黒の切れ端 虹への切れ端
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年07月27日 12時58分54秒
草々は長く伸び、夏の光を浴びて艶やかな緑色に輝いている。
皓い太陽が深く澄んだ真っ青な天空で燃えている。
熱い風が強く吹き抜けて、薙がれた一面の草々が、大海原に立つ波のようにうねり揺れてゆく。
長い銀髪を後頭部で結い上げ一本に纏めている少女が一人、緑の大海に佇んでいた。
歳の頃は十五、六に見えるだろうか。
あどけなさを残す顔立ちは、今は厳しく引き締められ、ルビー色の大粒の瞳が下方へと向けられている。
「……こっちか」
先程、セリーヌら狩猟部の面々へと襲い掛かってきた輝く闇を纏った巨大な猪型の這い寄るものは、絶命後に陽炎のように消滅した。
だが、生前でも幽霊のような存在であった訳ではない。質量を持っていた。
あれだけ巨大で重量のある生物が移動していたのである。
当然、その足跡が草原に残されていた。
ゾフィー・マルテルはセリーヌをカサンドラ他、駆けつけて来た狩猟部の面々に預け、街まで送って貰うことを依頼すると、クリーパーの足跡調査を開始していた。
王国人である狩猟部の面々の言によれば、王都にほど近いこの草原にあんな大物のクリーパーが二体も出現するのは極めて稀な事であるそうで、不自然さを感じさせるものだったからだ。
クリーパーというのは、幾つかの例外を除き基本的には人間が操る事ができない存在である。
言語は持たず、社会性は希薄で、その思考は謎に満ちている。
強いて言うなら蟲に近い性質を持っていると推測されている。
考えの読めない異質な異界の存在であったが、しかし根本的に彼等はエーテルを求めているという。
故に、這い寄る者どもはエーテルに引き寄せられる。
彼等が行うエーテルの摂取方法は生物を殺し喰らう事。
生物は強いエーテルを所持しているから。
(――どうにもキナ臭い)
北からの留学生として学園に潜り込んでいる諜報員少女は、弓を片手に草原に残された足跡を辿りつつ歩き出した。
嫌な予感がする。
狩猟部の面々が狩猟を行っていたこの草原は全体的に平坦な平地が多いが、しかしそれなりの起伏も存在している。あちらこちらに丘陵が存在している。
クリーパーの巨体に薙ぎ踏み倒された草と大地の痕を辿ってゆくと、やがて比較的大きな丘の麓へと辿り着く。
丘の側面には黒い大口がぽっかりとあいていた。
洞穴だ。
ゾフィーは少し躊躇ったものの、手がかりが消失、あるいは隠滅される前に掴み取るべきだと考え、意を決して洞窟の中へと入り込んだ。
●
纏わりついてくる澱んだ空気はひんやりとした湿気を伝えて来る。
内部へと足を踏み入れると陽の光が遮られ、少し奥に歩いただけでかなり暗くなった。
奥は闇が深く見通せなくなっている。まだまだ洞窟は続いているようだ。
現在、ゾフィーは暗視スキルをセットしていなかった。
昼の草原で狩りをするならば、暗視よりも有用なスキルは他に沢山あったので、そちらをセットしてしまっていたのである。
(しくじったなぁ)
ゾフィーは胸中でぼやきつつ背負い袋を降ろし、中からカンテラと火口箱を取り出し火を熾しはじめた。
獲物を追って暗い所に入る事もあるかもしれないと念の為にカンテラを背負い袋に入れていたのは幸いだったが、片手が塞がるし暗視のように隅々までを昼のように照らせる訳ではない。
もしも、暗闇の奥にまだ何かの危険が潜んでいるのだとしたら、暗視スキルが無いのは手痛い事だった。
(まぁ仕方ないか)
ゾフィーは神ならざる身である。神通力じみた不可思議な力で未来を見通す事は出来ない。ただの人間だ。
人間でもこのロスガリア大陸には夢なりを通じて未来視できる者もいるとは聞いた事があったが、少なくともゾフィーにその力は無かった。事前に予測ができない事態には備える事が出来ない。
少女は火打石と火打金と呼ばれる鋼鉄片を手に持ちカキン、カキンと打ち合わせて火花を飛ばし、輝く赤色を朽ち木の消し炭で処理した穂綿の中に落とし燃えあがらせる。
燃えあがった穂綿をカンテラへと入れ着火した。
橙色の仄かな輝きが透明なガラス越しに溢れ出し、洞穴内に蟠る漆黒の闇を押しやってゆく。
炎の光を浴びる銀髪の少女は火口箱をしまい、背負い袋へと入れ背負った。カンテラの上部についている金具を掴むと立ち上がり、再び洞窟の奥へと向かって歩き出す。
進んでゆく事しばし、ゾフィーは洞穴が自然に出来たものであるなら、内部の地面が妙に平坦であり過ぎる事に気づいた。
自然に出来た洞窟であるなら、その地面にはもっとなにがしか凹凸が存在しているものである。
だが、この洞窟内は不自然な程に均されていた。
そして、
(……これは、轍?)
