知識の源
キャラクターノベル制作 革酎納品 2022年02月14日 10時22分22秒
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リーンエス王国北部の町ホークヤードにも、貸本業を営む店舗は幾つかある。
この時代、製本技術は非常に高度であり、活版印刷などという発想は未だ誕生していない為、大抵の書物は一冊限りの書下ろしという形で世に残されている。
貸本業とは即ち、それら貴重な書物を貸出という形で世間の目に触れさせ、ひとびとの知識獲得の一助となる業種であった。書物を借りた者は、必要であれば欲しい知識や文章を己の手で別の冊子やメモ等に書き写し、情報として己の手元に置くという按配だ。
それは探偵業を営むヴァン・ローラントも例外ではない。
ヴァンはローラント探偵事務所の本来の主であり、同時にヴァンの師匠でもある探偵ローラントによって少年の頃から育てられ、鍛えられ、教育されてきた。
ローラントはヴァンに知識を与える際、貸本屋から借りてきた多くの書物を利用し、ヴァンに様々なことを教えてきた。そしてヴァン自身もより多くの知識を得る為に、ローラントに指示されるまでもなく、自らの意思で貸本屋へと足を運ぶ習慣が身に付いた。
ヴァンにとっては自らの成長と貸本は、切っても切れない縁で繋がれているといって良い。
そして貸本から知識を得るという習慣は探偵としてひとり立ちした今もまだ、続いている。否、寧ろこれからの方がより多く世話になるのかも知れない。
探偵業には、情報と知識は不可欠だ。情報は探偵個人の力だけではどうにもならないケースが少なくないが、知識に関しては完全に、得ようとする意志を持つ本人自身の問題である。
自ら得たいと欲しなければ、決して身に付かない。それが知識だ。
ヴァンはこの先も探偵業を営んでゆく為には、より多くの、そして広範に亘る様々な専門知識を身に付けなければならないと考えている。そんなヴァンにとっては、貸本屋は絶対に必要不可欠な存在であった。
幸い、ヴァンには行きつけの貸本屋が存在する。
ローラントの以前からの顔馴染みが店主を務め、ヴァン自身もローラントに育てられる様になってからは、この店主とは長年の友人同士という関係を築くにまで至った。
二月のある寒い日、ヴァンはいつもの様に新たな知識を得たいと欲して、件の貸本屋へと足を運んだ。ローラント探偵事務所からは徒歩で数分程度の距離にある為、暇さえあればヴァンは足繁く通う習慣が身についていたのである。
やや分厚めの木製扉を押し開くと、入ってすぐの位置に据えられている受付カウンターには見慣れた青年姿のエルフがのんびりと木椅子に腰を下ろしていた。
青年姿とはいっても、実際の年齢は分からない。長い頭髪は白一色に染まり、その物腰からは相当に年を経た者特有の落ち着きが感じられる。
彼は、この貸本屋の主であった。
名はニコ。
自身で付けたあだ名のようなものらしい。本名は非常に長ったらしい為、この短い通称で通しているという話であった。
ニコは見た目こそ若いが、実年齢は既に100歳を超えている筈だというのが、ローラントからの情報だった。尤も、ニコもローラントも年齢については然程に興味が無いらしく、そのことについて話題になったことは、ヴァンの知る限りでは一度も無かった。
「やぁ、いらっしゃい。新しい本が入ってるよ」
この日もヴァンが顔を覗かせると、ニコはいつもの様に穏やかな笑みを湛えてヴァンを出迎えてくれた。
●
今回ヴァンが借りようとしているのは、薬草に関する書物だ。ここ最近、薬物絡みの事件や依頼に接することが多かった為、最新の知識を身に着けておこうと考えた次第である。
ヴァンが真新しい装丁の一冊を手に取って受付カウンターへ足を運ぶと、ニコは毎度のゆったりとした手つきで貸出の為の手続きを進めた。
「ところでヴァン、もし時間があれば、ひとつ頼みごとを聞いてくれないかな」
「珍しいですね。何かお困りごとでも?」
