諜報員VS諜報員~闇夜の暗闘~
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年07月10日 11時37分07秒
リーンエス王国が王都グランスパーダの一角。
黒装束の男女が街に並び立つ建物と建物の間の狭い路地へと飛び込んだのを目撃したバルドゥルは、反射的に出かかった舌打ちを堪えた。
入り組んだ場所は、死角が多い。危険だ。
だがしかしバルドゥルは怯む事なく、果敢に後を追い、剣を片手に彼もまた路地へと飛び込んだ。
銀髪矮躯の青年は、不意打ちに警戒しながら入ったが、予想されていた攻撃は無かった。
しかし怪しい黒ずくめの男女の姿も無い。
対象達は争うよりも純粋に振り切る事を選んだのかもしれなかった。
(連中、土地勘がありそうだな)
胸中であたりをつける。
相手は素人ではないだろう。身のこなしが明らかに訓練を受けた人間のそれだった。恐らくプロだ。自分達と同じような。
もしも誰かに雇われて屋敷へと暗殺にでも来ていたのなら――雇い主は実行犯には現場の周辺地形を把握している者を雇うだろう。
バルドゥルが追っている黒ずくめの男女はグランスパーダの街並みに詳しい可能性が高い。
対するバルドゥルはシルトラース帝国のヴェヒター・ヌルに所属する人間で、普段は別の地域で活動していたから、リーンエスの王都については詳しくない。その地理が解らない。
無論、今回の任務に際し地図でざっとは頭に叩き込んでいる。だが、自分の足で街を歩き尽くした訳ではない。どうしても不慣れである。
故に、入り組んだ場所に入られると振り切られる恐れはあった。
(だが、俺の足の速さを舐めない事だ)
純粋な速さの差は地形不理解による多少の遅れなど容易く埋めるものである。
特殊部隊の若き精鋭隊員バルドゥルは己の脚力に自信があった。
(逃すものか!)
黒の鎧下服姿の青年は、体内のエーテルを燃え上らせると瞬間的に猛加速した。疾風の如き速さで路地の細い道を瞬く間に駆け抜ける。
路地から路地裏の道へと出た瞬間、目前と視界の隅に影が走った。
●
路地の出口、その左右に黒装束姿のセロンガード・シュタインドルフとカサンドラ・フォン・ベルリヒンゲンは息を潜め、家屋の壁に背をつけるようにして身を隠していた。
足音から距離を推測し、バルドゥルとの距離をはかる。身構える。黒いギャンベソンに身を包んだ青年が飛び出して来た瞬間、その顔面を目がけカサンドラが手刀を振るった。
完璧なタイミングでの不意打ち。
しかしバルドゥルは神がかり的な速度で反応した。
矮躯の青年が一瞬で身を低く沈める。
少女の手刀が青年の銀髪を掠めながら空を切って抜けてゆく。
同時、セロンは低い態勢から薙ぎ払うように足を繰り出していた。精悍な少年の脚が、しなる鞭、黒い旋風のように繰り出される。
手刀を避けた直後で態勢を崩しているバルドゥルへと、刈り取るような足払いが直撃する。
風の如く駆けていた青年の身が、宙に浮き上がる。
速度が出ていただけに、その勢いもまた強いものがあった。
銀髪青年の矮躯が前傾姿勢のまま吹き飛ぶように道へと倒れ込んでゆき、激しい勢いで路地裏へと転がってゆく。
しかし、転倒したバルドゥルは、それでもしっかりと受け身を取っていた。
≪≪仕留める!≫≫
回転の勢いを利用して起き上がらんとしているバルドゥルへ向かい、カサンドラが猟犬の如く飛び掛かった。後ろから組み付いて絞め落とす腹のようだ。
バルドゥルが残像を発生させる程の凄まじい速さで機動した。伸ばされたカサンドラの腕を、前に跳ね飛んですり抜けるようにかわし、身を捻りざま手に握った剣を一閃する。
(アクセラレイターか!)
