青薔薇の宿命 ~手札から、切り札へ~

キャラクターノベル制作 革酎納品 2021年07月03日 16時47分14秒

●
 カペル侯爵領――そこはリーンエス王国首都グランスパーダに程近く、王国内に於いては文化と芸術を発する拠点のひとつであり、絢爛なる歴史を誇る“花の領地”として知られていた。
 その日、シルヴィア・A・カペルはいつもより若干ラフな服装で領都郊外に鎮座する純白の豪邸を訪れた。
 邸主の名は、イザベラ・カペル。
 カペル侯爵家の実質的な最高権力者であり、そしてシルヴィアの祖母でもある。
 シルヴィアは玄関先でふと足を止め、前庭を振り返った。
 秋の涼しさから冬の冷気へと季節が移ろい始めた時期ではあるが、イザベラ邸の前庭は依然として数多くの花々が色とりどりに咲き乱れていた。元々カペル侯爵領は季節ごとに種々様々な花が無数に咲き誇る地でも知られていたが、特にこのイザベラ邸を彩る花々は可憐さの中に勇壮な力強さを静かに湛えていた。
「おや、お嬢もご招待に与ったのか」
 分厚い樫の木製の豪奢な玄関扉の前で虹の大河の如き花景色を楽しんでいたシルヴィアだったが、背後から聞き慣れた渋い声が、そっと肩を撫でてきた。
 振り向くと、頑健な体躯の壮年男性が西に傾き始めた陽射しの中でのんびりと佇んでいる。端正な面を穏やかな笑みの形に緩め、幾分眩しそうな様子でアイスブルーに輝く目を細めていた。シルヴィアとは異なり、こちらは筋肉の峰がうねる上半身を簡易正装に押し包んでいる為か、額には若干の汗が浮かんでいる。
 その燃える様な赤髪はいつも通りの総髪に纏めているが、前髪が僅かに汗で崩れているのが、却って大人の色気を滲ませていた。
 彼の名は、ジェレムス・ローギリアン。カペル侯爵領騎士団の長を務める傑物だ。
「やぁ団長、お久しぶり……貴方もお婆様に呼ばれて?」
 訊きながらシルヴィアは周囲を見渡した。
 供仕えたる下級騎士の姿が無い。ということは、今日はプライベートでイザベラ邸を訪れたという訳か。だがそれにしては、その簡易正装の意味合いが気になる。
「今日は何か祝い事でもあったかな?」
「ま、それは見てのお楽しみ、というところだろうな」
 ジェレムスの妙に意を含んだいい廻しに、シルヴィアは内心で小首を捻った。今日この日は、特に何か意味のある日付だったという記憶も無い。一体、どういうことであろう。
 あのお婆様のことだから、また何か企んでいるのかも、などと不穏な気配を感じないでもなかったが、さりとてまさか取って食われる訳でもないのだからと気を取り直し、シルヴィアはジェレムスと並び立って玄関をくぐることにした。

