伯爵令嬢の告白

キャラクターノベル制作 革酎納品 2022年01月04日 10時03分39秒

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 数日来の降雪で、すっかり銀世界と化した山岳集落群カルケルーア・ロモズ。
 多くの集落民が除雪作業に駆り出され、集落内の各道端には山と積み上げられた白い塊が壁の様にずらりと並んでいる。
 夜になっても一部の集落道では雪かきが続いており、ランタンに照らし出されるひとびとの顔は、次第に疲労の色が濃くなりつつあった。
 そんな中、フード付きの赤いマントを羽織った小柄な影がひとつ、滑り易い足元を気にしながら集落内でも屈指の大きな建物へと歩を進めてゆく。
 ロモズ歩兵団遊兵8番隊長アウレーリア・フォン・ネーベルベルクは、歩兵団事務棟の執務室で遅くまで事務処理作業に励んでいた『あなた』を訪れた。
 いつもとは少しばかり様子が異なる、弱々しいノック。名乗りの際も、アウレーリアの声にはいつもの張りが感じられなかった。
 どうぞ、と入室を促した『あなた』は、燭台の淡い灯火の中で幾分憔悴したアウレーリアの端正な顔を、じっと凝視した。
 矢張り、どこか変だ――眉間に皺を寄せながらも、『あなた』はアウレーリアに椅子を勧めた。沈んだ表情のままゆっくりと腰を下ろすアウレーリアに、『あなた』は寒かっただろうと熱い紅茶を注いだティーカップを手渡した。
「少しお時間を頂いても宜しいでしょうか……お話したいことがございます」
 ティーカップには口をつけず、苦しげな様子で視線を落としていたアウレーリアが何か思い詰めた様に、そっと顔を上げた。緑に輝く瞳の中に、決意めいた色が見え隠れしている。
 構わない、と『あなた』は応じた。
「お話したいのは、私の兄のことです」
 アウレーリアは再び視線を落としたが、今度は然程の時間を置かず、再び目線を戻し、『あなた』の顔を真正面から静かに見据えた。
「……これからお話しするのは、我が兄アルフォンスのことです」
 アウレーリアに兄が居たということは、『あなた』も以前に聞いている。そして最愛の家族が全員、帝国崩壊の際に命を落としたらしい、ということも。
 だがこの時のアウレーリアは少しばかり、様子がおかしかった。ただ単に、故人を偲ぶだけの雰囲気には思えなかったのである。彼女が酷く思い詰めているのは、目に見えて明らかだった。
 では一体何に対して、そこまで心を痛めているというのだろう。
 何もいわずに『あなた』が次の言葉を待っていると、アウレーリアはぽつりぽつりと、胸の奥から絞り出す様にして言葉を繋ぎ始めた。
「私には、アルフォンス・コンラート・フェリックス・フォン・ネーベルベルクという兄が居ます。ネーベルベルク伯爵家嫡男にして、24歳の若さで家督継承を確実視された人物でした」
 ここで『あなた』は妙だ、と内心で小首を傾げた。
 兄アルフォンスの名を口にした時、アウレーリアは兄が居ます、と告げた。居ました、ではなく。
 過去形で語らず、現在形でその名を告げたことに、何か意味がある。
 アウレーリアが放つ次なる言葉に対し、その裏に隠された真意を決して見逃すまいと、『あなた』は注意深く意識を集中した。