セロンは胸中で叫びつつ前へと飛び出す。
腰に佩いていた剣の柄へと手を伸ばす。左手で鞘口付近を掴み親指で鍔を押し上げ鯉口を切る。右手で柄を握り、剣を引き抜く。エーテルを帯びる白刃を鞘から解き放つ。
カサンドラを狙ったバルドゥルの剣が石火の如く闇を裂いて走り、間に入ったセロンが引き抜いた剣と激突する。
強烈な衝撃が巻き起こり、火花と共に甲高い音が夜闇の路地裏に響き渡ってゆく。
鍔迫り合いになった。
眼前の相手を至近距離から睨む。
バルドゥルの碧眼に火のように輝く激しい闘志が燃えている。剣が強い力で押し込まれて来る。このまま押し切られたら斬られる。
セロンは歯を喰いしばり、大地を踏みしめ、剣へと渾身の力を籠めてバルドゥルの剣を押し返し対抗する。
己の剣と相手の剣とを噛み合わせたまま、身を捻った。
セロンの動きに合わせて握られた剣が動き、剣と剣が噛み合っている支点が動く。力が流れる。回転する。バルドゥルの目が見開かれ息を呑む気配がした。
巻くようにしてバルドゥルの剣力の方向を変えて逸らし流し、その刀身を抑え込みつつセロンは一歩を踏み込む――本来ならここから相手の刀身の上を滑らせながら一気に首を狙う斬撃を放つのだが、同期の首を刎ね飛ばしてしまう訳にはいかない。故にセロンは常よりも深く踏み込んで、至近距離からの前蹴りを放った。
態勢を崩すのが狙いの一撃。
バルドゥルは素早く後ろに飛び退いた。セロンの蹴りが空を切る。闇を裂いて光が走る。カサンドラが放ったものだろう、バルドゥルの脚部を目がけて光弾が飛び、白刃が閃いた。
黒のギャンベソン姿のシーフは剣を振るい、光を斬り払って回避しつつ、さらに後方へと大きく跳ぶ。
(……流石にやるな)
相手もまた帝国精鋭たるヴェヒター・ヌルの隊員だ。大怪我をさせないように手加減しつつ、というのは難しいかもしれない。
倒すだけなら弓を使うのが手っ取り早かったが、矢を撃ち込むのは結構な確率で大怪我をさせてしまうだろう。矢というのは錐のように回転しながら飛ぶから、刺さった時、骨肉を深く抉る。ましてセロンの弓は鉄板とてぶち抜く強弓である。簡単に神経や重要な血管を傷つける。
一撃必殺を狙うならやりようは山ほどあるのだが、その逆に万一にも後遺症を残すような大怪我をさせないように、となると途端に手段が限られる。剣であっても同様だったが弓よりは多少マシだった。
付近の家屋の壁面に張り付いたバルドゥルは、それを駆け登って(壁歩きのスキルを使用しているのだろう)間合いを取りながら叫んだ。
「貴様ら、何者だ! その剣筋、帝国人か?!」
一連の攻防から同国人である所まで青年諜報員は既に予想をつけたらしい。
セロンとカサンドラは当然、無言だった。
声色という材料まで渡したら、それこそ特定されかねない。
セロンは大きく横へと跳んだ。
微かな、しかし確かな物音が、鼓膜を震わせたからだ。
唸りをあげ豪速で飛来した矢が、先程までセロンの背中があった場所を貫いて抜けた。鋭い音を鳴り響かせながら家屋の壁に矢が深々と突き立つ。
「へぇ? それ避けんのか? やるねぇ」
振り向くと路地から、鍛え抜かれた体躯を深紅のギャンベソンに包んだ金髪の青年が姿をあらわした。青年は短弓を背にしまいつつ、腰から剣を抜き放つ。
ウォーリアのライムントだ。
壁に張り付いているバルドゥルが叫んだ。
「おい! 殺すなよっ?!」
「そんな事言ってられる相手かコレが? 確実に授恵者だ。あたり所が悪くなけりゃ、死にはしねぇだろ。それに最悪、捕縛せよとは言われたが、生きて捕らえろとは言われてねぇ」
「お前なぁ」
「逃がすよかナンボかマシだ。返り討ちにあうよりはずっとずっとマシだ。違うか?」
殺気に満ちた金髪戦士の言葉と眼光に銀髪の盗賊は押し黙った。
深紅のギャンベソン姿の戦士は長剣の腹に指を滑らせつつセロンを睨むと、
「さて、そういう訳でアンタラ、殺す気でいかせてもらう。死にたくなけりゃ武器を捨てて投降して貰えると助かるんだがね」
セロンは少し考えた後に念話を発した。
≪≪ライムントは僕がやる。キャシーはバルドゥルを頼む≫≫
≪≪わかったわ≫≫
黒ずくめの少年は剣を構えライムントへと向き直った。
