終わりの始まり~レッドベリルの三姉妹~
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年08月08日 12時13分59秒
真っ赤な――というよりは赤黒い色が宙に噴出した。
首に大きな裂傷を負った男が目を見開き、鳥の嘴のようなバイザーを備えた黒兜をかぶった黒影が手にする槍が回って、その先端が男の胸へと吸い込まれるように突き立った。
黒影――シルエットからするなら、女だろう。黒い柔革で作られた全身を包むつなぎは、細く引き締まった身体の線を浮かび上がらせていた。女にしては背が高いが、薄くとも柔らかく曲線を描くその身は男とは異なるものだ。
槍が引き抜かれ、男が血の海に崩れ落ちるように沈む。
鳥嘴黒兜をかぶった長身の女は、さらに躊躇いなく即座に槍を延髄へと振り下ろし破壊する。
男が完全に絶命したのを確認すると、黒革の女は槍を一つ横に振るって穂先から血を飛ばした。
「――オオオオ、主ヨ! オオ、主ヨ! オオ、主ヨ!」
傍らでは深いスリットの入った神官法衣に身を包んだ娘が、その小柄な身の丈を優に超える武骨で長大な鉄棍を、一心不乱に振り上げ、振り下ろし、振り上げ、振り下ろし、振り上げ、振り下ろし、まさに乱打している。
「ココココ希ワクバ、ドウカ罪深ク哀ナル者ドモニ、ヨ、喜ビノ原ヘノ扉ヲ開キ給エ!」
振り下ろされる度に、水に濡れたような鈍い音が響き、何かが闇の中に飛び散ってゆく。
男達は一人ではなかったが、既に動ける仲間は存在していなかった。
「あら、あら、ネヴァンったら、はしゃいでるわねぇ……」
真紅のドレスに身を包んだ漆黒に長い髪の少女が、薄桃色の唇の先に指をあてながら艶やかに微笑んだ。
「タタ大望ガ! 大望ガ! 我等ガ父ノ! 叶ウ時! 近ク!」
鉄棍が上下に動く度に、その先端の赤黒さが増してゆく。
「そうね、ええ、そうね、ええ、その為にも――」
女は言った。
大樹の幹に縫いとめられた三人目の男の眉間へと矢を撃ち込んで。
「彼を連れて帰らなければ――」
●
満天の星々だ。
暗黒の夜空に夏の星座が煌々と輝いている。
夜の風が一陣抜けて、セロンガード・シュタインドルフの黒髪を揺らしていった。
「セラン・フェルゼンブルク様ですね」
カサンドラとゾフィーの二人を女子寮へと送った帰り、男子寮への道を歩いていると、不意に少年は呼び止められた。
ソプラノの女声だった。
振り向くと、気配も無く影が三つ立っていた。
夜空の高い所を雲が流れゆき、雲間から巨大な月が姿を現す。
蒼白い月光に照らされて、影達の顔があらわになった。
「貴方は……」
セロンはその顔に見覚えがあった。
古い知り合い、といえば知り合いなのかもしれない。直接の面識は無かったが。
そう、セランとしてではなくセロンガードとしての知り合い。
――何故、ここに?
真っ先に思った事はそれだった。
「ご無沙汰いたしております。エーレスリートのノーナですわ。わたくしの事、覚えていらっしゃるでしょうか?」
墨を溶かしたような漆黒の髪が揺れる。腰程までに真っ直ぐに伸びた髪だ。
歳の頃は十七、八といった所だろうか。
処女雪のように真っ白な肌を、透かし柄とひだ寄せ装飾がふんだんにあしらわれた深紅のドレスに包んでいる。
背には華美なドレスには似つかわしくない長弓を負っているのが見えた。腰には細微な装飾の施されたベルトが回され、矢筒が下げられている。
少女は下半身がゆるく膨らんでいる赤いドレスの裾を両手でつまむと、左足を交差させるように右斜め後ろへと引き、右足の膝を軽く曲げ、背筋をピンと真っ直ぐに伸ばしたまま挨拶をした。上品な礼だ。
笑みを柔らかく湛えた黒瞳紅瞳を見据え返しセロンは頷く。
「ええ、ノーナさん、勿論、覚えています。許嫁だった女性を忘れはしません。ですが……私の記憶に間違いがなければ、直接お会いするのはこれが初めてだった筈ですが」
エーレスリート家はシュタインドルフ家の傍系にあたり、幼い頃、セロンとノーナは家同士の結びつきにより婚約関係にあった。
もっとも、その婚約は既に解消されて久しかったが。
破談になった理由は、授恵者に覚醒した事や、軍に入隊する事でセロンに付加価値が生まれた為である。
