リーベラの天秤 傾きは”左”へ
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2021年12月09日 14時32分32秒
「しかし――」
と、表情を緩めた商人達に、ヴィルジール・L・ディオールは切り出した。
「我が妹は、皆様に大事な話をしていませんね」
笑顔を崩さずそう言ったヴィルジールに、商人達の表情が一変した。
ある者は身構え、ある者は陽気に笑い返す。その誰もが、ここからが本番だと気を引き締める。
「はは、そのように怖い顔をされては、話しにくくて仕方ありませんよ。どうか、リラックスしてください。別に今この場で商談を始めようというわけではないのです」
ヴィルジールは雰囲気を一変させた商人達に、困ったように笑いかけた。
「私はただ、妹が紹介しきれていない部分を皆様にお伝えしたく思っているだけです」
ヴィルジールのその言葉に、ローザリカ・L・ディオールの肩が跳ねる。
「兄様……私の話に何か不備がありましたか……?」
「何を言うんだい、不備なんてある訳がないじゃないか。ローザリカはいつだって完璧だよ」
「そんな事は……」
痛いほどにぐっと強く肩を掴まれ、無理やり動揺を鎮められた。
それなのに、耳に届く声はどこまでも優しい。
「我がディオールの地がここまで繫栄した大きな理由が、もう一つの理由があるのです」
商人達の警戒を前に、ローザリカの雄弁を真似し語るヴィルジール。
「皆様が通ってこられた街道の通り心地はいかがでしたか?」
ヴィルジールは雄弁に語りだす。ディオールのもう一つの顔である『土木巧者』の一面を紹介する為に。
兄が商人達を相手に熱弁を振るい、そして吞み込んでいく様を、ローザリカはじっと見つめていた――。
●
「ローザリカ。脱ぎなさい」
「……はい」
商人達との会談の後、ヴィルジールの私室へと招かれたローザリカは、言われるままに上半身をはだけさせる。
「ああ……跡になってしまったね。すまない、少し注意が過ぎたようだ」
露わになったローザリカの肩には、くっきりと爪の跡が刻まれている。
ヴィルジールはひどく悲しげな表情を浮かべると、ゆっくりと妹に歩み寄った。
「大切な白磁の肌にこんなにも醜い傷跡が。ああ、すまない。本当にすまない」
ヴィルジールはローザリカの両腕に手を添えると、赤く腫れあがった肩に唇を滑らせる。
兄の親愛の抱擁の間、ローザリカはピクリとも動かない。いや、動けなかった。
肩に蠢くぬらりとした感触に、足が竦み肌が泡立つ。ギュッと奥歯を噛みしめひたすら耐えた。
これでいい。こうしていれば兄は満足する。自分が全てを受け入れさえすれば、それだけでこの美しき家族は完結する。
だからローザリカは微笑みを作る。この一見完璧に見える男の笑顔の裏に潜む、醜くも愛情あふれる魔物の姿を見つめながら――。
●
両親や領民からの信頼も厚く完璧主義者である兄。
ディオールの繁栄を心から願い、有言実行を是とする模範的な次期当主。
それが兄の『表』の顔。皆が知るヴィルジールの『顔』。
しかし、兄はもう一つの顔を持ち合わせている。
誰にも知られる事の無い『裏の顔』。ローザリカだけが知っている完璧な兄の本当の素顔。
ローザリカが幼い頃、こんな事があった――。
小さな野良猫を内緒で囲っていた幼いローザリカは、その日もこっそり屋敷を抜けて子猫に会いに行った。小さな手にご飯を抱え、駆け足で猫の元へ。裏庭へ辿り着き、猫を呼ぼうとしたローザリカ。しかし、そこに居たのは――。
「にいさま……?」
兄ヴィルジールだった。
ローザリカの声に振り向いた兄は微笑み、右手に掴んだそれを持ち上げるとこう言った――。