金髪の鍛えられた体躯の青年は不敵な笑みを浮かべる。
「おーおー、やる気だねぇ……そんなら、しゃあねぇ……死んでも怨むなよ」
精鋭部隊の戦士は長剣を構えると、まるでフリップブックの途中のコマをすっと飛ばしたかの如き爆発的な動きで、セロンの眼前へと半瞬で踏み込んだ。
●
闇を斬り裂く天雷だ。
燃え上るように輝いたライムントの打ち込みは、そう評して不足無い程に凄まじい速さを秘めていた。
単純に剣速が速いだけでなく、予備動作が極端に小さい。目と意識の錯覚を利用した滑るような動き。踏み込みと攻撃の起こりが見えない。気づいた時には既に眼前に迫っている。
まさしく紫電一閃、電光石火の戦士の一断。初見の敵はおおよそが、回避も防御も出来ずに一撃で斬り殺される。真っ向からであるにも関わらず不意打ちとなりうる必殺剣。
セロンの顔のすぐ側を白い雷光が突き抜けてゆく。
黒ずくめの少年は、体を軸から回転させ左足と右足の前後を入れ替えつつ身を捻り、半身になりながら斜め前方へと踏み込んで、紙一重で光をかわしていた。
ライムントの剣を、セロンは見た事があった。
彼ならそうくるだろうと予測していた。
未知であるならばさしものセロンも不覚を取ったであろう程の鋭さだったが、そう来るとわかっているなら、対処はセロンにとって難しくない。
初見殺しは初見でなければ威力が半減する。
必殺剣をすり抜けるように鮮やかに回避し懐に入ったセロンは、右足を相手の足の後ろへと差し込むように踏み込みつつ、右手を剣から離した。低く前傾の姿勢から素早く右腕を伸ばし密着、己の右脇下と足の間にライムントの胴を挟み込むように絡める。
「ぬっ?!」
ライムントの身が仰け反るように傾いだ。その身がセロンの腿の上に乗り、そのまま接触面を支点に縦回転するように、風車のように、後頭部から地面へと落ちてゆく。
投げ技だ。
セロンは仰向けに転がったライムントの、剣を握る右手首を素早く踏みつけた。
本来なら、ここから喉元にでも剣の切っ先を突きを入れれば終わりだったが、殺す訳にはいかない。
(剣を封じて、それから絞め落とそう)
セロンは身を沈めるとライムントの喉を目がけて右手を伸ばした。
が、その動きが良く無かったらしい。
ライムントは左手で伸ばされたセロンの右腕を掴むと、恐るべき剛力でセロンの腕を引いた。
黒ずくめの少年の身が大きく前へと倒れ込んでゆき、そして前転するように一回転して路上に転がった。
セロンは即座に横転しながら跳ね起きる。
向き直ると眼前には既にライムントが迫り長剣を振り下ろしていた。
咄嗟に剣を傾斜させながら頭上に翳す。
ライムントの剛剣が火花を巻き起こしながらセロンの剣に沿って斜め下へと滑り落ちてゆく。
掲げた剣を、間髪入れずに相手の頭部へと振り下ろ――しそうになった所で踏みとどまり、セロンは後方へと跳んで間合いを広げた。同僚の脳天を砕いてしまう訳にはいかない。
すかさずライムントが後退にぴったり合わせるように前に踏み込んで来る。金髪の青年は振り抜いて下がった剣を今度は、逆袈裟に振り上げてきた。
夜風が唸り、闇に光が閃く。
セロンは素早く反応し、右斜め下へと低く身を沈めた。
頭上ギリギリを恐るべき剣圧が突き抜けてゆく。
黒装束姿の青年は、低い態勢のまま身を捻り、回転するようにしながら足払いを繰り出した。
ライムントは小さく跳躍して足払いを回避し、落下しながら剣を突き降ろす。
セロンは地を転がって刺突を回避し、一回転した勢いで足から起き上がり立ち上がる。
するとライムントも何故か後ろに大きく跳んで間合いを広げた。
彼は雄牛の型に長剣を構え直しつつ物言いたげな表情でセロンをしげしげと睨んだ。
「お前……あぁ、なるほどなぁ」
ライムントはそんな呟きを発すると、
「やめだバルドゥル!」
不意に構えを解いて声を張り上げた。
「……は? なんだって?」
付近の家屋に垂直に靴底をつけている銀髪の青年がカサンドラを睨んだまま声を返す。
カサンドラは剣を構えたまま後方へと跳び退って間合いを広げた。
セロンもまた構えを維持したままライムントとバルドゥルへと交互に視線を走らせる。
(どういうつもりだ?)