するとノーナは笑みを深くした。闇と血色の瞳がセロンを見つめている。
「ええ、ええ……そうでしたね……直接お会いするのは、これが初めて……」
黒髪少女の笑顔に、セロンの胸の奥から妙な感覚が湧き上がって来た。
「けれども、それでも覚えていてくださったのねノーナの事。嬉しい」
「……貴方は、私達の間ではとても有名ですからね」
姿絵を見た事があった。
ヴェヒター・ヌルから回されて来た資料の中で。
要注意人物として。
『レッドベリルの三姉妹』
そのように呼ばれ恐れられ、危険視されている姉妹の長姉が彼女、ノーナ・エーレスリートだ。
エーレスリートはレッドベリル・エーレスリート伯爵を当主とし北の大帝国シルトラースの軍事に従事する一族だ。
レッドベリル・エーレスリートは伯爵であると同時に『見えざる見張り番』の諜報員でもあった。ただしそちらには『元』という但し書きがつくが。
レッドベリル伯爵の子である三姉妹は、驚くべき事に三人ともが授恵者として覚醒していた。
この時代、授恵者とは非常に稀有な存在であったが、それが三人ともにすべてである。彼女等は当然のようにレッドベリル伯爵の強力な切り札となっていた。
近年、レッドベリル伯爵がシルトラース帝国内で順調に昇進していった影には、ノーナら三姉妹の暗躍があったと噂されている。
彼女等は暗殺に長け、そして伯爵の競争相手やその家族には不審死が少なくなかった。
――噂によれば、姉妹は三人ともに『気が触れている』らしい。
レッドベリル伯爵は三姉妹を帝国の影に生きさせる為、幼少の頃より虐待とも大差ない過酷な訓練を課していた。その結果、彼女らは狂ってしまったのだと。
残虐で容赦が無い。
串刺や八つ裂きにして晒し吊るすなんてのは日常茶飯事、反抗的であるなら捕虜も味方も民間人ですら容赦なく処刑する有様。
故に、人々はこの三姉妹を畏怖して『レッドベリルの三姉妹』と呼んだ。
なお現在、レッドベリル伯爵は――
「しかし……不思議ですね」
――ヴェヒター・ヌルに対する致命的な背信行為により、謹慎処分を言い渡されている。
「貴方達は今、自由に外を出歩けない筈ではなかったのですか」
何故、当主が謹慎処分を受けているのに、その切り札たる三姉妹が屋敷の外、あまつさえ帝国の外に出て、遠く離れた異国の王都であるグランスパーダに居るのだろう?
おまけに、グランスパーダの中でも限られた者しか出入りする事ができないこのパンクリアース学園の敷地内にいる?
「あら……謹慎を言い渡されたのはお父様であって、私や妹達ではありません。何も問題ありませんわ?」
無邪気そうに小首を傾げ黒髪ロングの少女が微笑む。
――そんな馬鹿な話が通るか。
セロンは胸中で毒づいた。
帝国諜報部隊に対する致命的背信行為により謹慎処分を受けた伯爵の、その暗部の最大武力達が、自由に外出する事を許されている訳が無い。
『見えざる見張り番』達は決してそれを見逃さないし、許す筈がないのだ。
であるのに、
(何故、この三姉妹がここにいる?)
赤いドレスの女が笑っている。
背筋を冷たい感触が這い上がって来る。
決して、平穏無事にここまで辿り着いた訳ではあるまい。
決して、物見遊山では無い筈だ。
「何を……しに来たのですか?」
セロンは片足を微かに動かし、重心をほんの僅かにだが動かした。細微に斜に身を構え、視線をノーナの左右へと走らせる。
向かって左――ノーナの右側に立っている長身の少女が、次女のラケシスだろう。
細く締まった身体の線を露わに浮かび上がらせるタイトな黒革のつなぎに首から下の全身を包み、胸部に黒鋼の胸当てを重ね着し、手に槍を持っている。
頭部には黒い円錐型兜をつけていた。
鳥の嘴のように尖ったバイザーは今はあげられていて、その白い顔が晒されている。
姉と同じく髪色は黒。
ただし長さは違い、ショートカットに短く切られていた。
双眸の色もやはり姉と同じく黒瞳紅瞳で、しかしどこか熱に浮かされているような姉のものとは違い、冷たい氷のようにさめきった光を湛えている。
人を殺しても眉一つ動かさないという噂は真実なのだろう、見る者にそう思わせる、人形めいた無機質さだった。
一方、ノーナを挟んで対になるように左側に立っているのは、末妹のネヴァンだろうか。
