ノーナとお茶を
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年08月30日 14時09分26秒
紅茶を飲む時は何人にも邪魔をされず、自由でいなければならない――
と、ゾフィー・マルテルは別段に強く思っている訳ではなかったが、その日の放課後、彼女は独りカフェに入って優雅にティータイムを楽しんでいた。
高級な店では無く、特段に洒落ている内装の店でもなく、だがしかし茶とケーキの味は良い……そういう店である。
彼女は一息入れたい時にしばしばこの店を訪れていた。
流行りの店のように騒がしくなく、紅茶の味をゆっくりと穏やかに楽しむには丁度良い場所であったからだ。
そんな私的な憩いの場にて、しかし彼女は本日飲んでいた紅茶を吹き出す程の驚愕に目を瞠る事となる。
(……んなっ?!)
木造の暗い褐色の扉を押し開き、扉上に備えられている小鐘の音を涼やかに鳴らしながら、店内へと見知った顔達が入って来たからだ。
片方はヒューマンの平均よりもやや上背のある精悍な体躯を持つ黒髪黒瞳の青年だ。見えざる見張り番の先輩隊員セロンガード・シュタインドルフである。
こちらはそこまで驚くような事ではない。
ゾフィーと同様、彼もパンクリアース学園へと留学生に扮して潜入していたので、この店に茶を飲みに足を踏み入れる事だって十分ありえるだろう。
問題はもう一人の、セロンと連れ立って入って来た人物だった。
歳の頃は十七、八程だろうか。墨を溶かしたような漆黒の髪を腰程までに真っ直ぐに伸ばしている。
肌は処女雪のように白く、それを包む透かし柄とひだ寄せ装飾がふんだんにあしらわれた帝国風ドレスは、血に染まったような鮮やかな赤だった。
瞳も片方がルビーのように赤い色をしている。黒赤妖眼だ。
この少女はゾフィーの知り合いではなかったが、しかしゾフィーはその顔を確かに知っていた――
(レッドベリルの長姉!!)
要注意人物として諜報部隊から回されて来た資料の中に描かれていた姿絵に一致する、レッドベリル三姉妹の長姉、エーレスリート伯爵家のノーナだった。
(こんなに堂々と姿を現すの……?!)
ゾフィーとて新人だが精鋭特殊部隊の端くれである。
そして彼女は教育課程を首席卒業した秀才でもあった。
秀才というのは勤勉な生き物だから、部隊から回されてきた資料にきちんと真面目に目を通している。勤勉でなければ秀才とは呼ばれない。
だから、要注意人物として姿絵付きで部隊から注意を促されている人物の事は、当然記憶していたし、それに数日前にレッドベリル三姉妹と遭遇したというセロンからリーンエスの王都に大変危険なこの三姉妹が来ているから気をつけろと注意を促されてもいたから、当然その存在を知っていた。
レッドベリルの三姉妹というのは元々派手で残虐かつ冷酷な殺しっぷりから噂になるくらいに帝国の一部界隈では有名な人物である。
ゾフィー達ヴェヒター・ヌルの他にもその顔を知っている人間は沢山いる。
ここはシルトラース帝国ではなく、遠く離れたリーンエス王国だから、あるいは知っている者は極めて少なくなるかもしれないが――しかし、それにしたって身を忍ばねばならぬノーナの立場を考えれば、白昼堂々の大胆過ぎる振る舞いであった。
そして現在、その有名な危険人物にセロンが付き合わされている。
ゾフィー達は正体を隠して王国に潜入している訳だから、レッドベリル三姉妹を知っている者からノーナと一緒にいるあの男は何者だ? と怪しまれてそこから芋づる式に正体がバレてしまう危険性がある。
正体を隠している潜入諜報員的には現在、潜入を続けられるか続けられないかの危機的な状況にあった。
(くっそ、はた迷惑な! 前に接触した時もセロンに会いに来たとか言ってたんだっけこのサイケ女……? うちのパイセンに何がしたいんだこの歩くレッド危険物め!)
