あの子の名前は――

キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2021年09月04日 15時57分14秒

 頬を撫でるそよ風に目を開けてみれば、そこは知らない場所だった。
 天井がある。どこかの部屋に寝かされているのだろうか。
 身体がうまく動かない。

「……」

 口はどうかと動かしてみるが、唇は動くが喉が震えない。
 音のない声を出そうと、口をパクパクさせていると――。

「おや、起きたようだね」

 男の声がした。
 ヴァンはゆっくりと首を振り、ベッド横に視線を移す。
 読んでいた本を閉じた男が、ゆっくりと近づいてきた。

「こんにちは、少年。気分はどうかな?」

 ベッド脇の椅子に座り、男はヴァンを覗き込んでくる。

「……あ……こ……こ」
「ああ、ごめんごめん。喉が渇いているよね。ちょっと待ってて」

 うまく言葉が出ないヴァン・ローラント(ヴァン)に、男は机から水飲みを取り差し出した。

「まだ力が入らないか」

 そう言うと、男はヴァンの口元に水飲みを当てる。

「ゆっくり飲むといい。焦るとむせるからね」

 ヴァンは男に言われた通り、ゆっくりと嚥下していった。

「……あ、ありがとう、ございます」
「どういたしまして。喋れるようになってよかったよ」

 コップを下げた男は、改めてヴァンを見る。
 ヴァンはびくりと肩を竦ませて、ベッドの上を逃げるように体をずらした。

「おっと、怖がらせてしまったかな。僕の名前はローラント。ちょっと変わったお仕事をしている者だよ」

 そう言って身を引いたローラントと名乗る男は、ヴァンに笑顔を向ける。

「……ヴァン……です」
「そうか、君はヴァンというんだね。うん、いい名前だ。さて、色々と聞きたいことはあるけど、まずは今の状況を説明しておこうか」

 ローラントはすっと笑顔を消すと、再びヴァンの瞳を覗き込む。母以外の瞳をこれほどまでに近くで見た事のないヴァンは、またベッドの上を少しだけ遠ざかった。

「ここはホークヤード。その名の示す通りホークヤード侯爵家のお膝元だ。そして、ここは僕が暮らしているアパルトメント。なかなかいい部屋だろう?」

 ローラントの問いかけにヴァンは答えない。にこりと微笑む男をどう捉えていいのか迷っていた。

 この男との出会いは本当に偶然だった。
 あの日、真暗な森を走り川を見つけた。初めて見る川に興味惹かれじっと覗き込んでいたら……。
 そこからの記憶はあいまいだ。とても苦しかったのを覚えている。息ができずに手足をばたつかせ、何度も助けを呼んだ――気がする。
 声が聞こえたのはそんな時だった。

『しっ――り――! 生――て――!』

 大きな声をだったが、何を言われているのかよくわからなかった。頭の中には水の流れる音がずっとしていた。
 川から助け出され岸に寝かされて、大人の男の人がずっと何か話している。でもやっぱり川の音で言葉はわからなかった。でも、何かを問われて頷いた記憶はある。
 そうしたら、いつの間にか背負われ――気づいたら、このベッドの上だった。

「そろそろ友人が来る頃だ。何、心配することはない、彼はとても優秀な医者でね。君の身体に悪い所がないか見てくれるんだ。あ、医者は知っているかな?」

 ローラントが身振り手振りで医者のまねごとをする。ヴァンはそれが少しおかしくて、小さくこくりと頷いた。

「おお、そうか! 医者を知っているとは君はなかなか博識なようだ。これなら僕のやっている事も――」

――コンコン。

「おっと来客のようだ」

 ドアがノックされた音に話をやめたローラントは、椅子から立ち上がるとドアへと向かう。
 そして、ドア越しに何か話したかと思うと、ゆっくりドアノブを回した。
 現れたのは立派な顎髭を生やした男だった。男はローラントと二三言葉を交わすと、ちらりとヴァンを覗き見る。
 突然、視線を向けられヴァンは手に握っていた毛布を鼻上まで持ち上げた。

「脅かすなって。まだ状況がよくわかってないんだからな」
「別に脅かしているつもりはない。目つきの悪さは生まれつきだ」

 そう言いながらも二人してベッドの方へと歩いてくる。
 髭面の男は、先度までローラントが座っていた椅子に腰かけると、持っていた大きなカバンを開き、聴診器を取り出した。