貸出手続きが終わった書物を受け取って鞄の中に仕舞い込みながら、ヴァンは小首を傾げた。大抵の場合、ニコとは雑談を交わす程度で終わるのだが、この日に限っていえば、ニコは表の吊り下げ看板を営業中から営業終了へと裏返してから、ヴァンを奥の個室へと招き込んだ。
「いやぁ、実はちょっと困ったことになってねぇ」
ヴァンを木椅子に座らせるなり、ニコはやれやれとかぶりを振りながら小さな溜息を漏らした。
曰く、貴重な貸本を全く返却しようとしない困った客が現れた、というのである。
「客の名前はケネス・ウェイト……貸し出した本は生活紋具と紋具工房に関する本だね」
いいながらニコは、貸出台帳を開いてヴァンに示した。更にニコは、このケネスというのはどうやら偽名らしいとも続けた。
というのも、返却催促の為にと貸出台帳に記された住所を訪れたところ、ケネス・ウェイトなる人物はその住所には居住していないことが分かったというのである。
「窃盗と詐欺、ですね。この場合はホークヤード警備隊に被害を届け出た方が良いのでは?」
「それがねぇ……ここを管轄するのがファブリスとかいう隊員でね。私は、その隊員がどうも苦手というか、正直にいうと嫌いなもんでね……」
だから警備隊には頼りたくない、というのがニコの弁だった。
このニコの気持ちは、ヴァンにも大いに理解出来た。ファブリス・ハワードという警備隊員は根っからのヒューマン至上主義で、ドワーフやエルフ、或いはハーフビーストやリザードマンなどは存在そのものが悪だと決めつけている極端な差別意識の持ち主であった。
リーンエス王国全体に蔓延るヒューマン至上主義を考えればファブリスの様な思想の持ち主は決して珍しくはないものの、公正を期さねばならない警備隊員という立場の者としては、全く頼りに出来ない。
だからニコは、ケネス・ウェイトという男からの貴重な本の奪還を、探偵であるヴァンに頼みたいというのである。
「人相は覚えていますか?」
「うん、似顔絵が描けるぐらいには覚えているよ」
ヴァンに応じながら、ニコは羊皮紙を一枚取り出し、そこにインクを含ませたペン先を走らせた。
相変わらず記憶力は抜群だなと内心で舌を巻きつつ、ヴァンはニコが描く似顔絵をじっと凝視した。どうやらありふれた顔つきのヒューマン男性らしく、年の頃は二十代から三十代前半といったところか。
ニコが作成した似顔絵を手に取ると、ヴァンはすぐさま店舗を飛び出した。ニコの貸本屋だけが被害に遭っているとは到底思えず、他の貸本屋でも同様の被害が起きていないか確認することをまず第一に考えた。
弾ける様な勢いで捜査に着手したヴァンを、ニコは穏やかな表情で見送った。
「ほんと、まるで親子だね……顔は似てないし種族も違うけど、探偵としての気質はまるでそっくりだ」
ヴァンに任せておけば大丈夫だと、ニコは木椅子の上で大きく伸びをしながら穏やかに笑った。
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ヴァンの読みは、当たった。
ケネス・ウェイトなる人物は盗んだ貸本を売り払い、金に換えて生計を立てていると睨んだのだ。
であれば同じ貸本屋だけに留まらず、他の貸本屋でも同様の手口で貴重な本を盗み出している筈だと考えた訳である。
ニコ作の似顔絵で各所の貸本屋を廻ってみたところ、合計七カ所の店舗で同様の被害が確認された。しかし、必ずしもホークヤード内の全ての貸本屋で被害が出ている訳でもない。
ヴァンはホークヤードの地図を開き、被害に遭った貸本屋の位置に印をつけた。犯人は自身の拠点を中心として、同心円状に犯行を重ねていると推測したのである。
逆にいえば、被害に遭った貸本屋の位置を結んで円を描き、その円の中心付近にケネス・ウェイトは居る、と考えれば良い。
そして、見つけた。ケネス・ウェイトが潜んでいるのはおおよそこの辺りだと、ヴァンは地図上のある一点に印を書き込んだ。後はこの地点の周辺でケネスを捜索すれば良い。
その日の夕刻、ヴァンはニコの貸本屋へと引き返し、ケネスの大体の所在地を告げた。
