ずっと遠い夜の空へと

キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年09月30日 11時52分29秒

●星を見る人

 手にした愛剣は普段よりずっと重く。振るおうと思って僅か震える自分に気付いた。
 それは致命的な遅れとなって。ただ、見ていることしか出来なかった。

 空へと手を伸ばし、何も掴む事無く倒れて行く。それをただ瞳に焼き付けた。
 金の瞳はずっと、ずっと。きっと彼方の先を見ていた。見果てぬ星を、夢見ていた。

 求めていたのはたった1つ。その命を賭してただ1つだけを追い続けて。
 けれど掌に掠めることなく、彼女はその命を散らした。ボクたちが散らしてしまった。

 それは、確かにこの世界とは相容れない願いだったのかもしれない。
 それは確かに、多くの人にとって理解出来ない存在だったのかもしれない。

 それでも、どうしても。繰り返し考えてしまう。
 彼女はもうあの時は、あの場では、殺すしか無かったんだろうか。

 彼女を"禁忌"にしてしまったのだって、結局のところボクたちなんじゃないだろうか。
 彼女を最期まで排斥して、あくまで"異物"として討伐してしまったことは。

 ――――――――本当に、正しいことだったんだろうか……って。

●迷い子

 総選挙を控えたパンクリアース学園は、何時もより幾らか騒がしい。
 そんな喧騒がようやく聞こえなくなる位離れて、立ち並ぶ魔法使いの塔をぐるりと回り込む。

 夕暮れ、一番星が見える頃。広大な学園敷地の果てにひっそりと粗末な木目の墓標が立っていた。
 古い銀の鎖が掛けられたその墓標の下には、遺体は愚か故人の備品すらないだろう。

 何時だったか、墓と言うのは死者の為ではなく、生者の為に在るのだと聞いたことがある。
 立ち止まってしまった人間がもう一度歩き出す為に、人は死者に祈るのだと。

 粗末な木目の墓標には、けれど何人かが手向けたのだろう花束が捧げられていた。
 それらに倣い、エルゼリオ・レイノーラも持ってきたゼラニウムの花束を添える。

 リーンエス王国は名もなき剣士が外敵を討ち、唯人(ヒューマン)を中心に拓かれた国だ。
 歴史柄、火神の座するシグモルや竜信仰厚いディズルなど比して決して信心深い訳ではない。

 それなのにこんな時ばかり手を合わせる人の浅はかさに。
 人と世界を救ったと言う神々もそっぽを向いたに違いない。花が散る強い風に髪を抑える。
 
「マリステラ。キミを討伐した事は間違ってはいなかったと思う」

 捕まえることなど、出来なかった。"禁忌"と呼ばれた彼女の魔法はあまりに危険過ぎた。
 人の価値観を書き換えると言うそれは。自我の冒涜であり、魂の凌辱だ。

 放っておいてはいけなかった。判断を誤れば、誰が死んでいてもおかしくなかった。
 術者が潰え魔法が解けた後ですら、未だ事後処理が終わっていない程。

 王国に刻んだ爪痕は"1人の子供"が暴れただけと言うには余りに度が過ぎている。
 仕方がないことだった。仕方がない――――筈だった。

 ――――握った拳が、学園の内外を隔てる壁に打ち付けられて鈍い音を立てた。

「――――なんだよ、それ」

 もう少し若い頃は女の子のようと評されたエルゼリオが。表情を歪め奥歯を噛んで俯く。
 汚れ役だなんて分かっていた。分かっていた、こういう結末を辿る可能性も。

 幾ら恨まれても仕方ない。王国の為に。護るべき者の為に。武器を携え挑んだのだ。
 役割から目を逸らしたつもりは無かった。全力を尽くした。その筈だ。その筈なのに。

 ――――今、眼前に自分が居たら間違いなく拳を叩きつけている確信がある。

 問い掛けが消えない。覚悟を決めた? 責任は背負う? 何様のつもりだったのかと。
 彼女の身体の傷痕は昨今付けられた物ではなかった。"長く幼い頃から刻まれた"ものだ。

