人工的なスペースだった。
部屋の中央には台座があり、その上には鞘に包まれた短刀が二振り置かれている。
「……すごい。本当にあった」
紅瞳子が放心したように呟いた。
金銀財宝といった類ではなかったが、明らかに値打ちものなように見える鞘に包まれた短刀だった。
セロンは気を引き締めた。
「罠はないかな……?」
セロンはカンテラを一旦、紅瞳子へと預けると、借りている短剣を鞘ごと剣帯から外し、その先端でつんつんと短刀を押して動かしてみた。
特に罠のようなものが作動する気配はなかった。
セロンは短剣を腰に戻し、置かれている短刀の一振りをおそるおそる手に取ってみた。
長剣のように長いものではなかったが確かな金属の重さが伝わって来た。
鞘から引き抜く。
鏡のように磨き抜かれた、銀色の刃が姿を現した。
カンテラよりの火光を受けて、刃が橙色の光を帯びて輝く。
刀身には絵物語で見た森のエルフ達が使った文字のような、不可思議な紋様が刻み込まれていた。
「……これ、凄く良い短刀だ!」
「やりましたね! そっちはどうでしょう?」
セロンは短刀を鞘に納め台座の上に戻すと、もう一振りの方を手にとって同じように引き抜いてみた。
こちらも磨き抜かれた美しい銀色の刃が姿を現した。やはりこちらも刀身に不可思議な紋様が刻み込まれている。
鞘もそうだったが、刃の造りも二つの短刀は非常に似通っているようだった。
「……二本でセットなのかな?」
「一対になっている剣などは、結構世の中にはありますね。これもそうなのかも」
子供二人はそんな事を言い合いつつ、手に入れたこの二本の短刀を二人で山分け――すなわち、一本づつ持つ事にした。
「いやぁ、本当に見つかるとは思わなかったなぁ! 僕らついてる!」
「本当ですね! きっと日頃の行いの賜物でしょう!」
二人は笑顔で言いあいながら意気揚々と洞窟から出たのだった。
その後、セロンと紅瞳子とアルターは森で野営を行った。
森鹿を射抜き仕留めると、手に入れた短刀で捌く。
短刀は良く切れて、皮をとても綺麗に剥ぐことが出来た。四肢や内臓の解体も普段よりも少ない労力で簡単に出来た。
火を熾して肉を焼き、携行していた塩を振って簡単に味付けしてかぶりつく。
絶品という訳にはいかなかったが、なかなか美味だった。
星空の下、焚き火の側に巨狼が座り、二人は巨狼の身に背中を預けるようにして眠りについたのだった。
夜が明け、森の入口まで帰還すると紅瞳子はセロンへと「今回も楽しかったです!」と言って、またの再会を約束し、アルターと共に何処かへと去っていった。
セロンは屋敷に帰還した。
すると、セロンに注意など払っていない筈の叔父が、こんな時だけセロンが持ち帰った短刀に目敏く気づいて問いただして来た。
誤魔化す事も考えたが、面倒なので正直に言うと、叔父はいつもの仏長面でセロンを見つめしばし沈黙していたが、やがて、
「これはお前が一人前になるまで預かっておく」
と一方的に宣言されて短刀を取り上げられてしまった。
セロンは抗議したが、蔵の地図は少なくとも現時点ではお前の所有物ではなかった、と叔父から言われてしまうと反論も出来なかった。
「……あーあ、結局、手に入ったのは冒険の思い出プライスレスだけか」
セロンは自室のベッドの上に大の字になって転がると、そう溜息をついた。
ただ、それほど悪い気分ではなかったので、宝探しの冒険を自分はそれなりに楽しめていたのだろうな、と少年は思ったのだった。