その探偵、鋭利者につき
キャラクターノベル制作 革酎納品 2021年08月14日 12時26分07秒
●
リーンエス王国東部の、とある地方の小さな田舎町。
ヴァン・ローラントは昨日まで請け負っていた依頼の事後報告と依頼料受け取りの為に、冒険者ギルド支所へと足を運んでいた。
依頼そのものは小型の魔獣を撃退するという実に簡単なもので、田舎町特有の幾分のんびりした仕事内容だった。敵の戦闘力も全く大したことが無く、ヴァンひとりで難無く始末することが出来た
ここのところヴァンは、この田舎町に滞在している。人口は程々で、立ち寄る冒険者も比較的少ない町であった。冒険者ギルドに持ち込まれる依頼総数も決して多くはなく、その内容も然程に困難なものではない。ひとりでこつこつと経験を積む場所としては、もってこいの場所であろう。
報告書の素案を提出し、依頼料を受け取ったヴァンは、依頼掲示板に目を通した。
(特に目新しい依頼は無し、か)
報酬額もそこそこ貯まってきており、普通に生活する分には当面何も困ることがない。ヴァンは久々に羽根を伸ばそうと、頭を休日モードに切り替えた。
ところが――。
「お、ローラント探偵、丁度良いところに」
冒険者ギルドの木扉を押し開けて、やや上質な衣服を纏ったひとりの中年男性が飛び込んできた。
彼の名はクレイグ・シアトリウス。この地を統治する貴族の私兵団に所属し、この田舎町では警備や暴力事案の解決業務を担当している。
ヴァンとクレイグは過去に数度、近隣の魔獣退治で共に仕事をしたことがあり、知らぬ仲ではなかった。クレイグはヴァンが魔獣の居場所を突き止める推理力に随分と感心しており、ここ最近ではヴァンのことをローラント探偵と呼ぶようになっている。
そのクレイグが、助かったと安堵の表情を見せてヴァンに歩を寄せてきた。
あぁ、これで休日は取り消しだな――ヴァンはもう一度、頭を冒険者モードに切り替え直した。
「何だ……また事件か?」
「いやぁ、最初はそんなに難しい話でもなかったんだけどなぁ」
クレイグは中途半端に禿げ上がった頭を掻いて、苦笑を漏らした。
どうやら、殺人事件が生じたらしい。通報があったのは昨晩。早速クレイグが事件担当を任され、捜査を開始した。
ところが今朝になって、ひとりの男が自首してきた。イグリオ・ファレスという中年男で、小さな貸金業と肉体労働の仲介業を営んでいるらしい。曰く、被害者に借金を踏み倒されそうになったから、ついカッとなって殺してしまった、という証言を残している。
クレイグとしては然程の労力を費やすことも無く事件解決だと喜んでいたのだが、同日の昼過ぎになって事態が急転した。
全く別の人物が、犯人は自分だと名乗り出てきたのだ。そのもうひとりの容疑者はカイズ・デルテンという若い男で、彼は恋人を被害者に寝取られた恨みを晴らす為に殺害したと自供している。
イグリオとカイズは共に面識が無く、共犯ではないらしい。
「成程……中々興味をそそられる事件のようだ」
最初にクレイグの顔を見た時は面倒臭いという気分が胸中に湧き起こりつつあったが、事件のあらましを聞くうちに、ヴァン自身も乗り気になっていた。
ヴァンは、クレイグからの捜査依頼を受けることにした。
●
クレイグの案内で、ヴァンは町の私兵団駐屯所へと足を運んだ。
十数名の貴族私兵が日替わりで勤務するだけの、小さな木造建屋である。ヴァンが屋内へ足を踏み入れると、五名の私兵団員が暇そうな顔つきで事務作業に当たっていた。
そして問題の容疑者二名は駐屯所奥のふたつの留置室に、分かれて留め置かれているということだった。
「先に、どっちの容疑者から話を聞くかね?」
「いや……最初は遺体の検分からだ」
ここ最近は、少しばかり気温が高い。死亡時刻は昨晩だが、遺体の腐敗が進む前に、なるべく早い段階で遺体から読み取れる正確な情報を仕入れておきたいというのがヴァンの説明である。
