小夜啼鳥は月下に羽ばたく

キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年07月31日 11時36分30秒

●"痩せっぽちの小鳥"

「"は、馬子にも衣装たぁシャルガネの野郎共も上手い事言いやがる。
 なかなかに様になってるじゃねえか、なあ半人前(ナハティガル)"」

 罅割れた様なそのしゃがれ声は、常人が耳にしたなら聞き返さざる得ないだろう。
 けれど最早慣れてしまった。何を謂わんとしているのか正確に聞き取れてしまう。

 そんな事実に嫌気がさしながらも。彼は新しく仕立てられた黒の正装に身を包み。
 老人が自分の攻撃圏に踏み込むのを虎視眈々と待ち構えていた。そして――――

「その名前で――――呼ぶな……っ!」

 懐に仕込んでおいた短剣が空を裂いて放たれる――――や、老いた亜人(ゴブリン)の眼前で止まる。
 否、止められる。指に挟んだ刃は、もしも突き刺さったなら永遠に片目の視界を奪ったろう。

 否、片目を奪ったならそのまま畳み掛けられるだけの手筈は脳裏に描いていた。
 突然生まれた死角に対応するのは容易ではない。況や若者ならともかくこんな老人であれば。

 それが、眼球から指2本。と言う距離まで刃が迫って尚、彼へ向ける笑みは微動だにしない。
 恐らく、その切っ先が刺さってすら笑っているのではないか。そう思わせるだけの凄みがある。

 "翁"と呼ばれるその黒い肌の亜人(ゴブリン)は、ナハティガル=ラー。
 ――――この時点では"銀の鬼"と呼ばれていた彼にとって、初めて遭遇した怪物だった。

「"若え若え、捻くれた眼をしている割に餓鬼臭い手口だ。こんな正攻法が通じるかよ"」

 生き物は死ぬ。簡単に死ぬ。だからこそ生きる為のあらゆる行為は例外なく正当化される。
 徹底的に対策を打たなければ殺されるし、死ぬ。それは、底辺の世界では唯一の平等(ルール)だ。

 その筈の、彼の常識に無粋にも割り込んで来た反則(アンチルール)が眼前の老人だった。
 依頼を受け、既に百度は殺そうとした。依頼主は既に粛清され死んでいたがそういう問題ではない。

 百度殺そうとして百度殺し損ねた。考えるだに異常だ。そんな話が有ってたまるか。
 "銀の鬼"は名の知られた始末屋だ。少なくとも名が知られる程度には殺し続け生き延びて来た。

 にも拘らず、これまで何人も何人も殺して来た殺し屋。”銀の鬼(かれ)”の積み重ねに依った自信と自負心は。
 眼前の老人によって嫌というほど、完膚なきまで叩き潰されている。

「いつか絶対に殺してやる……!」

「"いつか、何て言ってる野郎には一生来やしねえと思うがな。まあ良い。
 行くぞ、痩せっぽちの小鳥が働かずに餌を貰えると思うな。ウチは信賞必罰で通してんだ"」

 そう言って、踵を返した老人の痩せた背中は。幾らでも容易に刺し殺せそうに見える。
 だが、現実的にはまるで論外。突き出した刃ごと手首を掴まれ叩きつけられるのがオチだ。

 既に何度も経験し、事実として叩きつけられてきた。失敗の積み重ねから手口も学んだ。
 少なくとも、何の隙も見せていない時に跳びかかっても埒が明かない。

 そして老人の数少ない隙を突くには、その傍らに在るのが最も話が早い。
 渋々と、止むを得ず老人の背を追うように与えられた小屋から駆け出す。

 特注品(カスタムメイド)の正装(タキシード)は、実に身動きが取り難く、窮屈でしかない。
 けれど無自覚ながらそんな服装が決して浮いていないのは、かつて子供だった彼が徐々に。

 けれど確実に子供の枠をはずれつつあることの証左だと言える。
 この間。彼が初めて獲物を殺し損ねてから既に。実に2年と言う歳月が経過していた。

●『ブラウン・シュガー』

 呼び出された廃倉庫に着いて、待ち構えていた男の顔を確認し嘆息する。
 こんな呼び出しは果たしてもう何度目になるか。3度を超えて以降数えるのを止めていた。

 ゴブリン自治区『ゴールディ』を牛耳っているのは多種多様な非合法組合(ギャング)である。
 それは内外に広く知られた事実であり、特に国境を接する"同盟"にとって大きな悩みの種だった。