 邸内では顔馴染みの家士や給仕達がふたりを出迎え、外套や装飾剣を慣れた手つきで受け取り、いつものクロークへと預かってくれる。
 やや遅れて現れた執事長の案内に従い、シルヴィアとジェレムスは食堂へと足を運んだ。
 イザベラ邸の食堂は大小ふたつのホールがあり、大ホールはパーティや結婚式などを執り行うことが出来る程の広さがある。この日、案内されたのはそちらではなく、ごく親しい者だけ、或いは親類縁者だけで使用される小ホールの方だ。
 薄青のカーテンが開かれると、燭台の淡い光と僅かに差し込む西陽だけに照らし出された四人掛けの円形食卓が、視界に飛び込んでくる。
 先客が居た。
 ひとりは、当然の話だがこの豪邸の主にしてシルヴィアの祖母でもあるイザベラだ。
 この日のイザベラは、ゆったりとした青基調のイブニングドレスを纏っていた。
 決して格式ばったデザインではないが、王族を客に呼んでもホストとして十分に振る舞うことが出来る上質な素材と品の良い色合いで、流石はお婆様だといつもながら内心で驚きを禁じ得ないシルヴィアだった。
 そしてもうひとりの先客は、こちらも良く見知った顔だった。
 そのほっそりとした顔立ちと先の尖った耳は間違い無くエルフのそれだが、種族としては比較的少数派ともいわれる黒檀の髪と、紫水晶の如く神秘的な輝きを秘める瞳のコントラストは、初対面ではない者にとっても思わず息を呑ませてしまう程の美しさを際立たせていた。
「あら、久しぶりねシルヴィア。あの譜面は、もう自分のものにしたのかしら?」
 妖艶に微笑むエルフ美女の名は、アーカネラ・ユルヴェウス。
 カペル侯爵家が誇る芸術団にして広報部署、そして同時に裏の顔でもある諜報工作部隊としての面をも持つ組織『青薔薇』のトップ――マイスターの称号を持つ、こちらもジェレムスに負けず劣らずの傑物だ。
 アーカネラは『青薔薇』最高の芸術家であり最強のエージェントでもあったが、更に付け加えるならばシルヴィアにとっての芸術技能の師匠でもあった。
 演奏、歌唱、舞踊のみならず、文筆の手ほどきも受けた相手だけに、シルヴィアにしてみればお婆様と並んで頭の上がらない人物であった。
 だが妙に奔放で、しかも妖艶ながら豪放な顔を併せ持つアーカネラは、シルヴィアの心にとっては決して負担ではなく、いつでも相談を持ち掛けることが出来る頼れるお姉さんとしての面の方が強い。
 そのアーカネラに対し、シルヴィアはあの譜面の中盤にはまだ少し不安が残ると苦笑を返しながら、給仕達が引いた革張りの椅子に腰を落ち着けた。
「食前酒はいつものあれで良いわね」
 いつものあれ、というのはイザベラが大好きな甘口の赤ワインだ。トレイワゴン上では、25年ものの上質なワインが今か今かと開栓を待ちわびている。
 矢張り今日は何かの記念日だったろうか――シルヴィアは未だにそんな疑念を内心に抱えていたが、イザベラが次に放ったひと言に思わず目を丸くした。
「今日は我が自慢の孫娘が、冒険者としての第一歩を踏み出した記念すべき日よ。大いにお祝いしましょう」
 これは流石に、想定外だった。

●
 イザベラは間違い無くシルヴィアの祖母だ。その事実が揺らぐことは絶対にあり得ないが、しかしその外観はというと、とても老齢とは思えぬ若々しさ、瑞々しさが充満している。ともすれば三十代半ばといい切っても十二分に通用する程の柔らかな肉感と滑らかな肌に彩られ、その流れる様な黄金の髪質は全くといって良いくらいに年齢を感じさせない。
 そして何よりも、紅い真珠の瞳は情熱に満ちている。イザベラにはまだ女としての魅力が、むせ返る程の濃厚さで満ち溢れていた。
 だが領民からの圧倒的な支持は、この外見や立ち居振る舞いだけに依るものではない。矢張り何といってもその政治的・経済的手腕と領民を深く愛する慈母の心が領内の隅々にまで行き渡っていることが、彼女の人気を下支えしている。
 そのイザベラがこの日は珍しくひとりの親族、即ちシルヴィアの祝い事の為だけにささやかな宴を催した。これはシルヴィア自身の目から見ても、非常に珍しい話であった。
「シルヴィア……冒険者として見分を広めなさい」
 イザベラは給仕には任せず、手ずから瓶を取ってシルヴィアのグラスに甘くて芳醇な、赤い宝石の如き液体をゆっくりと注ぎ込んだ。
「恋をしても良いわ。例え相手が平民でも、或いはヒューマン以外でも……私は応援するわよ」
 ワインを注ぎ終えたイザベラに、シルヴィアは驚嘆の眼差しを返した。
 王国貴族にとっては、ヒューマンの貴族血筋は絶対だ。増してやそれがカペル侯爵家ならば尚更だろう。にもかかわらず、イザベラはそれを覆しても構わないといい切った。これにはシルヴィアのみならず、ジェレムスやアーカネラも同様に意外の念を瞳の奥に覗かせていた。
 シルヴィアは言葉が出ない。
 私は侯爵家の令嬢だ。いわばカペル家の手札だ。“リーンエス王国の彩”という呼び声も、或いは“蒼玉の麗人”と社交界で秘される通り名も、将来の夫を喜ばせる為の付加価値に過ぎない。
 だがそれもこれも、カペル侯爵家の為だ。
 私の人生に於ける究極の終端は、カペル侯爵令嬢の身で他家に嫁ぐこと。それ以外には無いのだろう?
 それなのに、お婆様は既に敷かれた道筋を覆す様なひと言を、簡単にいってのけた。
 一体、どこに本意があるというのだろうか。