近頃は親しい人間と良い子な後輩とばかり接しているのでナリを潜めがちだが、ゾフィー・マルテルという少女は元来気に入らない人間に対しては大変な毒舌家である。
なのでノーナに対しては当然胸中で口汚く盛大に罵っていた。
そんな銀髪ポニテ娘が見守る中、セロンとノーナは店内を歩いてゆき、幸か不幸かゾフィーからは死角となる席についた。
銀髪娘は平静を装いつつも、会話を探るべく、ぴんっと聞き耳を立てるのだった。
●
人が疎らな店内だ。
閑古鳥が鳴いている、という程に空席が目立つ訳ではないが、さりとて流行りの店という程の客入りでもない。
古ぼけてはいるが良く磨かれている白を基調とした卓が並べられ、所々に鉢に植えられた植物が、緑色の葉を艶やかに輝かせながら立っていた。
「貴方は随分と火遊びが好きなのですね」
「刺激の無い在り方では生を実感できませんもの」
店内を歩き、適当な卓の椅子を引いて座りセロンが言えば、少女は対面の席にひだ寄せ装飾がふんだんにあしらわれた深紅のドレスの裾をふわりと舞わせつつ腰を降ろした。
本日は武器は携帯していないようだったが、ヴェヒター・ヌルから指名手配されている物騒な少女だ。
腰程までの長さのさらりとした漆黒の髪を揺らしつつノーナ・エーレスリートはセロンを見つめると、薄桃色のふっくらとした艶やかな唇を歪め、艶然と微笑んだ。
レッドベリル三姉妹を追跡すべく放たれたヴェヒター・ヌルの隊員達からの定期連絡が途絶え、その消息が不明になったとの連絡をセロンは既に受けている。
何事かが彼等に発生し、その何事かを齎したのはレッドベリルの三姉妹であろう事は明白だった。
そんな身の上でありながら、こうして目の前の女は白昼堂々姿を現しセロンをカフェに誘ったのだから、普通の神経ではない。
深紅の帝国式ドレスに身を包んだ少女は、注文を取りに来た華やかな給仕服姿のウェイトレスへと特に気負った様子も無く、軽い飲み物と食べ物をオーダーしている。
セロンも周囲から見て不自然にならないように一応、飲み物と食べ物を注文した。
とても共に楽しく飲み食い出来るような相手ではなかったが。
「――セラン様とてそうであるからこそ、この界隈に身を置いているのではないのですか?」
雪のように真っ白な肌と墨を溶かしたような黒髪を持つ少女は、黒と紅のオッドアイを宝石のように煌かせつつセロンを見た。
精悍な体躯の黒髪青年は首を横に振ると、
「私がこの世界に入ったのは貴方とは理由が異なります。少なくとも刺激を求めての事ではありません。私は平穏が嫌いではありませんよ」
「あら、そうなのですか……? 本当に……?」
ノーナが疑わしそうに黒紅の瞳を細める。
「ええ、本当です」
やがてオーダーされた紅茶と軽食を華やかな給仕服に身を包んだウェイトレスが運んできた。セロンが礼を言うとウェイトレスはごゆっくり、と笑顔で答えて去ってゆく。
処女雪色の肌を深紅のドレスに包んだ少女は、白を基調とし青で瀟洒な絵柄入れられている磁器製のティーカップを薄桃色の唇につけ上品に紅茶を口に含み、
「あら、思っていたよりも美味しいですね」
と意外そうにパチクリと目を瞬かせた。
セロンも紅茶を飲んでみたが、確かに美味だった。この店で使われている紅茶の葉はなかなか良いものであるらしい。それとも、店主の茶を淹れる腕が良いのか。
目の前にいるのがこの物騒な少女でなければ、もっと素直に味を愉しめただろうに、と多少惜しく思う。
黒絹のようなさらりとした髪のノーナは、音を立てずにティーカップをソーサーの上に置くと再びセロンへとその双眸を向けてきて、
「しかし……平穏をお嫌いでないのでしたら、セラン様は今のような危険と隣り合わせな生活からは離れて、わたくしと共にエーレスリートへといらっしゃればよろしいでしょうに?」
と不満そうに言った。
「またその話ですか?」
セロンは片眉を上げた。
以前に会った時にも聞いた話だった。
くどい、と思う。
「……貴方と私は敵同士になったと、以前お会いした時に貴方は既にそうおっしゃった筈」
青年が黒瞳で鋭く睨むと黒髪の少女は艶然と微笑み、
「以前は確かにそう申し上げました……しかし、実を言うとそれはわたくしの本心ではないのです」
なんだか奇妙な事を言い始めた。
「本心ではない?」
セロンは盛大に眉を潜めた。
ええ、とノーナは頷き、
「わたくしにも立場というものがありまして、妹達の手前、あの時はああ言うしかなかったのです」
何か情勢の変化でもあったのだろうか? そう、勘繰りたくなる程に胡散臭い事この上ない言葉だった。
妹達の手前、と彼女は言うが、次女のラケシスも三女のネヴァンも、このノーナこそが統制しているように見えたが――
「貴方の言う事は無茶苦茶だ。付き合いきれませんね」
「そうおっしゃらないでセラン様、短気は損気ですよ」
くすくすと少女が微笑する。
「冷静に、落ち着いて、良くお考えになってくださいまし、わたくしと一緒にエーレスリートへと来てくだされれば、今の地位よりも遥かに待遇はよろしくてよ?」
客観的に考えればこそ、帝国の諜報機関を全面的に敵に回しているあくまでたかが一伯爵――皇帝や王公と比較しての話ではあるが――に過ぎないレッドベリルが用意できるセロンへの待遇というのがどの程度のものなのか? という根本的な疑問がある。
エーレスリート家は早晩、帝国から取り潰されても不思議はない立ち位置にいるのではないのか。
何故、この三姉妹の長姉はそんなに強気になれるのだろう?
