心眼を曇らせず
キャラクターノベル制作 革酎納品 2022年01月13日 12時48分06秒
●
リーンエス王国北部の町ホークヤード内には、幾つかの商用区域がる。
そのうちの、とある商店街。
ヴァン・ローラントは干し肉や穀物類等の買い物を終えて、これから業務と生活双方の拠点たるローラント探偵事務所へ引き返そうとしていた。
空はどんよりと曇っている。王国内では比較的シルトラース帝国に近い町ということもあり、寒い季節になると国境の山脈を越えて流れ込む雪雲がここホークヤードの上空にまで辿り着くことは、決して珍しい話ではなかった。
時刻は午後。道行くひとびとは天候の急変を恐れてか、急ぎ足で通りを行き交う。ヴァンも雪や霙に降られては堪らぬと、足を速めた。
そして、探偵事務所へと連なる路地に足を踏み入れた時、余り嬉しくない場面に遭遇した。
道端で三つの人影が、何やらひと悶着起こしている。
ひとりは、ホークヤード警備隊員。
別のひとりは商人と思しき初老の紳士。
そして今ひとりは、鼠の半獣人らしき小柄な少女。
警備隊員と初老の紳士はいずれもヒューマンで、半獣人の少女に凄まじい剣幕で迫っている。半獣人の少女も負けてはおらず、強気な態度で猛然と反論していた。
「良いから、早くその袋を返しなさい。今なら未遂で見逃してやっても良いんですよ」
初老の紳士の口ぶりは如何にも丁寧ではあったが、硬い声質と威圧的な態度から、好々爺という雰囲気とは程遠い。
これに対して半獣人の娘は、下から見上げる態勢ながらも一歩も引くまいという勢いを見せた。
「だーかーら! これはあんたのじゃないっていってるでしょ! 大体、何であたしがあんたの荷物なんかを盗まなきゃいけないのさ!」
すると横合いから、警備隊員が強面を挟み込んで少女の肩を鷲掴みに捉えた。
「半獣人如きが、デカい口を叩くな! どうせお前はスリか何かだろう! こちらの紳士の荷物が高価だと睨んで盗ったに違いない! お前ら半獣人は所詮、その程度の人種だ! これ以上抵抗するなら、警備隊本部までしょっ引くぞ!」
余りに横暴な台詞ではあったが、この警備隊員なら別段不思議でもない、とヴァンは内心で呆れた。
初老の紳士以上に怒りを露わにしているのはホークヤード警備隊員ファブリス・ハワード。以前にもヴァンに濡れ衣の殺人容疑がかけられた際、ヴァンがドワーフであるというそれだけの理由で、彼を犯人と決めつけたヒューマン至上主義の人物であった。
この男に関わると、ろくなことが無い。
ヴァンは敢えて素知らぬ風を装って通り過ぎようとしたが、しかしファブリスの方がヴァンの姿を目ざとく捉え、大声で呼ばわってきた。
「おい、ドワーフ探偵! お前、ちょっとこっちに来い!」
ヒューマン以外を徹底的に差別するファブリスが何故、ドワーフであるヴァンを呼び止めたのか。何となく察しはついたが、面倒なことになりそうだと、ヴァンは思わず天を仰いだ。
●
ヴァンは諦めて、件の三人のもとへと歩を寄せた。
するとファブリスは有無をいわさぬ調子で、頭ごなしに吠えた。
「ドワーフ探偵、お前、この小娘がこちらの紳士の大切な所持品を盗んだことを証明しろ。ドワーフの証明なら人種差別ではなく、正当に逮捕可能だ」
「それは依頼と見て宜しいですか?」
努めて平静な声を返すヴァン。ファブリスは馬鹿をいえと、唾を飛ばす勢いで再度吠えた。
「ドワーフ如きが探偵事務所なんぞを経営しているのを、見逃してやっているんだ! ここは感謝の意を示し、お前の意思で解決を図って差し上げようと考えるのが当然だろう!」
無茶苦茶ないい分だった。
ヴァンの探偵事務所経営は合法である。取り締まりの対象ですらない。であるにも関わらず、ファブリスはローラント探偵事務所の存在そのものが違法であり邪道だと決めつけている。最早、話の通じる相手ではない。
だがここで断ってしまえば、ファブリスはその無法さ故に、今度はヴァンに対してどの様な難癖を叩きつけてくるか分かったものではない。この場は大人しく、引き受けるしかなさそうであった。