 失うか、嗤うか、たった2つしか無かった表情は"それ以外を赦されなかった"からだ。
 人の価値観を書き換える魔法が生み出されたのは"自分の価値を信じられなかった"からだ。

 知らなかった。仕方がなかった。言い訳は幾らでも出来た。けれどそれでも。それでもだ。
 本当にこの結末しかなかったのか。自己満足で考えを止めていただけじゃないのか。

 何か有ったんじゃないのか。あの子を救える道が。いいや、それすらきっと全てではない。
 本音はもっと単純だ――――

(あの時、あの子を救えたのはボク達だけじゃなかったのか――――?)

 血を吐く程の自己嫌悪を噛み締め胸元を握る。この痛みを、誤魔化してはいけない。
 彼女はただ、迷子の子供だった。親の、近しい人々の愛情に餓えていただけだった。

 それを斬り捨て、葬り去った。必要に迫られて。それが秩序だと。正義だと言い張って。
 今にも叫び出したいほどの衝動を、無かったことにする事だけは決して許されない。
 
「キミはずっと……泣き方も分からずに泣き続けていたんだね」

 誰にでも与えられる筈の星が、彼女の手元にだけはなかった。
 羨ましかったのだろう。寂しかったのだろう。必死に欲したのだろう。全てを賭して。

 ――――それは、悪なのか。彼女がしたことは間違っていた。大きく手段を間違えていた。
 けれど本当にそれは悪なのか。断罪して平和を取り戻して"忘れて良いこと"なのか。

 そうだ――――と。断言することがエルゼリオには出来ない。
 泣き続けていた女の子が。星に手を伸ばし、届かないまま倒れたその願いが。

 無意味な災いでしかなかったのだと認めたくない。それが、例え甘さなのだとしても。
 墓標に祈る。真実、世界の全てが澱(エーテル)で編まれ。巡り巡る物であるならば。

 次はきっと、彼女が星に手を届かせられますようにと。

●王都の夜

 一人で居るとつい思索の陥穽に落ちてしまい、まるで落ち着かない。
 今自分の季節は普段なら収穫祭の時期だ。であれば、領主には報告義務がある。

 父上なら、余程忙しく手が離せないでもない限り自分で王城に上がっている筈……と。
 歩みが城へ向かったのは、気持ちが大きくぐらついているからだと自覚していた。

「おう、エルゼリオじゃねえか! 一杯付き合え!」

 にも拘らず、王城まであと少しと言う所の酒場で周囲に人を侍らせ酒宴に浸る。
 実の父を目の当たりにして思わず背を向けそうになったのは一体何故なのか。

 その辺りの機微は自分でも良く分からない。多分何かが台無しだったのだろう。
 久々に直接顔を合わせた実父(ハスラム・レイノーラ)は、相変わらず何も変わらずだった。

 ――――

「「「「「愉快な夜に、乾杯!」」」」」

 王都の夜は明るい。他の都市ではそうそう見られない照明型紋具(エーテルランプ)が街を照らす。
 貴族御用達の酒館と、貧民街の安酒屋の中間辺りに位置する酒場は王都内でも特に賑やかな場所だ。

 例え"貴族が過ごすに優れた場所"として設計されているとは言え、全体の半数は中流階級市民。
 技術者や芸術家、商人と言った人々は、特権階級の園に顔を出して虎の尾を踏む様な真似はしない。

 総じてそれなりに頭が切れ、生活が豊かな人間が多い分。他所の酒場より人層は穏やかな位だ。
 これもまた、王都の。即ち王国の一側面であることをエルゼリオは良く知っている。

(まあ、でも。それにしたって――――)