 彼らは彼らで通すべき義理や人情、最低限組織として破るべかざる仕組みを有してはいるが。
 外部からすれば、非合法組織(ギャング)と反国家組織(テロリスト)の差など言葉遊びだろう。

 例えばもし、永遠に内輪で殺し合いを続けるのであればそれでも良かったが。
 国家の体裁を整えるに当たりそれが不味いことは、それこそ亜人(ゴブリン)でも分かる。

 ここで、あくまで外交手腕と言う部分に言及するなら確かにドン・ゴーフルは辣腕だ。
 『ゴールディ』代表としての名声も、実績にも文句はない。他国にも一目置かれている。

 しかし、それ以外。つまり、凡百の非合法組織(ギャング)が余所様に迷惑や手間を掛けた場合。
 そんな中小規模の折衝にまで逐一ドン・ゴーフルを呼び付ける訳にもいかない。

 それは国家代表としての箔を落とす事に直結し、引いては唯でさえ侮られ易い亜人(ゴブリン)差別を助長する。
 一方で、暴力、恫喝、威嚇を交渉手段だと思っている様な組織が平和な外部国家と接点を持てば。

 これはもう衝突することは免れない。それは国家以上に種族格差から来る価値観の相違だ。
 だからこそ、そういった小規模外交を担う組織が必要とされるまで然程時間はかからなかった。

 所謂"調停"――――内外に分かるように手討ちを請け負う"合法と非合法の線引き番"。
 『黒砂糖(ブラウン・シュガー)』とは、要約すればそういった揉め事の仲介組織であり。

「つまリ、本来テメエみてえな底辺が居ついて良い場所じゃねえんダ」

 『ゴールディ』訛りの強い地元の亜人(ゴブリン)特有の話し方。
 積み上げられた木箱の上に座り込んだ、大柄な亜人(ホブゴブリン)の言は強ち間違いでもない。
 
 少なくとも、仕事内容を考慮すればそんな組織の構成員にはある程度の格が必要不可欠だ。
 武力にせよ、財力にせよ、或いは権力にせよ。何かで相手を上回るからこそ対話になる。

 我儘な餓鬼共の手綱を握り上手にお使いをさせたいなら弱味を探れ――――とは。
 彼らの長である"翁"の言でもあるが。それはそうだろうと自嘲せざるを得ない。

 何も持っていない人間は端から交渉も調停も求めない。弱肉強食は単純な分だけ絶対だ。
 で、ある以上。態々弱味を握った上で席に着かせああだこうだと言葉で語る。

 組織のやりようは如何にもお上品に過ぎ、下水に慣れた銀の鬼にとってまるで馴染める物ではなく。

「そうか、なら実力で追い出せば良い」

 そうしてそんな。彼の態度が気に入らないと言う人間は組織内で思った以上に多かった。
 どうも腐りきったこの国(ゴールディ)に在って、自分達だけは少なくとも例外だと。

 選民思想(やりがい)に酔っぱらい、仕事に誇り(かんちがい)を抱えた人種と言う奴は。
 そうでない存在(イレギュラー)が混ざって来るのが酷く目障りなものらしい。

 眼前の先任はその急先鋒で。同じ授恵者と言う事もあり既に何度も殺し合っている。
 互いにそれで未だ生きているのだから、手加減も必要ない。丁度良い前座(ザコ)だ。

「今日こそテメエのそのスカした面ぐずぐずの生ゴミにしてやラァ――――!!」

 振り抜かれた巨大な棍棒を避ける。人間1人を挽肉(ミンチ)にするには十分な膂力。
 衝突した複数の木箱が破裂した様な轟音を立てて木片に変わる。当たれば即死は免れない。

 ――――だが、遅い。挙動が見え見えだ。身を翻し壁に足を着ける。
 この2年。格上の授恵者である"翁"を襲撃し続けた結果、銀の鬼の技量は飛躍的に向上した。

 以前であれば、その細い体躯では障害物が無い場所での真っ向勝負など考えすらしなかった。
 けれど今なら。意識さえ集中し続ければ――――"壁を走る"事すら出来る彼にとって。