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 シルトラース帝国崩壊前、アウレーリアは病弱な娘だった。
 帝国屈指の武門で知られるネーベルベルク伯爵家の家族や家士達はしかし、そんなアウレーリアを決して蔑んだりはせず、いつでも優しく接してくれた。それこそ、誰もが愛おしい我が子の様に大切に、そして愛情一杯にアウレーリアを見守ってくれていたのである。
「今日は調子が良さそうだね、アウレーリア」
「はい、アルフォンス兄様……」
 毎日必ず一度は、アルフォンスはアウレーリアの部屋を訪れ、彼女の機嫌を見舞ってくれた。アウレーリアが元気な笑顔を返せばアルフォンスも嬉しそうに微笑み、アウレーリアが調子を崩していれば、アルフォンスは心の底から心配してくれた。時には一日中、アウレーリアに寄り添ってくれることもあった。
 アルフォンスはアウレーリアから見ればひと回り程も年が離れた兄であり、彼女の中では兄弟というよりは、若い父親という意識が多分にあったのかも知れない。
 そしてアウレーリアにとってアルフォンスは、自慢の兄だった。幼少より神童の誉れ高かったという彼は政に長け、剣の腕も立つという文武両道の体現者であった。
 ネーベルベルク伯爵邸のテラスでは、アルフォンスはいつも大勢の友人達に囲まれて穏やかな笑顔を浮かべていた。いつだってひとの輪の中心にあり、数多くの貴族子女がアルフォンスを訪ねて、わざわざ足を運んできていた。
 ひとびとに囲まれ、朗らかに笑うアルフォンスの姿を遠目に垣間見るのは、アウレーリアにとってもひと際嬉しかった。アルフォンスは将来ネーベルベルク家の後継者として、家族と家士達を立派に引っ張っていってくれるだろうと、アウレーリアは心の底から信じて疑わなかった。
 事実アルフォンスは家柄、才能、人望と、多くを持ち合わせていた。アウレーリアには無いものをアルフォンスは完璧に具えていたが、アウレーリアはそんなアルフォンスを嫉妬するどころか、自分の兄として何よりも誇らしいと思っていた。
(アルフォンス兄様さえ居てくれれば、ネーベルベルク家は安泰ね……)
 何物にも代えがたい安心感が、自身の病弱という苦難をも忘れさせてくれる。アウレーリアにとってアルフォンスは、天使の様な存在だった。
 ところが――ある日の出来事が、アウレーリアの心に暗い陰を萌す引き金となった。
 次兄エルンストが、授恵者に覚醒したとの報告が舞い込んできた時であった。

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「あの時に見せたアルフォンスの顔は、今でも忘れられません」
 エルンストの授恵者覚醒を祝う席に於いて、アルフォンスは確かに笑みを絶やさなかった。しかしその瞳には喜色は微塵にも見て取ることが出来ず、寧ろその笑顔の裏には憤怒と憎悪の念が湧き起こっていることを、アウレーリアは密かに感じていた。
 ここで『あなた』は訊いた。何故アルフォンスはそこまで怒りを抱えたのか、と。
 アウレーリアは、私は愚かでしたと小さな溜息を漏らしてかぶりを振った。
「アルフォンスが何を目指し、どこに目標を置いていたのかを、まるで理解していませんでした」
 苦悩の色を更に強めて、アウレーリアはいう。アルフォンスが目指していたのは、全員が授恵者で構成される帝国皇帝直属の近衛連隊だったのだ。
 確かにアルフォンスは軍人として、そして政治家としてあらゆる才能に恵まれており、その一方で努力を決して惜しまなかった。しかしただひとつだけ、個人の努力や血統、才能等ではどうにもならない厳然たる事実が彼の目の前に横たわっていた。その冷酷なまでの事実が、アルフォンスの夢と目標に対する最大の障害として立ちはだかった。
 アルフォンスは、授恵者に覚醒していなかったのである。
 近衛連隊への入隊を如何に熱望したとしても、こればかりはどうにもならなかった。
 如何程の研鑽を積み、厳しい訓練を己に課し、日々鍛錬に励み続けたとしても、それは所詮一般人としての能力を高めるだけに過ぎない。
 だが彼ら――授恵者達はさしたる努力もせず、ある日突然覚醒した能力で、アルフォンスの血の滲む様な努力を簡単に凌駕してゆく。
 神の祝福ともいえる授恵者への覚醒。神に認められなければ、如何なる努力も意味を為さない。これは実力主義を至上とする帝国に於いては、致命的な欠陥であった。
「愚かな私は気づいていなかったのです。兄の……アルフォンスの心が絶望の闇に蝕まれつつあったことを」
 近衛連隊への入隊を渇望し、決して才能に溺れることなく、人一倍努力を重ね続けてきたアルフォンス。そんな彼の心を嘲笑うかの様に授恵者へと覚醒したエルンスト。これが赤の他人であるならば、まだ諦めもついただろう。しかしよりによって、エルンストが覚醒することになろうとは。
 一体何の冗談だと、アウレーリアですら皮肉に思えてならなかった。
 だが兎に角も、アウレーリアはアルフォンスの真意を知った。そしてそれ以降、アルフォンスはまるでひとが変わったかの様に、日々の行動が激変していったという。
「それ以降、兄は私の部屋に寄りつこうともしませんでした。まるで何かに取り憑かれたかの様に、毎日どこかへ足繁く通う様になりました」
 どこへ行っていたのかはアウレーリアにも知り得なかったが、余り良からぬ連中と付き合う様になったのは、容易に想像出来た。