どこぞの宗教の法衣であるのか、青を基調色とし細微な紋様と深いスリットが入ったゆったりとした長衣を纏っている。
矮躯ながらに女性らしい豊かな起伏が布地を盛り上げ、長衣の陰から覗く白い足には腿丈のソックスと短靴を履いていた。
頭には円と十字が組み合わされた紋様が入れられた帽子をかぶり、手には小柄な彼女の身の丈を優に超える、武骨に長大な鉄棍を持っている。
この末妹もまた姉二人と同じく黒い髪色をしていた。長く伸びる艶やかな黒髪がツインテールにされている。
やはり、彼女も左右で黒と紅と色が違う瞳を持ち、それは大きく見開かれて月光を浴び爛々と輝いていた。
先ほどから瞬きを一度もしていないように見える。
口は半開きに開かれ口の端から唾液が垂れていた。
狂っている、という風評を最も端的に表情にあらわしているのはこの末妹だろう。
焦点が合っていない黒紅眼がぎょろりと動いてセロンを見つめる。
「ナナナナナ何ヲ? 何ヲ? 何ヲ? 主ヲ、主ヲ、主ヲ、讃エニ、ソノシンイヲ、地上ニ顕現センガ為! ソレガ為ニ、我ラガ父ノ――」
どもりが酷い声は少女らしく甲高く、しかし酷く不気味に掠れてもいて、聞く者の心をざわつかせた。
喉を傷めて、いるのだろうか。
「ネヴァン」
長姉ノーナが名を呼ぶと、ネヴァンはピタリと喋るのを止めた。
焦点の合っていなかった闇と火の色の瞳でただじっとセロンを見つめている。口の端からぽたぽたと涎が流れて落ちてゆく。
ノーナはレースで透かされている深紅のドレスの胸元に手をあてると、切なそうに黒瞳紅瞳を細めてセロンへと言った。
「わたくしは貴方に会いに来たのです、セラン様」
「……私に、ですか」
「ええ」
長い黒髪の女が頷く。
「夏の森に差す陽の光に、貴方様の事がとてもとても恋しくなりましたの……またいつの日かのように、わたくしの手を取っていただけたらと……居てもたってもいられなくなり、北のシルトラースの地より遥々やって参りましたわ」
「……おっしゃっている意味が、良くわかりませんね」
いつの日かのように?
ノーナ・エーレスリートとは今日が初対面である。
この女は、一体、何を言っているのだろう?
「そうですか……そうですか……ふふっ」
黒と赤の瞳の女が笑う。
夜の風が強く吹いて、少女の長い黒髪が揺れ流れてゆく。
セロンの胸の奥からまた、奇妙な感覚が湧き上がって来る。
それは名状するならば、
『違和感』
そう呼ばれる類のものだった。
「貴方は、一体……」
「セラン様、どうかわたくし達と一緒に来て?」
ノーナが陶然とした瞳で小首を傾げる。
薄桃色の唇が輝いている。
ネヴァンが瞬きしない瞳でセロンをじっと見つめ、口からボタボタと涎を零している。
ラケシスが氷のような無機質な瞳でセロンを見つめていた。
セロンは声が掠れないように一つ咳払いしてから、努めて軽い調子で問うた。
「どこにですかね?」
女が答える。
「北に……シルトラースに……我等が故郷に……エーレスリートに!」
「……そこに行って、一体何をどうするというのですか」
「ご安心なさってっ?! 誰も取って食べたりはしませんよ!」
アハハと何がおかしいのか堪え切れぬといった態でノーナが哄笑する。
ケタケタとネヴァンが笑う。
ラケシスは無言である。
『頭がおかしい』
三姉妹のその風評に間違いはないのかもしれないな、とセロンは思った。
「お招きは有難いのですが……私は現在、このパンクリアース学園で学んでいる最中でして、まだシルトラースに帰る訳にはいかないのですよ」
「あら……では、わたくしの誘いを、わたくし達からの誘いを、セラン様はお断りになると、そうおっしゃるの?」
黒と紅の瞳が大きく見開かれる。
末妹のネヴァンのそれのようにノーナの瞳が瞬き一つもせずにセロンを強く見つめる。
「ええ」
黒髪の少年は頷いた。
すると、それまで会話を聞いているのかも怪しかったラケシスが、上げられていた稼働式のバイザーに無造作に手を伸ばし下げた。
黒兜の蝶番が軋む金属音が月下の闇の中に響き渡る。
鳥の嘴のような円錐型の面が降ろされ、黒い鋼が少女の顔を覆った。
僅かに細く空いている隙間から、ゾッとする程に冷たく無機質な黒紅瞳が覗ている。