地質が柔らかい部分などに所々、這い寄る者の足跡に混じって車輪が通ったような跡が残されていた。
注意深く跡を辿り歩く事しばし、やがてゾフィーは大きな布が打ち捨てられている場所へと辿り着いた。特に何の変哲も無さそうな粗末な黒い布だ。だが、非常に大きい。
跡は黒布の傍らで途絶えているようだった。
(……ここに、クリーパーが居た?)
何故、こんな場所にいた?
何故、ここに布がある?
布というのは、人工物である。自然に無より発生する事はない。人かそれに類する知性を持った生物が、持ち込まなければここに布は存在しない筈なのだ。
少女は思った。
この布がクリーパーに関係があるのなら、クリーパーもまた何者かがここへと運び込んだのではないだろうか?
(……どうやって?)
ゾフィーは想像してみた。
まず馬車か何かの荷台に【光縄】などで封じたクリーパーを積み、黒布を被せてその姿を隠し、夜間など人目につかない時に密かに洞窟前まで運んで来る。
洞穴内は先んじて車輪を使えるように均しておく。
そして馬車から荷車か何かにクリーパーを移し、洞窟内へと運び込む。
クリーパーはあの巨体だから通常の人間の手で運ぶのは非常な困難を伴うだろうが、力自慢の授恵者が数人集まればどうだろう?
また、授恵者でなくゴーレムを使うという方法もある。ゴーレムならば疲れも知らないし、難しい事ではないだろう。
洞穴内を均す作業も複数人の授恵者やゴーレム達を用いれば十分に可能だ。
そうして狩猟部の面子が草原へとやってきた時にクリーパーへとスキルを使用して回復させてからその場を離れ【光縄】を解除する。
そうすれば、後はエーテルを求めてクリーパーが勝手に洞穴から這い出てきて、近くで狩りをしている狩猟部の面々へと襲い掛かる、という寸法だ。
(……いや、でもそんな手間がかかって不確実な方法を取るかなぁ?)
もしあのクリーパーが狩猟部の誰かを狙ったものだとして、普通は暗殺したいのだったらそれこそ暗殺者でも送り込めば良いし、なんなら毒物を使う手だってあるだろう、その方が確実だし一般的だ。
わざわざクリーパーをけしかけるなんて不確定要素が多く用意するのに手間がかかる策をとるだろうか。
可能性としてあるとするなら、
(……実行役から足がつく事を嫌った? よほど他者を信用していなくて他の誰かの力を借りる事を嫌っている、秘密の漏洩は極力抑えたいから暗殺者を使わない……あるいは、何かの実験を兼ねている……あるいは、その者にとってこれらの作業はさほど手間を取られれるものではなかった)
複数体のゴーレムを自在に操れるような術者なら、さほどの手間ではないだろう。
もしくは、
(召喚術)
クリーパーをアストラルから直接召喚して使役する術。
基本的にクリーパーを操る術など無いが、例外は存在し、その一つが召喚術だ。
さほど一般的ではないが、実在しないという代物でもない。著名な例をあげるなら、シルトラース帝国のエフレムなどが召喚術師として名高い。
召喚術を用いるならば、ゾフィーが痕跡を辿り推測したような方法は必要が無い。
しかし召喚術は確かに実在するものの、やはり珍しいものである。長時間維持出来るものとなってはなおさらだ。
だから、もしも召喚術師が犯人であるなら、これらの痕跡は召喚術師の仕業であると特定させない為にダミーとしてワザと残したものなのかもしれない。そういう可能性もある。
(あ~~~~~わからないっ! 可能性だけならいくらでも浮かんで来るけれど、一体誰が何の目的でこんなことをしたっていうんだろう?)