三人が訝しむ中、ライムントは言葉を続ける。
「俺は死んだ。本当だったら、こいつに既に二回……いや、三回か、殺されている」
「あぁ? そんじゃあ、今喋ってるお前は亡霊かよ? 何が言いてぇ」
「こいつらの剣には殺意が無い」
「…………そいつぁ、まぁ、そうだな。どういう理由でかは知らねーが」
セロン達が致命傷となりうる攻撃を繰り出していない事は、どうやら薄々気づかれていたらしい。
(まぁさすがに解るか)
ライムントもバルドゥルも素人では無い。
北の軍事大国が誇る精鋭特殊部隊の隊員だ。
「だが、それは俺達の知った事か?」
「そっちの男が背負ってる弓の形、お前、見覚えねぇか」
ライムントが顎をしゃくった。
「弓……? ……はぁあっ?」
どうやら彼等も暗視のスキルはセットしてきているらしい。
バルドゥルはセロンの背中をみやって目を丸くし、素っ頓狂な声をあげた。
「おいおいおいおい、ちょっと待ってくれよ」
(……気づかれたか)
可能ならば、正体を隠したまま振り切りたかったのだが、どうやらそれは失敗に終わってしまったようだ。
致命傷を与えず、正体を悟られず、無力化できるほど、ライムントとバルドゥルは容易い相手ではなかった。
「今は殺意がねぇが、それでなんとかならねぇなら、そのうちそいつ、背中の弓を取り出すんじゃねぇか? お前、勝てるか? 弓だしたソイツに」
「……なるほど」
「絶対勝てねぇとも言わねぇが、目玉の一個や二個、無くしてもおかしくねぇ。ここで俺らがそれをやるのは、馬鹿らしいだろうよ」
バルドゥルは半眼になって嘆息すると、じっとセロンを見つめて来た。
「なーんでお前らここにいんの……? 何やってんだよ、いや、なんか別口なんだとは思うけどよ」
セロンとしては笑って誤魔化すしかない。
なんと説明したものか迷っていると、
「おい、バルドゥル、俺らにはこいつらが誰なんだかはわからねぇ」
「なんだって?」
銀髪の青年はライムントの言に初め驚いた様子だったが、すぐに得心がいったように、
「……あぁね、そうだな、確かにな、俺達は知ってる奴になんて会ってねぇ、まして同期になんて会ってねぇ」
「『俺達は正体不明の黒ずくめ達に追いつき生け捕りにすべく交戦したが、途中で街の地形を利用されて上手い事逃げられた』上にはそう言っておく。それで良いな?」
どうやら、セロン達の正体については、黙っていてくれるらしい。
そこで初めてセロンは声を発した。
「悪いですね」
ライムントは肩を竦め、
「貸し一つだぜ、って言いたいが、まぁ負けてたのはこっちだからな。ここは大人しく退いとくさ。何やってんだか知らねぇが、せいぜい上手くやるんだな」
「ええ、そちらも。今回の件は何かがいつもと違います。気をつけた方が良い」
セロンが忠告を発すると金髪の青年は頷き。
「ああ、そんな気はしている。忠告は有難く受け取っとくぜ。あばよ。しばらくは追うが、適当な所で止まる」
「わかりました」
「それじゃこれで」
セロンが頷くと、カサンドラが光を矢と成し地面に対して撃ち放った。次の瞬間それは炸裂し煙となる。
わざわざ煙幕を出したのは、もし遠くから見ている者が存在した場合に備え、出来る限り流れが不自然に見えないようにする為だろう。ライムント達がしばらく追うと言っているのも同様だ。
で、あるなら、全速力で逃げて見せた方が良いだろう。
≪≪いきましょう≫≫
≪≪ああ≫≫
セロンとカサンドラは全速で駆け出した。
しばらくライムントとバルドゥルが追ってきたが、入り組んだ路地裏の道を駆けているとやがて彼等は見失ったようにセロン達の追跡を止め、セロン達は無事の帰還を果たしたのだった。
●
翌日、深夜に不審者達が街で大立ち回りしたという事が噂になっていた。
やはり目撃者が発生してしまっていたらしい。
しかし、その正体がセロンとカサンドラであるという事は、突き止められてはいないようだった。
どうやらライムント達は約束通り秘密にしてくれたらしい。
「セリーヌさんは恐らく、フィルエス大森林の出身なのでしょうね」
昼食時、他にも色々と情報を集めているらしきカサンドラが芝生の上で弁当を広げながらそう言った。
セロンはカサンドラ制作の卵サンドウィッチに齧りつきつつ、
「うん、恐らくそうなんだろうなぁ」
もぐもぐと咀嚼して呑み込む。元貴族のお嬢様作にしては意外な程に美味い。カサンドラは以前、五十過ぎの貴族男の花嫁にされそうだった時に、花嫁修業をさせられていた時期があったそうだから、その時に料理技術も身に着けたのかもしれない。
「ヒューマン主義のリーンエス王国と大森林のエルフって距離的には遠そうに思えるけれど……」
「何かがあったんだろうね、あんまり良い予感はしないけど」
そしてそのセリーヌとセロンの家には何かしらの関係がある。
(一体、どんな関係があるっていうんだ?)