「ダメじゃないか弱みなんて作っちゃ。僕がちゃんと消しておくからね」
満面の笑みで――――猫の死骸を焚火にくべながら。
涙も出なかった。ただただ兄の笑顔に恐怖し、その場から逃げ出した――。
兄の異常性を感じたのはこの時が初めてだった。
ローザリカだけに垣間見せる裏の顔。他の誰もが気付かない隠匿の素顔。
幼心ながら、間違っている。兄は変だ。そう思い続け、あの日、あの縁談の日に――――ささやかな抵抗を試みた。
従弟との縁談を反故にした時の凄烈な兄の笑顔は今も忘れられない。
そして、その時を境に兄の行為はエスカレートしていった――――。
●
「――リカ。……ローザリカ」
「……は、はい、なんでしょうか、兄様」
「いつまで肌を出しているんだい。風邪を引いたら大変じゃないか」
「す、すみません」
兄の困り顔に、ローザリカは慌ててドレスをたくし上げる。
「いい子だね。さぁ、こっちへ。これを飲むんだ。遥か東方の地より手に入れた霊薬だよ」
ドレスを整え淑女へと戻った妹に、ヴィルジールは満足げに頷くと、机の上に置いてあった小瓶を手に取った。
「それは……一体何の薬なのですか?」
「それを君が知る必要があるのかい?」
「で、ですが。もし……毒であれば……」
「授恵者となった君が一体何を怯えているんだ。大丈夫、君の為の特別に手に入れた薬だから、心配せずに飲みなさい。私がここで見ていてあげるから」
「……はい」
有無を言わせぬ笑顔で妹に瓶を手渡したヴィルジール。
ローザリカはしばらく瓶を見つめていたが、意を決し一気にあおった。
「うっ……!」
「大丈夫かい、ローザリカ!」
口を押さえ前屈みになる妹に、ヴィルジールが駆け寄る。
ヴィルジールは小刻みに震える妹の背中に手を添え、震えが落ち着くまで優しく撫で続けた。
「――だい……丈夫、です」
「そうか、それはよかった。流石ローザリカだ」
背中に感じる温もりと、優し気な声。
顔を上げたローザリカに、ヴィルジールは微笑みかけて傍を離れた。
「いつも不味い薬ばかり飲ませて申し訳ないと思っているんだ。でも、これでまた君は完璧へと近づくことができた」
まるで長い年月をかけて完成を目指す絵画を評する様に、ヴィルジールはローザリカを見つめ目を細める。
このヴィルジールの異常ともいえる行動の数々は、けしてローザリカを虐めようとやっているのではなく、全て妹を『最高商品』へと育て上げる為の過程。
ディオールに咲いた『珠玉の薔薇』。
街道を金で敷き詰める『天秤の女神』。
社交界で恥ずかしげもなく妹をそう紹介する兄の眼は、少年のように純粋だ。
貴族の娘である以上、良い縁談を得て子を成す事こそが、至上の喜びだと信じて疑わない純真。
その為に、ヴィルジールはローザリカを仕上げる。それこそが兄の愛であり、家の為であると、寸分も疑わずに――。
両親にすら気付かせない――いや、もしかしたら本人すらも自覚していないのかもしれない異常な愛情表現には、正直恐怖しかない。
しかし、もしもこの『兄の顔』が、外に知られるようなことになれば……。
ディオール家を継ぐ男子はヴィルジールしかいない。故に兄の凋落は家の没落を意味する。
女である自分に家督を継ぐ資格はない以上、この事実を隠し通すしかない。そう、この異常性を知る自分が耐えれば済む事だ。
挫けそうになる心を守る為に、虚勢の鎧を纏おう。
恐怖と戦慄に打ち勝つため為に、不遜の剣を取ろう。
ローザリカは、ドレスの裾を摘まみ上げると、優雅に膝を折る。
「兄様、ローザリカの全ては、ディオールの為に」
ローザリカは背を伸ばし、不遜に笑う。