銀髪少女はガシガシと頭を掻きつつ胸中で叫んだ。
あの襲撃、誰を狙っていたのか、そもそもに本当に誰かを亡き者にしようとしていたのか――それもよくわからない。
なんなら、先の襲撃で殺すつもりは最初からあんまりなくて、クリーパーはターゲット周辺の防衛戦力をはかる為の威力偵察だったという線だってありうるのだ。
「ん~~~~~~!」
ゾフィーは腕を組んで唸ったが、やがて諦めた。
(ま、今はいいや、考えるのは私の仕事じゃあない。私は目である。考えるのは上の人達、脳のお仕事だ)
少女はそう割り切った。
もう一体の方のクリーパーの足跡も調査し、やはりそれも別の洞窟へと続いていて同様の痕跡が残されていたのを確認すると調査を切り上げ、セロンガード・シュタインドルフ達のもとに報告へと向かったのだった。
●
飴色に磨き抜かれた木造の壁が、ランプの灯を受け鈍い輝きを放っている。
王都グランスパーダの一角にある、北の軍事大国が諜報部隊の息がかかった高級酒場の一室に、四人の男女が集まっていた。
「クリーパーが人為的に放たれた形跡がある、と……?」
うち一人、恰幅の良い糸目の中年男が顔を顰めた。仕立ての良い商人風の服装に身を包んでいる。
彼の名はフーゴ、シルトラース帝国とリーンエス王国とを結ぶ交易路で活動している商団の長として表向きには知られている。だが、その正体は帝国諜報部隊ヴェヒター・ヌルの諜報員であった。
セロン達は一ヵ月に一度、定期的に本国へと報告を行っているのだが、その報告を受け取る者の一人が、両国を往来する交易商に身を扮しているフーゴだった。彼の商人としての身分はあくまで偽りだったが、意外に商才があったらしく、独自に築いた繋がりを駆使して結構な利益をあげているらしい。
この中年男を介してセロン達は帝国からの情報や指令等を受け取り、また学園で得た王国の情勢を帝国へと送っている。
そして今、報告は先日セリーヌ達がクリーパーに襲われた件に及んでいた。
「はい、先日狩猟が行われた草原地帯には丘陵があり、幾つか洞穴も存在しています。件のクリーパーの足跡をゾフィー・マルテルが辿った所、それぞれ洞穴へと辿り着きました」
黒髪黒瞳の青年が折り目正しく言う。
セロンガード・シュタインドルフである。
彼はゾフィーが行った調査とその推論をまとめフーゴへと報告していた。
セロンからの話を聞き終えたフーゴは顎鬚を一つ撫でると、糸目の片方を大きく開き、
「何者かが、何らかの目的を持ってクリーパーを放ち、狩猟部の生徒を襲わせた、か……」
と呟いた。
瞳が細められている時は人が良さそうに見える男だったが、こうしてぎょろりと片目でも開くと、常人には纏い得ぬ殺人者独特の雰囲気が滲み出て来る。
恰幅の良い中年男は唸る様に息を一つ吐くと、
「うぅむ、わかった。何かが動いているのやも知れぬな……上にもそのように報告しておこう」
「承知いたしました。こちらからの報告は以上です」
セロンはベテラン諜報員の雰囲気にも動じる事無く変わらぬ調子で礼儀正しく述べる。特殊部隊に所属して以降、この手の人間を相手にするのは慣れたものである。
フーゴは「ご苦労」と呟いた後、
「こちらからもお前達に伝えておくべき件が二つある」
とセロン達三人を見渡した。
「まず一つ目だが……お前達は『バラム伯』という男を覚えているか?」
セロンの隣の席に座っているカサンドラから息を呑む気配が伝わって来た。
バラム伯ぅ? と素っ頓狂な声をあげたのはゾフィーだ。
フーゴがゾフィーを睨み、少女は口を抑え、セロンは声を発した。
「……バラム伯、というとベルリヒンゲン子爵を脅迫しメドゥの指先と共謀していたあのバラム伯爵、ジギスムント・イッシュトヴァンですか?」
それはつまりカサンドラの元婚約者の男である事を意味した。
中年の諜報員は重々しく頷く。
「そうだ」
三名が沈黙しフーゴを見つめる中、中年男は静かに述べる。
「バラム伯を捕縛し牢にぶち込んで以降、長らく尋問を続けていたんだがな……長きに渡る調査の結果……お前達が捕まえたメドゥの幹部達は、実は影武者だったらしいという事が判明した」