セロンとしては不思議だった。
どうして自分達の価値をそこまで高く見積もれる?
貴族特有の傲慢さか?
それとも狂っているからか?
(あるいは何か、この強気の根拠となる奇貨を、レッドベリルは握っているのか……?)
そんな諸々の疑問がセロンの胸中に湧きあがったが、しかしそもそもに、
「――貴方が提供出来ると訴えるものは私には必要がありません。私にとって必要なのは、今の環境こそですから」
必要だから軍に入った。
栄達や平穏、まして刺激などを求めての事ではない。
黒髪の青年がきっぱりと告げると黒髪の少女は自身の胸に手をあてて再度訴えた。
「……わたくしと一緒にエーレスリートへと来てくだされれば……望むならば、わたくし達三姉妹を侍らせる事だって出来ますのよ?」
「興味がありません」
本当に興味が無かったのでセロンがノータイムで即答するとノーナは「そうですか」と呟いて白いカップに口をつけた。
危険極まりない物騒なルナティック三姉妹を侍らせて誰が喜ぶというのだ。エーレスリート伯爵の意にそぐわなくなった瞬間に暗殺者に早変わりして寝首を掻かれる事になるというのに。
見目が綺麗なだけで喜べるなら絵画でも並べておけばそれで十分だろう。よっぽど害も無く、心も慰められる。
そんなセロンの断固たる拒絶の意志が伝わったのか、黒髪少女は黒い柳眉の端を下げ、紅茶を一口飲むとか細く息を吐き出して小さな肩を落とし、
「残念です……セラン様は命を賭けて挑む異国での任務に何故そこまで拘るのでしょう? ノーナは理解に苦しみます」
それらの条件で頷くと思っている貴方の思考経路の方が理解に苦しみます、とセロンとしては思う所であったが、
「ノーナ、貴方は元許嫁、だからその誼で言いますが、私には果たさねばならぬ誓いがあります」
「誓い……」
「そうです」
セロンは宣言した。
「友を見つける事。そして仇を討つ事。それを私は果たさねばなりません。ですから私は今の環境こそが必要であり、貴方の誘いには乗れません。諦めてください」
「友を見つける事……そして仇……」
黒髪少女は自らの唇に指先をあて呟くと、ギョロリと黒赤の瞳を動かした。
「――セラン様は本当に何も覚えられていないのですか?」
輝くオッドアイがセロンを見つめている。
何故か、心の奥底が冷たい指で撫でられたようにぞわりとした。
(…………覚えていない?)
セロンは確かに一時期、起こった出来事を忘れていたが、しかし今は既にすべてを思い出している。
その筈だった。
この少女は一体何の事を言っている? 何を知っている?