クレイグは成程と頷き返し、ヴァンを地下倉庫へと案内した。基本的には備品や非常食を保存しておく為の部屋だが、地上に比べると温度が低い為、遺体の安置にはもってこいの場所なのである。
手燭を掲げたクレイグが、地下室の中央に据えられた大きな荷台を指し示した。そこに、ただ運び込まれただけで大した処置も施されていない中年男の遺体が、無造作に横たわっている。
既に死臭が強くなり始めていたが、ヴァンは構わず荷台に歩を寄せた。
「致命傷は、胸の刺し傷か……首全体に締められた様な痕があるな」
「恐らく犯人は、後ろから被害者の首に腕を廻し込む様にして取り押さえ、もう片方の手で刃物を逆手に持ち、グサっといったんだろうなぁ」
身振りを加えて自身の推理を披露するクレイグ。ヴァンもその意見には異を挟まなかったが、胸の刺し傷については少しばかり時間をかけて、じっくりと調べ上げた。致命傷には数多くの情報が残されており、犯人を特定する決め手になることが多い。
「傷の角度は被害者自身から見て、右へ傾いている、か」
次いでヴァンは被害者の生前の健康状態を調べる為に、血まみれの衣服を丁寧に脱がせていった。裸にしてみて初めて分かったことだが、かなり貧相で筋肉量も少ない。単純な腕力なら、一般的な成人女性にも劣るのではないだろうか。
「長期間、余り栄養のあるものを食べていなかったんだろうな。近隣住民の話じゃ、ちょっと散歩に出ただけでもすぐに息切れして、しょっちゅう休憩を取る様な人物だったらしい」
クレイグの説明を聞きながら、ヴァンは首の他に、幾つかの痣が残っているのを目ざとく発見した。打撲によるものや、何かに強く押し付けられた、或いは締め付けられた様なものもある。
「この遺体から得られる情報は、これ以上はもう何も無いだろうな」
ヴァンは脱がせた衣服を証拠品として別の木箱へと押し込み、遺体には元から用意してあった粗末なシーツを被せた。
次は自首してきた容疑者達への追及である。
ふたりは地上部への階段を上り、駐屯所奥の留置室へと足を向けた。
まずは最初に自首してきた、イグリオ・ファレスに対する聴取である。
●
イグリオ・ファレス、53歳。
大柄で強面の顔つきだが、その瞳には冷静な光が宿っているのが伺える。ヴァンは内心で、小首を傾げた。
(物怖じしないタイプだな……それもそうか、貸金業や紹介業ともなれば、色んな連中を相手にしなければならない。対人技術は相当に年季が入っている筈だ)
証言によれば、被害者が借金を踏み倒そうとした為に、ついカッとなって殺してしまったということだが、本当にそうだろうか。
見るからに腕っぷしは強そうではある。だがイグリオの事業では、感情で動くことは最大のタブーの筈だ。怒りに任せたその場の勢いで相手を殺してしまう様な馬鹿な真似は、絶対にしない筈だ。
「どうやって殺したのか、ここで再現出来るか?」
「ふん、そんなことまでさせるってのか。俺が殺したと、何度もいってるじゃねぇか」
ぶつぶつ文句をいいながらも、イグリオはゆっくり立ち上がった。
被害者役を買って出たヴァンの背後に廻り込むと、イグリオは太い左腕をヴァンの首筋に廻した。次いで、右手に刃物を持った小剣の鞘を凶器に見立てて、ヴァンの胸に突き込む仕草を見せる。
「どうだい、分かったろう。こうやってあいつを殺したのさ」
「あぁ、良く分かったよ」
それだけいい置いてから、ヴァンはイグリオの留置室を出た。慌てて後を追いかける格好で、クレイグも退室してきた。
「あの男は、犯人じゃない」
断言するヴァンに、クレイグは仰天した。しかしヴァンはクレイグに細々と説明する前に、イグリオの周辺を探る様にと指示を出した。
「家族関係と人間関係を徹底的に洗ってくれ。彼は、誰かを庇っている」
続いてヴァンは、カイズ・デルテンが待つもう一方の留置室へと足を運んだ。
カイズはひょろりと背の高い青年だ。その顔つきは非常に穏やかで、誰かを殺す様な獰猛さは微塵にも見受けられない。
それでもカイズは、自分が被害者を殺害した、というのである。