「……影武者」
セロンは呟いた。
衝撃を受けなかったといえば嘘になる。
だが、
(ありえそうな話だ)
セロンは得心がいった。
メドゥだったらありえる。
「なるほど、影武者……残念です」
「まぁ今更、お前にやった賞与を返せとは部隊も言わんからそこは安心しろ。だが、厄介な事態にはなった。いや最初から厄介な事態だったのに、ようやく我々は気づいたと言うべきか」
フーゴは忌々しそうに息を一つ吐いた。
「影武者達にはある種の催眠、幻術の類がかけられていた。自分達ですら自分自身が幹部だと思い込まされていたらしい」
「幻術」
「恐ろしい話だ。信じているものがすべて偽物に塗り替えられていたなんてな……そしてそれに気づけない」
ランプの火が燃える音が聞こえた。
恰幅の良い交易商人に扮する諜報員は、鋭く部屋の四方へと視線を配ってから、前へと上半身を乗り出した。
一段と声を潜め、言う。
「心して聞け――ヴェヒター・ヌルの中にメドゥのスパイがいる」
ありえる話ではあった。
諜報組織の中に敵対勢力の諜報員が紛れ込んでいる。
セロンはフーゴの茶色の瞳を見据え、静かに問いかけた。
「――なるほど、となると、この酒場内とて安全とは言い切れなくなりましたね。私達の活動方針に変更はありますか?」
中年男は首を横に振った。
「いや、お前達は今まで通りで良い。だが、頭の片隅には置いておけ」
「承知いたしました」
それからフーゴは姿勢を正すと、
「まったく、厄介な事だよ。改めて気を引き締めねばならん」
セロンが無言で頷くと中年男は杯に満たされている茶を一口飲み、息を吐いた。
「ああ、そうそう、それともう一つの件だが――これはお前から頼まれていた例の件なんだがな、七十四大隊にブルグント・キャラバンから伝書鳩が届いたぞ」
ブルグント・キャラバンとはかつて、パンクリアース学園に入学する前の冬休暇の時に、賊に襲われていた所をセロン達が救出した交易隊の名である。
襲撃され賊に連れ去られたシグルーンという娘を砦から救出し、ついでに賊達が砦に蓄えていた金品を戦利品として接収したのだが、その際にセロンは被害を受けていた交易隊へと相場以下の格安で品を引き渡して経営を助けた。
その際、礼を申し出た交易隊に情報を収集する事をセロンは依頼していたのである。
頼んでいた事というのは、
「お前が言っていた『影法師』と特徴が一致する者達の目撃情報を掴んだらしい」
視界が、はっきりと揺れた。
心臓が強く脈打ったのが解った。
――ついに掴んだ。
それは尻尾の端かも知れなかったが、ついに掴んだ。
これまで影も形も消え失せていた連中の足跡を。
フーゴが糸目を細め、カサンドラとゾフィーからの視線がセロンへと集まっていたが、表情を取り繕う余裕は無かった。
あの日の出来事が、セロンの旅の始まりだった。
灰色だった時代に、鮮やかな虹を見せてくれたのは金色の髪の紅瞳子と銀の古狼。
御伽噺の絵本の中から抜け出てきたような、妖精のような一人と神獣のような一匹だった。
愛と絆を教わった。
確かにセロン達は笑い合っていた。
あの頃の日々は、確かに、虹色に彩られていた。
けれど、紅瞳子は突然、攫われた。
奴等によって。
あの激しく雨が降りつけて来る森の中で。
最後の笑顔を思い出す。
紅瞳子は泣いていた。
泣きながら笑っていた。
あの涙に塗れた笑顔は今でも脳裏に焼きついている。
古狼は殺された。
奴等によって。
瞳を閉ざせば今でもまざまざと目蓋の裏に光景が甦る。
魔法陣に動きを封じられた銀の巨狼の姿を。
荒れ狂った雷を。
あの灼け焦げた豪雨の森を。
古狼は迫る最期の直前にセロンへと紅瞳子の事を頼んで逝った。
雨上がりの森に、木漏れ日の光に、銀色の毛並みを煌かせ、赤く変色した地に転がったままピクリとも動かなかった。
カッと見開かれたままの瞳が虚空を睨んでいた。
――あの瞳は、何を見つめていたのか。
だから少年は誓ったのだ。
セロンを守って死んだ相棒の復讐を。
――指切り! 何かあったらお互い駆けつける事!