それとも、ただのハッタリだろうか。
「…………言っている事の意味が良くわかりませんね」
「先程、セラン様が戦い方をご指導なされていた女の子……可愛らしい方でしたね? もしかしてこの地で恋仲になった方でしょうか?」
「違います。彼女は私が家庭教師として教えている生徒ですよ。そういう関係ではありません」
「そうですか……生徒さんね……」
ふふっとノーナが笑った。
「何がおかしいのです?」
「いえ何も……時に、セラン様はこういった一団の事をはご存じでしょうか。黒い黒い漆黒の、頭から足元までを覆う長い衣に身を包み、腰に黒鞘に入った刀を吊って、卓越した剣技だけでなく、時には魔法も用いる、影法師のような集団を」
歌うように薄桃色の唇から紡がれた言葉は、他ならぬ紅瞳子を連れ去り古狼を殺めた影法師の事を指していた。
「……ええ、知っています。貴方の方こそ、何を何処まで知っているのですか?」
青年が黒瞳を鋭くして睨むと、ノーナは真っ直ぐにセロンを見つめ返して来て唇を開き、
「――」
ある場所を告げた。
「そこに彼等は居ます」
無造作に、彼女は言った。
セロンは無表情になった。
――何かの罠だろうか?
しかし、罠にしては雑過ぎる気がした。
――では真実だと?
真実だというのなら、
「何故、貴方がそれを知っているのです?」
「さぁ? 何故でしょうね……」
黒絹のような長い髪の少女はくすくすと微笑みつつカップに口をつけた。
「私をからかう虚偽であるなら、冗談では済みませんよ」
「嫌ですわ、ノーナはセラン様をからかってはおりませんし、嘘をついてもいませんわ」
深紅のドレスの少女は白いカップを優雅な手付きでソーサーの上に置いた。
黒と赤の瞳でセロンを見つめ、
「――リリアーヌ様が悪いのよ」
聞いた覚えの無い名前を言った。
セロンが無表情のまま見つめ返すとノーナはバッグから財布を取り出して開き、金貨をテーブルの上に置くと、席から立ち上がった。
「お名残惜しいですけれど、わたくし、そろそろゆきますわ――先程からこちらを窺っているどなたかもいらっしゃるようですし……お話の続きは、また後で。ごきげんよう、セラン様。またお会いしましょう?」
処女雪色の肌の女は艶然と微笑むと背を向け、セロンの前から去っていった。
●
深紅のフリルドレスに身を包んだ女が姿を消すと、銀髪を後頭部で結い上げている娘が近づいて来て声をかけてきた。
「セラン」
「あぁなんだフィーネ、居たのか」
誰かが様子を窺っているというのはセロンもなんとなく感じていたが、それがまさかゾフィーだとは思っていなかったので軽く驚いた。
ゾフィーは口先を尖らせると、
「居ちゃあ悪いかい。この店は元々私のテリトリーなんだぜ」
最長でもまだ三ヶ月程度だろうに、まるで場末酒場に何年も通い続けている不良生徒みたいな事を言う。
「なんでよりにもよってこの店に入ってくるかなぁ」
げんなりした表情で言う娘に対しセロンは肩を竦めると、
「先程の女性がここに入りたいと言ったからさ」
「ここの紅茶は美味しいからね。だから、この店を選んだ慧眼は褒めてあげる。けれど、あんまりお近づきになりたい人じゃあないなぁ。さっきのあのフリル式動くレッド危険物サイケ女、アレでしょ、有名人の」
「動くレッド危険物サイケ女って……まぁ呼称はともかく有名人のあの人だね」
相変わらずのネーミングセンスに苦笑しつつも青年は頷いた。
「どうするの?」
「捕まえろとは言われてないからね」
ヴェヒター・ヌルからは注意は喚起されているが、レッドベリル三姉妹を捕縛せよ、との指令はセロン達にはくだされていない。
「でもあっちはセランに用があるみたいだね。モテるね」
「見た目だけなら大層な美人だが……地獄に引きずり込もうとする破滅の女神様とはあまり積極的に関わり合いになりたくはないな」
「元は許嫁さんなんでしょう?」
「だからこそだよ」
「まー、そーだろーねー。でもその元許嫁さん、貴方にとって聞き捨てならないものの場所を告げていったみたいだけれど?」
「そうなんだよな」
「どうするの?」
「どうしようか、胡散臭い事、この上ないんだけど」
「無視もしずらい、と」
「うん」
セロンは頷いた。
「少し、考える」
「オーケー、それじゃ、踏み込む時は前もって伝えてね」
「わかった」
セロンは去ってゆくゾフィーへと答え再びカップに口をつけた。
思考する。
ノーナが伝えてきた影法師達の拠点だという場所。
――行くべきか、行かざるべきか。
セロンはほのかな甘味を含んだぬるい紅茶を飲みつつ、考えを巡らせるのだった。
と、ゾフィー・マルテルは別段に強く思っている訳ではなかったが、その日の放課後、彼女は独りカフェに入って優雅にティータイムを楽しんでいた。
高級な店では無く、特段に洒落ている内装の店でもなく、だがしかし茶とケーキの味は良い……そういう店である。
彼女は一息入れたい時にしばしばこの店を訪れていた。
流行りの店のように騒がしくなく、紅茶の味をゆっくりと穏やかに楽しむには丁度良い場所であったからだ。
そんな私的な憩いの場にて、しかし彼女は本日飲んでいた紅茶を吹き出す程の驚愕に目を瞠る事となる。
(……んなっ?!)