 ただ膂力が強いだけの相手など、恐れるに足りない。

「チィっ! 小賢しい真似ばかり身に着けやがっテ……!」

 振り回される棍棒は当たれば脅威的な威力の攻撃だが、当たらなければただの障害物競争だ。
 平面から立体へ、床が、壁が、天井が、空間全てが彼の足場だ。線を跳び越えるなど造作もない。
 
 来ると分かっている一撃を掻い潜り懐から小振りな短剣を投げる。
 そのお粗末な攻撃を見て相手が嘲笑ったのが分かる。投擲された短剣など如何程も効く物かと。

 大柄な亜人(ホブゴブリン)の筋肉量は並の亜人(ゴブリン)の比ではなく。
 挑発のつもりか、その切っ先を避けすらせず受けてみせる。

 案の定、短い刃は半ば程も刺さらず。僅かついた傷は到底"手傷"と呼べる物ではない。
 すぐさま反撃とばかりに振り上げられる棍棒と比べれば、大岩と小石程の差がある。

「くっくっく、効かねえなア。こんなもん何本刺された所デ――――ア゛?」

 だが、短剣と、負った手傷に一度でも気を取られた。短剣の役割は既に満たされている。
 大柄な亜人(ホブゴブリン)が声を向けている先。居ると思っている敵は居ない。

 彼は今、既に壁を蹴り、腰の後ろから引き抜いた長剣を構え、中空に身を躍らせていた。
 居ると思った場所に居らず、気配だけ残して姿を晦ます。では、その技巧を何と言うか。

「――――何処を見ている木偶の坊」

 ――――残像(アクセラレータ)だ。遠心力が十分乗った長剣が一閃し棍棒を持つ腕を深く裂く。
 それでも、骨まで絶てない無駄な肉体の頑強さには思わず嗤いが毀れたが。

「き゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! ??」

 噴き出した鮮血に特大の悲鳴が上がった。当分はあんな重たい棍棒は持てまい。
 相手が取り落とした武器に足を載せ、長剣の切っ先を向ける。

 このまま続ければどうなるか、相手も漸く理解出来たのだろう。
 青褪めた顔で銀の髪を棚引かせた男を見る。その眼差しに――――不意に。醒めてしまった。

 これではない。これをどれだけ続けようとあの"翁"には勝てない。
 殺せる者だけを殺す力は、"強さ"ではない。恐らく"弱さ"なのだ。

 だから。"弱さ"を突き詰めて来た銀の鬼は、本当に"強い"相手には敵わない。
 実感は――――酷く残酷で。かつて痛み分けた相手を圧倒した高揚感など吹き飛んでしまった。

 大柄な亜人(ホブゴブリン)は未だ何か喚いていたが、興味すら湧いてこない。
 脳裏を過ぎるのはこの2年余り消えた事のないただ1つの問だ。

 "どうしたら、俺はあの爺に勝てる。何をしたら、勝ったと言える"

 どれほど武器を研ぎ澄ませても。どれほど弱者を下そうとも。答えだけが見えない。
 けれどそれでもなお、一度点いた灯は。燻る事を許さずに。

●過ぎ去る時は曇間を裂いて

 何度も挑み、何度も敗れ、そんな事を繰り返し。時は瞬く間に過ぎた。
 年の頭、如何にも窮屈そうにしていた正装にも慣れ、時折"翁"に呼ばれてはその護衛に付く。

 不意を討って叩き伏せられ、騙し討って拳一つで黙らされ、それでも差は徐々に縮まる。
 真正面から組み合ってもそのまま押し潰されはしない。2回に一度は刃が届く。

 けれどそれでも焦燥感は消えない。何一つ前に進んでいる感触がない。
 遠からず、いずれ、近い内に、自らを力づくで従わせてきた老人を追い抜いたとして。

 ――――それで? だから何だと言うのだ。
 待っているのは今より遥かに決定的な敗北であり挫折だ。自分は誰にも求められていない。

 翻って件の老人は。馬鹿にされるのが癪に障り、仕事の必要に駆られ積み重ねた知識が騒ぐ。
 奴がこの、『ゴールディ』と言う国にとって必要な人材なのだと嫌という程分かる。

 身の程知らずの糞餓鬼(じぶん)にすら理解が及ぶなど生半可な話ではあるまい。
 そんな人間を自分の力の証明の為に殺して――――組織を敵に回し塵屑の様に殺されるのか?