約束の成就を。
拐われた紅瞳子を見つけ出し、古狼の仇を討つ。
「誓いは果たす」
かつて呟いた言葉が再び口を突いた。
その為にシルトラース帝国の弩弓教育課程へと入隊し、ヴェヒター・ヌルに入隊し、今日まで生きて来た。
「何処で……何処で目撃されたのですか?」
迸りそうになる激情を鋼の意志で抑えつけ、フーゴを鋭く見据える。
「目撃された場所は――」
フーゴは答えた。
「ここ、リーンエス王国が王都グランスパーダの郊外だ」
皓い太陽が深く澄んだ真っ青な天空で燃えている。
熱い風が強く吹き抜けて、薙がれた一面の草々が、大海原に立つ波のようにうねり揺れてゆく。
長い銀髪を後頭部で結い上げ一本に纏めている少女が一人、緑の大海に佇んでいた。
歳の頃は十五、六に見えるだろうか。
あどけなさを残す顔立ちは、今は厳しく引き締められ、ルビー色の大粒の瞳が下方へと向けられている。
「……こっちか」
先程、セリーヌら狩猟部の面々へと襲い掛かってきた輝く闇を纏った巨大な猪型の這い寄るものは、絶命後に陽炎のように消滅した。
だが、生前でも幽霊のような存在であった訳ではない。質量を持っていた。
あれだけ巨大で重量のある生物が移動していたのである。
当然、その足跡が草原に残されていた。
ゾフィー・マルテルはセリーヌをカサンドラ他、駆けつけて来た狩猟部の面々に預け、街まで送って貰うことを依頼すると、クリーパーの足跡調査を開始していた。
王国人である狩猟部の面々の言によれば、王都にほど近いこの草原にあんな大物のクリーパーが二体も出現するのは極めて稀な事であるそうで、不自然さを感じさせるものだったからだ。
クリーパーというのは、幾つかの例外を除き基本的には人間が操る事ができない存在である。
言語は持たず、社会性は希薄で、その思考は謎に満ちている。
強いて言うなら蟲に近い性質を持っていると推測されている。
考えの読めない異質な異界の存在であったが、しかし根本的に彼等はエーテルを求めているという。
故に、這い寄る者どもはエーテルに引き寄せられる。
彼等が行うエーテルの摂取方法は生物を殺し喰らう事。
生物は強いエーテルを所持しているから。
(――どうにもキナ臭い)
北からの留学生として学園に潜り込んでいる諜報員少女は、弓を片手に草原に残された足跡を辿りつつ歩き出した。
嫌な予感がする。
狩猟部の面々が狩猟を行っていたこの草原は全体的に平坦な平地が多いが、しかしそれなりの起伏も存在している。あちらこちらに丘陵が存在している。
クリーパーの巨体に薙ぎ踏み倒された草と大地の痕を辿ってゆくと、やがて比較的大きな丘の麓へと辿り着く。
丘の側面には黒い大口がぽっかりとあいていた。
洞穴だ。
ゾフィーは少し躊躇ったものの、手がかりが消失、あるいは隠滅される前に掴み取るべきだと考え、意を決して洞窟の中へと入り込んだ。
●
纏わりついてくる澱んだ空気はひんやりとした湿気を伝えて来る。
内部へと足を踏み入れると陽の光が遮られ、少し奥に歩いただけでかなり暗くなった。
奥は闇が深く見通せなくなっている。まだまだ洞窟は続いているようだ。
現在、ゾフィーは暗視スキルをセットしていなかった。
昼の草原で狩りをするならば、暗視よりも有用なスキルは他に沢山あったので、そちらをセットしてしまっていたのである。
(しくじったなぁ)
ゾフィーは胸中でぼやきつつ背負い袋を降ろし、中からカンテラと火口箱を取り出し火を熾しはじめた。
獲物を追って暗い所に入る事もあるかもしれないと念の為にカンテラを背負い袋に入れていたのは幸いだったが、片手が塞がるし暗視のように隅々までを昼のように照らせる訳ではない。
もしも、暗闇の奥にまだ何かの危険が潜んでいるのだとしたら、暗視スキルが無いのは手痛い事だった。
(まぁ仕方ないか)
ゾフィーは神ならざる身である。神通力じみた不可思議な力で未来を見通す事は出来ない。ただの人間だ。
人間でもこのロスガリア大陸には夢なりを通じて未来視できる者もいるとは聞いた事があったが、少なくともゾフィーにその力は無かった。事前に予測ができない事態には備える事が出来ない。
少女は火打石と火打金と呼ばれる鋼鉄片を手に持ちカキン、カキンと打ち合わせて火花を飛ばし、輝く赤色を朽ち木の消し炭で処理した穂綿の中に落とし燃えあがらせる。
燃えあがった穂綿をカンテラへと入れ着火した。
橙色の仄かな輝きが透明なガラス越しに溢れ出し、洞穴内に蟠る漆黒の闇を押しやってゆく。
炎の光を浴びる銀髪の少女は火口箱をしまい、背負い袋へと入れ背負った。カンテラの上部についている金具を掴むと立ち上がり、再び洞窟の奥へと向かって歩き出す。
進んでゆく事しばし、ゾフィーは洞穴が自然に出来たものであるなら、内部の地面が妙に平坦であり過ぎる事に気づいた。
自然に出来た洞窟であるなら、その地面にはもっとなにがしか凹凸が存在しているものである。
だが、この洞窟内は不自然な程に均されていた。
そして、
(……これは、轍?)
