やがて一つの時代の終わりへと
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年08月08日 12時13分51秒
――張り詰めた人だ。
最初に出会った頃にはそう感じた。
――何かを背負っている。
未だ齢は十一か十二かの子供の頃だったけれど、幼い少年の表情と闇色の瞳の奥には、刃物のように燃える光が宿っていた。
弩弓教育課程を卒業して、再会してからは雰囲気が柔らかくなって、その印象は随分と変わっていたけれど――
(あの頃のセロンのよう)
狭苦しい、という程ではないが、しかし広くもない室内。
精巧な意匠が凝らされた洋灯式の紋具の火によって飴色の壁が照らされている。
ヴェヒター・ヌルの息がかかっている高級酒場の一室だ。
部屋からフーゴが出た後も、セロンガード・シュタインドルフはその場に残り、卓上に肘をつき拳を口元につけて、思案に耽っている様子だった。
セロンは親友を探しているのだという。
セロンの親友『紅瞳子』は、黒ずくめの――そう、影法師のような姿の男達に攫われてしまった。
彼はその行方をずっと探していて、その為に軍人になったのだと。
カサンドラは以前、年明けの頃に、その捜索の手伝いを申し出て、セロンからそのように話して貰っていた。
それ以上の詳しい事は聞いていない。
けれども、
(やっぱり、相当の因縁なのね)
行方を探す為に軍隊へと幼い子供が単身で飛び込んだくらいなのだから、当然の事ではあったが。
セロンと紅瞳子との間にはそれだけのものがあったのだろう。
(この手がかりから、セロンの親友さんに辿りつけると良いのだけど……)
薄紫髪の少女は隣の席に座っている黒髪の少年の横顔を窺うように見つめた。
今、彼は何を思っているのだろう。
胸中にはどんな感情が渦巻いているのか。
セロンではないカサンドラではそれはわからなかった。推察しかできない。
先ほど、フーゴからの話を聞いた時にセロンが浮かべていた表情は凄絶だった。
あれは、歓喜だったのだろうか?
それとも、怒りだったのだろうか?
それとも、痛みか。
それとも、他の何かか――
すべてだったのかもしれない。
強い、複数の感情が複雑に絡み合った――
セロンが顔をあげた。
黒色の瞳がカサンドラの方を向いた。
唇が開かれる。
「――まさかグランスパーダ、こんな近くで動き回っていたとは盲点だった」
少年の表情は今は凪いでいて、あの時に見せた烈しさは消え失せている。
声も平坦だ。
しかし、闇色の瞳の奥で小さく、刃物のような光が燃えていた。
「ええ……そうね、驚いたわ」
カサンドラは頷いた。
「トーダイモトクラシーだね」
そんな事を言ったのはゾフィーである。
「本当にね」
黒髪の少年は苦笑したようだった。
セロンはふぅ、と両肩を動かして一つ息を吐くと、
「すぐには動けないかもしれない、あるいはすぐに動く事になるかもしれない。見通しは立っていないけれど、捜索を行いたい。任務には関係ない私的な事だけど……やっと掴んだチャンスなんだ。逃したくない。協力してくれないだろうか?」
カサンドラは真面目な表情で頷いた。
「ええ、勿論よ。協力するわ」
恐らく、危険な相手なのだろう。失敗は許されない。プレッシャーを感じない訳ではなかったが、
「他ならぬ貴方の大望だものね」
カサンドラはセロンに恩がある。だから彼の手助けをするのは望む所だった。
今まで努力し鍛え上げてきた技は、こういう時にこそ、振るう甲斐があるというものだろう、と思う。
ゾフィーが片目を瞑り踏ん反り返って言う。
「ま、仕方ないねー、ここで断る程にゾフィーちゃんは不義理ではないわよ。でもセロンパイセン、貸し一つだからね?」
「はは、有難う、二人とも」
セロンは頭を下げて礼を言うと、視線を銀髪少女へと向け。
「でもさゾフィー、それを言ったら僕は君にけっこう貸しがある筈なんだけど……?」
銀髪少女は視線を明後日の方向へと逸らした。
「んんっ……? 忘れた。昔の事は忘れた。徳政令が出たんだよ。だからゾフィーちゃんの帳簿に書かれてる収支は今からなんだ」
「いつでたんだそんな政策。都合の良い帳簿だなぁ、不正が過ぎる。断固として訴えるぞ僕は」
「ちぇー、セロンはケチだなぁ、水臭い奴め」
「どの口が言うんだゾフィー。君にだけは言われたくないし踏み倒す側が言う台詞じゃないぞ」
セロンとゾフィーがまた恒例の応酬を始めたのでカサンドラはくすっと笑った。
この所この銀髪少女は機嫌が悪かったような気がしていたが、この局面とあってはそれも引っ込めたらしい。
ゾフィーは咳払いすると、
「ま、とりあえず影法師というのは捜すとして……ヴェヒター・ヌルの中にメドゥのスパイがいるっていうの、どうする? フーゴさんはそれでも今まで通り過ごせとかけっこー無茶な事言ってたけど」
ゾフィーが口を尖らせて言うとセロンは頷き、思案顔で顎を撫でつつ、