「貴女は確かに上等な手札よ……でもね、Kではないの。Jなのよ」
 シルヴィアには、イザベラのいわんとしていることがすぐには理解出来ない。それはイザベラ自身もよく分かっている様子だったが、それでも彼女は続けた。
「女侯爵になっても良いけど、それには相応の覚悟が要るわね。でも私はねシルヴィア、個人的な意見をいわせて貰えば、貴女には『青薔薇』に加わる事を勧めたいわ」
 何故ならばシルヴィアには文才があり、更には演奏と歌唱の才にも恵まれている。その素質の高さはアーカネラも太鼓判を押していた。
 もしもシルヴィアが『青薔薇』に入団することになれば、それはアーカネラ自身にとっても最高の戦力補強になるだろう。
「それに……貴女が恋に落ちて『青薔薇』に加わるなら、それは素敵な物語だと思わない?」
 地位ではなく、想い人を選んだ侯爵令嬢。
 それでも尚、カペル侯爵家の為に人生を捧げるという戯曲。シルヴィアの人気は爆発的にひとびとの心を鷲掴みにするだろう。
「あ、勿論、騎士団に入っても良いけど」
 イザベラが最後に、思い出した様な調子で付け加えたひと言にジェレムスは苦笑を返す。カペル侯爵領騎士団は『青薔薇』と双璧を為す程の実力を持つ集団だが、イザベラの目にかかれば添え物程度の存在感しか伺えない様子だった。
「でもね、これだけは忘れないで……領民とは、仲良くしていくのよ。彼らを愛していることだけが理由じゃないわ。これからはきっと、そんな時代が来るだろうから」
 イザベラは小ホールの壁に掲げられているロスガリア大陸全図に視線を投げかけた。
 そうか――シルヴィアは、ようやく理解した。
 シルトラース帝国の崩壊と、それに続く授恵者の大量覚醒。
 更には、以前からは考えられない程のクリーパーの出現率に加え、各地を揺るがす亜人共の台頭、そして恐るべきテロリスト集団メドゥの指先のかつてない程の活性化。
 最早、王国内で貴族同士が政治闘争に明け暮れるだけの時代は終わりを告げようとしている。
 ロスガリア全土を巻き込む種を超越した群雄割拠の戦国時代が、もうすぐそこにまで迫ろうとしているのだ――イザベラはその恐るべき未来を、既に見越しているのかも知れない。
 シルヴィアは反対側の壁に掲げられているカペル侯爵家の家紋に視線を転じた。描かれているのは、鮮やかな程の青薔薇だった。
 カペル侯爵家のみならず、直属騎士団の団章も青薔薇なら、その名の通り組織としての『青薔薇』も、トレードマークは青薔薇だ。全てがこの強くて美しく、そして同時に儚さを伴う青の担い手に力を集結している。
 騎士団と『青薔薇』は演出上、互いに対立を煽る素振りを見せて領民を盛り上げることもある。祭りやワイン勝負などでお互いに競い合う形だ。それは喧嘩ではなく、切磋琢磨の精神に満ち溢れている。
 領民達も心得たもので、騎士団と『青薔薇』の対決にはやんやの喝采を送り続けてきた。
 考えてみれば、良い時代、良い領民、良い土地だ。お互いに敬意を示し合い、良きライバルとして互いを認める平和な世界。
 だが、その夢の様な時間がもう間も無く、終わろうとしている。シルヴィアの授恵者としての覚醒、冒険者としての旅立ちは、いい換えれば地獄の戦乱への扉が開かれたことに他ならない。
 だからこそ、イザベラはシルヴィアに祝いの会と称して薫陶を授けたのだ。
 冒険者として見聞を広めよ、と。