地質が柔らかい部分などに所々、這い寄る者の足跡に混じって車輪が通ったような跡が残されていた。
注意深く跡を辿り歩く事しばし、やがてゾフィーは大きな布が打ち捨てられている場所へと辿り着いた。特に何の変哲も無さそうな粗末な黒い布だ。だが、非常に大きい。
跡は黒布の傍らで途絶えているようだった。
(……ここに、クリーパーが居た?)
何故、こんな場所にいた?
何故、ここに布がある?
布というのは、人工物である。自然に無より発生する事はない。人かそれに類する知性を持った生物が、持ち込まなければここに布は存在しない筈なのだ。
少女は思った。
この布がクリーパーに関係があるのなら、クリーパーもまた何者かがここへと運び込んだのではないだろうか?
(……どうやって?)
ゾフィーは想像してみた。
まず馬車か何かの荷台に【光縄】などで封じたクリーパーを積み、黒布を被せてその姿を隠し、夜間など人目につかない時に密かに洞窟前まで運んで来る。
洞穴内は先んじて車輪を使えるように均しておく。
そして馬車から荷車か何かにクリーパーを移し、洞窟内へと運び込む。
クリーパーはあの巨体だから通常の人間の手で運ぶのは非常な困難を伴うだろうが、力自慢の授恵者が数人集まればどうだろう?
また、授恵者でなくゴーレムを使うという方法もある。ゴーレムならば疲れも知らないし、難しい事ではないだろう。
洞穴内を均す作業も複数人の授恵者やゴーレム達を用いれば十分に可能だ。
そうして狩猟部の面子が草原へとやってきた時にクリーパーへとスキルを使用して回復させてからその場を離れ【光縄】を解除する。
そうすれば、後はエーテルを求めてクリーパーが勝手に洞穴から這い出てきて、近くで狩りをしている狩猟部の面々へと襲い掛かる、という寸法だ。
(……いや、でもそんな手間がかかって不確実な方法を取るかなぁ?)
もしあのクリーパーが狩猟部の誰かを狙ったものだとして、普通は暗殺したいのだったらそれこそ暗殺者でも送り込めば良いし、なんなら毒物を使う手だってあるだろう、その方が確実だし一般的だ。
わざわざクリーパーをけしかけるなんて不確定要素が多く用意するのに手間がかかる策をとるだろうか。
可能性としてあるとするなら、
(……実行役から足がつく事を嫌った? よほど他者を信用していなくて他の誰かの力を借りる事を嫌っている、秘密の漏洩は極力抑えたいから暗殺者を使わない……あるいは、何かの実験を兼ねている……あるいは、その者にとってこれらの作業はさほど手間を取られれるものではなかった)
複数体のゴーレムを自在に操れるような術者なら、さほどの手間ではないだろう。
もしくは、
(召喚術)
クリーパーをアストラルから直接召喚して使役する術。
基本的にクリーパーを操る術など無いが、例外は存在し、その一つが召喚術だ。
さほど一般的ではないが、実在しないという代物でもない。著名な例をあげるなら、シルトラース帝国のエフレムなどが召喚術師として名高い。
召喚術を用いるならば、ゾフィーが痕跡を辿り推測したような方法は必要が無い。
しかし召喚術は確かに実在するものの、やはり珍しいものである。長時間維持出来るものとなってはなおさらだ。
だから、もしも召喚術師が犯人であるなら、これらの痕跡は召喚術師の仕業であると特定させない為にダミーとしてワザと残したものなのかもしれない。そういう可能性もある。
(あ~~~~~わからないっ! 可能性だけならいくらでも浮かんで来るけれど、一体誰が何の目的でこんなことをしたっていうんだろう?)