「流石だねぇ、ヴァン……もうそんなところまで絞り込めたんだ」
「これから奴の居場所を絞り込んで、乗り込みます。出来れば、一緒に来て貰えませんか?」
ニコの店舗から盗まれた本については、流石のヴァンもよく分からない。そこでニコ自身に検分して貰い、ケネスの手元にある本が間違い無くニコの店舗の蔵書であることを確認して欲しい、という訳である。
勿論だと、ニコは静かに頷き返した。
「大事な本を傷つけたり、はした金の為に売り払うなんて真似は、絶対に許さないからね」
この時一瞬だけ、ニコの瞳に今まで見たことが無い様な憤怒の色が宿った。
ヴァンは、日頃穏やかな表情を崩さないニコでも怒ることがあるのだと、内心で微かに驚きを覚えた。
それから、小一時間後。
ヴァンとニコは問題の区域一帯で聞き込みを進め、漸くケネスの居場所を特定するに至った。いささかスラム街に近しい雰囲気の、雑多な空気が漂う下町の一角であった。
この近辺の住民の話によれば、ケネスらしき人物は半年ほど前に引っ越してきた部外者で、近隣住民とも余り接触が無いらしい。元々この地域は犯罪者崩れや他所でのお尋ね者が逃げ込む様にして仮住まいを設けることが少なくないとのことで、ケネスもそういった輩のひとりなのに違いないと、住民達はしたり顔で話していた。
「成程……貸本屋の本を売り捌くのは、ほんの一時凌ぎ的な資金稼ぎという可能性が高いという訳ですね」
「なら尚一層、許せないな。そんな下らないことの為に貴重な本を犠牲にするなんて」
ヴァンの渋い表情に対し、ニコはここでも再び怒りの念を静かに滲ませた。
しかし、敵はもう目と鼻の先にまで追い詰めている。後は直接対決に持ち込むのみだ。
「敵はどの様な反撃に打って出てくるかも分かりません。戦闘になったら、後ろに退がって下さい」
「任せるよ。君はもう、立派な授恵者だからね」
再び頭を切り替え、穏やかに笑うニコ。
ヴァンはニコを先導する形で、とある集合住宅の一室を訪ねた。ここが、ケネス・ウェイトなる人物の住居だった。
ノックに応じて姿を現したのは、まさにあの似顔絵そっくりのヒューマン男性であった。
ヴァンが用件を告げると、ケネスらしき人物はさっと顔色を変えたが、しかしすぐに開き直った様な調子でふんと鼻を鳴らした。
「証拠はあるのかぁ? いっとくが、あの本は俺のモンだからな」
その反応に嫌な予感を覚えたヴァンは即座に室内へと踏み込み、卓上に置かれていた数冊の本を手に取った。ニコの表情から、彼の店舗から盗まれた一冊を素早く特定し、そして裏表紙を開く。
ここでヴァンは奥歯を噛み鳴らした。
本来そこには、ニコの店舗の押印がある筈であったが、黒インクでべったりと塗りつぶされていた。
●
「他人様の所有物に手ぇ出しといて、酷ぇいいがかりだよなぁ」
ケネスの挑発的な台詞に、ヴァンは鋭い視線を返した。だが、ヴァンが何かをいいかけるよりも早く、ニコがヴァンの手から件の書物を半ば強引に抜き取った。
「この程度でいい逃れ出来ると思ってたんなら、君の頭も大したことはないね」
突然何を思ったか、ニコは腰に吊り下げていた大きな黒い布を取り出した。
一体どうするつもりだろうとヴァンが内心で小首を傾げていると、ニコは表紙の裏側を開き、その上に広げた黒い布を被せた。
すると、表紙の裏側に特徴的な紋様が浮かび上がった。それはヴァンもよく知っている、ニコの貸本屋の印影だった。
「生憎だけど、私の本には裏表紙の赤インクによる押印だけじゃなく、表紙裏にもヒカリゴケの成分を使った塗料でもうひとつの印影を押してあったんだよ」
まさか、とその場で凝り固まるケネス。
これは流石にいい逃れは出来ないと悟ったのか、ケネスはその場にへなへなと腰砕けになる様な調子で座り込んでしまった。
結局ケネスはニコの店舗だけではなく、他の貸本屋からも出された被害届による捜査を受け、窃盗と詐欺の容疑でホークヤード警備隊に逮捕された。
ニコの店舗だけならば警備隊が動いたかどうかも怪しかったが、ケネスの失敗はヒューマンが店主を務める貸本屋にも手を出していたことだった。