「セラン様……アァ、セラン様……もう一度だけお尋ねいたしますわね……わたくし達と一緒に、エーレスリートへといらしてくださいませんか?」
瞬きしない赤いドレス姿の少女が、二つの色の違う瞳を見開いてセロンを凝視している。
セロンは瞳を細め述べた。
「折角のお誘いですが……やはりお断り申し上げる」
「そう……でしたら……」
見えない何かが膨れ上がってゆく。
ラケシスもネヴァンもその手にした得物を構えようとはしなかった。だが、しかし、一つ切っ掛けがあれば、即座にその槍を、鉄棍を振り翳して飛び掛かってきそうな、剣呑な空気を纏っている。
血色のドレスの黒髪娘は瞳を閉じ、胸元に手をあて、深々と息を吐く。
「仕方ありませんわね」
ノーナは肩を落とすと再び双眸を開き、
「では今晩の所はこれにてお暇いたしますわ」
穏やかな表情と声音でそう述べた。
「……お帰りになられるので?」
「ええ」
長い黒髪の少女は頷き、そして微笑すると、
「けれども、残念ですわ……セロンガード・シュタインドルフ様、今この時を以って、貴方様はわたくしの、わたくし達の敵となった。本当に、本当に残念ですわ……本当に」
そう言い残し、赤いドレスの裾を翻して踵を返し、二人の妹達を引き連れ、月光の闇の彼方へと溶け込むように消えていった。
●
月明りに照らされる深夜の学園の敷地内。
「イイイ良イノ? オオオ姉サマ?」
神官の法衣に身を包んだ小柄な黒髪少女が、隣を歩く深紅のドレスに身を包む女の顔を、焦点の合わぬオッドアイで見上げ、涎を垂らしながら問いかける。
ノーナは道すがら問いかけて来た妹からの質問に、くすくすと笑いながら答える。
「ええ、随分と腕をあげているようだから、場所と時を選んだ方が良さそう。愛しき元婚約者殿を仕留められるように、準備をしなくちゃ」
本当だったら、今晩に仕留めてしまうつもりだった。
まさかついて来てと言ってついて来てくれるとは思ってはいなかった、例え忘れているのだとしてもネーナにセロンがついて来てくれる訳が無いのだ。
力づくで連れ去るつもりだった。
けれども、あれは駄目だ。
あれは駄目だ。
あれは駄目だ。
相対して解った。
――強い。
元婚約者殿は強い。強くなっていた。もはや、ちょっと弓が使えるだけの子供ではない。あれは紛れもなく精鋭の帝国軍人だ。
三人がかりで戦えば、勝てないとも思わなかったが、しかし、守勢に徹された場合、学園の人間が駆けつける前に無力化を済ませて連れ去れるかどうかは、際どそうな所だった。
失敗する訳にはいかなかった。
父、レッドベリルの大望を果たす為には。
「シュタインドルフの血脈は、しっかり抑えなくてはいけないの。しくじってはいけないわ」
父は望んでいる。
完璧な結果を。
「セセセセロンは捕らえ、セリーヌ、ソシテ、ソノ母ハ殺す」
「ええ、ええ、その通りよネヴァン、よく覚えているわね、偉いわ。一人は今日、見つけた。後の一人も、この学園のどこかに居るというから、その子もきっとすぐに見つけられるでしょう……そうしたらきっとお父様もわたくし達の事を褒めてくだされるわ」
ノーナが白い手を伸ばし、ネヴァンの頬を撫でてやると、末妹はビクリと反応して小刻みに身を震わせ始めた。
「大丈夫よ、大丈夫……」
くすくすと柔らかく微笑する。
「ウ、ウゥ……シュシュシュ、主ヨ、父ヨ、神ナル主ヨ……」
ぶつぶつと末妹が呟いている。
この妹も昔からこうだった訳ではない。
本当に幼い頃は、手を焼いた。
父が教育してくれたのである。その甲斐あって、ネヴァンはとても素直にノーナの言う事を聞いてくれるようになった。引き換えにいつの間にか宗教にどっぷり嵌ってしまっていたけれど。
「可愛いネヴァン、愛しているわ。だから、殺しましょうね」
「ハイ、オ姉サマ、殺シマス。オ姉サマト、オ父様ト、主モマタ、ソレヲ望ミ給ウ!」
末妹が震えながら叫ぶ中、視線を感じてノーナは振り向いた。
黒い鉄兜のバイザーの奥から無機質な人形のような瞳がノーナを見つめている。
「ラケシスも良いわね?」
「……はい」
鉄兜の妹が頷いた。
彼女はとても素直である。素晴らしい事だ。三姉妹はとっても仲良しだ。素晴らしい。
「行きましょう。わたくし達なら、きっとお父様の大望を叶えられるわ」
だから、待っていてお父様。