木造の暗い褐色の扉を押し開き、扉上に備えられている小鐘の音を涼やかに鳴らしながら、店内へと見知った顔達が入って来たからだ。
片方はヒューマンの平均よりもやや上背のある精悍な体躯を持つ黒髪黒瞳の青年だ。見えざる見張り番の先輩隊員セロンガード・シュタインドルフである。
こちらはそこまで驚くような事ではない。
ゾフィーと同様、彼もパンクリアース学園へと留学生に扮して潜入していたので、この店に茶を飲みに足を踏み入れる事だって十分ありえるだろう。
問題はもう一人の、セロンと連れ立って入って来た人物だった。
歳の頃は十七、八程だろうか。墨を溶かしたような漆黒の髪を腰程までに真っ直ぐに伸ばしている。
肌は処女雪のように白く、それを包む透かし柄とひだ寄せ装飾がふんだんにあしらわれた帝国風ドレスは、血に染まったような鮮やかな赤だった。
瞳も片方がルビーのように赤い色をしている。黒赤妖眼だ。
この少女はゾフィーの知り合いではなかったが、しかしゾフィーはその顔を確かに知っていた――
(レッドベリルの長姉!!)
要注意人物として諜報部隊から回されて来た資料の中に描かれていた姿絵に一致する、レッドベリル三姉妹の長姉、エーレスリート伯爵家のノーナだった。
(こんなに堂々と姿を現すの……?!)
ゾフィーとて新人だが精鋭特殊部隊の端くれである。
そして彼女は教育課程を首席卒業した秀才でもあった。
秀才というのは勤勉な生き物だから、部隊から回されてきた資料にきちんと真面目に目を通している。勤勉でなければ秀才とは呼ばれない。
だから、要注意人物として姿絵付きで部隊から注意を促されている人物の事は、当然記憶していたし、それに数日前にレッドベリル三姉妹と遭遇したというセロンからリーンエスの王都に大変危険なこの三姉妹が来ているから気をつけろと注意を促されてもいたから、当然その存在を知っていた。
レッドベリルの三姉妹というのは元々派手で残虐かつ冷酷な殺しっぷりから噂になるくらいに帝国の一部界隈では有名な人物である。
ゾフィー達ヴェヒター・ヌルの他にもその顔を知っている人間は沢山いる。
ここはシルトラース帝国ではなく、遠く離れたリーンエス王国だから、あるいは知っている者は極めて少なくなるかもしれないが――しかし、それにしたって身を忍ばねばならぬノーナの立場を考えれば、白昼堂々の大胆過ぎる振る舞いであった。
そして現在、その有名な危険人物にセロンが付き合わされている。
ゾフィー達は正体を隠して王国に潜入している訳だから、レッドベリル三姉妹を知っている者からノーナと一緒にいるあの男は何者だ? と怪しまれてそこから芋づる式に正体がバレてしまう危険性がある。
正体を隠している潜入諜報員的には現在、潜入を続けられるか続けられないかの危機的な状況にあった。
(くっそ、はた迷惑な! 前に接触した時もセロンに会いに来たとか言ってたんだっけこのサイケ女……? うちのパイセンに何がしたいんだこの歩くレッド危険物め!)