茶を飲みつつ少年は首を傾げるのだった。
黒装束の男女が街に並び立つ建物と建物の間の狭い路地へと飛び込んだのを目撃したバルドゥルは、反射的に出かかった舌打ちを堪えた。
入り組んだ場所は、死角が多い。危険だ。
だがしかしバルドゥルは怯む事なく、果敢に後を追い、剣を片手に彼もまた路地へと飛び込んだ。
銀髪矮躯の青年は、不意打ちに警戒しながら入ったが、予想されていた攻撃は無かった。
しかし怪しい黒ずくめの男女の姿も無い。
対象達は争うよりも純粋に振り切る事を選んだのかもしれなかった。
(連中、土地勘がありそうだな)
胸中であたりをつける。
相手は素人ではないだろう。身のこなしが明らかに訓練を受けた人間のそれだった。恐らくプロだ。自分達と同じような。
もしも誰かに雇われて屋敷へと暗殺にでも来ていたのなら――雇い主は実行犯には現場の周辺地形を把握している者を雇うだろう。
バルドゥルが追っている黒ずくめの男女はグランスパーダの街並みに詳しい可能性が高い。
対するバルドゥルはシルトラース帝国のヴェヒター・ヌルに所属する人間で、普段は別の地域で活動していたから、リーンエスの王都については詳しくない。その地理が解らない。
無論、今回の任務に際し地図でざっとは頭に叩き込んでいる。だが、自分の足で街を歩き尽くした訳ではない。どうしても不慣れである。
故に、入り組んだ場所に入られると振り切られる恐れはあった。
(だが、俺の足の速さを舐めない事だ)
純粋な速さの差は地形不理解による多少の遅れなど容易く埋めるものである。
特殊部隊の若き精鋭隊員バルドゥルは己の脚力に自信があった。
(逃すものか!)
黒の鎧下服姿の青年は、体内のエーテルを燃え上らせると瞬間的に猛加速した。疾風の如き速さで路地の細い道を瞬く間に駆け抜ける。
路地から路地裏の道へと出た瞬間、目前と視界の隅に影が走った。
●
路地の出口、その左右に黒装束姿のセロンガード・シュタインドルフとカサンドラ・フォン・ベルリヒンゲンは息を潜め、家屋の壁に背をつけるようにして身を隠していた。
足音から距離を推測し、バルドゥルとの距離をはかる。身構える。黒いギャンベソンに身を包んだ青年が飛び出して来た瞬間、その顔面を目がけカサンドラが手刀を振るった。
完璧なタイミングでの不意打ち。
しかしバルドゥルは神がかり的な速度で反応した。
矮躯の青年が一瞬で身を低く沈める。
少女の手刀が青年の銀髪を掠めながら空を切って抜けてゆく。
同時、セロンは低い態勢から薙ぎ払うように足を繰り出していた。精悍な少年の脚が、しなる鞭、黒い旋風のように繰り出される。
手刀を避けた直後で態勢を崩しているバルドゥルへと、刈り取るような足払いが直撃する。
風の如く駆けていた青年の身が、宙に浮き上がる。
速度が出ていただけに、その勢いもまた強いものがあった。
銀髪青年の矮躯が前傾姿勢のまま吹き飛ぶように道へと倒れ込んでゆき、激しい勢いで路地裏へと転がってゆく。
しかし、転倒したバルドゥルは、それでもしっかりと受け身を取っていた。
≪≪仕留める!≫≫
回転の勢いを利用して起き上がらんとしているバルドゥルへ向かい、カサンドラが猟犬の如く飛び掛かった。後ろから組み付いて絞め落とす腹のようだ。
バルドゥルが残像を発生させる程の凄まじい速さで機動した。伸ばされたカサンドラの腕を、前に跳ね飛んですり抜けるようにかわし、身を捻りざま手に握った剣を一閃する。
(アクセラレイターか!)