妹達は良い子だから。
だから、どうか怒らないで。
ノーナは胸中で呟き、夜の道を妹達と共に歩いていった。
首に大きな裂傷を負った男が目を見開き、鳥の嘴のようなバイザーを備えた黒兜をかぶった黒影が手にする槍が回って、その先端が男の胸へと吸い込まれるように突き立った。
黒影――シルエットからするなら、女だろう。黒い柔革で作られた全身を包むつなぎは、細く引き締まった身体の線を浮かび上がらせていた。女にしては背が高いが、薄くとも柔らかく曲線を描くその身は男とは異なるものだ。
槍が引き抜かれ、男が血の海に崩れ落ちるように沈む。
鳥嘴黒兜をかぶった長身の女は、さらに躊躇いなく即座に槍を延髄へと振り下ろし破壊する。
男が完全に絶命したのを確認すると、黒革の女は槍を一つ横に振るって穂先から血を飛ばした。
「――オオオオ、主ヨ! オオ、主ヨ! オオ、主ヨ!」
傍らでは深いスリットの入った神官法衣に身を包んだ娘が、その小柄な身の丈を優に超える武骨で長大な鉄棍を、一心不乱に振り上げ、振り下ろし、振り上げ、振り下ろし、振り上げ、振り下ろし、まさに乱打している。
「ココココ希ワクバ、ドウカ罪深ク哀ナル者ドモニ、ヨ、喜ビノ原ヘノ扉ヲ開キ給エ!」
振り下ろされる度に、水に濡れたような鈍い音が響き、何かが闇の中に飛び散ってゆく。
男達は一人ではなかったが、既に動ける仲間は存在していなかった。
「あら、あら、ネヴァンったら、はしゃいでるわねぇ……」
真紅のドレスに身を包んだ漆黒に長い髪の少女が、薄桃色の唇の先に指をあてながら艶やかに微笑んだ。
「タタ大望ガ! 大望ガ! 我等ガ父ノ! 叶ウ時! 近ク!」
鉄棍が上下に動く度に、その先端の赤黒さが増してゆく。
「そうね、ええ、そうね、ええ、その為にも――」
女は言った。
大樹の幹に縫いとめられた三人目の男の眉間へと矢を撃ち込んで。
「彼を連れて帰らなければ――」
●
満天の星々だ。
暗黒の夜空に夏の星座が煌々と輝いている。
夜の風が一陣抜けて、セロンガード・シュタインドルフの黒髪を揺らしていった。
「セラン・フェルゼンブルク様ですね」
カサンドラとゾフィーの二人を女子寮へと送った帰り、男子寮への道を歩いていると、不意に少年は呼び止められた。
ソプラノの女声だった。
振り向くと、気配も無く影が三つ立っていた。
夜空の高い所を雲が流れゆき、雲間から巨大な月が姿を現す。
蒼白い月光に照らされて、影達の顔があらわになった。
「貴方は……」
セロンはその顔に見覚えがあった。
古い知り合い、といえば知り合いなのかもしれない。直接の面識は無かったが。
そう、セランとしてではなくセロンガードとしての知り合い。
――何故、ここに?
真っ先に思った事はそれだった。
「ご無沙汰いたしております。エーレスリートのノーナですわ。わたくしの事、覚えていらっしゃるでしょうか?」
墨を溶かしたような漆黒の髪が揺れる。腰程までに真っ直ぐに伸びた髪だ。
歳の頃は十七、八といった所だろうか。
処女雪のように真っ白な肌を、透かし柄とひだ寄せ装飾がふんだんにあしらわれた深紅のドレスに包んでいる。
背には華美なドレスには似つかわしくない長弓を負っているのが見えた。腰には細微な装飾の施されたベルトが回され、矢筒が下げられている。
少女は下半身がゆるく膨らんでいる赤いドレスの裾を両手でつまむと、左足を交差させるように右斜め後ろへと引き、右足の膝を軽く曲げ、背筋をピンと真っ直ぐに伸ばしたまま挨拶をした。上品な礼だ。
笑みを柔らかく湛えた黒瞳紅瞳を見据え返しセロンは頷く。
「ええ、ノーナさん、勿論、覚えています。許嫁だった女性を忘れはしません。ですが……私の記憶に間違いがなければ、直接お会いするのはこれが初めてだった筈ですが」
エーレスリート家はシュタインドルフ家の傍系にあたり、幼い頃、セロンとノーナは家同士の結びつきにより婚約関係にあった。
もっとも、その婚約は既に解消されて久しかったが。
破談になった理由は、授恵者に覚醒した事や、軍に入隊する事でセロンに付加価値が生まれた為である。
するとノーナは笑みを深くした。闇と血色の瞳がセロンを見つめている。
「ええ、ええ……そうでしたね……直接お会いするのは、これが初めて……」