リーンエス王国北部の町ホークヤードにも、貸本業を営む店舗は幾つかある。
この時代、製本技術は非常に高度であり、活版印刷などという発想は未だ誕生していない為、大抵の書物は一冊限りの書下ろしという形で世に残されている。
貸本業とは即ち、それら貴重な書物を貸出という形で世間の目に触れさせ、ひとびとの知識獲得の一助となる業種であった。書物を借りた者は、必要であれば欲しい知識や文章を己の手で別の冊子やメモ等に書き写し、情報として己の手元に置くという按配だ。
それは探偵業を営むヴァン・ローラントも例外ではない。
ヴァンはローラント探偵事務所の本来の主であり、同時にヴァンの師匠でもある探偵ローラントによって少年の頃から育てられ、鍛えられ、教育されてきた。
ローラントはヴァンに知識を与える際、貸本屋から借りてきた多くの書物を利用し、ヴァンに様々なことを教えてきた。そしてヴァン自身もより多くの知識を得る為に、ローラントに指示されるまでもなく、自らの意思で貸本屋へと足を運ぶ習慣が身に付いた。
ヴァンにとっては自らの成長と貸本は、切っても切れない縁で繋がれているといって良い。
そして貸本から知識を得るという習慣は探偵としてひとり立ちした今もまだ、続いている。否、寧ろこれからの方がより多く世話になるのかも知れない。
探偵業には、情報と知識は不可欠だ。情報は探偵個人の力だけではどうにもならないケースが少なくないが、知識に関しては完全に、得ようとする意志を持つ本人自身の問題である。
自ら得たいと欲しなければ、決して身に付かない。それが知識だ。
ヴァンはこの先も探偵業を営んでゆく為には、より多くの、そして広範に亘る様々な専門知識を身に付けなければならないと考えている。そんなヴァンにとっては、貸本屋は絶対に必要不可欠な存在であった。
幸い、ヴァンには行きつけの貸本屋が存在する。
ローラントの以前からの顔馴染みが店主を務め、ヴァン自身もローラントに育てられる様になってからは、この店主とは長年の友人同士という関係を築くにまで至った。
二月のある寒い日、ヴァンはいつもの様に新たな知識を得たいと欲して、件の貸本屋へと足を運んだ。ローラント探偵事務所からは徒歩で数分程度の距離にある為、暇さえあればヴァンは足繁く通う習慣が身についていたのである。
やや分厚めの木製扉を押し開くと、入ってすぐの位置に据えられている受付カウンターには見慣れた青年姿のエルフがのんびりと木椅子に腰を下ろしていた。
青年姿とはいっても、実際の年齢は分からない。長い頭髪は白一色に染まり、その物腰からは相当に年を経た者特有の落ち着きが感じられる。
彼は、この貸本屋の主であった。
名はニコ。
自身で付けたあだ名のようなものらしい。本名は非常に長ったらしい為、この短い通称で通しているという話であった。
ニコは見た目こそ若いが、実年齢は既に100歳を超えている筈だというのが、ローラントからの情報だった。尤も、ニコもローラントも年齢については然程に興味が無いらしく、そのことについて話題になったことは、ヴァンの知る限りでは一度も無かった。
「やぁ、いらっしゃい。新しい本が入ってるよ」
この日もヴァンが顔を覗かせると、ニコはいつもの様に穏やかな笑みを湛えてヴァンを出迎えてくれた。
●
今回ヴァンが借りようとしているのは、薬草に関する書物だ。ここ最近、薬物絡みの事件や依頼に接することが多かった為、最新の知識を身に着けておこうと考えた次第である。
ヴァンが真新しい装丁の一冊を手に取って受付カウンターへ足を運ぶと、ニコは毎度のゆったりとした手つきで貸出の為の手続きを進めた。
「ところでヴァン、もし時間があれば、ひとつ頼みごとを聞いてくれないかな」
「珍しいですね。何かお困りごとでも?」
貸出手続きが終わった書物を受け取って鞄の中に仕舞い込みながら、ヴァンは小首を傾げた。大抵の場合、ニコとは雑談を交わす程度で終わるのだが、この日に限っていえば、ニコは表の吊り下げ看板を営業中から営業終了へと裏返してから、ヴァンを奥の個室へと招き込んだ。
