北を語る
キャラクターノベル(グループ)制作 夜野はずみ納品 2021年11月21日 15時38分19秒
酒場は熾火のような喧噪に包まれていた。活気はあるが、それが騒がしいとは思えない程度の賑やかさだ。その中でルチル・プルメリア・グレイハーツはジョッキを掲げながらハリス・アル・ターミルに話題を向けた。
「何に乾杯する?」
「そうですな……まずは、戦友の無事に。そして」
「極北に至るまでの峻厳たる道程に、かね」
かん。乾いた音を立ててジョッキが合わされ、満ちたエールが揺れる。獣脂のランプの炎が、酒精の表面に輝いた。
口を窄めて呷るルチルに対して、ハリスは喉を潤す程度のエールを飲み込む。咽喉の奥から熱いものがじんわりと沁み渡る感覚の心地よさは友人と共に過ごす喜びも含んでいるように思えた。心地の良いそれに酔いしれる前に、と雑嚢から白い毛皮を取り出した。
「お返しいたします」
「……ん? ああ、それかい」
「北の地には不慣れなところ、非常に助かりました」
「どう取り扱おうと自由にしてもらって構わないつもりでいたが」
「そう言うわけにも行きますまい。幸い、損なう事はなかったですし」
「なに、謝礼はアイツに言ってくれ」
共に知る存在の名をルチルが出すと、ああ、とハリスが頷いた。ではそのようにしましょう、と言うところで酒場の給仕が料理を運んでくる。果実のジャムが入った器が添えられ軽く炙って温かくした丸パン、均等に刻まれた野菜が入っているスープ、触れた途端に崩れそうなほどに柔らかく煮込まれた鹿肉。
「奮発しましたな」
「極北に向かって、帰りまでしたんだ。体を労わるには美味いものさ、だろう?」
「全くその通りです」
リザードマンが飲みやすいように滑り止めが巻かれ、長く、深く作られた匙で野菜の滋味が良く染みたスープを楽しむハリスに、パンを割りながらしみじみとルチルは呟く。
「いやぁ、長い旅路だった」
「厳しい道程でした。我らは寒さにさほど強いとは言えず、貴殿が貸してくださった毛皮が無ければ私も道半ばで倒れていたでしょう」
それにしても。ハリスは首を傾げた。
「これは何の毛皮だったのでしょうか?」
「偽物の征竜『様』さ。白い毛の熊だったらしい」
僅かに声に険をにじませながらルチルが言い放った言葉を理解するのに、ハリスはパンをかじり、その小麦の甘さを堪能するほどの時間を掛けた。その間、ルチルはエールのお代わりを頼む。
「な……! それは、一体」
リザードマンは総じて肉体、知性の向上を通して魂の段階を上げて竜となることを目指す者たちだ。天に溶けし征竜の同胞である今もなお北におわす征竜が騙られたのならば冷静でいられるはずもない。
思わず椅子から腰を浮かすハリスをルチルは目で制する。
「落ち着きな」
「ルチル殿、しかし……ですが!」
「古い因習は糺されて、それを作ったヤツは躯に成り果てた。アタイらが言う事なんざもうないよ」
アメジストにも似た鱗の輝きの中に煌めく金の竜眼が事実を端的に伝える。それでもなお、ハリスは緑玉髄に似た鱗を纏う尻尾を憤懣と共に揺らめかせる。やはりこうなったか。聞かれれば、情報やとして嘘を吐くわけにはいかないルチルは、小さく息を吐く。
「その毛皮は征竜様へと向かう道中の礎となったんだ。その時点で、禊は果たしただろう」
何かを噛むようにして、ハリスは口を蠢かせる。やがて、どっかりと音を立てて腰を下ろした。先ほどとは違い、エールをしっかりと口にする。
「貴殿が」
「ああ」
「貴殿が居てくれれば、と道中幾度と思いました。ヒューマンの知恵者は居ました。ハーフリングのはしっこいものも、ハーフリングの疾きものも」
「そうだね」
「次は、隠さないことを願います」
「……そうするよ」
大事なのは、少なくとも。この毛皮は暖かかったことだ。その事実は、変わらない事だった。かんっと音を立ててハリスは空になったジョッキを机に打ち付けた。リザードマンの作法ではない、冒険者と戦士の作法。酒と共に飲み下す、という意思表示。酒に焼けた息を吐く。ルチルもその間にジョッキを空にした。
「それにしても、極域は堪えましたね」
話を変える。酒精と共に何かを流し込んだのだ、と伝えた。
「基本的にアタイらは寒い所で過ごさないからな」
ルチルもまた、その話に乗る。お互いに、その事に関して出来るはずのわだかまりは酒精と共に溶かしたのだ、という合意が成立した。ならば、後は共にした北の旅路に触れるのみだ。