黒髪少女の笑顔に、セロンの胸の奥から妙な感覚が湧き上がって来た。
「けれども、それでも覚えていてくださったのねノーナの事。嬉しい」
「……貴方は、私達の間ではとても有名ですからね」
姿絵を見た事があった。
ヴェヒター・ヌルから回されて来た資料の中で。
要注意人物として。
『レッドベリルの三姉妹』
そのように呼ばれ恐れられ、危険視されている姉妹の長姉が彼女、ノーナ・エーレスリートだ。
エーレスリートはレッドベリル・エーレスリート伯爵を当主とし北の大帝国シルトラースの軍事に従事する一族だ。
レッドベリル・エーレスリートは伯爵であると同時に『見えざる見張り番』の諜報員でもあった。ただしそちらには『元』という但し書きがつくが。
レッドベリル伯爵の子である三姉妹は、驚くべき事に三人ともが授恵者として覚醒していた。
この時代、授恵者とは非常に稀有な存在であったが、それが三人ともにすべてである。彼女等は当然のようにレッドベリル伯爵の強力な切り札となっていた。
近年、レッドベリル伯爵がシルトラース帝国内で順調に昇進していった影には、ノーナら三姉妹の暗躍があったと噂されている。
彼女等は暗殺に長け、そして伯爵の競争相手やその家族には不審死が少なくなかった。
――噂によれば、姉妹は三人ともに『気が触れている』らしい。
レッドベリル伯爵は三姉妹を帝国の影に生きさせる為、幼少の頃より虐待とも大差ない過酷な訓練を課していた。その結果、彼女らは狂ってしまったのだと。
残虐で容赦が無い。
串刺や八つ裂きにして晒し吊るすなんてのは日常茶飯事、反抗的であるなら捕虜も味方も民間人ですら容赦なく処刑する有様。
故に、人々はこの三姉妹を畏怖して『レッドベリルの三姉妹』と呼んだ。
なお現在、レッドベリル伯爵は――
「しかし……不思議ですね」
――ヴェヒター・ヌルに対する致命的な背信行為により、謹慎処分を言い渡されている。
「貴方達は今、自由に外を出歩けない筈ではなかったのですか」
何故、当主が謹慎処分を受けているのに、その切り札たる三姉妹が屋敷の外、あまつさえ帝国の外に出て、遠く離れた異国の王都であるグランスパーダに居るのだろう?
おまけに、グランスパーダの中でも限られた者しか出入りする事ができないこのパンクリアース学園の敷地内にいる?
「あら……謹慎を言い渡されたのはお父様であって、私や妹達ではありません。何も問題ありませんわ?」
無邪気そうに小首を傾げ黒髪ロングの少女が微笑む。
――そんな馬鹿な話が通るか。
セロンは胸中で毒づいた。
帝国諜報部隊に対する致命的背信行為により謹慎処分を受けた伯爵の、その暗部の最大武力達が、自由に外出する事を許されている訳が無い。
『見えざる見張り番』達は決してそれを見逃さないし、許す筈がないのだ。
であるのに、
(何故、この三姉妹がここにいる?)
赤いドレスの女が笑っている。
背筋を冷たい感触が這い上がって来る。
決して、平穏無事にここまで辿り着いた訳ではあるまい。
決して、物見遊山では無い筈だ。
「何を……しに来たのですか?」
セロンは片足を微かに動かし、重心をほんの僅かにだが動かした。細微に斜に身を構え、視線をノーナの左右へと走らせる。
向かって左――ノーナの右側に立っている長身の少女が、次女のラケシスだろう。
細く締まった身体の線を露わに浮かび上がらせるタイトな黒革のつなぎに首から下の全身を包み、胸部に黒鋼の胸当てを重ね着し、手に槍を持っている。
頭部には黒い円錐型兜をつけていた。
鳥の嘴のように尖ったバイザーは今はあげられていて、その白い顔が晒されている。
姉と同じく髪色は黒。
ただし長さは違い、ショートカットに短く切られていた。
双眸の色もやはり姉と同じく黒瞳紅瞳で、しかしどこか熱に浮かされているような姉のものとは違い、冷たい氷のようにさめきった光を湛えている。
人を殺しても眉一つ動かさないという噂は真実なのだろう、見る者にそう思わせる、人形めいた無機質さだった。
一方、ノーナを挟んで対になるように左側に立っているのは、末妹のネヴァンだろうか。
どこぞの宗教の法衣であるのか、青を基調色とし細微な紋様と深いスリットが入ったゆったりとした長衣を纏っている。