近頃は親しい人間と良い子な後輩とばかり接しているのでナリを潜めがちだが、ゾフィー・マルテルという少女は元来気に入らない人間に対しては大変な毒舌家である。
なのでノーナに対しては当然胸中で口汚く盛大に罵っていた。
そんな銀髪ポニテ娘が見守る中、セロンとノーナは店内を歩いてゆき、幸か不幸かゾフィーからは死角となる席についた。
銀髪娘は平静を装いつつも、会話を探るべく、ぴんっと聞き耳を立てるのだった。
●
人が疎らな店内だ。
閑古鳥が鳴いている、という程に空席が目立つ訳ではないが、さりとて流行りの店という程の客入りでもない。
古ぼけてはいるが良く磨かれている白を基調とした卓が並べられ、所々に鉢に植えられた植物が、緑色の葉を艶やかに輝かせながら立っていた。
「貴方は随分と火遊びが好きなのですね」
「刺激の無い在り方では生を実感できませんもの」
店内を歩き、適当な卓の椅子を引いて座りセロンが言えば、少女は対面の席にひだ寄せ装飾がふんだんにあしらわれた深紅のドレスの裾をふわりと舞わせつつ腰を降ろした。
本日は武器は携帯していないようだったが、ヴェヒター・ヌルから指名手配されている物騒な少女だ。
腰程までの長さのさらりとした漆黒の髪を揺らしつつノーナ・エーレスリートはセロンを見つめると、薄桃色のふっくらとした艶やかな唇を歪め、艶然と微笑んだ。
レッドベリル三姉妹を追跡すべく放たれたヴェヒター・ヌルの隊員達からの定期連絡が途絶え、その消息が不明になったとの連絡をセロンは既に受けている。
何事かが彼等に発生し、その何事かを齎したのはレッドベリルの三姉妹であろう事は明白だった。
そんな身の上でありながら、こうして目の前の女は白昼堂々姿を現しセロンをカフェに誘ったのだから、普通の神経ではない。
深紅の帝国式ドレスに身を包んだ少女は、注文を取りに来た華やかな給仕服姿のウェイトレスへと特に気負った様子も無く、軽い飲み物と食べ物をオーダーしている。
セロンも周囲から見て不自然にならないように一応、飲み物と食べ物を注文した。
とても共に楽しく飲み食い出来るような相手ではなかったが。
「――セラン様とてそうであるからこそ、この界隈に身を置いているのではないのですか?」
雪のように真っ白な肌と墨を溶かしたような黒髪を持つ少女は、黒と紅のオッドアイを宝石のように煌かせつつセロンを見た。
精悍な体躯の黒髪青年は首を横に振ると、
「私がこの世界に入ったのは貴方とは理由が異なります。少なくとも刺激を求めての事ではありません。私は平穏が嫌いではありませんよ」
「あら、そうなのですか……? 本当に……?」
ノーナが疑わしそうに黒紅の瞳を細める。
「ええ、本当です」
やがてオーダーされた紅茶と軽食を華やかな給仕服に身を包んだウェイトレスが運んできた。セロンが礼を言うとウェイトレスはごゆっくり、と笑顔で答えて去ってゆく。
処女雪色の肌を深紅のドレスに包んだ少女は、白を基調とし青で瀟洒な絵柄入れられている磁器製のティーカップを薄桃色の唇につけ上品に紅茶を口に含み、
「あら、思っていたよりも美味しいですね」
と意外そうにパチクリと目を瞬かせた。
セロンも紅茶を飲んでみたが、確かに美味だった。この店で使われている紅茶の葉はなかなか良いものであるらしい。それとも、店主の茶を淹れる腕が良いのか。
目の前にいるのがこの物騒な少女でなければ、もっと素直に味を愉しめただろうに、と多少惜しく思う。
黒絹のようなさらりとした髪のノーナは、音を立てずにティーカップをソーサーの上に置くと再びセロンへとその双眸を向けてきて、
「しかし……平穏をお嫌いでないのでしたら、セラン様は今のような危険と隣り合わせな生活からは離れて、わたくしと共にエーレスリートへといらっしゃればよろしいでしょうに?」
と不満そうに言った。
「またその話ですか?」
セロンは片眉を上げた。
以前に会った時にも聞いた話だった。
くどい、と思う。
「……貴方と私は敵同士になったと、以前お会いした時に貴方は既にそうおっしゃった筈」
青年が黒瞳で鋭く睨むと黒髪の少女は艶然と微笑み、
「以前は確かにそう申し上げました……しかし、実を言うとそれはわたくしの本心ではないのです」
なんだか奇妙な事を言い始めた。
「本心ではない?」
セロンは盛大に眉を潜めた。
ええ、とノーナは頷き、
「わたくしにも立場というものがありまして、妹達の手前、あの時はああ言うしかなかったのです」
何か情勢の変化でもあったのだろうか? そう、勘繰りたくなる程に胡散臭い事この上ない言葉だった。
妹達の手前、と彼女は言うが、次女のラケシスも三女のネヴァンも、このノーナこそが統制しているように見えたが――
「貴方の言う事は無茶苦茶だ。付き合いきれませんね」
「そうおっしゃらないでセラン様、短気は損気ですよ」
くすくすと少女が微笑する。
「冷静に、落ち着いて、良くお考えになってくださいまし、わたくしと一緒にエーレスリートへと来てくだされれば、今の地位よりも遥かに待遇はよろしくてよ?」
客観的に考えればこそ、帝国の諜報機関を全面的に敵に回しているあくまでたかが一伯爵――皇帝や王公と比較しての話ではあるが――に過ぎないレッドベリルが用意できるセロンへの待遇というのがどの程度のものなのか? という根本的な疑問がある。
エーレスリート家は早晩、帝国から取り潰されても不思議はない立ち位置にいるのではないのか。
何故、この三姉妹の長姉はそんなに強気になれるのだろう?