セロンは胸中で叫びつつ前へと飛び出す。
腰に佩いていた剣の柄へと手を伸ばす。左手で鞘口付近を掴み親指で鍔を押し上げ鯉口を切る。右手で柄を握り、剣を引き抜く。エーテルを帯びる白刃を鞘から解き放つ。
カサンドラを狙ったバルドゥルの剣が石火の如く闇を裂いて走り、間に入ったセロンが引き抜いた剣と激突する。
強烈な衝撃が巻き起こり、火花と共に甲高い音が夜闇の路地裏に響き渡ってゆく。
鍔迫り合いになった。
眼前の相手を至近距離から睨む。
バルドゥルの碧眼に火のように輝く激しい闘志が燃えている。剣が強い力で押し込まれて来る。このまま押し切られたら斬られる。
セロンは歯を喰いしばり、大地を踏みしめ、剣へと渾身の力を籠めてバルドゥルの剣を押し返し対抗する。
己の剣と相手の剣とを噛み合わせたまま、身を捻った。
セロンの動きに合わせて握られた剣が動き、剣と剣が噛み合っている支点が動く。力が流れる。回転する。バルドゥルの目が見開かれ息を呑む気配がした。
巻くようにしてバルドゥルの剣力の方向を変えて逸らし流し、その刀身を抑え込みつつセロンは一歩を踏み込む――本来ならここから相手の刀身の上を滑らせながら一気に首を狙う斬撃を放つのだが、同期の首を刎ね飛ばしてしまう訳にはいかない。故にセロンは常よりも深く踏み込んで、至近距離からの前蹴りを放った。
態勢を崩すのが狙いの一撃。
バルドゥルは素早く後ろに飛び退いた。セロンの蹴りが空を切る。闇を裂いて光が走る。カサンドラが放ったものだろう、バルドゥルの脚部を目がけて光弾が飛び、白刃が閃いた。
黒のギャンベソン姿のシーフは剣を振るい、光を斬り払って回避しつつ、さらに後方へと大きく跳ぶ。
(……流石にやるな)
相手もまた帝国精鋭たるヴェヒター・ヌルの隊員だ。大怪我をさせないように手加減しつつ、というのは難しいかもしれない。
倒すだけなら弓を使うのが手っ取り早かったが、矢を撃ち込むのは結構な確率で大怪我をさせてしまうだろう。矢というのは錐のように回転しながら飛ぶから、刺さった時、骨肉を深く抉る。ましてセロンの弓は鉄板とてぶち抜く強弓である。簡単に神経や重要な血管を傷つける。
一撃必殺を狙うならやりようは山ほどあるのだが、その逆に万一にも後遺症を残すような大怪我をさせないように、となると途端に手段が限られる。剣であっても同様だったが弓よりは多少マシだった。
付近の家屋の壁面に張り付いたバルドゥルは、それを駆け登って(壁歩きのスキルを使用しているのだろう)間合いを取りながら叫んだ。
「貴様ら、何者だ! その剣筋、帝国人か?!」
一連の攻防から同国人である所まで青年諜報員は既に予想をつけたらしい。
セロンとカサンドラは当然、無言だった。
声色という材料まで渡したら、それこそ特定されかねない。
セロンは大きく横へと跳んだ。
微かな、しかし確かな物音が、鼓膜を震わせたからだ。
唸りをあげ豪速で飛来した矢が、先程までセロンの背中があった場所を貫いて抜けた。鋭い音を鳴り響かせながら家屋の壁に矢が深々と突き立つ。
「へぇ? それ避けんのか? やるねぇ」
振り向くと路地から、鍛え抜かれた体躯を深紅のギャンベソンに包んだ金髪の青年が姿をあらわした。青年は短弓を背にしまいつつ、腰から剣を抜き放つ。
ウォーリアのライムントだ。
壁に張り付いているバルドゥルが叫んだ。
「おい! 殺すなよっ?!」
「そんな事言ってられる相手かコレが? 確実に授恵者だ。あたり所が悪くなけりゃ、死にはしねぇだろ。それに最悪、捕縛せよとは言われたが、生きて捕らえろとは言われてねぇ」
「お前なぁ」
「逃がすよかナンボかマシだ。返り討ちにあうよりはずっとずっとマシだ。違うか?」
殺気に満ちた金髪戦士の言葉と眼光に銀髪の盗賊は押し黙った。
深紅のギャンベソン姿の戦士は長剣の腹に指を滑らせつつセロンを睨むと、
「さて、そういう訳でアンタラ、殺す気でいかせてもらう。死にたくなけりゃ武器を捨てて投降して貰えると助かるんだがね」
セロンは少し考えた後に念話を発した。
≪≪ライムントは僕がやる。キャシーはバルドゥルを頼む≫≫
≪≪わかったわ≫≫
黒ずくめの少年は剣を構えライムントへと向き直った。