極北。征竜が今も住まう、伝説に近い場所に、彼らは冒険者として、授恵者として足を踏み入れた。あまつさえ、今は無き帝国の王子を護って。これを『冒険』と言わずしてなんと言おうか。正しく後世にその名を残すであろう軌跡を刻んだ物を語るとき、二人の間に隔意などなかった。
ルチル・プルメリア・グレイハーツは『知』を以て。
ハリス・アル・ターミルは『農』を以て。
異なるアプローチを用いて竜とならんとするリザードマン同士を共に親しいものだと思っていたから。
「なかなかにない経験だった。授恵者らは確かに強いが、『個にして軍』じゃない。身勝手な、『協力も出来る個』だ。帝国の精兵と同行し、その手際を観れて、どう環境に対応していくのかを観れたのは得難いね」
「まったくもって。『門』を越えた先に広がる無限とも思われる荒野。ひどく暑い土地、そして厳しい寒さ。それらに対しての突発的な対応が見れたのは今後の活動の一助となるでしょう」
「お前さんはその時折悪しくいなかったけれど、その『門』の前には隧道を越えた先には巨人族の住まう場所があったよ」
「それを聞いて歯噛みしたものです。彼らはどのように腹を満たすのか、何を育てて食べているのか是非とも知りたかった」
本当に悔し気に唸るハリスをルチルはジョッキを持ち上げながら横目で見る。この同族は農耕に偏る部族と聞く『ターミル』の中でも奇妙な男だった。真面目で、わかりやすく、それでいて最近は戦士としての面も見せる。こういう、変わらないところを残して変わっていくのを見るのは楽しかった。
ハリスもまた、ルチルを見る。この同族は知に偏る嗜好があるが、だからこそ、前線に来ることが多い。生きた情報を集める事、そして、そのために割く並々ならぬ執念を、なんとなくは知っている。彼女はもう、自分がこうであると決めたのだ。戦士としての振る舞いがしっかりしだした己とは異なり。
そう言うところが、好ましかった。
「ルチル殿」
「なんだい」
「あの時、貴殿に言った言葉に何一つ嘘はありません」
無明とも思えるほどの砂の大地。乾燥し、生命の気配が薄く、否が応にも気を張り続けてすり減るような中で、目にした戦友の姿が、どれほどの活力となった事か。
「百の味方を得たような心持ちでした。その頼もしさは、今も変わりません」
ハリス・アル・ターミルと、ルチル・プルメリア・グレイハーツ。彼らの極北は、こうして一つの区切りを迎えた。
「何に乾杯する?」
「そうですな……まずは、戦友の無事に。そして」
「極北に至るまでの峻厳たる道程に、かね」
かん。乾いた音を立ててジョッキが合わされ、満ちたエールが揺れる。獣脂のランプの炎が、酒精の表面に輝いた。
口を窄めて呷るルチルに対して、ハリスは喉を潤す程度のエールを飲み込む。咽喉の奥から熱いものがじんわりと沁み渡る感覚の心地よさは友人と共に過ごす喜びも含んでいるように思えた。心地の良いそれに酔いしれる前に、と雑嚢から白い毛皮を取り出した。
「お返しいたします」
「……ん? ああ、それかい」
「北の地には不慣れなところ、非常に助かりました」
「どう取り扱おうと自由にしてもらって構わないつもりでいたが」
「そう言うわけにも行きますまい。幸い、損なう事はなかったですし」
「なに、謝礼はアイツに言ってくれ」
共に知る存在の名をルチルが出すと、ああ、とハリスが頷いた。ではそのようにしましょう、と言うところで酒場の給仕が料理を運んでくる。果実のジャムが入った器が添えられ軽く炙って温かくした丸パン、均等に刻まれた野菜が入っているスープ、触れた途端に崩れそうなほどに柔らかく煮込まれた鹿肉。
「奮発しましたな」
「極北に向かって、帰りまでしたんだ。体を労わるには美味いものさ、だろう?」
「全くその通りです」
リザードマンが飲みやすいように滑り止めが巻かれ、長く、深く作られた匙で野菜の滋味が良く染みたスープを楽しむハリスに、パンを割りながらしみじみとルチルは呟く。
「いやぁ、長い旅路だった」
「厳しい道程でした。我らは寒さにさほど強いとは言えず、貴殿が貸してくださった毛皮が無ければ私も道半ばで倒れていたでしょう」
それにしても。ハリスは首を傾げた。
「これは何の毛皮だったのでしょうか?」
「偽物の征竜『様』さ。白い毛の熊だったらしい」
僅かに声に険をにじませながらルチルが言い放った言葉を理解するのに、ハリスはパンをかじり、その小麦の甘さを堪能するほどの時間を掛けた。その間、ルチルはエールのお代わりを頼む。