「いやぁ、実はちょっと困ったことになってねぇ」
ヴァンを木椅子に座らせるなり、ニコはやれやれとかぶりを振りながら小さな溜息を漏らした。
曰く、貴重な貸本を全く返却しようとしない困った客が現れた、というのである。
「客の名前はケネス・ウェイト……貸し出した本は生活紋具と紋具工房に関する本だね」
いいながらニコは、貸出台帳を開いてヴァンに示した。更にニコは、このケネスというのはどうやら偽名らしいとも続けた。
というのも、返却催促の為にと貸出台帳に記された住所を訪れたところ、ケネス・ウェイトなる人物はその住所には居住していないことが分かったというのである。
「窃盗と詐欺、ですね。この場合はホークヤード警備隊に被害を届け出た方が良いのでは?」
「それがねぇ……ここを管轄するのがファブリスとかいう隊員でね。私は、その隊員がどうも苦手というか、正直にいうと嫌いなもんでね……」
だから警備隊には頼りたくない、というのがニコの弁だった。
このニコの気持ちは、ヴァンにも大いに理解出来た。ファブリス・ハワードという警備隊員は根っからのヒューマン至上主義で、ドワーフやエルフ、或いはハーフビーストやリザードマンなどは存在そのものが悪だと決めつけている極端な差別意識の持ち主であった。
リーンエス王国全体に蔓延るヒューマン至上主義を考えればファブリスの様な思想の持ち主は決して珍しくはないものの、公正を期さねばならない警備隊員という立場の者としては、全く頼りに出来ない。
だからニコは、ケネス・ウェイトという男からの貴重な本の奪還を、探偵であるヴァンに頼みたいというのである。
「人相は覚えていますか?」
「うん、似顔絵が描けるぐらいには覚えているよ」
ヴァンに応じながら、ニコは羊皮紙を一枚取り出し、そこにインクを含ませたペン先を走らせた。
相変わらず記憶力は抜群だなと内心で舌を巻きつつ、ヴァンはニコが描く似顔絵をじっと凝視した。どうやらありふれた顔つきのヒューマン男性らしく、年の頃は二十代から三十代前半といったところか。
ニコが作成した似顔絵を手に取ると、ヴァンはすぐさま店舗を飛び出した。ニコの貸本屋だけが被害に遭っているとは到底思えず、他の貸本屋でも同様の被害が起きていないか確認することをまず第一に考えた。
弾ける様な勢いで捜査に着手したヴァンを、ニコは穏やかな表情で見送った。
「ほんと、まるで親子だね……顔は似てないし種族も違うけど、探偵としての気質はまるでそっくりだ」
ヴァンに任せておけば大丈夫だと、ニコは木椅子の上で大きく伸びをしながら穏やかに笑った。
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ヴァンの読みは、当たった。
ケネス・ウェイトなる人物は盗んだ貸本を売り払い、金に換えて生計を立てていると睨んだのだ。
であれば同じ貸本屋だけに留まらず、他の貸本屋でも同様の手口で貴重な本を盗み出している筈だと考えた訳である。
ニコ作の似顔絵で各所の貸本屋を廻ってみたところ、合計七カ所の店舗で同様の被害が確認された。しかし、必ずしもホークヤード内の全ての貸本屋で被害が出ている訳でもない。
ヴァンはホークヤードの地図を開き、被害に遭った貸本屋の位置に印をつけた。犯人は自身の拠点を中心として、同心円状に犯行を重ねていると推測したのである。
逆にいえば、被害に遭った貸本屋の位置を結んで円を描き、その円の中心付近にケネス・ウェイトは居る、と考えれば良い。
そして、見つけた。ケネス・ウェイトが潜んでいるのはおおよそこの辺りだと、ヴァンは地図上のある一点に印を書き込んだ。後はこの地点の周辺でケネスを捜索すれば良い。
その日の夕刻、ヴァンはニコの貸本屋へと引き返し、ケネスの大体の所在地を告げた。
「流石だねぇ、ヴァン……もうそんなところまで絞り込めたんだ」
「これから奴の居場所を絞り込んで、乗り込みます。出来れば、一緒に来て貰えませんか?」