「僕が殺しました。それは間違いありません。あの被害者が倒れていた部屋に、イヤリングが落ちていたでしょう? あれは、僕のものなんです」
いいながらカイズは己の左の耳たぶを差した。確かに、イヤリングを装着していた痕がある。そして右の耳たぶには、遺体発見場所に落ちていたものと同じイヤリングがぶら下がっていた。
しかし、だからといってこのカイズが犯人だと決めつけるのは尚早だ。
ここでヴァンはイグリオの時と同様に、カイズにも殺害時の動きを再現させた。するとカイズはイグリオと全く同じ動きを見せて、殺害シーンを再現してみせた。
「成程……よく分かった」
ここでもヴァンは、何か決定的な確信を抱いたかの様に、静かに頷いて室を出た。事務室に戻ると、クレイグはイグリオの身辺調査の為にひとりの部下を派遣しようとしているところだったが、ヴァンは更に、カイズの人間関係も洗う様にと指示した。
「やっぱ、そうくるだろうなとは思ってたよ」
クレイグも心得たもので、カイズの家族関係と人間関係を洗う為に、別の部下を既に出動させていた。
(さて……後はクレイグからの情報待ちだな)
恐らく、全ての情報が揃うのは夜になるだろう。それまでは少しばかり仮眠を取っておいた方が良い。
ヴァンは事務室の端に据えられているベンチを借りて、両の瞼を閉じた。
●
そして、夜になった。
ヴァンはイグリオとカイズを事務所に連れて来させた。勿論クレイグ以下、数名の私兵団達がもしもの場合に備えて室内の四隅に待機している。
ふたりの容疑者を前にして、ヴァンはクレイグから一冊の資料を受け取った。部下達に調べさせたイグリオとカイズの家族関係、及び人間関係の調査結果だった。
「被害者を殺したのは、アンタ達のどちらでもない」
致命傷となった刺し傷の角度と位置から見て、被害者を殺したのは左利きだ。
だがイグリオは右利きだった。この時点で彼は、容疑者から外れる。
「傷はほぼ水平の角度で入っていた。つまりアンタも、あの刺し傷をつけるのは不可能だ」
いいながら、ヴァンはカイズに視線を流した。カイズは左利きではあったが、彼の長身では、刺し傷はどうしても上から刺し込む角度になる。水平に刺し込む為には、カイズは被害者の身長に合わせる為に相当膝を屈めて立たなければならないが、そんな姿勢では逆に力が入らず、致命傷を与えることは不可能だ。
ここでヴァンは手にした資料に目を落とし、ある人物の名を声音に乗せた。
「メーリア・ファレス」
その瞬間、イグリオとカイズは同時に顔色を変えた。そしてお互いに驚いた表情で顔を見合わせる。まさか、という驚愕の色が双方の瞳の中に宿っていた。
「イグリオ、あんたの娘だな……そしてカイズ、アンタの恋人」
カイズが右の耳たぶにぶら下げているイヤリングは、本来はメーリアの所有物の筈だ、とヴァンは言葉を繋いだ。
イグリオは娘に恋人が居ることを知らなかった。そしてカイズは、メーリアの姓を知らなかった。つまりこの場で初めて、父と、娘の恋人が顔を合わせたことになる。
お互いに相手を知らないといっていたのは、嘘ではなかったのだ。
「被害者についても調べた。あの男は体が不自由な、可哀想な中年を装って年頃の若い娘に助力を求め、相手が油断した隙に襲い掛かるという婦女暴行の常習犯だったらしい」
メーリアも、あの被害者に襲われたのだろう。そして彼女は己の身を守る為に、件の男を殺した。
ここでヴァンはクレイグに顔を向けた。この地を治める貴族の統治法令によれば、この場合どの様な罪に問われるのか、と。
「いや、無罪だろうな。普通に正当防衛だ。うちの領主、性犯罪には特に厳しい御仁だからなぁ」
クレイグは涼しげに答えた。
ヴァンはメーリアの所在を訊いた。カイズ曰く、彼のアトリエに身を隠しているらしい。
「全くメーリアのやつ、手紙なんか使わねぇで直接俺にいってくれば良いものを……」
イグリオは一瞬だけ渋い顔を見せたが、直後、カイズに向けた視線には感謝の念が籠もっていた。
「彼女に、会いに行きますか?」