 何回目の乾杯か。気付けば周りには酔客が集い、好き好きに杯を掲げていた。
 性格か、人望か、知名度か、それとも気風の良さからか。ハスラムが酒場に突っ込むと大抵こうなる。

 その後誰かが何処かのタイミングで逆鱗に触れ、場外乱闘に移行するのも定番の展開だが。
 果実水を氷で割った物に口を付けながら、エルゼリオは他人事のようにその光景をぼうっと見ていた。

 聞きたい事が有った。尋ねたい事が有った。問い掛けたい事が有った。
 けれどいつも通りの実父の姿に、ほっとする一方で思わず毒気を抜かれてしまった。

 ハスラムは、いつだって迷いなど無いように見える。その直截さが何処までも羨ましい。
 エルゼリオはそうではない。"母親に似た"と言われる彼は、壁に当たれば当たり前に迷う人間だ。

「どうした、全然飲んでないじゃねぇか。遠慮なんかすんじゃねぇぞ、折角王都の夜なんだしよ!」
 
 そして、普段は全然子供の事なんか見ていない様でありながら。
 こういった時だけは必ず様子がおかしい事に気付くのだから。本当に、ずるいと思う。

「父上」

「あん?」

 酒場の表は既に夜も更け大盛り上がりで。お囃子を受け飲み比べなどしているが奥に入れば静かな物。
 一目が有れば、少しは客観的になれるかと。エルゼリオは静かに、実父へと問い掛ける。

「――――父上は、後悔したことってないの?」

 もっとバツが悪いかと思っていた声は、自分でも驚くほどするりと毀れ出た。
 問い掛けてみて安心した。直ぐに帰って来ると思った否定の言は無く。僅かな沈黙が落ちる。

「何が有った、話してみろ」

 求められれば、幾らでも言葉に出来た。如何に自分の覚悟が足りなかったか。未熟だったか。
 相手への理解が足りていなかったか。残酷なことをしたか。本当は、苦しむ権利すらないことも。

 冒険者になって、沢山の経験を積んで。出来ることが増えて。強くなったと思っていた。
 それなのに、こんな簡単に取り溢す。子供1人救えない。殺して終わらせることしか出来ない。

 不甲斐なさが、酌めど尽きせず湧いて来る。誰がどう聞いても弱音でしかない。
 馬鹿にされるだろうか。笑い飛ばされるだろうか。叱責されるだろうか。……それでも。

「……そいつは、違うな」

 竹を割った様な否定は、いっそ心地良かった。やっぱり何かを間違えたのだと。
 きっとそうに違いないと思っていたからこそ。信頼出来る家族に、それを糾して欲しかった。

「――――問題は、手前ェが何をしたかったかだろ」

 だからこそ。突き刺すような問いは重く。応じようとして、そこから声が出ない事に気付く。
 何をしたかった。誰も傷付けたくなかった。王国を守らなくちゃいけなかった。皆を救いたかった。

 それはどれも本当で。そこにただ一つの嘘も無くて。ああ。けれどそうか。――――そうか。
 覆いが剥がれるように。心の一番深い場所に問い掛けてみれば、答えは明らかだった。

「ボク――――は」

●父と子

 塔の上で、罪もない黒い毛玉の様な犬を殺めた時。何かを溢した様な罪悪感を憶えた。
 あれからずっと、棘の様に刺さっていた感情が。その問いかけで、漸く分かった。

「――――ボクは、皆を救いたかった。救えない。救いきれない。仕方ないって割り切ったつもりだった。
 でも、本当は――――あの子のことだって救いたかったんだ」

 声が滲むのが分かった。一人前に家を出て、泣き顔など見せたくなくて俯いた。
 頭に載せられたごつごつした、力強い掌が痛い位に桜色(ストロベリーブロンド)の髪を掻き雑ぜる。

「俺様は後悔なんざしねぇ。後悔しねぇ様に生きて来た。手前ェが欲しいもんは全部手に入れる。
 それが不可能に見えようが、無理難題と言われようが、貫き徹しちまえば"出来たこと"でしかねぇ」