「な……! それは、一体」
リザードマンは総じて肉体、知性の向上を通して魂の段階を上げて竜となることを目指す者たちだ。天に溶けし征竜の同胞である今もなお北におわす征竜が騙られたのならば冷静でいられるはずもない。
思わず椅子から腰を浮かすハリスをルチルは目で制する。
「落ち着きな」
「ルチル殿、しかし……ですが!」
「古い因習は糺されて、それを作ったヤツは躯に成り果てた。アタイらが言う事なんざもうないよ」
アメジストにも似た鱗の輝きの中に煌めく金の竜眼が事実を端的に伝える。それでもなお、ハリスは緑玉髄に似た鱗を纏う尻尾を憤懣と共に揺らめかせる。やはりこうなったか。聞かれれば、情報やとして嘘を吐くわけにはいかないルチルは、小さく息を吐く。
「その毛皮は征竜様へと向かう道中の礎となったんだ。その時点で、禊は果たしただろう」
何かを噛むようにして、ハリスは口を蠢かせる。やがて、どっかりと音を立てて腰を下ろした。先ほどとは違い、エールをしっかりと口にする。
「貴殿が」
「ああ」
「貴殿が居てくれれば、と道中幾度と思いました。ヒューマンの知恵者は居ました。ハーフリングのはしっこいものも、ハーフリングの疾きものも」
「そうだね」
「次は、隠さないことを願います」
「……そうするよ」
大事なのは、少なくとも。この毛皮は暖かかったことだ。その事実は、変わらない事だった。かんっと音を立ててハリスは空になったジョッキを机に打ち付けた。リザードマンの作法ではない、冒険者と戦士の作法。酒と共に飲み下す、という意思表示。酒に焼けた息を吐く。ルチルもその間にジョッキを空にした。
「それにしても、極域は堪えましたね」
話を変える。酒精と共に何かを流し込んだのだ、と伝えた。
「基本的にアタイらは寒い所で過ごさないからな」
ルチルもまた、その話に乗る。お互いに、その事に関して出来るはずのわだかまりは酒精と共に溶かしたのだ、という合意が成立した。ならば、後は共にした北の旅路に触れるのみだ。
極北。征竜が今も住まう、伝説に近い場所に、彼らは冒険者として、授恵者として足を踏み入れた。あまつさえ、今は無き帝国の王子を護って。これを『冒険』と言わずしてなんと言おうか。正しく後世にその名を残すであろう軌跡を刻んだ物を語るとき、二人の間に隔意などなかった。
ルチル・プルメリア・グレイハーツは『知』を以て。
ハリス・アル・ターミルは『農』を以て。
異なるアプローチを用いて竜とならんとするリザードマン同士を共に親しいものだと思っていたから。
「なかなかにない経験だった。授恵者らは確かに強いが、『個にして軍』じゃない。身勝手な、『協力も出来る個』だ。帝国の精兵と同行し、その手際を観れて、どう環境に対応していくのかを観れたのは得難いね」
「まったくもって。『門』を越えた先に広がる無限とも思われる荒野。ひどく暑い土地、そして厳しい寒さ。それらに対しての突発的な対応が見れたのは今後の活動の一助となるでしょう」
「お前さんはその時折悪しくいなかったけれど、その『門』の前には隧道を越えた先には巨人族の住まう場所があったよ」
「それを聞いて歯噛みしたものです。彼らはどのように腹を満たすのか、何を育てて食べているのか是非とも知りたかった」
本当に悔し気に唸るハリスをルチルはジョッキを持ち上げながら横目で見る。この同族は農耕に偏る部族と聞く『ターミル』の中でも奇妙な男だった。真面目で、わかりやすく、それでいて最近は戦士としての面も見せる。こういう、変わらないところを残して変わっていくのを見るのは楽しかった。
ハリスもまた、ルチルを見る。この同族は知に偏る嗜好があるが、だからこそ、前線に来ることが多い。生きた情報を集める事、そして、そのために割く並々ならぬ執念を、なんとなくは知っている。彼女はもう、自分がこうであると決めたのだ。戦士としての振る舞いがしっかりしだした己とは異なり。
そう言うところが、好ましかった。
「ルチル殿」
「なんだい」
「あの時、貴殿に言った言葉に何一つ嘘はありません」
無明とも思えるほどの砂の大地。乾燥し、生命の気配が薄く、否が応にも気を張り続けてすり減るような中で、目にした戦友の姿が、どれほどの活力となった事か。
「百の味方を得たような心持ちでした。その頼もしさは、今も変わりません」
ハリス・アル・ターミルと、ルチル・プルメリア・グレイハーツ。彼らの極北は、こうして一つの区切りを迎えた。