カイズが気を利かせて問いかけたが、イグリオは照れくさくて今更無理だ、と苦笑を浮かべた。
リーンエス王国東部の、とある地方の小さな田舎町。
ヴァン・ローラントは昨日まで請け負っていた依頼の事後報告と依頼料受け取りの為に、冒険者ギルド支所へと足を運んでいた。
依頼そのものは小型の魔獣を撃退するという実に簡単なもので、田舎町特有の幾分のんびりした仕事内容だった。敵の戦闘力も全く大したことが無く、ヴァンひとりで難無く始末することが出来た
ここのところヴァンは、この田舎町に滞在している。人口は程々で、立ち寄る冒険者も比較的少ない町であった。冒険者ギルドに持ち込まれる依頼総数も決して多くはなく、その内容も然程に困難なものではない。ひとりでこつこつと経験を積む場所としては、もってこいの場所であろう。
報告書の素案を提出し、依頼料を受け取ったヴァンは、依頼掲示板に目を通した。
(特に目新しい依頼は無し、か)
報酬額もそこそこ貯まってきており、普通に生活する分には当面何も困ることがない。ヴァンは久々に羽根を伸ばそうと、頭を休日モードに切り替えた。
ところが――。
「お、ローラント探偵、丁度良いところに」
冒険者ギルドの木扉を押し開けて、やや上質な衣服を纏ったひとりの中年男性が飛び込んできた。
彼の名はクレイグ・シアトリウス。この地を統治する貴族の私兵団に所属し、この田舎町では警備や暴力事案の解決業務を担当している。
ヴァンとクレイグは過去に数度、近隣の魔獣退治で共に仕事をしたことがあり、知らぬ仲ではなかった。クレイグはヴァンが魔獣の居場所を突き止める推理力に随分と感心しており、ここ最近ではヴァンのことをローラント探偵と呼ぶようになっている。
そのクレイグが、助かったと安堵の表情を見せてヴァンに歩を寄せてきた。
あぁ、これで休日は取り消しだな――ヴァンはもう一度、頭を冒険者モードに切り替え直した。
「何だ……また事件か?」
「いやぁ、最初はそんなに難しい話でもなかったんだけどなぁ」
クレイグは中途半端に禿げ上がった頭を掻いて、苦笑を漏らした。
どうやら、殺人事件が生じたらしい。通報があったのは昨晩。早速クレイグが事件担当を任され、捜査を開始した。
ところが今朝になって、ひとりの男が自首してきた。イグリオ・ファレスという中年男で、小さな貸金業と肉体労働の仲介業を営んでいるらしい。曰く、被害者に借金を踏み倒されそうになったから、ついカッとなって殺してしまった、という証言を残している。
クレイグとしては然程の労力を費やすことも無く事件解決だと喜んでいたのだが、同日の昼過ぎになって事態が急転した。
全く別の人物が、犯人は自分だと名乗り出てきたのだ。そのもうひとりの容疑者はカイズ・デルテンという若い男で、彼は恋人を被害者に寝取られた恨みを晴らす為に殺害したと自供している。
イグリオとカイズは共に面識が無く、共犯ではないらしい。
「成程……中々興味をそそられる事件のようだ」
最初にクレイグの顔を見た時は面倒臭いという気分が胸中に湧き起こりつつあったが、事件のあらましを聞くうちに、ヴァン自身も乗り気になっていた。
ヴァンは、クレイグからの捜査依頼を受けることにした。
●
クレイグの案内で、ヴァンは町の私兵団駐屯所へと足を運んだ。
十数名の貴族私兵が日替わりで勤務するだけの、小さな木造建屋である。ヴァンが屋内へ足を踏み入れると、五名の私兵団員が暇そうな顔つきで事務作業に当たっていた。
そして問題の容疑者二名は駐屯所奥のふたつの留置室に、分かれて留め置かれているということだった。
「先に、どっちの容疑者から話を聞くかね?」
「いや……最初は遺体の検分からだ」
ここ最近は、少しばかり気温が高い。死亡時刻は昨晩だが、遺体の腐敗が進む前に、なるべく早い段階で遺体から読み取れる正確な情報を仕入れておきたいというのがヴァンの説明である。
クレイグは成程と頷き返し、ヴァンを地下倉庫へと案内した。基本的には備品や非常食を保存しておく為の部屋だが、地上に比べると温度が低い為、遺体の安置にはもってこいの場所なのである。