銀髪少女はガシガシと頭を掻きつつ胸中で叫んだ。
あの襲撃、誰を狙っていたのか、そもそもに本当に誰かを亡き者にしようとしていたのか――それもよくわからない。
なんなら、先の襲撃で殺すつもりは最初からあんまりなくて、クリーパーはターゲット周辺の防衛戦力をはかる為の威力偵察だったという線だってありうるのだ。
「ん~~~~~~!」
ゾフィーは腕を組んで唸ったが、やがて諦めた。
(ま、今はいいや、考えるのは私の仕事じゃあない。私は目である。考えるのは上の人達、脳のお仕事だ)
少女はそう割り切った。
もう一体の方のクリーパーの足跡も調査し、やはりそれも別の洞窟へと続いていて同様の痕跡が残されていたのを確認すると調査を切り上げ、セロンガード・シュタインドルフ達のもとに報告へと向かったのだった。
●
飴色に磨き抜かれた木造の壁が、ランプの灯を受け鈍い輝きを放っている。
王都グランスパーダの一角にある、北の軍事大国が諜報部隊の息がかかった高級酒場の一室に、四人の男女が集まっていた。
「クリーパーが人為的に放たれた形跡がある、と……?」
うち一人、恰幅の良い糸目の中年男が顔を顰めた。仕立ての良い商人風の服装に身を包んでいる。
彼の名はフーゴ、シルトラース帝国とリーンエス王国とを結ぶ交易路で活動している商団の長として表向きには知られている。だが、その正体は帝国諜報部隊ヴェヒター・ヌルの諜報員であった。
セロン達は一ヵ月に一度、定期的に本国へと報告を行っているのだが、その報告を受け取る者の一人が、両国を往来する交易商に身を扮しているフーゴだった。彼の商人としての身分はあくまで偽りだったが、意外に商才があったらしく、独自に築いた繋がりを駆使して結構な利益をあげているらしい。
この中年男を介してセロン達は帝国からの情報や指令等を受け取り、また学園で得た王国の情勢を帝国へと送っている。
そして今、報告は先日セリーヌ達がクリーパーに襲われた件に及んでいた。
「はい、先日狩猟が行われた草原地帯には丘陵があり、幾つか洞穴も存在しています。件のクリーパーの足跡をゾフィー・マルテルが辿った所、それぞれ洞穴へと辿り着きました」
黒髪黒瞳の青年が折り目正しく言う。
セロンガード・シュタインドルフである。
彼はゾフィーが行った調査とその推論をまとめフーゴへと報告していた。
セロンからの話を聞き終えたフーゴは顎鬚を一つ撫でると、糸目の片方を大きく開き、
「何者かが、何らかの目的を持ってクリーパーを放ち、狩猟部の生徒を襲わせた、か……」
と呟いた。
瞳が細められている時は人が良さそうに見える男だったが、こうしてぎょろりと片目でも開くと、常人には纏い得ぬ殺人者独特の雰囲気が滲み出て来る。
恰幅の良い中年男は唸る様に息を一つ吐くと、
「うぅむ、わかった。何かが動いているのやも知れぬな……上にもそのように報告しておこう」
「承知いたしました。こちらからの報告は以上です」
セロンはベテラン諜報員の雰囲気にも動じる事無く変わらぬ調子で礼儀正しく述べる。特殊部隊に所属して以降、この手の人間を相手にするのは慣れたものである。
フーゴは「ご苦労」と呟いた後、
「こちらからもお前達に伝えておくべき件が二つある」
とセロン達三人を見渡した。
「まず一つ目だが……お前達は『バラム伯』という男を覚えているか?」
セロンの隣の席に座っているカサンドラから息を呑む気配が伝わって来た。
バラム伯ぅ? と素っ頓狂な声をあげたのはゾフィーだ。
フーゴがゾフィーを睨み、少女は口を抑え、セロンは声を発した。
「……バラム伯、というとベルリヒンゲン子爵を脅迫しメドゥの指先と共謀していたあのバラム伯爵、ジギスムント・イッシュトヴァンですか?」
それはつまりカサンドラの元婚約者の男である事を意味した。
中年の諜報員は重々しく頷く。
「そうだ」
三名が沈黙しフーゴを見つめる中、中年男は静かに述べる。
「バラム伯を捕縛し牢にぶち込んで以降、長らく尋問を続けていたんだがな……長きに渡る調査の結果……お前達が捕まえたメドゥの幹部達は、実は影武者だったらしいという事が判明した」
「……影武者」
セロンは呟いた。
衝撃を受けなかったといえば嘘になる。
だが、
(ありえそうな話だ)
セロンは得心がいった。
メドゥだったらありえる。
「なるほど、影武者……残念です」