「こんな寒い日に立ち話でも何ですから、私の探偵事務所までお越し願えませんか? 私もこんな荷物を抱えたままでは、集中してお話をお聞きすることも出来ませんし」
それも尤もな話だと、ファブリスはヴァンの申し出に珍しく同意した。
残るふたりも早くこの揉め事を解決したいらしく、いずれも異論は無いと頷き返した。
この時ヴァンは、初老の紳士が見せた微妙な表情の差異に注目した。少し前、ファブリスが少女に対して警備隊本部に連行するぞと脅しをかけた時、何故か少女ではなく初老の紳士の方が幾分青ざめた表情を見せていたのである。
ところが今は、ヴァンの申し出を受けてほっとした様子を見せていた。これは一体、どの様な心理状態に起因するものであろう。
(何か、ある)
ヴァンは裏に何かが潜んでいると推測しながらも、顔には決して出さずに、三人の客人を連れて探偵事務所へと引き返した。
生憎と温かい飲み物はすぐには用意出来なかった為、事務所の入っているアパルトメントの向かいにある小料理屋に、四人分の熱い紅茶を出前で取ることにした。
その間、ヴァンは改めてふたりからの自己紹介を受けた。
初老の紳士はギルバート・アッシャー、そして少女はジェナと名乗った。
「私は薬を扱う商店を営んでおります。そちらのお嬢さんが持っているのは、我が商店の新しい薬品でしてね。今日中に納品しないと大変なことになってしまうのです」
「それは、どの様な薬品で?」
訊いたのはヴァンではなく、ファブリスだった。ヴァンに解決を指示しておきながら、自ら首を突っ込まないと済まない性分らしい。
しかしギルバート老は渋い顔で、企業秘密ですとかぶりを振るばかりである。この場に於いても、ジェナの持つ袋の中身を外には出さず、内側を覗き込むことで自身が扱う商品かどうかを確認したいといい出す有様だ。
だが流石にそれでは、公平性に欠ける。
ジェナがギルバート老の所持品を盗んだかどうかをジャッジする為には、第三者による目視は絶対に必要であろう。
●
ヴァンは改めて事情を聞いた。
ギルバート老はこの日、新薬を得意先に納入する為に、ジェナが持っているものとよく似た袋に品を詰めて、商店を出た。
袋が無くなったのは、商店街の人混みの中である。誰かにぶつかられ、態勢が崩れて袋を路面に落としてしまったのだが、拾い上げようとした時には既に袋は無くなっていたのだという。
慌てて方々を探し回ったギルバートは、消えた袋とよく似たものを肩からぶら下げていたジェナを発見し、その場で問い詰めた。
すると、偶々近くを通りかかっていたファブリスが何事かと、ふたりの悶着に参戦してきたのである。ヴァンがファブリスに呼び止められたのは、まさにその直後であった。
ヴァンは盗まれたとされる袋の特徴を、詳細に問いただした。そして聞けば聞く程、ジェナの袋はギルバート老が盗まれたと主張する袋と極めてよく似ていることが分かった。
だが、ここでヴァンは幾つかの矛盾点に気付いた。
「仮にジェナさんが本当にスリだとしましょう。彼女がアッシャーさんからこの袋を奪ったとして、被害者であるアッシャーさんのすぐ目に付くところで、盗んだ物を堂々とぶら下げて町中を歩くでしょうか?」
そんなことをすれば、ジェナ自身の破滅に繋がる。普通なら袋の中身だけを頂戴し、袋そのものはどこかで処分する方が安全だ。捕縛されるリスクを冒してまで態々盗んだ袋のまま、町中を歩くだろうか。
ヴァンの指摘に、ギルバート老は成程と頷き返した。
一方、ファブリスはジェナが馬鹿だから、そこまで気付かなかっただけだろうと鼻を鳴らしたが、その意見はギルバート老の胸には響かなかった様だ。
ここでヴァンは、ひとつの提案を持ち出した。袋の中身をまずヴァンが確認し、もしそれがギルバート老のいう薬品であればジェナをこの場で逮捕すれば良い、と。
その為にはヴァンがギルバート老から新薬の外観的特徴について、情報を得なければならない。
「それなら私が」