矮躯ながらに女性らしい豊かな起伏が布地を盛り上げ、長衣の陰から覗く白い足には腿丈のソックスと短靴を履いていた。
頭には円と十字が組み合わされた紋様が入れられた帽子をかぶり、手には小柄な彼女の身の丈を優に超える、武骨に長大な鉄棍を持っている。
この末妹もまた姉二人と同じく黒い髪色をしていた。長く伸びる艶やかな黒髪がツインテールにされている。
やはり、彼女も左右で黒と紅と色が違う瞳を持ち、それは大きく見開かれて月光を浴び爛々と輝いていた。
先ほどから瞬きを一度もしていないように見える。
口は半開きに開かれ口の端から唾液が垂れていた。
狂っている、という風評を最も端的に表情にあらわしているのはこの末妹だろう。
焦点が合っていない黒紅眼がぎょろりと動いてセロンを見つめる。
「ナナナナナ何ヲ? 何ヲ? 何ヲ? 主ヲ、主ヲ、主ヲ、讃エニ、ソノシンイヲ、地上ニ顕現センガ為! ソレガ為ニ、我ラガ父ノ――」
どもりが酷い声は少女らしく甲高く、しかし酷く不気味に掠れてもいて、聞く者の心をざわつかせた。
喉を傷めて、いるのだろうか。
「ネヴァン」
長姉ノーナが名を呼ぶと、ネヴァンはピタリと喋るのを止めた。
焦点の合っていなかった闇と火の色の瞳でただじっとセロンを見つめている。口の端からぽたぽたと涎が流れて落ちてゆく。
ノーナはレースで透かされている深紅のドレスの胸元に手をあてると、切なそうに黒瞳紅瞳を細めてセロンへと言った。
「わたくしは貴方に会いに来たのです、セラン様」
「……私に、ですか」
「ええ」
長い黒髪の女が頷く。
「夏の森に差す陽の光に、貴方様の事がとてもとても恋しくなりましたの……またいつの日かのように、わたくしの手を取っていただけたらと……居てもたってもいられなくなり、北のシルトラースの地より遥々やって参りましたわ」
「……おっしゃっている意味が、良くわかりませんね」
いつの日かのように?
ノーナ・エーレスリートとは今日が初対面である。
この女は、一体、何を言っているのだろう?
「そうですか……そうですか……ふふっ」
黒と赤の瞳の女が笑う。
夜の風が強く吹いて、少女の長い黒髪が揺れ流れてゆく。
セロンの胸の奥からまた、奇妙な感覚が湧き上がって来る。
それは名状するならば、
『違和感』
そう呼ばれる類のものだった。
「貴方は、一体……」
「セラン様、どうかわたくし達と一緒に来て?」
ノーナが陶然とした瞳で小首を傾げる。
薄桃色の唇が輝いている。
ネヴァンが瞬きしない瞳でセロンをじっと見つめ、口からボタボタと涎を零している。
ラケシスが氷のような無機質な瞳でセロンを見つめていた。
セロンは声が掠れないように一つ咳払いしてから、努めて軽い調子で問うた。
「どこにですかね?」
女が答える。
「北に……シルトラースに……我等が故郷に……エーレスリートに!」
「……そこに行って、一体何をどうするというのですか」
「ご安心なさってっ?! 誰も取って食べたりはしませんよ!」
アハハと何がおかしいのか堪え切れぬといった態でノーナが哄笑する。
ケタケタとネヴァンが笑う。
ラケシスは無言である。
『頭がおかしい』
三姉妹のその風評に間違いはないのかもしれないな、とセロンは思った。
「お招きは有難いのですが……私は現在、このパンクリアース学園で学んでいる最中でして、まだシルトラースに帰る訳にはいかないのですよ」
「あら……では、わたくしの誘いを、わたくし達からの誘いを、セラン様はお断りになると、そうおっしゃるの?」
黒と紅の瞳が大きく見開かれる。
末妹のネヴァンのそれのようにノーナの瞳が瞬き一つもせずにセロンを強く見つめる。
「ええ」
黒髪の少年は頷いた。
すると、それまで会話を聞いているのかも怪しかったラケシスが、上げられていた稼働式のバイザーに無造作に手を伸ばし下げた。
黒兜の蝶番が軋む金属音が月下の闇の中に響き渡る。
鳥の嘴のような円錐型の面が降ろされ、黒い鋼が少女の顔を覆った。
僅かに細く空いている隙間から、ゾッとする程に冷たく無機質な黒紅瞳が覗ている。
「セラン様……アァ、セラン様……もう一度だけお尋ねいたしますわね……わたくし達と一緒に、エーレスリートへといらしてくださいませんか?」