兄に強さを見せる為、兄に弱さを見せない為。完璧なディオールを演じて見せよう。
それが自分の使命。全てはディオールの為だと信じて――――。
と、表情を緩めた商人達に、ヴィルジール・L・ディオールは切り出した。
「我が妹は、皆様に大事な話をしていませんね」
笑顔を崩さずそう言ったヴィルジールに、商人達の表情が一変した。
ある者は身構え、ある者は陽気に笑い返す。その誰もが、ここからが本番だと気を引き締める。
「はは、そのように怖い顔をされては、話しにくくて仕方ありませんよ。どうか、リラックスしてください。別に今この場で商談を始めようというわけではないのです」
ヴィルジールは雰囲気を一変させた商人達に、困ったように笑いかけた。
「私はただ、妹が紹介しきれていない部分を皆様にお伝えしたく思っているだけです」
ヴィルジールのその言葉に、ローザリカ・L・ディオールの肩が跳ねる。
「兄様……私の話に何か不備がありましたか……?」
「何を言うんだい、不備なんてある訳がないじゃないか。ローザリカはいつだって完璧だよ」
「そんな事は……」
痛いほどにぐっと強く肩を掴まれ、無理やり動揺を鎮められた。
それなのに、耳に届く声はどこまでも優しい。
「我がディオールの地がここまで繫栄した大きな理由が、もう一つの理由があるのです」
商人達の警戒を前に、ローザリカの雄弁を真似し語るヴィルジール。
「皆様が通ってこられた街道の通り心地はいかがでしたか?」
ヴィルジールは雄弁に語りだす。ディオールのもう一つの顔である『土木巧者』の一面を紹介する為に。
兄が商人達を相手に熱弁を振るい、そして吞み込んでいく様を、ローザリカはじっと見つめていた――。
●
「ローザリカ。脱ぎなさい」
「……はい」
商人達との会談の後、ヴィルジールの私室へと招かれたローザリカは、言われるままに上半身をはだけさせる。
「ああ……跡になってしまったね。すまない、少し注意が過ぎたようだ」
露わになったローザリカの肩には、くっきりと爪の跡が刻まれている。
ヴィルジールはひどく悲しげな表情を浮かべると、ゆっくりと妹に歩み寄った。
「大切な白磁の肌にこんなにも醜い傷跡が。ああ、すまない。本当にすまない」
ヴィルジールはローザリカの両腕に手を添えると、赤く腫れあがった肩に唇を滑らせる。
兄の親愛の抱擁の間、ローザリカはピクリとも動かない。いや、動けなかった。
肩に蠢くぬらりとした感触に、足が竦み肌が泡立つ。ギュッと奥歯を噛みしめひたすら耐えた。
これでいい。こうしていれば兄は満足する。自分が全てを受け入れさえすれば、それだけでこの美しき家族は完結する。
だからローザリカは微笑みを作る。この一見完璧に見える男の笑顔の裏に潜む、醜くも愛情あふれる魔物の姿を見つめながら――。
●
両親や領民からの信頼も厚く完璧主義者である兄。
ディオールの繁栄を心から願い、有言実行を是とする模範的な次期当主。
それが兄の『表』の顔。皆が知るヴィルジールの『顔』。
しかし、兄はもう一つの顔を持ち合わせている。
誰にも知られる事の無い『裏の顔』。ローザリカだけが知っている完璧な兄の本当の素顔。
ローザリカが幼い頃、こんな事があった――。
小さな野良猫を内緒で囲っていた幼いローザリカは、その日もこっそり屋敷を抜けて子猫に会いに行った。小さな手にご飯を抱え、駆け足で猫の元へ。裏庭へ辿り着き、猫を呼ぼうとしたローザリカ。しかし、そこに居たのは――。
「にいさま……?」
兄ヴィルジールだった。
ローザリカの声に振り向いた兄は微笑み、右手に掴んだそれを持ち上げるとこう言った――。
「ダメじゃないか弱みなんて作っちゃ。僕がちゃんと消しておくからね」