相変わらず首を突っ込みたがるファブリス。これに対しギルバート老はどういう訳か、ヴァンを確認役として指名した。ファブリスが一気に不機嫌となったのが、目に見えて分かった。
ギルバート老はファブリスの態度などには目もくれず、ヴァンにそっと耳打ちした。ヴァンは成程、そういうことかと内心で納得しながらも表情は平静を保ったままで、じっと聞き入った。
次いでヴァンは、ジェナの袋の中身を視認した。
「アッシャーさん、残念ながらこの袋の中身は別のものでした」
ジェナの同意を得た上で、ヴァンは袋の口を大きく開いた。中に入っていたのは大きな菓子パンだった。
「では改めてお聞きしますが……ジェナさん、これはどういった品ですか?」
「あたしの双子の弟達へのプレゼントだよ。今日が誕生日なんだ」
●
ジェナへの容疑が晴れたところで、この場の問題は一旦は解決した。
ファブリスとしてもこれ以上ローラント事務所に居座る理由が無く、失われたギルバート老の袋を探す為にと町中へ飛び出していった。
ジェナも、弟達が待っているからとローラント事務所を辞した。
残ったのはヴァンとギルバート老のふたりだけであった。
「探偵殿、そのぅ、ひとつ、お願いがございまして……」
「心得ています。新薬の情報は一切、口外しません。そんなことをすればアッシャーさんだけでなく、私も警備隊に逮捕されてしまいます」
ギルバート老がヴァンに告げた新薬とは、ここホークヤードでは禁制品として登録されている、或る魔獣の角であった。
そんなものを取り扱っている事実が知られればギルバート老は当然、警備隊に逮捕される。そしてその事実を知りながらファブリスに告げなかったヴァンも、同じく逮捕対象だ。
ヴァンは常時、ギルバート老がファブリスに対して警戒し、且つ迷惑に感じている様子をその言動の端々から感じ取っていたのは、新薬が禁制品であり、その事実がファブリスにバレることを恐れていたからに違いない。その為、ヴァンに事態の解決が任されたのは、ギルバート老にとっては渡りに船だったらしい。
ところで、とヴァンは話題を変えた。問題の新薬の行方について、である。
「アッシャーさんにぶつかってきた者は恐らく、新薬を奪った奴の仲間でしょう。そしてその時、アッシャーさんが新薬を所持していたことを知る人物が犯人かと思われます」
身内や関係者に心当たりは無いかと尋ねると、ギルバート老は渋い表情を見せた。思い当たる名前が幾つか、頭の中に思い浮かんだのであろう。
「奪還を目指すなら、急いだ方が良いでしょう」
ヴァンのそのひと言に押される格好で、ギルバート老は探偵事務所を飛び出していった。
これで一件落着――ヴァンは紅茶のお代わりを求めて、アパルトメント向かいの小料理屋へと足を運んだ。
するとそこに、何故かジェナが居た。
この近所に住んでいるらしいジェナは、弟達に菓子パンを手渡した後で再び引き返してきたらしい。店先のテラスで熱い紅茶を飲みながら、ヴァンかギルバート老が探偵事務所を出るのを待っていた様だ。
「さっきは、ありがとうね。あの警備隊員だけに仕切られてたら、どうなってたか分かんないよ」
「お気になさらず。私もハワード警備隊員に半分脅されて着手した様なものですから」
ヴァンは苦笑を浮かべつつも、同じテラス席に腰を下ろして紅茶を注文した。
それにしても、弟達の為に一歩も退かなかったのは立派だ、とヴァンはジェナの心意気に賛辞を贈った。ジェナは頭を掻きながら、はにかんだ笑みを浮かべる。
「だってここはリーンエス王国……ヒューマン以外は圧倒的に不利な土地だもん。弱気になってたらすぐに連中のいい分に呑み込まれて、生きていけなくなるよ」
確かにその通りだ、とヴァンは頷く。
ヒューマン至上主義が少なくないのが、王国の特徴だ。それ以外の人種は心を強く持っていなければ、あっという間に弾き出されてしまうだろう。
ヴァンはふと、幼い頃の思い出を脳裏に浮かべて、すぐに打ち消す。
ドワーフであることに、今は何の引け目も感じてはいなかった。