瞬きしない赤いドレス姿の少女が、二つの色の違う瞳を見開いてセロンを凝視している。
セロンは瞳を細め述べた。
「折角のお誘いですが……やはりお断り申し上げる」
「そう……でしたら……」
見えない何かが膨れ上がってゆく。
ラケシスもネヴァンもその手にした得物を構えようとはしなかった。だが、しかし、一つ切っ掛けがあれば、即座にその槍を、鉄棍を振り翳して飛び掛かってきそうな、剣呑な空気を纏っている。
血色のドレスの黒髪娘は瞳を閉じ、胸元に手をあて、深々と息を吐く。
「仕方ありませんわね」
ノーナは肩を落とすと再び双眸を開き、
「では今晩の所はこれにてお暇いたしますわ」
穏やかな表情と声音でそう述べた。
「……お帰りになられるので?」
「ええ」
長い黒髪の少女は頷き、そして微笑すると、
「けれども、残念ですわ……セロンガード・シュタインドルフ様、今この時を以って、貴方様はわたくしの、わたくし達の敵となった。本当に、本当に残念ですわ……本当に」
そう言い残し、赤いドレスの裾を翻して踵を返し、二人の妹達を引き連れ、月光の闇の彼方へと溶け込むように消えていった。
●
月明りに照らされる深夜の学園の敷地内。
「イイイ良イノ? オオオ姉サマ?」
神官の法衣に身を包んだ小柄な黒髪少女が、隣を歩く深紅のドレスに身を包む女の顔を、焦点の合わぬオッドアイで見上げ、涎を垂らしながら問いかける。
ノーナは道すがら問いかけて来た妹からの質問に、くすくすと笑いながら答える。
「ええ、随分と腕をあげているようだから、場所と時を選んだ方が良さそう。愛しき元婚約者殿を仕留められるように、準備をしなくちゃ」
本当だったら、今晩に仕留めてしまうつもりだった。
まさかついて来てと言ってついて来てくれるとは思ってはいなかった、例え忘れているのだとしてもネーナにセロンがついて来てくれる訳が無いのだ。
力づくで連れ去るつもりだった。
けれども、あれは駄目だ。
あれは駄目だ。
あれは駄目だ。
相対して解った。
――強い。
元婚約者殿は強い。強くなっていた。もはや、ちょっと弓が使えるだけの子供ではない。あれは紛れもなく精鋭の帝国軍人だ。
三人がかりで戦えば、勝てないとも思わなかったが、しかし、守勢に徹された場合、学園の人間が駆けつける前に無力化を済ませて連れ去れるかどうかは、際どそうな所だった。
失敗する訳にはいかなかった。
父、レッドベリルの大望を果たす為には。
「シュタインドルフの血脈は、しっかり抑えなくてはいけないの。しくじってはいけないわ」
父は望んでいる。
完璧な結果を。
「セセセセロンは捕らえ、セリーヌ、ソシテ、ソノ母ハ殺す」
「ええ、ええ、その通りよネヴァン、よく覚えているわね、偉いわ。一人は今日、見つけた。後の一人も、この学園のどこかに居るというから、その子もきっとすぐに見つけられるでしょう……そうしたらきっとお父様もわたくし達の事を褒めてくだされるわ」
ノーナが白い手を伸ばし、ネヴァンの頬を撫でてやると、末妹はビクリと反応して小刻みに身を震わせ始めた。
「大丈夫よ、大丈夫……」
くすくすと柔らかく微笑する。
「ウ、ウゥ……シュシュシュ、主ヨ、父ヨ、神ナル主ヨ……」
ぶつぶつと末妹が呟いている。
この妹も昔からこうだった訳ではない。
本当に幼い頃は、手を焼いた。
父が教育してくれたのである。その甲斐あって、ネヴァンはとても素直にノーナの言う事を聞いてくれるようになった。引き換えにいつの間にか宗教にどっぷり嵌ってしまっていたけれど。
「可愛いネヴァン、愛しているわ。だから、殺しましょうね」
「ハイ、オ姉サマ、殺シマス。オ姉サマト、オ父様ト、主モマタ、ソレヲ望ミ給ウ!」
末妹が震えながら叫ぶ中、視線を感じてノーナは振り向いた。
黒い鉄兜のバイザーの奥から無機質な人形のような瞳がノーナを見つめている。
「ラケシスも良いわね?」
「……はい」
鉄兜の妹が頷いた。
彼女はとても素直である。素晴らしい事だ。三姉妹はとっても仲良しだ。素晴らしい。
「行きましょう。わたくし達なら、きっとお父様の大望を叶えられるわ」
だから、待っていてお父様。
妹達は良い子だから。
だから、どうか怒らないで。
ノーナは胸中で呟き、夜の道を妹達と共に歩いていった。