●
 宴は進み、会話が弾んだ。ジェレムスは酔い潰れたのか、船を漕ぎながら軽い鼾を響かせている。
 アーカネラも頬が上気した様に朱に染まり、目尻がとろんと甘えた形に下がっている。
 そんな中、イザベラは幾分表情を硬くして、水仙の花弁に蝶の羽があしらわれたブローチをテーブル上に差し出してきた。
「どこから送ったのか知らないけど、あの子が貴女に、と」
 シルヴィアは思わず、息を呑んだ。イザベラが『あの子』と呼ぶのは、シルヴィアにとっては『先生』と呼ぶべき人物だったからだ。年齢から考えても、イザベラが『先生』を『あの子』と呼ぶのはいささか奇妙にも思えるのだが、イザベラにとってはそう呼ぶのが自然なのだろう。
 それは兎も角、シルヴィアは手が震えるのを自覚しつつも、そのブローチを手に取った。すると流石にアーカネラも酔いが一気に醒めたらしく、驚きの色を湛えた瞳でシルヴィアの手の中にあるものをじっと眺めた。
「やだわ、あのひと……行方知れずの癖に、こっちの情報はしっかり掴んでたのね」
 イザベラは『あの子』と呼び、アーカネラは『あのひと』と呼ぶ。何ともいえぬ奇妙な関係性だ。
 アーカネラ自身は、『先生』とは同郷の腐れ縁だということだが、余り詳しい話はシルヴィアも聞いたことが無い。きっと何か複雑な事情があるのだろうが、『先生』が大切にしていた“優しい一族”については、少しだけ語ってくれたことがあった様な気がした。
 その『先生』は今、どこで何をしているのだろうか――まだ10歳だったシルヴィアを丸一年間、旅に連れ出して諸国を回った恩人だが、それ以来、シルヴィアの前から忽然と姿を消した美貌のエルフ。イザベラの悪友でもあり、シルヴィアの祖父、即ちイザベラの夫にとっても古い友人であるとの由。
 カペル家には有能な人物が多いが、『先生』との間に生まれた縁も、その秀逸な血筋が引き寄せたのかも知れない。シルヴィアの兄弟達にも『先生』からの教育を求める者が居たが、『先生』は結局シルヴィアだけに旅を通じての教育を施しただけで行方をくらませた。
「全く、今頃どういうつもりなのかしらね。今度顔見せたらぶん殴ってやらなきゃ気が済まないわ」
 イザベラの憤慨も、シルヴィアには届かない。ただ『先生』が今でも私のことを見てくれていたという、その事実だけで頭の中が真っ白になっていた。
 だが、このブローチには不思議と見覚えがある。もしかしたら一年間の旅の中で『先生』が見せてくれたことがあったのかも知れない。
 そのおぼろげな記憶が、あるひと言を意識の奥底から拾い上げた。
「……寄る辺の紡ぎ手」
「それは、あのひとが教えたの?」
 シルヴィアのか細い声に、アーカネラが若干食いつき気味に問いかけたが、シルヴィア自身にもよく分からない。ただ、絶対に忘れてはならない人生の羅針盤ともいうべきひと言だ、という気がしていた。

 それから、数週間後。
 冒険者として、いよいよ自立したシルヴィアはある日、冒険者ギルドに貼り出された難民キャンプでの依頼に目を通していた。
 そのキャンプ名はロモズ旧村。
 シルヴィアは我知らず、その名に運命的なものを感じていたが、それはまた、別の話。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0