「まぁそこは言われた通り、今まで通りに素知らぬ顔で過ごすしかないんじゃないか?」
と、フーゴからの指令を肯定する見解を述べた。
「メドゥの指先のスパイはどこに潜んでいるのかわからない。僕らのまわりにもいるかもしれないけれど、まったくいない可能性もある。そして、居たとしても僕らが打てる手でそこまで有効そうなものは無い。だから、気にし過ぎていても単にこっちが疲弊するだけだよ」
「うぅっ、そりゃそーだけどさー、それで不意をうたれたらどうするの?」
上目遣いで赤眼少女が問うと黒瞳少年は淡々と答えた。
「その時はその時で仕方ない、割り切れ」
あっさりとしていた。
他ならぬ自分達の命すらも左右する事だったが、肝が座っていた。
「げぇっ、なにそれ? 命運を天に任せるっていうの?」
「さぁ、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。上はあるいは、こちらが気づいたとメドゥに気づかれる前に、別の隊でなんとかする腹なのかもしれない。だから、こっちが気づいたとメドゥに気づかれない為には、行動を急激に変えるべきじゃない。だから、任せるというなら、天というよりは部隊の手腕に、かな」
ゾフィーがまだよくわかっていないような顔をしていたので、カサンドラは補足するように言った。
「恐らく、ヴェヒター・ヌルだってなんとかしようとしていると思うの」
それは当然の筈の事だった。
見えざる見張り番は軍事大国シルトラースが誇る精鋭特殊部隊である。ボンクラの集まりではない。
「でも、その時に私達が下手に動いて、スパイがいる事に気づいてるとメドゥの指先側に気づかれてしまったら、味方の作戦の足を引っ張ってしまう事になるかもしれない。だから」
「あるいは、スパイが紛れ込んでいる事を前提にして情報を味方内へと流して、そこから敵に情報が流れる事を逆に利用して、何かを仕掛ける算段を立てているかもしれない。僕が上の立場ならそうする。騙してる側だと思っている状態の人間こそもっとも騙しやすいから」
とセロン。
兵法には間諜の使い方が色々とある。
組織が巨大になれば、敵方のスパイが紛れ込んでいるのはある程度前提の事でもある。
だから、味方に流される情報にはレベルがあり、区分がある。
複数の情報を使い、またそれによる敵の反応から、敵がどのあたりに紛れ込んでいるのかを掴み、処分したり逆に泳がせたまま利用したりする。
組織重鎮の中枢レベルにまでスパイに入り込まれていたらこれは致命的だったが、ある程度のレベルまでなら、全体を統括している上層部が上手くやればなんとかしようがあるし、実際なんとかなる。
「ともあれ、今は現場レベルの僕らだけじゃ打てる手はあまり効果的なのが無いんだから、ここは何か考えがあるらしき上の人達に任せておいた方が良い。フーゴさんが『動くな素知らぬ顔でいろ』って言ったからには、そういう事だろう。だから、その言葉を信じた方が良い」
「……なるほど」
はぁ、と嘆息してしぶしぶそうながらもゾフィーは頷いた。獅子身中に正体不明の大敵が潜んでいると知らされて、その上で何も対策するなと言われて、不安なのだろう。
場合によっては囮もいいところ、というかまさに囮になる訳だから。
(なるようになるだけ、か……)
運命、そう呼ばれるものが存在するのだとしたら、自分達はどこへと導かれようとしているのだろう?
カサンドラにはわからなかったが、それが意に沿わぬ方向へと向かうようなら、全霊を賭して戦おう、とは思う所だった。
●
「わー、綺麗な空!」
薄紫髪の少女が夜空を見上げて歓声をあげていた。
セロン達が酒場から通りに出た時、日はすっかり落ちて、空には宝石を散りばめたような星々と大きな月が輝いていた。
夏の星座だ。
「覚悟はしてたけど、門限はとっくに過ぎてしまったねぇ」
幻想的にキラキラとした光景を前にしても鈍色の現実的な事をのたまったのは銀髪ポニテの娘、ゾフィーである。
パンクリアース学園の正門には門限がある。
午後六時までしか空いていないのである。次に空くのは朝の八時だ。
「まぁ仕方ない、いつもの事だ。通路口の世話になろう」
正門とは別の通用門はいつでも利用可能だったが、守衛は勿論立っていて、あまりに遅い時刻だと夜遊びしている不良生徒であると白い目で見られる。
諜報員の仕事上、夜に学園外で密談する事も多いセロン達としてはきつい所だったが、だから逆にしばしば密かに同郷の少女達と、華やかな南の王国の都で夜遊びする不良少年のようにも見せていた。表向き優秀な留学生であるセラン・フェルゼンブルク少年に隠された唯一の欠点なのである、そういう設定だ。
学園生は思春期なお年頃であるので実際にそういう不良生徒は一定数存在するらしく、同類であるのだろうと思われて怪しまれる事はなかった。守衛達からは白い目で見られてはいるが。
そのようにして学園内へと戻ったセロンは、女子寮前まで二人を送ってから、男子寮へと足を向けたのだった。