リーンエス王国北部の町ホークヤード内には、幾つかの商用区域がる。
そのうちの、とある商店街。
ヴァン・ローラントは干し肉や穀物類等の買い物を終えて、これから業務と生活双方の拠点たるローラント探偵事務所へ引き返そうとしていた。
空はどんよりと曇っている。王国内では比較的シルトラース帝国に近い町ということもあり、寒い季節になると国境の山脈を越えて流れ込む雪雲がここホークヤードの上空にまで辿り着くことは、決して珍しい話ではなかった。
時刻は午後。道行くひとびとは天候の急変を恐れてか、急ぎ足で通りを行き交う。ヴァンも雪や霙に降られては堪らぬと、足を速めた。
そして、探偵事務所へと連なる路地に足を踏み入れた時、余り嬉しくない場面に遭遇した。
道端で三つの人影が、何やらひと悶着起こしている。
ひとりは、ホークヤード警備隊員。
別のひとりは商人と思しき初老の紳士。
そして今ひとりは、鼠の半獣人らしき小柄な少女。
警備隊員と初老の紳士はいずれもヒューマンで、半獣人の少女に凄まじい剣幕で迫っている。半獣人の少女も負けてはおらず、強気な態度で猛然と反論していた。
「良いから、早くその袋を返しなさい。今なら未遂で見逃してやっても良いんですよ」
初老の紳士の口ぶりは如何にも丁寧ではあったが、硬い声質と威圧的な態度から、好々爺という雰囲気とは程遠い。
これに対して半獣人の娘は、下から見上げる態勢ながらも一歩も引くまいという勢いを見せた。
「だーかーら! これはあんたのじゃないっていってるでしょ! 大体、何であたしがあんたの荷物なんかを盗まなきゃいけないのさ!」
すると横合いから、警備隊員が強面を挟み込んで少女の肩を鷲掴みに捉えた。
「半獣人如きが、デカい口を叩くな! どうせお前はスリか何かだろう! こちらの紳士の荷物が高価だと睨んで盗ったに違いない! お前ら半獣人は所詮、その程度の人種だ! これ以上抵抗するなら、警備隊本部までしょっ引くぞ!」
余りに横暴な台詞ではあったが、この警備隊員なら別段不思議でもない、とヴァンは内心で呆れた。
初老の紳士以上に怒りを露わにしているのはホークヤード警備隊員ファブリス・ハワード。以前にもヴァンに濡れ衣の殺人容疑がかけられた際、ヴァンがドワーフであるというそれだけの理由で、彼を犯人と決めつけたヒューマン至上主義の人物であった。
この男に関わると、ろくなことが無い。
ヴァンは敢えて素知らぬ風を装って通り過ぎようとしたが、しかしファブリスの方がヴァンの姿を目ざとく捉え、大声で呼ばわってきた。
「おい、ドワーフ探偵! お前、ちょっとこっちに来い!」
ヒューマン以外を徹底的に差別するファブリスが何故、ドワーフであるヴァンを呼び止めたのか。何となく察しはついたが、面倒なことになりそうだと、ヴァンは思わず天を仰いだ。
●
ヴァンは諦めて、件の三人のもとへと歩を寄せた。
するとファブリスは有無をいわさぬ調子で、頭ごなしに吠えた。
「ドワーフ探偵、お前、この小娘がこちらの紳士の大切な所持品を盗んだことを証明しろ。ドワーフの証明なら人種差別ではなく、正当に逮捕可能だ」
「それは依頼と見て宜しいですか?」
努めて平静な声を返すヴァン。ファブリスは馬鹿をいえと、唾を飛ばす勢いで再度吠えた。
「ドワーフ如きが探偵事務所なんぞを経営しているのを、見逃してやっているんだ! ここは感謝の意を示し、お前の意思で解決を図って差し上げようと考えるのが当然だろう!」
無茶苦茶ないい分だった。
ヴァンの探偵事務所経営は合法である。取り締まりの対象ですらない。であるにも関わらず、ファブリスはローラント探偵事務所の存在そのものが違法であり邪道だと決めつけている。最早、話の通じる相手ではない。
だがここで断ってしまえば、ファブリスはその無法さ故に、今度はヴァンに対してどの様な難癖を叩きつけてくるか分かったものではない。この場は大人しく、引き受けるしかなさそうであった。