 あまりにも馬鹿げている。そんな事に時を費やす位なら今すぐ行方を眩ます方が遥かに有益だ。
 幸い、老人の護衛に際し払われた賃金は溜め込んだままだ。行く先も無い餓鬼の頃とは違う。

 手持ちを元手とすれば当分生活していくに困るまい。今なら多少真っ当な雇い先も探れる。
 最早老い先短い糞爺に拘る必要は無い。そもそもが、一所に長く居過ぎたのだ。

(何時でも、自由にはなれる。なら、何故……)

 ――――果たして。
 そんな余計な事ばかりに気を取られていた事が災いしたのだろうか。

 慢心していたつもりはなく、油断していた訳でも無い筈だ。
 けれど銀の鬼は事実として。その日、紛れもなく追いつめられていた。

 敵の素性は分かっている。雇われた『冒険者』だ。その全てが授恵者で構成される"市民の味方"。
 笑わせる。何が市民の味方だ。金で雇われ自らの正義を掲げて悪を裁く。

 その悪が存在することでどれだけ命を繋いだ人間が居るかなど考えもせず。
 その悪を生かす為にどれだけ多くの命が費やされたか知ろうともしないで。

 ただ自らの正しさを力で以て証明する者たち。彼らは強かった。次元が違った。
 あるいは個としてならば、独りでの戦いを研ぎ澄ませた銀の鬼の方が上回る。

 だが、彼らは徒党を組む。互いの穴を埋め合う。出来ない事を補い合う。
 一対一であれば劣る事など何一つ無いにも関わらず、現実一方的に追い立てられている。

「くそ――――逃げ場がない……!」

 裏通りの曰く有る宿屋。二階では"翁"とその対立組織の幹部の”調停”がされている筈だ。
 一人であれば裏口から逃げられたろうに、何故態々二階へ上がってしまったのか。

 自分でも自分の行為の理由が分からない。そんな事は初めてだった。
 けれど、それでも。ここで全てを投げ捨て、放り投げ、死へ逃げることだけは御免だったのだ。

 命が惜しい訳ではない。敗北を避けたいなど今更だ。自分の弱さなど痛いほど知っている。
 その上で尚、心に燻る物がある。その灯は静かに、消える事無く、今も、未だ――――

「"おう、生きてたか。やせっぽちの小鳥が随分生き汚いじゃねえか"」

 扉を開け放つと。やはり、罠だったのだろう。"調停"の相手である筈の亜人(ゴブリン)の男を。
 その護衛ごと縊り殺した血塗れの"翁"が、凄惨に嗤いながら罅割れた声で応じた。

 こんな風に嗤う人間が"悪党"でないわけがない。百人居たら百人頷く。
 こんな顔で他人を殺せる人間が"真っ当"なわけがない。倫理も道徳も匙を投げるだろう。

 だが、この男が――――銀の鬼を"外"になど連れ出したのだ。
 籠の中で生きて死ぬ筈だったやせっぽちの小鳥に、世界はこれほど広いのだと。

 それを、そんな余計な世話を焼いておいて。自分以外の手に掛かって勝手に死ぬなど。
 見逃せるか。容認出来るか。納得出来てたまるものか――――

 ――――その落とし前を付けさせるまで自由になどなってやるものか。
 燻り続けた火が燃え上がる。その衝動は、自分自身にすら止められないほどに強く、猛く、激しく。

「”あ? ……おい何考え――――”」

 腕を掴む。

 ――駆け抜ける。
 
 ――――カーテンを掴み引き千切り。
 
 宿の主人が随分金を掛けたのだろう窓の一枚硝子を――――――蹴り破る。

「飛ぶぞ、舌を噛むなよ――――爺……!!」

 かくて小夜啼鳥(ナハティガル)は奈落から中空へ羽ばたく。それがどれほど薄汚れた道程であろうと。
 構うものか。かなぐり捨てる物など己のみ。ならばその先にどんな痛みが待とうとも――――

 冴え冴えと冷え切った満月の下。この数年で伸びに伸びた銀の髪が、翼のように広がった。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0