ニコの店舗から盗まれた本については、流石のヴァンもよく分からない。そこでニコ自身に検分して貰い、ケネスの手元にある本が間違い無くニコの店舗の蔵書であることを確認して欲しい、という訳である。
勿論だと、ニコは静かに頷き返した。
「大事な本を傷つけたり、はした金の為に売り払うなんて真似は、絶対に許さないからね」
この時一瞬だけ、ニコの瞳に今まで見たことが無い様な憤怒の色が宿った。
ヴァンは、日頃穏やかな表情を崩さないニコでも怒ることがあるのだと、内心で微かに驚きを覚えた。
それから、小一時間後。
ヴァンとニコは問題の区域一帯で聞き込みを進め、漸くケネスの居場所を特定するに至った。いささかスラム街に近しい雰囲気の、雑多な空気が漂う下町の一角であった。
この近辺の住民の話によれば、ケネスらしき人物は半年ほど前に引っ越してきた部外者で、近隣住民とも余り接触が無いらしい。元々この地域は犯罪者崩れや他所でのお尋ね者が逃げ込む様にして仮住まいを設けることが少なくないとのことで、ケネスもそういった輩のひとりなのに違いないと、住民達はしたり顔で話していた。
「成程……貸本屋の本を売り捌くのは、ほんの一時凌ぎ的な資金稼ぎという可能性が高いという訳ですね」
「なら尚一層、許せないな。そんな下らないことの為に貴重な本を犠牲にするなんて」
ヴァンの渋い表情に対し、ニコはここでも再び怒りの念を静かに滲ませた。
しかし、敵はもう目と鼻の先にまで追い詰めている。後は直接対決に持ち込むのみだ。
「敵はどの様な反撃に打って出てくるかも分かりません。戦闘になったら、後ろに退がって下さい」
「任せるよ。君はもう、立派な授恵者だからね」
再び頭を切り替え、穏やかに笑うニコ。
ヴァンはニコを先導する形で、とある集合住宅の一室を訪ねた。ここが、ケネス・ウェイトなる人物の住居だった。
ノックに応じて姿を現したのは、まさにあの似顔絵そっくりのヒューマン男性であった。
ヴァンが用件を告げると、ケネスらしき人物はさっと顔色を変えたが、しかしすぐに開き直った様な調子でふんと鼻を鳴らした。
「証拠はあるのかぁ? いっとくが、あの本は俺のモンだからな」
その反応に嫌な予感を覚えたヴァンは即座に室内へと踏み込み、卓上に置かれていた数冊の本を手に取った。ニコの表情から、彼の店舗から盗まれた一冊を素早く特定し、そして裏表紙を開く。
ここでヴァンは奥歯を噛み鳴らした。
本来そこには、ニコの店舗の押印がある筈であったが、黒インクでべったりと塗りつぶされていた。
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「他人様の所有物に手ぇ出しといて、酷ぇいいがかりだよなぁ」
ケネスの挑発的な台詞に、ヴァンは鋭い視線を返した。だが、ヴァンが何かをいいかけるよりも早く、ニコがヴァンの手から件の書物を半ば強引に抜き取った。
「この程度でいい逃れ出来ると思ってたんなら、君の頭も大したことはないね」
突然何を思ったか、ニコは腰に吊り下げていた大きな黒い布を取り出した。
一体どうするつもりだろうとヴァンが内心で小首を傾げていると、ニコは表紙の裏側を開き、その上に広げた黒い布を被せた。
すると、表紙の裏側に特徴的な紋様が浮かび上がった。それはヴァンもよく知っている、ニコの貸本屋の印影だった。
「生憎だけど、私の本には裏表紙の赤インクによる押印だけじゃなく、表紙裏にもヒカリゴケの成分を使った塗料でもうひとつの印影を押してあったんだよ」
まさか、とその場で凝り固まるケネス。
これは流石にいい逃れは出来ないと悟ったのか、ケネスはその場にへなへなと腰砕けになる様な調子で座り込んでしまった。
結局ケネスはニコの店舗だけではなく、他の貸本屋からも出された被害届による捜査を受け、窃盗と詐欺の容疑でホークヤード警備隊に逮捕された。
ニコの店舗だけならば警備隊が動いたかどうかも怪しかったが、ケネスの失敗はヒューマンが店主を務める貸本屋にも手を出していたことだった。