 それが出来る稀有な人間を指して。人はそれを"人を越えた者"――――英雄と称する。
 その一端を担うハスラムにとっては当たり前の事が、そうでない人間にはあまりにも遠く。

「だからって、手前ェに同じことをしろとは言わねぇよ。する意味もねぇ。
 手前ェの人生だ。割り切らず死ぬ気で足掻いても、割り切って賢く生きても良い。が――――」

 間近で視線を合わせられ。逃げ場も無く睨み合うように額が当たる。
 火が点いた様な眼差しは強く、激しく、けれど確かに――――信頼の色が見て取れる。

「――――後悔する様な仕事は二度とするな。エルゼリオ、手前ェはこの俺様の息子だろうが」

 それは、『黒騎士』とも称されたハスラム・レイノーラの。精一杯の教えだったのだろう。
 何がしたいのか。どうしてもしたいのか。たとえそれがどれほど困難に見えても果たしたいのか。

 そうであるならば、奔放に、我武者羅に、命賭けで果たせと。この破天荒な父(ハスラム)は語る。
 凡そ自分の子供に伝える様なことではない。けれど、それでこそ"『黒騎士』の系譜"だと。

 善人ではない。強欲で、自分勝手で、味方も多いけれど敵も多く、余程人格者とは言い難い。
 けれどエルゼリオにとっては誇りと思える"父上"だ。そう言われては、足踏みばかりしていられない。

 身を離すと嘆息が毀れる様な沈黙が落ち。どうもらしくない事をしたことに今気付いたとばかりに。
 ハスラムがテーブルに載せたままになっていた酒杯(ジョッキ)を煽った。

 照れ隠しとも取れるその仕草に思わず苦笑いが毀れる。万能な、超人的に見える実父にも。
 以前迷宮から蛇を持ち込んだ時のように、苦手な事は確かにあるようで。

 そんな思い掛けない一面を今更知る辺り、例え何もかも知っているつもりの父と子でも。
 血の繋がりのある家族でもこれほど知らないことがあるのだ。何もかも分かる筈もない。  
 
 それでも、その時その瞬間、自分が本当にしたい事を見極められなければ。
 どれほど成果を上げても。どれだけ仕事をこなしても。自分自身を認められる日は永遠に来ない。

 きっと、自らの意思で選ぶとはそういうことなのだ。

「分かった。約束する」

「は。少しはマシな顔になったじゃねぇか」

 苦い体験だった。痛みが消えた訳ではない。これから先も、多分何度も思い出すのだろう。
 星に手を伸ばして命を散らした女の子と。本当に何がしたいのか見極められず間違えた自分の姿を。

 だとしても、だからこそ。無駄にしてはいけない。この悔しさを、傷痕を、抱えて進むこと。
 手向けにも、餞にもならないただの自己満足であろうとも。だとしても――――もう迷わない。

「父上、ありがとう」

 面倒くさそうに手だけ振って背を向けるハスラムに声を掛けて。
 エルゼリオは一人酒場の表へ向けて歩き出す。入り口では酔い潰れた酔客が頭を揺らしていた。

 王国の夜は明るい。時に地上の星空と賞賛される照明型紋具が風に揺れる。
 あまりにも大地を光が照らし過ぎて、影となる空にはたった一つの星すら見えない。

 吸い込まれそうな、恐怖をすら煽られる夜に。星を探し続けるのはどれほど困難なことだったろう。
 そんな難題に、命尽きるその時まで彼女は挑み続けた。こんなところで負けてはいられない。

 エルゼリオはまっすぐ手を伸ばす。今は未だ、遠い。ずっとずっと遠い夜の空へと。
 青の瞳は彼方を見ていた。見果てぬ星に手を伸ばした人のことを、どうか決して忘れぬようにと。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0