「こんな寒い日に立ち話でも何ですから、私の探偵事務所までお越し願えませんか? 私もこんな荷物を抱えたままでは、集中してお話をお聞きすることも出来ませんし」
それも尤もな話だと、ファブリスはヴァンの申し出に珍しく同意した。
残るふたりも早くこの揉め事を解決したいらしく、いずれも異論は無いと頷き返した。
この時ヴァンは、初老の紳士が見せた微妙な表情の差異に注目した。少し前、ファブリスが少女に対して警備隊本部に連行するぞと脅しをかけた時、何故か少女ではなく初老の紳士の方が幾分青ざめた表情を見せていたのである。
ところが今は、ヴァンの申し出を受けてほっとした様子を見せていた。これは一体、どの様な心理状態に起因するものであろう。
(何か、ある)
ヴァンは裏に何かが潜んでいると推測しながらも、顔には決して出さずに、三人の客人を連れて探偵事務所へと引き返した。
生憎と温かい飲み物はすぐには用意出来なかった為、事務所の入っているアパルトメントの向かいにある小料理屋に、四人分の熱い紅茶を出前で取ることにした。
その間、ヴァンは改めてふたりからの自己紹介を受けた。
初老の紳士はギルバート・アッシャー、そして少女はジェナと名乗った。
「私は薬を扱う商店を営んでおります。そちらのお嬢さんが持っているのは、我が商店の新しい薬品でしてね。今日中に納品しないと大変なことになってしまうのです」
「それは、どの様な薬品で?」
訊いたのはヴァンではなく、ファブリスだった。ヴァンに解決を指示しておきながら、自ら首を突っ込まないと済まない性分らしい。
しかしギルバート老は渋い顔で、企業秘密ですとかぶりを振るばかりである。この場に於いても、ジェナの持つ袋の中身を外には出さず、内側を覗き込むことで自身が扱う商品かどうかを確認したいといい出す有様だ。
だが流石にそれでは、公平性に欠ける。
ジェナがギルバート老の所持品を盗んだかどうかをジャッジする為には、第三者による目視は絶対に必要であろう。
●
ヴァンは改めて事情を聞いた。
ギルバート老はこの日、新薬を得意先に納入する為に、ジェナが持っているものとよく似た袋に品を詰めて、商店を出た。
袋が無くなったのは、商店街の人混みの中である。誰かにぶつかられ、態勢が崩れて袋を路面に落としてしまったのだが、拾い上げようとした時には既に袋は無くなっていたのだという。
慌てて方々を探し回ったギルバートは、消えた袋とよく似たものを肩からぶら下げていたジェナを発見し、その場で問い詰めた。
すると、偶々近くを通りかかっていたファブリスが何事かと、ふたりの悶着に参戦してきたのである。ヴァンがファブリスに呼び止められたのは、まさにその直後であった。
ヴァンは盗まれたとされる袋の特徴を、詳細に問いただした。そして聞けば聞く程、ジェナの袋はギルバート老が盗まれたと主張する袋と極めてよく似ていることが分かった。
だが、ここでヴァンは幾つかの矛盾点に気付いた。
「仮にジェナさんが本当にスリだとしましょう。彼女がアッシャーさんからこの袋を奪ったとして、被害者であるアッシャーさんのすぐ目に付くところで、盗んだ物を堂々とぶら下げて町中を歩くでしょうか?」
そんなことをすれば、ジェナ自身の破滅に繋がる。普通なら袋の中身だけを頂戴し、袋そのものはどこかで処分する方が安全だ。捕縛されるリスクを冒してまで態々盗んだ袋のまま、町中を歩くだろうか。
ヴァンの指摘に、ギルバート老は成程と頷き返した。
一方、ファブリスはジェナが馬鹿だから、そこまで気付かなかっただけだろうと鼻を鳴らしたが、その意見はギルバート老の胸には響かなかった様だ。
ここでヴァンは、ひとつの提案を持ち出した。袋の中身をまずヴァンが確認し、もしそれがギルバート老のいう薬品であればジェナをこの場で逮捕すれば良い、と。
その為にはヴァンがギルバート老から新薬の外観的特徴について、情報を得なければならない。
「それなら私が」
相変わらず首を突っ込みたがるファブリス。これに対しギルバート老はどういう訳か、ヴァンを確認役として指名した。ファブリスが一気に不機嫌となったのが、目に見えて分かった。