満面の笑みで――――猫の死骸を焚火にくべながら。
涙も出なかった。ただただ兄の笑顔に恐怖し、その場から逃げ出した――。
兄の異常性を感じたのはこの時が初めてだった。
ローザリカだけに垣間見せる裏の顔。他の誰もが気付かない隠匿の素顔。
幼心ながら、間違っている。兄は変だ。そう思い続け、あの日、あの縁談の日に――――ささやかな抵抗を試みた。
従弟との縁談を反故にした時の凄烈な兄の笑顔は今も忘れられない。
そして、その時を境に兄の行為はエスカレートしていった――――。
●
「――リカ。……ローザリカ」
「……は、はい、なんでしょうか、兄様」
「いつまで肌を出しているんだい。風邪を引いたら大変じゃないか」
「す、すみません」
兄の困り顔に、ローザリカは慌ててドレスをたくし上げる。
「いい子だね。さぁ、こっちへ。これを飲むんだ。遥か東方の地より手に入れた霊薬だよ」
ドレスを整え淑女へと戻った妹に、ヴィルジールは満足げに頷くと、机の上に置いてあった小瓶を手に取った。
「それは……一体何の薬なのですか?」
「それを君が知る必要があるのかい?」
「で、ですが。もし……毒であれば……」
「授恵者となった君が一体何を怯えているんだ。大丈夫、君の為の特別に手に入れた薬だから、心配せずに飲みなさい。私がここで見ていてあげるから」
「……はい」
有無を言わせぬ笑顔で妹に瓶を手渡したヴィルジール。
ローザリカはしばらく瓶を見つめていたが、意を決し一気にあおった。
「うっ……!」
「大丈夫かい、ローザリカ!」
口を押さえ前屈みになる妹に、ヴィルジールが駆け寄る。
ヴィルジールは小刻みに震える妹の背中に手を添え、震えが落ち着くまで優しく撫で続けた。
「――だい……丈夫、です」
「そうか、それはよかった。流石ローザリカだ」
背中に感じる温もりと、優し気な声。
顔を上げたローザリカに、ヴィルジールは微笑みかけて傍を離れた。
「いつも不味い薬ばかり飲ませて申し訳ないと思っているんだ。でも、これでまた君は完璧へと近づくことができた」
まるで長い年月をかけて完成を目指す絵画を評する様に、ヴィルジールはローザリカを見つめ目を細める。
このヴィルジールの異常ともいえる行動の数々は、けしてローザリカを虐めようとやっているのではなく、全て妹を『最高商品』へと育て上げる為の過程。
ディオールに咲いた『珠玉の薔薇』。
街道を金で敷き詰める『天秤の女神』。
社交界で恥ずかしげもなく妹をそう紹介する兄の眼は、少年のように純粋だ。
貴族の娘である以上、良い縁談を得て子を成す事こそが、至上の喜びだと信じて疑わない純真。
その為に、ヴィルジールはローザリカを仕上げる。それこそが兄の愛であり、家の為であると、寸分も疑わずに――。
両親にすら気付かせない――いや、もしかしたら本人すらも自覚していないのかもしれない異常な愛情表現には、正直恐怖しかない。
しかし、もしもこの『兄の顔』が、外に知られるようなことになれば……。
ディオール家を継ぐ男子はヴィルジールしかいない。故に兄の凋落は家の没落を意味する。
女である自分に家督を継ぐ資格はない以上、この事実を隠し通すしかない。そう、この異常性を知る自分が耐えれば済む事だ。
挫けそうになる心を守る為に、虚勢の鎧を纏おう。
恐怖と戦慄に打ち勝つため為に、不遜の剣を取ろう。
ローザリカは、ドレスの裾を摘まみ上げると、優雅に膝を折る。
「兄様、ローザリカの全ては、ディオールの為に」
ローザリカは背を伸ばし、不遜に笑う。
兄に強さを見せる為、兄に弱さを見せない為。完璧なディオールを演じて見せよう。
それが自分の使命。全てはディオールの為だと信じて――――。