「まぁ今更、お前にやった賞与を返せとは部隊も言わんからそこは安心しろ。だが、厄介な事態にはなった。いや最初から厄介な事態だったのに、ようやく我々は気づいたと言うべきか」
フーゴは忌々しそうに息を一つ吐いた。
「影武者達にはある種の催眠、幻術の類がかけられていた。自分達ですら自分自身が幹部だと思い込まされていたらしい」
「幻術」
「恐ろしい話だ。信じているものがすべて偽物に塗り替えられていたなんてな……そしてそれに気づけない」
ランプの火が燃える音が聞こえた。
恰幅の良い交易商人に扮する諜報員は、鋭く部屋の四方へと視線を配ってから、前へと上半身を乗り出した。
一段と声を潜め、言う。
「心して聞け――ヴェヒター・ヌルの中にメドゥのスパイがいる」
ありえる話ではあった。
諜報組織の中に敵対勢力の諜報員が紛れ込んでいる。
セロンはフーゴの茶色の瞳を見据え、静かに問いかけた。
「――なるほど、となると、この酒場内とて安全とは言い切れなくなりましたね。私達の活動方針に変更はありますか?」
中年男は首を横に振った。
「いや、お前達は今まで通りで良い。だが、頭の片隅には置いておけ」
「承知いたしました」
それからフーゴは姿勢を正すと、
「まったく、厄介な事だよ。改めて気を引き締めねばならん」
セロンが無言で頷くと中年男は杯に満たされている茶を一口飲み、息を吐いた。
「ああ、そうそう、それともう一つの件だが――これはお前から頼まれていた例の件なんだがな、七十四大隊にブルグント・キャラバンから伝書鳩が届いたぞ」
ブルグント・キャラバンとはかつて、パンクリアース学園に入学する前の冬休暇の時に、賊に襲われていた所をセロン達が救出した交易隊の名である。
襲撃され賊に連れ去られたシグルーンという娘を砦から救出し、ついでに賊達が砦に蓄えていた金品を戦利品として接収したのだが、その際にセロンは被害を受けていた交易隊へと相場以下の格安で品を引き渡して経営を助けた。
その際、礼を申し出た交易隊に情報を収集する事をセロンは依頼していたのである。
頼んでいた事というのは、
「お前が言っていた『影法師』と特徴が一致する者達の目撃情報を掴んだらしい」
視界が、はっきりと揺れた。
心臓が強く脈打ったのが解った。
――ついに掴んだ。
それは尻尾の端かも知れなかったが、ついに掴んだ。
これまで影も形も消え失せていた連中の足跡を。
フーゴが糸目を細め、カサンドラとゾフィーからの視線がセロンへと集まっていたが、表情を取り繕う余裕は無かった。
あの日の出来事が、セロンの旅の始まりだった。
灰色だった時代に、鮮やかな虹を見せてくれたのは金色の髪の紅瞳子と銀の古狼。
御伽噺の絵本の中から抜け出てきたような、妖精のような一人と神獣のような一匹だった。
愛と絆を教わった。
確かにセロン達は笑い合っていた。
あの頃の日々は、確かに、虹色に彩られていた。
けれど、紅瞳子は突然、攫われた。
奴等によって。
あの激しく雨が降りつけて来る森の中で。
最後の笑顔を思い出す。
紅瞳子は泣いていた。
泣きながら笑っていた。
あの涙に塗れた笑顔は今でも脳裏に焼きついている。
古狼は殺された。
奴等によって。
瞳を閉ざせば今でもまざまざと目蓋の裏に光景が甦る。
魔法陣に動きを封じられた銀の巨狼の姿を。
荒れ狂った雷を。
あの灼け焦げた豪雨の森を。
古狼は迫る最期の直前にセロンへと紅瞳子の事を頼んで逝った。
雨上がりの森に、木漏れ日の光に、銀色の毛並みを煌かせ、赤く変色した地に転がったままピクリとも動かなかった。
カッと見開かれたままの瞳が虚空を睨んでいた。
――あの瞳は、何を見つめていたのか。
だから少年は誓ったのだ。
セロンを守って死んだ相棒の復讐を。
――指切り! 何かあったらお互い駆けつける事!
約束の成就を。
拐われた紅瞳子を見つけ出し、古狼の仇を討つ。
「誓いは果たす」
かつて呟いた言葉が再び口を突いた。
その為にシルトラース帝国の弩弓教育課程へと入隊し、ヴェヒター・ヌルに入隊し、今日まで生きて来た。
「何処で……何処で目撃されたのですか?」
迸りそうになる激情を鋼の意志で抑えつけ、フーゴを鋭く見据える。
「目撃された場所は――」
フーゴは答えた。
「ここ、リーンエス王国が王都グランスパーダの郊外だ」