「少し見せてもらうぞ」

 短くそう言うと、男はヴァンに手を伸ばす。
 しかし、ヴァンはついに毛布を頭まですっぽりとかぶってしまった。

「はぁ……脅かすなって言ってるだろ。だから子供の患者が少ないんだよ、お前は」
「脅かしてない。それに患者の個人情報(カルテ)は重要機密だぞ。なんでお前が知ってるんだ」

 毛布の向こう側から二人の話し声が聞こえる。

「ヴァン、大丈夫だよ。こいつがさっき話していた医者なんだ。成りはこんなだけど、腕はいいから安心して診てもらうといいよ」

 しばらくして、ローラントの声が聞こえた。
 ヴァンはローラントの優しい声に押される様に、ゆっくりと毛布から顔を出す。

「ひっ!」

 そしてすぐさま毛布に潜り込んだ。

「だ・か・ら! お前の笑顔は笑顔じゃないんだよ! 今まで何人のいたいけな少年少女を泣かして来たか覚えてないのか!」
「おい、ローラント。お前、例え事実でも言っていい事と悪い事があるぞ」
「事実と認めるならいい加減なおせよ、その笑顔」
「笑顔なんてなおすもんじゃないだろうが。ふん、もういい。俺は帰る」
「おわっ!? ちょ、ちょっと待て! 悪かった、俺が悪かったから! よっ! ホークヤード一の名医様!」
「調子が良すぎるんだよ、お前は。だからいつも仕事の詰めでしくじるんだ」
「うぐっ……痛い所をつきやがって……」

――くすっ。

 毛布の中で聞こえたそんなやり取りに、ヴァンはいつの間にか顔を出し、そして笑っていた。

「……まぁ、結果オーライだ」
「何が結果オーライだ。まったく」

 ヴァンが顔を出した事で言い争いをやめた大人二人。

「ヴァン、ちょっと体を見るだけだから。痛い事は何もしないよ」

 ローラントが優しく声をかけて来たので、ヴァンは小さく頷いた。

 髭面の男の名前はギュンターと言うらしい。ローラントの言う様にこの街で医者をやっている人物で、なんとあの見た目でローラントと同じ歳だという。
 そんな彼に驚いたものの、ヴァンは医者という職業を知っていたし、何をする人なのかも知っていたから、素直に彼の指示に従った。
 上着を脱いで肌を見せる。
 痩せてあばらの浮いた体を見たギュンターは一瞬だけ顔をしかめたが、聴診器を持つと医者の顔になった。
 初めて感じる冷たい感触が何度も肌に当てられ、体のあちこちを触られる。

「背中を向けるか」

 ギュンターにそう言われベッドの上で体を変えた。
 今度は背中に聴診器を当てられ、冷たさにびくりと背筋を伸ばす。

「――心音異常なし。大きな病気にはかかってなさそうだ、ただ」
「うん? 何かあるのか」

 言いよどんだギュンターにローラントが問いかけた。

「……ちょっと、隣の部屋へ来い」
「……ふむ。ヴァン、診察は終わりだってさ。服を着ていいよ」

 ローラントに笑顔を向けられ、ヴァンは上着を羽織る。

「ちょっと、こいつと話があるからゆっくり寝ててね。喉が渇いたら、そこに水差しに水が入ってあるから」

 そう言い残して、大人達は部屋を出ていった。

●

「あんなのどこで拾ってきたんだ」

 隣室へ入りドアを閉めた途端、ギュンターがぎろりとローラントを睨む。

「川だ。上流から流されてきた」

 ローラントはドアに背を預け、小さく答えた。

「上流から流されてきたって……お前、怪しいとは思わなかったのか。仮にも探偵だろう」
「ああ、思ったさ。だからこそ連れて来た。まぁ、あんなぼろぼろの少年を見捨てるなんて俺にはできなかったってのもあるがな」
「なんともお優しい探偵様で」

 ローラントの言い分にギュンターは溜息で応える。

「そんな事より、医学的観点から何かわからないのか? あの子が何者か」
「……医術は万能じゃない。俺にわかる事と言えば、著しく成長が遅れているって事くらいだ。見た目は5~6歳。実際は8~9歳くらいだろうな」
「……栄養不足による成長不良か?」
「そうだ。だが、孤児ではないな」
「……理由は?」