セロンとしては不思議だった。
どうして自分達の価値をそこまで高く見積もれる?
貴族特有の傲慢さか?
それとも狂っているからか?
(あるいは何か、この強気の根拠となる奇貨を、レッドベリルは握っているのか……?)
そんな諸々の疑問がセロンの胸中に湧きあがったが、しかしそもそもに、
「――貴方が提供出来ると訴えるものは私には必要がありません。私にとって必要なのは、今の環境こそですから」
必要だから軍に入った。
栄達や平穏、まして刺激などを求めての事ではない。
黒髪の青年がきっぱりと告げると黒髪の少女は自身の胸に手をあてて再度訴えた。
「……わたくしと一緒にエーレスリートへと来てくだされれば……望むならば、わたくし達三姉妹を侍らせる事だって出来ますのよ?」
「興味がありません」
本当に興味が無かったのでセロンがノータイムで即答するとノーナは「そうですか」と呟いて白いカップに口をつけた。
危険極まりない物騒なルナティック三姉妹を侍らせて誰が喜ぶというのだ。エーレスリート伯爵の意にそぐわなくなった瞬間に暗殺者に早変わりして寝首を掻かれる事になるというのに。
見目が綺麗なだけで喜べるなら絵画でも並べておけばそれで十分だろう。よっぽど害も無く、心も慰められる。
そんなセロンの断固たる拒絶の意志が伝わったのか、黒髪少女は黒い柳眉の端を下げ、紅茶を一口飲むとか細く息を吐き出して小さな肩を落とし、
「残念です……セラン様は命を賭けて挑む異国での任務に何故そこまで拘るのでしょう? ノーナは理解に苦しみます」
それらの条件で頷くと思っている貴方の思考経路の方が理解に苦しみます、とセロンとしては思う所であったが、
「ノーナ、貴方は元許嫁、だからその誼で言いますが、私には果たさねばならぬ誓いがあります」
「誓い……」
「そうです」
セロンは宣言した。
「友を見つける事。そして仇を討つ事。それを私は果たさねばなりません。ですから私は今の環境こそが必要であり、貴方の誘いには乗れません。諦めてください」
「友を見つける事……そして仇……」
黒髪少女は自らの唇に指先をあて呟くと、ギョロリと黒赤の瞳を動かした。
「――セラン様は本当に何も覚えられていないのですか?」
輝くオッドアイがセロンを見つめている。
何故か、心の奥底が冷たい指で撫でられたようにぞわりとした。
(…………覚えていない?)
セロンは確かに一時期、起こった出来事を忘れていたが、しかし今は既にすべてを思い出している。
その筈だった。
この少女は一体何の事を言っている? 何を知っている?