ギルバート老はファブリスの態度などには目もくれず、ヴァンにそっと耳打ちした。ヴァンは成程、そういうことかと内心で納得しながらも表情は平静を保ったままで、じっと聞き入った。
次いでヴァンは、ジェナの袋の中身を視認した。
「アッシャーさん、残念ながらこの袋の中身は別のものでした」
ジェナの同意を得た上で、ヴァンは袋の口を大きく開いた。中に入っていたのは大きな菓子パンだった。
「では改めてお聞きしますが……ジェナさん、これはどういった品ですか?」
「あたしの双子の弟達へのプレゼントだよ。今日が誕生日なんだ」
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ジェナへの容疑が晴れたところで、この場の問題は一旦は解決した。
ファブリスとしてもこれ以上ローラント事務所に居座る理由が無く、失われたギルバート老の袋を探す為にと町中へ飛び出していった。
ジェナも、弟達が待っているからとローラント事務所を辞した。
残ったのはヴァンとギルバート老のふたりだけであった。
「探偵殿、そのぅ、ひとつ、お願いがございまして……」
「心得ています。新薬の情報は一切、口外しません。そんなことをすればアッシャーさんだけでなく、私も警備隊に逮捕されてしまいます」
ギルバート老がヴァンに告げた新薬とは、ここホークヤードでは禁制品として登録されている、或る魔獣の角であった。
そんなものを取り扱っている事実が知られればギルバート老は当然、警備隊に逮捕される。そしてその事実を知りながらファブリスに告げなかったヴァンも、同じく逮捕対象だ。
ヴァンは常時、ギルバート老がファブリスに対して警戒し、且つ迷惑に感じている様子をその言動の端々から感じ取っていたのは、新薬が禁制品であり、その事実がファブリスにバレることを恐れていたからに違いない。その為、ヴァンに事態の解決が任されたのは、ギルバート老にとっては渡りに船だったらしい。
ところで、とヴァンは話題を変えた。問題の新薬の行方について、である。
「アッシャーさんにぶつかってきた者は恐らく、新薬を奪った奴の仲間でしょう。そしてその時、アッシャーさんが新薬を所持していたことを知る人物が犯人かと思われます」
身内や関係者に心当たりは無いかと尋ねると、ギルバート老は渋い表情を見せた。思い当たる名前が幾つか、頭の中に思い浮かんだのであろう。
「奪還を目指すなら、急いだ方が良いでしょう」
ヴァンのそのひと言に押される格好で、ギルバート老は探偵事務所を飛び出していった。
これで一件落着――ヴァンは紅茶のお代わりを求めて、アパルトメント向かいの小料理屋へと足を運んだ。
するとそこに、何故かジェナが居た。
この近所に住んでいるらしいジェナは、弟達に菓子パンを手渡した後で再び引き返してきたらしい。店先のテラスで熱い紅茶を飲みながら、ヴァンかギルバート老が探偵事務所を出るのを待っていた様だ。
「さっきは、ありがとうね。あの警備隊員だけに仕切られてたら、どうなってたか分かんないよ」
「お気になさらず。私もハワード警備隊員に半分脅されて着手した様なものですから」
ヴァンは苦笑を浮かべつつも、同じテラス席に腰を下ろして紅茶を注文した。
それにしても、弟達の為に一歩も退かなかったのは立派だ、とヴァンはジェナの心意気に賛辞を贈った。ジェナは頭を掻きながら、はにかんだ笑みを浮かべる。
「だってここはリーンエス王国……ヒューマン以外は圧倒的に不利な土地だもん。弱気になってたらすぐに連中のいい分に呑み込まれて、生きていけなくなるよ」
確かにその通りだ、とヴァンは頷く。
ヒューマン至上主義が少なくないのが、王国の特徴だ。それ以外の人種は心を強く持っていなければ、あっという間に弾き出されてしまうだろう。
ヴァンはふと、幼い頃の思い出を脳裏に浮かべて、すぐに打ち消す。
ドワーフであることに、今は何の引け目も感じてはいなかった。