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 知人を通じて、変わってしまったアルフォンスの言動がアウレーリアの耳にも届く様になった。
「神からの恩恵は遍くひとびとに授けられるべきである」
 そう主張するアルフォンスの言葉は一部の軍人や政治家、宗教家、或いは非才を理由に地位を追われた者達が関心を寄せる様になったらしい、と年長の家士が教えてくれた。
「アルフォンス兄様……一体、どうしてしまったというの……?」
 窓から無人のテラスを遠巻きに眺めながら、アウレーリアは苦しげに呻いた。
 更に数日後、アルフォンスが実力派と呼ばれる集団と頻繁に接触しているらしいとの噂が立っていることを、複数の家士から聞かされた。
 事実、アルフォンスはここ最近、屋敷を留守にすることが多くなった。何日も続けて外泊することも珍しくなくなった。間違い無く、アルフォンスの心は壊れてしまっていた。少なくともアウレーリアにはその様に思えてならなかった。
 そしてある日、アルフォンスは誰にも何も告げず、忽然と姿を消した。
 当然、ネーベルベルク伯爵家邸内は大騒ぎとなった。そんな中で、アウレーリアは訪れたアルフォンスの自室で妙な物を見た。執務卓上に放置されていたのは、近衛採用通知と記された書簡だった。
 アルフォンスが授恵者に覚醒したという話は、ただの一度も聞いたことが無い。なのに、何故アルフォンス宛ての採用通知が届いたというのだろう。
「兄様……授恵者になったの……?」
 漠然と呟いたアウレーリア。この通知書簡には帝国近衛連隊の押印の他に、見慣れない隊章が押されてあったのだが、それがどの隊のものであるのかは、この時には知り得なかった。
 激しい不安と恐怖がアウレーリアの心にずしりと圧し掛かり始めた頃、彼女から全てを失わしせしめた、あの恐るべき大乱が世界を包み込んだ。
 シルトラース帝国崩壊。
 アウレーリアはアルフォンスの足取りを追う間も無く、地獄の劫火の中へと叩き落とされた。

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 つい先日までアウレーリアは、アルフォンスが既にこの世を去ったと思っていた。
「帝都崩壊の折り、皇族ではレイウェスト殿下ただおひとりだけが生還なされました」
 これは誰もが知る事実である。そしてアルフォンスが本当に、彼の望み通りに近衛連隊への入隊が叶い、そして帝都へと赴いていたのだとすれば、レイウェストのみの帰還は即ち、アルフォンスの死を意味する。
 だが、アウレーリアが思い込んでいたアルフォンスの死という推測は、先般の事件で大きく覆された。
 帝国北方、防衛砦の街トルゴス近郊のパルドー森林で遭遇した帝国過激派クロブロッチ陸戦隊。
 隊長デトリフ・クロブロッチは『陛下』と共に帝都を脱出したことを匂わせる発言を口にしていた。
 帝国過激派――かつての実力派と呼ばれる集団が、そして『陛下』があの地獄を生き延びたというのなら。
「兄もまた、どこかで生きているのではないでしょうか」
 アウレーリアは『あなた』に問いかける訳でもなく、半ば独り言に近しい声音で静かに呟いた。
 一度は望みを捨てた少女の緑の瞳に、複雑な感情が湧き起こる。たったひとり、かつて敬愛した兄が、生きているかも知れない。
 だが、今のアルフォンスはあの優しい兄とは全くの別人と化しているだろう。それどころか、敵として立ちはだかることになるやも知れぬ。
 その恐るべき推論を、アウレーリアは口にする気力も残っていなかった。
 それは『あなた』にも容易に想像出来る結論ではあったが、そのことを指摘するのは『あなた』自身にも口憚られる様に思えた。

 あの時――近衛採用通知に押されていたのはクロブロッチ陸戦隊の隊章であったことを、アウレーリアは漸く思い出した。
 アルフォンスは恐らく生きている。彼自身が熱望した神の恩恵としての授恵者覚醒という結果ではなく、悪魔の所業、即ち、噂に聞く人造授恵者という命を得て。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0