手燭を掲げたクレイグが、地下室の中央に据えられた大きな荷台を指し示した。そこに、ただ運び込まれただけで大した処置も施されていない中年男の遺体が、無造作に横たわっている。
既に死臭が強くなり始めていたが、ヴァンは構わず荷台に歩を寄せた。
「致命傷は、胸の刺し傷か……首全体に締められた様な痕があるな」
「恐らく犯人は、後ろから被害者の首に腕を廻し込む様にして取り押さえ、もう片方の手で刃物を逆手に持ち、グサっといったんだろうなぁ」
身振りを加えて自身の推理を披露するクレイグ。ヴァンもその意見には異を挟まなかったが、胸の刺し傷については少しばかり時間をかけて、じっくりと調べ上げた。致命傷には数多くの情報が残されており、犯人を特定する決め手になることが多い。
「傷の角度は被害者自身から見て、右へ傾いている、か」
次いでヴァンは被害者の生前の健康状態を調べる為に、血まみれの衣服を丁寧に脱がせていった。裸にしてみて初めて分かったことだが、かなり貧相で筋肉量も少ない。単純な腕力なら、一般的な成人女性にも劣るのではないだろうか。
「長期間、余り栄養のあるものを食べていなかったんだろうな。近隣住民の話じゃ、ちょっと散歩に出ただけでもすぐに息切れして、しょっちゅう休憩を取る様な人物だったらしい」
クレイグの説明を聞きながら、ヴァンは首の他に、幾つかの痣が残っているのを目ざとく発見した。打撲によるものや、何かに強く押し付けられた、或いは締め付けられた様なものもある。
「この遺体から得られる情報は、これ以上はもう何も無いだろうな」
ヴァンは脱がせた衣服を証拠品として別の木箱へと押し込み、遺体には元から用意してあった粗末なシーツを被せた。
次は自首してきた容疑者達への追及である。
ふたりは地上部への階段を上り、駐屯所奥の留置室へと足を向けた。
まずは最初に自首してきた、イグリオ・ファレスに対する聴取である。
●
イグリオ・ファレス、53歳。
大柄で強面の顔つきだが、その瞳には冷静な光が宿っているのが伺える。ヴァンは内心で、小首を傾げた。
(物怖じしないタイプだな……それもそうか、貸金業や紹介業ともなれば、色んな連中を相手にしなければならない。対人技術は相当に年季が入っている筈だ)
証言によれば、被害者が借金を踏み倒そうとした為に、ついカッとなって殺してしまったということだが、本当にそうだろうか。
見るからに腕っぷしは強そうではある。だがイグリオの事業では、感情で動くことは最大のタブーの筈だ。怒りに任せたその場の勢いで相手を殺してしまう様な馬鹿な真似は、絶対にしない筈だ。
「どうやって殺したのか、ここで再現出来るか?」
「ふん、そんなことまでさせるってのか。俺が殺したと、何度もいってるじゃねぇか」
ぶつぶつ文句をいいながらも、イグリオはゆっくり立ち上がった。
被害者役を買って出たヴァンの背後に廻り込むと、イグリオは太い左腕をヴァンの首筋に廻した。次いで、右手に刃物を持った小剣の鞘を凶器に見立てて、ヴァンの胸に突き込む仕草を見せる。
「どうだい、分かったろう。こうやってあいつを殺したのさ」
「あぁ、良く分かったよ」
それだけいい置いてから、ヴァンはイグリオの留置室を出た。慌てて後を追いかける格好で、クレイグも退室してきた。
「あの男は、犯人じゃない」
断言するヴァンに、クレイグは仰天した。しかしヴァンはクレイグに細々と説明する前に、イグリオの周辺を探る様にと指示を出した。
「家族関係と人間関係を徹底的に洗ってくれ。彼は、誰かを庇っている」
続いてヴァンは、カイズ・デルテンが待つもう一方の留置室へと足を運んだ。
カイズはひょろりと背の高い青年だ。その顔つきは非常に穏やかで、誰かを殺す様な獰猛さは微塵にも見受けられない。
それでもカイズは、自分が被害者を殺害した、というのである。
「僕が殺しました。それは間違いありません。あの被害者が倒れていた部屋に、イヤリングが落ちていたでしょう? あれは、僕のものなんです」