金髪の鍛えられた体躯の青年は不敵な笑みを浮かべる。
「おーおー、やる気だねぇ……そんなら、しゃあねぇ……死んでも怨むなよ」
精鋭部隊の戦士は長剣を構えると、まるでフリップブックの途中のコマをすっと飛ばしたかの如き爆発的な動きで、セロンの眼前へと半瞬で踏み込んだ。
●
闇を斬り裂く天雷だ。
燃え上るように輝いたライムントの打ち込みは、そう評して不足無い程に凄まじい速さを秘めていた。
単純に剣速が速いだけでなく、予備動作が極端に小さい。目と意識の錯覚を利用した滑るような動き。踏み込みと攻撃の起こりが見えない。気づいた時には既に眼前に迫っている。
まさしく紫電一閃、電光石火の戦士の一断。初見の敵はおおよそが、回避も防御も出来ずに一撃で斬り殺される。真っ向からであるにも関わらず不意打ちとなりうる必殺剣。
セロンの顔のすぐ側を白い雷光が突き抜けてゆく。
黒ずくめの少年は、体を軸から回転させ左足と右足の前後を入れ替えつつ身を捻り、半身になりながら斜め前方へと踏み込んで、紙一重で光をかわしていた。
ライムントの剣を、セロンは見た事があった。
彼ならそうくるだろうと予測していた。
未知であるならばさしものセロンも不覚を取ったであろう程の鋭さだったが、そう来るとわかっているなら、対処はセロンにとって難しくない。
初見殺しは初見でなければ威力が半減する。
必殺剣をすり抜けるように鮮やかに回避し懐に入ったセロンは、右足を相手の足の後ろへと差し込むように踏み込みつつ、右手を剣から離した。低く前傾の姿勢から素早く右腕を伸ばし密着、己の右脇下と足の間にライムントの胴を挟み込むように絡める。
「ぬっ?!」
ライムントの身が仰け反るように傾いだ。その身がセロンの腿の上に乗り、そのまま接触面を支点に縦回転するように、風車のように、後頭部から地面へと落ちてゆく。
投げ技だ。
セロンは仰向けに転がったライムントの、剣を握る右手首を素早く踏みつけた。
本来なら、ここから喉元にでも剣の切っ先を突きを入れれば終わりだったが、殺す訳にはいかない。
(剣を封じて、それから絞め落とそう)
セロンは身を沈めるとライムントの喉を目がけて右手を伸ばした。
が、その動きが良く無かったらしい。
ライムントは左手で伸ばされたセロンの右腕を掴むと、恐るべき剛力でセロンの腕を引いた。
黒ずくめの少年の身が大きく前へと倒れ込んでゆき、そして前転するように一回転して路上に転がった。
セロンは即座に横転しながら跳ね起きる。
向き直ると眼前には既にライムントが迫り長剣を振り下ろしていた。
咄嗟に剣を傾斜させながら頭上に翳す。
ライムントの剛剣が火花を巻き起こしながらセロンの剣に沿って斜め下へと滑り落ちてゆく。
掲げた剣を、間髪入れずに相手の頭部へと振り下ろ――しそうになった所で踏みとどまり、セロンは後方へと跳んで間合いを広げた。同僚の脳天を砕いてしまう訳にはいかない。
すかさずライムントが後退にぴったり合わせるように前に踏み込んで来る。金髪の青年は振り抜いて下がった剣を今度は、逆袈裟に振り上げてきた。
夜風が唸り、闇に光が閃く。
セロンは素早く反応し、右斜め下へと低く身を沈めた。
頭上ギリギリを恐るべき剣圧が突き抜けてゆく。
黒装束姿の青年は、低い態勢のまま身を捻り、回転するようにしながら足払いを繰り出した。
ライムントは小さく跳躍して足払いを回避し、落下しながら剣を突き降ろす。
セロンは地を転がって刺突を回避し、一回転した勢いで足から起き上がり立ち上がる。
するとライムントも何故か後ろに大きく跳んで間合いを広げた。
彼は雄牛の型に長剣を構え直しつつ物言いたげな表情でセロンをしげしげと睨んだ。
「お前……あぁ、なるほどなぁ」
ライムントはそんな呟きを発すると、
「やめだバルドゥル!」
不意に構えを解いて声を張り上げた。
「……は? なんだって?」
付近の家屋に垂直に靴底をつけている銀髪の青年がカサンドラを睨んだまま声を返す。
カサンドラは剣を構えたまま後方へと跳び退って間合いを広げた。
セロンもまた構えを維持したままライムントとバルドゥルへと交互に視線を走らせる。
(どういうつもりだ?)