それとも、ただのハッタリだろうか。
「…………言っている事の意味が良くわかりませんね」
「先程、セラン様が戦い方をご指導なされていた女の子……可愛らしい方でしたね? もしかしてこの地で恋仲になった方でしょうか?」
「違います。彼女は私が家庭教師として教えている生徒ですよ。そういう関係ではありません」
「そうですか……生徒さんね……」
ふふっとノーナが笑った。
「何がおかしいのです?」
「いえ何も……時に、セラン様はこういった一団の事をはご存じでしょうか。黒い黒い漆黒の、頭から足元までを覆う長い衣に身を包み、腰に黒鞘に入った刀を吊って、卓越した剣技だけでなく、時には魔法も用いる、影法師のような集団を」
歌うように薄桃色の唇から紡がれた言葉は、他ならぬ紅瞳子を連れ去り古狼を殺めた影法師の事を指していた。
「……ええ、知っています。貴方の方こそ、何を何処まで知っているのですか?」
青年が黒瞳を鋭くして睨むと、ノーナは真っ直ぐにセロンを見つめ返して来て唇を開き、
「――」
ある場所を告げた。
「そこに彼等は居ます」
無造作に、彼女は言った。
セロンは無表情になった。
――何かの罠だろうか?
しかし、罠にしては雑過ぎる気がした。
――では真実だと?
真実だというのなら、
「何故、貴方がそれを知っているのです?」
「さぁ? 何故でしょうね……」
黒絹のような長い髪の少女はくすくすと微笑みつつカップに口をつけた。
「私をからかう虚偽であるなら、冗談では済みませんよ」
「嫌ですわ、ノーナはセラン様をからかってはおりませんし、嘘をついてもいませんわ」
深紅のドレスの少女は白いカップを優雅な手付きでソーサーの上に置いた。
黒と赤の瞳でセロンを見つめ、
「――リリアーヌ様が悪いのよ」
聞いた覚えの無い名前を言った。
セロンが無表情のまま見つめ返すとノーナはバッグから財布を取り出して開き、金貨をテーブルの上に置くと、席から立ち上がった。
「お名残惜しいですけれど、わたくし、そろそろゆきますわ――先程からこちらを窺っているどなたかもいらっしゃるようですし……お話の続きは、また後で。ごきげんよう、セラン様。またお会いしましょう?」
処女雪色の肌の女は艶然と微笑むと背を向け、セロンの前から去っていった。
●
深紅のフリルドレスに身を包んだ女が姿を消すと、銀髪を後頭部で結い上げている娘が近づいて来て声をかけてきた。
「セラン」
「あぁなんだフィーネ、居たのか」
誰かが様子を窺っているというのはセロンもなんとなく感じていたが、それがまさかゾフィーだとは思っていなかったので軽く驚いた。
ゾフィーは口先を尖らせると、
「居ちゃあ悪いかい。この店は元々私のテリトリーなんだぜ」
最長でもまだ三ヶ月程度だろうに、まるで場末酒場に何年も通い続けている不良生徒みたいな事を言う。
「なんでよりにもよってこの店に入ってくるかなぁ」
げんなりした表情で言う娘に対しセロンは肩を竦めると、
「先程の女性がここに入りたいと言ったからさ」
「ここの紅茶は美味しいからね。だから、この店を選んだ慧眼は褒めてあげる。けれど、あんまりお近づきになりたい人じゃあないなぁ。さっきのあのフリル式動くレッド危険物サイケ女、アレでしょ、有名人の」
「動くレッド危険物サイケ女って……まぁ呼称はともかく有名人のあの人だね」
相変わらずのネーミングセンスに苦笑しつつも青年は頷いた。
「どうするの?」
「捕まえろとは言われてないからね」
ヴェヒター・ヌルからは注意は喚起されているが、レッドベリル三姉妹を捕縛せよ、との指令はセロン達にはくだされていない。
「でもあっちはセランに用があるみたいだね。モテるね」
「見た目だけなら大層な美人だが……地獄に引きずり込もうとする破滅の女神様とはあまり積極的に関わり合いになりたくはないな」
「元は許嫁さんなんでしょう?」
「だからこそだよ」
「まー、そーだろーねー。でもその元許嫁さん、貴方にとって聞き捨てならないものの場所を告げていったみたいだけれど?」
「そうなんだよな」
「どうするの?」
「どうしようか、胡散臭い事、この上ないんだけど」
「無視もしずらい、と」
「うん」
セロンは頷いた。
「少し、考える」
「オーケー、それじゃ、踏み込む時は前もって伝えてね」
「わかった」
セロンは去ってゆくゾフィーへと答え再びカップに口をつけた。
思考する。
ノーナが伝えてきた影法師達の拠点だという場所。
――行くべきか、行かざるべきか。
セロンはほのかな甘味を含んだぬるい紅茶を飲みつつ、考えを巡らせるのだった。