いいながらカイズは己の左の耳たぶを差した。確かに、イヤリングを装着していた痕がある。そして右の耳たぶには、遺体発見場所に落ちていたものと同じイヤリングがぶら下がっていた。
しかし、だからといってこのカイズが犯人だと決めつけるのは尚早だ。
ここでヴァンはイグリオの時と同様に、カイズにも殺害時の動きを再現させた。するとカイズはイグリオと全く同じ動きを見せて、殺害シーンを再現してみせた。
「成程……よく分かった」
ここでもヴァンは、何か決定的な確信を抱いたかの様に、静かに頷いて室を出た。事務室に戻ると、クレイグはイグリオの身辺調査の為にひとりの部下を派遣しようとしているところだったが、ヴァンは更に、カイズの人間関係も洗う様にと指示した。
「やっぱ、そうくるだろうなとは思ってたよ」
クレイグも心得たもので、カイズの家族関係と人間関係を洗う為に、別の部下を既に出動させていた。
(さて……後はクレイグからの情報待ちだな)
恐らく、全ての情報が揃うのは夜になるだろう。それまでは少しばかり仮眠を取っておいた方が良い。
ヴァンは事務室の端に据えられているベンチを借りて、両の瞼を閉じた。
●
そして、夜になった。
ヴァンはイグリオとカイズを事務所に連れて来させた。勿論クレイグ以下、数名の私兵団達がもしもの場合に備えて室内の四隅に待機している。
ふたりの容疑者を前にして、ヴァンはクレイグから一冊の資料を受け取った。部下達に調べさせたイグリオとカイズの家族関係、及び人間関係の調査結果だった。
「被害者を殺したのは、アンタ達のどちらでもない」
致命傷となった刺し傷の角度と位置から見て、被害者を殺したのは左利きだ。
だがイグリオは右利きだった。この時点で彼は、容疑者から外れる。
「傷はほぼ水平の角度で入っていた。つまりアンタも、あの刺し傷をつけるのは不可能だ」
いいながら、ヴァンはカイズに視線を流した。カイズは左利きではあったが、彼の長身では、刺し傷はどうしても上から刺し込む角度になる。水平に刺し込む為には、カイズは被害者の身長に合わせる為に相当膝を屈めて立たなければならないが、そんな姿勢では逆に力が入らず、致命傷を与えることは不可能だ。
ここでヴァンは手にした資料に目を落とし、ある人物の名を声音に乗せた。
「メーリア・ファレス」
その瞬間、イグリオとカイズは同時に顔色を変えた。そしてお互いに驚いた表情で顔を見合わせる。まさか、という驚愕の色が双方の瞳の中に宿っていた。
「イグリオ、あんたの娘だな……そしてカイズ、アンタの恋人」
カイズが右の耳たぶにぶら下げているイヤリングは、本来はメーリアの所有物の筈だ、とヴァンは言葉を繋いだ。
イグリオは娘に恋人が居ることを知らなかった。そしてカイズは、メーリアの姓を知らなかった。つまりこの場で初めて、父と、娘の恋人が顔を合わせたことになる。
お互いに相手を知らないといっていたのは、嘘ではなかったのだ。
「被害者についても調べた。あの男は体が不自由な、可哀想な中年を装って年頃の若い娘に助力を求め、相手が油断した隙に襲い掛かるという婦女暴行の常習犯だったらしい」
メーリアも、あの被害者に襲われたのだろう。そして彼女は己の身を守る為に、件の男を殺した。
ここでヴァンはクレイグに顔を向けた。この地を治める貴族の統治法令によれば、この場合どの様な罪に問われるのか、と。
「いや、無罪だろうな。普通に正当防衛だ。うちの領主、性犯罪には特に厳しい御仁だからなぁ」
クレイグは涼しげに答えた。
ヴァンはメーリアの所在を訊いた。カイズ曰く、彼のアトリエに身を隠しているらしい。
「全くメーリアのやつ、手紙なんか使わねぇで直接俺にいってくれば良いものを……」
イグリオは一瞬だけ渋い顔を見せたが、直後、カイズに向けた視線には感謝の念が籠もっていた。
「彼女に、会いに行きますか?」
カイズが気を利かせて問いかけたが、イグリオは照れくさくて今更無理だ、と苦笑を浮かべた。