三人が訝しむ中、ライムントは言葉を続ける。
「俺は死んだ。本当だったら、こいつに既に二回……いや、三回か、殺されている」
「あぁ? そんじゃあ、今喋ってるお前は亡霊かよ? 何が言いてぇ」
「こいつらの剣には殺意が無い」
「…………そいつぁ、まぁ、そうだな。どういう理由でかは知らねーが」
セロン達が致命傷となりうる攻撃を繰り出していない事は、どうやら薄々気づかれていたらしい。
(まぁさすがに解るか)
ライムントもバルドゥルも素人では無い。
北の軍事大国が誇る精鋭特殊部隊の隊員だ。
「だが、それは俺達の知った事か?」
「そっちの男が背負ってる弓の形、お前、見覚えねぇか」
ライムントが顎をしゃくった。
「弓……? ……はぁあっ?」
どうやら彼等も暗視のスキルはセットしてきているらしい。
バルドゥルはセロンの背中をみやって目を丸くし、素っ頓狂な声をあげた。
「おいおいおいおい、ちょっと待ってくれよ」
(……気づかれたか)
可能ならば、正体を隠したまま振り切りたかったのだが、どうやらそれは失敗に終わってしまったようだ。
致命傷を与えず、正体を悟られず、無力化できるほど、ライムントとバルドゥルは容易い相手ではなかった。
「今は殺意がねぇが、それでなんとかならねぇなら、そのうちそいつ、背中の弓を取り出すんじゃねぇか? お前、勝てるか? 弓だしたソイツに」
「……なるほど」
「絶対勝てねぇとも言わねぇが、目玉の一個や二個、無くしてもおかしくねぇ。ここで俺らがそれをやるのは、馬鹿らしいだろうよ」
バルドゥルは半眼になって嘆息すると、じっとセロンを見つめて来た。
「なーんでお前らここにいんの……? 何やってんだよ、いや、なんか別口なんだとは思うけどよ」
セロンとしては笑って誤魔化すしかない。
なんと説明したものか迷っていると、
「おい、バルドゥル、俺らにはこいつらが誰なんだかはわからねぇ」
「なんだって?」
銀髪の青年はライムントの言に初め驚いた様子だったが、すぐに得心がいったように、
「……あぁね、そうだな、確かにな、俺達は知ってる奴になんて会ってねぇ、まして同期になんて会ってねぇ」
「『俺達は正体不明の黒ずくめ達に追いつき生け捕りにすべく交戦したが、途中で街の地形を利用されて上手い事逃げられた』上にはそう言っておく。それで良いな?」
どうやら、セロン達の正体については、黙っていてくれるらしい。
そこで初めてセロンは声を発した。
「悪いですね」
ライムントは肩を竦め、
「貸し一つだぜ、って言いたいが、まぁ負けてたのはこっちだからな。ここは大人しく退いとくさ。何やってんだか知らねぇが、せいぜい上手くやるんだな」
「ええ、そちらも。今回の件は何かがいつもと違います。気をつけた方が良い」
セロンが忠告を発すると金髪の青年は頷き。
「ああ、そんな気はしている。忠告は有難く受け取っとくぜ。あばよ。しばらくは追うが、適当な所で止まる」
「わかりました」
「それじゃこれで」
セロンが頷くと、カサンドラが光を矢と成し地面に対して撃ち放った。次の瞬間それは炸裂し煙となる。
わざわざ煙幕を出したのは、もし遠くから見ている者が存在した場合に備え、出来る限り流れが不自然に見えないようにする為だろう。ライムント達がしばらく追うと言っているのも同様だ。
で、あるなら、全速力で逃げて見せた方が良いだろう。
≪≪いきましょう≫≫
≪≪ああ≫≫
セロンとカサンドラは全速で駆け出した。
しばらくライムントとバルドゥルが追ってきたが、入り組んだ路地裏の道を駆けているとやがて彼等は見失ったようにセロン達の追跡を止め、セロン達は無事の帰還を果たしたのだった。
●
翌日、深夜に不審者達が街で大立ち回りしたという事が噂になっていた。
やはり目撃者が発生してしまっていたらしい。
しかし、その正体がセロンとカサンドラであるという事は、突き止められてはいないようだった。
どうやらライムント達は約束通り秘密にしてくれたらしい。
「セリーヌさんは恐らく、フィルエス大森林の出身なのでしょうね」
昼食時、他にも色々と情報を集めているらしきカサンドラが芝生の上で弁当を広げながらそう言った。
セロンはカサンドラ制作の卵サンドウィッチに齧りつきつつ、
「うん、恐らくそうなんだろうなぁ」
もぐもぐと咀嚼して呑み込む。元貴族のお嬢様作にしては意外な程に美味い。カサンドラは以前、五十過ぎの貴族男の花嫁にされそうだった時に、花嫁修業をさせられていた時期があったそうだから、その時に料理技術も身に着けたのかもしれない。
「ヒューマン主義のリーンエス王国と大森林のエルフって距離的には遠そうに思えるけれど……」
「何かがあったんだろうね、あんまり良い予感はしないけど」
そしてそのセリーヌとセロンの家には何かしらの関係がある。
(一体、どんな関係があるっていうんだ?)
茶を飲みつつ少年は首を傾げるのだった。