 断言するギュンターにローラントは鋭い視線を向ける。

「髪の毛にノミもシラミも湧いていない」
「……どこかで飼われていた子供という事か」
「さぁな。それは拾ってきたお前が調べるべき事だろう。俺は首を突っ込むのはごめんだぞ」
「そう言うな、友よ。お前の医者としての見地はいつも頼りになるんだからさぁ」
「こんな時だけ持ち上げるのはやめろ。それにもっと気になるところもある」
「ほう、それだそれ。それを聞きたかったんだ」

 ぽつりと漏らしたギュンターの言葉に、ローラントは諸手を打って聞き耳を立てる。
 ギュンターは失言したと口を押さえるも、ローラントの期待に満ちた目から逃れられないと、溜息をついて諦めた。

「ったく、調子のいいのはいつもだな。気になるのは、あの子の体に傷痕がない――いや、腕に深い切り傷はあったが、それ以外は綺麗だからだ。虐待や折檻を受けていないだろう」
「ふむ……」

 ギュンターの見地を得てローラントは考え込む。
 ヴァンを拾った川はホークヤード川。この街に流れる川の一つだ。
 そして、あの日釣りをしていたのは、街はずれの川辺。上流には集落もなければ炭小屋すらない。何より、あんな時間に人が流れてくること自体が異常だ。
 ならば何故、あんな場所であんな時間に……。

「ギュンター、あの子の腕の傷は自然物からの傷か?」
「いや、刃物だ」
「やはり刃物か。となると……領主の館か」

 刃傷という事は人につけられたものだろう。そして、川の上流に人の住む場所は領主の館しかない。では、この少年は領主の館からやって来たのか。考えられるのは使用人の子供。何かミスを犯し逃げ出したはいいが、誤って川に転落。流されてきた……。

「逃げ出す? 何が起こった」

 独り言のように呟くローラントを、ギュンターは静かに見守る。
 こうして自らの考えを頭の中にまとめ、推察しては否定していく。これがローラントの推理スタイルだった。

「あの子の筋肉量はかなり低い。いや、そもそも筋肉が発達していない。あれじゃ走る事も出来ないだろうな」

 だからギュンターはあえて燃料を投下する。それが当てはまらないピースの一欠けらになるかもしれない。今までもそうして解決してきた事件は多い。

「筋肉量が低い……」

 ローラントは無意識の内にギュンターから渡されたピースを推理の盤面にはめていく。
 そうなると使用人の子供の線は限りなく薄い。使用人であれば細くとも筋肉量はかなり高いはずだ。でなければ仕事などできない。
 何故筋肉量が低い。鍛える機会を与えられなかった? いや、人は普通に生活をしているだけでもかなり筋肉を使う。自然と鍛えられるのが普通だ。
 ならば何故。動くこともできず、しかし生きながらえている。

「囚われか……?」

 そう、それではまるで囚人のようではないか。
 狭い牢獄に閉じ込められ、満足に動くこともかなわず、日々与えられる食料で生命を繋ぐ、ただ生かされているだけの存在。
 しかし、あの歳で囚人に? 例え物盗りであっても、筋力量が著しく低下するほど長期間収監されるだろうか。もしかして、もっと重い罪を犯した? いや違う、あの歳では殺人に類するような重い罪自体が難しいだろうし、何より長期間の収容という事は、もっと幼い時に罪を犯した事になる。

「やはり違う。人物像が合致しない。ならばなんだ……」

 そうだ。いくら子供だからといって罪を犯したものに罰がない訳はない。体が綺麗だという事は罪を犯したものではないという証左だ。
 だから罪を犯した使用人ではない。罪を犯さず囚人のように囚われていた人物。体に傷が無く、働かずとも生かされた者……。

「なんだそれは、そんな者この世に……いや、待て!」

 ローラントは何かを思い出したのか、部屋の本棚へと駆け寄ると目当ての本を探し記憶をたどる。

「……確かこの辺りに――あった、これだ」

 持ち主でなければ絶対に解読できない複雑な本の並び。ローラントは迷うことなく一冊の本を手に取った。

「何の本だ」
「ホークヤードの歴史書だ」

 ギュンターの問いに答えながら、ローラントは高速でページをめくっていく。
 そして、あるページで指を止めた。

「……やはりな」

 それは最も新しいページに刻まれている現領主に関わるページだった。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0